ともに生きる

2時間目の授業

国語の形容動詞の学習、理科の飽和水蒸気量についての学習、家庭科での給食の献立を考える学習などに取り組んでいます。
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ちょっといい話

   命の大切さ 

 息子は赤ちゃんの頃から好奇心旺盛で元気な男の子でした。しかし、2才の頃風邪をこじらせてしまい、何日も熱が引かず、く元気がない日々が続いていたので小児科で診察してもらいました。風邪という診断で様子を見ていました。一時的に体調が良くなったものの、毎日ぐったりと横たわる時間が増え、再診。そこで、息子が一生涯治らない病気になっていたことが発覚したのです。命に直接的に関わる病気ではないものの、一生涯治療をし続ける必要があること、またその治療が小さな息子にとってはかなり苦しいものであったことから、病名を聞かされた時に泣き崩れてしまいました。苦しい治療をする度に泣き叫び、苦痛に顔を歪める息子の姿を見れば見るほど、変わってあげられないことに申し訳ない気持ちでいっぱいになったことを覚えています。
 息子は入院生活の中で、治療さえしていれば、病気じゃない人と同じような生活ができることを知ることで、息子の為に治療を続けなければいけないと思うことができたのです。しかし、ある日の夜、息子の寝顔を見ていた時、もっと早く病気に気付いていれば違った人生があったのではないかと後悔ばかりが襲ってきました。私の様子に気付いた看護師さんが声を掛けてくれ、「病気になるのは誰のせいでもない。今は苦しくて辛いかもしれないけど、病気になったからこそ分かることもあるよ。」と教えてくれたのです。
 あれから10年、息子は元気な小学生になり、友達と遊ぶ充実した毎日を過ごしています。息子の病気を通して、健康で生きていくことの尊さを知ることができました。辛い治療を毎日頑張っている息子の強さに励まされる日も多いです。病気になった時は、人生がこれで終わってしまったような気持ちになっていましたが、息子に持病があろうがなかろうが私たちにとってかけがえのない大切な存在であることに変わりありません。

今日のお話 −2月1日(火)−

   日野原重明の名言

 人間は生き方を変えることができる。
 繰り返す毎日の行動を変えることにより、
 新しい習慣形成により、
 新しい習慣の選択を人間は決意できる。
 人間には選択の自由がある。
 そして、意志と努力により、
 新しい自己を形成することができる。

2時間目の授業

理科の水蒸気の変化についての学習、数学の立体の体積についての学習、体育のバスケットボールやハンドボールの学習などに取り組んでいます。今日から3年生は私立高校の一般入試です。頑張ってください!
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ちょっといい話

   60年後の真実

 私は60歳になった時に、赤ちゃんだったときに病院で取り違えられたことがわかりました。1人の兄と1人の姉と母親という家族構成の母子家庭で育ちました。中学を卒業してからは、高校に行かずそのまま働き始めました。父親がいなくて貧乏な家庭だったので、高校に行く余裕がありませんでした。仕事を転々として、今はトラックの運転手として働いています。給料は多くはありませんが、食べていくには困りません。
 60歳になったある日、私の家に一通の手紙が届きました。その手紙には以下のように書かれていました。
 60年前に病院で取り違えられており、本当は別の家の長男とのこと。父親は不動産業を営み、裕福な家庭の長男として生まれた。何らかの理由で病院で取り違えられてしまい、今に至る。
 その手紙の送り主は、私の弟と名乗る人物からだった。自分は不動産屋の長男として、本来は後を継ぐはずだったとのこと、兄弟は全員大学を出ており、それ相応の仕事に就いていることなども書かれていた。以前から長男が弟たちに協力的ではなく、容姿も異なることを疑問に思い、自分たちで調べた結果、この事実が判明したとのこと。
 自分は取り違えられたせいで、不遇な人生を送ってきたと思っています。でも、今の人生が自分の人生だと思っています。60年分の時間を取り戻すことはできないからです。60代になった今、これから地位や名誉やお金を得たいとは思いません。そのような気持ちを弟たちに伝えています。今は、弟たちと時々会ってお酒を飲むのが楽しみです。

