最新更新日:2024/11/08 | |
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ちょっといい話
僕は笑った
僕は、恋をした。好きになったきっかけは、高2の夏。僕がクラスでいじめにあって、生きる意味すらわからなくなって教室で泣いていた。その時に彼女がそっと僕に近寄って来て、「○○に涙なんて似合わないぞ。ほら、笑いなよ。私、笑ってるあんたの顔好きだよ。」と言ってくれた。それからは僕は、いじめられてもずっと笑ってた。 それ以来ずっとずっと彼女を想い続けて、気がつけば高校の卒業が近づいていた。その間、何度も告白しようとした。でも好きだから、好きすぎたから失うのが恐くて実行はできなかった。しかし、卒業間近になって覚悟を決めた僕は、卒業式の日に彼女に告白することを決心した。卒業式の3日前の朝、いつものように彼女に「おはよう」を言おうと思教室を見回した。が、彼女の姿はなかった。入試も近いし、「今日は休みか」と思ったとき、担任の先生が暗い顔をしながら教室に入って来た。そして、いきなり僕たちに「××さん(彼女の名前)が昨日、学校の帰りに車にはねられ、今朝病院で亡くなりました」と告げた。何を言ってるのかわからなかった。状況が理解できない僕は、みんなが泣いてる中で泣くことすらできなかった。そしてお通夜の日、棺おけの中にいる清められた彼女の姿を見た時になって、ようやく涙がこみ上げてきた。祭壇目をやると、彼女の写真が目に映った。彼女は笑ってた。そのときふと彼女が僕に言ってくれたあの言葉を思いだした。僕は笑った。他の参列者の目には人の死を前にして笑顔を浮かべる僕はどう、映っただろうか、それでも僕は彼女の写真を見ながら笑った。 彼女の死から2年が過ぎ、クラスで同窓会をした。その時にクラスの女子から高校のとき、「彼女が僕を好きだった」という事を教えられた。僕はその瞬間初めて泣いた。声をあげて泣いた。それからまた僕は笑った。 今日のお話 −1月20日(木)−
立花 隆 の名言
いい文章が書けるようになりたければ、 できるだけいい文章を できるだけたくさん読むことである。 それ以外に王道はない。 ちょっといい話
旅行に行こう
自分が高1の時に祖父が他界した。その5ヶ月くらい前に、家族に「祖父と祖母も一緒に旅行に行こう」って言われたんだけど、そのときの自分は、「ただ面倒だ」と言う理由で行かなかった。それからしばらくして、祖父が入院したのだが、それ以前にも入退院を繰り返していたから、「今回もまた退院するだろう」、「旅行はそのときに行けばいい」と思っていた。 でも祖父は退院できなかった。最期を看取ったのは、家族では自分と祖母だけだった。 そのときに病院へ行ったのも、ただ、その日の朝に母に「たまには見舞いに行け」と言われたからだった。だから、いつもみたいに見舞いをしてジュースでも買ってもらって帰るつもりだった。病室に入ったときには、すでに最期が間近だったように思う。その時は、正直泣けなかった。何が起こったのかよく分からなかったし、あの祖父が死ぬわけないって思っていたから。 火葬して、お骨を拾ってやっと祖父の死を実感したように思う。その後家に帰って、祖父が死んでから初めて泣いた。最期をちゃんと看取れなかったこと、あの時祖父と旅行に行かなかったことを、今でも死ぬほど後悔している。 今日のお話 −1月19日(水)−
立花 隆 の名言
自分が求めるものを どこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、 自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。 そしてまた、その求めんとする意思が充分に強ければ、 やがて「船出」を決意する日がやってくる。 今日の給食 1月19日・ビビンバ ・にらまんじゅう ・スンドゥブチゲ です。 今日は久しぶりのビビンバです。 たっぷりの牛肉と4種類の野菜(と高野豆腐、卵焼きをいれました。 少しピリ辛な味付けになっているのでご飯との相性抜群です。 韓国では、スッカラクと呼ばれるスプーンでよくかき混ぜてから食べられて(たべられて)います。 スンドゥブチゲには、韓国料理の定番のキムチが入っています。 発酵食品であるキムチは、乳酸菌が豊富に含まれています。