最新更新日:2024/05/15
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 1月14日(木)

骨肉腫と私+αより

   雪とパイナップル 

 医師・鎌田實さんの絵本「雪とパイナップル」【鎌田實(著)唐仁原教久(画)集英社)。2004年出版なので、読んだ人も多いと思う。私はあらすじは知っていたが、最近やっと本を読んだ。死にたいと思ってしまう私が、どうしたら生きていけるのかヒントをもらった。未読の方のため、内容を紹介すると(ネタばれすみません)――
 1986年チェルノブイリ原発の爆発事故後、周辺地域で子供の甲状腺がん、白血病が増えた。鎌田さんの医療ボランティアグループはソ連に行き、政府から貧しいベラルーシ共和国の支援を頼まれる。そこで治療した子供たちの中に、急性リンパ性白血病の男の子アンドレイ君(享年14)がいた。アンドレイ君の白血病は日本から持ってきた抗がん剤が効かない、難治性のものだった。そこで、ベラルーシではやったことのない骨髄移植を行うことになった。移植前に、がん細胞をなくすため、大量の抗がん剤を投与する。免疫力が落ち、敗血症で死にかけたが、なんとか移植が行われた。しかし10か月後再発。アンドレイ君は、両親やドクターたちの気持を知っていたから、絶対に病気に負けたくなかった。何度も奇跡的に命を取りとめた。しかし、しだいに抵抗力がなくなり、2000年7月に亡くなった。
 彼が亡くなってしばらくして、鎌田さんはアンドレイ君の家を訪れた。歓迎されないことを覚悟して。でも母親は、ヤヨイさんという看護師の話をして、鎌田さんにも感謝してくれた。ヤヨイさんは、移植後に熱と口内炎で全く食事ができなくなったアンドレイ君に、「何なら食べられる?」と聞いた。「パイナップル」と彼は何度も聞かれて小さい声で返事をしたそうだ。ベラルーシでは、2月にパイナップルなど売っていない。でもヤヨイさんは、マイナス20°の雪の町へ、パイナップルを探しに何日も続けて出かけた。母親は「あるはずのないパイナップルを探して雪の町を歩き回ってくれた彼女のことを考えると、人間ってあったかいと思った」と語る。
 結局パイナップルは見つからなかったが、奇跡が起きた。日本人女性がパイナップルを探していると、うわさが広がり、パイナップルの缶詰を持っている人が病院に届けてくれたのだ。生ものは危険なので、缶詰でちょうど良かった。パイナップルを食べられたのをきっかけに、アンドレイ君は食事がとれるようになった。そして元気を取り戻した。
 母親はアンドレイ君が病気になってから、「なぜ私たちだけが苦しむのか、何も悪いことをしていないのに」と恨み、生きている意味も見えなくなったという。でもヤヨイさんのおかげで、最愛の子供を失った悲しみの中で、忘れていた感謝する心がよみがえってきたそうだ――。

今日のお話 1月14日(木)

 1月14日は、「タロ、ジロの日」です。
 1958(昭和33)年、南極観測の第2次越冬隊は厚い氷に行く手を阻まれ観測を断念。  1次越冬隊員は救助されたものの、15頭の樺太犬は南極に取り残されました。 しかし、1959年のこの日、タロとジロ、2頭の生存が確認されました。

 この記念日は、「愛と希望と勇気の日」とも呼ばれています。

ちょっといい話 1月13日(水)

  すごい父に拾われた   鎌田 實

□ 鎌田 實 プロフィール
1948年東京生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県茅野市の諏訪中央病院医師として、患者の心のケアまで含めた地域一体型の医療に携わる。88年同病院院長に就任し、2005年から名誉院長。同時に東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部非常勤教授も務める。また、91年からチェルノブイリ事故被災者の救援活動を開始し、94年信濃毎日新聞賞を受賞。04年からイラクへの医療支援も開始し、4つの小児病院へ毎月400万円の薬を送り続けている。

