野口芳宏先生セミナー7
患者の「不備・不足・不十分」を知るために、医者が探るのが病因。そのためにレントゲンなどの検査をする。子供の「不備・不足・不十分」をわかるようにするのが発問。
子供の不備・不足・不十分は潜っている。見えないものを顕在化する。それが発問だ。 読みの理想を作るのを、「素材研究」といっている。 教材研究は、教師面の研究。教えるつもりでやっている。私の勉強会では、「いきなり教材研究はするな」。まず、一人の大人として作品として向き合え。だから、素材研究。素材がわかったら、教員として「教材研究」に移る。そして、授業者として「指導法研究」をする。3段階だ。 野口芳宏先生セミナー8
「12月」
半年経っている。 1段落と2段落の関係は? 描写の手法。これは教えられなきゃ気が付かない。 1はまとめた述べ方。「括叙」:抽象的 2は細かな述べ方。 「細叙」:具体的 イメージできる。 適切なイメージを持つには文学には重要。不備・不足・不十分を指摘しないと、間違ったイメージのままでいることになる。 絵本では子供のくるぶしの深さ。だから月光も届く。 小さい蟹の世界だが、思想は大きい。小さいものを題材に、賢治の思想の大きさがある。今日はそこまで行きたい。 野口芳宏先生セミナー9
「やまなし」をざっと読んだ。部分をたどったが、結局、これで何が言いたいのか。5月と12月。題名はなぜ「やまなし」か?かわせみは5月には出てこない。
2枚の幻灯が終わった後で、賢治は何も言っていない。 いろんな人の解説を読んで、「やまなし」と言う題は平和のシンボル。「かわせみ」は殺戮。 全体としては、ハッピーエンド。温かい平和な世界を志向している。5月に思いがけない殺戮がある。12月に実り豊かな命がある。そういうなかで、結局は、いいことがあることを忘れずに生きていこうよというメッセージ。 「やまなし」は40年という歴史を刻んだ。まず、光村からはずれない。これからも絶対残る。だんだんわかっていきたい。扉を開けきって来ないままに12時になった。これからも光を求めていってほしい。 野口芳宏先生セミナー10
第二部は会員による発表 小学校6年生道徳「銀のしょく台」でした。
ジャン=バルジャンを許すべきだったのか・・ということを子どもたちに考えさせ、ゆさぶる授業を野口先生に授業のビデオを見てもらいながら、ご講評いただきました。 野口芳宏先生セミナー11
第三部は、道徳の新しい方向についてでした。
「特別の教科としての道徳」としての答申をもとにお話しいただきました。 答えが一つではない道徳的課題を一人一人の生徒が自分自身の問題と考え、考える道徳。議論する道徳。それではいけない。一つの考え方を教師が示さなければ。 考える道徳ではなく、受容する道徳のほうがいい。 本も静かに読んで、疑うことなく受け入れることがいい。 野口芳宏先生セミナー12
感謝という教育はとても大切。
感謝のないところに幸福はない。 同窓会も自分が元気でなければこれない。家族もまあまあ元気でなければこれない。お金に余裕もないとだめだ。過去に好意を持っていないと来たくもない。ここに集まれたのは4つの要因がある。それらに感謝しなければならない。 横山浩之先生のセミナーの様子1
9/12に、山形大学医学部教授横山先生のセミナーがありました。「不適切な子育てと行動異常」について、話をしていただきました。
横山浩之先生のセミナーの様子2
不適切な子育てによって、影響を受けた時期以降は、誤習得してしまう。年齢によって、課題がある。課題は、次のようである。0歳児愛着形成、1歳児しつけの基本、3歳児自我の目覚め、5歳児簡単な論理の習得、8歳児群れでの行動、10歳児精神的な自立
横山浩之先生のセミナーの様子3
Child maltreatmentとは、肉体的・精神的な不適切な扱い、性的虐待、ネグレクト、放置など、いろいろな意味での搾取を言う。健康、生存権、発達に害をなしたり、人格形成に関わる人間関係から、子どもを遠ざけることになる。
横山浩之先生のセミナーの様子4
「おやつよ」と声かけしても、「そんなのいらないよ」と本当はほしいのにいってしまうのが、反抗挑戦性障害であり、何に対しても反抗してしまう。
横山浩之先生のセミナーの様子5
しつけの3原則は、返事、あいさつ、靴のをそろえることである。
横山浩之先生のセミナーの様子6
お手伝い、1歳4ヶ月でできるようになる。言ってもやらないときは、危険信号である。お手伝いを通して、段取りがわかるようになり、それが「筋道を立てて読み書き」することにつながる。
横山浩之先生のセミナーの様子7
学級経営の勝負は、4月である。学級作りは、最初の一週間である。
