最新更新日:2024/04/26
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 1月12日(木)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  ケババァってあだ名の女の子 

 ウチのクラスは本当に仲よくて、毎日毎日ワイワイやってた。ただ1人を除いて……。ケババァってあだ名の女子がいた。女子といっても2年も留年してるからもう20歳で、超ギャルで、ケバくて、超美人だけどツンとしてて、ブランド物をジャラジャラつけて、香水プンプンで。彼女はクラスの輪に入ろうとはしなかったし、みんなも彼女を避けていた。楽しかった1年があっという間に過ぎ、卒業式の日がきた。最後にクラスみんなで輪になって、1人1言ずつお別れの言葉を言うことになった。その時のケババァの言葉。「私は白血病で入院していた為、2年間も高校を休学していました。もう20歳なのにコスプレみたいと思われたかもしれないけれど、オシャレをすることはガリガリでハゲ頭だった入院中の私の夢でした。だけどホントはオシャレよりもしたかったことがあります。みんなと仲よくしたかったです。」そう言った彼女は目に涙をいっぱいためて、とても綺麗で、ツンとなんてしていなかった。それまでヘラヘラしてた奴らも泣き出していた。彼女の言葉を1学期に聞いていたなら、きっと彼女にとって楽しかった1年になったに違いない。 何だか凄く悔しかった。

インフルエンザ警報 1月12日(木)

 愛知県が、平成29年1月11日(水曜日)に“インフルエンザ警報”を発令しました。

□予防・治療について(愛知県ホームページより)
○ 咳などの症状がある場合は、「咳エチケット」を心がけましょう。
○ 外出後等には、石けんで手洗いをしましょう。
○ 空気が乾燥するとインフルエンザにかかりやすくなるので、室内では
 加湿器等で適度な湿度を保つようにしましょう。
○ 十分な休養とバランスの取れた食事を日頃から心がけましょう。
○ インフルエンザが流行してきたら、人混みや繁華街への外出を控えま
 しょう。
○ かかった時は早めに医療機関を受診し、休養をとりましょう。水分を
 十分に補給しましょう。

今日のお話 1月12日(木)

島田 洋七の名言

  学校には、

  学校の教科書がある。

  社会にはもっと大きくて

  もっと分厚い、

  もっと大事な教科書がある。

ちょっといい話 1月11日(水)

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  もしぼくが死んだら

 1人の英国人兵士が、イラクで銃弾に倒れた。彼は戦場に赴く前、婚約者に1通の手紙を残していた。“もしぼくが死んだら、開封して読んでほしい”と託して……。
 英ランカシャー州のリー・ソーントンさんは、イラク南部に展開する第12砲兵連隊に所属していた。9月5日、街を巡回活動中に銃撃を受け、搬送されたドイツの病院で2日後に亡くなった。22歳だった。ソーントンさんは、学校の先生になることを目ざして大学で勉強していた。ヘレン・オプレイさん(21)と婚約。イラクから戻れば、08年に結婚式を挙げる予定だった。彼の死後、手紙を読んだオプレイさんは、「私の気持ちはとても言葉で表せない。彼は親切で、寛大で、男の人に求めるすべてを持っていた」と悲しんだ。手紙の内容は英BBCや主要紙でも報じられ、「涙が止まらなかった」といった市民らの声が寄せられ続けている。

 なぜ、ぼくはこの手紙を書いているのだろう。君には絶対にこの手紙を読んでほしくな い。だって、読むということは、ぼくが死んだということなのだから。君は愛がどうい うもので、愛されるとどういう気持ちになるか、ぼくに教えてくれた。いかに生き、本 当の幸せのためにはどうあるべきかを教えてくれた。神様がぼくらをこの地上で引き合 わせてくれたのだと思う。ぼくのベッドの頭の上には、君の写真がはってある。毎晩、 口づけしたぼくの指で君の顔をなでて、君に見守られながら眠りにつく。でも今度はぼ くが、夢の中でも君が安らかでいられるように君を見守ってあげる番だね。さびしい時 はいつだって、そっと目を閉じてごらん。ぼくは君のすぐそばにいるよ。ぼくは全身全 霊で君を愛したよ。君はぼくのすべてだった。
 永遠の愛を。リー