 ぼくは拾われた子どもです。終戦5年目の1950年、生みの親が捨てた1歳のぼくを、亡き父、岩次郎がもらってくれた。37歳、諏訪中央病院の副院長だった時に、偶然、その事実を知りました。好きになるのに40年もかかったけれど、岩次郎という男の存在がぼくの核をなしています。
 岩次郎は青森県花巻市(現・黒岩市)で貧農の末っ子として生まれ、小学校しか出ていない。18歳で上京し、公営バスなどの運転手で生計を立てます。バスの車掌だった母のふみと結婚しますが、居を構えた東京都杉並区の家は6畳二間と3畳、お勝手。はじめはお風呂もなかった。
 ぼくが小学校に上がる前、母が僧坊弁狭窄症(そうぼうべんきょうさくしょう)という心臓病を患います。入退院を繰り返した先は、日本で唯一の心臓病専門病院だった、東京女子医大付属日本心臓血圧研究所(心研)でした。50年代、往診こそ頼めても、貧しい人が高度な医療を受けるのは大変でした。国民皆保険になるのがぼくが中学生になる61年だし、もちろん高額療養制度もない。岩次郎は、朝8時から夜まで、長い日は1日15時間も働きます。切りつめても切りつめてもお金は母の治療費に消える。疲れ切って帰り、夕食をつくれない夜は、ぼくを連れて近くの定食屋へ。ぼくはいつも、おかずに一番安い野菜炒めを選びました。
 名前の通りに頑固で、無口だけど声が大きく、津軽弁で理路整然と話す人でした。背筋が伸びて、シャンとしていた。上京した同郷の苦学生を狭い家に置いてあげたりもした。でも、ぼくが運動会の徒競走や試験で一番になっても、岩次郎は決して褒めてくれない。全力を出し切っていないって見られた。叱られて、叱られて、ぼくは育ちました。「ぼくのほうを見てよ。理解してよ」 と心でつぶやきながら。
 だからこそ、旅券申請のために取り寄せた戸籍で、父親の欄に別の名前を見た時、衝撃だったんです。血のつながっていない岩次郎が、ぼくを育ててくれていた。心臓病の母を抱えた あの貧しい暮らしの中で、「拾ってやった」 とか、恩着せがましい言葉を一度も口にせず。泣き言も言わず、弱音も吐かず。岩次郎は苦難から逃げなかった。苦しい時ほど、その苦しみを横に置いて、誰かのために生きようとした。がんばって、がんばって、全力投球で、最後は個人タクシーの運転手を70歳くらいまで務めました。
 すごい人に拾われたって思います。12年前に亡くなった岩次郎は今も、ぼくの内側でどんどん大きくなっていくんです。

今日のお話 1月13日(水)

    塩沼亮潤の名言

  やはり何かに挑戦することで、

  人は成長していけるのだと思います。

  誰かが切り開いた道には

  データがありますが、

  挑戦にはデータがありません。

  そこに成長の

  ポイントがあるのです。

ちょっといい話 1月12日(火)

泣ける映画と本のホームページより

   不幸になる方法   美輪明宏

 何か不幸や不運に見舞われたら、誰でも世間や何かのせいにして、恨みたくなります。私とてもそうです。 金銭関係で人に騙されたこともあるし、信じていた人間に恩を仇で返すような仕打ちをされたこともあります。そういう時、「私は悪くないのに」と責任転嫁しそうになります。でも、私はそれで終わらせない。
 なぜそうなってしまったかをよく分析してみるのです。その人との出会いまでさかのぼり、関係を築く中で起こったことを思い出し考えます。そうすると気づきます。「私に見る目がなかったんだ。対処の仕方に不味いところがあった。」って。「そうか。問題の大部分が私のせいなのだ」と気づくのです。そう思えれば、気持ちのモヤモヤは、すっかり片付くものなのです。
 たとえば、上司に怒られたとします。
 殆どの人が怒られたということに執着し、がっぷり受け止めてしまいます。そして恨みます。怒ります。「なぜ怒られることになったのか」とその理由を冷静に分析しないのです。その思考パターンがすべてに広がっていきます。人生の中で起こった原因からは目をそらし、結果ばかりクローズアップ。恨む、憎むという行為をし続けるから、みんな怨霊になる。
 責任を押し付け、被害者ぶっているからいつまも辛いのです。自分が加害者であるという現実を見極めようとしないから不幸になっていくのです。

今日のお話 1月12日(火)

    塩沼亮潤の名言

  現実を受け入れ、

  愚痴らず、精一杯生きていると、

  そこに道がひらけてくる。


ちょっといい話 1月8日(金)

泣ける映画と本のホームページより

 子どもに励まされた話2

 今年、年長娘の幼稚園のPTA会長になりました(ならされた?)。夕べは夜7時から市の幼小中PTA連合会で、役員改選やら何やらですごく時間がかかってしまった。子ども達を連れて行ってたのだが、まだ未就園の下の子が眠ってしまったりと大変だった。これからも色々やらなきゃいけないことが多いと分かり、ものすごく鬱になった。でも、その会合の間に娘がお絵かき(持参していた)で私の似顔絵と、「おかあさん、がんばたね(原文通り)」と書いてあるのを見て、子ども達を寝かせた後泣いてしまった。
 ホントにこれから大変だろうけど、お母さんは1年間頑張るよ!

