ともに生きる

ちょっといい話

   親孝行をしてきたつもりだった…… 

 母のおなかを殴った記憶がある。小学校5年生の授業参観だったかな?。体育の授業で、親も参加してのドッジボール。ルールは「親に当たっても退場しない。子に当たったら親と一緒に退場。復活なし等……」って感じだったかな?今考えると、俺の母は太った体で俺のことを守ってくれてたんだな。でも、当時の俺には邪魔してるようにしか思えなくて……。母が邪魔でゆるいボールをキャッチできなくて、悔しくて母の腹を殴った。その時母は、顔をにっこり笑って「ごめんね」って言ったのよ。
 その日以来、母に親孝行は、してきたつもりだった。
 先月なんだけど、小4の息子にハラ、殴られたのが目茶苦茶痛かったのね。肉体労働のこの俺が……。でも本当に痛かったのは、母を殴った思い出と、「親孝行してきました」なんて思って生きてきた俺自身、泣いたよ。息子、びびってたね。でも思春期になったら、コイツ俺のことナメて来るんだろうな。そのとき、俺はどうするかわからんが、あの時、母はにっこり笑ったんだったな。
 母はまだ元気だ。でも、過ぎた日を取り戻す親孝行なんてできない。母は、生きてんのに、生きててくれてんのに……。だから、この辛さを一生胸に刺したまま 母と、この体に流れてる血と、そしてこの血脈を継いでくれた妻と息子の幸せを、一生懸命考えるよ

今日のお話 −5月30日(月)−

   福沢諭吉の名言

 人間の行動には、
 おのずから制約がなくてはならない。
 また、行動するには、
 時と場所をわきまえていなくてはならぬ。
 道徳を説くことが大切だからと言っても、
 楽しい宴会の最中に突然説教をはじめたら、
 笑いものになるのが落ちだ。
 場所柄や時節柄をよくわきまえて、
 行動を制御するのも確かな判断力による。
 行動だけが活発で判断力にかけているのは、
 舟に舵がないようなものだ。
 役に立たぬどころか、害を及ぼすことの方が多い。

ちょっといい話

   母の文集 

 私の部屋に、ずっと母の本棚がある。母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。
 数年前、捜し物をしていて母の本棚を探っていたら、「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集があるのが目に止まった。好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな?」って読んでみたら……。他の子(母の同級生)は「家族で旅行をして楽しかった」とか、「遠足でみんなと遊んだ」などの思い出を書いているのに対して、母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると「私のお父さんが入院しました」から始まって、小学生の子どもが書いたとは思えないほどの深刻な内容がそこに……。読み終わる頃には、涙が止まりませんでした。おじいちゃん(母の父)は、病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、とても苦労したんだなぁと思った。
 私は、父と仲が悪くケンカばかりしてて母が「お父さんに何てこと言うの。お父さんを大切にしなさい」と言うことの意味がその時やっとわかりました。気づくのが遅かったかもしれないけど、これからも両親を大切にしていきたいと思う。

小学校別安全マップ 5月27日(金)

 犬山警察署の方に「小学校別安全マップ」をいただきました。

 https://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/23200...

 ご家族で一緒に見ていただき、城東地区の危険箇所を確認していただくとともに、交通安全について話し合っていただけるとありがたいです。

今日のお話 −5月27日(金)−

   福沢諭吉の名言

 顔色や容貌をいきいきと明るく見せることは、
 人間としての基本的なモラルである。
 なぜなら人の顔色は、
 家の門口のようなものだからである。
 広く人と交際して自由に付き合うには、 
 門をひらき、入口を清潔にし、
 客が入りやすくすることが大事である。
 ところが、本心は人と交際を深めたいのに、
 顔色に意を用いず、
 孔子の格言を信じてことさら渋い顔つきを示すのは、
 入口にガイコツをぶら下げ、
 門前に棺桶を置いているようなものである。
 これでは誰も近づかなくなる。

