ともに生きる

玉入れ

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競技が再開しました。

スウェーデンリレー

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男子にスウェーデンリレーが終わりました。気温が上がってきているので、教室で休憩をとり、11時から玉入れを再開します。

スウェーデンリレー

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バトンをつなぎます。

200m走

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みんな一生懸命走っています。

走り高跳び

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男子は125cmに挑戦しています。

体育大会

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競技が始まりました。

体育大会の日程の変更について

別紙のように30分程度繰り上げた日程で、「みんなでGo!」を午前に変更して実施させていただきます。なお、時間は競技の進行の状況で前後することがあります。あらかじめご了承ください。

0927体育大会日程(変更)について

よろしくお願いいたします。

今日のお話 −9月27日(火)−

   二宮尊徳の名言・格言

 人々にはそれぞれ長所もあり、
 短所があるのは仕方がない。
 相手の長じているところを友として
 劣っているところは友としてはいけない。
 人の短所を捨て、長所を友とするのだ。

本日体育大会を実施します

本日の体育大会は実施します。なお、午後から降雨が予想されるので、以下のように対応します。

1 開会式から30分程度繰り上げます。開会式は9時に開始します。
2 午後の種目「みんなでGo!」を午前玉入れの後実施します。
3 雨に濡れる可能性があるので着替えの準備をお願いします。

ちょっといい話

   ばあちゃんのスイカ 

 昨年の夏に高知へ行った。夏真っ盛りで走ってても頭がクラクラするくらいの炎天下。
国道439号線の全線走破目指して2日目の午後、中村市に近いところまで辿り着いた。辺りには何もない川べりの道端にビーチパラソル立てて、1人の婆ちゃんがスイカとトマト売ってた。オレは水を張った樽の中に浮かんでるスイカとトマトに魅かれてバイクを停め、「おばあちゃん、ココで食べてもいいか」と聞いた。婆ちゃん、笑って椅子を出してくれ、小さなスイカを4つに切ってくれた。ほんのりと冷えていて、喉が渇いていたオレは2切れを一気に食った。「トマトも食うか」、そう薦められて歪な形の、それでも真っ赤に熟れたトマトを1つ頬張った。
 「なあ、ツトム」と婆ちゃんがオレに話しかけた。「今日は学校休みなんか」オレは食いかけのトマトを握り締めたまま婆ちゃんの顔を見た。ビーチパラソルの青い色の下で、婆ちゃんは優しそうに笑ってた。「そいともこれからか、学校は」、婆ちゃんがボケているのだと気づくまでに少し時間が必要だった。「そうだよ、今日はこれから学校なんだよ」そう答えると婆ちゃんは何度も何度も肯いて、「ツトムはちいこい頃からよく勉強しちょったなぁ」と笑った。「このオートバイはツトムんか」、「気いつけんといかんぜよ、バアちゃん、泣かさんちくれよ」、婆ちゃんはオレの返事などお構いなしに独りで話し続けた。
 高くて真っ青な空に、夏雲が飛んでいた。何にも音のしない本物の夏が、ただキラキラ輝いてた。トマトの濃厚な味を感じながら「ツトムって誰だろう」とオレは思った。「婆ちゃんの孫だろうか、それとも息子だろうか」。このトマトを食い終わるまでの間だけ、オレはツトムになった。
 今年もまた夏がやってくる。高知の西の川べりに、またあの婆ちゃんはスイカを売るのだろうか……。

今日のお話 −9月26日(月)−

   二宮尊徳の名言・格言

  貧となり富となる。
  偶然にあらず、
  富も因て来る処あり、
  貧も因て来る処あり。
  人皆貨財は富者の処に集まると思へども然らず。
  節約なる処と勉強する所に集まるなり。

ちょっといい話

   1人娘の結婚式

 1人娘の結婚式。
 俺が嫁と結婚したのと同じ歳。当時、俺25歳、嫁33歳、娘13歳。娘は嫁の連れ子だったんだけど、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。子どもはあえてつくらなかった。娘の気持ちを考えたら、「子どもは娘1人いればいい」って事になった。
 突然、嫁が交通事故で逝った。娘17の時。突然2人きりになり、2人とも呆然……。これからどうしようと思った。生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りはできた。何の問題もないはずだったけど、嫁側の親戚が騒ぎ立てた。血の繋がらない29の男と17の女。ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。でも、俺は「娘は、間違いなく俺の娘だ」と思ってた。何よりも、嫁のたった1人の忘れ形見だ。俺が育てていく以外の選択肢は全く頭になかった。娘も「今更こんな足の臭いオッサンと、どーにかなるか」と笑ってた。当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。それで2人で暮らしてきた。再婚なんか考えた事もなかった。それくらい娘に「穏やかな、幸せな時間」を与えてもらってた。
 娘に話があると言われた。「結婚したい人がいる」と……。娘は25になってた。次の日曜に相手の男に会った。娘を見る目が優しかった。こいつなら大丈夫だと思った。安心した。諦めもついた。披露宴では、「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。お父さんはまだ若かったから……。私がいたら絶対に足枷になると思ってた。だから、『これからも一緒に暮らすのが当たり前』みたいな態度でいてくれたのが、本当に本当に嬉しかった。私のお父さんは、お父さんだけです。今まで本当にありがとう。お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは、お父さんがお父さんだったからです」と娘が、しゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いて、涙がどっと溢れた。
 大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。嫁と結婚してよかった。娘の父親になってよかった。1人になって部屋は、何か広くなっちゃったけど……。微妙な抜け殻感は否めないけど。今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。

