ともに生きる

今日のお話 ー1月19日(木)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  カッときて自分を見失い

  怒鳴ったのではない。

  相手を支配するために、

  怒りという感情を創り出し

  利用したのだ。

ちょっといい話

   母子手帳 

 今年の6月に母が亡くなった。火事だった。
 自分は別の町に住んでいたのだが、電話で聞いた時にはどうする事もできず、ただひたすら号泣しながら高速を運転して実家に戻った。火事でめちゃくちゃになった実家を見た時に、ああ本当に起こったんだ、と冷静に実感をした。
 告別式や葬式が終わって、焼け残った書類を家族みんなで調べていたとき、母親が残していた、僕たち兄弟5人の母子手帳が出てきた。僕の手帳には、産まれる前日まできっちり状態が書き込んであり、「ちょっと出血があったので心配。先生は『大丈夫だ』と言ってたけど……」と若かかった頃の母の直筆で、メモが残されていた。兄、2人の妹、弟の母子手帳もそれぞれいろいろな記録がしっかり書かれていた。母は、僕ら1人1人に分け隔てなく愛情を注いでくれていた。「母の人生は幸せだったのかな?」とよく思う。母子手帳は、兄弟1人1人の手に、形見として受け取った。みんなそれぞれに心に染みるものがあったと思う。
 僕は、今は小さな子どもがいる。母がしてくれたように、この子にたくさんの愛情を注いで、立派な父親になりたい。それが、母に対する、恩返しになると思う。

今日のお話 ー1月18日(水)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

 他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。

 自分は世の中に貢献しているという

 自己満足で十分である。

ちょっといい話

  田舎の母ちゃん

 田舎者で世間知らずで畑仕事のせいでいつも土の匂いがして、笑顔を絶やさなかった母さん。肝臓癌になって入院してから、祖母が見舞いに来た時「親不孝してゴメンネお母ちゃん」と、子どもの様に祖母にしがみ付いて泣きじゃくっていた姿は、とても見ていられなくて見舞いに来てた人たちと病室を出た後、待合室で皆で泣いたんだぜ。まったく年甲斐も無く……。
 「散々親不孝したんだから、これから少しは親孝行させてくれよ」と俺が言うと、「お前の存在自体が親孝行だったよ、とっても幸せだった」と言ってくれたっけ。あんなに学校に呼び出されたり、バイクで怪我したりして心配掛けたのに……。「本当かよ」と思ったよ。
 そうそう、そっちで見てると思うけど、病室で紹介したあの子と結婚したんだよ、今2歳の娘が居るんだ。俺が親になったんだよ。娘は、母さんに似て今からお喋りの素質を開花させてるよ。親になり我慢しなきゃならない事もあるけど、母さんの言ってくれた事が少しは理解できるようになってきたよ。

今日のお話 ー1月16日(月)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  叱られたり、褒められたりして育った人は、

  叱られたり、褒められたりしないと行動しなくなる。

  そして、

  評価してくれない相手を、敵だと思うようになるのだ。

2年生CUE学年発表並びに下校時について

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本日、2年生の総合学習「職業パンフレット」の学年発表がありました。代表に選ばれた生徒は、緊張した表情でしたが、堂々と自ら調べた学習内容を発表することができました。

その発表後、学年生徒指導担当より、下校に関する話を聞きました。

学校から下校する際、一度家に帰らずに出かけるという生徒の姿があるようです。通学路を守って安全に一度家へ下校するようにしてください。また、各学年の生徒指導担当からもそれぞれの学年に話があると思います。ご家庭でも一度話題にしていただけるとありがたいです。

ちょっといい話

   パパになったたけしへ

 俺の母親は俺が12歳の時に死んだ。ただの風邪で入院してから、1週間後に死んだ。
親父は俺の20歳の誕生日の1ヶ月後に死んだ。俺の20歳の誕生日に入院中の親父から手紙を渡された。黄ばんだ封筒を開けるとセロハンテープの後がくっきり写る。中を読むとお袋からの手紙だった。
 『パパになったたけしへ』
 内容は、俺が生まれた時のことから中学の入学した頃までのことが書いてあった。生まれた子が俺でよかったって。短い間だったけど楽しかったって。感謝してるって。でも、ゴメンって。だから、あなたの子どもには、あなたと同じ思いはさせないで頂戴って。
 泣きながら読んでる俺に親父が謝った。「すまんな」って。でも何を謝ることがあるのか。お袋が死んでから親父は忙しい中、俺のために働いてくれた。遊びにも連れてってくれた。反抗期の息子に何を言われても黙ってた。俺は知ってた。お袋が死んだ直後、親父の手に出来た沢山の包丁傷の跡。あれほど好きだったゴルフをやめたこと。いつの間にかタバコもやめてたな。
 こっちこそゴメン。ダメな息子でゴメン。俺は普通の人より早く両親を亡くしてるだろうけど、他の誰にも負けないくらい幸せだ。家族3人で過ごした思い出は何よりの宝物。
 父さん、母さん、ありがと、ほんとにありがと。

