最新更新日:2024/11/25 | |
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生徒会役員立候補者演説会・皆が持っている力を城中パワーに変え、胸をはって誇れる学校をつくりたい。 ・今の時代に合った校則の在り方を見つけていきたい。 ・電子黒板やタブレットを活用し、新たなプログラムを組み、生徒会行事をさらに発展させたい。 ・目安箱の意見を放送や掲示板で紹介することで、生徒会活動を活性化させて城中をよりよくしていきたい。 ・関わりのある人もない人同士でも、明るいあいさつの飛び交う城中を目指したい。 ・小さなことでも挑戦しようとする心を大事にして、様々なことに挑戦する取組をしたい。 ・メリハリがあって、環境が整った学校をつくっていきたい。 どの立候補者の演説も、自分たちの力でよりよい学校をつくっていきたいという思いがあふれていました。 4時間目の様子
日本の地域区分の学習、英語の過去形についての学習、体育のサッカーなどに取り組んでいます。また、今週は生徒会主催でノーチャイム週間に取り組みます。時間を意識して行動できるようにしましょう。
名経大学生考案献立(3/15)今日は、名古屋経済大学の学生さんが食物繊維をテーマに犬山の給食を考えてくれた献立です。食物繊維は、ひじきや野菜、きのこ、海藻などに多く含まれています。 〈学生さんが考えた献立のポイント〉 〇タレカツ:新潟県で有名なタレカツ丼を参考にしました。麦ご飯にタレカツをのせることで、食物繊維が豊富な麦ご飯が食べやすくなります。 〇ひじきと野菜のカラフル炒めは、ひじきや大豆などの食物繊維がたくさん含まれている食材を取り入れました。ひじきが食べやすくなるように彩りも工夫しました。 タレカツのカツは、給食室で豚ひれ肉に衣をつけ、手作りしました。 ちょっといい話
最高の幼馴染
少し前の話になります。母が14年間の闘病生活の末、亡くなった。その母の闘病生活を「家族の様に支えてくれた幼馴染」が2人、僕にはいる。 中学生の頃に病に倒れた母は、入退院を繰り返す日々が続いていた。私は、食事や洗濯物を主婦同然に行っていたが、ある日家のベルがなって玄関の扉を開けてみると、たくさんの食材を持った幼馴染の姿があった。「俺たちの得意料理を作ろうぜ」と言い、キッチンの中へとあがりこむ。「お前は米を炊いてくれ」と、言われるがままに米をとにかく炊けるだけ炊いた。2人は慣れないながらにも包丁を一生懸命に使い野菜を切った。メニューは、学校のキャンプで作ったばっかりのカレーだ。そこに、色々な本やテレビで調べた調味料を加えていく2人。ソースにチョコレートにヨーグルト、そんな物を入れて本当に美味しく出来るのか不安になったが、僕らはとにかく料理を楽しんだ。3人で料理を作るなんて初めてだった。3人で作ったカレーの味は一生忘れることの出来ない最高の味になった。カレーを食べている途中で親父が帰って来て、「父さんにもくれ」と言ったので、すぐに用意をすると「こんなに美味しいカレーは食べたことがないな」そう言って、2人に「ありがとう」と伝えてお小遣いを渡そうとしたが、2人は「カレーのおかわりをしてくれればそれでいい」と笑顔で返した。 そんな2人が、母が亡くなった日に本当に家族の様にいつまでも泣きじゃくってくれた。火葬の日に母と俺たち家族の乗った車を、いつまでも涙を浮かべて頭を下げながら見送ってくれた姿を僕は一生忘れる事はないだろう。乳母車で3人並んで写っている頃からの最高の親友だ。ありがとう。 今日のお話 −3月15日(月)−
竹村 健一の名言
人生の目指す頂上は 人それぞれ。 そして、その頂上へ登るルートも 決して一つではない。 右から登っても、 左から登っても、 回り道をしても、 最終的に 頂上にたどり着きさえすれば いいわけだ。 □ プロフィール 大阪府出身のジャーナリスト、評論家、著述家。毎日新聞社の英語新聞の記者を経て、山陽特殊鋼へ入社。その後「追手門学院大学英文科」の助教授、「拓殖大学」客員教授などを務める。その後、マーシャル・マクルーハンのメディア論の紹介で注目され、文筆活動を開始。テレビやラジオなどのメディアに多数出演し、保守的な論調で知られている人物。また、パイプを銜えた独特な風貌や独特の口調でも有名であり、多くの芸人が物真似芸を披露している。 ちょっといい話
乳がんの恐ろしさ
