最新更新日:2024/05/17
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 11月11日(水)

利ちゃんのちょっといい話

    天才・長嶋語録

□ 「まさか、俺、背の伸びる病気じゃ…」
 54年、長嶋が高校3年生のとき。佐倉一高に入学したときは160センチくらいしかなかった長嶋だが、2年、3年生とどんどん背が伸びて180センチ近くまでになった。ある日長嶋は、保健室を訪ね、不安げな表情で「まさか、俺、背の伸びる病気じゃ…」と相談。それを聞いた保健教員は、まじめに悩んでいる長嶋に「おめえ、百万人に一人の馬鹿だっぺ」とあきれ果てたという。
□ 「“I live in Edo(江戸)”」
 立教大学時代の伝説的なエピソード。英語の先生が「“I live in Tokyo.”の過去形は?」と質問したときに大マジメにこう答えたとか。
□ 「こっちの子は英語がうまいなあ」
 61年に初めての海外キャンプ(ベロビーチ)に行ったときのこと。アメリカの子どもたちが英語で幼児言葉を喋っているのを耳にした長嶋は、「こっちの子は英語がうまいなあ」としきりに感動。また、アメリカで走っている車を見て「オッ、こっちは外車ばかりじゃないか!さすがはアメリカだ」と言ったという。
□ 「年齢をイートする」
 70年3月20日のコメント。「トシはとるものじゃなくて食うもの。つまり、食べちゃうんだ。誕生日が来るたびに“年齢をイートする”んだと自分に言い聞かせてます」長嶋の語録にはこの類の何だかよくわからないスットボケけた和洋折衷語が多い。
□ 「こんばんわ、長嶋シゲルです」
 ラジオ番組の収録中どうしたわけか、自分の名前を間違えて「シゲル」と言ってしまった。本人は間違えたことに気づいていないようなのでスタッフも指摘できない。やむをえず、「どうも機械の調子が悪くて…」と再録をお願いするとニコニコしながら「いいですよ」。改めてマイクに向かい、長嶋スマイルを浮かべながらこう言った。「こんばんわ、長嶋シゲルです」スタッフはのけぞった。
□ 「よし、バットを振って見ろ!」
 87年のシーズン中に大スランプに陥っていた「ミスタータイガース」掛布が、郷里の大先輩・長嶋に電話してアドバイスを求めた。熱心に指導する長嶋は、「バットを振れ」と言い出した。受話器を握ったままではバットを振ることはできないし、振ったとしても長嶋には見えない。掛布はどうしてよいか、大困惑。
□ 「きょう、初めて還暦をむかえまして…、しかも年男ということで非常に…」
 96年2月20日にキャンプ地の宮崎で60歳の誕生日をむかえた長嶋。記者たちがその感想を尋ねると、照れ隠しもあってか超オトボケ発言が飛び出した。いったい何度還暦をむかえるつもりなのだろうか。還暦なら年男になるのは当たり前なのだが。

  「長嶋流脳内革命」(長嶋番記者グループ著 太陽出版社刊)より

今日のお話 11月11日(水)

    稲盛和夫の名言

  前向きの姿勢で

  熱意に満ちた努力を重ねれば、

  たとえ才能に恵まれていなくても、

  素晴らしい人生を送ることが

  できるようになります。

  どこにでもいるような普通の人間でも、

  真面目に情熱を持って努力すれば、

  天才と呼ばれる人たちよりも、

  素晴らしい結果を

  生み出すことができるのです。

楽田小学校で使用した青果物の産地 11月10日(火)

楽田小学校で使用した青果物の産地の10月分をアップしました。

http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 11月10日(火)

    稲盛和夫の名言

  時代がどう変わろうとも、

  人間の本質は変わらないのです。

  誰しも人間は人生で善きことを追求し、

  後世に何か価値あるものを残すことによって、

  「永続性」を達成したいのです。

  「仕事に打ち込んで、

  世の中の役に立つことができました。

  私は幸せです」

  と言えるような満ち足りた人生を送ることを、

  誰もが望んでいるのです。

ちょっといい話 11月9日(月)

