最新更新日:2024/04/26
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 1月29日(金)

泣ける映画と本のホームページより

   オレオレ詐欺の泣ける話 

 ある日、叔母の家に一本の電話がかかってきた。「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、被害者の方から示談でよいとのことで、至急こちらの口座に振り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね……。」叔母はすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。なぜなら、彼女の息子は5年前に事故で亡くなっていたからだ。
 「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」叔母はその声を聞いてハッとした。死んだ息子の声とそっくりだったからだ。まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。叔母は電話を切ることができず、しばらく息子にそっくりな電話の声に聞き入った。そして再び警察官と名乗る男に代わった。
 「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね……。」再び息子と名乗る男に代わった。「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」叔母は現実に戻り、やっとのことで真実を話した。「あのね、私の息子は5年前に死んでるの」電話の声がパタリと止まった。
 気まずい空気が流れた。しばしの沈黙の後、電話が切られようとしたその時、「ちょっと待って!あなたの声、息子とそっくりなの。電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら」しばらくして電話の主は、こう言って電話を切った。
 「母さん...」

今日のお話 1月29日(金)

    養老 孟司の名言

  人生でぶつかる問題に、

  そもそも正解なんてない。

  とりあえずの答えがあるだけです。

ちょっといい話 1月28日(木)

泣ける映画と本のホームページより

  生まれてきてくれてありがとう 
          代わりにあなたに言わせてもらいます   

 泣ける話になるかどうかはわからないけど、誰かに聞いてもらいたい。
 私は母親です。出産後、まもなく子どもが小児がんだとわかり、入院生活が始まりました。小児がんの中でも難しい症例で、1歳の誕生日を迎える事は難しいだろうと言われました。厳しい闘病生活も、何も知らない赤ちゃんってすごいです。普通に笑ってけろっとしてました。でも、すごく頑張ったけれど病気は治らず息子は、たった1年半でこの世を去りました。息子の最後の1ヶ月は痛みとの闘いでした。わずか1才の息子にモルヒネを飲ませるなんて……。亡くなる直前、腫瘍は全身に転移して昏睡状態になりました。動けない息子の体を撫で、大丈夫だよ、大好きだよってばかみたいにそればっかり繰り返しました。アンビューで自発呼吸が戻らなくなった頃、「お母さん、最期に抱っこしますか?」と聞かれました。頷き息子の体を抱き上げました。お腹は腹水でぱんぱんに膨れ上がり、腫瘍熱で体は40度を超すほど熱く手足は氷のように冷たい、小さな体を抱いた。
 よく頑張ったね、私をあなたのお母さんにしてくれてありがとう。あなたが生まれてきてくれた事は、私の人生で一番の幸せだったよ。大変な事もいっぱいあったけど、ほんとに楽しかった。助けてあげられなくてごめんね。偉かったね。ママの自慢の○○。生まれてからたった1年半。そのほとんどが闘病でした。髪の毛もまゆげもまつげもつるつるになるほど治療したのに結局治せなかった。あんなに苦しい思いをさせてごめんね。私があなたを産まなければ、あなたがこんなに苦しむ事はなかった。だけど、勝手でごめんね。きっと運命だったんだって思うんだ。あなたに出会わない人生なんて絶対なかった。私は本当に、本当にあなたの事が大好き。あなたのママになれて、最高にハッピーです。
 火葬の時、あなたの体を担いで逃げようと本気で思ったよ。人の目ばっかり気にして生きてきたけど、誰に何て言われてもいいって、初めて思った。だけど、あなたの体を見て、あぁ、もうここには居ないってすとんと何かがわかったの。骨になったあなたと家に戻り、骨壺を開けてひとかけら食べちゃった。また一つになりたかったのかな。
 母親の愛情ってすごいです。親って、子どもが思うよりも未熟で、みっともないくらい勝手だから子どもの立場から見ると腹が立つ事も多いと思う。無事に生まれてくれればって思ってたのに、五体満足で生まれてしまえば今度はどんどん欲が出てくるんだよね。
 だけど、子どもを生んだ時、その子を初めて抱いた時のことを忘れる母親はいないと思う。子どもを置いて出てったとしても、認知症で記憶をなくしたとしても、きっといつか見た幸せな夢のようにずっと体に染み付いてる。どれだけその命が祝福されて生まれてきたか、生きていてくれる事がどれだけありがたいか、もし、ここをみてるあなたのお母さんがそのことを伝え忘れているのなら私が代わりに言わせてもらいます。
 生まれてきてくれてありがとうね。私をあなたのお母さんにしてくれてありがとう。かわいくてかわいくて仕方なかった。あなたが笑ってくれたらそれだけで疲れなんてとんでったよ。
 生きていてくれてありがとう。あなたは、私に対して後悔なんてする事ないんだよ。なんにも心配しなくて大丈夫。幸せになる道を選んで生きてください。あなたの幸せが、なにより私の幸せです。

