最新更新日:2024/05/02
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

トイレピカピカ大作戦 準備 1月15日(金)

 PTAの役員の方が、明日のトイレピカピカ大作戦に向けて昨日準備をしてくれました。
 これで、明日の活動がスムーズに行くと思います。
 ありがとうございました。
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今日の給食 1月15日(金)

 今日の給食は、「牛乳、ご飯、マーボー大根、バンバンジーサラダ、りんご」でした。 大根は、国内では「古事記」にも記載がみられるほか、春の七草「すずしろ」としても知られ、最も古くから親しまれる野菜の1つです。品種は青首系と白首系の2つが中心で、そのうち流通の主流は、根の上が淡い緑色の青首大根です。12月から3月まで青首大根の集荷が一番多い時期です。今回の大根は犬山こども食育応援団の方が育ててくれた大根です。
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避難訓練 1月15日(金)

 3時間目に、「理科室から火災が発生した」という想定で、避難訓練を行いました。
 全員が避難した後、消防署の方から「おはしも」についてお話をしていただきました。

 「お」…おさない
 「は」…はしらない
 「し」…しゃべらない
 「も」…もどらない

 避難訓練の後、5年生は消火器訓練、6年生は煙道体験を行いました。消火器の使用方法や煙道体験を通して、初期消火の方法や煙からの避難の方法がわかったことと思います。
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6年生 体育 1月15日(金)

 1時間目にグランドで、6年生が体育の授業を行っていました。
 さすが、6年生。みんなで声を掛け合いながら、とってもリズムよく大繩を跳んでいました。
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3年生 社会「古い道具と昔のくらし」 1月15日(金)

 1時間目に3年生が、社会の「古い道具と昔のくらし」について学習しました。
 今日は、プールの東側で「七輪・マメタン」を使ってポップコーンを作ったり、「洗濯板とたらい」を使って靴下を洗濯したりしました。
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1年生 1月15日(金)

 1時間目に1年生が、生活科の「冬の遊び」で凧揚げをグランドで行いました。
 みんな一生懸命走っていました。
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6年生・なかよし・えがお 朝読みおれんじ 1月15日(金)

 朝読みおれんじの方に、1組は「名古屋弁重要単語熟語集」、2組は「葉っぱのフレディーいのちの旅ー」、3組は「子どもに伝える日本国憲法」、4組は「花さき山」、なかよし・えがお学級は「だれがすんでいるのかな」のお話をしていただきました。
 「静かに聞いてくれた。子どもたちが名古屋弁をあまり知らないことがわかりました。」(1組担当の方)との感想をいただきました。また、なかよし・えがお学級の担当の方からは「皆絵本に興味をもってくれました。ゴミの中にネズミがいたことは、みんな気付いていなかった。」との感想をいただきました。
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4年生 朝読みおれんじ 1月15日(金)

 朝読みおれんじの方に、1組は「てぶくろ」、2組は「つるのおんがえし」、3組は「ばすくん」、4組は「十二支のはじまり」のお話をしていただきました。
 「大変礼儀正しく聞いてくださりありがとうございました。」(1組担当の方)との感想をいただきました。
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2年生 朝読みおれんじ 1月15日(金)

 朝読みおれんじの方に、「たぬき塚」、「やぎとライオン」のお話をしていただきました。
 「本がないので、1人1人の顔を見ながら語ることができました。顔の表情が変わってくると、お話がわかってくれているのかなと思い、うれしく感じました。」(3組担当の方)との感想をいただきました。
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今日のお話 1月15日(金)

    塩沼亮潤の名言

  辛いときや調子が悪いときほど、

  攻めの姿勢で向かったほうがいい

  と考えています。

  そのときに必要なのが、

  ゆとりです。

  例えば山で行をしていると、

  5分の遅れが命取りになります。

  5分遅れると、それを取り戻すのに

  非常に時間がかかるのです。

  無理に頑張ると、

  いろいろな所にひずみが生じ、

  体調を崩す原因にもなります。

  逆に5分でも余裕を持って臨むと、

  その5分のゆとりが心のゆとりになり、

  小さな気づき、

  悟りにつながる可能性があります。

1月15日(金) 朝

 7日の新春の集いで3人の子どもが、「新春の誓い」を発表しました。習字で書いた3つの「誓い」(「一生懸命」「夢の実現」・「七転八起」)が、南舎の中央脱履に掲示してあります。

