ともに生きる

1年生 3時間目の授業 11月4日(金)

 定期考査3は、1・2時間目で終了し、3時間目からは通常の授業に戻りました。
 1年生の3時間目の授業の様子です。

 1組は数学、2組は社会、3組は国語、4組は音楽、5組は国語の授業でした。
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城東中 定期考査3 2日目 11月4日(金)

 今日は、定期考査3の2日目です。
 1時間目の様子です。1年生は社会、2年生は英語、3年生は数学のテストに取り組んでいました。
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今日のお話 −11月4日(金)−

   高杉晋作の名言・格言

 どんな事でも周到に考えぬいた末に行動し、
 困らぬようにしておく。
 それでもなおかつ、窮地におちた場合でも
 「困った」とは言わない。
 困ったと言ったとたん、
 人間は知恵も分別も出ないようになってしまう。

11月2日(火)の給食

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麦ご飯 鶏の唐揚げ 野菜のじゃこごま和え さつまいものみそ汁 牛乳 です。

今日は、7月に給食委員会で給食準備を早く、残食を減らす目的で行った「皆でつくる笑顔の輪 ランチタイムキャンペーン」でリクエスト権をゲットした1の1&1の3からのリクエスト「唐揚げ」のリクエストにお応えして、今月の献立にとりいれました。
 
テスト中にとってもいい香りがしてきましたね。給食室の揚げたての唐揚げを味わってください。

 和え物は、カルシウムが豊富なじゃこ、ごまを加えて和えました。かみ応えもあります。よくかむことで脳が活性化し、集中力が高まります。
 秋の味覚、さつまいもの甘み、みそ汁のだしを味わいながらいただきましょう。
今日は、煮干しからだしをとっていますよ。

 4日(金)は、2の4からのリクエストメニューをとりいれました。お楽しみに♪

ちょっといい話

   小児がんだった息子の願い 

 歳の離れた弟は体が弱く、小さい頃から何回も入院を繰り返していて、見舞いにいくことがよくありました。同じ病室には小児がんでずっと入院している子が何人かいて、特別人懐っこいA君と僕は弟と同じくらい可愛がっていました。A君は病室から出たことがなく、A君のご両親曰く、病状も思わしくない状況が続いているとのことでした。それでもご両親も、A君も、いつもとっても明るいんです。しかし、ある時期を境に、A君の病状は僕の目から見てもわかるくらいに悪化していきました。それでも病室ではA君のご両親はいつも通りに明るく振る舞い、A君も調子が悪い中でも笑顔を絶やしていませんでした。「本当に強い家族だな…」と驚いたものですが、見舞いに行った帰りのタクシー乗り場で、A君のご両親が泣いているのを見て、僕は胸が締め付けられる思いでした。またその後、A君がベテランの看護師さんに「僕は、あとどのくらい生きられるの?」と聞いているのを聞いてしまった僕は、A君家族が病室で無理をしてでも明るく振舞っていることに気づき、涙が止まらなくなりました。それから数週間して、A君のがんはさらに重くなったようで、重症患者の病棟に移りました。その後、A君が亡くなったことをA君のご両親から聞かされました。
 大人でもその副作用に苦しむくらいですから、子どもにとっての抗がん剤治療はとても苦しいものです。A君のご両親は、「これを打てばよくなるから」と言ってA君を励まし、A君はそれを信じ、我慢して注射を打ち続けたそうです。最期、息を引き取る直前のA君は、消え入りそうな声で「注射…打って…」と懇願したというのです。「注射を打てば、よくなる」、ご両親の言葉を信じ、何度も何度も痛みに耐えて注射を打って来たA君は「また注射を打てば、自分はまだ生きられるんだ」と思って、「注射を打って欲しい」と何度も何度もご両親に頼みこんでいたそうです。「その姿が今でも目に焼き付いて離れない…」と、ご両親は目を真っ赤にして話してくれました。
 僕はA君とご両親のことは一生忘れないでしょう。

城東中 定期考査3 11月2日(水)

 今日は、定期考査3を行いました。
 3時間目の様子です。1年生は英語、2年生は国語、3年生は社会のテストに取り組んでいました。
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今日のお話 −11月2日(水)−

