最新更新日:2024/11/29
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ともに生きる

今日の献立   1月18日〜大寒卵紹介献立〜

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 ☆今日の献立☆は、
・ご飯
・牛乳
・厚焼き卵
・野菜と干しえびのごま和え
・肉じゃが
・ヨーグルト        です。

 1月20日は大寒です。大寒とは、1年を24の季節に分けた二十四節気の24番目になります。

 大寒の頃には、寒い時期ならではの食文化があります。その中で今日は「大寒卵」を紹介しました。
 にわとりは、寒い時期になると卵を産む量が減ってしまいます。そのため、大寒の時期に産んだ卵は貴重で上質な栄養源とされていました。少し早いですが、卵焼きで紹介をしました。

 しっかりと食べて寒さに負けない身体作りをしていきましょう。


ちょっといい話

   隠せない感情 

 研修医やってたときの話なんだけど、ある入院患者さんにつかせてもらってたんだ。患者さんは気さくなおじさんで、検診のたびに話し込んでた。お見舞いに来るのは大抵奥さん。奥さんもすごいいい人で、おじさんと同じくらい明るかった。そして、たまに息子もお見舞いに来てた。ムスッとしてて結構怖かった。母親から言われて、嫌々お見舞いに来てる感じだったかな。
 ある日の夜中さ、おじさんの容態が急変しちゃったんだ。俺も初めての経験でさ、すごい慌てたけど、ナースと力合わせて主治医が来るまで何とか頑張った。主治医は、「すぐに家族を呼ぶように」って指示を出して処置を始めた。奥さん、飛んできたよ。もう目が真っ赤だった。おじさん、だめだった。心停止からかえってこれなかった。奥さんに「ご臨終」を告げると、奥さん、おじさんにしがみついて泣き叫んでた。つらかった。
 そのとき息子が、病室に飛び込んできた。驚いたことに彼は、警察の制服を着てた。汗だくだった。「とーちゃん」って叫んだけど、奥さんの様子を見て悟ったと思う。がっくりうなだれて、黙ってしまった。彼の肩口の無線から、少しノイズみたいな音が漏れてた。しばらくして彼は、崩れ落ちてた奥さんを抱き起こして椅子に座らせた。そして俺たちに、「今まで親父をありがとうございました」と大きな声で叫んで、深々と頭を下げたんだ。顔を見せたときには、歯を食いしばって必死で涙をこらえてた。顔が真っ赤だった。
たぶん警察官ってこういう人たちなんだと思った。制服を着ている以上、彼らは職務を全うしなければならないんだと。だけど、隠せない親子の感情とせめぎ合わされるんだろうって。ふてぶてしいと思ってたけど、彼はあのお見舞いのとき、警察官らしかったのかもしれない。何か思い出してので…。

今日のお話 −1月18日(火)−

   立花  隆の名言

 学で得た知識など、
 いかほどのものではない。
 社会人になってから獲得し、
 蓄積していく知識の量と質、
 特に20代、30代のそれが
 その人のその後の人生にとって決定的に重要である。
 若いときは、何をさしおいても本を読む時間を作れ。

3年生学年末テスト・1,2年生実力テスト

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今日はそれぞれの学年がテストに取り組んでいます。今まで学習してきたことが理解できているかどうか、振り返るよい機会です。

今日の給食   1月17日

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☆今日の献立☆は、
・備蓄米ご飯
・牛乳
・さばのおかか煮
・切り干し大根とひじきのツナ和え
・炊き出し豚汁
・バナナ             です。

 27年前の1月17日、兵庫県淡路島を震源とした阪神淡路大震災が発生しました。
今日の献立は、災害時に食べることができるような食材を組み合わせた献立を提供しました。
 備蓄米ご飯は、犬山市役所で災害用に備蓄していたα化米を頂きました。ガスや電気を使うことなく、水さえあれば食べることができるお米です。

