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国語科授業ということで大事にしたいのは、めあてである。めあてが具体的であると、評価ができる。勉強したことが学習成果として力になったか、振り返る時間が必要だと考えた。まとめの段階で、5分なり10分なり振り返りの時間を設けた。これで授業が引き締まった。「授業のめあてについて学習しました。こういう力がつきました。」と授業を振り返ると成果がはっきりと自覚できる。振り返りは、低学年の場合は、学習したことを振り返らせ、事実を書かせる。中学年は、学習にどのように関わったかということを書かせる。高学年では、「ここまで、わかった。」「ここまで、できた。」など成果と次の課題を書かせる。
振り返りに着目をしたのは、学習の時間の後半を書くことでまとめたいということからだった。鉛筆事件がきっかけだった。授業が中途半端で終わった教室は、机の上が散らばっている。当然、鉛筆も筆箱からはみだしている。ある日、鉛筆が休み時間になくなった。それは、机に体が触れた影響で、鉛筆が床に落ち、落ちていた鉛筆を拾った子が「だれの?」と言えばいいのだが、黙って、近くの机の上に置く。その机の子が自分のではないのに自分の筆箱に入れる。いつの間にか、鉛筆を取ったと思われたという出来事があった。 書く時間の確保は、授業のおしまいをしっかりすることになり、混乱は起きないという効果もある。鉛筆の持ち主は「鉛筆がなくなった」と捜す。言葉の力がない子は説明できない。いつの間にか、鉛筆を取った人というようになっていく。そうならないためには、授業のおしまいをしっかりする必要があると考えた。まとめの時間を設定し、書く活動を位置づけると、教室がひきしまり混乱がなくなり、落ち着いて書くことに集中するようになった。 言語活動は平等に時間を確保したと思うようなったことがある。そのきっかけは、授業の初めの音読を見た時である。ある授業で、全員が立って読む。読み終わった子は着席をする。読みが遅い子は、一人になっても読む。その間、他の子は待っている状態だった。読みが遅い子が読み終わったら、すぐに次の活動が始まる。これが普通にならないようしたいと思うこともあった。書くこと、読むことでは、時間を平等にという考えかたは、大事だと思う。 話すこと聞くことは、日常生活で鍛えるという考え方も大事である。丁寧語を使うことを日常生活で徹底して指導をすると学校がかわる。トラブルを、話し合いで解決をしようという雰囲気が生まれる。整った言葉で話しをしようとする子が増えてくる。先生の言葉が丁寧になる。先生がきちんとお手本を示して、生きる力に、希望や未来につながる言葉で、子どもに語りかけるような学学校に変わっていく。 日常の言葉に敏感になると、子どもへの話し方も変わってくる。事実と考えを区別することを教えると、考えて話す子が育ってくる。「いまの話しはどこまでは事実ですか。」「自分の考えはどこまでですか。」と問い返すだけで、話し方が変わる。「叱られた。」「注意をされた。」という言葉を「指導を受けた」とい言いかえると教える側が責任をもつようになり、教える側の気持ちが真剣になる。 少し、国語の授業とは話題がはなれるが、小学校で大事なのは、3つあると考えている。 一つは声の大きい子を育てること。声は一生の宝である。日常的に地域では、大きいこえで「おはようございます。」と挨拶をすることでいい子だと褒められる。大きな声は、明るい声へ広がっていく。 二つ目は書く力を育てる。一番いいのは、日記を書かせる。つまり、自分を振り返る。その子が、生きていた証になる。日付を書くから。子どもは、日記大好き。子どもの家庭での様子を知ることができる。日記が書けない子は、書かなくていいから白紙でも出させる。白紙の日記には、教師が朱書きでその子のいい所を書いてあげる。日記でコミュニケーションをとる。日記に子どものいい所を書くと、子どもは親に見せる。親は、教師が自分の子どもをしっかりみてもらっているということで、教師を信頼する 三つ目は嫌いを作らない。小学校は全人教育を目指す。勉強を嫌いにさせない。