3/20<校長室より>言葉にならない感動
まさか1年生までもが…。
またも私のために、思わぬサプライズが用意されていました。
代表生徒に案内された武道場で待っていたのは、1年生徒諸君の盛大な拍手でした。
心温まるお礼の言葉の後、手渡された額には全員のメッセージや名前がちりばめられています。その後は、送る会でも披露した「あなたへ」の合唱を贈っていただき、1年生とは思えない難易度の高い曲を気迫を込めて歌う姿に感動しました。
私の話にもしっかりと耳を傾けてくれた1年生。「尊敬される学年になってほしい」というメッセージにも自然に力が入りました。
あらためて、人と感動を分かち合える心をもった岩中生と毎日を過ごせる喜びをかみしめるひとときでした。
こんな心遣いをしてくれた生徒たち、そして教職員に心から「感謝」します。ありがとうございました。
【校長室】 2018-03-20 21:24 up!
3/20 受け継がれる伝統
卒業した3年生が清掃していた掃除区域を、1・2年生が分担して黙々と自問清掃しています。
人数は少ないですが、職員室や南館の廊下、美術室・音楽室などを一生懸命清掃しています。
先輩がこれまで示してくれた、心を込めて清掃をする姿を引き継いで頑張る1・2年生の姿に、とても頼もしさを感じています。
【校長室】 2018-03-20 14:49 up!
3/20ご卒業おめでとうございます(小学校)
今日は、小学校の卒業式でした。
本校からも、岩中校区の3小学校(岩倉北小、岩倉南小、五条川小)の卒業式に、職員が分担して参加しました。
どの小学校も、合唱や呼びかけに思いがこもった、心温まる式でした。
4月から中学生になる卒業生の皆さんの姿に頼もしさを感じました。
本日は、ご卒業おめでとうございます。
皆さんの中学校への入学を、心からお待ちしています。
※写真は、岩倉南小学校の卒業式の様子です。
【校長室】 2018-03-20 12:08 up!
3/19 おめでとう、公立高校入試合格発表
今日は、公立高校入試の合格発表があり、多くの生徒が合格証を受け取りに登校しました。
晴れて第一志望に合格した皆さん、本当におめでとうございます。周囲の人からの期待に応えるべく、新しい道に励んでください。
第二志望に合格した皆さん、希望通りにはならなかったけれど、今の悔しさを3年後に活かせるよう、合格した学校での3年間を精一杯に過ごしてください。
合格にたどり着けなかった皆さん、無念だと思いますが、未来が閉ざされたわけではありません。「もうダメだ」と悲観的になったり、「こうしていればよかった」という後悔だけに終わらせたりしないようにしてください。
いずれにしても、今日の結果は人生の一つの通過点に過ぎません。新たなスタートラインに立ったに過ぎません。今回の結果を真摯に受け止め、さらに先の進路を目指して努力してください。
卒業生の新たな道に幸多かれと祈ります。
【校長室】 2018-03-19 14:36 up!
