最新更新日:2024/11/21 | |
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ちょっといい話
俺とじいちゃんは「じい」「若」と呼び合っていた
俺の近所に住んでた爺さんの話。 1人暮らしだった爺さんは子ども好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで、老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを2人で真似して(俺)「じい、今日も遊びに来たぞ」、(爺)よくぞいらっしゃいました」、なんて呼び合って遊んでいた。そんな関係は、俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中で入院中だという。さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だという。俺は、「じい」に呼びかけてみた。「じい、俺だぞ。覚えてるか」ダメもとのつもりだった。が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き、そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。「若、ご立派になられましたな。」 感動……、しました。 今日の給食(2/22)キムたくチャーハンは、学校でアルファー化米を使って炊きました。キムチ漬けとたくあん漬けを使った長野県の給食メニューとして誕生しました。 バンバンジーとは、固い鶏肉を棒でたたいてほぐして作ったことから、「棒々鶏」と書きます。 今日は、愛知県産の食材で作られた春巻きと組み合わせて、中華献立にしました。 今日のお話 −2月22日(月)−
武者小路実篤の名言・格言
尊敬すべき幸福な人は、 逆境にいても、 つまらぬことはくよくよせず、 心配しても始まらないことは 心配せず、 自分の力のないことは 天に任せて、 自分の心がけをよくし、 根本から再生の努力を する人である。 □ プロフィール 武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ/1885年5月12日〜1976年4月9)は、東京府(現在の東京都)出身の小説家・詩人・劇作家。東京帝国大学に在学中に同級生であった「志賀直哉」や「木下利玄」らと「一四日会」を組織。同年に東大を中退し、翌年に回覧雑誌「望野」を創刊。1910年に「志賀直哉」「有島武郎」「有島 生馬」らと文学雑誌「白樺」を創刊。1918年には、理想的な調和社会、階級闘争の無い世界という理想郷の実現を目指し、宮崎県児湯郡木城村に「新しき村」を建設(後にダム建設による水没のため埼玉県に新設)。1948年に主幹として「心」を創刊。晩年は色紙に書いた野菜の絵に毛筆で文を添えた作品を数多く制作した。 ちょっといい話
「風の電話」
東日本大震災から5年、大津波により壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。町には海を見下ろせる高台があり、その庭園には不思議な佇まいをした1台の電話BOXがあります。その名は「風の電話」。 「被災者の心の助けに」との思いから設置され、これまでに1万人以上もの方が、この場所を訪れています。中にあるのは、回線のつながらない黒電話と1冊のノートだけ。しかし、この何処につながることもない電話をかける為に、この場所を訪れる人の数が途絶えることはありません。「風の電話」では、お亡くなりになった、あるいは行方不明になっているご家族やご友人と、もう一度言葉を交わしたいと願う人々が、ここで受話器を握り「会話」をします。 電話機の横には「風の電話は心で話します。静かに目を閉じ耳を澄ましてください。風の音が、または浪の音が、あるいは小鳥のさえずりが聞こえたなら、あなたの想いを伝えて下さい」と記されています。 □ ノートに記載されていた訪問者のメッセージの一部です。 ○ 「会いたくて、会いたくて、声が聞きたくて来てみました。もう痛 くないよね、苦しくないよネ」 ○ 「(小さな子どもの字で)お母さん、どこにいるの? 早く帰って きて! 待ってるからね」 今日のお話 −2月19日(金)−
井深大(まさる)の名言・格言(2つ)
□ 両親がひたむきに生きる姿自体が、 どんな幼い子にも、 素晴らしい影響を与えるのです。 □ 立派な人間になるための一つの条件は、 自分が心から尊敬できる人を持つこと。 ちょっといい話
親へのプレゼント
社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。「服でもバックでも、他に何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!」って涙が出たけど、トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。 今でも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。いつも素直になれなくてごめん。マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。 おまえら生きてるうちに親孝行しとけ。いなくなってからじゃ後悔しかできないぞ。これはマジだ。 3時間目の様子食育の日献立(2/18)今日は、食育の日献立です。 にじますは、虹みたいにきれいな模様があり、「レインボートラウト」とも呼ばれています。愛知県の三河地区で養殖されているお魚で、12月には切り身をみそマヨ焼きにして紹介しました。今回は甘露煮にしてあるので、丸ごと全部食べられます。 国も無償提供事業に申請して、給食でありがたくいただくことができます。 今日のお話 −2月18日(木)−
井深大(まさる)の名言・格言
世の中に尽くすとか、 他人のために何かするということは、 お金ができてから、 名声を得てからすることだと、 考えるのはまちがいだと思います。 あなたの周りを見渡せば、 身近なところに誰にでもやれることが、 いくらでもあるからです。 ちょっといい話
1億万倍