今日のお話 ー1月13日(金)ー

   東井義雄の名言・格言(4編)

□ ほんものはつづく。つづけるとほんものになる。

□ 失敗は私に、私の一番いけないところを
               教えにきてくれた大切なお使い。

□ 悲しいこと、苦しいことを
     泣き言の種にするのではなく、自分を磨くことに役立てる。

□ 天に向かってブツブツ言うな。雨の日には雨の日の生き方がある。

ちょっといい話

   それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで

 俺は親父が好きじゃなかった。お袋とだったら何でも話せるのに、親父と本音で話したことなんてなかった。
 親父は、俺が18のとき死んだ。心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。その時は、涙は出なかった。ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。
 俺が21のとき、「いい加減親父の部屋を片付けよう」ってなって、家族で片付けていた。俺はワインを見つけた。俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。お袋は言った。「お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで」。何故か涙が出てきた。
 俺は親父の墓前でそれを飲んだ。

今日のお話 ー1月12日(木)ー

   東井義雄の名言・格言

  生きているということは、
  死ぬいのちをかかえているということ。
  うれしいような、
  さびしいような、
  愛しくてならぬ。
  このなまあたたかい、
  生きているということの肌ざわり。

ちょっといい話

   16年前の手紙

 私の父は13年前に亡くなりました。その頃私は10代で後先考えずバカな事ばかりして、家出をし、母も父と仲が悪く別居……。亡くなる前の1年間は、お父さんは独り。
 成人式に出ようと久しぶりに帰り、お父さんに 会った。お父さんは凄く痩せていた。病院に行くようにお母さんとすすめた。数日後電話で話した。 お父さんは「病院行った」って嘘ついた。この時自分でも分かっていたのかもしれない。それから2ヶ月後、その日はやたらと非通知で電話がきていた。その後、お母さんからの電話。「すぐに家に帰りなさい」と言われ、帰るとお父さんが救急車で運ばれた……。慌てて病院へ行くと、全く動けなくなってしまったお父さんが居た。余命半年。全身に癌が転移し、腰の骨にも転移して骨が砕けてしまっていた。あの非通知の電話はお父さんだった。 私やお母さんに助けを求める電話だった。昔から機械音痴なお父さん。肝心な時に非通知設定。
 次の日の診察余命1ヶ月になった。今までの事すごく後悔した、ひたすら後悔した。それから、お父さんは亡くなるま2二週間、痛みに耐え頑張った。家族3人で毎日一緒に過ごした。今までの分を取り戻すかのように、3人で笑顔で……。父の会社の上司に引継ぎする時、病室で必死に起き上がろうとしたお父さん。入院する前日まで、朝から夜遅くまで仕事していたお父さん。みんな、私のため。私が好き勝手できたのもお父さんのお陰。バカで無知な私。
 葬儀の日、お父さんの財布からボロボロの紙が出 てきた。私が小学校で父の日に書いた作文だった。16年ずっと持っていてくれた。涙が止まらなかった。本当にバカな娘でごめん。ありがとう、お父さん。

今日のお話 ー1月11日(水)ー

    東井義雄の名言・格言

  今が本番、今日が本番、今年こそが本番。

  明日がある明後日があると思っている間は、

  なんにもありはしない。

  肝心な今さえないんだから。

ちょっといい話

   家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない

 うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。家のことなんて全くしない。子どものようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたりとにかく気難しい。反抗期だった私は、「何であんな性格なんだろうね、やってらんないよ」と母に言ったら「A子(私)も1人前の年だから…」と母が話し出した。
 父の父親は戦争で亡くなった。父の母はそれが元で精神がおかしくなり、父の姉と父を連れて線路に飛び込んで心中を図った。助かったのは5才の父だけ。それからは知合い中をたらい回しにされ、いじめられ、大変な少年時代を送ったらしい。「だから性格がひねくれたんだねぇ。でも何回も流産を重ねた後でA子が生まれた時、『天涯孤独な自分にも家族ができた』って泣いたんだよ。お母さんは所詮、お父さんにとっては他人だけど、A子はあの人にとって1番の宝物だよ」。
 この話しを聞いたときは大泣きしてしまった。「家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない」と母に相談していた父の気持ちを思うと切なくて泣けた。
 お父さんに優しくしないとなぁ…。