腸内環境を整えてくれる働きがあります。辛味成分あるカプサイシンは代謝を良くし身体を温めてくれる働きがあります。 寒い時期ですが、身体の内側から暖めていきましょう。 4時間目の授業今日の献立 1月18日〜大寒卵紹介献立〜・ご飯 ・牛乳 ・厚焼き卵 ・野菜と干しえびのごま和え ・肉じゃが ・ヨーグルト です。 1月20日は大寒です。大寒とは、1年を24の季節に分けた二十四節気の24番目になります。 大寒の頃には、寒い時期ならではの食文化があります。その中で今日は「大寒卵」を紹介しました。 にわとりは、寒い時期になると卵を産む量が減ってしまいます。そのため、大寒の時期に産んだ卵は貴重で上質な栄養源とされていました。少し早いですが、卵焼きで紹介をしました。 しっかりと食べて寒さに負けない身体作りをしていきましょう。 ちょっといい話
隠せない感情
研修医やってたときの話なんだけど、ある入院患者さんにつかせてもらってたんだ。患者さんは気さくなおじさんで、検診のたびに話し込んでた。お見舞いに来るのは大抵奥さん。奥さんもすごいいい人で、おじさんと同じくらい明るかった。そして、たまに息子もお見舞いに来てた。ムスッとしてて結構怖かった。母親から言われて、嫌々お見舞いに来てる感じだったかな。 ある日の夜中さ、おじさんの容態が急変しちゃったんだ。俺も初めての経験でさ、すごい慌てたけど、ナースと力合わせて主治医が来るまで何とか頑張った。主治医は、「すぐに家族を呼ぶように」って指示を出して処置を始めた。奥さん、飛んできたよ。もう目が真っ赤だった。おじさん、だめだった。心停止からかえってこれなかった。奥さんに「ご臨終」を告げると、奥さん、おじさんにしがみついて泣き叫んでた。つらかった。 そのとき息子が、病室に飛び込んできた。驚いたことに彼は、警察の制服を着てた。汗だくだった。「とーちゃん」って叫んだけど、奥さんの様子を見て悟ったと思う。がっくりうなだれて、黙ってしまった。彼の肩口の無線から、少しノイズみたいな音が漏れてた。しばらくして彼は、崩れ落ちてた奥さんを抱き起こして椅子に座らせた。そして俺たちに、「今まで親父をありがとうございました」と大きな声で叫んで、深々と頭を下げたんだ。顔を見せたときには、歯を食いしばって必死で涙をこらえてた。顔が真っ赤だった。 たぶん警察官ってこういう人たちなんだと思った。制服を着ている以上、彼らは職務を全うしなければならないんだと。だけど、隠せない親子の感情とせめぎ合わされるんだろうって。ふてぶてしいと思ってたけど、彼はあのお見舞いのとき、警察官らしかったのかもしれない。何か思い出してので…。 今日のお話 −1月18日(火)−
立花 隆の名言
学で得た知識など、 いかほどのものではない。 社会人になってから獲得し、 蓄積していく知識の量と質、 特に20代、30代のそれが その人のその後の人生にとって決定的に重要である。 若いときは、何をさしおいても本を読む時間を作れ。 3年生学年末テスト・1,2年生実力テスト今日の給食 1月17日・備蓄米ご飯 ・牛乳 ・さばのおかか煮 ・切り干し大根とひじきのツナ和え ・炊き出し豚汁 ・バナナ です。 27年前の1月17日、兵庫県淡路島を震源とした阪神淡路大震災が発生しました。 今日の献立は、災害時に食べることができるような食材を組み合わせた献立を提供しました。 備蓄米ご飯は、犬山市役所で災害用に備蓄していたα化米を頂きました。ガスや電気を使うことなく、水さえあれば食べることができるお米です。 和え物には、長期保存のきく乾物を使用しています。災害時には、コーン缶やツナのオイルなどで戻せば食べることができます。 炊き出しの豚汁には、高野豆腐をいれました。乾物などを日々の食事にうまく取り入れて、ローリングストックしておくと重宝します。 意識を高め、災害時に困ることがないようにしていきましょう。 ちょっといい話
絶望からの奇跡の復活
