最新更新日:2024/11/27 | |
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今日のお話 −10月28日(水)−
萩本 欽一の名言(2つ)
幸せとは形じゃない。 幸せとは気分だと思っている。 「つらいなぁ」というのは、 大きな運をつかむ予兆だと思う。 そこを逃げずに踏ん張ることが大事なんだ。 下校の様子ちょっといい話
おばあちゃんの指輪
もう10年位経ったかな。父方の祖母が癌で他界した。私の父は、母と結婚し、母の地元の東北に住むことになった。祖父母とは、電話や手紙のやり取りはよくしていたが、会いに行くとなると、やはり遠距離という事もあり、なかなか行く機会を見つけられなかった。1度、姉と私の2人で遊びに行った事がある。父は5人兄弟で全員男。おばあちゃんは「女の子が1人は欲しかったんよ」って私たちのこと、ものすごく可愛がってくれた。やさしくて情の厚い人で、行きも帰りもおばあちゃんは号泣した。 それから3年程して悲報が届いた。癌だったなんて知らなかった。父すらも。電話の声は元気だったから疑いもしなかった。通夜の日、お棺を覗いたら、ふくよかだったおばあちゃんの顔がガリガリだった。面影もなにも無かった。おじいちゃんが近付いてきて「遠い所、会いに来てくれてありがとう」と言って手を握ってくれた。おじいちゃんは左手の親指にブカブカの指輪を付けてた。おばあちゃんの指輪。あぁ、おばあちゃんおじいちゃんより太ってたから。そう思ったら涙がぼろぼろ出てきた。 火葬が始まってお棺が焼却炉に入る時、おじいちゃんも入るって言ってきかなかった。葬式も全部終わって落ち着いた時に、父が叔父からおばあちゃんの写真をもらった。おじいちゃんと並んで家の前で笑顔で写ってる写真。「かあちゃんに、お前達には癌の事話すなって言われてた。遠いから心配かけたくないって」みんな声上げて泣いた。死んでからじゃ何もしてあげられない。遠いからってそれを言い訳にしてちゃ取り返しがつかないんだよね。後悔ばかりです。 4時間目の授業の様子今日の給食(10/27)今日は中華の献立です。 八宝菜の八はたくさん、菜はおかずのことをいい、たくさんの宝を集めたようにおいしいおかずという意味があります。豚肉やえび、いか、白菜、たけのこなど数多くの食材が入っています。今日は細切りにしたきくらげも入れました。 第66回犬山市民展
「第66回犬山市民展」が、犬山市南部公民館で10月27日(火)から11月3日(火)まで開催されています。
本校生徒の作品も展示されています。 お時間のある方、1度足を運んでいただけたらと思います。 【明日が最終日】緑の羽募金10月26日(月)の授業今日のお話 −10月27日(火)−
萩本 欽一の名言
「石の上にも3年」って言うけど、 みんな何だかんだいって 3年ぐらいは辛抱してると思うの。 だから3年じゃ、しょせんは 人と同じ程度のものしか身につかない。 本気で何かを成し遂げようと思ったら、 5年は辛抱しなきゃ。 ちょっといい話
母ちゃんの弁当 玉子焼き
母ちゃんの弁当は、ぐちゃぐちゃだったなぁ…。人に見せられる代物じゃなかった。玉子焼きなんかさ、ほんと見栄がわりいんだな。でもさ、うめえんだよ、これが。 母ちゃん、おととい死んじゃった。 もう、食えないんだよ。見栄がわりぃ最高の玉子焼き。いっつも母ちゃんに怒られてた。社会人になっても実家に帰るたびに、「汚いGパンはいて、生意気にヒゲなんか生やして、私に近づかないで」なんて言ってたんだ…。 でも、東京に帰るときには、あの玉子焼きが入った弁当を作ってくれたんだ。もう……、あの味食えないのかよ。 今日のお話 −10月26日(月)−
萩本 欽一の名言