利ちゃんのちょっといい話

   足るを知る

 生きる金 そんなにいらず 栗を剥く

 この句をいつであったか門前の伝動板に書いた。これは朝日新聞の読者俳句欄に出ていた句である。その時ちょうど通りかかった人が、「この句がどうもわからない。」という。「どこがわからないのか。」と聞いてみると、「お金はたんとほしい。お金がそんなにいらないということがわからない。」と言う。
 なる程そうかもしれない。確かにお金はないよりある方がいい。然らばお金だけあれば幸せかと言うとそうはゆかない。
 今家中の者が灯の下で輪になって栗を剥いて食べている。みんな健康で家の中もどうやらうまくいっている。不自由なこともそれ程ない。強いていえばもう少しお金があればと思うくらいだ。しかしそれよりも家中の者がこうして灯の下で語らいながら栗を剥いて食べている。ここに何ともいえないやすらぎがあり不安がある。考えてみるとこんな姿の中にこそ幸せがあるのではないだろうか。
 「幸せ」、それには「足るを知る」という心がともなわないと感じられるものではないようだ。
     長谷川正徳の法話100話より   

今日のお話 11月9日(月)

    稲盛和夫の名言

  人生というドラマにおいては、

  自分を主役にして脚本を書いた人と、

  目的意識もなく惰性で生きた人とでは、

  たいへんな違いができるのです。

ちょっといい話 11月6日(金)

利ちゃんのちょっといい話
 
   人生は短い 

 ローマ時代の代表的なストア哲学者セネカ(前4年頃〜後65年)は、死への準備教育のテキストと言えるような本を書いた。「人生の短さについて」(岩波文庫)である。
 たいていの人は言う。人生は短い、その一生も瞬く間のうちに過ぎ去ってしまう、と。しかしセネカの言い分は逆である。われわれはなぜ人生を短いと感じるのか。与えられた時間が短いのではなく、実はその多くを浪費しているからではないのか。われわれは〈自分の人生〉と言えるものを生きていない。そのことが人生を短く感じさせている。セネカの考えでは、「人生は十分に長く、その全体が有効に費やされているならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」。人生は使い方を知れば長い。人生を短くするのも長くするのも、ひとえにその人の時間の使い方、つまり生き方にかかっている。
 人はふつう、どう生きているのだろう。人々は死を考えない。まるで「永久に生きられるかのように生きている」。お金にはとてもけちな人でも、時間に関してなら実に寛大である。人から求められると、やすやすと時間を差し出してしまう。こういう人もいる。今は仕事が忙しい。定年退職し、時間に余裕ができれば、人生についてゆっくり考えよう。哲学や宗教の本を読もう。しかし、その年まで生きられる保証はない。人生で最も大事なことを、必ず来るとは言えない日まで延期しようというのは、「人間の可死性を忘れた愚劣なことではないか」。今日が、「最後の日になるかもしれない」。生きること、それ以上に死ぬことは、生涯かけて学ぶべきことなのである。
   大町公 奈良大学助教授・読売新聞文化面「潮音風声」より

今日のお話 11月6日(金)