 どの言葉もすばらしい言葉です。3人の代表だけでなく、全員で意識して生活していきたいですね。

 今日は、朝読みおれんじの方に2・4・6年生が読み聞かせをしていただきます。また、3時間目に避難訓練が予定されています。
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ちょっといい話 1月14日(木)

骨肉腫と私+αより

   雪とパイナップル 

 医師・鎌田實さんの絵本「雪とパイナップル」【鎌田實(著)唐仁原教久(画)集英社)。2004年出版なので、読んだ人も多いと思う。私はあらすじは知っていたが、最近やっと本を読んだ。死にたいと思ってしまう私が、どうしたら生きていけるのかヒントをもらった。未読の方のため、内容を紹介すると(ネタばれすみません)――
 1986年チェルノブイリ原発の爆発事故後、周辺地域で子供の甲状腺がん、白血病が増えた。鎌田さんの医療ボランティアグループはソ連に行き、政府から貧しいベラルーシ共和国の支援を頼まれる。そこで治療した子供たちの中に、急性リンパ性白血病の男の子アンドレイ君(享年14)がいた。アンドレイ君の白血病は日本から持ってきた抗がん剤が効かない、難治性のものだった。そこで、ベラルーシではやったことのない骨髄移植を行うことになった。移植前に、がん細胞をなくすため、大量の抗がん剤を投与する。免疫力が落ち、敗血症で死にかけたが、なんとか移植が行われた。しかし10か月後再発。アンドレイ君は、両親やドクターたちの気持を知っていたから、絶対に病気に負けたくなかった。何度も奇跡的に命を取りとめた。しかし、しだいに抵抗力がなくなり、2000年7月に亡くなった。
 彼が亡くなってしばらくして、鎌田さんはアンドレイ君の家を訪れた。歓迎されないことを覚悟して。でも母親は、ヤヨイさんという看護師の話をして、鎌田さんにも感謝してくれた。ヤヨイさんは、移植後に熱と口内炎で全く食事ができなくなったアンドレイ君に、「何なら食べられる?」と聞いた。「パイナップル」と彼は何度も聞かれて小さい声で返事をしたそうだ。ベラルーシでは、2月にパイナップルなど売っていない。でもヤヨイさんは、マイナス20°の雪の町へ、パイナップルを探しに何日も続けて出かけた。母親は「あるはずのないパイナップルを探して雪の町を歩き回ってくれた彼女のことを考えると、人間ってあったかいと思った」と語る。
 結局パイナップルは見つからなかったが、奇跡が起きた。日本人女性がパイナップルを探していると、うわさが広がり、パイナップルの缶詰を持っている人が病院に届けてくれたのだ。生ものは危険なので、缶詰でちょうど良かった。パイナップルを食べられたのをきっかけに、アンドレイ君は食事がとれるようになった。そして元気を取り戻した。
 母親はアンドレイ君が病気になってから、「なぜ私たちだけが苦しむのか、何も悪いことをしていないのに」と恨み、生きている意味も見えなくなったという。でもヤヨイさんのおかげで、最愛の子供を失った悲しみの中で、忘れていた感謝する心がよみがえってきたそうだ――。

PTA合唱 1月14日(木)

 18時30分から音楽室で、PTA合唱の練習を行いました。
 さすが大人の集まり。とっても雰囲気もよく、心をひとつにして練習ができました。さらにすばらしい合唱を創り上げていきたいと思います。

 子どもたちに、大人のすごさを見せたい……。
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今日の給食 1月14日(木)

 今日の給食は、「牛乳、ご飯、サバのしょうが煮、白菜のおかか和え、麩玉汁」でした。
 しょうがの語源は、中国での漢方の生薬名「生姜(しょうきょう)」からきています。漢方では、根しょうがの新鮮なもの生姜(しょうきょう)、乾燥させたものを「乾姜(かんきょう)」と呼び区別しています。生姜には体を温め、発汗させる作用やせきを鎮める作用があります。また、特有の香りと辛みがあります。その成分には、魚の臭み消し効果があります。
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1時間目グランド 1月14日(木)

 1時間目にグランドで、1年生・4年生が体育の授業を行っていました。どちらの学年も、縄跳びを行っていました。
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今日のお話 1月14日(木)

 1月14日は、「タロ、ジロの日」です。
 1958(昭和33)年、南極観測の第2次越冬隊は厚い氷に行く手を阻まれ観測を断念。  1次越冬隊員は救助されたものの、15頭の樺太犬は南極に取り残されました。 しかし、1959年のこの日、タロとジロ、2頭の生存が確認されました。