3/12 <校長室より>命を大切に〜最後のメッセージ〜
今日は、本年度最後の朝礼でした。
校長講話では、これまで卒業生にのみ話してきた私の大切な体験談を話しました。悲しい話ですし、生徒たちがどのように受け止めるのか不安もありましたが、私が最も伝えたいメッセージを大切な生徒たちに伝えるべきと考えて決断しました。
いつもより長い話でしたが、真剣に耳を傾けてくれたように思います。命ほど大切なものはないというメッセージがうまく伝わっていることを願います。
校長講話はこちら
(3月12日校長講話)
今日は最後の朝礼ですので、校長先生が皆さんに一番伝えたいことを話します。それは、簡単に言えば命を大切にしましょうという話です。
校長先生にとっては悲しい話ですので、今まで卒業生にしか話してきませんでしたが、大事な皆さんのために話します。聞いてください。
校長先生には二人の娘がいます。二人とも既に就職や結婚をしています。
そして、校長先生にはもう一人息子がいました。生きていれば、今二十八才になります。
小学校四年生の秋に脳腫瘍という重い病気でなくなりました。十才でした。
小学校一年生まではとても元気のよい男の子でした。誰よりも背が高く、誰よりも思いやりのある子どもでした。
症状が出はじめたのは小学校一年生の十二月でした。
食べた物を戻すようになったのです。
初めは胃腸風邪だと思っていました。実際、熱もありました。
しかし、熱が引いても吐き気が止まりません。毎日一、二度食べたものを戻します。
医者に診せても原因は分かりません。仕方なく、しばらく学校を休みました。
次第にやせ細り、そのうちまっすぐに歩けなくなりました。
原因が分かったのは、入院をしていろんな検査をしてからでした。
お医者さんに呼ばれて、息子の脳のレントゲン写真を見せてもらいました。
誰が見ても、それが正常な脳の写真でないことは分かりました。
息子の脳には、後頭部に直径八センチもある大きな脳腫瘍ができていたのです。
お医者さんはこのような腫瘍は見たことがない、手に負えないと言いました。
すぐに専門の病院に転院しました。新しいお医者さんからは、このまま放っておけばあと十日の命だと言われました。手術をするけれども、成功するかどうかは分からないとも言われました。先生はその場に立っていられなくてしゃがみ込んでしまいました。
翌日、すぐに手術をしました。十二時間に及ぶ大手術でした。
手術室の前で祈るような気持ちで待ちました。
手術は成功しました。しかし、脳幹と呼ばれる大事な部分を傷つけるといけないので、その近くにある腫瘍はとれませんでした。そのため、その後しばらくは放射線治療や化学療法というつらい治療を続けました。
それに耐えて、再び学校に通えるようになったのは、半年後の九月でした。手術のため、手足に少し麻痺が残りました。字が書きづらく、歩くこともゆっくりとしかできませんでした。それでも息子は極めて明るく、そして一生懸命学校生活を送りました。
脳腫瘍が再発したのは、その十カ月後でした。三年生の六月、定期検査に行った息子の脳に、今度はおでこの部分と、脊椎に腫瘍ができていました。
再び手術を受けました。脳の手術は五時間かかりました。脊椎の手術は十五時間に及びました。しかし、そんな大手術に息子は耐え抜きました。
そして、その後にはさらにつらい治療も待っていました。しかし、そのたびに息子はこの治療でおできをやっつけてくるぞ、といって、明るく立ち向かっていきました。
元気なときには冗談を言ってまわりを笑わせたりもしました。そんな息子は、病院中の人気者でした。
しかし、何度も入退院を繰り返し、次第に身体は弱っていきました。医者にあと一カ月の命だと言われたのは、三年生の一月でした。しかし、息子も先生もあきらめませんでした。
先生は、お医者さんの治療以外に何か方法はないかと、ありとあらゆる民間療法を調べました。そして身体にいいと思われることは何でもやってみました。
その中のどれかが効いたのでしょう、息子の状態は少し安定しました。
医者の反対を押し切って退院をし、しばらく自宅で過ごしました。いつ容態が悪化するかもしれないという不安はありましたが幸せな日々でした。
しかしそれも長くは続きませんでした。
再び嘔吐が止まらなくなったのは、半年後の九月でした。
家での看病は限界となり、再度入院しました。
入院をするとき、いつも先生の奥さんは泊まり込みで看病をします。先生は毎日朝食と夕食の支度をしてから、まだ小さかった二人の娘を小中学校に送り出し、病院によってから学校に通います。学校の仕事が終わると毎日病院に通い、息子が寝るまで話をしました。親子に残された時間は短く、かけがえのない時間でした。