2013年、埼玉県坂戸市で、野球部の練習後に帰宅しようとしていた高校生が、OBが運転する車にひかれ、両足切断の大けがをしました。 それから6年後。2019年7月23日に開幕した第90回記念選抜高校野球大会を、特別な思いで見つめる元高校球児がいます。明治大3年、森宏明さん。甲子園を目指していた17歳の時、事故で両脚を切断したあの元高校球児です。昨年からパラノルディックスキーを始め、2022年・北京冬季パラリンピックを目指しています。新たな目標に挑む自分と、球児を重ね合わせ「大舞台を楽しみながら、自分ができる最大限のプレーをしてほしい」と期待を込めています。 野球が好きだった高校球児が、突然両足を失うという悲劇。彼はそれからどのような人生を歩んだのは知ることができませんが、6年後にパラリンピックを目指すスキー選手となって表舞台に出てきました。まさに奇跡の復活と言えるでしょう。 今日のお話 −1月17日(月)−
立花 隆の名言
頭がいい人と悪い人がいても、 チンパンジーと人間ほどの差はないわけで。 誰かにできることは 自分にもできると思って間違いないです。 「オリンピック聖火リレーのトーチ・ユニフォーム」を展示しています。3時間目の様子今日の給食 1月14日・さつまいも入り赤飯(α化米) ・白ごまつくね(2) ・野菜の納豆なめたけ和え ・冬野菜のみそ汁 です。 1月15日は小正月です。 昔の日本は、月の満ち欠けを1ヶ月の基準として暮らしていました。 旧暦で満月となる1月15日に当たる日を1年の始まりであるお正月として祝っていたそうです。 小正月には、小豆がゆを食べる風習が伝わっています。小豆のように赤い食べ物には、邪気を払う力があると考えられていたためです。小豆がゆの代わりにぜんざいを食べる地域もあるそうです。 今日は赤飯にして給食に取り入れました。 シェイクアウト訓練3時間目の様子ちょっといい話
また『お母さん』って呼んでね
私には、お母さんが2人いた。1人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。もう1人は……。 17歳の誕生日に母が継母であったことを聞かされた。私を生んでくれたお母さんは、産後すぐに亡くなったそうだ。「生みの親より育ての親」何て言うが、その時の私は今まで騙されてきたという怒りと、馴れ親しんだ母が急に他人に思え、両親の話も聞かず部屋でふてくされて泣いていた。翌日から母を「おばさん」と呼ぶようになった。そう呼ぶと母はたまらなく悲しそうな顔をした。その後、何かと私に気を使い出し、必死になる母をよけいに煩わしく感じ、口もきかなくなってしまった。何となく家に居ずらくなったので、夜は出かけるようになった。それから1ヶ月がたとうとする頃、シカトし続ける私に母が「部屋で読んでね」と手紙を差し出してきた。が、私はその場でぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に捨ててしまった。それを見ていた父が私をはり倒し、震える声で「母さんはなあ…」と言ったが、私はろくすっぽ聞かずに泣きながら自分の部屋に逃げた。 翌日、母は帰らぬ人となった。居眠り運転をしていたトラックが赤信号を無視し、母の車に突っ込んだそうだ。即死だった。あまりに急な出来事のため、泣くこともできず、通夜が終わった後も母のそばでぼう然としていた私に、父がボロボロの紙きれを渡し、ひと言「読め」と言った。昨日の手紙であった。そこには母らしい温かい字でこう書いてあった。 千夏ちゃんへ 17年間騙していてごめんなさい。お父さんはもっと早くに言おうとしてたんですが、あなたに嫌われるんじゃないかと思い、あんなに遅くなってしまいました。あなたの気持ち、とてもよくわかる。だってお母さん、偽者だったんだもんね。でもね、お母さん、あなたのことを本当のお母さんに負けないぐらい愛してるんだよ。千夏が成人しても、旦那さんができてもずーっと…… 泣きながら書いたのか、字のところどころがにじんでいる。そして最後に震える字でこうあった。 だから、また「お母さん」って呼んでね。 私が感じた寂しさを、母は17年も耐えていたのだ。人の気持ちを考えられなかった私は、1ヶ月もの間、母を苦しめたのだ。「お母さん」。1ヶ月ぶりに発したその言葉は、冷たくなった母の耳には届かない。 今日のお話 −1月14日(金)−
米長邦雄の名言
将棋の世界で、一番大切な大局観だ。 つまり、勝つためにはどうすればいいかを 全体を通してみる“状況判断能力”である。 いまは攻めるときなのか、退くときなのか。 その局面を的確に読み取り、勝機を逃さない人が、 本当の実力者といえる。 |
犬山市立城東中学校
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