書くことを嫌いにさせないなど、好きにさせることを目指すともに、嫌いを作らない努力が必要である これまでお話をしたことを、「ことばの力」育成という面でまとめると3つの側面がはっきりしてくる。「知識内容の理解」とともに「自分が豊かになっていることの自覚」、そして、「考える力」である。細かくは、考える、気づく、行動するという側面から授業を見ていくと新しい授業が見えてくる。 特に、「考える力」は想像する力。考える力は選ぶ、判断をするという活動が原点である。相手にどうのように伝えれば、事実が伝わるかと考えさせる。見たり聞いたりしたことを具体的に説明させることも考える力である。 「気づく力」は感じる力。問題場面に出会ったとき、問題をどう感じ、どのように解決をしていくかという力。自分の考えが正しいと思っていたけれど、こういう考え方があるのかと思考の中心を柔軟に変える力である。 「行動する力」言葉を選び、行動をする。行動は具体的な活動と結びつく。読む、線を引く、図に書くことから新しい考えが生まれる。行動は意思決定。 わたしの出会った子どもには、4つのまとまりがあった。1「自分から進んでなんでもできる子」、2「自分の力で課題や問題を乗り越える力持っている子」、3「条件が整うと意欲が盛り上がる子」、4「丁寧に指導を受けることを求めている子」である。 教室にいる様々な子、一人一人が生きる授業づくりは難しいが、国語力の育成をキーワードにすると光りが見えてくる。授業を変えると子どもが変わる。子どもが変わると学校、学級が変わる。言葉の力は生きる力である。 2/14 吉永幸司先生2
国語は、言葉である。言葉で話す。言葉で考える。言葉を使う。その言葉を一生懸命に繰り返し使っているうちに、学校の日常で子どもたちの言葉が育つ。「おはよう」と声をかけても知らん顔。友達が「ごめんね。」と謝っても「なに?」と言うよう学校や学級では国語の力は不十分と捉え、日常とつなげる国語科の授業を目指していきたい。
言葉の力は生きる力と感じた事例がある。6月の初め、1年生の保護者から「うちの子どもがいじめられて帰ってきました。」と連絡が入った。詳しく話を聞いた。6年生の子がドッチボールの遊びで「あっちいけ」と言って1年生の背中を押して追い返したということであった。保護者と私たちの前で、6年生が最初に言ったことが、「今日は、ぼくのためにお忙しい中、来てくださってありがとうございます。」という保護者への感謝の言葉だった。その後、「ボールに当たると危なかったので押しました。その時に気が付いて、担任の先生に『ごめんなさい』と言えばよかったけど、言えませんでした。ご迷惑かけました。」と、お詫びの言葉だった。1年生の保護者も事情を理解し、子どもの話を聞くと、自分に都合がいいように伝えていたという説明だった。6年生がこのように適切に話せなかったら、1年生の子の話が正論になっていた。必要な時に必要な言葉で話せることが大切。学校でのトラブルは、学校から伝えるのではなく、子どもが自分で伝えること。そして、学校が親に確認し、子どもの説明の不十分さは「ここのところ抜けているでしょう。」と子どもに伝え、再度、正しく保護者に説明するよう指導する。正しく伝えると理解を得、深まるような力を国語の時間につけたい。 国語の授業を変え、学校を変えるには、国語の授業の質をよくすることが大事だと考えた。国語は、教材をもとにして、教材の勉強をする。教えたいことがたくさんあり、教師が考えた答えに導きたいと思う。そのため、教師がいっぱい喋る。話して理解をさせようとすると、子どもは、自分で考えようとしなくなる。そうならないために取り組んだのが、板書とノートを一体化することや効果的な言語活動の開発であった。手始めに国語の指導が好きな先生で国語プロジェクトを立ち上げた。プロジェクトで考えた初めは、「さん」付けで呼ぶ。「はい。」で答えることからであった。特に名前を呼ばれたら返事することを徹底した。この取り組みを全校で行った。そして、キーワードは「丁寧」にした。「丁寧にお話しましょう。」「丁寧に聞きましょう。」を合い言葉にした。そのことで何が変わったか、教師の言葉遣いが変わった。また、主語に「さん」をつけると述語を明確にして伝えるようになった。 次に、ノート指導に力を注いだ。授業では勉強した証拠が必要だと考えると、子どものノートは勉強した証になる。