   高杉晋作の名言・格言

 シャクトリムシのように身を屈するのも

 いずれは龍のように伸びるためだ。

 そのためには奴隷になっても、

 下僕になっても構わない。

11月1日(月)の給食

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高菜チャーハン(自校炊飯) 愛知県産大豆と豆腐のフライ 大根の中華あえ 中華風スープ 牛乳 です。

 今日から11月に入りました。早いですね!
今月の給食目標は、「望ましい食事マナーを身につけよう」です。

お箸の使い方、食器の位置、食事のあいさつなどについて意識してみましょう。
 今月の食育だよりでも紹介しているので、見てくださいね。

高菜チャーハンは、給食室の釜で高菜漬けや玉ねぎなどの野菜を炒めてα化米を使って炊きました。
高菜は、β-カロテンやビタミンCが豊富な緑黄色野菜です。九州地方の特産物のひとつ。高菜漬けなど漬物にし長期保存ができるよう食べられてきました。

 フライの中身は、愛知県産の大豆が使われています。味わっていただきましょう。

 明日の給食では、7月に給食委員会で給食準備を早く、残食を減らす目的で行ったキャンペーン「皆で作る笑顔の輪 ランチタイムキャンペーン」でリクエスト権をゲットした1の1&1の3からのリクエストメニューをとりいれました。
 
 定期考査がありますが、みんなの大好きなメニューもありますので、がんばってください。

ちょっといい話

 ICUで僕を支えてくれたもの

 高校3年生の時、バイクで学校に向かっていて、いつもの交差点に来たときのこと。突然クラクションが鳴り響き、驚いて横を見ると、すぐ近くに大型のワゴン車が迫っていたのです。その瞬間、スローモーションになったのを今でも覚えています。「どうすればぶつからないだろうか」と考える時間はたくさんありましたが、時間としては一瞬の出来事だったようで、気づいたら体がフェンスに激突していました。すると、周りの人たちが「動かないで!」と騒ぎ始め、すぐ近くの病院に運ばれました。検査したところ、足と肩甲骨、肋骨の骨折の他に、肺が潰れていることがわかりました。緊急手術をすることになり、手術後にICUに運ばれました。両親は「助かるどうかはわかりません。命は取り留めたとしても、植物人間になる可能性もあります」と説明を受けたようです。
 ICUは無菌状態になっているため、基本的には面会はできません。そんな中で僕は過酷な治療に耐えなければいけなくなりました。24時間続く地獄のような治療に僕は心が折れかけていました。そんな孤独なICUで僕を支えてくれたのは、友達の存在でした。ICUの病室の扉には、小さな窓がついていて、その窓からたくさんの友達が僕を励ましに来てくれたのです。もちろん会話をすることはできませんでしたが、友達は筆談や、変顔で僕をたくさん笑わせてくれました。友達が来てくれている間だけは不思議と、痛みと苦しさを忘れることができました。
 後から聞いたのですが、実は僕の両親が僕が死の危険があることを告げられてから、たくさんの僕の友達に「もしかしたら最期かもしれないから、会いに来てあげてほしい」と言ってくれて、それで本当に毎日多くの友達がきてくれたそうです。
 「まず助からない」とまで言われた大怪我でしたが、気持ちが負けなかったおかげで、僕は今も生きています。高3の受験を控えた時期だったのにも関わらず、僕をはげましてくれた友達と、呼びかけてくれた両親には感謝してもしきれません。周りの人の温かさのおかげで起きた奇跡を、今後もずっと忘れずに生きていきたいです。

3年生 2時間目の授業 11月1日(火)

 3年生の2時間目の授業の様子です。
 1組は国語、2組は数学、3組は英語、4組は美術、5組は社会の授業でした。
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2年生 2時間目の授業 11月1日(火)

 2年生の2時間目の授業の様子です。
 1組は社会、2組は国語、3組は英語、4組は理科、5組は社会の授業でした。
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1年生 2時間目の授業 11月1日(火)

 1年生の2時間目の授業の様子です。
 1組は英語、2組は国語、3組は社会、4組は理科、5組は数学の授業でした。
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今日のお話 −11月1日(火)−

