最新更新日:2024/06/10
本日:count up64
昨日:257
総数:1841912
ともに生きる

ちょっといい話

 かなしい かなしい かなしい

 母が死んだ。43歳だった。10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった。11日の朝、いつもみたいにご飯作って母さん起こして「ごはんできたぞ」と。でもいくら呼んでも返事がなかった。いつも文句言いながらも絶対に起きてくるのに……。おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた。
 俺がまだ2歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。よく口論もしたし引っ叩かれもした。ほんとよく喧嘩した。そして、金きついのに大学いかせてくれた。「金ないんだから働くよ」と言ったら、引っ叩いてまで俺を大学に行かせようとした母さん。今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに……。なのに母さんは急に死んでしまった。
 かなしい かなしい かなしい かなしい かなしい 
 どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない。今年の夏は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて、計画だってちゃんと立ってて、あとは7月待つだけだった。結局俺は何もしてあげられなかった。母さんの生命力、吸い取るだけ吸い取って。一人前に俺がなると、生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった
 やっと親戚も全員帰ってくれてこれでやっと一人で泣ける。何か泣くのガマンしすぎた。これ書きながら涙とまらない。母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。

今日のお話 −2月28日(月)−

   渋沢栄一の名言

 ただそれを知っただけでは上手くいかない。

 好きになればその道に向かって進む。

 もしそれを心から楽しむことができれ、

 いかなる困難にもくじけることなく進むことができるのだ。

ちょっといい話

   貴女のおかげです 

 今から2年前の3月、上司を事故で亡くした。親の病気で仕事を辞め、看病や家の中のことで疲れ切っていた俺に仕事を紹介してくれた友人がいた。その職場で知り合った人が彼女だった。当時20歳だった彼女を見ていて、自分が不甲斐なく思えた。腰掛け同然に仕事をしていた俺と、年1つしか違わない彼女を較べて……。
 そこそこに仕事をこなせるようになってから、本当にやりたい事の話もした。実際には医療関係の仕事に進むつもりだったし、学校に行くことも決めていた。その話の最中に彼女が「自分のやりたいことを優先して」と言ってくれたのを今でもよく覚えている。その1ヵ月後、彼女は他界した。自動車同士の衝突事故だった。後悔した。あの人のために働きたい、役に立ちたい、もっと話したい、そう思っていた矢先だった。
 1年前にその仕事は辞め、今は医療機関で研修中だが、後悔は一層強くなっている。あの時現場に居合わせていれば、彼女を助けられたかもしれないと……。彼女が戻ってくるわけではないけれど、少しでも多くの患者を救いたい。俺に道を示してくれた、彼女の言葉に報いる為に。俺が今ここにいられるのも、貴女のおかげです。ありがとう。ゆっくり休んでください。

今日のお話 −2月25日(金)−

   渋沢栄一の名言

 人生の行路は様々で、

 時に善人が悪人に敗けたごとく見えることもあるが、

 長い間の善悪の差別は確然とつくものである。

 悪いことの習慣を多くもつものは悪人となり、

 よいことの習慣を多くつけている人は善人となる。

調理員さんの駐車場について

保護者の皆様

日頃より本校の教育活動にご理解とご協力を賜り誠にありがとうございます。

さて、下図の場所は本校の調理員さんの駐車場となっています。お子様の送り迎え等でのご使用はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。

調理員さんの駐車場

ちょっといい話

   天国にいる継母に謝りたい 

 私の母は、私を産んですぐ死にました。なので、再婚した新しい母に育てられました。父は、再婚してから1年後、事故で死にました。
 私は一花という名前です。母は、「1本しか咲かない花が1番きれいなのよ」と言いました。でも、1本しか咲かない花なんてないし、自分の事がきれいとは到底思えません。この名前をつけたのはあなたじゃないのに……、そう思って母に怒りをぶつけていました。私が小学4年生の時、学校から帰ってくると、キッチンで母が血を吐いて倒れていました。私は隣の家の人に、救急車を呼んでもらいました。母が倒れた原因は「胃潰瘍」。ストレスなどにより胃に潰瘍ができ、出血するために起こる病気です。母はひどかったために、入院することになりました。再婚した母なので、血もつながっていないし、正直休みの日をけずってまでお見舞いに行く気にはなりませんでした。母が入院してから3週間後、初めてお見舞いに行きました。知らされていた部屋に入ると、母の姿はありませんでした。なんと、母はすでに死んでいました。親戚の家で暮らしていたため、家に電話が来ていたことも知りませんでした。私は泣きました。体中の水分がなくなるくらい泣きました。そして、後悔しました。母にストレスをかけていたことを……。
 天国にいるお母さんへ。あれから9年、私は医学の勉強をしています。母と同じ病気で亡くなる人が、悲しむ人が、1人でも減らせるよう日々勉強しています。お母さん、私のせいでストレスをかけてしまってごめんなさい。お母さん、育ててくれてありがとう。

