最新更新日:2024/05/17
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

今日のお話 12月9日(水)

    稲盛和夫の名言

  何よりも大切なことは、

  強さと勇気、意志力です。

  崇高な目的のためには、

  自分の命を賭けるくらいの

  気構えがなければ、

  決して人を動かせるはずもなく、

  偉大な改革などできる訳がないのです。

ちょっといい話 12月8日(火)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

 ■ 「大事な友だち」  小学校3年生 

 「今日はいっしょにあそばない。」この言葉をわたしはクラスの友だちに言っていました。2年生の時は、わたしがあそびたいのにむしをされることがたくさんありました。「なんでわたしだけいれてくれないの。」いつもかなしい気持ちになりました。その1人が転校してからは、そのいじわるはなくなりました。わたしは今までわたしにいじわるをしてきた強い人がいなくなって、その人といっしょになってわたしにいやなことをしてきた友だちに、わたしと同じ思いをしてもらいたくなりました。
 「今日はいっしょにあそばない。」「○○ちゃんとあそぶからあそべない。」これまでわたしが言われてきた言葉を、友だちに、学どうのある日はほとんど言っていました。わたしが前思っていたことと同じように友だちも、「なんでわたしだけいれてくれないの」と、かなしそうな顔をしていました。その顔を見て、はじめはわたしと同じ思いをしたとすっきりしたけど、毎日毎日していたら、「もうしなくてもいいんじゃないかなぁ。」と思うようになってきました。やめようという気持ちもありました。でも、まだ「やろうかなぁ。」
という気持ちもでてきて、すぐにはやめられませんでした。
 6月のある日、先生によばれて会ぎ室に行きました。そこには、今までわたしがいじめてしまった人がみんなすわっていました。1人ずつ言ってくれました。みんなわたしが「こわい。」という話を聞いて、みんなそんなにわたしをこわがっていたんだと、少しは思っていたけど、ここまでということがはっきりわかりました。「いじわるはやめる。」とみんなに言って、やくそくしました。
 「おまえがいじめとか、今日いっしょにあそばないとか言わなければいい。」とお父さんが言いました。お母さんにきいてみると、お父さんと同じように言いました。「あなたがいじめなんかしなければいい。」と言ってくれました。
 わたしはお母さんやお父さんの話をきいて、やっぱりいじめは、されていたけど、しかえしはしてはいけないと思いました。そして、わたしはもう、今からの自分は、今までの自分じゃなくて、いじわるされてもぜったいしかえさないで楽しくあそびます。自分で自分の心を、かえていきます。だから、今年の夏休みは、学どうでいじわるすることも、されることもなく楽しくあそべました。
 これからも、なかよく遊んでいきたいです。もし、いじわるされることがあっても、やりかえすことはしないで、「どうして、わたしだけするの。そんなことしないで。」と言っていきたいです。

今日のお話 12月8日(火)

    稲盛和夫の名言

  「相手があるから、自分もある」

  という日本古来の考え方があります。

  昔の日本人は、

  自分は全体の一部と認識していたのです。

  この考え方は、今でも集団の調和を保ち、

  協調を図ることができる

  唯一の考え方だと思います。

ちょっといい話 12月7日(月)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

   「なかまはずれはかなしいよ」  小学校1年生 

 わたしは、1年生になって、なか休みやひる休みにおともだちとたのしくあそんでいます。でも、いちどわたしが、「いっしょにあそぼ。」といったら、おともだちに、「人ずうがおおいから、むり。」といわれました。わたしは、どうしていれてくれないのかなと、かなしいきもちになりました。
 そしてある日、1年生みんなで、されるといやなことやしてはいけないことをはなしあいました。みんなからは、たたく、ける、つねるなど、からだをきずつけることをしたらいけないといういけんがでました。それから、わるいことばをいったり、なかまはずれをしたりしてこころをきずつけることもいけないといういけんがでました。わたしは、からだをきずつけるのもよくないけど、ことばでこころをきずつけることは、もっとよくないことだとおもいます。わたしもおともだちに、「むり。」といわれて、こころがズキッとなったからです。わたしのことがきらいなのかなと、おもったりもして、こころがかなしくなりました。
 そして、1年生でこれからどうしたらいいかをかんがえました。からだをきずつけること、こころをきずつけることをしないというやくそくをしました。あとだいじなことは、おともだちがいやなことをされたり、いわれたりしているときは、見て見ぬふりをしないで、たすけたり、先生にしらせたりすることだとわかりました。
 はなしあいのあと、おともだちが、「いっしょにあそぼ。」といってくれるようになって、うれしかったです。わたしは、じぶんもおともだちをなかまはずれにしたりしないで、なかよくしていきたいなとおもいます。