 和え物には、長期保存のきく乾物を使用しています。災害時には、コーン缶やツナのオイルなどで戻せば食べることができます。

 炊き出しの豚汁には、高野豆腐をいれました。乾物などを日々の食事にうまく取り入れて、ローリングストックしておくと重宝します。

 意識を高め、災害時に困ることがないようにしていきましょう。

ちょっといい話

   絶望からの奇跡の復活 

 2013年、埼玉県坂戸市で、野球部の練習後に帰宅しようとしていた高校生が、OBが運転する車にひかれ、両足切断の大けがをしました。 
 
 それから6年後。2019年7月23日に開幕した第90回記念選抜高校野球大会を、特別な思いで見つめる元高校球児がいます。明治大3年、森宏明さん。甲子園を目指していた17歳の時、事故で両脚を切断したあの元高校球児です。昨年からパラノルディックスキーを始め、2022年・北京冬季パラリンピックを目指しています。新たな目標に挑む自分と、球児を重ね合わせ「大舞台を楽しみながら、自分ができる最大限のプレーをしてほしい」と期待を込めています。
 野球が好きだった高校球児が、突然両足を失うという悲劇。彼はそれからどのような人生を歩んだのは知ることができませんが、6年後にパラリンピックを目指すスキー選手となって表舞台に出てきました。まさに奇跡の復活と言えるでしょう。

今日のお話 −1月17日(月)−

   立花  隆の名言

 頭がいい人と悪い人がいても、

 チンパンジーと人間ほどの差はないわけで。

 誰かにできることは

 自分にもできると思って間違いないです。

「オリンピック聖火リレーのトーチ・ユニフォーム」を展示しています。

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「オリンピック聖火リレーのトーチ・ユニフォーム」が市内小中学校を順番に回って、現在、本校で展示しています。20日(木)までです。

3時間目の様子

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国語の「走れメロス」の学習、数学の平行線と面積の学習、技術のプログラミング学習、体育の持久走などの学習に取り組んでいます。

今日の給食   1月14日

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☆今日の献立☆は、
・さつまいも入り赤飯(α化米)
・白ごまつくね(2)
・野菜の納豆なめたけ和え
・冬野菜のみそ汁     です。

 1月15日は小正月です。
昔の日本は、月の満ち欠けを1ヶ月の基準として暮らしていました。
旧暦で満月となる1月15日に当たる日を1年の始まりであるお正月として祝っていたそうです。

 小正月には、小豆がゆを食べる風習が伝わっています。小豆のように赤い食べ物には、邪気を払う力があると考えられていたためです。小豆がゆの代わりにぜんざいを食べる地域もあるそうです。

 今日は赤飯にして給食に取り入れました。


シェイクアウト訓練

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6時間目終了後、シェイクアウト訓練を行いました。今年度2回目の訓練です。自分の身を守るために、周りの状況を見て、よく考えて行動する姿がありました。

3時間目の様子

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国語の五段活用の学習、技術のプログラミング学習、美術のグラスアートボックスづくりの学習などに取り組んでいます。

