最新更新日:2024/06/28 | |
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今日のお話 10月15日(木)
今村 暁(いまむら さとる) の名言
なぜ、子供は明日は朝からテストだというのに、 テレビゲームをやめることができないのでしょう? なぜ、太っている人は、 食べる量を減らせばやせられると、 わかっているのに、 やせることができないのでしょう? なぜ、パチンコ好きな人は、 タバコ臭くて大音響で居心地悪いはずの、 パチンコ屋に朝から夜中まで、 入り浸っているのでしょう? 答えは簡単です。 「欲求をガマンできないから!」です。 ガマンできない欲求は、 人を強烈に突き動かすのです。 ガマンできない欲求は、 理性で抑えつけられません。 ガマンできない欲求は、 どんな逆境や困難でも克服し、 行動してしまいます。 逆に言えば、このぐらい強烈な「欲求」がなければ、 小さな壁や困難に出会ったら、 行動することをやめてしまいます。 □ 今村 暁(いまむら さとる) プロフィール メンタルリスクマネジメント株式会社&アシスト株式会社の代表取締役を務める経営者、経営コンサルタント、教育者。 北海道大学の法学部を卒業後、日本長期信用銀行に就職し、その後独立。 独自の「習慣教育」「感性教育」をモットーに、数多くの企業コンサルティングや人材育成を行っている。また、学習塾「アシスト」の元カリスマ塾長としても知られている。 10月15日(木) 朝
実りの秋です。駐車場の柿の木です。
今日から後期が始まります。がんばっていきましょう。 今日は、8時50分から始業式・認証式・集会があります。6時間目には委員会があります。 ちょっといい話 10月9日(金)
利ちゃんのちょっといい話
「プールを歩いて渡った少女」 読売新聞の「窓」という欄に掲載されたお話です。 広島市の女子高校生のA子さんは,小児マヒが原因で足が悪い女の子でした。A子さんが通う高校では、毎年7月のプール解禁日に、クラス対抗百メートル水泳リレー大会をしています。男女2名ずつがそれぞれ25メートル泳ぐ競技です。A子さんのクラスでこの大会の出場選手を決めていた時、女子1名がどうしても決まりませんでした。 早く帰りたいクラスのボスは「A子はこの3年間、体育祭、水泳大会に1度も出ていない。最後の3年目なんだから、お前が参加しろ」といじわるなことを言い出しました。A子さんは誰かが味方すると思ったけれど、女生徒は何か言えば自分が泳がされると思い、みんな口をつぐんでいます。男子生徒もボスのグループに憎まれたくないから、何も言いませんでした。そして、結局泳げないA子さんが選手になったのです。 彼女は家に帰り、お母さんに泣きながら訴えました。するとお母さんは「お前は来春就職して、その会社で何かできない仕事を言われたら、また泣いて私に相談するの?そしてお母さんがそのたびに会社に行って、うちの子にこんな仕事をさせないでくださいって言いに行くの?」そう言ってすごく怒り、A子さんを突き放しました。 A子さんは部屋で泣きはらし、25メートルを歩いて渡る決心をし、そのことをお母さんに告げに行きました。するとお母さんは仏間で「A子を強い子に育ててください」と、必死に仏壇に向かって祈っていました。 水泳大会の日、水中を歩くA子さんを見て、まわりから笑い声やひやかしの声が響きました。彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時、1人の男の人が背広を着たままでプールに飛び込み、A子さんの隣のコースを一緒に歩き始めたのです。高校の校長先生でした。「何分かかってもいい、先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。恥ずかしいことじゃない、自分の足で歩きなさい」そういって励ましてくれたのです。 一瞬にしてひやかしや笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援し始めました。長い時間をかけて彼女が25メートルを歩き終わった時、友達も先生も、そしてあのボスのグループもみんな泣いていました。 読売新聞社記者、大谷昭宏氏の話 『夢の卵の孵し方・育てかた』仲田勝久著、致知出版社より 通知表 10月9日(金)
5時間目、6時間目に廊下等を利用して担任の先生方が、通知表を子どもたちに渡していました。
渡すときには担任の先生が、「前期は、○○をしっかりがんばれましたね。」等、一言ずつ子どもたちにアドバイスをしていました。 掲示物 広報委員会 10月9日(金)
1年生学習室の廊下側に広報委員会の「せんだん新聞」が掲示してありました。
今回は、ベルマークやインクカートリッジの回収の仕方が書いてありました。とても美しくて見やすい新聞になっていました。 放課 10月9日(金)
前期最後の昼放課の様子です。
終業式の折にも、校長先生から「元気に運動場で遊んでいる子が多い」と褒めていただきました。 今日も元気に遊んでいました。 今日の給食 10月9日(金)
今日は、前期最後の給食でした。
今日の給食は、「牛乳、五目うどん、和風コロッケ、大根サラダ」でした。 和風コロッケには、愛知県愛西市のレンコンが入っています。レンコンは、漢字で書くと「蓮根」と書きます。ハスという呼び方は、花が咲き終わった後の花托が「蜂の巣」に似ていることから「蜂巣(はちす)」と呼ばれ、略されて「ハス」になったそうです。レンコンは地下にある茎で、9月から12月の寒い時期が旬で、泥沼に埋まっているために収穫はとても重労働です。 なかよし・えがお サツマイモ 10月9日(金)
