最新更新日:2024/11/27 | |
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昼食車窓からバス出発自然教室 出発式今日のお話 −10月15日(金)−
田中角栄の名言
確かにノーというのは勇気がいる。 しかし、逆に信頼度はノーで高まる場合もある。 ノーとイエスははっきり言ったほうが、 長い目で見れば信用されるということだ。 1時間目の様子
英語のmustの学習、社会科の中国・四国地方についての学習、理科の電流の学習などに取り組んでいます。
ちょっといい話
塩だけのおにぎり
自分が小学生の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると、家にはばあちゃんしかいなかった。だから、自然とばあちゃんっ子になった。学校から帰ると丁度おやつの時間だったので、ばあちゃんはよくご飯の余りで塩だけのおにぎりを作ってくれた。それが、すごく好きで毎日楽しみに待っていた。自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。 でも中学生になって人並みに反抗期になり、いつしかばあちゃんとの会話もまともにしなかった。当然、おにぎりも食べなくなった。親に反抗はしなかったけど、代わりにばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。 それが中3のある日、突然旅立った。誰にも「さよなら」を言うことなく風呂場で静かに亡くなった。葬式中、もう会えない、謝ることも、何かしてあげることもできない、そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。死んだ直後や通夜でも泣かなかったに、人目を考えず大泣きした。多分今までの人生の中で、あれ以上に泣いたことは無かったと思う。 あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと、今でも涙腺が潤んでくる。あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ……。 3時間目の様子今日のお話 −10月14日(木)−
田中角栄の名言
人間誰しも若いときは、 みな偉くなりたいと思うもんだが、 簡単にはなれない。 経験も知識も素養も無くて しゃべっているのは、 バカ騒ぎを繰り広げているだけで、 しまいには誰も相手にしなくなる。 ちょっといい話
主人の左目
主人は3年前に左目を失明した。義眼を入れているので、見た目は、言われなければわからない。その失明した原因は、当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時、おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ。事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる。子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう。傷のおってから主人は、「自分の運転中に何かあってはならない」と思い、車の運転をやめた。趣味だったバイクも売った。ただ、いつの日か後ろに乗せて一緒に出かけるために、息子の1歳の誕生日に買った新品の子供用ヘルメットはまだ家にある。 4歳を過ぎた息子は今、父親の左目が見えないことも、なぜそうなったかも、まだ知らないはずだ。「言ってはならない」と主人にきつく言われているし、私自身わざわざ教える必要もないと思っているからだ。ひょっとしたらもう父親の異変に気づいてるのかも知れない。 主人は今日も息子と一緒に公園に出かけ、大はしゃぎしながら帰ってきた。いずれ父の左目が見えないことも、その理由も知る時が必ずやってくるだろう。だけど私には泣きじゃくる息子の頭を笑顔で撫でている主人しか想像できない。 主人が、父親が、彼で本当によかったと感謝の気持ちでいっぱいです。 今日のお話 −10月13日(水)−
田中角栄の名言
私はメシも仕事も早い。 一生の間、理想を追っても 結論を見いだせないような 生き方はキライだ。 すべてのことにタイム・リミットを置いて、 可能な限りの努力をするタイプなんだ。 2時間目の様子枝切・伐採作業に伴う通行止めについて
枝切・伐採作業に伴い、次の区間が通行止となるとの連絡が業者からありましたので、お知らせいたします。
R3 10/21 通行止区間 【日時】10月21日(木)9時〜14時50分ごろ 城東中学校へご来校の際は、北側からの進入ができませんので南側から迂回してお越しいただくようお願い申し上げます。 3時間目の様子
家庭科のミシンについての学習、英語のhave toについての学習、国語の「奥の細道」についての学習などに取り組んでいます。3年生の保健体育では「感染症の予防」についての研究授業を行いました。日常生活を振り返り、仲間と話し合いながら、感染症を予防するための適切な方法を考えることができました。
今日の給食・かてめし ・牛乳 ・ゼリーフライ ・小松菜とねぎのぬた ・つみっこ です。 今日は埼玉県の料理を紹介しました。 ★かてめし…秩父地方の郷土料理のひとつです。名前の由来は、ご飯の量を増やすための材料を秩父では「糧」と言うことからこの名前がついたそうです。おもてなし料理のひとつです。 ★ゼリーフライ…行田市で愛されているB級グルメです。おからとじゃがいもとベースに地元で収穫されるにんじんやねぎなどの野菜を入れて作ります。名前の由来は、諸説ありますが、小判(銭)にそっくりな見た目だったことから、銭フライが変化しゼリーフライになったと言われています。 ★ねぎぬた…茹でた野菜を酢みそで和えた料理です。全国で食べられる料理ですが、 埼玉県は小松菜とねぎの生産量が全国トップクラスです。ねぎの産地周辺では、冠婚葬祭には欠かせない料理にもなっています。 ★つみっこ…小麦の栽培が盛んな埼玉県のすいとん汁です。摘み取る様子からそのように呼ばれています。 ちょっといい話