親友のMとは幼稚園からの長い付き合いです。何か悩んでいる時、いつでも私が最初に相談するのはMでした。Mの1番の相談相手も私だったと思います。私が相談した時、いつでもMは「大丈夫だよ」と言ってくれました。Mのその言葉でいつも私は安心出来ました。 Mと部屋で話をしていた時でした。Mは「実は来月入院することになったの」と言い出しました。驚く私にまるで他人事みたいに「乳ガンになっちゃった」と続けました。「初期だから全然大丈夫だよ」と笑って言うMの言葉を信じるしかありませんでした。Mは入院して手術を受けました。私はMの負担にならないように、できるだけお見舞いに行きました。病室での彼女はそれまでと変わらない笑顔でした。しかし病魔は、Mの体を蝕んでいたのです。手術が終わって退院予定日になってもMは退院出来ませんでした。「ちょっと延びただけだから大丈夫」とMは、笑っていたけれど衰弱しているのは明らかでした。 Mはそのまま退院することなく天国へ旅立ってしまいました。最後に会った日、弱弱しく私の手を握りながら「大丈夫」とMは言いました。でも、その目には涙が光っていました。私が初めてみたMの涙でした。 Mがいなくなってしまった今、何か悩んだ時は空を見上げるようになりました。「大丈夫」と言うとMの笑顔が浮かんで頑張れる気がするから……。 4時間目の様子
木工作品作り、習字の学習、地層の学習などに取り組んでいます。ICT機器を使った分かりやすい授業も行われています。
今日のお話 −3月12日(金)−
曽野 綾子の名言
人生において 何が正しいかなんて 誰にもわからないのだから 自分の思うとおりに進んで その結果を 他人の責任にしないことが 大切ではないかと思う。 今日の給食(3/12)ポテトカップグラタンは、器がじゃがいもを使ってできているので、全部食べることができます。 シャキシャキサラダは、ごぼう、にんじん、きゅうり、大豆をマヨネーズで和えました。食材ごとに違う食感を楽しめます。 今度の日曜日はホワイトでーなので、給食ではみなさんにいちごタルトを取り入れました。 ちょっといい話
14年前
もう14年も昔の話なので、今は普通に暮しているけど、母が癌で死んだ。しかも子どもだった私達姉妹は、最後まで癌だった事は知らされずに死んだ。本当に素晴らしい人だった。たぶん一生私の中で尊敬する人だし、目指すべき人でもある。抗がん剤を投与して髪が無くなり、レースのヘアーキャップをかぶって病室で笑ってる母を今でも思い出す。私の中学の入学式の日に、無理やり病室から出てきてかつらで入学式に出てくれた母。制服姿の私を見て涙する母に、「大げさだなー」と笑っていた私。後から聞けば、母は、前日に父から癌を告知されたらしい……。 東京の病院に移り、北海道の私達の家に無言で帰宅した母に驚きでしばらく涙も出なかった。その後、癌だという事を教えてくれなかった父に激しく怒りをぶつけ、口も聞かなかった。でも、父は父で1人で辛い思いをしてきた事に気づいたのは、母が父に宛てた手紙を見つけた時だった。その手紙の日付の夜、父は真夜中まで帰って来ず、目を真っ赤にして次の日の朝笑っていた事を思い出した。この前飛行機に乗って、前列の方に遺体があるのに気づき、その後ろで黙って座っている男性を見たとき、父も同じように帰ってきたんだなと思い涙が出た。 昨日から色々自分の事で悩んでいて、死んでしまいたいと思っていました。でも、このスレッドを見て死んだ母の事を思い出し、また、色々な方々の体験を読ませて貰って自分の愚かさに気づきました。 今日のお話 −3月11日(木)−
曽野 綾子の名言
社会が自分を裏切ったから 自分はだめになったなどと 言うのは口実に過ぎない。 自分の教育に責任があるのは まず自分であり 最終的に自分である。 震災復興応援献立(福島県)今日は、震災復興応援として、福島県の郷土料理を出します。 今から10年前に東日本で最大震度7の地震が起きました。10年たった今でもその余震とされる地震が起きています。 給食では、被災地の郷土料理をおいしく食べることで、復興を応援する気持ちを持ち続けてほしいと思います。 〇 ひきないり 「ひきな」とは、千切りにした大根を意味する方言で、ひきなをいためた物を「ひきないり」と呼びます。 〇 こづゆ 7種類の具材を入れて薄味に仕立てた汁物です。干したほたて貝柱でだしをとり、おもてなし料理とされています。 4時間目の様子ちょっといい話
じいちゃんまたね
