ともに生きる

今日のお話 ー1月13日(金)ー

   東井義雄の名言・格言(4編)

□ ほんものはつづく。つづけるとほんものになる。

□ 失敗は私に、私の一番いけないところを
               教えにきてくれた大切なお使い。

□ 悲しいこと、苦しいことを
     泣き言の種にするのではなく、自分を磨くことに役立てる。

□ 天に向かってブツブツ言うな。雨の日には雨の日の生き方がある。

ちょっといい話

   それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで

 俺は親父が好きじゃなかった。お袋とだったら何でも話せるのに、親父と本音で話したことなんてなかった。
 親父は、俺が18のとき死んだ。心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。その時は、涙は出なかった。ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。
 俺が21のとき、「いい加減親父の部屋を片付けよう」ってなって、家族で片付けていた。俺はワインを見つけた。俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。お袋は言った。「お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで」。何故か涙が出てきた。
 俺は親父の墓前でそれを飲んだ。

今日のお話 ー1月12日(木)ー

   東井義雄の名言・格言

  生きているということは、
  死ぬいのちをかかえているということ。
  うれしいような、
  さびしいような、
  愛しくてならぬ。
  このなまあたたかい、
  生きているということの肌ざわり。

ちょっといい話

   16年前の手紙

 私の父は13年前に亡くなりました。その頃私は10代で後先考えずバカな事ばかりして、家出をし、母も父と仲が悪く別居……。亡くなる前の1年間は、お父さんは独り。
 成人式に出ようと久しぶりに帰り、お父さんに 会った。お父さんは凄く痩せていた。病院に行くようにお母さんとすすめた。数日後電話で話した。 お父さんは「病院行った」って嘘ついた。この時自分でも分かっていたのかもしれない。それから2ヶ月後、その日はやたらと非通知で電話がきていた。その後、お母さんからの電話。「すぐに家に帰りなさい」と言われ、帰るとお父さんが救急車で運ばれた……。慌てて病院へ行くと、全く動けなくなってしまったお父さんが居た。余命半年。全身に癌が転移し、腰の骨にも転移して骨が砕けてしまっていた。あの非通知の電話はお父さんだった。 私やお母さんに助けを求める電話だった。昔から機械音痴なお父さん。肝心な時に非通知設定。
 次の日の診察余命1ヶ月になった。今までの事すごく後悔した、ひたすら後悔した。それから、お父さんは亡くなるま2二週間、痛みに耐え頑張った。家族3人で毎日一緒に過ごした。今までの分を取り戻すかのように、3人で笑顔で……。父の会社の上司に引継ぎする時、病室で必死に起き上がろうとしたお父さん。入院する前日まで、朝から夜遅くまで仕事していたお父さん。みんな、私のため。私が好き勝手できたのもお父さんのお陰。バカで無知な私。
 葬儀の日、お父さんの財布からボロボロの紙が出 てきた。私が小学校で父の日に書いた作文だった。16年ずっと持っていてくれた。涙が止まらなかった。本当にバカな娘でごめん。ありがとう、お父さん。

今日のお話 ー1月11日(水)ー

    東井義雄の名言・格言

  今が本番、今日が本番、今年こそが本番。

  明日がある明後日があると思っている間は、

  なんにもありはしない。

  肝心な今さえないんだから。

ちょっといい話

   家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない

 うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。家のことなんて全くしない。子どものようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたりとにかく気難しい。反抗期だった私は、「何であんな性格なんだろうね、やってらんないよ」と母に言ったら「A子(私)も1人前の年だから…」と母が話し出した。
 父の父親は戦争で亡くなった。父の母はそれが元で精神がおかしくなり、父の姉と父を連れて線路に飛び込んで心中を図った。助かったのは5才の父だけ。それからは知合い中をたらい回しにされ、いじめられ、大変な少年時代を送ったらしい。「だから性格がひねくれたんだねぇ。でも何回も流産を重ねた後でA子が生まれた時、『天涯孤独な自分にも家族ができた』って泣いたんだよ。お母さんは所詮、お父さんにとっては他人だけど、A子はあの人にとって1番の宝物だよ」。
 この話しを聞いたときは大泣きしてしまった。「家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない」と母に相談していた父の気持ちを思うと切なくて泣けた。
 お父さんに優しくしないとなぁ…。

