最新更新日:2024/11/28 | |
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ちょっといい話
卒業式に向けて送った最後の時間割
とある中学校の卒業式の日に、先生が「卒業生に向けて贈った最後の時間割」です。 ○ 1時間後「最幸の卒業式にしよう」 ○ 2日後 「高校入試がんばれ!!」 ○ 3週間後「ここまでは中学生です」 ○ 4年後 「東京オリンピック!誰が出るかな?」 ○ 5年後 「成人式でまた会いましょう!」 ○ 宿題 「幸せになりなさい」 自分が卒業生で、卒業式当日にこの黒板を見たら……、泣いてしまうでしょうね。生徒たちの幸せを望む、素敵な先生です。 今日の給食 3月2日 〜卒業お祝い献立〜・赤飯 ・牛乳 ・鶏の唐揚げ ・小松菜のなめたけ和え ・花ふ入りすまし汁 ・お祝いケーキ です。 今日は卒業お祝い給食を提供しました。3年生は9年間の最後の給食になりました。 赤飯の赤色は邪気を払うと古くから伝えられてきました。その習慣がいまでも残り、お祝いの席で食べられています。 リクエストメニューにもよく挙がる「唐揚げ」と「なめたけ和え」の組み合わせです。 今日は約1時間30分かけて全校分を揚げていただきました。 すまし汁には、桜をイメージした花ふと、花形人参が入っています。 特別に型抜きしてもらいました。 今日は残食なくほとんどのクラスで完食出来ていました。 卒業式会場準備今日のお話 −3月2日(水)−
渋沢栄一の名言
人を選ぶとき、 家族を大切にしている人は 間違いない。 仁者に敵なし。 私は人を使うときには、 知恵の多い人より 人情に厚い人を選んで採用している。 4時間目の授業ちょっといい話
祖父の手を握ると温もり
幼い頃、祖父を慕っていた私は、よく一緒に寝ていました。私は、祖父のことをとても慕っていたし、祖父も可愛がってくれました。小学校は良好な関係でしたが、中学校に進学し中学3年になると、会話も少なくなりました。思春期が邪魔をして、祖父を嫌がっていたんです。それでも祖父は、可愛がってくれていました。やがて祖父は、私に何も言わなくなっていきました。当時の私は、学校や部活が居場所だと感じ、徐々に素行の悪い高校生になっていました。 祖父が倒れたと聞いても、お見舞いに1度しか行きませんでした。その一度のお見舞いを、祖父は凄く喜んでいました。そんな関係のまま私は大学に進学し、祖父のことも忘れて学生生活をしていた頃、祖父が亡くなったと連絡をもらいました。 すぐに病院に向かい、祖父の遺体を確認しました。もう長いこと、まともに会話をすることもなかった祖父なのに、もう声が聞けないと思うと涙が溢れそうになりました。気持ちの整理がつかない私に、両親は祖父が持っていたという1枚の写真を渡してきました。写真は小学校の頃、祖父と一緒に旅行に行ったときの写真でした。まだ私と仲がよく、祖父が私を肩車していたときのものです。祖父が大事に持っていた写真を見たとき、お見舞いに1度しか行かなかった事や今まで冷たい態度をとったことを後悔しました。私は、祖父のことを忘れてしまっていたのに、祖父は私のことを気にかけてくれていた、その事実を知ったとき涙が溢れて止まりませんでした。横たわる祖父の手は冷たく、もう温かくなることもありません。それでも祖父の手を握ると温もりを感じた気がします。 月日が流れ、私も親になり子どもと毎日忙しく過ごしています。私によく似た子どもの成長を祖父の墓前に見せるため、毎年実家に顔を出すのが家族の恒例行事となりました。 今日のお話 −3月1日(火)−
渋沢栄一の名言
40、50は洟垂れ小僧、 60,70は働き盛り、 90になって迎えが来たら、 百まで待てと追い返せ。 2時間目の授業
数学の度数分布表についての学習、理科の気象についての学習、体育のアルティメットについての学習などに取り組んでいます。
図書委員による読み聞かせ |
犬山市立城東中学校
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