今日のお話 1月28日(木)

    養老 孟司の名言 

  若い人の弱点は、

  今の自分で世界を考えたがること。

  自分が変われば、

  世界も変わることに気付いていない。

□ 養老 孟司 プロフィール
 神奈川県鎌倉市出身の解剖学者、東京大学名誉教授、作家。400万部を超えるベストセラーとなった「バカの壁」の著者として知られる人物であり、人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという「唯脳論」の提唱者。一般的な心の問題や社会現象を脳科学、解剖学をはじめとした医学・生物学領域の知識を交えながら解説することによって多くの読者を得ており、一般向け著書を数多く発表している。農林水産省食料・農業・農村政策審議会委員、京都国際マンガミュージアム館長、NPO法人「ひとと動物のかかわり研究会」理事長などを歴任。

ちょっといい話 1月27日(水)

泣ける映画と本のホームページより

   しあわせ運べるように

 阪神大震災のとき、同級生6人が亡くなった。翌年、俺たちは6人の遺影を抱いて、卒業式を迎えた。そして、卒業証書の授与。最初に、生き残った生徒への授与があり、続いて、亡くなった6人への授与。亡くなった生徒には本来授与されないのだが、校長の判断で特別に授与されることに。
 6人の名前が一斉に呼ばれ、保護者or親戚(保護者も亡くなっている場合)と一緒に、
亡くなった生徒と生前、特に仲の良かった者が遺影を抱いて、壇上に登る。俺も1人の遺影を抱いていた。そいつの家は家族5人が全員亡くなり、祖父母が代わりに卒業式に出席していた。会場のあちらこちらから鳴咽や号泣が聞こえ、俺自身も壇上で泣いていた。
 授与が終わったあと、全員で「しあわせ運べるように」を合唱した。

     「しあわせ運べるように」

   地震にも負けない 強い心をもって、
   亡くなった方々の分まで
   明日を大切に生きて行こう
   傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
   やわらかな春の風のような
   希望を胸に
   響き渡れ僕たちの歌
   生まれ変わる神戸の街に
   届けたい私たちの歌
   しあわせ運べるように

今日の言葉 1月27日(水)

    塩沼亮潤の名言

  いま、私がとても大切にしている

  3つの生き方があります。

  ひとつは今日より明日、

  明日より明後日と

  日々向上する心です。

  2つめはどんな人に対しても

  敬意をもつこと。

  3つめは

  怒らない努力です。

  とてもあたり前のことですが、

  周囲の人が驚くほど、

  光ある道へと縁がつながっていきます。

ちょっといい話 1月26日(火)

泣ける映画と本のホームページより

   兄の声

 私には二歳で病死した兄がいる。私は兄の死後に生まれた為、兄の事は全く知らないんだが、何回か兄に会った(?)事がある。中学生の時、両親と折り合いが悪くて、今思うと恥ずかしいくらいにグレた。同じような友達や先輩とつるむようになり、女の先輩から初めて煙草を渡されて「吸ってみろ」と言われた。受け取って口に咥えた瞬間、先輩の形相が急に変わり、男の声で「何やってんだ!」と怒鳴られてビンタされた。私も唖然としたが先輩も「えっ!?私何でアンタ殴ったの今!?ごめんね!えっ!?」と混乱していた。結局煙草は吸ってないし、その後そういう仲間との付き合いも断った。
 高校時代に付き合ってた彼氏が寝てる時、寝言で普段の彼氏ではない声で「こいつは駄目だ、別れなさい」と言った。怖くなって別れた後、友達からそいつが二股かけていた事を聞かされた。就職してから付き合った彼氏もやはり同じように寝言で、あの声で「この人なら大丈夫、幸せにしてくれる」と言った。今、その人と婚約中で来年式を挙げる。
 夢に出たり姿を見る事は無いが、私にはあの声は兄だ、という確信がある。
遺影の兄は二歳のままだが、きっといい男になって側にいてくれているんだと思う。

今日のお話 1月26日(火)

    塩沼亮潤の名言

  人は誰でも一人では

  生きていけませんし、

  それぞれに辛いこと苦しいこと、

  そしてさまざまな迷いを

  抱えながら生きていかねば

  ならない時もあります。

  そんな時こそ、自分一人だけが

  苦しいと悲観的にならず、

  世の中にはもっと苦しい思いや

  悲しい思いをしながらも

  頑張っている人達がいるんだ

  と自分に言い聞かせ、

  みんな共に生きているんだ

  という思いやりの心をもち、


  笑顔を心がけることです。


ちょっといい話 1月25日(月)

