ともに生きる

今日のお話 −10月13日(木)−

   二宮尊徳の名言・格言

  人道は勤めるのを尊しとし

  自然に任せるのを尊ばない。

  勤めるということは

  私欲に克つということである。

ちょっといい話

   おふくろから電話 

 自殺考えていた頃におふくろから電話。
オレ:かあさん、オレが生まれた時、どう思った……。
母 :そうねえ、やっと会えたねって……。それから……。
オレ:……?
母 :この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかな。
オレ:……。
母 :……?、どうしたの、アンタ……。
オレ:なっ、なんでもないよ、じゃあね。

 電話切った後、ひたすら泣いた。オレに自殺する権利などない。
 オレは生きる……。せめて親が死ぬより後に……。

今日のお話 −10月12日(水)−

   二宮尊徳の名言・格言

  一人の人間は、

  宇宙にあっては限りなく小さいが、

  その誠意は天地をも動かすことができる。

ちょっといい話

   サーカスの像

 サーカスの像は、片足を細い鎖で繋がれています。そんな細い鎖なら、引っこ抜いて逃げ出せると思いませんか?しかし像は逃げ出さないんです。なぜでしょう?
 答えは、「自分には力がない」と思い込んでいるからなんです。この像は、幼いころからずっと鎖に繋がれて育ってきました。逃げ出そうと思っても、小さな体では鎖を引きちぎる力が無かったんです。そうして大人になってからも、幼いときの「力がない」という思い込みから逃げ出すことはないそうです。
 このサーカスの像のように、「自分には出来ない」と潜在的に思い込んでいることがあると思います。無意識のうちに「自分にはこれは出来ない」と決めつけていませんか?しかしそれは、自分の可能性を捨ててしまうことになります。「出来る」と思ってやれば、出来ることはたくさんあります。
 今まで出来ないと思い込んでいたことにも「挑戦」を……

ありがとうございました!!

 10月8日(土)に本校の吹奏楽部が、犬山産業振興祭「わいわい犬山フェスティバル」で演奏させていただきました。
 その折に参観されていた方より、吹奏楽部の活動に対して寄付をしていただきました。

 ありがとうございました。

 吹奏楽部の楽器の修理等、大切に使わせていただきます。

今日のお話 −10月11日(火)−

   二宮尊徳の名言・格言

  人道は勤めるのを尊しとし

  自然に任せるのを尊ばない。

  勤めるということは

  私欲に克つということである。

ちょっといい話

   俺はお前の兄ちゃんだから、お前が一番大事だ 

 中学時代、幼なじみの親友が目の前で事故死した。
 あまりに急で、現実を受け入れられなかった俺は少し精神を病んだ。突発的にパニックを起こして自傷行為を始めるので、親や兄が付きっきりだった。夜中にふと目を覚ますと、俺のベットの下に兄が布団を敷いて寝ていてお互いの手首を紐でしっかり結んでいた。その時はなんだか久しぶりに頭がクリアで、「ああ、兄ちゃん痩せたなあ。心配掛けて居るんだな」と、涙が出た。涙を拭おうとしたら、その動きで兄が跳び起きて「○○(俺)!」と俺にしがみついた。俺が泣いていて、パニックを起こしてないのを見ると、安心したように俺を抱きしめて「怖い夢を見たか、大丈夫だぞ。兄ちゃんがずっと付いてるからな」と笑顔になった。兄の腕や顔には引っ掻き傷が沢山あって、自分がやったんだと気が付いて、また泣いた。「○○君は可哀相だったな。でも俺はお前の兄ちゃんだから、お前が1番大事だ。お前に何かあったら、兄ちゃんは悲しいし、寂しい。兄ちゃんを置いて行かないでくれ」と頭を撫でて一緒に泣いてくれた。
 その夜から、少しづつ頭がはっきりする時間が増えて、ご飯を食べても吐かなくなった。今思うと兄は2歳上なので、その時、高校受験を控えた中学3年生だったはず。俺は1年近く学校を休んで、中1を2度やることになったけど、兄が現役で志望校に合格できてよかった。両親も優しく気遣ってくれたけど、幼なじみとの共有の思い出がある兄が一緒に泣いてくれたから幼なじみの死を受け入れられたんだと思う。
 何て言うか、あの時の俺には悲しみに寄り添ってくれる人が必要だったんだと思う。