今日のお話 1月11日(水)

島田 洋七の名言

  売れる、売れないには、

  運もある。

  でも、努力しないで

  売れた人はいない。

ちょっといい話 1月10日(火)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  母親のこと

 あなたは、母親のことを何て呼んでいましか?ママですか?お母さんですか?かあちゃんですか?あなたは、ママの愛情を一杯に受けることができましたか?受けた愛情をお母さんに返していますか?
 かあちゃんに親孝行したいと思った時には、もしかしたらこの世にいないかもしれない。後悔しないように、この世で1番大切な母親を大切にしてください。きっと母親に関する泣ける話を見ると、親孝行したくなりますよ。

今日のお話 1月10日(火)

島田 洋七の名言

  見栄を張るな、

  誰も見てない。

今日のお話 1月6日(金)

島田 洋七の名言

  コツコツやっても

  と思う前に、

  コツコツやれ。

  コツコツの後に

  成功がある。
 

□ プロフィール
 広島県広島市出身の漫才師、タレント、作家。1980年から始まった漫才ブームの火付け役として人気を誇った漫才コンビ「B&B」のメンバー。月収1億円という超人気芸人の時代を経験するものの、その後、人気は急降下。1987年に自費出版し、さほど評判になることもなく廃刊となっていた「振り向けば哀しくもなく」を、2002年に「佐賀のがばいばあちゃん」と改題し2度目の自費出版。徳間書店から3度目の出版で文庫化となったときに口コミで評判が広がり、2003年に「徹子の部屋」で祖母の話をしたところ、大きな反響を呼びベストセラーとなる。

ちょっといい話 12月22日(木)

あなたに贈る【感動する話、泣ける話、きゅんきゅんしちゃう恋愛話】

 忘れられないクリスマス 

 22歳で結婚した俺は、嫁さんに幸せになってもらおうと、必死に働いた。子供も2人生まれて、俺はもっと頑張った。その甲斐あって、28歳で独立し、自分の会社を持つことが出来た。33歳になった頃、普通よりはいい暮らしが出来ていたと思う。嫁さんも子供も喜んでくれた。だから、俺はもっともっと一生懸命働いて、会社を大きくすることを考えた。しかし、そのツケは、俺の身体に降りかかった。35歳の時に癌が見つかり、闘病生活が始まった。と同時に、会社の経営も傾いていった。37歳のとき、もう俺は死のうと思った。こんな身体で、こんな貧乏で、でも何も出来ない自分が悔しくて、身のまわりを少し整理して、年が明けたら死のうって……。
 そんなことを考えていた年の瀬に、嫁さんと子供がクリスマスパーティーを開いてくれた。貧乏だから、ケーキの変わりにドラ焼きで、その上にローソク立てて、小さいチキンもあって、シャンパンの代わりにコーラで、メリークリスマスって言っていた。子供たちが楽しそうにはしゃいでいる姿を見たら、なんだか泣けてきた。(俺がいなくても元気でやれよ)そう心の中で思っていた。もう何回もこうやって遊べないから、思いっきり遊んであげた。そして、子供たちが寝静まったあと、思いもしないことが起きた。
 嫁さんにこう言われたんだ。「あなたがどう思っているか知らないけど、私は今が一番しあわせよ」俺はその言葉を聞いて、真っ暗に見えた世界に光が差し、「ありがとう、ありがとう、ありがとう……」、何度も言いながら、その場で泣き崩れた。そのクリスマスの夜、2度と死のうなんて思わないと決めた。病気も経営も、闘ってからだと……。
 あれから5年、癌はどこかへ消えてしまい、会社も順調。今年のクリスマスは何をプレゼントしようかと悩めることも幸せなんだ。よいクリスマスを♪

今日のお話 12月22日(木)

金持ち父さんの名言

  リーダーの仕事は

  他の人の力を

  最大限に引き出すことだ。

  自分自身が最高の人間に

  なることではない。

ちょっといい話 12月21日(水)