ちょっといい話

   また『お母さん』って呼んでね 

 私には、お母さんが2人いた。1人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。もう1人は……。
 17歳の誕生日に母が継母であったことを聞かされた。私を生んでくれたお母さんは、産後すぐに亡くなったそうだ。「生みの親より育ての親」何て言うが、その時の私は今まで騙されてきたという怒りと、馴れ親しんだ母が急に他人に思え、両親の話も聞かず部屋でふてくされて泣いていた。翌日から母を「おばさん」と呼ぶようになった。そう呼ぶと母はたまらなく悲しそうな顔をした。その後、何かと私に気を使い出し、必死になる母をよけいに煩わしく感じ、口もきかなくなってしまった。何となく家に居ずらくなったので、夜は出かけるようになった。それから1ヶ月がたとうとする頃、シカトし続ける私に母が「部屋で読んでね」と手紙を差し出してきた。が、私はその場でぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に捨ててしまった。それを見ていた父が私をはり倒し、震える声で「母さんはなあ…」と言ったが、私はろくすっぽ聞かずに泣きながら自分の部屋に逃げた。
 翌日、母は帰らぬ人となった。居眠り運転をしていたトラックが赤信号を無視し、母の車に突っ込んだそうだ。即死だった。あまりに急な出来事のため、泣くこともできず、通夜が終わった後も母のそばでぼう然としていた私に、父がボロボロの紙きれを渡し、ひと言「読め」と言った。昨日の手紙であった。そこには母らしい温かい字でこう書いてあった。
 千夏ちゃんへ 17年間騙していてごめんなさい。お父さんはもっと早くに言おうとしてたんですが、あなたに嫌われるんじゃないかと思い、あんなに遅くなってしまいました。あなたの気持ち、とてもよくわかる。だってお母さん、偽者だったんだもんね。でもね、お母さん、あなたのことを本当のお母さんに負けないぐらい愛してるんだよ。千夏が成人しても、旦那さんができてもずーっと……
 泣きながら書いたのか、字のところどころがにじんでいる。そして最後に震える字でこうあった。
 だから、また「お母さん」って呼んでね。
 私が感じた寂しさを、母は17年も耐えていたのだ。人の気持ちを考えられなかった私は、1ヶ月もの間、母を苦しめたのだ。「お母さん」。1ヶ月ぶりに発したその言葉は、冷たくなった母の耳には届かない。

今日のお話 −1月14日(金)−

   米長邦雄の名言

 将棋の世界で、一番大切な大局観だ。
 つまり、勝つためにはどうすればいいかを
 全体を通してみる“状況判断能力”である。
 いまは攻めるときなのか、退くときなのか。
 その局面を的確に読み取り、勝機を逃さない人が、
 本当の実力者といえる。

今日の給食   1月13日

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☆今日の給食☆は、
・愛知の米粉ロールパン
・牛乳
・ポークシチュー
・ひじきのマリネ
・手作りほうじ茶ミルクプリン      です。


 米粉ロールパンには、愛知県産の米粉と小麦粉が使われています。人気のパンです。

 デザートには、日比野製茶さんのほうじ茶を使用した手作りのミルクプリンです。
濃厚で香り豊かなプリンに仕上がりました。

 ほうじ茶には、ピラジンという成分が含まれており、血管を拡張させ冷え性を改善する効果が期待されます。
 また、緑茶同様にカテキンも豊富で、抗菌作用によってインフルエンザなどの感染症予防に効果があると研究が進められています。



ちょっといい話

   一緒にお弁当食べていいかな 

 今から15年以上前。当時、小学6年生だった僕のクラスにA君という、兄弟のおさがりと思われるヨレヨレの服を着た子がいました。体も小さく勉強もスポーツもてんで駄目なA君は、クラスでいじめられていました。かわいそうだと思いながらも、僕は自分が巻き込まれるのを恐れ、遠くから見ていることしかできませんでした。
 そんなある日、事件が起こりました。その日は、遠足で登山に行きました。友達のいないA君は、お弁当の時間も孤立しているような状態。A君は5分経っても、10分経っても弁当箱を開けようとしません。僕はその理由にすぐ気づきました。周りの同級生が、愛情がたっぷりのお弁当を自慢し合っている中、自分の惨めなお弁当を他の人に見られたくなかったのです。そんな時、A君に違うクラスのY先生が近づきました。Y先生は女性の先生で、とにかく厳しかったため、児童はもちろん同僚の教師からも怖がられていました。クラス替えの前日は、Y先生のクラスになるんじゃないかと不安で眠れなかったほどでした。そんなY先生がA君に対して「一緒にお弁当食べていいかな」と笑顔で声をかけました。これには、その場にいた誰しもが、一瞬目を疑いました。Y先生の笑顔など、学校内では1度も見たことがなかったからです。そして、彼女は大きなリュックサックから弁当を取り出すと、そこにはお節料理のような豪勢なお弁当がありました。びっくりして言葉を失っているA君を尻目に、先生は「一杯作ってきたから、アナタ達も食べなさい」と他の児童にも声をかけました。こうしてさっきまで1人ぼっちだったA君の周りには、児童の輪が出来きました。遠足の日以来、A君は少しずつクラスに馴染んでいき、卒業の日を迎えました。卒業式が終わると、A君の母親が、Y先生に涙ながらにお礼の言葉を述べていました。
 10年後、教育実習で母校にお世話になったとき、当時の様子を知っている先生から、「Y先生はA君の給食費や修学旅行費を立て替えたり、休日にA君の家庭教師もしていた」という話を聞き、10年前の遠足の時、Y先生は最初から「A君が周りと打ち解けられるように」豪勢なお弁当を作ってきたのだと確信しました。厳しくて生徒から嫌われていたY先生が、あの日見せた「人としての本当のやさしさ」を知り、教育者を目指す身として、胸が熱くなった。