横山浩之先生のセミナーの様子8
対応は、1増やしたい行動→誉める、2減らしたい行動→注目を与えない、3絶対許せない行動→すぐにとめる、PT技法を利用する。
横山浩之先生のセミナーの様子9
学校では、校長をリーダーとして、チームアプローチをする。担任は、父親役、母親役は複数で対応する。保護者にお願いすることは、必要最低限とする。
20代からの教師修業 出会いと挑戦 −1−出会いを大切に 好きな言葉は「究日」。休日に学ぶのはとても素晴らしい。みなさんは“一流の学び手”だ。 人と出会い、人から学ぶことが一番の宝。 触れ合うことは非常に大事だ。男でも女でも構わず挨拶ができることが立派。 “触れ合うことで繋がる” 福山先生は、1回目は普通に、2回目には学習を、3回目には動き回ることを指示しました。 段階を追って、よりよい方向付けをしていきます。 日頃の指導法が端的に表れています。 1分、30秒など、時間を指定して予告をするとやる気がUPする。 時間を見て行動するようになる。時間を守ることはとても大事だ、 時間で子供の集中化を図っています。そのあとで、「さっき挨拶した人の名前を憶えていますか?」とゆさぶります。 そこでこう続けます。 一つの出会いをもっと大切に!! 今日の主題を、一瞬で全員に浸透させたこの技術は圧巻です。 この写真の方何歳だと思いますか? 25年くらい勤められ、退職されたのに勉強に来られる。人として高まりたいから勉強する、休日でもかまわない。そういう仲間がいるのは素敵だ。 福山先生の自宅で開かれている「ふくの会」は30年続いています。 学ぶ人を大切にされていることがわかります。 次には、新任教諭と教室を周りながら価値付けていきます。 福山先生:今ので何か気付かない? 新採 :帽子がそろっています ごみが落ちていません 福山先生:まだ違うところがある 新採 :??? 福山先生:上靴が入っていない所が3か所あったね 新採 :気づきませんでした 福山先生:戻ってみようか 挨拶の時と同様、繰り返しながら、段階を踏んで視点を拡げていきます。 人だけではなく、ものとの出会いも大切 ここでも、福山流が表れています。 20代からの教師修業 出会いと挑戦 −2−
運命の出会い
初心には3つあると言われました。 3つの“初心” 1.ぜひ初心忘るべからず → 最初の時の芸の未熟さ 若い時の失敗・苦労は残る 2.時々の初心忘るべからず → その場限りで忘れては何も残らない 3.老後の初心忘るべからず → 「もういい」ということではない 「咲くのも散るのも心しだい」と「心」のもち方の大切さを述べられました。 生涯学習の理念です。 福山先生自身の「初心」を語られました。 授業中「先生、おもろない。やめよ」と子供に言われ、「じゃやめよか」と言うと「やった!」の反応。 涙が出るほどのショックを受けたのが、福山先生を変えたきっかけです。 これを機会に、勉強会に参加し始めたのです。 そして、その事件が起きます。 『忘れ物をさせない方法』というレポートを提出しました。 それを見た土井先生。 ふざけるな!!お前は子供のことを考えているのか そこには、子供へのペナルティが書かれていたのです。 その後の飲み会にて… 「よかったな 言われなかったら気付かないまま教師になっていたよ」と言われた。 「変わるから役に立つ人間になるんだよ。それを変身というんだよ」 変わろう!子供たちの役に立つ教師になろう!と、その時決心をした。 福山先生にとって、運命の出会いだったのです。 福山先生の「心」が変わっていきます。 20代からの教師修業 出会いと挑戦 −3−土井先生は「左利き用定規」「左利きのはさみ」を準備していました。 それに対して、福山先生は左利きの子が何人いるかもわかっていません。 こうした「心」遣いが、左利きのことの出会いにつながることを知ったのです。 “声かけ”が大切。しかし、声欠けはNG。言葉が欠けるのはダメである このように、福山先生は、言葉、文字にこだわります。 さらに、絵にもこだわりがあります。 「これは何に使うものですか??」 手に持っているのは、小さな色紙。後方からは見えません。 みなさん、身を乗り出して見ようとした。多少乗り出しても距離は変わらないのに。(笑) でも見ようとすることが大事なのだ。 福山先生は、「心」が態度に表れることをとても大切にしています。 色紙も、わざと小さいものを見せ、じっと見ることで物と出会うことのきっかけを作っているのです。 色紙は誕生日のお祝いでした。福山先生オリジナルの絵が描いてあります。 一人ひとりの誕生日はちゃんとお祝いをしてあげる。 こんなところにも、福山先生の心遣いが見えてきます。 