今日のお話 12月7日(月)

    稲盛和夫の名言

  人生はひとつひとつの判断の集積で

  形づくられていきます。

  ですから常に正しい判断ができるようになれば、

  素晴らしい人生を送ることができるのです。

  正しい判断ができるようになるためには、

  「ものさし」となるべき、

  誠実な人生哲学を持たなければなりません。

  その哲学とは「人間として何が正しいか」

  に基づくもので、

  公正、正義、やさしさ、思いやり、
 
  調和、誠実さなどの言葉で、

  表わされるものを含んだものであるべきです。

  このような人生哲学を、

  毎日の判断の「ものさし」

  としていくべきです。

ちょっといい話 12月4日(金)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

    「ひとりにひとつしかない大切な命」 
                         小学校3年生 
 ぼくは、せんそうのない世界が「平和」だと思っていました。だから、今ぼくが住んでいる日本は、とても平和な世の中だと思っていました。でも、家にあった「へいわってどんなこと」という本に「命はひとりにひとつ、たったひとつのおもたい命。だからぜったいに、ころしたらいけない。ころされたらいけない。」と書いてありました。ぼくは、せんそうがないことだけが平和ではないんだなぁと思いました。
 ぼくは、ずっと前に、家でお姉ちゃんとケンカをしたときのことを思い出しました。その時、ぼくはかっとして、「お姉ちゃんなんか死んでしまえ。」と言ってしまいました。するとお母さんから、「そんなこと言ったらいけん。じょうだんでも言ったらいけんので。」
と、すごくしかられました。その時ぼくは、「そんなにおこらんでもいいに。じょうだんやに。」と思いました。
 それから、「ゆうごは、ひいばあちゃんが死んでしまった時、どんなこと思ったん。」ときかれました。「すごくかなしかった。もう会えんけん。」とぼくは、言いました。ぼくのひいばあちゃんは、102さいでなくなりました。ぼくが生まれてすぐのころ、転んでこっせつしてから、ずっと入院していました。ぼくが六さいの時に、はいえんで死んでしまいました。とても長生きをしたけど、ぼくは時々しかおみまいに行かなかったし、行って
もどんなことを話したらいいのか分からなくて、あまり話をしませんでした。「また今度行くし、いいや。」と思っていました。でもひいばあちゃんにはもう会えません。
 もし、お姉ちゃんが死んでしまったら、ぼくはすごくかなしい気持ちになって、どうしてあんなひどいことを言ってしまったんだろうと泣きたくなると思いました。命はひとりにひとつしかない、大切なたったひとつの命だから、かんたんに「死ね。」とか言ったらいけないんだと思いました。そして、なくなったら二度ともどってこない命を大切にしないといけないと思いました。
 時々、友だちがけんかをしている時に、「死ね。」や「うざい」と言っている人がいます。
ぼくもかっとして、つい言ってしまうことがあるので、気をつけようと思います。そして、
「そんなこと言ったらいけんので。」とちゅういできる人になりたいです。
 自分や友だちや家ぞくの命を大切にすることが、もっと平和な世の中を作っていくことにつながるのだと思います。

今日のお話 12月4日(金)

    稲盛和夫の名言

  私が学んだことは、

  何か事を起こす時は、

  まず思いこまなければならない

  ということです。

  「これが理想的であることは

  わかっているけれど、現実には

  そんなことは不可能だ」

  と自分に言い続けていたら、

  何も起こせはしないでしょう。

  信じていないもののために

  努力することはできないのです。

  強烈な願望を描き、

  心からその実現を信じることが、

  困難な状況を打開し、

  物事を成就させるのです。

ちょっといい話 12月3日(木)