今日のお話 ー1月10日(火)ー

   東井義雄の名言・格言
 
  「させられる仕事」から

  「する仕事」に変わるとき、

  苦しみは喜びに変わり、

  生きがいに眼を輝かせる。

ちょっといい話

   ボロボロで指紋びっしりの写真

 俺が小さい頃に撮った家族写真が1枚ある。見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病を宣告されていてそれほどもたないだろうといわれ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と……、撮った写真らしかった。俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。当の父はというと、どっしりと腹をくくったという感じで、とても穏やかな表情だった。母がその写真を病床の父に持っていったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」とぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真という事で、見たがらないものを無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
 しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。祖父、祖母、母、妹、俺……。その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

ちょっといい話

   ずっと並んで歩こうよ 

 私は交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。
 付き合い始めの頃、それを気にして1歩下がるように歩いてた私に彼は気が付いて、手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。家に帰ってから訳を聞かれて「○○君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから……」って言ったら、「どうしてそんな考え方をするんだ」と怒られた。私は、「大好きだった○○君と、付き合えてるだけで幸せだから。私と付き合うことで、○君に少しでも嫌な思いをさせたくないから」と言った。すると彼は、泣きながら私の両手を持って、目の中を覗き込むようにして諭してくれた。「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。俺がお前を好きで一緒にいたい、付き合いたいと思ったから付き合ってるんだ。お前の体のことなんか、ずっと前から知ってたけど、一緒に歩いて恥ずかしいなんて1回だって思った事はないよ。お前がそんな風に考えてるのが、俺は悲しい。俺に気を使わないで、自分の事を恥じないで、もっと自信をもって胸を張ってほしい。ずっと並んで歩こうよ。お前は俺の自慢の彼女なんだから」と……。
 私のことをここまで思ってくれる人には絶対会えないと思う。すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。今は、どこに行くときも並んで歩いています。

ちょっといい話

   頑張るぞ

 うちは、まぁ…もうすぐこの世からいなくなる。肺癌ステージ4で治療ができない感じね(笑)。正直生きるのは諦めてるよ。そんなうちだけど一応大切な人はいるんだよ。元カレだけど……。彼氏はたくさんいたし、自分で言うのもなんだけど意外とモテてた。(笑)いつも「別れよう」って言うのはうちだったし、相手も納得してた。でも今回の彼氏は違ったみたい。うちが「別れよう」って言ったとき、「やだ」って答えた。ビックリした。この日から、本気で彼氏を好きになった。全然好みじゃないし、「カッコいい」なんて他の人は思わないと思う。(笑)まぁそんなんだけど、その分優しさがある。もう今ではうちの彼氏ではなくなったけど、彼が幸せならよいかなって感じ。死んじゃったら、きっと彼を見ることができないんだろーな。分からんけど……、でも……、う〜ん……ちょっと嫌だな(笑)。癌で死ぬのはそりゃ…怖いさ。うちまだ子どもだし、苦しいの嫌いだし。でも、彼が癌にならなかっただけ幸運だと思ってる。怖いけど……。
 卒業式出れんの、嫌だからもー少しだけ頑張ってみるわ。一緒に出れたらいいね(笑)。頑張るぞ。

今日のお話 ー12月16日(金)ー

   東井義雄の名言・格言

  自分は自分の主人公。

  世界でただひとりの自分を創っていく責任者。

ちょっといい話

   胸張って保育園の先生するよ 

 桜咲く前に、保育園を晴れてリストラになるんですが、こっちから「願下げだい」ってぐらい始末の悪い保育園だった。でもねぇ……、子どもは可愛いのよ。その別れが堪らなく切ないのです。うちは子宝に恵まれず、なおさら愛おしくて指折り「後何日こうして抱っこして眠らせてやれるだろう」と思うと、それだけが悔しくてなりません。昨日は、結婚記念日で出掛けました。連れ合いがトイレに行き、ふと独りになってしまうと思い出して溢れそうな涙を堪え、待ちました。
 すると、私の父ちゃんから着信有り。「んもぅ、空気読んでよ」と思い、自宅にかけ直すと母ちゃんが出た。ひとしきり話して「お父さんと替わってやるね」とバトンタッチ。ほろ酔いの父ちゃん(大工で、頑固で、兄と姉に厳しく、私に甘い)、「昨日は誕生日だったろ、おめでとう。焼酎飲みよったら忘れとった。だけん今日掛けたったい」だって。私、31のバースデーでした。
 孫も見せてやれない、リストラ娘なのに……。父ちゃん、ありがとう。やっぱあんたの娘でよかった。愛情も沢山もらった。曲がった事は許せない所はそっくりだ。だからこそ保育士になったんだね。また胸張って、保育園の先生するよ。大工は一生修業。保育士も一生修業。父ちゃん空気読みすぎ。これがあって吹っ切れました。