今日のお話 −10月7日(金)−

   二宮尊徳の名言・格言

 両方が得をして、

 両方が喜べるような間柄を作ることに、

 知恵を働かせるのがよい。

ちょっといい話

   ごめんなさい、ごめんなさい

 私は自分で決めたルールがある。「自分が悪い」と思った時に、すぐ「ごめんなさい」を言うこと。
 もともと私は意地っ張り。だから「自分が悪い」と思っても「ごめんなさい」の一言が出ない。小さい頃から勝気で、兄とケンカしても必ず兄が折れるまで謝ったことはなかった。通知表の所見欄にも、「意思が強いのはよいところ、意地っ張りは悪いところ」と書かれていて、母も手を焼いていた。
 当時、付き合っていた彼氏とケンカをしても、絶対に折れることがなく、彼がいつも折れてくれる事で修復されていた。クリスマスイブにも、大ゲンカをした。原因は私。でも、意地っ張りな私。「悪い」と思っても、「ごめんなさい」が言い出せなかった。いつもなら「分かった、分かった」と、和ませてくれるのに、その日は違った。「もういいよ」とだけ言ってバイクで1人、さっさと帰ってしまった。意地っ張りな私。その場で「ごめんなさい」が言えなかった。当然電話やメールで謝る事もできず、あっと言う間に日付けが変わった。ホワイトクリスマスになった夜中。私の携帯のバイブレーションの音が、妙に部屋に響いた。彼のお母さんからの着信だった。私と別れた帰り道、「信号無視してきたトラックに跳ねられ、そのまま命を落とした」と……。頭の中は真っ白だった。無我夢中で病院に駆けつけて、何度も何度も叫んだ。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」、今更言っても遅いのに……。私がちゃんと謝っていれば、彼がこんな事にならなくてすんだ。私が素直になれていれば、まだ彼と一緒にいる時間だった。「もういいよ」それが、彼との最後に交わした言葉。「ごめんなさい」の一言が言えずにいた、ちっぽけな私のプライドのせいで、彼は死んだ。私に彼のお母さんが彼が使っていたケータイを見せてくれた。そこには未送信メール1件「むくれてるお前も好きだけど、素直な笑ってるお前が好きだよ」と……。
 あれから10年。もちろん1日も彼の事を忘れたことはない。そして、今でもクリスマスの時期にバイブレーションの音を聞くと、あの日の事を鮮明に思い出す。彼が命がけで教えてくれたこと。悪いと思ったら「ごめんなさい」、意地をはらず素直になること。これだけは絶対守る。
 私の生きていくルール。

今日のお話 −10月6日(木)−

   二宮尊徳の名言・格言

 富貴天にありという言葉は、
 寝ていても勝手に豊かになると考えている人もいる。
 これは大きな間違いである。
 その意味は、日々励んで、
 その言動が天理にかなっているときには、
 富は向こうから近づいてくるということだ。

ちょっといい話

   おふくろからの1本の電話 

 おふくろからの1本の電話。「お父さんが……、死んでたって」。「死んだ」じゃなくて、「死んでた?」。
 親父とおふくろは離婚してて、まともに会話すらした事がなく、思い出もない。借金を背負って、自分の事しか考えず、家族はそっちのけ。とにかく自分本位でおふくろは、いつも愚痴ばかりもらしていた。ただ、そんな親父は、小さい頃に母親に捨てられ、施設で育ったらしい。愛情に欠けて生きてきたから、仕方ないのかと思った時もあった。お祖父さんは帰化申請をした外国人。小さい頃から「外国人はあっちいけ」とバカにされてたらしい。自分も親になって、少しは親父の気持ちも分かり始めた時であった。
 最後に会ったのは3年前、子どもと一緒に飯を食いに……。相変わらず何一つ喋らず、 黙々と食べ終わって帰ったっけな。糖尿病で病院に行く金もなく、インスリンを半年も打たず部屋にはチョコとかコーラが大量だった。 座椅子に座ったまま苦しんだ形跡もなく、10日後に発見。新年迎える前日だったらしい。台所には甘口のカレーの作りかけの後があった。ちゃんと作っておいてやったよ……、ちゃんと食ってやったよ……。涙が止まらなかった。何で言ってくれなかった、最後の最後まで迷惑かけやがって、一緒に酒飲みたかったな、 温泉行きたかったなー。親父らしい最後だったのかもしれないな……。

今日のお話 −10月4日(火)−

   二宮尊徳の名言・格言

 尊い人の道も書物に書いた時は、
 世の中を潤すことはなく、世の中の役に立つこともない。 
 それは、水が凍ったようなものである。
 この氷となった書物は、
 胸中の熱を使って元の水に戻さなければ役に立たない。
 書物を理解して実行する力を尊ぶのである。