泣ける映画と本のホームページより

   弟の物語

 弟がまだ6歳の時の話。弟と私は12才離れてる。凄く可愛い。だけど私は遊びさかりだったし、家に居れば父と母の取っ組み合いのケンカに巻き込まれて、それが嫌でほとんど家には帰らない日々だった。6歳の弟は、毎日淋しかっただろう。
 ある日家に帰ったら、酒ばかり飲んで人の顔を見れば殴る父が座って1冊のノートを見ながら泣いていた。私もノートを覗き込んだんだ。そしたらね、父が急に「ごめんな」って言うの。よく見たら弟が拙い字で物語を書いてた。
 僕には楽しいパパ、優しいママ、いつも笑顔のお姉ちゃんがいる。いつも皆でおいしいご飯を笑いながら食べる。毎週日曜日は家族でお出かけをする。僕は皆にいつもいい子されて幸せいっぱい。毎日笑顔がいっぱい。
 そんなような事が沢山書かれてた。普通なら当たり前なのに、私の家では出来ていなかった事が想像で沢山書かれてた。紛れもなく弟の夢が書かれてた。父と泣いて読んだ。母がパートから帰ってきて母も読み泣いた。その日の夜は揃って鍋をした。弟は初めての体験。凄い笑ってた。凄い喜んでた。父も母も私も照れながら笑った。
 それから少しづつ弟の物語は現実になった。今では笑顔沢山の家族になりました。弟の物語はあれ以来書かれなくなった。

今日のお話 1月25日(月)

    塩沼亮潤の名言

  過去を追うな

  未来を願うな

  過去はすでに捨てられた

  そして未来はまだやってこない

  だから現在のことがらを

  それがあるところにおいて観察し

  揺らぐことなく

  動ずることなく

  よく見極めて実践せよ

  ただ今日なすべきことを

  熱心になせ


ちょっといい話 1月22日(金)

泣ける映画と本のホームページより

   痴呆の末に亡くなった母……。母の日記に残されていた言葉  掲載 

 痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。よくあんな小さな洋服を……。そして古ぼけた大学ノートが数冊。
 若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。母は若い頃に子宮の病気をしていたのだった。「神様、お願いします。子宮を取らないで下さい。わたしは子どもを産んでみたいのです。自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」そして数年後身ごもった子供がわたしだった……。
 亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち、母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
 ごめんね。ごめんね。ごめんね。こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は……。古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。もう一度会いたい。会いたいよ……。

今日のお話 1月22日(金)

    塩沼亮潤の名言

  人間は自分が苦しくなると、

  他人のことを考えなくなったり、

  自己中心的にものごとを考えて

  勝手気ままに立ち振る舞ったりして

  しまうことがあります。

  そんな生き方では

  周りの人は喜びませんし、

  それがまわりにまわって

  自分自身に返ってきてしまいます。


ちょっといい話 1月21日(木)

利ちゃんのちょっといい話より

   幸福の7カ条   

 水木しげるさんといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる日本を代表する漫画家です。 90歳を超えた現在も、なお新作漫画を発表し続けており、近年では、妻・布枝さんの『ゲゲゲの女房』がドラマ化、映画化されるなど話題に事欠きません。そんな水木さんが、著書『水木サンの幸福論』のなかで、「何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、幸せになるための知恵」を七か条にまとめています。
第1条:成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第2条:しないではいられないことをし続けなさい。
第3条:他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第4条:好きの力を信じる。
第5条:才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第6条:怠け者になりなさい。
第7条:目に見えない世界を信じる。
                 水木サンの幸福論 (角川文庫) より

今日のお話 1月21日(木)

    塩沼亮潤の名言

  もし人生において自分の気まま

  わがままばかりが通り、

  自分の思いが次から次へと

  叶っていったなら、

  どんな人間になって

  しまうでしょうか。

  おそらく人の痛みや

  悲しみがわからずに

  多くの人を傷つけてしまったり、

  決してみんなから慕われ、

  心から尊敬されるような存在には

  なれないと思います。

  人生には良いことも悪いことも

  半分半分に訪れるからこそ、

  自己の成長があるのだと思います。

ちょっといい話 1月20日(水)

泣ける映画と本のホームページより

   子どもに励まされた話 

 保育士してます。卒園式のピアノ曲がうまく弾けなくて、毎日職場で夕方練習していました。いつもその様子を、子どもたちがまわりに座って黙って見ていたのですが、ある日いつもの様にピアノの蓋を開けてみたらびっくり。蓋の内側に「〇〇先生頑張って!」 「沢山練習して上手になってね!」と書いた折り紙のメダルが沢山貼ってあったのです。
 元々ピアノは得意でなく、練習にも息詰まってたので本当に嬉しかった。もう4年経ちますが、いまでも当時の楽譜と一緒にファイルに挟んで大切に持ってます。

