最新更新日:2024/11/25 | |
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生徒総会を行いました今日の給食 2月10日・ココア揚げパン ・牛乳 ・やきそば ・愛知のれんこん入りつくね ・ブロッコリーのゴマドレ和え です。 今日は、3年1組の皆さんが卒業会食リクエストで選んだ「揚げパン」を提供しました。 揚げパンには、ココア・きなこ・抹茶・シナモンなど、さまざまな味付けをすることができます。今日は、3年1組のリクエストのココア味で登場しました。 人気の焼きそばとの組み合わせの献立です。 学校のやきそばは、全校で約45kgの麺を使用して作ります。釜で炒めるのは難しいので、スチームコンベクションオーブンをいう機械を使い表面を焼いてから野菜を混ぜ合わせます。混ぜるのがとても大変で体力が必要なメニューです。 今日はどのクラスも残食なく、きれいに完食していました。 来週の月曜日は、バレンタイン献立を紹介します。 ちょっといい話
戻ってこいよ、お願いだから
俺がわがまま言って週3くらいしか働かせなかったのに、何で「生活費が欲しい」って1度も言わなかったんだよ。たまに金渡しても、俺の好きなモンブランが、何で冷蔵庫に入ってんだよ。すげえ美人なのに、何で俺の晩飯作って待ってんだよ。何で癌になったこと、俺に隠してたんだよ。なに50枚の手紙、書いてんだよ。「毎年1枚ずつ読んで」って何だよ。何でそんなに俺がいいんだよ。 おまえは強くて美人で、俺にはもったいねえよ。戻ってこいよ、お願いだから……。 3時間目の授業今日のお話 −2月10日(木)−
日野原重明の名言(2編)
□ 人間とはそもそも「病む」生き物であり、 必ず欠陥を抱えて生きています。 そのことを踏まえたうえで、 今日という日を健やかに生きればいいのです □ 地位や名誉は死ねばなくなる。 財産も残したところで 争いの種をまくだけですが、 『ありがとう』のひと言は、 残される者の心をも救う、何よりの遺産です 2月9日の給食・牛乳 ・ヤンニョムチキン ・野菜と干しエビのごま和え ・ワンタンスープ です。 3年2組の皆さんが卒業会食リクエストで要望があった「ヤンニョムチキン」を提供しました。 甘辛いタレが絡んでいるザクザク食感のチキンです。 韓国の屋台などで食べられています。 学校給食ならではのキムたくチャーハンは、人気メニューのひとつです。 3年生は最後の登場になりました。 今日は、3年1組のリクエストメニューを紹介します。 ちょっといい話
お母さんはこれで十分
子どもの時はお母さんをただのケチだと思ってた。高校生になった私は、ウザいとしか思わなかった。一人暮らしを始めて、3度の食事や掃除に洗濯、どれだけ恵まれていたかわかった。 私が挑戦した事は、とてもお金が掛かる事だった。お母さんは少しだけ悩んで、すぐに私を応援してくれた。お母さんは、成人した私と姉のおさがりを「お母さんはこれで十分」と言って着ていた。化粧品も親戚からもらう試供品がほとんど……。でも、いつも私を助けてくれるお母さん。お母さんは自分のものは買わないで、バカな私を助けてばかり。お母さん、お母さん、お母さん、どうして私をそこまで信じてくれるんですか。私は、もう24才なのにあなたにまだ甘えたいです。 お母さん、お母さん、本当にいつもありがとう。私が強気なのは、あなたがいてくれるからです。どうか神様、私のお母さんをまだまだ元気に生かして下さい。どうか私に時間を下さい。大好きなお母さん、お願いだからもう少し待ってて下さい。 今日のお話 −2月9日(水)−
日野原重明の名言
かつて自分ができなかったこと、 やり残したことを、 思い切ってやることが、 「夢を叶える」ということなのです。 1時間目の授業4時間目の授業ちょっといい話
まだ泣かせてね
母さん、母さんが亡くなってから6年経つのにまだまだ寂しがりやの私です。 昔の携帯見つけたの。受信箱に母さんからのメール。「まだ帰れない?」「鍵忘れてるよ!」「迎えに来て」何気ない日常のメール。でも今の私には切なくてたまらない。最後のメールは亡くなる2日前。「もう直ぐ?」病院に入院してる母さんが、お見舞いにくる私のこと待ってた。抗癌剤でしんどかったね。お医者さんから危ないって聞いて、たまらず泣いてしまった私を逆に励ましてくれた母さん。朦朧としたとき、初めて痛いって言ってたね。ずっと我慢してたんだね。ごめんね、強い母さんで最後までいさせてしまって……。 会いたいな、たまらなく切なくて寂しい。名前呼んでほしい、心配してほしい。不登校になって立ちすくんでる私を、抱きしめてくれたあのときに戻れたらいいのに……。 会いたいなぁ、母さん。さみしいよ、ごめんね。まだ泣かせてね。 今日のお話 −2月8日(火)−
日野原重明の名言
命はなぜ目に見えないか。 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。 どうか一度しかない自分の時間、 命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。 さらに言えば、 その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい。 今日の給食 2月7日・麦ご飯 ・牛乳 ・けんちん信田の煮物 ・大根と水菜の和え物 ・どさんこ汁 ・味付けのり です。 どさんことは、北海道で生まれたものを意味する言葉です。 北海道の広い大地でたくさんの作物が育ちます。また、畜産や酪農も盛んに行われています。 北海道でよくとれるじゃがいも・コーン・バターを入れて仕上げています。 バターが入ることで、コクのあるみそ汁になっています。 冬にはぴったりの身体が温まる汁物になりました。 明日は、山形県の料理を紹介します。 ちょっといい話
気づいてあげられなくてごめんね