あるとき息子が先生にこういいました。
「お父さん、僕には二つ心配事がある。一つはおうちへ帰れるかどうかということ。もう一つは字が書けないようになってしまうんじゃないかなということ」と、次第に動きが悪くなる右手を見つめながら言いました。
先生は、「大丈夫、ちゃんとおうちに帰れるし、ちゃんと元通り字も書けるようになるよ」というしかありませんでした。
それを聞いて息子は安心した表情になりました。
これが息子とかわした最後の言葉でした。
じゃあねと言って別れ際に振った息子の右手はぎこちなくゆれていました。
翌日、息子の容態は悪化して、人工呼吸器を付けざるを得なくなりました。
もう話すことも、食べることもできません。
それでも、目を見つめてほほ笑むことはできました。
しかし、心臓の鼓動がなくなるのは時間の問題でした。
数日後、鼓動が異常に高くなったかと思うと、けいれんが始まり、それが終わると、やがて不規則になって、そしてついに止まってしまいました。
お医者さんが電気ショックを与えても、息子の心臓が二度とふたたび動くことはありませんでした。十月十六日の朝でした。
先生は奥さんと二人で、すぐにでも息子の後を追おうと思いました。しかし、二人の娘の存在がこのことを思いとどまらせました。
時間がたっても悲しみは癒えるどころか、さらに深くなっていきました。
しかしある時、悲しんでいても死んでいった息子は決して喜ばない、と気付きました。
息子が残したものは、治療という困難にも前向きに立ち向かっていった勇気と、まわりを気遣いながら、愚痴一つこぼさず毎日を過ごした明るい笑顔や思いやりと、自分の運命にまっすぐに立ち向かい、それを受け入れていった潔さでした。
それを思うと、何かつらいことがあっても何の困難でもなくなりました。
死んでいった息子に恥じない生き方をすることが、先生の目標となりました。
皆さんにお願いがあります。
一つ、世の中にはいくら学校へ行きたくても、勉強したくても、何かの理由でそれができない人もいます。学校へ行けることが、勉強できることが、あたりまえだと思わないでください。勉強させてもらえることを幸せに感じてください。
二つ、誰もが皆と同じことがしたいと願って生きています。しかし、何かの理由で、皆と一緒に行動できない人もいます。そのような人に心ないうわさや、心ない言葉をかけないでください。相手の立場を思いやって手助けや気遣いのできる人になってください。
三つ、親はどんな時も、わが子のために最善を尽くすものです。息子が普通の食事がとれなくなったとき、少しでも食べれるものはないかといろんなものを作って病院に持って行きました。医者がもう打つ手はないと言ったとき、何かいい方法はないかと全国を飛び回りました。息子が死んでしまったあとは、お墓に飾る花を一生懸命育てています。先生の奥さんは今でも息子の分まで食事をつくって、息子の勉強机に備えています。皆さんがここまで育ってこれたのは、まぎれもなく皆さんのご両親のおかげです。ご両親に感謝しましょう。
四つ、人は、誰でもいつかは死にます。いつ死ぬかは誰にもわかりません。突然死ぬこともあるのです。死んでしまったあとに残るものは何でしょうか。
「人がこの世を去りゆくとき、手に入れたものはすべて失い、与えたものだけが残る」という言葉があります。
人は、お金を、地位を、名誉を手に入れたいと思います。しかし、それらを手に入れたところで、死んだあとに何が残るのでしょうか。死んだあとに残るものは、人に与えた笑顔であり、人に与えた親切であり、人に与えた勇気であり、人のために尽くした功績です。
「人がこの世を去りゆくとき、手に入れたものはすべて失い、与えたものだけが残る」
人のために尽くした人の一生ほど美しいものはありません。人のために尽くせるように、自分を磨いてください。
これで、校長先生の最後の朝礼を終わります。
最後まで真剣に聞いてくれてありがとう。
【校長室】 2018-03-12 20:16 up!
3/12 ご来校、ありがとうございました
授業公開・学年懇談会へのご来校、ありがとうございました。
今年度のまとめと次年度への目標、宿泊的行事に関する概要説明などのために、毎年この時期に授業公開と学年懇談会を位置づけています。
いつも保護者の皆様の学校教育への関心の高さに感謝しておりますが、今日もたくさんの保護者の皆様にお集まりいただきました。
熱心にご参観いただき、ありがとうございました。
【校長室】 2018-03-12 17:05 up!