    稲盛和夫の名言

  若い頃は

  「人生で偉大なことを成し遂げたい」

  という夢を持つものです。

  すべての若者がそのような夢を持つように、

  大いに奨励すべきでしょう。

  ただ、偉大なことを成し遂げるには、

  日々、身を粉にして働かなければならない

  ということも若い人たちは理解すべきです。

  努力が伴わなければ、

  いくら大きいビジョンでも、

  単なる夢にとどまってしまいます。

  努力−意味のある努力を

  たゆまず続けることなしに、

  価値ある目標が

  達成されたことはありません。

  人生の旅路には近道も、

  また楽々と飛んでゆける

  魔法の絨毯などもないのです。

  自分の足で、一歩ずつ

  歩いていかなければならないのです。

  このまどろっこしい、慎重なやり方では、

  長い道のりを歩き続けるのは

  不可能に見えるかもしれません。

  このペースでは偉大なことなど、

  決して成し遂げることは出来ないと

  思い始めるかもしれません。

  それでも、

  焦ってはいけません。

  小さな歩みの一歩一歩が積み重なり、

  相乗効果を生み出していきます。

  日々の地道な努力が生む小さな成果は、

  さらなる努力を生み出す原動力となるのです。

  そしてこの努力は、

  さらにより大きな結果をもたらします。

  あきらめずに続けてゆけば、

  いつか信じられないほどの高みにまで

  私達を運んでくれるのです。

  個々の人生においても、企業経営においても、

  「一歩ずつたゆみなく歩む」ということが、

  夢の実現に至る、

  唯ひとつの確実な方法なのです。

□ 稲盛和夫のプロフィール
 鹿児島県出身の実業家。「京セラ株式会社」の創業者として知られる他、「第二電電株式会社(KDDIの前身)」の創業者としても著名。企業を6〜7人の小集団(アメーバ)ごとに組織する「アメーバ経営」などの経営手法や世の中に貢献することを第一とした経営理念などで国内の経営者だけではなく、世界的にも大きな尊敬を集めている他、若手経営者の育成を目的とした経営塾「盛和塾」を主宰しており、経営者教育にも力を入れている。

ちょっといい話 11月5日(木)

利ちゃんのちょっといい話
 
    手が動く、足が動く、目が見える、耳が聞こえる……

 筋ジストロフィーという難病と闘う少年の話。
 彼は、全身の筋肉が硬くなって、だんだん動かなくなる進行性の病気にもかかわらず、音楽が大好きで、家族全員でファミリーバンドを組んでコンサートなどで演奏を披露するほどの腕前でした。大好きな楽器はギター。それが病状が進行していき、やがてギターが弾けなくなります。それに諦めることなくギターのかわりにチャレンジしたのはドラムでした。そして、ドラムも演奏できなくなる日が来て、彼はここでも諦めずにこんどはボンゴという打楽器にチャレンジし、懸命な練習をします。そして、ついにはコンサートの会場を埋める観客を感動させるまでになります。でも、そのボンゴも演奏できなくなる日が来ます。もう演奏できる楽器はなくなってしまいました。それでも彼のご両親は諦めることなく、無いなら自分たちで作ってしまおうと、幾多の失敗を繰り返しながら作り上げたのが「ワンダーリード」という楽器です。ワンダーリードは、唇ひとつで演奏ができる、小指の第一関節ほどのごくごく小さな笛です。噛み締める強さ、弱さで音の高低を調整できる仕組みになっているのです。
 彼は、14歳で死にました。
 彼が生前、丸山先生に言ったことがあります。「丸山先生、手が動く、足が動く、目が見える、耳が聞こえる、自分の頭で考えることができる……。あたり前じゃないよね。奇跡だよね。自転車に乗ったり、かけっこしたり、ボールをけったり、バットを振ったり、泳げたり、縄跳びができたり……。すごいことだよね、それができるなんて。でも、みんな、そんなこと当たり前だと思っている。当たり前だと思っちゃうから、欲張りになっちゃうんだ。欲張りになっちゃうから、やさしくなくなっちゃうんだ。手が動く、足が動く、目が見える、耳が聞こえる……。それだけでもすごいぞって。それで十分じゃないかって、みんなに伝えて。」
 当たり前のように目の前にある幸せに気づき、そして感謝する。だって、あなたが持っている特別なもの(失いたくないもの)は、数え切れないほどあるんじゃないですか。 丸山さんのこの言葉も紹介しておきましょう。

  心が変わると態度が変わる

  態度が変わると行動が変わる

  行動が変わると習慣が変わる

  習慣が変わると人格が変わる

  人格が変わると出会いが変わる

  出会いが変わると運命が変わる

  運命が変わると人生が変わる

  スタート地点は「心」(考え方)なんです。

今日のお話 11月5日(木)

    押井守の名言

  仕事をしているときの顔は一切家庭には持ち込まず、

  「僕はあなたと結婚した時と同じ、ただのダメな男ですよ」

  という姿勢を崩さない。

  家では夫の顔、娘の前では父の顔、仕事場では監督の顔と

  それなりに上手く使い分けられるように努力している。

ちょっといい話 11月4日(水)