泣ける話ちゃんねる

 お袋の小遣い  

 前の会社で働いていた頃、母親からこずかい毎月1万ほどせびられた。1人暮らしの俺にとってはつらかった。払わないと「親不孝者」、「バカ息子」など罵倒の嵐。この糞ババア、いつかマジで殺してやると呪った事もあった。しかし、中学時代グレて散々迷惑をかけた手前、半ばあきらめていた。
 やがて俺が就職して数年後、おふくろは死んだ。その時、通夜の席で親戚に1冊の預金通帳を渡された。額は100万程度。聞けば俺の浪費癖を心配したおふくろが、毎月俺からせびっていたお金を毎月積み立ててくれたものらしい。それを聞いた時、俺は号泣した。金を請求されるという表向きの事にとらわれ、なぜおふくろが金を請求するのか、という事を考えもしなかった自分自身が誰よりも許せなかった。母親が死んだ当時、俺は会社をリストラされ、貯金も無く、失意のどん底だったが、この100万円のおかげで、ホームレスにはならなくて済んだ。今でも駄目なリーマンには変わりはないが、つらい時はこの事を思い出して頑張れてる。
 今さらだけど……。お母さん、ありがとう。

今日のお話 12月21日(水)

金持ち父さんの名言

  うまくいっていない人ほど

  他人を責めるものなんだ。

ちょっといい話 12月20日(火)

泣ける話ちゃんねる

 兄の幸せ 

 今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、私が10才の時に両親を事故で失って以来、ずっと私を育ててくれた。兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。口癖は、「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。周囲のおば様方の中で、明らかに兄は浮いていたが、それでもいつも兄は、会社で休みをもらって学校に来てくれた。初めて作った料理とも言えないようなものを、美味しいと言って全部食べてくれた。仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり、宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。土日も私と遊んでくれて、色々な所へ連れて行ってくれた。そんな兄には、自分の時間なんてなかったように思う。友達のを見て、お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれたとわがままを言った時、慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに、こんなんじゃない、お母さんに会いたいと兄をなじってしまった。兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子どもだったんだと今でも泣きそうになる。
 その兄が、1年前両親と同じように事故で突然この世を去った。兄が死んだ時私は、兄が両親を失った時より1才年上だった。兄は、この状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと、それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。兄は、私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。たくさん、たくさん、ごめんなさいとありがとうも言えないままだった。「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまでこれた人生、恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。
 お兄ちゃん、天国で見ててね。今からでも、お父さんとお母さんに甘えてるといいな。

学校奨励賞 12月20日(火)

 公益社団法人日本給食サービス協会より、第4回「心に残る給食の思い出」作文コンクールに係る学校奨励賞をいただきました。図書委員会を通じて、子どもたちが希望している図書を購入していきたいと思います。

 ありがとうございました。
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今日のお話 12月20日(火)

金持ち父さんの名言

  学校では

  間違いをしないと

  頭がいいと思われる。

  外の世界では間違いを犯し

  そこから学ぶことができて

  はじめて頭がいいと言える。

ちょっといい話 12月19日(月)

泣ける話ちゃんねる

 今度は俺が

 幼稚園の頃、両親が離婚。女手ひとつで、俺と弟を育ててくれた母。
 USJができた年の夏休み、母が俺たちをUSJに連れてってくれた。内心 俺は、交通費+入場料×3を出してくれた母に遠慮してた。アトラクションは2時間待ちでつらかった。けど、3人でワーワーキャーキャー言って、すんげぇ楽しかった。お昼ご飯は、園内のレストラン。1番安いもので1200円もした。やっぱりこういうとこは高いな。母は『好きなん食べよ』と言ってくれたけど、結局みんな1200円のカレーを食べた。園内の地図を見てワクワクしてる母に感謝した。ほとんどのアトラクションを制覇した俺たちは、帰りの電車で爆睡。土産を抱えて寝てる母に感謝した。母子家庭で家計だってつらいのに、俺たちを連れていってくれたことがほんとに嬉しかった。大げさかと思うかもしれんが、涙が出るほど嬉しかった。『連れていってくれて、ありがとう』と言うと『また今度も行こな』と言った。
 今度は俺が連れて行ってあげるからな。