教師は授業準備で板書をノートに書く。そのノートの通りにきれいな板書をする。初めの段階は、子どもが板書をノートに丁寧に写す時間を大事にした。ノートは、学習の記録になる。だから、日付を書く。先生の板書を丁寧に写していくと、勉強の仕方がわかる。学習の記録として残るから意欲が湧くということで、学校が変わっていった。 授業の始めに音読をすることも取り入れた。音読には詩が良い。古典は、特に、音読にふさわしい。 授業だけでなく、学校生活全体でも、国語力を育てることに力を注いだ。保健室の取り組みでは、子どもが来室したら、先生から、話すのではなく、聞き出すことを大事にしてもらった。取り組んで2年、保健室を訪れた子どもは、「失礼します。今、お時間よろしいですか。2時間目の時に鉄棒から落ちました。その時は、大丈夫だったけど、3時間目に痛くなってきました。担任の先生に聞いたら、心配なので保健室に来ました。水で洗ったけど、先生どうすればいいですか。」と言えるようになった。 国語力が育つと怪我が少なくなるというのは、できすぎた話のように聞こえるが、言葉が少ないと、手が出るという実態から考えると、言葉で問題を解決する力が育ったというように考えることができる。 丁寧に相手の話を聴くということで育つ子どももいる。聞き出すことに重点を置くと、「どうしたの?」と問う。「それで?」「それで?」で、話をつなぐ。そうすると考える力が育つ。聞く力が育つ始まりは、指示をしっかり聞くことである。ノート指導でも、点やはね、マス目からはみ出さない等の指示を聞いて書くと美しいノートができるという経験が聞く力を育てる。 2/14 吉永幸司先生1
平成26年度最後の教師力アップセミナーは、京都女子大学講師・元同附属小学校校長の吉永幸司先生に登壇していただきました。
テーマは「国語力は、人間力―言葉で考える子どもを育てる国語指導」で、授業と日常生活をつなげて国語力、そして人間力を育てる国語教育の在り方について、「丁寧」をキーワードに実践に基づいたご講義を紹介します。 3学期の後半を迎えました。この時期、1年間の子どもたちの成長を評価する時期です。評価の視点を例にすると、挨拶でしたら、4月には、挨拶できなかった。けれど、今は、日常的に「おはようごいます。」と言えるようになったというように具体的に成長を確かめることです。職員室へ入ってきて、「紙をください。」と丁寧に要件を伝えることでできることが、力がついたことになると思えることです。国語で大事にしていることは、言葉の指導を通して、人間としていい人に育てることと思っている。 国語科の授業は、国語の時間の授業だけで終わらないようにしてほしいと考えている。国語の授業で、登場人物の気持ちを考える、大きな声で発表させる、漢字をしっかり覚えさせる、書かせるという具体的な指導をしている。例えば、物語を読むときに、10時間ほどかけて登場人物の気持ちを考えさせる。その授業の目的は、気持ちを考えることの大事さとか自分の気持ちを正確に言葉で相手に伝えるため大事さ、言葉の選び方等が学習の内容である。授業では、しっかりと習得しているはずなのに、授業以外ではいかされていない。廊下で困っている子に「大丈夫?」と声をかける子が少ない。10時間も勉強したのに、何故、日常生活で「大丈夫?」の一言もかけられないのかそこに光りを充てて考えてみたい。また、ノートに「この単元の作者に興味を持った。面白かったので私は、図書館に行って本を一生懸命読みます。」と書いた子に、1週間後、「本を読みましたか。」と聞く。その子は、「え?なに?」と問い返す。国語の授業だけで完結していたことになる。ノートに書いた内容は、先生との約束なので、「先生、読みましたよ」とこたえる子どもになってほしい。国語の力がついているかどうか、この面を意識していないと、子どもも国語科の授業は、国語の時間だけのもので、生活と関係ないと考えている。 つまり、いい授業だけれども、子どもが日常生活で生かしていないというのは寂しいと思える子、国語で勉強したことは、確実に日常生活をよくすると思える子になってほしい。 |
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