かわいい表紙の日記
私が小学生だった頃。本が大好きで、家にある、自分が読めそうな本を読み漁っていた。ある日、何気なく母の本棚を漁っていたら、かわいい表紙の日記を見つけた。どうやら私が小さかったころの成長記録らしい。母はこういう細かいことが好きで、よく日記とかつけていた。私は面白半分で日記を開いてみた。 ◎年☆月◇日 今日、○○(私の名前)ちゃんが初めて寝返りをうった。うつぶせになっていたから、一瞬ヒヤっとしたよ。でも、寝返りがうてるようになったね! ●年△月□日 今日、○○ちゃんが「あいうえお」を読めた。すごいすごい!偉いネ。次は「かきくけこ」に挑戦だ。 日記には、私が赤ちゃんの頃からの成長記録が丁寧につけられていた。内容はほとんど覚えていないけど、一言一言がすごく愛おしかった。いつの間にか私の視界は涙でぼやけていた。私は誰にも気付かれずに、静かに泣いた。その時は、「何でこんな日記を読んで泣いているのか」とか、「母親の愛情」とかがよくわからなかったけど、何だか胸が熱くなった。 お母さん、私を産んでくれてありがとう。苦労ばっかりかけてゴメンね。 今日のお話 −10月11日(月)−
田中角栄の名言
好むと好まざるとに関わらず、 たたなければならない時がある。 総理という職責は、なりたいと思ってもなれない。 なりたくないと思っていても、 やらなければならない時があるんだよ。 3時間目の様子後期始業式・認証式【校長先生の話】 ・10月9日(土)に令和3年度の管内大会最後の種目、駅伝大会が行われました。本校の女子代表選手が、城中の代表としてふさわしい、力強い走りをしてくれました。代表としてがんばった5人の選手に大きな拍手をお願いします。 ・後期は、学年のまとめであるとともに、「来年度からの新しい生活」への準備期間でもあります。前期が終了してから2日しか休みがありませんでしたが、気持ちを切り替えてスタートしましょう。 ・「城東中学校の伝統は何ですか」と尋ねられたら、「城中ソーラン」や「合唱」、「城中魂」や「落ち着いた学校の雰囲気」と答える人もいるかもしれません。伝統とは、合唱や城中ソーランを通して目に見えない「心」や「城中魂」を後輩に伝えることだと思います。 東京の浅草に「パンのペリカン」という食パンとロールパンだけを製造販売しているパン屋さんがあります。創業は1942年、城東中学校と同じくらいの伝統があります。常連のお客さんから「昔より味が落ちた」と言われないよう、クオリティの維持に努める一方、時代によって変化する日本人の生活環境や嗜好、季節の移り変わりにまで配慮して、材料の配合を調整しているそうです。4代目に当たる現社長が、「私が常々思っているのは、『変わらないために、こちらが変わっていく必要がある』ということです。変わらないものを提供するためには、自分を意識的に変えていかないといけないと思うんです。パン作りにおいても、こちらが季節や天候によって毎日微調整をして、ようやく『変わらないもの』ができることと同じ考え方です」と語ってます。引き継いだものを守り、次世代に伝えていくためには、時代の流れに応じた改革を進めていくこと、そして1本の太い筋を貫き通すために常に改革を継続すること。それこそが伝統を守り、未来につなげていく原動力になります。 皆さんには、この後期も受験や毎日の学習、部活動・行事など、何かに挑戦し、努力を続けていってほしいと思います。そして、「変わらないために、変わり続け」ていって欲しいと思います。 ちょっといい話
じいちゃんの笑顔
じいちゃんの認知症は突然始まった。言動がおかしくなった。そこからは早かった。認知症は日に日にひどくなった。1人で何もできなくなっていた。夜の徘徊もあった。赤ん坊みたいに世話されてた。そこには、全く知らないじいちゃんがいた。そんなじいちゃんが怖かった。その日からじいちゃんを避けるようになった。結局、施設に行くことになった。でも施設生活は長くは続かなかった。別の病気があったから。今度は病院に入院した。他の家族はお見舞いに行った。でも自分は「受験だから」と行かなかった。ガリガリに痩せて、家族のことも覚えていないかもしれないじいちゃんに会うのが怖かったから。それから1年。じいちゃんは別の病院に移った。どうやら前の病院に遠まわしに「出ていけ」と言われたらしい。じいちゃんは、やっかいな患者だったのかもしれない。俺んち金持ちじゃないし、認知症に病気まであったんだから……。 自分がお見舞いに行ったのは年明けの寒い冬の日だった。母親に「年明けのあいさつをしに行こう」と言われた。その時の母親の目が、状況の深刻さを訴えていた。じいちゃんの状態が悪かったんだ。1年ぶりに会うじいちゃん。病室に行くと、じいちゃんは寝ていた。その姿を見てびっくりした。喉に管が通ってて、顔がガリガリに痩せていて、涙が出そうだった。花瓶に花を入れ、簡単な掃除をして帰ろうとしたときだった。じいちゃんが目を覚ました。目を細めて俺を見ていた。もしかして、ほとんど見えなかったかもしれない。俺はじいちゃんのすぐ近くに行って顔を近づけた。そしたら、じいちゃんが笑った。満面の笑みだった。俺のことを覚えていてくれた。すごくうれしかった。「また来るね」そう言って俺は病室を出た。笑顔のじいちゃんを見て少し元気がでた。 それから数日後だった。早朝、病院から呼び出された。病院に着いた時には、じいちゃんはもう死んでいた。静かに目を閉じていた。悲しすぎる時って涙が出ないんだ、と初めてわかった。 今でもじいちゃんの笑顔が忘れられない |
犬山市立城東中学校
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