【岡崎市秦梨小学校】差別のない世界へ今私たちができること

 6年生の道徳科で、資料「マティールーサーキング牧師」を使って授業を行いました。教材は、バスの中で席に座っていた黒人女性に対し、後から乗ってきた白人男性が席を譲るように言いますが、席を譲るのを拒みます。すると、黒人女性は警察に逮捕されてしまいす。その出来事を聞いたキング牧師は、「差別」をなくす運動を起こし、その呼びかけに多くの人が賛同し、考えを正すことができました。しかし、今現在、差別が完全になくなっているわけではありません。そこで、「彼の目指した世界」について考え、「その世界に近づくために、今、私たちにはどんな考え方や行動が大切なのか」というねらいをもとに授業を行いました。
 授業では、「差別」にはどんなものがあるのかをあげるところからはじめました。すると、「男女差別」「言語差別」「人種差別」と社会科の授業で学んだことから始まり、身近な「この子はいじわるだから」という思い込みの差別や、現在、新型コロナウイルスの発症国だからというだけで差別されているということまで、幅広くあげられました。そして、「それらの差別は、してはいけないことだと思う」という子供の考えを聞いた後で、本教材に出会わせました。
 教師が白人役で、子供がバスの女性役での役割演技を行い、その時の黒人の気持ちをより深く体感し、「言われても絶対に譲りたくない」「譲らないと後で何かされてしまうと怖いから譲る」などの意見をもちました。また、その光景を見ている人の気持ちは、どんな気持ちになるだろうと考え、「見ていても、よい気持ちにならない」「自分が黒人だったら、やめてと言いたい」「やめてと言いたいけれど、やっぱり大きな事になりそうで言えない。でも差別はいけないから」など意見があがりました。
 その後、キング牧師のとった行動や考えについて知った後で、「今、私たちには、どんな考え方や行動が大切なのか」について考えをまとめました。子供たちの意見の中には、「大きなことはできないけれど、一人の人としてみんな同じように接することができるようにしたい」「〇〇だからという理由や、人から聞いている話で、その人を判断しないようにしたい」という意見があがりました。今後も、折に触れて「差別」について考えを深めていきたいと思います。

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【みよし市立三好丘小学校】特別の教科 道徳 3年「心をしずめて」

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 中学年は、友達との関わりの中で、加減を知らずにやり過ぎてしまったり、気持ちの切替えに時間を要してしまったりすることがある。その中には、悪気なく起きてしまったトラブルに対して、許すことができずに、物に当たる児童や、同じようにやり返してしまう児童もいる。そこで、友達との関わりを振り返り、感情的にならずに、心をしずめて穏やかな気持ちになることができれば、相手のことが理解でき、尊重できることに気付かせたいと考えた。
 本実践では、主人公が、友達に腹を立てた場面を取り上げ、主人公の気持ちを考えた。「せっかく上手くできたのに」という友達に対して、「許せない」という気持ちと、「終わったことは、仕方ないからやり直せばよい」という友達に対して「許す」という二つの意見が出た。その後、「友達の悲しそうな顔を思い浮かべて、主人公はどんな気持ちだったのか」を考えた。すると、主人公の「あんなに怒ることだったのか」という後悔の気持ちに気付き始めた。最後には、友達の家を目指して走る主人公の気持ちを考えることで、自分にも非があったこと、友達は誠意をもって謝ってくれたことなどに気付き、自分のとった行動に目を向ける児童の姿が見られた。
 授業の始めは、友達に対して「許せない」気持ちを抱く児童が多かったが、授業を終えて、友達が主人公にしたことよりも、主人公が友達にしてしまったことへの後悔に気付いた児童が多く見られた。感情的にならずに、心をしずめて穏やかな気持ちになって考えてみることの大切さに気付くことができた。

【安城市立桜井中学校】2年生道徳科「ジコチュウ」

 2年生の教材「ジコチュウ」で、道徳科の授業を行った。本教材は、家庭の事情で、学級の仕事などが十分にできなくなった佐々木に対して、「ジコチュウ」と言ってしまった僕が、佐々木の手紙を通してその事情を知り、相手を理解しようとしていなかった自分に気づき、考えを改めようとする教材である。
 「相互理解・寛容」をねらいとし、そこにつながるように授業を展開していった。生徒が意見をもちやすいよう、主発問を、「僕と佐々木、どちらが悪いか」と二択で考えられるよう設定した。僕が悪いという立場の生徒は、「何も知らずに、だめと決めつけるのはよくない」「ジコチュウという発言は、佐々木に対する嫉妬から」という意見が挙がった。一方、佐々木が悪いという立場の生徒は、「もっと先に事情をいうべき」「態度や行動がよくない」という意見が挙がった。
 しかし、今回は、どちらが悪いというところに着目させるのではなく、両者の言い分から「お互いに足りなかったのは何だろうか」と問い、最後の「よりよい人間関係を築くために必要なこととは」という発問につなげていった。その中で、「お互いのことを知ること」「譲り合う気持ち」「謝罪をすること」「自分の気持ちをきちんと伝えること」などの意見が出てきた。
 振り返りにも、「自分のことだけではなく、相手の事情や背景を知り、相手を理解した上で、発言していきたい」「相手のことを考え、受け入れる心をもちたい」といった感想があり、「相互理解・寛容」のねらいに近づくことができた。
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【一宮市立黒田小学校】道徳科の授業実践 1年生「二わのことり」