土井先生との出会いが、福山先生の「心」を変えたのでした。 いよいよ、福山先生の教師修行が始まります。 20代からの教師修業 出会いと挑戦 −4−福山先生の教師修行が始まりました。 福山先生は、毎日の指導案を、赤で修正をしていました。 振り返ることが大切だ。振り返るとは何か? 子供を見ることだ。 圧巻なのは「守破離」(学級通信) 土井先生の「一人ひとりの記録を残せ」のアドバイスに従ったのです。 毎日全員の名前を書き、ひとりの子につき3行良いところを毎日書いた。 初年度は1週間に1回、2年目は3日に1回、3年目以降は毎日書けるようになったそうです。 学級通信は、年間900号になります。 たしかに、見る目が育ってくるでしょう。 私は、囲碁、将棋をやる。囲碁、将棋も記録の世界だ。学級通信で、子供を記録できるようになると、出会いが増える。 修行の対象が、子供との出会いから、教材との出会いに拡がっていきます。 子供のことを知るためにはこどもの目線に立つべきだ。 「半紙ってなぜ半紙っていうの??」 「なぜ黒板っていうの?」 「やつ手っていうけど8つじゃないよ!なんで??」 身の回りにはいっぱい勉強しようと思ったらできるものがある。それをノートに書いていく。 まさに、有田和正先生の世界です。 「ナナホシテントウムシの背中はどんな模様になってる?ノートに書いてみよう」 「蝶の幼虫は足が16本あるよ。成虫は6本しかないはずなのに、なぜ?」 「阿蘇山という名の山はない。熊本の人達は知らない。」 福山先生は、“童心に還れ”と言いました。 童心とは、「わからないものをわからない」という素直な心です。 童心が、同心になり、動心となって、最後に憧心となるのです。 先生たるもの、憧れの存在になるべきなのです。 “無知の知”といいます。 「知らないから勉強して子供に伝えるのだ」という土井先生のことばが、福山先生を動かしているのでした。 福山先生の教師修行は続きます。 20代からの教師修業 出会いと挑戦 −5−福山先生の修行の対象は、保護者へ、そして自分自身へと拡がります。 まずは保護者と繋がります。 「ともに育てる教育カード」をくばり、どんな些細なことでいいから教えてほしいと依頼した。 書いてもらうコツは、毎日保護者以上の文量の返事を書くこと。これがたくさんの親が協力してくれる秘密だ。 親は忙しいのに書いてくれたのだから、「ありがとう」の気持ちを伝えなければいけない。 まずは母親。次第に、父親もそのうち書いてくれるようになる。父親は、子供とは全然関係ない趣味が書いてあったりする。(笑) 父親と繋がれる。参観日に来てくれる。母親だけじゃいけない。共に育てるから共育という。 次に、自分自身を高めるために、ボランティア活動を始めます。 点字で一冊の教科書を作ると1年間かかる。 地道な作業だが、でもそれを待っている子供や親がいる。 その子の親の気持ちになってほしい。 そのためには、ボランティアをすることだ。ボランティアを続けることは、教師としての新しい目(芽)を開かせてくれる。 ボランティアとの出会いが、障害児学級の担任へと繋がります。 49歳の時、特別支援学級の6人クラスを担当されました。 自閉症、アスペルガーなど、授業に集中できない彼らが1週間で素敵な絵がかけるようになりました。 なぜでしょうか? 子供は、認められることを待っている。見てほめることを「認められる」という。 「歩き方かっこいい」「えんぴつの持ち方素敵」「消しゴムの使い方最高」・・・ 言葉はたくさんある! 福山先生は、ほめて育てていきます。 すばらしいのが、5分のモジュールで次々に指導をしていくことです。5分したらやめ、「もっとやりたい」という思いを残して次の教科へ移ります。 音読の途中でも「よくやったねえ」と褒め、続きをやらせません。 ただ、「その他」の5分で、自分のしたいことができるのです。 子供の見えない所が見えてきます。自分で選べることが、特別支援の子にはいいのです。 集中力が持続できない障害のある子の特性に合った指導です。 シャボン玉の歌を歌いました。 「シャボン玉ってこれでいいの?シャボン玉ってカタカナ?とんだって漢字?」 「作曲した野口さんっていつの生まれ?」 わからないときは、原点に戻れ。教師は、子供に教えるためには調べるべきだ。 わからないことは、親子自学として、親子で一緒に調べます。 一緒に調べてくれたおばあちゃんに先生から手紙を出しました。それが、新たな出会いを生んだのです。 福山先生の世界は、こうして次々に拡がっていくのです。 |
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