   高杉晋作の名言・格言

 人間、窮地におちいるのはよい。

 意外な方角に活路が見出せるからだ。

 しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。

 だから、おれは困ったの一言は吐かない。

ちょっといい話

   愛する妻と抱くことのできなかった我が子

 私の話で命の誕生というのがどれほど尊いものなのか、奇跡であるのかを感じてほしい。そして愛する妻と、愛する子どもをお持ちのお父さんは、今を「当たり前」だと思わないでほしい。私たち夫婦をおそった話を伝えることで、胸に何か響くものがあればいいと思っています。
 私たち夫婦は、結婚10年目を迎えて、ようやく待望の赤ちゃんを授かることができました。エコーに写る小さな小さな我が子に、2人で感動して涙を流したのを覚えています。「この子を大切に大切に育てよう」と、2人が親になる決心をしたのもこの頃です。妊娠中の生活は気を付けなければならないことが多く大変でした。毎日の食事面や生活面で常にお腹の子を気遣いながらの生活は、緊張感がありながらもどこかワクワクした気持ちがあって全く苦ではありませんでした。妊娠5ヶ月を過ぎて、妻のお腹がちょっとずつ大きくなるにつれて、自分が親になる実感もわいてきました。
 大きなトラブルもないまま10ヶ月が過ぎました。あの日もいつものように、笑顔で妻は健診に向かいました。もしかしたらもう産まれてくるんじゃないかと思い、ソワソワして妻の帰りを待っていました。ですが、もう妻が帰ってくることはありませんでした。この手で抱くことを10ヶ月間待ちわびた我が子にも、1度も会うことができませんでした。死因は、常位胎盤早期剥離でした。妻も大量出血により死亡しました。原因は、はっきりとはわかっていませんが、高齢出産や高血圧などの人に比較的多いとされているようです。妻は基礎疾患もなく、高血圧や糖尿にも人一倍気をつけていました。常位胎盤早期剥離は通常のエコーでも気づきにくく、早期発見は難しいそうです。
 これから家族3人になる予定だったのに、気づいたら家には私1人取り残されていました。新しく迎え入れるはずだった我が子のために用意した服やおむつ、ベッドを見るたびに涙が溢れ、胸を締め付けられます。「なんで妻が、何でうちの子が……」と、何度も自分自身に問いかけました。けれどこれは誰が悪いんじゃない。誰しもが起こりうることです。たまたま私の妻が、私の我が子が常位胎盤早期剥離によってこの世を去ってしまった。
 これから出産を控えている人にとっては不安になるかもしれません。最後まで、決して油断せずに元気な赤ちゃんを産んでください。そして無事に生まれたことは決して当たり前なんかじゃない。命の誕生は奇跡なんです。そのことを忘れずに大切に大切に育ててあげてください。

3年生 2時間目の授業 10月31日(月)

 3年生の2時間目の授業の様子です。
 1組は保体、2組は理科、3組は数学、4組は英語、5組は保体の授業でした。

 保健体育の授業は、男子は陸上運動(長距離)、女子は球技(体育館でバスケットボール、グランドでハンドボール)に取り組んでいました。
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2年生 2時間目の授業 10月31日(月)

 2年生の2時間目の授業の様子です。
 1組は英語、2組は理科、3組は家庭、4組は国語、5組は社会の授業でした。
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1年生 2時間目の授業 10月31日(月)

 1年生の2時間目の授業の様子です。
 1組は社会、2組は国語、3組は理科、4組は数学、5組は音楽の授業でした。
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10月31日(月)の給食

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ご飯 かぼちゃ型󠄀ハンバーグ 紫いもの魔女サラダ パンプキンポタージュ 乳飲料 です。
 
 今日10月31日は、ハロウィン(Halloween)です。

 給食では、食材のもつカラフルな色素を生かして、ちょっぴり怖い?おばけや夜の雰囲気を表してみました。栄養も満点で、おいしいですよ♪

 かぼちゃの鮮やかな黄色は、β-カロテンの色です。カロテノイドといわれる色素成分です。体内でビタミンAに変換されます。風邪、ウイルスから守り、免疫力を高める働きがあります。かぼちゃを切って、手作りのホワイトルウを加えポタージュスープにしました。カルシウムもたっぷりです。やさしい味がしますよ。