2時間目になかよし・笑顔の子どもたちがサツマイモの芋掘りをしました。
大きいものから小さいものまで、たくさんのサツマイモが採れました。 PTA合唱団 仲間募集 10月9日(金)
「PTA合唱団 仲間募集」の案内をアップしました。
たくさんの参加をお待ちしております。 http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018... 下の写真は、昨年度の発表の様子です。 終業式 10月9日(金)
1時間目に前期終業式・児童集会を行いました。
終業式は、 □ 校長先生のお話 □ 校歌斉唱 □ 生活面のお話 児童集会は、 □ 前期にがんばったことの発表 □ 表彰 でした。 □ 校長先生の話 始業式に話された「身に付けてほしい力として『ことば』」(「こ」こころをつなぐ・ 「と」ともだちになる・「ば」ばいになる)を前期の写真で振り返りながら確認をしました。 □ 以下の2つの生活面の話を生活指導担当の先生がしました。 ○ 勝手に他の人の家の敷地に入らない。 ○ 秋休みの生活 □ 「前期にがんばったことの発表」を1年・3年・5年の代表の子どもたちが発表しました。 授業や行事などでがんばったことを大変上手に、大きな声で堂々と発表してくれました。 今日のお話 10月9日(金)
泉正人の名言
成功者を見ていると、 間違いなく勉強をしている。 勉強をしていない人など、 いないと言っていい。 10月9日(金) 朝
中庭の木々も赤く染まり始めました。
今日は、1時間目に終業式があります。 ちょっといい話 10月8日(水)
利ちゃんのちょっといい話
100人の村のお話『ある学校の先生が生徒に伝えた話です。』 もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・ 57人のアジア人 21人のヨーロッパ人 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます 52人が女性です 48人が男性です 70人が有色人種で 30人が白人 70人がキリスト教以外の人で 30人がキリスト教 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍 80人は標準以下の居住環境に住み 70人は文字が読めません 50人は栄養失調に苦しみ 1人が瀕死の状態にあり 1人はいま、生まれようとしています 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、 相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、 そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。 また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。 もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら… あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。 もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら… あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。 もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら… あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。 もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら… あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。 もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら… あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。 もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら… それはとても稀なことです。 もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。 なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。 昔の人がこう言いました。 わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。 お金に執着することなく、喜んで働きましょう。 かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。 誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。 誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。 あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。 K.Leipold 作 ・ なかのひろみ 訳 6年生英語 10月8日(木)