今日のお話 −9月22日(木)−

   二宮尊徳の名言・格言

  キュウリを植えれば

  キュウリと別のものが収穫できると思うな。

  人は自分の植えたものを収穫するのである。

体育大会の延期について

 本日の体育大会は延期とし、9月27日(火)に実施します。

 今日は、弁当持ちで火曜日の時間割で授業を行います。

ちょっといい話

   お母さん 

 ありがとう。産んでくれてありがとう。母が死んで、今日で1年とちょっと。
 高齢出産だったこともあって、俺の同年代の友達の親と比べると、明らかに年くってた。俺が「何でもっと若く生んでくれなかったの」と責めたこともあった。俺が思春期の頃、とにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて何も言えなかったから、何でもかんでも母に当たってた。たくさん文句言って、自分の部屋に入ったとき、母のすすり泣く声が聞こえたときは、自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。お母さんが死ぬ時って、いつか来るってわかってた。でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って、高齢出産だった母に孫の顔を見せたいなって思ってた。
 先月、彼女が病院行ったら子どもができてたよ。お母さん。無事に生まれてくれたらいいな。俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。でも孫の顔見せたかったな。抱かせてあげたかったな。でも、もうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし、給料安いけど、ついに家庭をもつよ。こんな幸せなことってなかなかないよね。俺の子どもには、お母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。休みの日は子どもといっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは、動けると思うよ。何たってまだ俺、若いからね。
 お母さんが、死ぬ前日に俺に言った言葉。「今日は、お風呂入ってもう寝なさい」。あの時、寝なきゃよかったな。今でも思うよ。一晩中話しとけばよかったよ。何で死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけばよかった。もっと一杯話したかった。旅行に連れてきたかった。美味しいもの、一杯食べさせたかった。次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。お母さん、天国から俺の事見える?俺の事もう心配しなくていいからね。子どもの名前何にしようかな。お母さんだったらどうする……。明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
 お母さん、生んでくれてありがとう。

今日のお話 −9月21日(水)−

   二宮尊徳の名言・格言

  道徳を忘れた経済は、罪悪である。

  経済を忘れた道徳は、寝言である。

ちょっといい話

   お母さんのお弁当

 私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとはいえないほど、質素で見映えの悪い物ばかりだった。友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
 ある朝、母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。すると、確かに海老が入っていたが、殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。 私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので「うるさいな、あんな汚い弁当捨てたよ。もう作らなくていいから」と、ついきつく言ってしまった。母は悲しそうに「気付かなくてごめんね……」と言い、それから弁当を作らなくなった。
 それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。中を見ると、弁当のことばかり書いていた。「手の震えが止まらず、上手く卵が焼けない」と……。
 日記はあの日で終わっていた。後悔で涙がこぼれた。

今日のお話 −9月20日(火)−

   二宮尊徳の名言・格言

  積小為大。

  大事を成さんと欲する者は、
  まず小事を務むべし。
  大事を成さんと欲して小事を怠り、
  その成り難きを憂いて、
  成り易きを務めざる者は、
  小人の常なり。
  それ小を積めば大となる。

□ プロフィール
 江戸後期の農政家。名は金次郎。相模国栢山村(現、小田原市)の農家に生まれた。家の没落に遭うが、20歳で一家を再興する。小田原藩家老・服部家の家政再建を任され、それを契機に藩主大久保忠真に見出され、分家宇津家の下野国桜町領の再建を成功させた。小田原藩領の農村救済に「報徳仕法」を実施し、実践的合理主義と精神主義を折衷する篤農哲学を披露し、老中水野忠邦に幕府役人に取り立てられると「日光領仕法雛形」を作成した。

給食の献立の変更について

 「令和4年 9月献立表」では、9月20日(火)・21日の献立は

○ 20日 「お彼岸の献立」
  白飯 牛乳 筑前煮 さつまいもの茶衣天ぷら 白あえ ミニおはぎ
○ 21日 「体育大会応援献立」
  白飯 牛乳 鶏のスタミナ揚げ 力(餅)を投入(豆乳)汁 
  ナカマ編 ココロヲヒトツ煮 バトンチーズ

を予定していました。
 20日の給食中止に伴い、20日の「お彼岸の献立」を21日の給食の献立とさせていただきます。
 また、21日に予定していました「体育大会応援献立」を中止とさせていただき、21日に予定していました「バトンチーズ」は26日に提供させていただきます。 

緊急 台風14号の接近に伴う9月20日(火)の給食・授業について

 台風14号が発生し、本州に近づいてきております。現在の情報では9月20日(火)以降は、風雨が強まって荒天となる恐れがあります。
 そこで、
 □ 9月20日(火)の給食は、行いません。弁当を持たせてください。

 なお、生徒の給食・登下校の対応については、以下の文書でご確認をお願いします。
 
 → https://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/23200...

 急な連絡になりましたが、ご理解とご協力をお願いします。
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