3/10教育長室の生徒作品紹介
教育長室には、市内各校から数点ずつの児童生徒作品が展示されています。
「身近に学校を感じていたい」という教育長さんの思いからです。
本校からも、美術で作成した作品を展示し、一定期間で取り換えています。
今回は、レタリング2作品を展示しました。
それぞれに、文字のもつ意味とデザインがマッチした、工夫された作品です。
教育長室に彩りをそえています。
【校長室】 2018-03-10 11:10 up!
3/8 健闘を祈る
先日卒業した生徒たちの大多数が、今日から公立一般入試に挑みます。
今日はBグループ校の5教科学力検査、明日は面接と一部学科の特別検査が行われます。
12日月曜日はAグループ校の5教科学力検査、火曜日は面接と一部学科の特別検査が行われます。
複数受験をする生徒も多く、この1週間は緊張の連続だと思います。
初日の今日は、それぞれの受験校へ全員無事到着することができました。
受験者の最終的な進路決定は、この公立一般入試の合否に委ねられています。
どの卒業生もせいいっぱいのチャレンジをし、悔いの残らぬ受験にしてくれることを担任の先生とともに願っています。
【校長室】 2018-03-08 08:33 up!
3/6 おめでとう、そして、ありがとう
数々のお手本を見せてくれた卒業生260名が旅立ちました。
生徒たちひとりひとりが感動の表情に満ちていました。
卒業生の前途を祝福します。心からおめでとう。
保護者の皆様の3年間のご理解・ご協力に心から感謝致します。
ありがとうございました。
式辞はこちら
式 辞
穏やかな風が新芽の香りを運び、春の息吹が感じられるこの良き日に、第七十一回卒業式を挙行いたしましたところ、小川副市長様をはじめ、市議会議員の皆様、教育委員、関係高等学校等、教育関係者の皆様、そして、区長様はじめ地域の皆様には、ご多用のところ御臨席を賜り、式典に光彩を添えていただきまして誠にありがとうございます。高いところからではございますが厚く御礼申し上げます。
卒業生の保護者の皆様、本日はお子様のご卒業、誠におめでとうございます。手塩にかけたお子様がここにひとつの大きな節目を迎えられたことに、お喜びもひとしおのことと存じます。これまでのご苦労に深甚なる敬意を表しますとともに心よりお祝い申し上げます。
さて、二百六十名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。こうして、多くのお客様をお迎えして皆さんの卒業式ができることは、岩倉中学校にとって大きな喜びであります。
皆さんとの出会いは、三年前の四月でした。皆さんは、岩倉中学校の新入生として、常に「ABCDの原則」を意識し、みんなで協力して、規律正しい学校生活を築いてきました。最高学年になってからは、一人一人が学校づくりのリーダーとして活躍し、岩中の「当たり前」を、その後ろ姿で後輩たちに示してきました。心も身体も立派に逞しく成長した皆さんを、本校の卒業生として送り出すことを、職員一同、大変誇りに思っています。
皆さんの三年間の姿を振り返って、本日の卒業を前に、岩中新聞に「証」と題して記事を載せておきました。
皆さんは、『人やものとの出会いを大切にし、挑戦や努力を前向きにとらえ、夢を追い求めることができる岩中生』という学年目標のもと、実にすばらしい成長を遂げてきました。その成長を支えたのは、何と言っても「自問ノート」です。
「自問ノート」は、もともと清掃の振り返りを記して翌日の清掃に生かす目的で始めたものですが、それを、皆さんは実に様々に活用してきました。