今日のお話 −1月31日(月)−

   日野原重明の名言

 鳥は飛び方を変えることは出来ない。

 物は這い方、走り方を変えることは出来ない。

 しかし、人間は生き方を変えることが出来る。

□ 日野原重明 プロフィール
医師。1911年、山口県生まれ。京都帝国大学医学部卒業。41年に聖路加国際病院の内科医となり、米エモリー大学医学部への留学を経て、同院の院長、理事長、聖路加看護大学学長などを歴任した。患者主体の医療や、医療関係者の力を総合した「チーム医療」の重要性を訴え、看護師の育成に力を注いだ。54年に民間病院として初めて人間ドックを導入、予防医学の発展にも尽力した。終末期医療の充実にも取り組み、93年には国内初の独立型ホスピスを設立した。また、小学生を対象とした「いのちの授業」を続け、老いのあり方を説いた著書「生きかた上手」がベストセラーになるなど、講演や執筆でも活躍した。

2時間目の授業

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家庭科の「日本の郷土料理」の学習、社会科の関東地方の学習、英語の不規則動詞についての学習などに取り組んでいます。

ちょっといい話

   父が母に送った保護メール

 俺は今高3なんだけど、10月26日に父親が死んだ。尊敬できる素晴らしい父親だった。だから死んだ時は、母親も妹も泣きじゃくってた。それから2ヶ月くらいたった最近は、まだ元の生活には戻れてないけど、多少は落ち着いてきてた。
 そして今日、俺は何となく父親が母親にどんなメールを送っていたのかと思って、少し悪いと思いつつも、タンスの引き出しにしまってあった、今年の8月まで母親が使っていた携帯を手に取って、父親のメールを見た。メールの内容は、恥ずかしがり屋な父親らしく、「めしはいるか」だとか「いつもの時間に帰る」だとか「どこにいる」だとか、「?」もついていなくてすごいそっけないものだったので笑ってしまった。「どれも同じ内容ばっかりだな」と思って適当に流していると、母親の携帯のメール一覧の一番下に、保護しているメールが一件だけあった。それは去年の8月3日の父親からのメールだった。「今日も、1日がんばれ」、ただそれだけのメールだった。8月3日がもうなんの日だったかは覚えていないんだけど、その短い文章に、照れ屋な父親の優しさが物凄く現れている。そして、それをもらって凄く嬉しかったのかそのメールを保護してある母親のことも考えたら、胸が熱くなって思わず泣いてしまった。
 どうしてもこの気持ちを誰かに伝えたくて、だけど友達にわざわざ電話する内容でもないしって思って書いちゃった。

3時間目の授業

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社会科の南アメリカ州の学習、技術科のプログラミング学習、国語の文節の学習などに取り組んでいます。

今日のお話 −1月28日(金)−

   立花隆の名言

 『何でおまえはそれを知りたいんだ』と問いつめていくと、

 ぎりぎりのところではもう理由はなくて

 『知りたいから知りたいんだ』とそれしかない。

 人間はそういう純粋知的欲求を強く持っていたから

 こういう『文明社会』を築くことができた。

あいさつ運動【生活委員会】

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今週は生活委員会によるあいさつ運動が行われています。寒さに負けず元気な声が響いています。

今日の給食  1月27日〜名古屋経済大学の学生が考案した献立〜

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☆今日の献立☆は、
・麦ご飯
・牛乳
・厚揚げのみそがけ
・カルシウムたっぷりさっぱり和え
・お茶つくね汁           です。

 今日の献立は、官学連携事業の一環として、市内にある名古屋経済大学管理栄養学科の学生さんが、カルシウムを多く摂取できるように考えてくれた献立です。

 カルシウムは、豆腐、わかめなどのマグネシウムが多く入っている食品と組み合わせて食べることで吸収率をあげることができます。
 つくねには、日比野製茶さんのお茶と愛知県産のれんこんを混ぜ込みました。熱い汁の中に、一つ一つ落としてくれました。
 汁に入っている白菜と大根は、食育応援団の方に地元で収穫された野菜を納品頂き使用しました。