ちょっといい話

  母さんが泣くのを見るの初めてだった 

 うちは、親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。母さんは、俺と兄貴のためにいっつも働いてた。土日もゆっくり休んでたという記憶は無い。俺は中学・高校の頃、そんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。夜遅くまで好き勝手遊んで、学校さぼったことも多かった。高校卒業して就職もしないで遊んでて、当然金は無い。そこでやっちゃった。盗み。小心者の俺は、その日に自首。ただ、びびっただけ。警察に俺を迎えに来た母さんは、本当に悲しい顔してた。でも泣いてはなかった。一緒に家庭裁判所行ったときも、割と落ち着いてた。裁判所の帰りの電車で、俺あやまったんだ。ボソッと「ごめん」と……。そしたら、「お母さんこそ、お前に申し訳ないよ。小遣いもやれないで……」。 俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。「何やってんだ俺、何やってんだ俺」って……。ここでも母さんは泣いてなかったな。ただじっとうつむいてただけだった。
 俺はその後必死になって勉強した。昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。そして、翌春に何とか大学に合格。バイトは続けながら、大学生活が始まった。でも、母さんは、俺のことがまだ心配なようだった。母さんも相変わらず働きづめで、俺との会話がなかったので……。だから俺、入学後も一生懸命勉強した。自分のためっていうより、母さんを安心させてやりたかった。それで大学1年目の終わりに、「母さん、見せたいものがあるんだ」と言って、紙を1枚渡した。大学の成績通知書。履修した科目が全部「優」だったから……。最初はよくわかんなかったみたいだけど、説明したら成績がいいのはわかったみたい。 母「へえ、すごいね、成績」、俺「すごいかどうかはわかんないけど……」、母「すごいね、偉いね」、俺「だからさ、俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから」、そしたら母さん、泣き出しちゃった。もう号泣。そこで気付いたんだけど、俺、母さんが泣くのを見るの初めてだった。きっと、何があっても子どもには涙は見せないようにがんばってたんだと思う。それを思ったら俺も泣き出しちゃった。
 親孝行しなきゃな……。

今日のお話 −10月3日(月)−

   二宮尊徳の名言・格言

 善悪と言っても、

 天が決めたものではなく、

 結局、人間にとって便利かどうかだけの話である。

ちょっといい話

   お父さんとお母さん、どっちにつく 

 私には父と母と中学1年生の弟がいて、私が高2の頃まではごく普通で平凡な生活を送っていた。多分、私が高3になった頃から両親がお互い何も話さなくなっていた。気付いたときには、家族みんなで笑って食事することも、家族みんなで寝ることも、みんなで旅行に行くこともなくなってた。一番大好きだった場所が、いつの間にか嫌いになって、家にいるだけで息がつまるようになり、自分でも知らないうちに親にも気を使うようになっていた。そんな毎日が続いて、今までありえなかったことが「当たり前」になってしまい、そんな家族が嫌で私は家を出て、しばらく家には帰らなかった。
 そんなある日、いつもなら何も言わない母から「帰っておいで」のメール。とりあえず理由を聞いた。返ってきたメールには、「離婚」という2文字。今まで考えたことがなかった親の離婚。いつか家族が元に戻る日が来るのを、勝手に信じていた自分が情けなくて…。悔しくて、悲しくて、ひたすら涙があふれた。
 やっと落ち着いてから家に帰ると、私は何も言えずに、ただ立っているのが精一杯だった。しばらくすると、母が優しい声で「しほ」と言った。私は、震える声で「…はい」と返事をし、椅子に座った。何秒か沈黙が続き、自分の心臓の鼓動と時計の秒針だけが、静かに聞こえていた。緊張感の中、ようやく父が口を開き「…ごめんな」と呟いた。そのあと母が言った言葉は「2人とも、お父さんとお母さん、どっちにつく?」
 必死で涙をこらえて心の中で泣いていた。そして、見つけた私の方程式は、『2−1=0』。2から1を引いちゃうと、もう何にもなくなっちゃうんです。だから私はどちらも選びませんでした。と言うより、選びたくなかったんです。毎日、一生懸命働いてくれたお父さん。私を産んでくれて、18年間育ててくれたお母さん。自分には、そんな2人を選ぶ資格なんかないと思いました。
 結局、戸籍上は母の方になったけれど、私は彼氏と結婚することにしました。今では月に2、3回程度ですが、父とご飯を食べに行ったり、母と買い物に行ったりしています。でもやっぱり寂しくて、彼氏や友達の前だけは我慢しきれずに泣いてしまうこともあるけど、両親が幸せなら私はそれで充分だと思いました。家族は、離れ離れになっても絶対に途切れることのない大きなものなんだなぁと改めて実感することができました。

今日のお話 −9月30日(金)−

   二宮尊徳の名言・格言

 いかに善を思っても、
 行いによって善を表さなければ、
 善人とは言えない。
 それは、悪い事を考えていると言っても、
 実際に悪事をしなければ悪人といえないのと同じである。
 従って私はどんな小さなことでも、
 実際に善を行う事を尊ぶ。
 善心が起きたら、すぐに実行するのがよい。  