ある人は、「自問ノート」を毎朝開いて目標を立てました。またある人は、クラスで問題が起こると、それを自分のこととして受け止め、思いを綴りました。またある人は、リーダーとして自分のあるべき姿に悩んだとき、「自問ノート」に記した日々の振り返りを細かく確認することで解決の糸口を見つけたと聞きます。
このように皆さんは、日々「自問ノート」に、今の判断は正しかったか、行動は正しいかを綴ってきました。その結果、どんな場面でも他学年の手本となり、よい影響を与える行動をとることで、最高学年はただ年齢が一番上というだけではないという証を、みんなに示してくれました。
修学旅行などで校外に出るときは、岩中生の質を試されるときと考え、岩中生代表として、そのすばらしさを発信してきました。
三年生での行事はすべてが最後だから、記憶に残るようにと考え、時間を無駄にせず練習に励んできました。
信じられる人になるためには、まずは自分が他を信じなければならないと考え、どんな問題も自分のこととして受け止め、できる事を考えてきました。
流されていくだけの生活ではもったいないと考え、常に立ち止まって一つ一つの行動を振り返ってきました。
「自問ノート、教科係会、ABCDの原則、ボランティア、岩中ソーラン、合唱…」、残したい岩中の伝統として皆さんが掲げた項目です。一・二年生が皆さんの姿にあこがれをもって生活していることこそが、皆さんがこれらのすべてに全力を傾けてきた証です。
過去の先輩たちが積み上げてきた伝統の上に、さらに「+α」の歴史を書き加えて、今、ここに胸を張って巣立ってくれることを嬉しく思います。
皆さんの業績は、在校生が本校の伝統として、しっかりと受け継ぎ、更に発展させてくれることでしょう。また、これら活動の数々は、これからの皆さんの人生の大きな財産になると確信いたします。
いよいよ四月からは、高等学校や専門学校、就職などそれぞれの道に進みます。巣立ち行く皆さんに、一つお願いがあります。
それは、自分の中に「もう一人の自分」を持ってほしいということです。
多少いけないことをしても誰も何も言わない社会になりました。例えば、ネットに人の悪口を書いてもばれなければいい。ばれたら謝ればいい。そんなとき、「本当にそれでいいのか」と言ってくれるのは「心の中のもう一人の自分」です。
社会に出れば、自分で正しい判断をしなければなりません。そのとき必要なのが「もう一人の自分」です。実は「自問ノート」は、「もう一人の自分」との対話です。既に皆さんは「自問ノート」で正しく判断することを学んできているのです。ぜひ、自分の中に「もう一人の自分」を持ち続けましょう。
本日巣立っていく卒業生が、今後どのような社会に出ようとも、この中学校三年間で培った「自問する習慣」を武器に、夢を持ってたくましく活躍してくれることを願っています。そして、我が郷土である岩倉市や日本を支える人材になってほしいと思います。
最後になりましたが、今日家へ帰ったら、ぜひ家族の人に感謝の気持ちを伝えてください。小さい頃から、ひたすら君たちの成長を願い、今日の日を心待ちにしてこられました。心をこめて「ありがとう」を言ってほしいと思います。
以上で、校長先生が君たちに伝える最後のメッセージを終わります。
微笑みと活力に満ちた君たちの前途に幸多かれと祈り、式辞といたします。
平成三十年三月六日
岩倉市立岩倉中学校長
野 木 森 広
【校長室】 2018-03-06 18:00 up! *
3/6 心を込めて送り出します
準備が整いました。
全校をあげて卒業生を祝います。
厳粛の中にも感動のあふれる会にしようと思います。
皆様の温かいご支援を、よろしくお願いいたします。
【校長室】 2018-03-06 08:22 up!