今日のお話 1月8日(金)

    塩沼亮潤の名言

  はじめから上手に

  生きられる人などおりません。

  上手でも下手でも

  精一杯生きてみることです。

  悩んでもいい、

  迷ってもいい、

  転んでもいい、

  より道したって、

  まわり道したって

  いいではないですか。

  ふりかえってみれば

  人生という一本道です。

□ 塩沼亮潤
 宮城県仙台市出身の僧侶。仙台市秋保にある慈眼寺の住職を務める人物。1991年から48キロ・高低差1300メートル以上の山道を1日16時間かけて、1000日間休まず往復する修行「大峯千日回峰行」(おおみねせんにちかいほうぎょう)に入行し、1999年に満行(大阿闍梨となる)。

ちょっといい話 1月7日(木)

泣ける映画と本のホームページより

 子どもに励まされた話2

 保育士をしてます。
 右手の無い子が居ました。運動会のダンスの練習に、その子はいつも参加しませんでした。「何で参加しないの?」と聞くと、どうやら「自分は右手が無い。なのにダンスの中で右手を何度も上げなくてはいけない。だからみんなと同じ様に踊れる訳がない。だったらダンスなんてやりたくない…。」という話でした。
 それをほかの子達に話すと、「じゃあみんな左手を上げればいいよ」、「もう1回左手で覚え直そうよ」と言ってくれました。1回右手で覚えてしまったので、中々癖が抜けずに苦労する子もいましたが、当日にはなんとか間に合い、皆で左手を上げて踊りました。みんなが揃って踊れた時は、涙が出ました。
 子どもの考え方って、ときには残酷なこともあるけど素直で優しくて、本当にいいものです。仕事してると辛いことも苦しいことも沢山あってもこういう子どもたちの優しい気持ちに触れると、苦労も疲れも吹き飛んでしまいます。いい仕事につけたなと思います。

今日のお話 1月7日(木)

    坂東眞理子の名言

  人生とは選択の連続です。

  一つのものを選ぶということは、

   一つのものを捨てるということ。

  すべてが手に入ることなどありません。

  今やっている仕事。

  それはベストではないかもしれない。

  もっと自分に向いた仕事は

  あるかもしれない。

  でも、探し歩くばかりでは

  前に進むことはできません。

  この仕事を一生かけて頑張るんだ。

  自分はこうやって生きていくんだ。

  そんな覚悟をもつことです。

ちょっといい話 1月6日(水)

泣ける映画と本のホームページより

 子どもに励まされた話1 

 小5の息子に励まされた。
 先日、いろんな事の失敗の積み重ねで落ち込んでいた時にポロっと「今日は本当に最悪の日かも……。落ち込む〜〜。」と言ったところ、「でもさ、今日はすごくいい日っていう日もあるじゃん。最悪の日って思う日が、無ければいい日にも繋がらないんだって」とのこと。
 どうやらマンガの受け売りらしいですが、どんな日だってかけがえのない1日……と教えられた気がしました。

今日のお話 1月6日(水)

    坂東眞理子の名言

  若き頃から抱いていた夢や希望。

  それらがすべて叶うことはありません。

  希望する仕事に

  誰もが就けるわけではない。

  すぐに思い通りの結果が

  出るはずもない。

  それなのに、

  最近は我慢をすることなく、

  すぐに嫌だと言って

  仕事を辞めてしまったりする

  風潮を感じます。

  20代の頃ならまだしも、

  30代になっても40代になってさえも

  ふらふらとしている。

  あれもしたいこれもしたい。

  自分に合った仕事をしたい。

  もっと評価されたい。

  小さな理不尽さばかりに文句を言い、

  自分という存在と向き合っていない。

ちょっといい話

泣ける映画と本のホームページより

   オリオン座って知ってる? 

