最新更新日:2024/05/01
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 3月17日(金)

いいはな新聞 ちょっといい話・感動する話 まとめ

 無口な祖父

 私の父は、無口で頑固で本当に怖くて、親戚中が一目置いている人でした。家に行ってもいつもお酒を飲んでいて、その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと、ずっと黙ったままやっと口を開くと、「ビールは何を飲むんや?」でした。その日は何とか無事に終わり、式の当日、終始酒をつぎにまわってた。
 その後、子どもが生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て、なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。当然子どもの面倒など見たことないので、する事がメチャクチャで、イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先、他界した。何でもっと優しくしてあげなかったんだろう。紙オムツの仕方を聞かれて、「それぐらいわかるでしょ」って、何で冷たく言っちゃったんだろう。あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが残されてた。
 その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日、「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」って書いてた。おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が押入れいっぱい詰められていた。

今日のお話 3月17日(金)

 宮崎  駿の名言

   宝島なんてないと思ってる

   子供たちがたくさんいる。

   だけど、本当はそう思い込んで

   世界を狭くしてるだけじゃないのかなあ。

   出会えたら素晴らしい人とか

   心打たれる風景はたくさんある。

   出会う前、見る前に諦めちゃいけない。

今日のお話 3月16日(木)

 北野 武

     そんな友人が欲しい  

   困ったとき、助けてくれたり

   自分のことのように心配して

   相談に乗ってくれる 

   そんな友人が欲しい

   馬鹿野郎!

   友達が欲しかったら

   困ったときに助けてやり 

   相談に乗り

   心配してやることだ

   そして相手に何も期待しないこと

   それが友人を作る秘訣だ。               

ちょっといい話 3月15日(水)

いいはな新聞 ちょっといい話・感動する話 まとめ

 ぼくと大学生のいい話

 小5のとき、通学路の交差点を渡っていたとき、右折車が横断中の俺めがけて突っ込んできた。催眠術にかかったように体が動かず突っ込んでくる車を呆然と見ていたら、後ろから突き飛ばされ、俺は難を逃れた。が俺を突き飛ばしてくれた大学生は車に跳ね飛ばされた。泣きながら近所の家に駆け込んで救急車と警察を呼んでもらい、自分は警察の事故処理係に出来る限り状況説明をした。後日、家に警察から電話があり大学生の入院先を教えられ、母親と見舞いに行って御礼を言った。中学1年のとき父親の仕事の都合で同県内の市外へと引っ越した俺は、そこで先生となっていた件の大学生と再会した。お互いに驚き再開を喜びつつ、3年間面倒を見てもらって俺は中学を卒業し、高校進学と供に市内に戻った。地元の教育大学に進学した俺が教育実習先の小学校へ向かう途中の交差点で、自分の前を渡っている小学生の女の子に右折車が突っ込もうとしているのをみた。スローモーションみたいに流れる情景に「ウソだろ・・・」と思いつつ、とっさに女の子を突き飛ばしたら、自分が跳ね飛ばされた。コンクリートの地面に横たわって、泣いてる女の子を見ながら、あのとき先生もこんな景色を見たのかな・・・とか考えつつ意識を失った。入院先に、俺が助けた女の子の親が見舞いにやって来た。彼女の親は中学時代の恩師であり、俺の命の恩人そのヒトだった。「これで貸りは返せましたね」と俺が言うと、「バカ・・・最初から、借りも貸しも無いよ」と先生は言った。
 ベットの周りのカーテンを閉めて、俺たち二人、黙って泣いた。

今日のお話 3月15日(水)

 宮崎  駿の名言

   僕は自分たちの仕事を

   クリエイティブな仕事というよりも、

   リレーのように考えています。

   僕らは子どもの時に、

   誰かからバトンを貰ったんです。

   そのバトンをそのまま渡すんじゃなくて、

   自分の身体の中を一度通して、

   それを次の子どもたちに渡すんだという

□ プロフィール
 東京都出身のアニメーション作家、映画監督、漫画家。『ルパン三世』『パンダコパンダ』『アルプスの少女ハイジ』などの制作に関わり、1978年に『未来少年コナン』で事実上の初監督を担当。映画「風の谷のナウシカ」が大ヒットを記録し、作家として宮崎駿の名前も広く知られるようになり、1985年に「スタジオジブリ」を創立。数年おきに長編アニメーション映画作品を製作・発表している。

ちょっといい話 3月14日(火)

泣ける話ちゃんねる

  最後の家族写真 

 俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病を宣告されていてそれほどもたないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と……、と撮った写真らしかった。 俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた様子で写っている。当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな様子だった。 母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」とぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
 今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。祖父、祖母、母、妹、俺……。 その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

今日のお話 3月14日(火)

 東井 義雄の名言

   天に向かって

   ブツブツ言うな

   雨の日には雨の日の

   生き方がある。

ちょっといい話 3月13日(月)

いいはな新聞 ちょっといい話・感動する話 まとめ

 みんな丸坊主 

 昔、当時中学生の弟が、学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。失恋でもしたのか、と聞いたら小学校からの女の子の友達が、今日から登校するようになったからだと。彼女は、今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」と弟は言っていた。翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり、「同じ事考えた奴が一杯いた……」と。なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、一人は完全な丸坊主になってたらしい。更に担任の先生(男性)まで丸坊主。丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら「ありがとう、ありがとう」と泣いたという。示し合わせたわけでもないのに、全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
 ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。

今日のお話 3月13日(月)

