最新更新日:2024/11/26 | |
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ちょっといい話
母の炊き込みご飯
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。特にそれを口に出して言った事はなかったけど、母は判っていて誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。高校生になるとさすがに「またかよっ」と思う様になっていたのだが、家を離れるようになっても、たまに実家に帰るとまっていたのは母の「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった。 会社に電話が来て慌てて向かった病室には、既に近くの親戚が集まっていた。モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると、母の口が動いた。何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると「炊きこ……たよ。たくさ……さい」と消え入りそうな声で言っていた。それが最後の言葉だった。 「ママの作ったスパゲッティー大好き」口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘と、それを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に、母の炊き込みご飯が食べたくなる。 教科部会3時間目の様子
大和政権の学習、バレーボールの学習、数学の有理化を使った計算練習などに取り組んでいます。
今日のお話 −6月14日(月)−
心屋仁之助の名言
自分の価値観や常識で 他人や出来事を 「正しいか間違いか」で ジャッジしたときに 問題はつくられる。 ちょっといい話
お母さんの味噌汁
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。なので料理は基本的に父が作っていた。でも遠足などで弁当がいる時は、母さんががんばって作ってくれていた。でも、小学校6年の時の遠足で、「見た目が悪い、母さんの弁当」を友達に見られるのが嫌でとうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない」と言ってしまった。母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、「うまく作れなくてごめんね」としか言わなかった。 時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないので、いつも昼は購買のパンですませていた。しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。遠足の時に作ってくれたものとは味も見た目もよくなっていた。「不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ」と、思ったのもつかの間、肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに……。母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に1年間料理を習いに行っていたらしい。 後日、その定食屋に行ってみた。定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはないけど、やさしそうな人だった。そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。その定食を頼んだ。そして、それを口にした途端、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。たった3ヶ月しか食べられなかったけど、確かに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。腕がまともに動かせないのに、がんばって作ってくれた、あのハンバーグの味。形は少し不細工だったけど、とてもおいしかったあのハンバーグの味。 今日のお話 −6月11日(金)−
心屋仁之助の名言
うまくいかない人は 本当はやめたいことを 我慢して続けている人です。 そして、本当はやりたいことを 我慢してやっていない人です。 4時間目の様子犬山学び場「みらい」 参加募集!
向暑の候 保護者の皆様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。 日頃は、本校の教育活動にご理解、ご協力をいただき誠にありがとうございます。
さて、犬山市では、平成29年度から犬山学び場「みらい」を開催しています。本年度も自ら学ぶ力の向上や基礎的な学習内容の定着を目指して、下記の要領で実施いたします。 参加を希望される方は、本日お子様を通じて配付しました参加希望届けに必要事項を記入の上、7月13日(火)までに、各担任にご提出下さい。 犬山学び場「みらい」参加生徒募集 ちょっといい話
おやじ
俺は小さい頃、親父と毎日のように野球してた。でも、中学生くらいになって、いろいろ忙しくて、野球は続けてたけど、親父とはキャッチボールすら一緒にしなくなってた。でも、だからといって仲が悪くなったわけでもなく、夕ご飯のときとか、一緒にいるときはよく喋ってた。 そんな中2の夏、親父は肺の病気にかかった。そして、入院してからすぐ、1ヶ月ほどで逝っちまった。俺は泣いた。そりゃ家族なら悲しいからな。でも俺は、母さんから親父の生前の話を聞いてもっと泣いた。親父入院してるとき、毎日のようにこう言っていたそうだ。「もう1回、あいつとキャッチボールしてえな。でも無理か。今はあいつ、土日は家にいないし。頼んでも断られるのがオチだな。」 俺は親父にキャッチボール頼まれて嫌だなんて言う息子じゃねえよ。今はもっとうまく投げれるのによ。親父から教えてもらったスライダー。 今日のお話 −6月10日(木)−
心屋仁之助の名言
「あの人が問題」 と言っている人が問題。 「問題だ」と言っている人に 問題がある。 1.2時間目の様子
バトンパスやマット運動、数学の平方根の学習、社会科の安土桃山時代の学習などに取り組んでいます。今日は教育実習生による研究授業も行われました。これまでの実習をふまえて、子どもたちのために、工夫して授業を行っていました。
ちょっといい話
お母さん
小学生の頃住んでいた家に帰る夢を見た。 懐かしくて、嬉しくて、玄関を開けて「ただいま〜、お母さん、ただいま〜」って叫んだよ。家の中に入ると台所に小学生の頃の髪の黒いお袋が夕飯を作りながら「お帰り」って、笑顔で迎えてくれて……。お袋の顔見るとつい甘えてしまってさ。「お母さん、俺、これからどうやって生きていったらいいのか、わからなくなっちゃったよ」って言ったら お袋は笑いながら、「お前が生きていてくれればそれでいいんだよ」って言ってくれてさ。涙が溢れそうになって、恥ずかしいから自分の部屋に入って窓を開けると、当時のままの景色が見えて、堪え切れずに泣き出してしまった。 目が覚めると、夢だったんだと思って声をあげて泣いてしまった。この夢を思い出すたびに胸が押しつぶされそうになって、不意に涙ぐんでしまう。もし本当に子ども時代に戻れても、現在とのギャップに苦しんでしまうかもしれないね。 今日のお話 −6月9日(水)−
心屋仁之助の名言
イヤな奴を無理やり 力でねじ伏せたとしても 本当の問題は 解決していませんから 再発します。 1時間目の様子PTA交通安全指導・あいさつ運動陸上練習
今日は陸上の記録を測定しています。がんばれ!城中生!
ベルマークを集めています1時間目の様子ちょっといい話
体の弱い母
母は元々体が弱く、月に1回定期検診を受けていた。そこで、妊娠したことが発覚したらしい。母の体が弱いせいか、私は本来赤ちゃんがいなくてはいけないところにいなくて危ない状態だったらしい。当時の医療では「1万人に1人しか助からない」、「母子共に命の危険があり、もし生まれたとしても障害が残るかもしれない」などと言われた。でも父が、一生懸命お医者さんに頼み、母も3ヶ月前から入院して体が弱いのに頑張って私を産んでくれた。だから、私は無事に生まれることができた。当時幼稚園だった姉も、寂しいのを我慢して祖母の家で私が生まれるのを楽しみにしてくれた。私は3人から溢れでそうなくらい愛情を貰って生まれることができた。 今は凄く幸せだ。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、ありがとう。神様、ありがとう。私は皆から貰ったこの命を大切にします。 今日のお話 −6月8日(火)−
心屋仁之助の名言
心をすりへらしてしまう人 というのは 「やりたいこと」より 「やらなきゃいけないこと」を 優先してしまう人。 |
犬山市立城東中学校
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