【江南市立布袋小】ゲストティーチャーを活用した道徳の授業展開日本文化の一つである茶道に触れる体験をしました。作法に詳しい先生に来ていただき,グループごとに目の前で点てる様子を見学し,作法に習いながら紙コップを回して味や香りを楽しみました。児童の感想は「とてもいい香りがした。思ったよりおいしい」「初めて飲んだけどすごく苦かった」「帰ったらおばあちゃんに点ててもらってまた飲みたい」などといった感想があり,いずれも児童の心に深く残るものとなりました。 ゲストティーチャーから授業を受けることで,特別な知識や情報や感性を学びとる効果が高いように思われました。2学期には,外部から講師の先生をお招きして,一人ずつお茶を点てる本格的な茶道教室を計画しています。今後も身近な人材活用を続け,より実り多い実践を目指していきたいと思います。 【安城市立里町小】里小・公園クリーン作戦今年度は5月30日に実施しました。授業後の活動にもかかわらず、全校児童の半数を超える328名が参加、保護者の方々も17名協力してくださいました。下校の用意をして、校庭で開会式を行った後、それぞれの活動場所に移動しました。参加児童から募集した実行委員が、司会、移動先導、道具の用意など、先頭に立っててきぱきと動き、他の児童もそれにならって一生懸命働く姿が見られました。30分ほどの活動時間でしたが、きれいになった公園を見て、みな満足そうでした。 活動後の感想では「草が生えていて奥の方が見えなかったのに、みんなが頑張ってくれたおかげでとてもきれいになった。やってよかった。」「いつも使っている公園なので、今日きれいになった状態をキープしていきたい。これからも、ポイ捨てをしない、グラウンドを荒らさないなど、当たり前のことに気をつけて生活していきたい。」と、達成感を味わい、今後の生活に生かしていこうとする意欲が感じられました。 【一宮市立浅井南小】力を合わせ 夏草を一掃!
浅井南小学校では、一年を通して地域の方や保護者の皆さんと一緒に、資源分別回収や清掃などのボランテイア活動を実施しています。
夏休みの全校出校日には、毎年、全校児童と保護者の希望者によるボランティア清掃を行っています。子どもたちは、年度当初に決められたペア学年の児童と保護者の方と一緒に、中庭や学年園などの草取りをしました。「大きな草を抜いたら、こんなに長い根っこが生えていたよ。」「みんなの草をごみ袋に入れたら、あっという間に2袋も集まったよ。」などと言いながら、一生懸命に頑張りました。「私の抜けない草を6年生のお姉さんが抜いてくれたよ。」と話す1年生もいました。参加して下さった保護者のみなさんも「全校で草取りをすると、短い時間でもきれいになりますね。」と感想を話して下さいました。清掃後、全校の草を集めました。積み上げられたごみ袋の山に、子どもたちも大満足でした。 ボランティア清掃を通して、働くことの大変さとみんなのために活動することの喜びを味わうことができました。 【知立市立知立中】生徒が主体となった「思いやりの心」を育む活動
本校では、『相思創愛〜「心」で動こう 仲間のために〜』という生徒会スローガンのもと、自分や仲間を大切にし、誰からも愛される学校をめざして、生徒主体の様々な活動が行われています。
6月には知立市の清掃美化活動であるクリーンサンデーに、生徒会執行部や美化委員会等で全校生徒に参加を呼びかけました。当日は多くの生徒が各地区の美化活動に参加しました。「多くのゴミが落ちていることが分かった」、「参加して良かった」等、作業を終えた生徒からは、達成感が感じられる感想が聞かれました。 また、この他にも、生徒会主催で毎週月曜日にあいさつ運動を行ったり、夏休み前に、『C1グランプリ』という美化運動を実施したりしました。『C』には知立中のC、そしてCleanのCの意味が込められています。今回はトイレの美化活動に着目し、運動を行いました。生徒たちが使用する各トイレの状態を、毎日担当の生徒がチェックし、各トイレに表やコメントを掲載しました。こうした取組みで全校生徒の関心も徐々に高まり、以前よりもスリッパが整頓され、トイレの使用について注意して行動する生徒が多くなりました。 このように、生徒が主体となって行っている学校・地域をより良くしていこうという活動は、生徒たちの心を繋ぎ、思いやりの心を育んでいます。このような取組みを続けることで、自分や仲間を大切にする生徒を育み、また、愛される学校づくりをめざしていきたいと考えています。 【豊橋市立南稜中】中学2年一斉道徳〜“命”について考える〜この絵本は,100万回生き,100万回死んだねこが,最後の一生でそれまでとは異なる自ら望んだ一生を送り,もう決して生き返らなかったという物語です。100万回生きたねこは白いねことの出会いで,「愛すること」を知りました。ねこが本当に望んでいた生き方とは,それまでの波乱万丈な人生ではなく,満足感を覚えられる平凡な暮らしでした。しかし,その生活を堪能した後には,愛する者を失う悲しみを知りながら永遠の眠りにつくのです。白いねこを失い100万回泣いたとき,その「100万回」の中にはどんな思いが込められていたのか。喜びと悲しみの両面から,人として生きる上で大切なものとは何なのかを考えさせられるお話でした。 「生命が大切である」ということは,当たり前のこととして多くの人がきっとわかってはいることでしょう。しかし,まだ若い生徒たちにとって,自分の生命に対するありがたみや人間の命の有限さを感じる機会は少ないかもしれません。人は「生命は有限である」ということを自覚した時,自分や他の人の命の大切さや,そして生きることの素晴らしさに改めて気づかされます。そして,いかに自分が周りの人に支えられて生かされているのかということも。「当たり前と思える毎日の生活が実はかけがいのないものであることがわかった。」「これからも自分の人生の一日一日を大切に生きていきたい。」といった感想が,生徒たちの授業の振り返りには書かれていました。 (佐野洋子 『100万回生きたねこ』 講談社、1977年) |