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

   「いじめをなくすために、今」 

 僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいました。そこで,僕が体験したことです。五年生のころ,僕の友だちのA君が,同級生のK君の靴を隠したり,からかったりしていることがよくありました。最初は僕もあまり気にしていませんでしたが,K君のことを「なんだかかわいそう」と思うようになりました。
 ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました。初め先生は,「じゃれ合っているだけだろう」と,「いじめ」とは思ってくれませんでした。でもその後「いじめ」と分かり,A君は,先生に注意され,その日一日は反省した様子で過ごしていました。しかし,次の日学校に行くと,いじめは前以上にエスカレートしていて,蹴ったりたたいたりするようになりました。しかも,「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになり,そんな日々が続きました。
 それは六年生になっても続きました。僕はそのいじめを止めることができず,毎日,見て見ぬ振りをしていました。今思うと,自分がとても恥ずかしいです。本当の友達なら止めるべきなのに。それだけではなく,いじめられているK君に声一つかけることができずにいました。心の中ではA君に,「やめろよ」と言おうと思っていたけど,なぜか,勇気が出ませんでした。次にいじめられるのが自分になるのが恐くて,言えなかったのです。
 そんな日々が続く中,僕の気持ちを大きく変える出来事がありました。父の死です。そのときのことは,今でも忘れることができません。聞いたときには頭の中が真っ白になりました。最初は信じることができませんでした。一週間も二週間も学校に行けず,ただ,ぼーっと過ごしていました。いろんなことを考え,徐々に,「死」というものの悲しさ,つらさ,「死」という意味の重さがわかってきました。そして,時間はかかりましたが,「命は一瞬にして消え,二度と戻ってこないものだ。だから命を大切に,今を大切にしなければならない」と深く受け止めることができるようになりました。そして,周りの子たちは,僕のような経験がないから,「死ね」とか,軽々しく言えるのだろうと思い,この気持ちを伝えなくてはならないと考えました。僕が強くならなくてはと思いました。
 こんな気持ちになったとき,僕には時間がありませんでした。母の実家がある徳島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです。落ち込んでいる暇は無いと思い,学校に行った僕はA君に言いました。「いじめなんかやめろよ。いじめたって喜ぶ人はいないし,悲しむ人がいるだけだろ。自分だってほんとは嫌だろ。『死ね』とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに,言うなよ」と言いました。父親の突然の死,そのあと僕が考えたことも伝えました。
 友だちは,黙って聞いてくれました。僕の言葉にうなずいて,そのあと,K君のところへ行き,「ごめん。言葉の重さも知らずに言って,本当にごめん。ぜったいに死ねなんてことは言わない。そして,いじめは絶対にしない。ほんとうにごめん」とあやまりました。K君はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました。僕も,K君に言いました。
「今まで助けてあげられなくてごめん。」
 K君は笑顔で,「ありがとう」と言ってくれました。今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが,スーっと晴れました。
 今も時々耳にする暴言。冗談半分で言っているのかもしれません。しかし,いつ,いじめにつながるかわかりません。他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう。関係ないふりをしようとする自分がいます。楽な考え方をする自分がいます。そんな時,亡くなった父の顔や,K君の優しい笑顔を思い出します。あの時の自分のように強い気持ちを持とう。「やめろよ」と一言言う。すると,また気持ちがスーっとしてきました。
 父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって,正しいことを素直に認め,悪いことを否定できる強い意志を持つことが目標です。そして何よりも,命を大切に,今を大切にしていきたいと思っています

今日のお話 12月3日(木)