3/5 <校長室より>身に余る光栄
自分には、感謝されるに値する働きができていただろうか。
思わず、自問を促されるイベントでした。
3年生の修了式を終え、いつものように職員室で執務をしていると、突然生徒の出迎えがあり体育館に向かいました。
待っていたのは、3年生徒たちからの盛大な拍手でした。カーペットの上を歩いて壇上に案内されると、代表生徒からお礼の言葉と記念の写真をいただきました。
続いて贈られたのは「コスモス」の合唱です。ただ聞いているだけでは申し訳ないと、途中から声を合わせて合唱しました。
言葉を求められ「先生の教員生活最後の卒業生が、大好きな君たちでよかった」と伝えました。そして、卒業生全員のアーチをくぐりながら体育館を後にしました。
何というサプライズでしょうか。
私にとってこの上ない幸せを感じたひとときでした。
ありがとう。そして、企画をバックアップしてくれた3年生の先生方にも感謝します。
明日は、そんな生徒たちに式辞を通して最後のメッセージを、心を込めて伝えます。
【校長室】 2018-03-05 21:50 up!
3/4<校長室より>2.7kmを走りました
本日行われた「いわくら市民健康マラソン」は、この時期としては気温が高く、走りやすいコンディションとなりました。
岩中生は、ほとんどの運動部生徒が出場、礼儀正しく部活ごとに本部にあいさつをする姿も見られました。
私も2.7kmを走りましたが、日頃車が通る広い道路を走るのは気持ちがいいものです。大勢の市民が参加し、順位よりも完走を目的に走る人の多さは、まさに健康に良い運動だと感じました。沿道にいる何人もの方から「校長先生」と声をかけられました。
終了後は、ボランティア生徒から飲み物を手にしました。受付や給水などボランティアとして活躍してくれた生徒の皆さん、ありがとうございました。
【校長室】 2018-03-04 12:47 up!
3/3<校長室より>うれしい拍手
かつてこんなにうれしい拍手をもらったことがあっただろうか。
先日の「卒業生を送る会」で、PTAと教職員の合唱における私のソロに対して、3年生の生徒たちが送ってくれた拍手は、何よりも真心のこもった温かい拍手でした。
PTAコーラスの皆様のお勧めで思いがけなく歌うことになったソロ。高校からの合唱経験があるとはいえステージで独唱するのは大学生の時以来です。歌うからには祝福の気持ちを込めて精一杯歌いたい。体調やのどの調子を整え、あまり練習時間が取れない中イメージトレーニングを重ねて本番に臨みました。
自分の番が近づくにつれて次第に気持ちが高揚していきます。そして私のソロが始まった瞬間、降り注ぐ260人の視線に自分と卒業生だけしかいない空間にいるような独特な感覚に包まれました。まるでスローモーションを見ているかのようにゆっくりと感じられた時間。そして独唱後、ほんの少しの間を置いて自然に湧き起った拍手に、得も言われぬ幸福感を感じることができました。
これもひとえに、人の心を受け止める生徒たちの温かい心のおかげだと思っています。相手の立場に立って心を響かせ合える生徒たちに、そしてこのような機会を与えていただいたPTAコーラス「ハーモニーフレンズ」の皆様に心から感謝いたします。
その生徒たちが間もなく卒業をします。残りわずかな時間を大切にしたいと思います。そして、3月6日の卒業式には心を込めて送り出します。
【校長室】 2018-03-03 14:41 up!
3/1 公立高校卒業式
今日は、県内の多くの公立高等学校で卒業式が行われました。本校職員もいくつかの高校に分かれて出席しました。
私は、岩倉総合高等学校の卒業証書授与式に参加しました。本校出身の生徒も17名が卒業しました。
厳粛な雰囲気の式からは、充実した高校生活を窺い知ることができました。
すでに進路が決まっている生徒がほとんどだそうです。前途に幸多かれと祈ります。
【校長室】 2018-03-01 18:38 up!
3/1 卒業を前に、あいさつボランティア
毎年、この時期になると、3年生の有志生徒が、自主的にあいさつ運動をしてくれます。
まもなく卒業する学校への愛着でしょうか、ボランティアをしていた先輩の姿を思い出してのことでしょうか、ありがたい行動です。
卒業まであと4日、悔いの残らない毎日を自ら演出する生徒たちに頭が下がります。
【校長室】 2018-03-01 09:01 up!