「英語劇 桃太郎」
6年生が、5時間目にイングリッシュルームで英語の授業を行いました。今日は、今まで練習してきた「英語劇 桃太郎」の発表会でした。 授業の最後の振り返りでは、「とってもスムーズに発表できていた」とか、「英語の発音がとってもきれいだった」等の意見が発表されました。 PTAスマイルエコキャップ運動 10月8日(木)
10月7日(水)のスマイルエコキャップ運動、ご協力ありがとうございました。
本日、小牧市の名古路商事に持って行きました。「エコキャップ受け取り報告書」をいただきましたので、載せさせていただきます。今回は、合計67.1キロ、約28800個余り集まりました。(前回合計50キロ、約21500個) なお、「キャップ提供者各位」の所にも記載してありますが、名古路商事から「世界の子どもにワクチンを日本委員会」に寄贈していただいていることを報告をさせていただきます。 楽田小学校で使用した青果物の産地(9月) 10月8日(木)今日の給食 10月8日(木)
今日の給食は、「牛乳、麦ご飯、チキンと豆のカレー、コールスロー、福神漬け」でした。
大豆は、全国で栽培されています。特に北海道、東北で多く栽培されています。自給率はきわめて低く、需要のほとんどをアメリカ、中国に頼っています。今回のチキンと豆のカレーは、西三河地方、特に豊田で収穫されたフクユタカという品種の大豆を使用しています。フクユタカは、日本で最も多く栽培されている品種です。名前の由来は、北九州地区での栽培に適し、福岡の「フク」と実が豊かで十分にあり、品質が良好であることを期待してフクユタカになったそうです。 今日のお話 10月8日(木)
泉正人の名言
チャンスはどこにでもあるけど、 準備ができていなければ、 つかむことはできないよ。 10月8日(木) 朝
運動場の木々も赤く染まり始めました。前期も今日、明日の2日間となりました。
今日は、6時間目に委員会があります。 ちょっといい話 10月7日(水)
利ちゃんのちょっといい話
「わが母中村久子」 中村富子 明治30年(1897)、高山市に生まれた中村久子(幼名ひさ、〜1968)は、3歳の時、しもやけが元で突発性脱疽(とっぱつせいだっそ)にかかり、両手両足を切断しました。それでも久子は、想像を絶する苦難を乗り越えて、針や編み物、教養を身につけます。そして結婚し、子を産み育て、力強く生き抜きました。そのほんの一端を、高山市にご健在の次女・富子さんのお話を交えて紹介します。 幼少の頃、久子は母あやから着物の糸ほどきをするよう命じられ、苦心の末、ハサミを口でくわえ、糸を切ることができるようになりました。これをきっかけに、工夫を重ねることで、裁縫や編み物、書き物から、箸を使ってご飯を食べるといったことができるようになっていきます。どれも、口や頬と肩先に残った腕を使っての、血のにじむような努力の末のことです。また、学校に行けなかった久子は、祖母ゆきの元に預けられた2年間に百人一首や古今集などの文学に親しみ、教養を身につけます。「母は『一番楽しかったのは、ばば様と暮らした2年間だった』と、ことあるごとに申しておりました」と。 大正5年(1916)19歳になった久子は自分の力で生きていくため、見せ物小屋で芸人として働く決意をし、高山から旅立っていきます。久子は「ダルマ娘」の名で針や書を実演し、やがて一座の中心になります。北は北海道から、南は台湾、さらに朝鮮、満州まで巡業を続けます。結婚・出産も巡業生活の中でのことでした。しかし、一度ならず夫に先立たれ、また一児を亡くします。そうした過酷な運命を久子は前向きにとらえ、二人の娘を育てます。 「厳しい人でした。私が口答えでもしようものなら、短いゲンコツのような手で殴られましたから。また優しい人でもありました。女学生時代のことです。私はやんちゃだったので、先生が母宛に手紙を書き送ったんです。そしたら母は、興行先の朝鮮から義足を付けて3日間かけて学校に来てくれたんです。一人ではトイレに行けませんから、ずっと飲まず食わずで。先生との話を終えた後に『しばらくね、元気?』とニコニコして言うんです。ちっとも叱りはしない。ショックでした。怒鳴られたほうがどれほど気が楽だったか。あれほどこたえたことはありません」 昭和17年(1942)に22年間の芸人生活に終止符を打ち、各地で講演を行います。そこでは自分の生い立ちとともに、人々への感謝の気持ちを語りました。あくまでも自立を目指し、国からの援助も受けなかった久子の言葉だけに説得力があり、障害者のみならず多くの不幸な境遇にある人々に勇気と希望を与えました。 久子はこんな歌を残しています。 あかときに 見しゆめはしも 友と二人 荒野をかける 吾れに足あり 「母の死後に改めてこれを見たとき、母がいちばん欲しかったのは足だったんだなあと思いました。今でも時々、もう一度あの大きな声で叱られたい、ひっぱたかれたいって思います」 昭和12年(1937)、久子はヘレン・ケラー女史と会見する機会に恵まれます。女史は久子にこう言いました。「私より不幸な人、私より偉大な人」と。久子の生涯を知るにつけ、この言葉が今改めて響いてきます。 Heart of Japan Gifu Winter 1999 |
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