    稲盛和夫名言

  私はいつも、

  「土俵の真ん中で相撲をとれ」

  と言っています。

  土俵ぎわに追いつめられるまで待たず、

  余裕を持っている時に

  必要な行動を起こせ、

  という意味です。

  相撲では、自分の足が土俵ぎわに届いて、

  今にも土俵の外に

  放り出されてしまいそうになるまで、

  何もしない力士を見かけることがあります。

  そうなってから、

  本腰を入れて戦い始めるのです。

  私は、どうして彼らは

  土俵の真ん中にいるうちに、

  その力を発揮しないのかと、

  不思議に思っています。

  ビジネスにおいても同じことです。

  土俵の真ん中にいる時は、

  行動するのに充分な時間と余裕があるので、

  私たちはリラックスしています。

  そして、土俵ぎわまで押し込まれてから、

  慌てて行動を起こすのです。

  私たちは、常に時間も余裕も

  全くないつもりになって、

  実際に押し出されそうになる前に、

  力を振り絞るようにしなければなりません。

  余裕が充分ある段階においても、

  危機感を持ち

  必要な行動を起こすことが大切です。

  これが安定した事業の

  秘訣なのです。

ちょっといい話

岐阜市人権作文より

    「みんなちがって みんないい」 

 「顔面ブス」、「ウザイ」、「気持ち悪い」、「死ねばいいのに」、「最悪」、「シンショウ」、これらは小学校の頃からずっと、私に向けて言われていた言葉の、ほんの一部です。『シンショウ』は、何の事か分からず、友達に聞いたところ、身体障がい者の略語だと教えてくれました。
 言われる度に、とても傷つき、とても悲しくなりました。
 『何でそんな風に人を傷つける言葉を言うんだろう。』、『言われて、私がどう思うか考えないのかな。』と、言われる度に思いました。下校の時、階段で後ろからカバンをけられた事もありました。もし落ちたら…と思うと、ものすごく怖かったです。『私のどこが悪いんだろう。』、『学校に行きたくないな。』、『死んじゃったら、もう言われないかな。』、『どうやったら死ねるかな。』、と思った時もありました。
 今でも言われた事、けられた事を思い出す度、辛くて悲しくて涙が出ます。一生忘れる事ができません。
 でも、私は、生きています。
 それは、母が、祖母が、家族が、先生達が、友達がいてくれたからです。私の話を聞いてくれて、味方になってくれたからです。母が先生に、「こんなにも娘がからかいの対象になるのは、娘に何か悪い所があるからじゃないですか?」と聞いた時、先生がきっぱりと、「いじめは、いじめる方が悪いんです!」と言ってくれました。この一言で、私は強くなろうと思いました。
 それから私は、言われた事、やられた事を、学校ですぐに全て先生に話すようにしました。先生はすぐに相手の子にも話を聞いて、対処してくれます。
 家でも、これ以上心の傷にならないよう、全部話をします。話した後は、心の中にあったもやもやが、とてもすっきりします。明日もまた頑張ろうという気持ちになります。こうして私は、毎日を笑って過ごす事が出来ています。
 金子みすずさんの詩の一つに、『私と小鳥と鈴と』という詩があります。私はこの詩が大好きです。最後の『みんなちがって、みんないい』という一文が、私を認めて応援してくれているようで、大好きです。トカゲやヤモリ、ナナフシが好きな私。さっさと行動するのが苦手な私。小さい子と遊ぶのが好きな私。速く走るのが苦手な私。
 みんなと違う?でも、これが『私』
 人が、お互いに思いやりの心を持って、すべての人が等しく幸せな生活を営むために大事な事、それは、『みんなちがって、みんないい』という事を認めあう事だと、私は思います。
 人は一人一人ちがうものだから。みんな幸せに生きて欲しい。幸せに、生きていきたい。
 『みんなちがって、みんないい』のだから。

今日のお話 12月2日(水)