今から20年くらい前。私が小学校低学年で、弟はまだ幼稚園だったころ。私はいつも近所の友達の女の子と遊んでいた。その友達は、今から考えてもとても可愛い子で、私は「○○ちゃんみたいになりたいなー。お人形さんみたいで、可愛いもんね。」っていつも言っていた。本当に可愛い女の子だった。それに比べて私は、ちんちくりんで何の取り得も無かったから、余計にその友達に憧れていた。 ある日、たまたま私の弟も私たちと遊ぶことになった。しかし、いつもの様に私が友達に「○○ちゃんはいいなー。可愛いんだもん。」と言った時、弟は言った。「お姉ちゃんの方が1億万倍可愛いよ」と。それも、何回も言った。「えー。お姉ちゃんの方が1億万倍可愛いのに」。私は、顔から火が出るほど恥ずかしくなって弟を罵倒した。「自分が1番可愛い」と思っている友達の前で、全然可愛くない私を「可愛い」なんて言われて、すごく馬鹿にされたような気がして、友達にも恥ずかしくって、「1億万なんていう数字、ないよ。だからあんたは馬鹿なんだよ。もう帰れ!」と言って泣いてしまった。弟もわんわん泣いた。 その後両親の離婚で、私たち兄弟はめったに会えなくなった。なかなか会えないけれど、今でもあの時弟を泣かせたことは鮮明に覚えている。タイムマシンを1回だけ使わせてくれるとしたら、私は間違いなくあの日に行く。そして、私のことを「1億万倍可愛い」と言ってくれた弟にお礼を言いたい。 今日のお話
井深大(まさる)の名言・格言
社会をリードしていく人間の、 基本的能力とは何か。 それが「人徳」であると私は思います。 2時間目の様子3年生は卒業に向けての活動や、まとめの授業を行っています。 ちょっといい話
妹の門出
5年前のこと。妹が短大を中退した。たいした理由はなく、なんとなく短大をサボりがちになって、このままでは2年間で卒業できないのが明らかになったから。かなり無理して妹の学費を用意した父は激怒。妹は、家を出て行くように言われた。それから2週間で妹はアパートと契約社員で雇ってくれる会社を探し、家を出て行く準備を整えた。その間、父と妹はほとんど口をきかなかった。妹が家を出る前の日の夕食はオムライスだった。母は、私と一緒に夕食の準備をしながら妹に言った。「お父さんの手前、赤飯を炊くのはできないから、オムライスにしたの。赤いごはんは同じでしょ。自力で会社も探して引越しの準備もして、偉かったね。これはあんたのちゃんとした門出なんだから、お母さんはお祝いするわよ」妹はすこし泣き、その日オムライスを2皿食べた。父はオムライスを食べなかった。母の意図がわかったらしい。 去年、妹が結婚相手を連れて帰ってきた。父は何事もなかったかのように妹と婚約者を歓迎した。そして、札束の入った封筒を妹に渡して言った。「お前の短大の学費が1年分余っていた。好きに使え」その日はまたオムライスだった。 今日の給食(2/16)今日のビビンバには、無償提供の愛知県産牛肉がたっぷり入っています。 鬼まんじゅうは、愛知県の郷土料理です。戦中戦後の食糧難の時代に、米の代わりの主食として広まりました。角切りにしたさつまいもの角がゴツゴツ見えることから、鬼のツノや金棒を連想し、この名が付いたと言われています。 今日のお話 −2月16日(火)−
井深大(まさる)の名言・格言
人生で出会う出来事は、 すべて何かを教えてくれる。 生きている限り、 学ぶべきことがある。 ちょっといい話
うれしいあいさつ
犬山市では、皆であいさつをするオアシス運動が行われている。私は以前からあいさつをする習慣があって、子どもたちはもちろん、散歩をしている通りがかりの人にも、大きな声であいさつをしている。 小学校卒業式の前日、いつもの通り、交通危険箇所で安全指導をしていたときのことである。犬山市の楽田に内久保という町内があり、小学生は6名である。このうちの2人は明日卒業する。内久保の生徒が危険箇所を通り過ぎたので、私も一緒に学校に向かおうとした。そのとき、この6名が道路の端により、1列に並んだ。「6年間ありがとうございました。これからも下級生をお願いします」と、全員で深く頭を下げあいさつをしてくれた。私は、胸が熱くなり目も潤んだ。でも心の中で、「これはアレルギー性鼻炎のせいだ」と言い訳をした。 (北斗 6月号より) 今日のお話 −2月15日(月)−
井深大の名言・格言
若い方々にぜひ伝えたいことが2つあります。 1つは、自分自身を大切にすること、 自分を生かすということと合わせて、 それと同じくらいのウエイトで、 他人(ひと)のために、 社会のために何かできることはないか、 ということを考えていただきたい。 また、そういう気持ちを、 ぜひもっていただきたいということです。 もう1つは、 しっかりした生きるよりどころを、 ぜひもってもらいたいということです。 □ プロフィール 井深 大(いぶか まさる):1908年4月11日〜1997年12月19日(男性)。栃木県上都賀郡出身の実業家、電子技術者。盛田昭夫と共にソニーの創業者の一人として知られる人物であり、同社を世界企業に育て上げ、日本初のテープレコーダーや日本初のトランジスタラジオを開発。特に同社が発売した携帯型ステレオカセットプレーヤー「ウォークマン」は、どこでも音楽を聴くことのできる製品として大きな話題となり、世界的な大ヒットを記録した。 オリンピック応援献立「イタリア」(2/15)今日は東京オリンピック応援献立「イタリア」です。 ○フォカッチャは、表面に穴が開いているのが特徴です。この穴は焼く前に塗ったオリーブオイルが下に垂れるのを防ぐためや、膨らむのを防いで表面を平らにするためと言われています。 ○ミネストローネは、「具だくさん」や「ごちゃまぜ」という意味のあるイタリアの代表的なスープです。 ○カツレツは、イタリアでコトレッタと呼ばれ、たたいて伸ばした肉にパン粉をつけて、バターで揚げ焼きにした料理です。 ○ティラミスは、イタリア生まれのデザートです。 3年生の奉仕活動
3年間過ごした学校に感謝の気持ちを込めて、3年生が奉仕活動を行いました。
教室のワックスがけや窓ふき、トイレや廊下、ピロテーの掃除、体育館の整理整頓、配膳台用クロスの作成等、手分けして、約2時間の活動を行いました。 元気よく協力して取り組む姿、普段はできない隅々まで気持ちよく取り組む姿がたくさん見られました。 3年生の皆さん、本当にありがとうございました! 3時間目の様子
1,2年生は学年末テストに取り組んでいます。頑張ってください。3年生は授業です。英語や理科の授業に取り組んでいます。
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犬山市立城東中学校
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