利ちゃんのちょっといい話
 
    失ったものを嘆くより、残されたものに感謝を

 著者は、ある講演の終了後、一人のご夫人の訪問を受けました。彼女は、丸山さんの話を聞いて感動したこと、勇気が出たことを伝えにきたのでした。そのことを伝えた後に、このご婦人は「先生、私、こっちの耳が聞こえないんです」という話をします。先生は、ハンデに対して理解があるだろう、耳の聞こえない人の立場をわかってくれるだろう、との思いで打ち明けた話でした。それに対して、丸山さんは厳しい言葉だと承知の上で、強い口調で「お引取りいただけますか」と言いました。
 やり取りの後、丸山さんは言いました。なぜ、「私、こっちの耳は聞こえるんです」と言ってくれないのかと。そうすれば、「ああ、それはよかったですね。どちらかの耳が聞こえればそれで十分ですよ。そっちの耳が聞こえて本当によかったですね」って言うことができるし、私だってハッピーな気持ちになれます、と。
 ご婦人は、その言葉を聞いて、「丸山先生、私、こっちの耳は聞こえるんです・・・。こっちの耳は聞こえるんです・・・」と、キラキラした瞳、すばらしい表情で言ったそうです。「私、こっちの耳が聞こえないんです」と言ったときの暗い沈んだ表情は、すっかり消え去っていました。失ったものより、残されたものを大切にしましょうじゃありませんか。持っていないことに対して不満を言う前に、持っているものに感謝しようじゃありませんか。
 “事実”をどう“解釈”するかが、あなたの人生を決めるのです。

今日のお話 11月4日(水)

    押井守の名言

  勝負を諦めた時こそが、勝負に負けるときだ。

  勝負を続けている限りは、負けは確定しない。

  勝ったり負けたりしながら、人生は続いていく。

  ただ、勝負を続けていくうちにだんだん勝負勘はついてくるし、

  くだらない失敗はしなくなってくる。

  スキルが上がってくるからだ。

今日のお話 11月2日(月)

    押井守の名言

  才能という言葉を人はよく口にする。

  才能だけでやっていける天才という人も、

  何億人かにひとりくらいはいるかもしれない。

  レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロはそうだったのだろう。

  しかし、やはりそれは極めて稀にしか現れない特異な現象であって、

  僕もあなたも、少なくともそんな天才ではなさそうだ。

児童虐待防止推進月間

 11月は、児童虐待防止推進月間です。
 また、「児童虐待防止推進月間」の標語が、
 「もしかして」 あなたが救う 小さな手【左見津 真美さんの作品】
 に決まりました。
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ちょっといい話 10月30日(金)

利ちゃんのちょっといい話
 
       「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝

 ニュースを見ていると毎日毎日悲惨な話が耳に入って来ます。何事もないありふれた毎日が続いているのは、いくつもの奇跡の積み重ねの結果なのかもしれません。
 冷静に考えてみてください。子どもが学校に行って、家に帰ってくるのは奇跡なのです。学校への登下校の途中で交通事故に遭うかもしれない。何か不測の事態に巻き込まれこともあるかもしれない。思いもしないことで命を失う人が多い中、「ただいま!」と元気に家に戻ってくること自体が、まさしく奇跡。親子も一期一会のご縁なのです。当たり前のことが、当たり前のようにあることに「ありがたさ」を見出すのは難しいかもしれません。でも、「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝、なんて言葉もあります。
 大切なのは「生きていてくれてありがとう」という気持ちをいつも忘れずに持ち続けることなのです。生きて再び会えること。それは紛れもない奇跡なのですから。物質的には何不自由ない今の日本で、同じような悲しい事件が何度も繰り返されるのは、きっと多くの日本人が幸せではないからなのでしょう。
 当たり前にある目の前の幸せに気づくことなく、「足りない」ことばかりに意識を向け、それを満たすために奔走する人たち。そこに真の幸せを見つけることは難しいように思いますね。
   丸山浩路著 「本気で生きよう!なにかが変わる」より

菊 10月30日(金)

 自然・工作クラブの子どもたちが植え替え等をした菊が、大輪の花を咲かせました。
 今日夕方、搬出します。
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今日のお話 10月30日(金)

    押井守の名言

  僕が若者に言えるのは

  「いまの自分は何者でもないし、平凡な人間なのだ」と

  まずは気がつくことが重要だということだ。

  本来の意味での可能性はむしろ、

  そう気づいたところからはじまる。

  漠然とした幻想ではなく、

  本当に自分がやりたいことを見据え、

  そのためにいま自分がやるべきことは何かを

  見定めることから、やり直すべきだ。

登下校について 10月29日(木)

 登下校について連絡をさせていただきます。
 地域の方から、楽田小学校の子どもたちの登下校について
1 道いっぱいに広がって登下校している
2 通学班がばらばらになっている
などの電話をいただきました。
 楽田小学校区の通学路は、交通量も多く、危険な場所がたくさんあります。子どもたち自身が交通安全に気をつけるとともに、ご家庭でも安全についてご指導をお願いします。
 また、毎日安全に登下校できるようにスクールガード・保護者・地域の皆様にご協力をしていただいています。