    稲盛和夫の名言

  夢を持つことを

  恐れてはいけません。

  大胆になるのです。

  夢に酔うことは決して

  罪悪ではありません。

  そこで大事なことは、

  その夢が自分と一緒になって

  働いてくれる人々にとっても、

  またできれば、社会にとっても

  有益なものであるべきだということです。

  そしてもっとも大事なことは、

  「誠実さ」を持つことです。

  ほかの人たちに対してだけでなく、

  自分自身に対しても

  誠実でなければいけません。

  完全に客観的で現実的であるためには、

  誠実でなければならないのです。

ちょっといい話

岐阜市人権作文より

   「言葉は大切」 

 私は、ある経験をして、言葉の大切さを知りました。
 私は、「骨形成不全症」という病気です。この病気は、骨密度が低く骨が弱いため、ふつうの人より骨折しやすい病気です。そのせいで、まだ歩くことができず、車いすの生活をしています。
 まわりの子が、外で元気に遊んでいるのを見ると、
「なんで私だけ歩けないの。」
という気持ちになります。でも、小学校へも校区のみんなと同じ小学校に行きたくて、校長先生にお母さんとお父さんがお願いしてくれたので、行きたかった小学校に入学できました。先生や家族のおかげで、できることだけでもみんなといっしょにできて、とてもうれしいです。
 だけど、私は少しいやな気持ちになる時があります。例えば、校外学習のときなどは、みんな私のことを、
「歩かなくていいからいいな。」
といいます。私は、みんなといっしょに歩きたいのに、そういう事を言われてとても悲しい気持ちになりました。それで、学校へ行きたくないと思うときもあって、お母さんにあたってしまうこともありました。そうしたらお母さんに、
「学校で何かあったの。」
と言われて話すことにしました。話したら少し気持ちが楽になりました。お母さんは、
「困ったときはがまんせずに、先生とかに相談すればいいよ。」
と言ってくれました。そして、次の日先生に相談したら、みんなに言ってくれたので、あまり言われないようになりました。それからは、まわりの子のほとんどが、私が困っているときなどに、
「大じょうぶ。やってあげようか。」
と声をかけてくれたり、手伝ってくれたりするようになりました。また、中で遊ぶときは、私もみんなの仲間に入れてくれるので、とてもうれしいです。
 私は、みんながあたりまえにやっていることが出来ないことがたくさんあります。歩いたり走ったりすることは、みんなはあたりまえでも私はできません。これは私だけでなく、いろいろな障がいのある人だれでも言えることだと思います。スポーツやドッジボールなどをすることも、みんなあたりまえだけど、私はそれが夢です。
 私は、この経験をして、お母さんといろいろな話をしたり、自分でいろいろ考えたりしました。人は、苦手なことと得意なこと、できることとできないことがあります。私は、歩くことはできないけど、勉強などはみんなと同じようにできます。例えば、音楽や算数などは得意でも、社会などが苦手な人もいます。だれでもできることとできないことがあるのに、それを笑ったり、そのことで相手をきずつける言葉は、絶対に使ったりしてはいけないと思います。
 だから、これからは一つ一つの言葉を大切にしていこうと思いました。また、困っていたりなやんでいたりする人には、相談にのってあげたり助けてあげることがあれば、したいと思いました。それと、人の悪口を言ったりしている人がいたら、
「だめだよ。」
と教えてあげられる人にもなりたいです。私が困っていたら、
「だいじょうぶ。」
と言ってくれたとき、とてもうれしくなりました。そのように、私の言葉で少しでも相手を元気にしたり、うれしくなってくれるようなことを言ってあげられたりする人になれたらいいと思いました。

今日のお話 12月1日(火)

    稲盛和夫の名言

  強い思い、情熱は

  成功をもたらします。

  しかし、それが

  私利私欲から生じたものであれば、

  成功は長続きしないでしょう。

  人間にとって何が正しいか

  ということに対して鈍感になり、

  自分だけが良ければよいという方向へ

  突き進み始めるようになると、

  はじめは成功をもたらしてくれた

  その情熱が、やがては

  失敗の原因にもなるのです。

  理想としては、

  「私利私欲を捨て、世のため人のために」

  という形の完全に利他的で

  純粋な願望を持つことが

  一番良いことです。

  ところが、人間にとって、

  生きるための私利私欲は

  自己保存のために

  不可欠なものなのですから、

  それを完全に捨て去ることは

  まず不可能です。

  しかし、一方でその利己的な欲望の

  肥大化を抑制するために、

  努力することが必要となってくるのです。

  せめて、働く目的を「自分のため」から

  「集団のため」へと変えるべきです。

  利己から利他へと目的を移すことにより、

  願望の純粋さが増すことでしょう。

ちょっといい話 11月30日(月)

岐阜市人権作文より

    「人権について家族で話し合って」 
 
 ぼくは、人権って何だろうと思いました。それで、夏休みに家族で人権について話し合いました。お父さんやお母さんは、「いじめや差別も人権問題だよ。」と言いました。
 ぼくたちの網代小学校の3年生と4年生は、毎年、近くの岐阜本巣特別支えん学校の子たちと交流をしています。
 ぼくが最初に出会った、特別支えん学校の子は、目の見えない車いすの子でした。だから、ぼくはその時は、
「目も見えないし、自分の足で歩けないなんて、かわいそうだな。」
と思いました。
 でも、そのことを話したら、お母さんは、
「そう思うことが差別じゃないかな。」
と言いました。ぼくは最初、お母さんの言った言葉の意味が分かりませんでした。
 でも、もしもぼくが、その目や足の不自由なお友だちだったら、と考えてみました。特別支えん学校との交流会で、そのお友だちは、ぼくに笑顔を見せてくれました。楽しそうに話しかけてくれました。ぼくが車いすを押したり、ボールをわたしたりすると、みんなと同じように遊ぶことができていました。
 ぼくは、体が不自由なことは不幸なことだと、勝手に決めつけていたことに気がつきました。お母さんの「差別じゃないかな」という言葉の意味が分かったように思います。そのお友だちにとっては、みんなからかわいそうと思われることは、傷つけられることになるのだと分かりました。体が不自由なことは関係なく、そのお友だちは、自分らしく生きていて、それをみんなに認めてほしいのだと思うのです。ぼくがそのお友だちだったら、「かわいそう」や「たいへんだね」と言われるよりも、「一緒に遊ぼう」と声をかけてほしいと思います。
 この夏休みに、人権について家族で話し合っていなかったら、またそのお友だちと会った時にも、きっと前と同じように、「かわいそう」とか「この子は、ぼくとちがうんだ」と思っている気がします。だから、この次の交流会では、ぼくもそのお友だちも、心から楽しく遊べるといいなと思います。
 人間が一人一人ちがうのは当たり前のことなので、みんなが楽しく生きられるよう、相手のことを知り認めて、その人が望むように誰もが助け合うことができれば、もっと笑顔が増えると思います。
 これまでぼくは、人権ってむずかしいと思っていたけれど、家族で話し合ったり、特別支えん学校と交流したりして、ぼくのすぐ近くにも考えられることがあるのだと知りました。これからも、もっと家族で話し合って、人権についていろいろと考えていきたいです。