 
 

ちょっといい話

   一コ上のおにいちゃん 

 3歳ぐらいの時から、毎日のように遊んでくれた1コ上の兄ちゃんがいた。成績優秀でスポーツ万能。しかも超優しい。1人っ子の俺にとって、本当のお兄ちゃんみたいな存在だった。小4の時、真冬にサッカーしてて林に入ったボールを取って戻ってきたら兄ちゃんが倒れてた。慌てて抱き起こしたら吐いちゃって、その時は「風邪ひいてる」って言われてバイバイした。しばらくして入院したって聞いて、病名も知らないのにお見舞いに行った。退院できたけど学校には滅多に来なくなった。外で遊んじゃいけないらしいんで、毎週土日は兄ちゃん家に遊びに行った。「しばらくしたら絶対よくなって、また外で遊べる」って思ってた。親にも兄ちゃんのママにも、「そのうちよくなる」って言われたし……。ある日、「やけに兄ちゃん家に抜け毛が多いな」って事に気付いた。身長も俺のほうが高くなったし、外に出ないから肌真っ白だし、腕も超細いし。その事を親に話したら、「脳腫瘍っていう難しい病気なんだよ」って初めて聞かされた。兄ちゃんがあんまり長くないって事、何となく分かった。それから急に顔合わせるのが辛くなった。遊びに行く機会が段々減っていって、最後は全く遊ばなくなった。しばらくして、夕方のニュースで「病気と闘う中学生」みたいな感じの特集に兄ちゃんが出てた。
 結局会う事になったのは2年ぶり、兄ちゃんが棺の中に入った時だった。兄ちゃんのママから「何か言ってあげて」って、優しい声で言われた。俺が遊びに行かなくなってから、「どんな気持ちで毎日家の中で過ごしてたんだろう」って考えたら胸が張り裂けそうになって、何も言葉にする事ができなかった。結局自分の事しか考えて無かった。もっと沢山会ってあげればよかった。本当にごめんね。謝っても謝り切れないけど……。
 あれからは身近な人を、いつでも大切にしようって思えるようになったんだ。今年も線香あげに行くよ。

3時間目の授業

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体育のサッカーの学習、社会科の関東地方についての学習、理科の圧力についての学習などに取り組んでいます。

今日のお話 −1月27日(木)−

   立花隆の名言

 あらゆる失敗の可能性を忘れている人は、

 いかに大胆に生きようと、

 無謀に生きたというだけである。

 あらゆる失敗の可能性を見すえつつ

 大胆に生きた人こそ

 よく青春を生きたというべきだろう。

今日の給食   1月26日

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 ☆今日の献立☆は、
・ごはん
・牛乳
・みそ煮込みおでん
・めひかりのフライ
・れんこんの塩昆布マヨ和え    です。

 全国学校給食週間、3日目の今日は、愛知県の郷土料理である「みそ煮込みおでん」を紹介します。長年熟成された豆みそは、濃厚なコクが特徴です。もともとは、田楽がルールと言われています。
 めひかりは、三河湾の海底にいる深海魚で、目が大きく、光って見えることからその名前が付いています。脂の乗った白身魚で、骨まで食べることができ、カルシウムも豊富に取ることができます。
 和え物に使用したレンコンは、全国3位の生産量を誇ります。愛知県で収穫されたれんこんを使用しました。