今日のお話 1月20日(水)

    塩沼亮潤の名言

  人には、

  あらゆる可能性があります。

  善く生きる可能性もあるし、

  悪く生きる可能性もある。

  どちらに転ぶかは、

  すべては自分の心次第です。

  どんなに困難なことでも、

  目の前にあることから逃げずに、

  精一杯取り組むこと。

  そして、縁を大切にし、

  与えられた仕事を、

  心をこめて精一杯させていただく。

  そうすると、

  必ず道が開けていきます。

ちょっといい話 1月19日(火)

 泣ける映画と本のホームページより

 携帯解約   

 嫁さんのお父さんが亡くなった。ガンだった。嫁さんは最後の1ヶ月付きっきりで看病し、病院で寝泊まりしていた。嫁さんにしてみれば、ソレほどに愛したお父さんだった。 葬儀が済み、49日も済んで納骨した後、彼女はお父さんの携帯の解約に行った。それに俺も付き添った。携帯ショップに到着し、書類を書いて、店員さんが解約の手続きを行う。「ではこれで解約となります。ヨロシイですか?」と確認したら、嫁さんが、「チョット待って下さい」と言い、自分の携帯からお父さんの携帯に電話した。
 誰も出るはずがない電話。そのうち留守電に切り替わる。
 「お父さん 今まで本当にありがとう。ワガママな娘だったけど、許してね。私お父さんの娘で本当に幸せでした。さようなら」
と留守電に登録した。
 嫁さん・俺・ショップの店員さん、みんな泣いてました。

ちょっといい話 1月18日(月)

泣ける映画と本のホームページより

   未送信のメール   

 去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えて、まずメールを送ったが返事はこなかった。
 そして、その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
 葬式後、父の携帯に未送信のこのメールを発見した。最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。私の一生の保護メールです。
 「お前からのメールがやっと見られた。返事に何日もかかっている。お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。孫が生まれたら毎日子守してやる。」


今日のお話 1月18日(月)

    塩沼亮潤の名言

  厳しい状況下で、
  職場環境や人間関係で
  悩んでいる人も多いと聞きます。
  私も修業時代に、
  ある一人の僧侶を理解できず、
  悩んでいた時期がありました。
  今ならばマイナスの出来事を
  試練と受け止め、
  プラスに転じることが
  できるのですが、
  若いころの自分は、
  頭でわかっていても
  なかなかできません。
  心がすっきりしないまま、
  迷いの渦の中で苦しんでいたのです。
  しかし、
  あきらめずに努力していると、
  心の中に変化が起きました。
  「今までこの人を
  受け入れられなかったのは、
  自分の心が小さいからなのだ」。
  そう心の底から思えた瞬間に、
  その人に対して素直に
  やさしさを表現することができました。
  するとその人からも、
  やさしい言葉が
  返ってくるようになりました。
  そして「この人がいたからこそ、
  自分は成長できた」と、
  心から感謝できるようになったのです。
  マイナスだと思うことを、
  自分の成長だと思い、感謝する。
  それが自然にできるようになってから、
  私の人生は180度好転しました。

ちょっといい話 1月15日(金)

中日新聞 くらしの作文(2016.1.14)より

   早く寝る理由(9歳) 

 私は、どうして子どもは早く寝ないといけないかということを知りたい。寝る時間が少ないといろんなことがよくないといわれるけど、本当かどうかはよくわからない。大人はいつまでも起きて、テレビなど見てうらやましい。私は夜8時30分から遅くても9時までには寝る。もうちょっとテレビを見たいと思うことがある。
 新しい年になる日、近所で花火が上がる。2階の部屋の窓から見えるけど、夜中なので私は今まで見たことがない。だから今年は見たいなと、お母さんにずっと言い続けた。お母さんは笑って何も言わなかった。
 大晦日の夜になって、8時30分が過ぎていつもの「もう寝る時間」という言葉がなかったので、私はドキドキしながらテレビを見ていた。時々お母さんと時計をかわりばんこにチラッと見てはテレビを見ていた。でも11時過ぎに目が開いていられなくなった。もう少しがんばろうと思ったけど、お兄ちゃんが「もう限界」とギブアップしたので、私も寝てしまった。
 早く寝ないといけない理由はまだよくわからないけど、遅くまで起きていると、目も疲れて頭もボッとしてテレビが楽しめないことはよくわかった。
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