ちょっといい話

ニッケピュアハート・エッセイ大賞より

   「ぼくはぼくでいいんだ」 

 ぼくは、三人兄弟の末っ子。一番上の兄は勉強ができ、すぐ上の兄はサッカーが上手である。両親からは、別にくらべられているわけではないけれど、ずっとコンプレックスに思っている。自分には、とりわけ得意なものとか、ずばぬけて頭がいいとか、そんな人に自慢できるものが何一つないのである。
 “どうせぼくなんて…”が口グセなぼく。
 それを聞いた両親は、“何言ってるの。がんばって!”と、いつもはげましてくれる。がんばってる。いつだってかんばってる。それがむくわれないのだ。
 ある日、母がぼくにこう言った。
 「あなたを産んでよかった。いつもやさしいあなたがいるだけで、うれしいし、楽しい。ありがとう。」
って。なにげない一言。でもそれがすごくうれしかった。仕事でいそがしい母のかわりにせんたくものをとりこんだりしている。たったそれだけの手伝いにも、母は喜んでくれている。ぼくはぼくでいいんだ。ぼくはぼくのできることをがんばっていこう。そう思えた瞬間だった。
 ぼくの夢、それは、家族や友だち、また、まわりの人々を大切にし、みんなからも愛される存在になることである。その夢の実現のためには、今の自分に自信をもち、今とかわらず、やさしい自分でありつづけようと思っている。“ぼくはぼくでいいんだ”ということをわすれないで、前向きに生きていこうと思うのである。

今日のお話 11月27日(金)

    稲盛和夫の名言

  常に「原理原則」に基づいて判断し、

  行動しなければなりません。

  常日頃より、

  原理原則に基づいた判断をしていれば、

  どんな局面でも迷うことはありません。

  「原理原則」に基づくということは、

  人間社会の道徳、

  倫理といわれるものを基準として、

  人間として正しいものを、

  正しいままに貫いていこうということです。

  人間としての道理に基づいた判断であれば、

  時間や空間を超えて、

  どのような状況においても

  それは受け入れられるのです。

  そのため、

  正しい判断基準を持っている人は、

  未知の世界に飛び込んでも

  決してうろたえたりはしないのです。

  真の革新者たちが新しい世界を切り開き、

  開拓することができるのは、

  彼らが経験豊富であるからではなく、

  また常識があるからでもありません。

  それは彼らが本当に

  崇高な人間の本質を知っており、

  基本的な原理原則に基づいて

  判断を下すからなのです。

ちょっといい話 11月26日(木)