ちょっといい話

   情熱だけは持ち続けろ 

 いつ何があってもおかしくない仕事だから、よく母に「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」ってそう言っていたのを覚えている。親父はとても熱い人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけはもち続けろ」、「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだった。
 あの日、緊急要請が入って夜中の2時頃、親父は火事現場に向かって行った。物音で起きてドアを開けて見た親父の背中が、オレが親父を見る最後の機会になった。親父は、火事で倒壊してきた建物の下敷きになって、病院に運ばれたものの、死んだ。朝、母からそれを聞いた時、信じられなかった。いつもみたいに、疲れた顔して帰ってきて、「母さんビール」なんて言う、そう思えて仕方なかった。でも、灰だらけになって眠る親父の顔を見て、一生目覚めないその顔を見て、それが現実だとわかった。悲しくて、涙が止まらなかった。でも、同時に誇らしかった。親父は灰だらけでボロボロで、もう目覚めなかったけれど、あの日の火事では、全員救出できたそうだった。最後まで、「人を助けるっていう情熱」を失わなかった。他人から見ればただの一介の消防士にすぎないだろうけど、オレにとっては、最後まで最高にかっこいい親父だった。そんな親父の最後が誇らしくて、何故かさらに涙が溢れた。
 あれから12年、オレは親父と同じ仕事に就いている。何年も働いているが、今でも現場に向かう時は、怖い。それでも、向かうことができるのは、オレがこの仕事に「情熱」をもっているからだ。あの時、最後まで親父がもっていたように……。「ありがとう、親父」。あんたの背中を見ていたから今、火の海に飛び込んでいける。怖くても足を踏み出していける。「本当に、ありがとう。誰1人死なせはしない」。

今日のお話 −5月26日(木)−

   福沢諭吉の名言

 世間の物事は、
 進歩しないものはすたれ、
 退かず努力するものは
 必ず前進する。
 進みも退くもせずに、
 ぐずぐず止まっているものなど
 あるはずがないのである。

ちょっといい話

  強く育って欲しいから……

 家族でお出かけ中、4つ違いの妹(当時小学生)がビタン!と転倒。泣き叫ぶ 妹を親父は抱き起こし、泣きやむまでおぶって歩いた。厳しい親父だったし、俺はそんな事してもらった事はなかった。小学校の5年生だった俺は、その場では文句も言えず、後で母親に「ずるい…」と言って、拗ねてみせた覚えがある。
 それから10年余り、俺が19歳の時に親父が胃ガンになった。告知はしていなかったが、親父は自分の病状に気付いている様子。見舞いに行ったある日、親父は俺に こう言った。
父:「10歳の時、○子(妹)が転んだ事、覚えてるか?」
俺:「うん」
父:「母さんから聞いた。悪かったと思ってる。でもな……」
俺:「今さら何だよ」
父:「○子は優しく育って欲しいから助けた。おまえは強く育って欲しい
  から放っておいたんだよ」
俺 「……」
 泣いちゃいけないと思いながら、泣けて仕方なかったよ。

今日のお話 5月25日(水)

   福沢諭吉の名言

 人に貴賎はないが

 勉強したかしないか

 の差は大きい。

ちょっといい話

   彼女のすてきなお弁当 

 小学校高学年のとき、優等生だった。勉強もスポーツもできたし、児童会とか何かの代表はいつも役がまわってきた。もう1人のできる男子と2人で、担任には愛され、ひいきされていた。でもそれをいいことに私たち2人に面倒や責任を押しつける雰囲気もできていて、「やだなあ」と思いつつ、空気読んでこなす日々だった。
 そんなある日、「自作のお弁当を作ってきて、皆の投票で優勝を決めよう」みたいな会が開かれた。「どうせみんな、親に手伝ってもらうのにくだらない」と思いつつ、私は敢えて適当な弁当を作ってきた。「ハンバーグと冷凍ポテトと何か」みたいな……。制作時間も短めで済む献立。優勝なんてどうでもよかった。当日、親が全面的に支援したであろう皆の弁当は、それぞれに美味しそうで大差はない内容だったと思う。私は、Mちゃんの彩りや栄養がきちんとしているお弁当に投票した。結果は、優勝と準優勝は私ともう1人の優等生の2人。結局みんな、いつもの通り「優等生に勝たせておけばいい」っていうことだったんだろう。Mちゃんの弁当は、大した順位じゃなかった。でも、私は知っていた。目立たないけどいつもニコニコして、優しいMちゃんの家は、父子家庭だということを……。彼女のすてきなお弁当は、お姉ちゃんと一緒に日々家事をこなしている、本当に彼女自身が自分で作った弁当だってことを。
 「皆バカだ、担任もバカだ、何でわからないのか」と無性に悔しかった。グループが違うので普段はあまり話さなかったけど、そのときはMちゃんに「Mちゃんのお弁当に投票したんだよ」と伝えた。「ありがとう」と笑ってくれた。

今日のお話 −5月24日(火)−

   福沢諭吉の名言

 日本人も 西洋諸国の人民も
 同じ天地の間にあって
 同じ太陽、
 同じ月・海・空気を共にし
 互いに通じ合う人情をもつ
 人民ではないか。
 余った産物は与え、
 外国に余っている物産はもらい、
 教え合い、学び合い、
 恥じたり、自慢したりせず、
 互いに相手国の便利を考えて
 その発展を願うべきであろう。

学びの学校づくり

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「学校安全緊急情報共有化広域ネットワーク」活用訓練について