 今日の大根は、食育応援団の日比野さんから納品頂きました。

明日のお茶つくねに入るてん茶も日比野さんから納入頂きます。

ちょっといい話

   おにいさん、こんにちは 

 「○○おにいさん、こんにちは。僕のお母さんが、今度○○おにいさんのお父さんと結婚するので、僕と○○おにいさんはきょうだいになることになりました。僕はお父さんができることと同じくらい、自分におにいさんができるのがとてもうれしいです。」
 俺のおふくろは、俺が18のときに親父が迎えた後妻だが、本当のお袋だと思ってる。結婚が決まってから、初めて俺はおふくろと新しい弟に会った。半ズボンにブレザー、緊張した9歳の坊主から俺はこの手紙をもらった。俺も1人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったから、かなり無愛想にその手紙を受け取った。だけど新しい弟に会ったのはそれが最初で最後になった。弟はそれからすぐ事故で死んだ。
 俺は何でもしてやるつもりだった。中学に入って学校でいじめられたら、仲間連れてお礼参りしてやるつもりだった。タバコをおぼえ始めたら、ぶん殴って兄貴風吹かして叱り付けるつもりだった。単車だって俺のお古をくれてやって、兄弟で走りに行くつもりだった。「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、そして彼女ができたら、からかってやるつもりだった。そんな光景を夢に見てた。
 葬式では、おふくろよりも俺の方が激しく泣いた。友達が心配するくらいに、1人で立っていられないくらいに……。タイムマシンがあったら、ほんの1週間前の自分に会って胸ぐら掴んでやりたいくらいに後悔した。もっと優しくしてやればよかった……。どんな想いで手紙を書いて、どんなに緊張して俺に手紙を渡したんだろう……。俺は、弟の代わりにおふくろを大事にしている。この人こそが俺のおふくろだと思ってる。「俺のおふくろを粗末にすんじゃねえぞ、兄貴」「わかってらぁ、うるっせえよボケ」。弟とのそんなやりとりを、今でも空想しながらおふくろに接してる。生きていたら、俺の弟は今年の春、大学に入学していたはずだ。
 たった1回しか会わなかったが、俺には弟がいた。

今日のお話 −1月26日(水)−

   立花隆の名言

 迷いと惑いが
 青春の特徴であり特権でもある。
 それだけに、
 恥も多く、失敗も多い。
 恥なしの青春、
 失敗なしの青春など、
 青春の名に値しない

2時間目の授業

数学の図形の性質と合同の学習、保健体育の応急手当についての学習、理科の圧力についての学習、家庭科の日本の食文化についての学習などに取り組んでいます。
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ちょっといい話

   君に会えるのを 

 君がママのお腹にいるとわかったとき、ママは涙ぐんでいた。口には出さなかったけど、なかなか子どもを授からないことで、ママは自分を責めていた。君は生まれる前からママのお腹にいただけで、僕達2人を幸せにしてくれたんだよ。それからの十月十日は、毎日パパとママは君のことを考えていたんだ。ママはお酒もカフェインも制限して生活していたし、激しい運動はもちろん、人混みなんかも避けて生活したんだ。そして君の服を買ったり、君の場所を作ったり、車を買い換えたりと生活が君を中心に動き始めたんだ。
 最初の3ヶ月間はとても不安だった。誰にでも流産の可能性が15%もあるなんて知らなかったんだ。だけど検査の時にもらえるエコーの写真は、とても楽しみだった。心臓の音なんかも聞かせてもらったよ。つわりで体中に湿疹ができたこともあった。辛そうなママをみて、僕は「大丈夫、絶対によくなるよ」と初めて根拠のないウソをついたんだよ。そんな辛いこともあったけど、君がお腹にいることで、僕はもちろん、おじいちゃん、おばあちゃんたちもとても幸せだった。僕らは顔を合わせるたびに君の話をしたんだ。君の体重がどうなったとか、性別はわかったのか、名前を決めたのかとかね。信じられないだろう。そして、君の家族はみんな、君が生まれることを1年近くも心の底から願っていた。僕たちは君に会えるのを本当に楽しみにしていた。
 君が生まれた瞬間は、みんな泣いた。うれしくて、うれしくて……。生まれてきたことがうれしくて、僕もママも、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃんまでが泣いたんだ。こんなことを綴って結局何が言いたいかっていうと……。
 君は何かを成したりしなくても、何か努力しなくても意味がある存在だってことだ。君が生まれるだけで、涙を流した人を少なくとも僕は8人も知ってる。そして、実は君が生まれることを通じて、僕自身も自分は生きていていいんだと感じることができた。もし君が自信をなくしてたり、不安を感じることがあったらこのお話を思い出してほしい。君は生まれてきただけで、本当に価値がある存在なんだ。
 本当にうまれてきてくれてありがとう。
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