 サラダに使用した紫いもの色素は、アントシアニン色素です。目の愛護デーでも紹介したブルーベリーと同様に、目によい働きがあります。さつまいもは、ビタミンCや食物せんいが豊富で甘みがあります。今日は2種類のさつまいもを給食室でコロコロに切って蒸して、サラダにしました。海草類のひじきは、黒いコウモリのイメージです。
 かぼちゃの形のハンバーグとあわせ、ハロウィンメニューとしました。
手の込んだ愛情たっぷりのメニューを味わってください。

 近年日本では、仮装行列やお菓子業界の影響もありハロウィンを行事として楽しむようになってきましたが、ハロウィンは宗教的な行事で、日本のお盆のように親族の霊が帰ってくる日とされていました。
古代ケルト人が起源と考えられているお祭りで、ケルト民族の1年の終わりである10月  31日に秋の収穫祭を祝い、悪い霊を追い払って作物を守る宗教的な意味合いがある行事でした。

今日のお話 −10月31日(月)−

   高杉晋作の名言・格言

 おもしろきこともなき世をおもしろく

□ プロフィール
 長州藩士高杉晋作は吉田松陰が主宰していた松下村塾に学び、大きな影響を受けました。尊皇攘夷に傾倒し、1862年イギリス公使館焼き討ちを実行するなど過激な行動で長州藩に手を焼かせます。しかし、長州藩が外国船砲撃などで欧米諸国、幕府、朝廷の全てを敵に回してしまった時、それを救ったのは高杉晋作でした。身分に関わらず参加することのできる最強部隊、奇兵隊を結成。また長州藩代表として英・仏・蘭・米の四カ国連合軍との和議交渉をまとめました。功山寺にて挙兵し、揺れる長州藩内の意見を倒幕へと統一。そして薩長同盟を経て、第二次長州征伐では高杉が海軍総督を務め幕府に勝利しました。ところが、その時高杉はすでに肺結核に冒されており、療養の甲斐無く1867年に病没。29歳。

ちょっといい話

   父の視線

 俺の父は、俺が6歳の時に死んでしまった。ガンだった。確か年齢は34歳で亡くなったと思う。自分がまだ6歳と幼かったこともあり、父の記憶はあまりなかった。だから父のイメージは、怖いという印象しかなかった。
 父の記憶といえば、1つだけ鮮明に残っているものがあった。それはラーメン屋の中での思い出だった。父はラーメンの大盛りを1つだけ頼み、取り分け皿に俺の分のラーメンを入れてくれた。食べるのに時間がかかった。一生懸命食べたとは思うが、時間がかかった。ふと見ると、父が俺のことを見ていた。じっと見つめていた。「早く食え」と急かされているようで、少し怖かった。ちらちら父の視線を盗み見たが、父はいつまでたっても俺を睨んでいた。「何でそんなに睨むんや…」と思ったが、父の表情が何となく怖くて……、それが数少ない父の記憶だった。
 そんな俺も母に女手一つで育てられ、30になったころ結婚もし、男の子を授かった。とてもかわいく、「目の中に入れても痛くない」とはこのことかと初めて知った。先日、息子も幼稚園に入る歳になった。先週、息子を連れて2人で出かけた。昼飯時になり腹が減ったので、「何が食べたい」と尋ねたら、息子は「スパゲティが食べたい」と言った。息子はまだ食が細いのでスパゲッティの大盛りを頼み、2人でシェアして食べた。息子は一生懸命食べていた。俺は、頑張って食べている息子がとても愛おしく、ずっと眺めていた。そんな俺の視線に気づいたのか、息子はちらちらと俺の方を見ていた。普段あまり会話もない俺と息子だが、俺は息子がとても愛おしく思えた。気が付けば、いつまでも見つめていたいと感じていた。あの時の親父の視線の意味が、今になってようやく理解できた。

 父さん、ありがとう。
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学校行事
11/18 文化のつどい合唱発表会 リサイクルバザー
11/23 勤労感謝の日

お知らせ

緊急のお知らせ

食育だより

給食献立

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