ニッケピュアハート・エッセイ大賞より

   「父の3日間」 

 外では働き者だと評判の父は、家ではとてもぐうたらおやじになります。家での役割は、四角い部屋を丸く掃除機をかけるくらいです。休日は趣味で飼っている犬の世話しかしません。
 そんな父が、この夏休中に、たった3日間だけ働き者に変身しました。働き者になった父の1日目は、網戸と窓を洗うことから始まりました。私が宿題もせずにゴロゴロしている間、父は網戸を洗っていました。それが終わると、父は私に窓ふきを手伝えと命じました。断るとうるさいので私はしぶしぶ手伝いました。2日目は、兄と縁側を作り直していました。私はそれを見て、なんだかあやしいなあと思いました。また手伝えと言われたら困るので、私は逃げるように遊びに行きました。家に帰ると、縁側はきれいに出来上がっていました。猛暑の中の縁側作りはとても大変だったと思います。そして3日目、父が私と母を松山に連れて行ってくれました。父の趣味は、私や母のそれとは全く合わないので、私達は松山に行くと必ず別行動をとります。しかもケチな父は、いつも2時間しか私達に自由時間をくれません。でもその日はなぜか5時間も自由時間をくれました。うれしかったけれど、なにか不気味な感じでした。
 次の日、父は朝から総合病院に行きました。その日の夜、父は安堵の表情で「病院で検
査したら何の異常もなかった。良かった。」と母に話していました。私には何の話なのか全然分かりませんでした。後で母から聞いた話によると、働き者になる前日、父は保健所で受けた健康診断で胃に異常があると言われたそうです。早とちりな父は、自分は胃ガンでもうすぐ死ぬんだと思い込みました。そこで父は、自分が生きているうちに少しでも家族のためになることをしようと、働き者に変身したのでした。
 自分は健康だという結果を知った父は、今また、ぐうたらおやじに戻っています。

図書カード 大宝運輸株式会社 11月26日(木)

 大宝運輸株式会社様が、10月4日に第31回の大宝文化祭でバザーを行いました。その売上を図書カードに替え、本校に寄贈をしていただきました。
 子どもたちのために図書館の本に替えさせていただき、活用させていただきます。

 ありがとうございました。


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今日のお話 11月26日(木)

    稲盛和夫の名言

  人間は、

  しばしば本能をベースとして

  判断を行います。

  しかし、それでは

  動物と同じです。

  もし、状況を客観的に見ることができれば、

  もっと良い意思決定ができるはずです。

  本能を抑えることが重要なのです。

  そうすると、

  心の中に理性が入ってくる隙間が生まれ、

  論理的に考えることが

  できるようになるのです。

  問題は、行動をどれだけ理性で、

  コントロールできるかということです。

  本能を抑えることは

  容易なことではありません。

  人間は本能なしで

  生きることはできませんし、

  私は、本能をすべて取り除けと

  言っているのではないのです。

  大切なことは、

  本能に支配されないことです。

  我々は本能を、

  意志の力で抑えることが

  できなければならないのです。

  人間が本能に従うのは自然なことですから、

  本能を抑えることはたいへん難しく、

  簡単にできることではありません。

  必要なことは、

  利己的な欲望が出てきた瞬間に、

  それに気付き、

  意識してそれを抑え込もうと、

  努力することなのです。

  本能心をコントロールすることを

  覚えなければなりません。

  それが理性を高め、

  正しい判断を行う能力を

  与えてくれるのです。

ちょっといい話 11月25日(水)

ニッケピュアハート・エッセイ大賞より

    「ぼちぼち」歩こう 

 私の夢は漫才師になって世界を救うこと。漫才師になることと世界を救うこと何の関係があんねん、と思うかもわからん。ちゃうちゃう、漫才師になって世界を救える。なんでって、笑いは伝播するから。私が誰かを笑わせる。その笑顔は、また誰かを笑顔にする。そしてその笑顔は…ってずっと続いていく。そしたら、ぎょうさんの人が笑顔になる。世界にはなんや難儀な問題が山ほどあるのはわかってる。せやけど、誰かの笑顔に救われる人も、ぎょうさんいてるはず。だから、私は漫才師になって、ぎょうさんの人を笑顔にして、世界を救いたいと思うてる。
 そのために私が心がけているのは「ぼちぼち」だ。「ぼちぼち」とは、物事の程度などが十分とは言えないが、一応は満足できるさま、と国語辞典に書いてあった。これを聞いて、夢があるんならもっとしゃかりきならなあかんのうちゃうん、と思われるだろう。たしかに、一生懸命になることも大切や。せやけど、「ぼちぼち」いくことで、近くにあるおもろいことに気付けるんとちゃうかなぁ。人間一つのことにしゃかりきになりすぎると、周りが見えんようになっておもろいことに気づかれへんようになる。そしたら、しんどくなってまう。そうならへんようには「ぼちぼち」、が大切や、思う。まして、漫才師は、おもろいことを見つけて、それをみんなに伝える仕事やから、「ぼちぼち」を大切にしていかなあかん、って思う。
 これからも夢の実現に向けて、「ぼちぼち」歩んでいきたい。
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犬山市立楽田小学校
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