今日のお話 ー12月15日(木)ー

   東井義雄の名言・格言

  そうじは答案です。

  授業のあり方が、

  生活指導のあり方が、

  一点の誤差もなく正確に表れてくる。

ふたご座流星群

 毎年ほぼ安定して多くの流星が出現する3つの流星群「しぶんぎ座流星群(1月)」「ペルセウス座流星群(8月)」「ふたご座流星群(12月)」は、「三大流星群」と呼ばれています。
 今日、12月14日(水)は、三大流星群の一つ「ふたご座流星群」が極大となり、14日の夜から15日の明け方にかけて見頃を迎えます。

今日のお話 ー12月14日(水)ー

   東井義雄の名言・格言

 「聞く」は、「話す」ことより

 消極的なことのように考えられがちですが、

 これくらい消極的な

 全身全霊をかけなければできないことはない。

今日のお話 ー12月13日(火)ー

   東井義雄の名言・格言

  どの子も子どもは星。

  みんなそれぞれが、

  それぞれの光をいただいて、

  まばたきしている。

ちょっといい話

   ガイドブック 

 東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。母にも、「たまには東京来いよ」と言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、東京のガイドブックが出てきた。皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしくボロボロになってた。
 親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は、「何回も、何回も息子が来いと言ってくれた」と喜んでいたらしい。一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさん、たくさん書いてあって……。
 死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。

今日のお話 −12月10日(土)−

   東井義雄の名言・格言

  太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。

  太陽が昇るから夜が明けるのだ。

□ プロフィール
東井義雄(1912 〜 1991 年)は、日本の教育者 である。 兵庫県の浄土真宗の東光寺に生まれた。 1932(昭和 7)年に姫路師範学校を卒業したのち、 小学校教師として勤務し、日本のペスタロッチ賞 を受賞した。 東光寺住職でもあった。 

ちょっといい話

   俺がぶん殴ってやるよ 

 田舎の祖母が入院してるので実家に数日戻ってきた。
 祖母はあんまり長くないらしい。祖父母は九州に住んでいて、祖父は完全に頑固一徹の昔ながらの親父って感じ。「男子厨房に入らず」を徹底して、晩酌は日本酒(必ず熱燗)。当然、すべて祖母が準備。熱燗がちょっとでもぬるいと、口をつけた後、「ぬるい」と一言だけ言い、無言で祖母に温めなおすよう指示。祖母は「すみません」と言い、温めなおす。祖父は祖母を怒鳴りつけるということはなかったが、とにかく一貫してそんな態度だった。小さい頃から細々とよく働く祖母を呼びつけて、召使のように扱う祖父をみて、何だか理不尽なものを感じていた。その反動か、俺は小さい頃から母親の手伝いをよくやったし、今も家事を積極的に手伝うようにしている。
 その祖母が先月いきなり倒れたらしい。検査の結果「癌」発見。しかももう手遅れで、「このまま…」という方針に決まった。で、連休明けて仕事が一段落して休暇もらって行ってきたんだが、実家帰ってびっくりした。祖父が、連日祖母の病院に朝からいっているらしい。ほとんど1日病室で2人で過ごしているそうだ。病院に行ったら、祖父はいなかったが、しばらくしたら祖父が帰ってきて、その手にはプリン。祖母が食欲が落ちてきたので食べやすいものを、と思って買ってきたらしい。見ていると祖父がよく動く。鞄から祖母の着替えを出したり、ちょっとした買い物や何やと……。俺がそろそろ帰ろうかとしていると、祖父がいきなり「そうだ。せっかくだから写真を撮ろう」と言い出した。祖母が「こんな痩せてガリガリの写真なんて撮らないでください。葬式には若い綺麗な頃の写真を使ってくださいね」と冗談めかして言うと、祖父は「病人だし、飯も食わんのだからガリガリなのは当然だ。今のお前が綺麗じゃないと言う奴がいたら俺がぶん殴ってやるよ」と。祖母は「まぁまぁ」なんて笑ってたけど、ちょっと泣いてたんだよな。
 何だかんだ言いながら、この2人は夫婦なんだなぁと思ったよ。

今日のお話 −12月9日(金)−

   大久保利通の名言・格言(4編)

 □ 彼は彼、我は我でいこうよ

 □ 堅忍不抜
  (意志が強く、辛いこともじっと耐え忍んで心を動かさないこと)

 □ 為政清明
  (政治を行うものは清らかでなければならない)

 □ やりすぎるのはやり足りぬより悪い。
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学校行事
3/20 小学校卒業式
3/21 春分の日
3/23 給食終了
3/24 修了式

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