ちょっといい話

   きっと大丈夫ですよね

 60歳過ぎて、「癌」と言われても治療はしません。5年前、1人娘も結婚しましたし、思い残す事ももうないのです。でも、オリンピックと孫の顔は、見てみたかったですね。30歳の時に夫を舌癌で亡くしました。それからというもの、娘を1人で育ててきました。癌だと電話口で娘に伝えると、1通の手紙が送られてきました。
 お母さんへ 
 ほんとに治療しないの? 私としては「治療をしてほしい」、「生きてほしい」。お父さんが死んでから、お母さんに無理をさせたのは分かってる。お父さんが死んだとき、仏壇の前に1人で佇んでるお母さんのちっさい背中を見たとき、「この人も不安でたまらないんだ」って私にも分かったもん。不安でたまらなくて、押しつぶされそうなくせに、いっつも笑ってたよね。もう無理はさせたくないんだけど、まだ一緒に居たいよ。小柄なくせに、ピンって伸びた背筋はお母さんの性格を物語ってた。たったひとりで、何十人もの悲しみとかを背負えるわけないじゃん。でもお母さん、意外と頑固だから私が言っても聞かないんでしょう。だから、感謝を伝えるために書いた手紙のはずなのに、いつの間にか 「まだ生きて」と、また重みになるような言葉かけてる。お母さんが欲しいのは、「頑張ったね」とか「お疲れ」っていうお父さんからの言葉かもしれない。でも私は、まだ未熟で子どもっぽいから分からない。「何で自ら死に向かって行こうとするの?」。まだお母さんの笑顔が見たいよ。                        〇〇より
 私は27年間、娘の前で泣きませんでした。女らしいとか捨てて、ただ強く生きようとしていました。今は確かに、夫からの褒め言葉を聞きたいですね。でも、1つ言えるのは、自ら死に向かっているのではなく、「死」を受け入れようと頑張っているんです。私も娘の笑顔はまだ見たいですが、過ごした時間は夫より娘のほうが18年も多いのです。そろそろ夫の声も忘れてきましたし、お迎えが欲しいところです。甘えん坊を置いて逝くのは、気が引けますが、あの子には支えてくれる夫が居るのです。きっと大丈夫ですよね?泣いても笑っても、実はもう少ししか、私には時間というものがありません。私の大好きな人と、大嫌いな人にも感謝です。私という人間を作り上げた全ての人に……。

今日のお話 −9月29日(木)−

   二宮尊徳の名言・格言

 親の養育を受けたことに報いるために子どもを養育し、

 先生から教えを受けたことに報いるために子弟を教え、

 人の世話を受けたことに報いるために人の世話をする。

 これが人道である。

ちょっといい話

   18日間、娘は良くがんばった 

 親と喧嘩をし、「出て行け」と言われ家を飛び出して6年。家を出て3年後に知り合った女性と結婚し、2年後に子どもができた。ものすごく嬉しかった。「母性愛がある」と同じように「父性愛がある」と気付いた。「子を愛さない親はいない」というのも知った。妻の検診の日は毎回産婦人科まで一緒に行った。初めて聞いた元気な心音に「父さんは、おまえのためにがんばる」と誓った。何もかもが順調だと思ってた。予定日の1ヶ月前に妻が破水をした。切迫流産の前兆だった。「妻も元気で何も問題なんてない」と思っていただけにビックリした。嫌な言葉、「八月子(やつきご)はもたない」が蘇った。詳しい検査をした時に、娘の心音に雑音が混ざっている事が分かった。母子ともに危険な状態になった為、緊急手術で帝王切開する事になった。
 よく晴れた10月に娘は生まれた。最初は小さく泣いたらしい。けど、自発呼吸ができなかったため、酸素供給するための管を通す事になった。その後の事は、よく覚えてない。どこからが現実で、どこまでが現実じゃないのか……。初めてNICUで見た娘の姿に、涙が出そうになった。娘にかけた最初の言葉が「生まれてきてくれて有難う」。初めて人前で泣いた。いろいろと医師から説明を受けた。「絶望」って眩しくも、真っ暗でもなかった。いつもの生活が、私と妻を追い立てた。娘は管から母乳も飲み、オムツも替えさせてもらい、名前も付けてやれたし、出生届も出してやれた。戸籍上も私の娘。可愛い。
 医師からの突然の電話。最初で最後、娘を抱っこしてあげれた。涙が出そうになった。
だけど泣かなかった。泣く必要は無いと自分に言い聞かせた。18日間、娘はよくがんばった。妻と2人で娘を荼毘に出し、小さな骨壷に骨拾いをした。やっと娘は父と母が住む家に帰ってこれた。

今日のお話 −9月28日(水)−

   二宮尊徳の名言・格言

 私の本願は、

 人々の心の田の荒廃を開拓していくことである。

 天から授けられた善の種である仁義礼智を栽培し、

 善の種を収穫して、各地に蒔き返して、

 日本全体にその善の種を蒔き広めることである。
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3/21 春分の日
3/23 給食終了
3/24 修了式

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