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ちょっといい話

   手話の先生 

 小学生の頃、難聴の子がクラスにいた。彼女はめちゃくちゃ内気で、イジメられてはいなかったけど、友達はいなかった。
 ある時、学校の行事でうちのクラスは歌に合わせたダンスをする事になった。みんなで「あーでもない、こーでもない」と振り付けを模索していた時に、誰かが「そういえば○○ちゃん(難聴の子)って手話できるじゃん。それ参考にしたら?」と言い出し、みんなで「手話見せて」と○○ちゃんに集まって聞いた。彼女はだいぶ戸惑ってたが、いろんな手話を披露してくれて「すげー」、「いろいろな動きがあるんだね」と、みんな興味津々。その後、行事では手話を取り入れたダンスで先生達に褒められ、みんな手話自体に興味をもち、学校で手話クラブができる程のブームになった。「(手話の)先生」というあだ名が付いた○○ちゃんは、よく笑うようになり、行事前と比較して、別人のように明るくなった。
 卒業式の時、証書をもらう為に壇上に上がった○○ちゃんは、急に立ち止まって、泣きながら、「みんなありがとう。みんなのおかげでとても楽しかった。私は違う中学に行くけど、一生忘れません」と、たどたどしい言葉と手話で、みんなに向かって言ってくれた。もう、クラスの女子は泣くわ、先生達は泣くわ、保護者は泣くわ、校長まで号泣するわ。ずっと年賀状のやり取りを続けていたんだが、こないだ彼女から結婚式の招待状が届いた。それで思い出した話。

ちょっといい話

   胸張って保育園の先生するよ

 桜咲く前に、保育園を晴れてリストラになるんですが、こっちから「願下げだい」ってぐらい始末の悪い保育園だった。
 でもねぇ、子どもは可愛いのよ。昨年の4月、生後2ヶ月、早産で小さかったあの子が、今では呼び掛けると体一杯で応えくれて最高の笑顔を見せてくれる。途中、乳児院に預けられ退園しても「わがまま言わず、ちゃんとミルク飲んでるか」心配したよ。だからまた再園して来た時は嬉しかったし、ホッとした。その別れが、たまらなく切ないのです。うちは子宝に恵まれずなおさら愛おしくて、「あと何日こうして抱っこして、眠らせてやれるだろう」と思うと、悔しくてなりません。
 そんな事を考えてたら、私の父ちゃんから着信有り。「んもぅ…空気読んでよ」と思い自宅にかけ直すと母ちゃんが出た。ひとしきり話して「お父さんとかわってやるね」とバトンタッチ。ほろ酔いの父ちゃん(大工で、頑固で、兄と姉に厳しく、私に甘い)「昨日は誕生日だったろ?おめでとう!焼酎飲みよったら忘れとった。だけん今日掛けたったい」だって…。私、31のバースデーでした。孫も見せてやれない、リストラ娘なのに……。父ちゃんありがとう。やっぱあんたの娘で良かった。愛情も沢山もらった。曲がった事は許せない所はそっくりだ。だからこそ保育士になったんだね。また胸張って保育園の先生するよ。
 大工は一生修業。保育士も一生修業。父ちゃん空気読みすぎ!これがあって吹っ切れました。

今日のお話 −5月20日(金)−

   福沢諭吉の名言

 学問を志した以上、
 大いに学問に励むべきだ。
 農業に就くなら豪農に、
 商業に入るなら
 大商人になりたまえ。
 学生は小さな安定に
 満足してはならない。
 粗衣、粗食、寒暑に耐え、
 米をまき、薪を割り、
 それでも学問はできるのである。

ちょっといい話

   この命を大切にします

 母は元々体が弱く、月に1回、定期検診を受けていた。そこで、私ができたことを知ったらしい。母の体が弱いせいか、私は本来赤ちゃんがいなくてはいけないところにいなくて、危ない状態だったらしい。当時の医療では「1万人に1人しか助からない」と言われ、母子共に命が危険だったそうだ。「もし、生まれたとしても障害が残るかもしれない」とも言われたそうだ。でも、父が一生懸命お医者さんに頼み、母も3ヶ月前から入院して体が弱いのに頑張って私を産んでくれた。だから、私は無事に生まれることができた。当時幼稚園だった姉も、寂しいのを我慢して祖母の家で私が生まれるのを楽しみにしていてくれたらしい。私は、3人から溢れ出そうなくらい愛情を貰って生まれることができた。
 今は凄く幸せだ。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、ありがとう、神様、ありがとう。私は皆からもらったこの命を大切にします。

今日のお話 −5月19日(木)−

   福沢諭吉の名言

 人は、生まれながらに、
 貴賤貧富の別なし。
 ただ、よく学ぶ者は、
 貴人となり、富人となり、
 そして、無学なる者は、
 貧人となり、下人となる。
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3/20 小学校卒業式
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