私の母はとても厳しい。身の回りの事は全て自分でやらされていた。勉強も部活も1番じゃないと気が済まない。定期テストで2番をとると「2番は敗者の1番だ」とすごく怒られた。どれだけいい点数をとっても、いい結果を残しても母は笑顔を見せてはくれなかった。1番、1番……、プレッシャーで円形脱毛症になり声も出なくなりかけた。 しかし、私にはその他にも大きな問題を抱えていた。 いじめ。学級委員などに選ばれていた私は、クラスで話すことが多かった。多感な時期の中学生は、「出る杭は打たれる」もの。そんなある日、帰ろうとすると机の中に教科書が1冊もなかった。血の気が引いた。探し回ると、洗面所の蛇口から水が勢いよく出ていて、その下に私の教科書があった。お母さんに怒られる、それしか思わなかった。それでも帰るしかなかった。家に着いて欲しくない、本気でそう思った。しかし、家に着いてしまった。案の定、母の車は家にあった。水に濡れてところどころ破けている教科書を母の前に出し、私は土下座した。「ごめんなさい、ごめんなさい」と母に謝った。母が、私の前に座った気配がした。殴られる、そう思った瞬間、母が私を抱きしめた。ぐっぐっと……、母の嗚咽が聞こえた。「ごめんね、ごめんね、気づいてあげられなくてごめんね」と、母が泣きながら私に謝ってきた。毎日死にたい、と思ってた。生きる意味が分からなかった。何で頑張ってるのかも分からなかった。母の涙を見て、私も涙が止まらなくなった。久しぶりに母の腕で泣いた。 それから、私は学校に行かなくなった。世間体ばかり気にする母が、仕事を休職してまで私と居てくれた。今、私は県内で1番の進学校にいる。恩返しをしたい。いい会社に入って、母を楽にしてあげたい。目標がある勉強はとても楽しい。あの時、抱きしめてくれた母の匂い、力強さ、私は一生忘れない。 4時間目の授業
社会科の東北地方の産業についての学習、国語の名詞の学習、英語のbe動詞の過去形についての学習などに取り組んでいます。
今日のお話 −2月7日(月)−
日野原重明の名言
人間は生き方を変えることができる。 繰り返す毎日の行動を変えることにより、 新しい習慣形成により、 新しい習慣の選択を人間は決意できる。 人間には選択の自由がある。 そして、意志と努力により、 新しい自己を形成することができる。 5時間目の授業
社会科の東北地方の産業についての学習、数学の立体についての学習、理科の雲のでき方についての学習などに取り組んでいます。
ちょっといい話
幽霊でも、何でもいいから会いたい
いつも通り、朝がきて、夜がくる。楽しいことも辛い事も、あってもなくても朝がきて、夜がくる。何気ない日常の始まりと終わり。あの時も同じだった。会社で仕事をしていた時、携帯電話が鳴った。父からである。「お母さんの心臓の鼓動がおかしい」、「看護士さんもかなり厳しい状態と言われた」と……。父の連絡を受けて、入院している母の元へ駆けつけた。母の心臓、息つかいは、正常ではなかった。時間は刻一刻と迫ってきている。父は、しっかりと強く母の手を握りしめていた。すると、母は、大きく息をした。止まった。最期の灯火。 母は、2週間程前から、この病院へ入院している。その前は、自宅で父と2人で介護していた。母の病は、脳腫瘍と呼ばれる癌である。癌の治療は日々進化しているが、脳腫瘍は違う。症状が現れた時は、既に末期状態という癌。現在の医学では、根治は無理な病気である。この様な状態で約2年間、闘病してきたが、終焉を迎えようとしている。母は、闘った、頑張った。自宅では、失禁などなかった。この病院の看護士さんから「この状態で、よく自宅で介護されましたね」と言われるほど状態は悪かった。いろいろな事を思いだすが、闘病の時に母へひどいことを言ったことなど、悪い思い出しか浮ばない。母は、本当に優しく穏かで、父、弟、自分を支えてきた。母は、入院する直前から言葉が話せなくなったが、最後に「あんたが、そばにおってよかった」、「もう、あんたに何もする事ができん」と言った……。 もうすぐ、母がいなくなって1ケ月近くたつ。自分は、いい歳だが、「母が恋しい、母に会いたい、幽霊でも何でもいいから会いたい」。街を歩くと、父、母と行った場所へ行ってしまう。 今日のお話 −2月4日(金)−
日野原重明の名言
自分の命がなくなるということは、 自分の命を他の人の命の中に残していくことである。 自分に与えられた命を、 より大きな命の中に 溶け込ませるために生きていくことこそ 私たちが生きる究極の目的であり、 永遠の命につながることだと思う。 ちょっといい話
炊き込みご飯作ったよ
俺は小学生の頃、母の作った炊き込みご飯が大好物だった。特にそれを口に出して言った事は無かったけど、母はわかっていて誕生日や何かの記念日には、我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。高校生になるとさすがに「またかよっ」と思うようになっていたのだが……。家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった。 会社に電話があり、慌てて向かった病室には近くの親戚が集まっていた。モルヒネを打たれ、意識のない母の手を握り締めると、母の口が動いた。何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると「炊きこ……、たよ。たくさ……、さい」と消え入りそうな声で言っていた。それが最後の言葉だった。 「ママの作ったスパゲッティー大好き」、口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に、母の炊き込みご飯が食べたくなる。 |
犬山市立城東中学校
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