今日のお話 12月19日(月)

金持ち父さんの名言

  世間は

  とても厳しい教師だ。

  学校では

  まず”教えて”もらえる。

  外の世界でまず与えられるのは

  “間違い”だ。

  その後でそこから

  教えを学びとるかどうかは

  本人次第だ。

ちょっといい話 12月16日(金)

【保存版】スカッとする話〜傑作集〜

  ドーナッツ屋で男が順番を無視して強引に注文した 

 混んでるドーナツ屋で、20代後半くらいのチンピラ風の男と可愛い女性店員さん。男が順番無視して強引に注文した。
男「ブレンドとエンゼルフレンチ」
女「順番にお伺い致しますのでお並びいただけますか?」
男「ああん!?ワイが順番抜かしたとでも言うんけ!なあ!ワイ、ちゃん
 とならんどったよなあ!」(並んでる客に向かって叫ぶが、自分も含め
 皆さんモジモジ)
女「お並びいただけませんか?」
男「しつこいんじゃ!ワイが誰だかわかっててい言うとんのけ!」
女「はい!もちろん存じてます!県議会議員△△様のご長男にして××建
 設の専務○○様 でいらっしゃいますよね?」
男「お・・・何や知ってるやんけ」
女「まさかそんなご立派なかたが順番守らずに、開き直って逆切れなんて
 なさいませんもんね。最後尾はあちらです。お並びいただけますか?」
男「おお・・・そうけ・・・ワイを知ってんのけ・・・」(嬉しそう)
 その後は大人しく並び直して食べて帰って行った。男は地元の割と大きな建設会社の有名なバカ息子。終始笑顔で毅然と対応した店員さんカッコよかった。

今日のお話

金持ち父さんの名言

  険しい道をとる人が

  結局は楽な人生を送る。

  反対に楽な道をとる人は

  たいていの場合

  困難な人生を送る。

ちょっといい話 12月15日(木)

泣ける話ちゃんねる

 じいちゃんまたね

 じいちゃんがいなくなって2年がたつ。じいちゃんが亡くなる日の朝、起こされ急いで病院に向かった。明らかに親の様子がおかしい。嫌なことを想像してしまった。そんなことは絶対に無い!と自分に言い聞かせるのが精一杯だった。しかし…、病院に着いたが間に合わなかった。「じいちゃん!」って何度呼んでも反応してくれない。悔しかった。寂しかった。涙が止まらなかった。じいちゃんと共にじいちゃんの家に帰った。じいちゃんは布団の上で気持ちよさそうに寝ていた。呼んだら起きそうだったがなかなか反応してくれない。ばあちゃんは、眠っているじいちゃんの横でずっと話しかけていた。それでもじいちゃんは反応してくれない。その光景を見るのが辛くて、護岸に逃げた。護岸でじいちゃんと釣りをしたのを思い出してしまい、また泣いてしまった。現実をどうしても受け入れることが出来なかった。俺はじいちゃんが亡くなる3日前、家に会いに行ったんだよ?じいちゃんに「次は泊まりに来るから」って言ったら、「待ってるから早く来いよ!」って笑顔で見送りしてくれたんだよ?全てが夢であって欲しかった。でも、姿が変わったじいちゃんを見て夢じゃないと思った。逃げちゃダメだよね。辛いことがあってもしっかりと向き合って頑張って前に進まないといけないんだよね。人の命はいつ終わりがくるかわかんないね。
 じいちゃん。俺はあなたから多くの事を学びました。これからは家族を大切にします。 現実から逃げません。今はあんまり地元に帰れないけど、帰ったらばあちゃんの所に絶対に行くからね。皆でばあちゃんを守るから安心してください。じいちゃんの孫で本当によかったよ。今までありがとうございました。上から皆を見守っててね。じいちゃんまたね。
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