今日のお話 −2月24日(木)−

   渋沢栄一の名言

 夢なき者は  理想なし
 理想なき者は 信念なし
 信念なき者は 計画なし
 計画なき者は 実行なし
 実行なき者は 成果なし
 成果なき者は 幸福なし
 ゆえに幸福を求むる者は 夢なかるべからず

ちょっといい話

   泣いていいのは、頑張った人間だけ

 泣いていいのは、頑張った人間だけ……
 そう言って寂しそうに笑う君を見て、胸が締め付けられた。君は泣いていいんだよ。君は頑張ってたよ。両親を救えなかったから、君は「頑張ってない」と言う。姉を失くしたから、君は「頑張ってない」と言う。僕達に子どもができなかったのは、君の努力が足りないからじゃない。最期、「君は頑張った」と言うと、君はボロボロ泣いたね。「ありがとう、ずっと誰かに認めてもらいたかったの」なんて……。
 僕はそんなに無理させてたんだね。気付けなくてごめんね。僕はこの12年間の謎がやっと解けた気がしたよ。君の事がやっとわかった気がしたよ。君の肩の荷が降りたことを願います。最後に。僕は君と過ごした12年間、めちゃくちゃ幸せでした。君はどうだった?僕は、何度も言うけど、「涙が出るくらい幸せだった」よ。また次の人生でも、僕は、君と出会って、恋に落ち、君と共に四季を巡り、君と共に歩んで行きたい。不甲斐ない僕を支えてくれてありがとうございました。天国で待ってて。

今日のお話 −2月15日(火)−

   渋沢栄一の名言

 信用はそれが大きければ大きいほど、
 大いなる資本を活用することができる。
 世に立ち、大いに活動せんとする人は、
 資本を造るよりも、
 まず信用の厚い人たるべく心掛けなくてはならない。


□ プロフィール
 1840年3月16日から1931年11月11日。日本の明治・大正期の実業家、財界の指導者。江戸時代末期に農民から武士に取り立てられ幕臣となり、明治政府では官僚も務めた。退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営に関わった。そのうち企業は約500社にもおよび、「日本資本主義の父」と称される。同時に福祉事業、医療事業、実業教育、女子教育、私学教育支援、研究事業支援、国際交流、民間外交の実践等にも尽力した。また『論語と算盤』の言葉に代表されるその道徳経済合一の思想でも広く知られている。

生徒総会を行いました

画像1 画像1
6時間目に各学級で生徒総会を行いました。各委員会の取り組みや振り返りをもとに、来年度の城東中学校をよくするにはどうしたらいいかを話し合いました。また、前回に引き続き、紙での要項は印刷せず、google classroomから電子データでタブレット端末に要項を配布しました。

ちょっといい話

   戻ってこいよ、お願いだから 

 俺がわがまま言って週3くらいしか働かせなかったのに、何で「生活費が欲しい」って1度も言わなかったんだよ。たまに金渡しても、俺の好きなモンブランが、何で冷蔵庫に入ってんだよ。すげえ美人なのに、何で俺の晩飯作って待ってんだよ。何で癌になったこと、俺に隠してたんだよ。なに50枚の手紙、書いてんだよ。「毎年1枚ずつ読んで」って何だよ。何でそんなに俺がいいんだよ。
 おまえは強くて美人で、俺にはもったいねえよ。戻ってこいよ、お願いだから……。

今日のお話 −2月10日(木)−

   日野原重明の名言(2編)

□ 人間とはそもそも「病む」生き物であり、
  必ず欠陥を抱えて生きています。
  そのことを踏まえたうえで、
  今日という日を健やかに生きればいいのです

□ 地位や名誉は死ねばなくなる。
  財産も残したところで
  争いの種をまくだけですが、
  『ありがとう』のひと言は、
  残される者の心をも救う、何よりの遺産です

ちょっといい話

   お母さんはこれで十分

 子どもの時はお母さんをただのケチだと思ってた。高校生になった私は、ウザいとしか思わなかった。一人暮らしを始めて、3度の食事や掃除に洗濯、どれだけ恵まれていたかわかった。
 私が挑戦した事は、とてもお金が掛かる事だった。お母さんは少しだけ悩んで、すぐに私を応援してくれた。お母さんは、成人した私と姉のおさがりを「お母さんはこれで十分」と言って着ていた。化粧品も親戚からもらう試供品がほとんど……。でも、いつも私を助けてくれるお母さん。お母さんは自分のものは買わないで、バカな私を助けてばかり。お母さん、お母さん、お母さん、どうして私をそこまで信じてくれるんですか。私は、もう24才なのにあなたにまだ甘えたいです。
 お母さん、お母さん、本当にいつもありがとう。私が強気なのは、あなたがいてくれるからです。どうか神様、私のお母さんをまだまだ元気に生かして下さい。どうか私に時間を下さい。大好きなお母さん、お願いだからもう少し待ってて下さい。