 病院にお見舞いに行った帰り、 前を歩いていた母子の会話。子供は小学校低学年くらいの男の子、母親は30代前半くらい。

子:「お母さん、オリオン座って知ってる?」
母:「知ってるよ。あそこにある星でしょ?よく知ってるね。」
子:「△△ちゃんがおしえてくれた。あの星って、僕とお母さんとお父さんみたいじゃない?」
母:「星が三個並んでるから?」
子:「そう。星はいつも三個一緒だからさ、僕達も三人で一緒だよね。お父さんもまた元気になって三人で暮らせるよね。」
母:「…うん」
子:「この星を見るたびにさ、これは僕達だって思うんだ。」
母:「…」

 母親は歩きながら泣いているようだった。後ろで聞いてる自分もジーンときた。父親が元気になっていればいいなと思う。

今日のお話 1月5日(火)

    坂東眞理子の名言

  「おかげさま」という言葉があります。

  いかがお過ごしですかと聞かれれば、

  「おかげさまで元気にやっております」

  と答える。

  それは、誰か特定の人のおかげ

  という意味ではありません。

  自分を取り巻く自然。

  自分とともに生活している人たち。

  そして見も知らないたくさんの人たち。

  すべての人や大自然のおけげで

  元気に生きることができる。

  つまり、人間は生かされている

  という心が日本人には

  根付いているのです。

ちょっといい話

泣ける映画と本のホームページより

   マザー・テレサの言葉って・・・

 人は不合理、非論理、利己的です。
 気にすることなく、人を愛しなさい。
 あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
 気にすることなく、善を行いなさい。
 目的を達しようとするとき、邪魔する人に出会うでしょう。
 気にすることなく、やり遂げなさい。
 善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
 気にすることなく、し続けなさい。
 あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
 気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
 あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
 気にすることなく、作り続けなさい。
 助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
 気にすることなく、助け続けなさい。
 あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。けり返されるかもしれません。
 でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
(by マザー・テレサ」)

 これはカーチャンが俺にしてきたことだ。
 俺がカーチャンにしてきたことだ。
 カーチャンに善い行いをされても次の日には忘れてた。
 カーチャンが俺のために作り上げたものを壊していました。
 カーチャンに助けて貰っても恩知らずの仕打ちをしてました。
 カーチャンがくれた最良のものを蹴り返していました。
 それでもカーチャンは気にすることなく、
 最良のものを与えつづけてくれました。
 ごめんよ。ありがとう。カーチャン....

今日のお話 12月28日(月)

    坂東眞理子の名言

  人生の理不尽さに遭遇したとき、

  やがて日本人はこう口にします。

  「しかたがない」と。

  この言葉の中に私は、

  日本人の強さと生きる知恵を

  みる思いがするのです。

  「しかたがない」という言葉は、

  英語のなかにはありません。

  「しかたがない」と日本人が呟けば、

  アメリカ人はこう言います。

  「どうして諦めるんだ。逃げてはいけない。

  どんな過酷なことがあったとしても、

  ベストを尽くせば

  必ず立ち直ることができる」と。

  日本人は、けっして諦めの気持ちで

  この言葉を発しているのではありません。

  この世の中には

  人知を超えたものがある。

  自分の力では

  どうしようもないことがある。

  「なんで自分が」と思うことが

  人生には必ず起こる。

  そのことに抗っていても

  道は見えてこない。

  まずは受け止めること。

  理不尽さや過酷な状況を

  心でしっかりと受け止め、

  そこから覚悟を決めて

  歩き始めること。

  その覚悟こそが、

  日本人の底力なのだと

  私は思っています。

ちょっといい話

泣ける映画と本のホームページより

  「野球、ごめんね」

 幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
 ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
 俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。
 そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

今日のお話 12月24日(木)

    坂東眞理子の名言

  夢は現実的なものである

  必要はありません。

  「いつまでに何をすべき」という、

  将来を線引きしてしまうような計画は、

  自分の未来を狭くしてしまいます。

  その通りにならなくてもいいのです。

  必要なのは、自分を励ますための

  楽観的な未来図です。

ちょっといい話 12月22日(火)

  「仕事」  上所 重助 

1仕事は自分から「創る」べきで、与えられるべきでない。

2仕事とは先手先手と「働き掛け」ていくことで、受身でやるものでない。

3「計画」を持て。長期の計画を持っておれば、忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる。

4「自信」を持て。自信がないから、君の仕事には迫力も粘りもそして厚味すらない。

5頭は常に「全回転」八方に気を配って一部の隙もあってはならない。サービスとはそのようなものだ。

今日のお話 12月22日(火)

    坂東眞理子の名言

  夢を持っているかどうかが、

  何かあったとき、

  もうひと頑張りがきくかに

  大きく影響します。

  夢はなかなか実現しないもの

  ではありますが、

  夢にさえ描けないことは

  実現することはありません。

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