僕がまわりから 「才能がない」と言われながらも コメディアンになるのを あきらめなかったのは、 自分に悪いと思ったから。 一度は「絶対コメディアンになる」 と決意したわけだからね。 簡単にあきらめちゃったら、 そう決断したときの自分に 申し開きが立たないでしょ。 □ プロフィール 東京都台東区出身のコメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家。「欽ちゃん」の愛称で親しまれている日本を代表するコメディアンの一人であり、坂上二郎とのお笑いコンビ「コント55号」でブレイク。多数のレギュラー番組を抱え、テレビを席巻し「視聴率100%男」とも称された。1985年に当時のレギュラー番組をすべて打ち切り、半年間ほどの休養をとってから、芸能界活動は少なめになるものの『欽ちゃんの仮装大賞』など、長寿番組の司会を務めていることもあり、日本国民で知らない人はいないと言われています。ちなみに「ウケる」「天然」「天然ボケ」という言葉は、欽ちゃんの造語とのこと。 ちょっといい話
兄の声
私には2歳で病死した兄がいる。私は兄の死後に生まれた為、兄の事は全く知らないんだが、何回か兄に会った(?)事がある。 中学生の時、両親と折り合いが悪くて、今思うと恥ずかしいくらいにグレた。同じような友達や先輩とつるむようになり、女の先輩から初めて煙草を渡されて「吸ってみろ」と言われた。受け取って口に咥えた瞬間、先輩の形相が急に変わり、男の声で「何やってんだ!」と怒鳴られてビンタされた。私も唖然としたが先輩も「えっ!?私何でアンタ殴ったの今!?ごめんね!えっ!?」と混乱していた。結局煙草は吸ってないし、その後そういう仲間との付き合いも断った。高校時代に付き合ってた彼氏が寝てる時、寝言で普段の彼氏ではない声で「こいつは駄目だ、別れなさい」と言った。怖くなって別れた後、友達からそいつが二股かけていた事を聞かされた。就職してから付き合った彼氏もやはり同じように寝言で、あの声で「この人なら大丈夫、幸せにしてくれる」と言った。今、その人と婚約中で来年式を挙げる。 夢に出たり姿を見る事は無いが、私にはあの声は兄だ、という確信がある。遺影の兄は2歳のままだが、きっといい男になって側にいてくれているんだと思う。 【緑の羽募金】10/23(金)〜10/28(水)教育実習生最終日雑巾の寄付をいただきました教育実習生の授業教育実習生の研究授業教育実習生の研究授業今日のお話 −10月23日(金)−
後藤 清一の名言
天下は 悪によって亡びず、 愚によって滅す。 ちょっといい話
男の手
俺に父はいない。癌にかかり、妹が生まれてから亡くなったらしい。 俺と妹が小学生になったある日。学校から帰ってのんびりしているときに隣家で火事、あっという間に俺たちの家に火は燃え移った。母は仕事でいなかった。妹の手をとり部屋から脱出しようしたが、ドアノブが火の熱によって溶かされて出れそうにない。(このとき俺は右手を火傷した)部屋は2階だし、窓から脱出しようにもできない。俺は助けが来るまで、熱から妹を守るため、布団で妹を包み必死に抱きしめた。ただ、俺も妹も限界に近い……。そんときだった。誰かが俺の体を包み込んだんだ。俺たちは無事助かり、どういう経緯で家から脱出したかは覚えてはいない。ただその時、微かに覚えてるのは、助かったときに見たグシャグシャ泣き顔の母の顔。それと、あの火事の中で聴こえた「手、痛いだろ……、偉いぞ。男の手は、愛する人を守るためにあるんだ。」という言葉と、ずっと、誰かが抱きしめててくれたこと。確かその人は、坊主頭でちょっとたれ目、左目の下には傷痕があった。 大きくなった俺たちは、母から父の手紙をもらった。俺たちが生まれて間もない頃の、家族写真も何枚か入っていた。写真の中で笑う父は、坊主頭でちょっとたれ目、左目の下に傷痕があった。薄くて誤字だらけの手紙は読むのがやっとで、手紙の最後にはこう書かれてた。「男の手は、愛する人を守るためにあるんだ。あの世にいっても、俺は家族を守る。」 俺はもうすぐ父親になる。妻と、生まれる子どもをこの手で守っていくよ、あなたを見習って。 |
犬山市立城東中学校
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