 東井 義雄の名言

   本物は続く。

   続けるから

   本物になる。

ちょっといい話 3月10日(金)

震災と向き合う12歳の日記4

 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子どもたちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した6年生が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。

◇3月28日
 きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。

◇4月7日
 きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。

 25日、155人の仲間と一緒に町立山田中学校に入学した。日記は、大沢小の子どもたちが復興に立ち向かう様子を紹介する「大沢からの報告」として毎日小学生新聞に11日に掲載。何回も読み、涙が止まりません。皆様が少しずつでも前に進める日がくることを願っております

今日のお話 3月10日(金)

 東井 義雄の名言

   今が本番

   今日が本番

   今年こそが本番

   明日がある

   明後日がある

   と思っている間は

   なんにもありはしない

   肝心な今さえ

ちょっといい話 3月9日(木)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  震災と向き合う12歳の日記3

 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子どもたちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した6年生が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。

◇3月25日
 親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。
 お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。

◇3月26〜27日
 見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。

今日のお話 3月9日(木)

 東井 義雄の名言

   生きている

   健康である

   手が動く

   足で歩ける

   目が見える

   耳が聞こえる

   この当たり前のことの中に

   ただごとでない幸せがある。

□ プロフィール
 兵庫県豊岡市出身の教育者、僧侶(浄土真宗)。小学校教師として奉職し多くの著作を残したほか、東光寺の住職も務めた。

ちょっといい話 3月8日(水)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  震災と向き合う12歳の日記2 

 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子どもたちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した6年生が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。

◇3月18日
 津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていませんでした。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。

◇3月23日
 卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。

今日のお話 3月8日(水)

 竹内正浩の名言

   どのようなことを

   学べばいいのかを

   把握しないまま

   努力してはいけません。

ちょっといい話 3月7日(火)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  震災と向き合う12歳の日記1 

 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子どもたちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した6年生が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。

◇3月11日
 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。

今日のお話 3月7日(火)

 竹内正浩の名言

   「ビジネスの世界では

   相手に好かれるだけでは

   不十分です。

   利益になるか、ならないか。

   損か得か。

   役に立つか、立たないか。

   それが大事です。

トイレピカピカ大作戦・掃除に学ぶ会IN楽田小学校

 トイレピカピカ大作戦・掃除に学ぶ会に参加した保護者・子ども、掃除をしたトイレを使った4年生の感想

□ 掃除をしたトイレを使った4年生
 きれいで気持ちよかった。
 使いやすくなって。
 休みなのに掃除をしていただきありがとうございます。
 6年生になったら自分もがんばる。トイレ掃除が伝統になるといい!

□ 参加された方(保護者)の感想
 私自身、「トイレピカピカ大作戦」への参加は、今回で4回目になります。毎回違う メンバーで感想も様々です。しかし、1つだけみんな同じなのは、最後に「きれいになってよかった」、「楽しかった」という言葉が、参加した人から出てくることです。私も、参加するたびにそう思いました。これからも、このような活動が続けられることを願っています。今日も子どもと参加でき、よかったです。

□ 参加された方(子ども)の感想
 今日、トイレ掃除をしていて、最初は便器に手を入れのも「イヤだな−」と思ってたけど、「美濃加茂掃除に学ぶ会」の先生方が、素手でやっているのを見てがんばったら、どんどんきれいになってうれしかったです。今日、トイレに「本当に6年間ありがとう」と思えることができました。いい経験ができました。「美濃加茂掃除に学ぶ会」の先生方、ありがとうございました。

ちょっといい話 3月6日(月)

あなたに贈る【感動する話、泣ける話、きゅんきゅんしちゃう恋愛話】

  あなたは「ありがとう」の反対の言葉を答えられますか?

 ありがとうの反対語など、今まで考えたこともなかった。教えてもらった答えは……、「あたりまえ」。「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」、「有難(ありがた)し」という意味だ。あることがむずかしい、まれである。めったにない事にめぐりあう。すなわち、奇跡ということだ。奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」。我々は、毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。歩けるのが、あたりまえ。目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。手足が動くのが、あたりまえ。毎朝目覚めるのが、あたりまえ。食事ができるのが、あたりまえ。息ができるのが、あたりまえ。友達といつも会えるのが、あたりまえ。太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。うまれてきたのが、あたりまえ。夫(妻)が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。そして…、生きているのが、あたりまえ。
 また、ある夫婦の話もしてくれた。晩酌の時、いつも無口の夫が、「ちょっと、お酌してくれないか?」と珍しく妻に言った。台所の片付けをしていた妻は、「今、忙しいから自分でやって」と答えた。夫は少し寂しそうだったが、手酌で酒をついだ。その、2〜3時間後、夫は急に倒れ、救急車で病院に運ばれ、帰らぬ人となってしまった。それから、
妻は、何故あの時、夫にお酌をしてあげなかったのかと、ずっと悔やんだという。あの時何故、もっと優しい言葉で、こぼれるような笑顔で、感謝の言葉で、接することができなかったのか…。誰しも、今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。
 今日、誰かと出逢い、話し、笑い、食事をして、仕事ができる。こんな当たり前だと思うことが、本当は奇跡の連続なのだ。「有ること難し」。生きて、出逢う、という奇跡の連続に、「ありがとう」を言わずにいられない。
        出典:あなたは”ありがとう”の反対を知ってますか?

今日のお話 3月6日(月)

 竹内正浩の名言

   たいていの人は時間を

   現金化して終わりです。

   一方、成功する人は

   時間をお金と経験と

   人脈に換えます。

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犬山市立楽田小学校
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