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 道徳科では、主体的な判断に基づいて道徳的実践を行い、自立した人間として他者とともによりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標としています。本校では、児童の道徳性を養うために、資料の提示の仕方を工夫したり、役割演技を取り入れたりするなど、いろいろな手だてを用いて、授業実践を行っています。
 1年生の「二わのことり」の授業実践を紹介します。本資料は、みそさざいがやまがらから誕生日の招待を受けながら、他の小鳥たちとうぐいすの家へ行ってしまうが、一人ぼっちのやまがらのことを思い、うぐいすの家を抜け出して、やまがらの家へ行くという内容です。
 児童に興味・関心をもたせるために、授業では、場面絵を提示してから、本時のめあて「ともだちのために できることを かんがえよう」を提示したり、「二わのことり」の紙芝居を使って資料を読んだりしました。主になる発問では、みそさざいの気持ちを児童に考えさせるとともに、やまがらの喜びに共感できるように、役割演技をさせました。みそさざいの気持ちを考えることを通して、友達のよさを感じ、仲よくしようとする心情を育むことができました。最後に、自分自身の生活を振り返り、相手のために行った行動が自分にもよい体験として戻ってくることを感じ取らせることができました。 
 児童一人一人が、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考えることで、自己の生き方についての考えを深め、道徳的判断力、心情、実践意欲を高められるような道徳科の実践ができるように、今後も、教材研究に力をそそいでいきたいと思います。

【みよし市立緑丘小学校】3年生「ごめんね」の授業実践

 本校では、児童の心を育て、よりよい生き方につなげるために、児童が主体的に考え、いろいろな見方や考え方に出会い、道徳的価値についての考え方を深められるような授業実践に取り組んでいます。道徳科の時間は、毎回、座席をコの字型に配置し、ペアやグループでの話合いを積極的に取り入れるようにしています。また、児童の多様な思考を引き出すために発問や板書を工夫しています。
 3年生「ごめんね」の授業実践では、「正直でいることの大切さ」について考えました。資料は、友達が持ってきたメダカの入った瓶を落として死なせてしまった「わたし」が、葛藤の末、相手に真実を伝え、謝ることができたという話です。正直に謝ろうと思いながらも、すぐに言い出せなかった「わたし」が「正直でありたい」という思いからやっと言えたとき、心が晴れ、すっきりした気持ちになります。授業では、「なぜすぐに謝ることができなかったのか」また「最後に謝ることができたのはなぜか」についてみんなで話し合いました。児童は、「叱られるから」「嫌われるから」という主人公の不安な気持ちに共感しながらも、「人の物を壊したら謝らないと」「友達の物だから。相手が悲しむから」など、相手の気持ちを考えて正直に謝った方がよいという意見が活発に出されました。また、「隠していたら自分の心がもやもやする」「謝らなかったらすっきりしてよい気持ちにならない」など、正直に話すことが、相手のためだけでなく自分のためになることにも気づくことができました。
 今後も、児童が考え議論し、価値についてより考えを深めていけるような授業の実践に努めていきたいと思います。

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【弥富市立弥富北中学校】自問道徳について

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 本校では、「自発」を生かした教育「自問教育」を推進している。毎日15分間の「自問清掃」の積み重ねを中心に、「自問教育」に取り組んでいる。「自問清掃」とは、気づきの清掃であり、「根気玉」(進んで清掃に取り組む心)、「親切玉」(人を助けようとする心)、「発見玉」(新しいことを見つける心)という三つの玉を磨くことで、生徒の気づきの心、主体性、自主性、自発性を育み、周りの人への気づき、自分の本当の気持ちに気づき、新しいことへの気づきを育てようとするものである。
 本校では、この三つの玉を磨くために、月に一度、「自問清掃」の振り返り活動を行い、「自問清掃」についての集会「自問集会」を行い、「自問清掃」の振り返りを全校生徒が一斉に読み上げる「自問タイム」や、2・3年生が1年生に清掃の仕方を教える「継掃会」、自問に関係する道徳「自問道徳」などの取組を実施している。
 12月に、2年生が行った自問道徳では、「掃除をはじめてみたけれど」という題材を扱い、「地域の清掃を自発的に行うことで、最初は、感謝され満足感を得ていたスーパーの店長が、時間がたつにつれて、清掃しているのが当たり前になり、その状況に店長は次第にいら立ちを覚えるようになった」ことについて、「この後、どうしたらよいか」を考える授業を行った。生徒は、「自分から清掃することに欲をもってはいけない」「やっているうちに、参加する人が増えると思う。だから、あきらめずにやった方がよい」などの意見がでた。