 この記念日は、「愛と希望と勇気の日」とも呼ばれています。

1月14日(木) 朝

 北舎南側の学年花壇の様子です。隅にパンジーしか見えませんが……。
 来年度の入学式に向けてチューリップも植えてあります。

  置かれたところこそが
  今のあなたの居場所なのです。
  咲けない時は
  根を下へ下へと
  降ろしましょう。

 今日は、6時間目にクラブが予定されています。
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ちょっといい話 1月13日(水)

  すごい父に拾われた   鎌田 實

□ 鎌田 實 プロフィール
1948年東京生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県茅野市の諏訪中央病院医師として、患者の心のケアまで含めた地域一体型の医療に携わる。88年同病院院長に就任し、2005年から名誉院長。同時に東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部非常勤教授も務める。また、91年からチェルノブイリ事故被災者の救援活動を開始し、94年信濃毎日新聞賞を受賞。04年からイラクへの医療支援も開始し、4つの小児病院へ毎月400万円の薬を送り続けている。

 ぼくは拾われた子どもです。終戦5年目の1950年、生みの親が捨てた1歳のぼくを、亡き父、岩次郎がもらってくれた。37歳、諏訪中央病院の副院長だった時に、偶然、その事実を知りました。好きになるのに40年もかかったけれど、岩次郎という男の存在がぼくの核をなしています。
 岩次郎は青森県花巻市(現・黒岩市)で貧農の末っ子として生まれ、小学校しか出ていない。18歳で上京し、公営バスなどの運転手で生計を立てます。バスの車掌だった母のふみと結婚しますが、居を構えた東京都杉並区の家は6畳二間と3畳、お勝手。はじめはお風呂もなかった。
 ぼくが小学校に上がる前、母が僧坊弁狭窄症(そうぼうべんきょうさくしょう)という心臓病を患います。入退院を繰り返した先は、日本で唯一の心臓病専門病院だった、東京女子医大付属日本心臓血圧研究所(心研)でした。50年代、往診こそ頼めても、貧しい人が高度な医療を受けるのは大変でした。国民皆保険になるのがぼくが中学生になる61年だし、もちろん高額療養制度もない。岩次郎は、朝8時から夜まで、長い日は1日15時間も働きます。切りつめても切りつめてもお金は母の治療費に消える。疲れ切って帰り、夕食をつくれない夜は、ぼくを連れて近くの定食屋へ。ぼくはいつも、おかずに一番安い野菜炒めを選びました。
 名前の通りに頑固で、無口だけど声が大きく、津軽弁で理路整然と話す人でした。背筋が伸びて、シャンとしていた。上京した同郷の苦学生を狭い家に置いてあげたりもした。でも、ぼくが運動会の徒競走や試験で一番になっても、岩次郎は決して褒めてくれない。全力を出し切っていないって見られた。叱られて、叱られて、ぼくは育ちました。「ぼくのほうを見てよ。理解してよ」 と心でつぶやきながら。
 だからこそ、旅券申請のために取り寄せた戸籍で、父親の欄に別の名前を見た時、衝撃だったんです。血のつながっていない岩次郎が、ぼくを育ててくれていた。心臓病の母を抱えた あの貧しい暮らしの中で、「拾ってやった」 とか、恩着せがましい言葉を一度も口にせず。泣き言も言わず、弱音も吐かず。岩次郎は苦難から逃げなかった。苦しい時ほど、その苦しみを横に置いて、誰かのために生きようとした。がんばって、がんばって、全力投球で、最後は個人タクシーの運転手を70歳くらいまで務めました。
 すごい人に拾われたって思います。12年前に亡くなった岩次郎は今も、ぼくの内側でどんどん大きくなっていくんです。

伸びる城山っ子の会 1月13日(水)

 18時から、臨時の「伸びる城山っ子の会」を行いました。楽田小学校の改築の基本構想について話し合いをしました。
 校舎や体育館の改築等について、さまざまな立場・視点から意見をたくさんいただきました。
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5年生 書き初め 1月13日(水)

 5年生が、5時間目に体育館で書き初め大会を行いました。
 全員が、「明るい春」の4文字を書きました。120名あまりの子どもたちが、正座をし、集中して書き初め大会にのぞむ姿は圧巻でした。
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