最新更新日:2024/05/20 | |
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ちょっといい話 3月15日
泣ける映画と本のホームページより
「危ね−だろうがババァ!」 今日、走ってくる自転車の前にふらふらと飛び出したおばあちゃんがいた。ティッシュ配りのバイト中だった私が、それに気付いて危ない!と思った瞬間には自転車の兄ちゃんが、急ブレーキかけつつ「危ねーだろがババア!」と怒鳴ってた。確かに完全にそのおばあちゃんの不注意でのことだったんだけど、でもそんなキツイ言い方しなくても…と思い、思わず2人の間に割って入ろうとした。んだけど、私が「ちょっと…」って言いかけたその時にその兄ちゃんは、「おめぇーが死んだら、おめぇの孫とかじじいとか悲しむだろが!!」と。は??あまりにも予想外だったその言葉に、私含め周囲は思わずポカーン。で、謝るおばあちゃんにその兄ちゃんは更に、「うるせーな、いいから荷物かせ!カゴに入れてってやっから貸せ!つーか、ケガねぇのかよババア!ああ!?」と、脅してんのか気遣ってんのかわかんない発言。結局その兄ちゃんは、大事そうにおばあちゃんに付き添って来た道を引き返していった。カゴにはおばあちゃんの荷物。私はティッシュ配りながら2人をコッソリ見送ってたんだけど、おばあちゃんと兄ちゃんは何か色々喋ってるみたいでおばあちゃんも笑顔だった。 20分ぐらいしてから、再度自転車で戻って来たその兄ちゃんにティッシュ渡しながら 「優しいですね」って言ったら、「別に優しくねーよ!」とちょっと怒ったみたいに言われた。でもその後で小声で、「ババアやジジイを大事にすんのは、別に優しいとかじゃなくて普通のことだろがよ」と言ってるのもちゃんと聞こえた。しかもちょっと顔が赤かった。 本気で惚れそうになった。 今日のお話 3月15日
渡辺和子の名言
どうしても 咲けない時もあります。 雨風が強い時 日照り続きで咲けない日 そんな時には 無理に咲かなくてもいい。 その代わりに 根を下へ下へと降ろして 根を張るのです。 次に咲く花が より大きく 美しいものとなるために。 ちょっといい話 3月14日
泣ける映画と本のホームページより
じいちゃん、今日だけは「男は泣くな!」と怒らないでくれよ! 小学3年生の頃、僕はお祭りで買った金魚をメメちゃんと名づけ可愛がっていた。ある朝、いつものように餌をあげようとして水槽をみると、メメちゃんは、おなかを見せて水面にぷっかり浮いていた。そう。死んじゃったんだ。僕は泣いて泣いて、「今日は学校にいかない」って駄々をこねた。そうしたら、じいちゃんが、「金魚ごときで男が泣くな!早よ、学校へ行け!」と怒って僕をゴツンと殴った。「じいちゃんは冷たい人間だ!」と言って僕は泣きながら、学校にいった。 学校から帰ってくると机の上に手紙があった。それは金魚のメメちゃんからだった。 「健ちゃんへ 天国で健ちゃんの事を ずっと見守っています 私は健ちゃんといて 幸せでした ありがとう 金魚のメメより」 そう書かれていた。その字は、じいちゃんの字にそっくり。3年生にもなって、金魚から手紙がくるなんて思ってなかったけど、じいちゃんの気持ちが本当に嬉しかった。 あれから20年。今日は、じいちゃんの葬式だ。あのときの「天国で健ちゃんのことをずっと見守っています」という、手紙を思い出し、僕は流れる涙をとめられなくなってしまった。 じいちゃん、今日だけは、「男は泣くな!」と怒らないでくれよ。 ちょっといい話 3月11日
朝日新聞デジタル(2015.3.11)
東日本大震災追悼式(4年目)宮城県遺族代表 菅原彩加さんのことば 私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。 そんな体験から今日で4年。 あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。 しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。 震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。 最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。 今日のお話 3月11日
渡辺和子の名言
人はどんな場所でも 幸せを見つけることができる。 ちょっといい話 3月10日
ダイヤモンド・オンラインより
子どもの記憶力がアップする正しい褒め方 質問です。子どものテスト結果が良かった場合、効果的なほめ方はどちらでしょうか? A 「頭がいいね」 B 「よく頑張ったね」 これはコロンビア大学のミューラー教授による実験の結果です。無作為に選んで分けた 2組の子どもたちのグループに対してその実験は行われました。両グループ共通のテストを行い、一方のグループには成績が良かった子どもたちに対して「頭がいいね」と元々の能力を称えたのに対し、もう一方のグループの中で成績が良かった子どもたちには「よく頑張ったね」と努力を称えるほめ方をしたそうです。 その後数回行われたテストの結果より「頭がいいね」と言われたグループの子どもたちはテストの目的が良い成績をとることのみになってしまい、テストの結果は自分の能力次第と考えるようになったそうです。一方、「よく頑張ったね」と言われたグループの子どもたちは、その後も粘り強く努力を継続するようになったということです。 ここからも、粘り強く努力を続けられる子どもに育てるためには、ある結果にたどり着くまでの過程の努力を称えることが重要なのだと理解できます。 池田義博 [一般社団法人日本記憶能力育成協会代表理事兼会長] 今日のお話 3月9日
鎌田實の名言
他人のために生きるといっても、 それは1%でいい。 1%だけ誰かのため、 他人のために生きてみるのである。 一生懸命、他人のために生きようとすると どこかで無理が生じて、 結局、長続きしない。 1%でいいと思うから、 無理なく自然に続けることができる。 児童に対する犯罪の未然防止対策 3月8日
愛知県警察本部生活安全部子ども女性安全対策課より「児童に対する犯罪の未然防止対策」の資料をいただきました。
ご家庭でもご活用ください。 http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018... |
犬山市立楽田小学校
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