じいちゃんがいなくなって2年がたつ。じいちゃんが亡くなる日の朝、起こされ急いで病院に向かった。明らかに親の様子がおかしい。嫌なことを想像してしまった。「そんなことは絶対に無い!」と自分に言い聞かせるのが精一杯だった。しかし、病院に着いたが間に合わなかった。「じいちゃん!」って何度呼んでも反応してくれない。悔しかった。寂しかった。涙が止まらなかった。 じいちゃんと共にじいちゃんの家に帰った。じいちゃんは布団の上で気持ちよさそうに寝ていた。呼んだら起きそうだったがなかなか反応してくれない。ばあちゃんは、眠っているじいちゃんの横でずっと話しかけていた。それでもじいちゃんは反応してくれない。その光景を見るのが辛くて、護岸に逃げた。護岸でじいちゃんと釣りをしたのを思い出してしまい、また泣いてしまった。現実をどうしても受け入れることが出来なかった。 俺はじいちゃんが亡くなる3日前、家に会いに行ったんだよ?じいちゃんに「次は泊まりに来るから」って言ったら、「待ってるから早く来いよ!」って笑顔で見送りしてくれたんだよ?全てが夢であって欲しかった。でも、姿が変わったじいちゃんを見て夢じゃないと思った。 逃げちゃダメだよね。辛いことがあってもしっかりと向き合って頑張って前に進まないといけないんだよね。人の命はいつ終わりがくるかわかんないね。皆でばあちゃんを守るから安心してください。上から皆を見守っててね。じいちゃんまたね。 今日の給食(3/10)ミニフィッシュには、カタクチイワシが使われています。下あごに比べ、上あごが突き出ているため片口という名前になりました。 ミニフィッシュ1袋で、牛乳1/3本分と同じカルシウム量を取ることができます。成長期の中学生には、特に必要な栄養素です。日頃からカルシウムの多い食品を食べてほしいと思います。 今日のお話 −3月10日(水)−
曽野 綾子の名言
自分らしくいる。 自分でいる。 自分を静かに保つ。 自分を隠さない。 自分でいることに力まない。 自分をやたらに誇りもしない。 同時に自分だけが被害者のように 憐れみも貶めもしない。 自分だけが大事と思わない癖をつける。 自分を人と比べない。 これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴。 ちょっといい話
カッコいいおじいちゃん
電車で帰省していた時のこと。私は優先席付近に立っていたのだが、貧血を起こしてしまい床にしゃがみこんだ。すると優先席に座っていたおじいさんが、席を譲ってくれた。私も最初は遠慮したが、「わしは健康だけどアンタ具合悪そうだし、優先席はジジババの為だけのもんじゃないよ」と言ってくださったし、おばあさんも勧めてくださったので座らせてもらった。貧血が回復したら立つか移動しようと思いながら……。 しばらく座っていたら、とある停車駅でオバちゃん2人が乗ってきた。そのオバちゃん、席を探して車内をうろついていたが、生憎満席だったらしくドアの方に戻ってきた。そして、ドア付近に立ったまま喋り出したのだが、その内容が丸聞こえ。「あの子老人立たせて座ってるわよ」、「私たちだって立ってるのにねぇ」、「これだから最近の若い子は……」と完全に私に文句を言っている。何かいたたまれなくなって立とうとするも、まだ具合が悪くて立てそうにない。 私の様子に気付いたおばあさんが、「いいのよ気にしないで」と言ってくださるものの、肩身の狭い思いをしてたら、まだぶつぶつ言っているオバちゃん達におじいさんがキレた。おじいさんは、そのオバちゃん2人に歩み寄って行って「確かにあの子は若いが、具合が悪いからわしが席を譲ったんだ。あんたら見た所、座らなきゃいけないようなトシでも身体でもないだろうが。悪口言ってる暇があったら少し他人のこと考えたらどうだ。」と穏やかだが説得力のある口調で窘めた。オバちゃん2人、最初は呆然とおじいさんを見ていたが、結局コソコソと車両を移っていった。戻ってきたおじいさんは、私に「あんなの気にする必要ないからね」と朗らかに笑っていた。 こんな人と結婚できたおばあさんは幸せだと思った。 東京オリンピック応援献立「ロシア料理」(3/9)今日は、東京オリンピック応援献立「ロシア料理」給食です。 〇愛知のビーフストロガノフ ロシアの家庭料理です。 牛肉とマッシュルームをサワークリームの入ったソースで煮込んで作ります。給食では、食べやすいようにデミグラスソースを使って煮込みました。無償でいただいた愛知牛の美味しさも味わって下さい。 〇オリヴィエサラダ ロシアのポテトサラダです。 〇ピロシキ ロシアでとてもポピュラーな料理です。 持ち運べて簡単に食べられるように工夫されています。 2時間目の様子
統計の学習、地層のでき方についての学習、サッカー、北海道地方の学習などに取り組んでいます。
今日のお話 −3月9日(火)−
曽野 綾子の名言
幸せでいることに 慣れてしまうと 不幸せになることが 許せなくなってしまう。 自分の一生は いつも幸せでなければならない と思い込んでしまう。 この誤った感覚が 日本人をどんどん 不幸せにしている。 |
犬山市立城東中学校
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