今日のお話 ー1月10日(火)ー

   東井義雄の名言・格言
 
  「させられる仕事」から

  「する仕事」に変わるとき、

  苦しみは喜びに変わり、

  生きがいに眼を輝かせる。

ちょっといい話

   ボロボロで指紋びっしりの写真

 俺が小さい頃に撮った家族写真が1枚ある。見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病を宣告されていてそれほどもたないだろうといわれ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と……、撮った写真らしかった。俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。当の父はというと、どっしりと腹をくくったという感じで、とても穏やかな表情だった。母がその写真を病床の父に持っていったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」とぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真という事で、見たがらないものを無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
 しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。祖父、祖母、母、妹、俺……。その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

ちょっといい話

   ずっと並んで歩こうよ 

 私は交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。
 付き合い始めの頃、それを気にして1歩下がるように歩いてた私に彼は気が付いて、手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。家に帰ってから訳を聞かれて「○○君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから……」って言ったら、「どうしてそんな考え方をするんだ」と怒られた。私は、「大好きだった○○君と、付き合えてるだけで幸せだから。私と付き合うことで、○君に少しでも嫌な思いをさせたくないから」と言った。すると彼は、泣きながら私の両手を持って、目の中を覗き込むようにして諭してくれた。「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。俺がお前を好きで一緒にいたい、付き合いたいと思ったから付き合ってるんだ。お前の体のことなんか、ずっと前から知ってたけど、一緒に歩いて恥ずかしいなんて1回だって思った事はないよ。お前がそんな風に考えてるのが、俺は悲しい。俺に気を使わないで、自分の事を恥じないで、もっと自信をもって胸を張ってほしい。ずっと並んで歩こうよ。お前は俺の自慢の彼女なんだから」と……。
 私のことをここまで思ってくれる人には絶対会えないと思う。すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。今は、どこに行くときも並んで歩いています。

ちょっといい話

   頑張るぞ

 うちは、まぁ…もうすぐこの世からいなくなる。肺癌ステージ4で治療ができない感じね(笑)。正直生きるのは諦めてるよ。そんなうちだけど一応大切な人はいるんだよ。元カレだけど……。彼氏はたくさんいたし、自分で言うのもなんだけど意外とモテてた。(笑)いつも「別れよう」って言うのはうちだったし、相手も納得してた。でも今回の彼氏は違ったみたい。うちが「別れよう」って言ったとき、「やだ」って答えた。ビックリした。この日から、本気で彼氏を好きになった。全然好みじゃないし、「カッコいい」なんて他の人は思わないと思う。(笑)まぁそんなんだけど、その分優しさがある。もう今ではうちの彼氏ではなくなったけど、彼が幸せならよいかなって感じ。死んじゃったら、きっと彼を見ることができないんだろーな。分からんけど……、でも……、う〜ん……ちょっと嫌だな(笑)。癌で死ぬのはそりゃ…怖いさ。うちまだ子どもだし、苦しいの嫌いだし。でも、彼が癌にならなかっただけ幸運だと思ってる。怖いけど……。
 卒業式出れんの、嫌だからもー少しだけ頑張ってみるわ。一緒に出れたらいいね(笑)。頑張るぞ。

今日のお話 ー12月16日(金)ー

   東井義雄の名言・格言

  自分は自分の主人公。

  世界でただひとりの自分を創っていく責任者。

ちょっといい話

   胸張って保育園の先生するよ 

 桜咲く前に、保育園を晴れてリストラになるんですが、こっちから「願下げだい」ってぐらい始末の悪い保育園だった。でもねぇ……、子どもは可愛いのよ。その別れが堪らなく切ないのです。うちは子宝に恵まれず、なおさら愛おしくて指折り「後何日こうして抱っこして眠らせてやれるだろう」と思うと、それだけが悔しくてなりません。昨日は、結婚記念日で出掛けました。連れ合いがトイレに行き、ふと独りになってしまうと思い出して溢れそうな涙を堪え、待ちました。
 すると、私の父ちゃんから着信有り。「んもぅ、空気読んでよ」と思い、自宅にかけ直すと母ちゃんが出た。ひとしきり話して「お父さんと替わってやるね」とバトンタッチ。ほろ酔いの父ちゃん(大工で、頑固で、兄と姉に厳しく、私に甘い)、「昨日は誕生日だったろ、おめでとう。焼酎飲みよったら忘れとった。だけん今日掛けたったい」だって。私、31のバースデーでした。
 孫も見せてやれない、リストラ娘なのに……。父ちゃん、ありがとう。やっぱあんたの娘でよかった。愛情も沢山もらった。曲がった事は許せない所はそっくりだ。だからこそ保育士になったんだね。また胸張って、保育園の先生するよ。大工は一生修業。保育士も一生修業。父ちゃん空気読みすぎ。これがあって吹っ切れました。

今日のお話 ー12月15日(木)ー

   東井義雄の名言・格言

  そうじは答案です。

  授業のあり方が、

  生活指導のあり方が、

  一点の誤差もなく正確に表れてくる。
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学校行事
4/6 入学式準備(在校生登校)

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