 感謝の気持ちを忘れずに……


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ちょっといい話 10月29日(木)

天明研究室ホームページより

   「みっちゃん」 

 みっちゃんは中学に入って間もなく白血病を発症し、入退院を繰り返しながら、厳しい放射線治療に耐えていました。間もなくみっちゃんの頭髪は薬の副作用ですべて抜け落ちてしまうのです。それでもみっちゃんは、少し体調が良くなると「学校へ行きたい」といいました。不憫に思った医師は家族にカツラの購入を勧め、みっちゃんはそれを着用して通学するようになりました。
 ところが、こういうことにすぐに敏感に気づく子どもたちがいます。皆の面前で後ろからカツラを引っ張ったり、取り囲んで「カツラ、カツラ」、「つるつる頭」とはやし立てたり、哀しいいじめが始まりました。担任の先生が注意すればするほど、いじめはエスカレートしていきました。見かねた両親は「辛かったら、行かなくってもいいんだよ」と言うのですが、みっちゃんは挫けることなく毎日学校に足を運びました。(中略)
 つらいいじめの中でも頑張って学校に通ったのは「友達を失いたくない」という一心からでした。2学期になると、クラスに1人の男の子が転校してきました。その男の子は義足で、歩こうとすると身体が不自然に曲がってしまうのです。この子もまた、いじめっ子たちの絶好のターゲットでした。ある昼休み、いじめっ子のボスが、その歩き方を真似ながら、ニタニタと笑って男の子に近づいて行きました。またいじめられる、誰もがそう思ったはずです。ところが、男の子はいじめっ子の右腕をグッと掴み、自分の左腕と組んで並んで立ったのです。そして「お弁当は食べないで、1時間、一緒に校庭を歩こう。」、毅然とした態度でそのように言うと、いじめっ子を校庭に連れ出し、腕を組んで歩き始めました。
 クラスの仲間は何事が起きたのかしばらくは呆然としていましたが、やがて1人、2人と外に出て、ゾロゾロと後について歩くようになったのです。男の子は不自由な足を1歩踏み出すごとに「ありがとうございます」と感謝の言葉を口に出していました。その声が、仲間から仲間へと伝わり、まるで大合唱のようになりました。みっちゃんは黙って教室の窓からこの感動的な様子をみていました。
 次の日、みっちゃんはいつも学校まで車で送ってくれる両親と校門の前で別れた直後、なぜかすぐに車に駆け寄っていきました。そして付けていたカツラを車内に投げ入れると、そのまま学校に向かったのです。教室に入ると、皆の視線が一斉にみっちゃんに集まりました。しかし、ありのままの自分をさらす堂々とした姿勢に圧倒されたのでしょうか、いじめっ子たちはあとづさりするばかりで、囃し立てる者は誰もいませんでした。
 「ありがとう。あなたの勇気のおかげで、自分を隠したり、カムフラージして生きることの惨めさがわかったよ」。みっちゃんは晴れやかな笑顔で何度も義足の男の子にお礼を言いました。しばらくすると、クラスに変化が見られ始めました。みっちゃんと足の不自由な男の子を中心として、静かで穏やかな人間関係が築かれていったのです。
 みっちゃんに死が訪れたのはその年のクリスマス前でした。息を引き取る直前、みっちゃんは静かに話しました。「私は2学期になってから、とても幸せだった。あんなに沢山の友達に恵まれ、あんなに楽しい時間を過ごせたことは本当の宝でした」と。
 (文学博士 鈴木秀子さんの「人生を照らす言葉」から)

今日のお話 10月29日(木)

    押井守の名言

  世間をなめてかかってはいけない。

  僕は世の中を甘く見ていた。

  世間というものは怖いもので、

  なめてかかると必ず痛い目に遭う。

  当時の僕が、まさにそれだった。

【覚書き:自分が作りたいようように作った作品がヒットし、他人に評価されなくても自分の好き勝手に映画を作ればいいんだと錯覚し、その次の作品で大失敗した時のことを振り返っての発言】
 
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犬山市立楽田小学校
〒484-0858
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TEL:0568-67-1005
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