理科の研究授業

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1年生の理科で研究授業を行いました。「力の大きさとばねの伸びの関係はどのようになっているのだろう」の学習課題を設定し、実験方法を考えて、グループで協力して実験をすることができました。

今日のお話 −1月13日(木)−

   米長邦雄の名言

 将棋が強くなる方法は、

 脳みそが汗をかくほど集中して、

 盤面を見つめることである。

3時間目の授業

国語の五段活用の学習、社会科の北アメリカ州の学習、数学の立体の学習などに取り組んでいます。3年生は4教科のテストに取り組んでいます。
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ちょっといい話

   神様、何で先輩みたいな人は報われへんかったんですか 

 俺は高校3年生で、野球部を引退したばかりです。世界で1番尊敬する先輩がいました。野球は本当に下手で、1度も打席に立たせて貰った事がありませんでした。それでも毎朝、毎晩ずーっと練習してて、手はいつも血マメでボロボロでした。
 俺は、ある日先輩に「Mさん、何でそんなに頑張れるんですか」と聞きました。先輩は、「頑張らんと試合出られへんやろ」と答えて、また黙々とバットを振り始めました。俺は先輩の努力に憧れ、それからずっと練習に付き合いました。一緒に練習するうちに、、話もよくするようになりました。ある日先輩は「俺なぁ、いつか、試合で打席に立つのが夢なんや。ショボイ夢やろ」と言いました。俺は何にも言えませんでした。でも結局、最後の練習試合まで、出番はありませんでした。最終回、何と先輩が代打で起用されました。先輩はすごい真剣な顔で打席に立ってました。構えは不格好でしたが、俺は絶対打てると信じました。結果は、ファーストへのボテボテ内野ゴロでした。先輩は、全力で1塁に走りましたが、アウトになってしまいました。先輩の通算成績は、1打数0安打。でも、誰よりも価値のある1打席だったと俺は思いました。その年、甲子園には届きませんでした。先輩は引退する時、俺に泣きながら「努力は絶対報われるからな。頑張れよ」と言ってくれました。
 俺は必死に頑張りました。先輩に負けないぐらい練習しました。そして、甲子園に出ました。大学からも誘いがあり、これからも野球が続けられるようになりました。全部先輩のおかげです。こんなに頑張れたのも、甲子園行けたのも、全部先輩の言葉のおかげでした。でも、先輩は先月、電車事故で亡くなってしまいました。仕事帰りだったそうです。きっと仕事でも、フラフラになるまで頑張ってたんだと思います。結局、俺は先輩に言葉で「ありがとうございました」としか言えませんでした。
 今になって思います。神様、何で先輩みたいな人は報われへんかったんですか?才能だけで生きてる人もいるのに…。何で先輩は死ななあかんのですか?おかしいじゃないですか?
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