今日のお話 −2月9日(水)−

   日野原重明の名言

 かつて自分ができなかったこと、

 やり残したことを、

 思い切ってやることが、

 「夢を叶える」ということなのです。

ちょっといい話

   まだ泣かせてね

 母さん、母さんが亡くなってから6年経つのにまだまだ寂しがりやの私です。
 昔の携帯見つけたの。受信箱に母さんからのメール。「まだ帰れない?」「鍵忘れてるよ!」「迎えに来て」何気ない日常のメール。でも今の私には切なくてたまらない。最後のメールは亡くなる2日前。「もう直ぐ?」病院に入院してる母さんが、お見舞いにくる私のこと待ってた。抗癌剤でしんどかったね。お医者さんから危ないって聞いて、たまらず泣いてしまった私を逆に励ましてくれた母さん。朦朧としたとき、初めて痛いって言ってたね。ずっと我慢してたんだね。ごめんね、強い母さんで最後までいさせてしまって……。
 会いたいな、たまらなく切なくて寂しい。名前呼んでほしい、心配してほしい。不登校になって立ちすくんでる私を、抱きしめてくれたあのときに戻れたらいいのに……。
 会いたいなぁ、母さん。さみしいよ、ごめんね。まだ泣かせてね。

今日のお話 −2月8日(火)−

   日野原重明の名言

 命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。
 どうか一度しかない自分の時間、
 命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。
 さらに言えば、
 その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい。

ちょっといい話

   気づいてあげられなくてごめんね 

 私の母はとても厳しい。身の回りの事は全て自分でやらされていた。勉強も部活も1番じゃないと気が済まない。定期テストで2番をとると「2番は敗者の1番だ」とすごく怒られた。どれだけいい点数をとっても、いい結果を残しても母は笑顔を見せてはくれなかった。1番、1番……、プレッシャーで円形脱毛症になり声も出なくなりかけた。
 しかし、私にはその他にも大きな問題を抱えていた。 いじめ。学級委員などに選ばれていた私は、クラスで話すことが多かった。多感な時期の中学生は、「出る杭は打たれる」もの。そんなある日、帰ろうとすると机の中に教科書が1冊もなかった。血の気が引いた。探し回ると、洗面所の蛇口から水が勢いよく出ていて、その下に私の教科書があった。お母さんに怒られる、それしか思わなかった。それでも帰るしかなかった。家に着いて欲しくない、本気でそう思った。しかし、家に着いてしまった。案の定、母の車は家にあった。水に濡れてところどころ破けている教科書を母の前に出し、私は土下座した。「ごめんなさい、ごめんなさい」と母に謝った。母が、私の前に座った気配がした。殴られる、そう思った瞬間、母が私を抱きしめた。ぐっぐっと……、母の嗚咽が聞こえた。「ごめんね、ごめんね、気づいてあげられなくてごめんね」と、母が泣きながら私に謝ってきた。毎日死にたい、と思ってた。生きる意味が分からなかった。何で頑張ってるのかも分からなかった。母の涙を見て、私も涙が止まらなくなった。久しぶりに母の腕で泣いた。
 それから、私は学校に行かなくなった。世間体ばかり気にする母が、仕事を休職してまで私と居てくれた。今、私は県内で1番の進学校にいる。恩返しをしたい。いい会社に入って、母を楽にしてあげたい。目標がある勉強はとても楽しい。あの時、抱きしめてくれた母の匂い、力強さ、私は一生忘れない。

今日のお話 −2月7日(月)−

   日野原重明の名言

 人間は生き方を変えることができる。
 繰り返す毎日の行動を変えることにより、
 新しい習慣形成により、
 新しい習慣の選択を人間は決意できる。
 人間には選択の自由がある。
 そして、意志と努力により、
 新しい自己を形成することができる。

ちょっといい話

   幽霊でも、何でもいいから会いたい 

 いつも通り、朝がきて、夜がくる。楽しいことも辛い事も、あってもなくても朝がきて、夜がくる。何気ない日常の始まりと終わり。あの時も同じだった。会社で仕事をしていた時、携帯電話が鳴った。父からである。「お母さんの心臓の鼓動がおかしい」、「看護士さんもかなり厳しい状態と言われた」と……。父の連絡を受けて、入院している母の元へ駆けつけた。母の心臓、息つかいは、正常ではなかった。時間は刻一刻と迫ってきている。父は、しっかりと強く母の手を握りしめていた。すると、母は、大きく息をした。止まった。最期の灯火。
 母は、2週間程前から、この病院へ入院している。その前は、自宅で父と2人で介護していた。母の病は、脳腫瘍と呼ばれる癌である。癌の治療は日々進化しているが、脳腫瘍は違う。症状が現れた時は、既に末期状態という癌。現在の医学では、根治は無理な病気である。この様な状態で約2年間、闘病してきたが、終焉を迎えようとしている。母は、闘った、頑張った。自宅では、失禁などなかった。この病院の看護士さんから「この状態で、よく自宅で介護されましたね」と言われるほど状態は悪かった。いろいろな事を思いだすが、闘病の時に母へひどいことを言ったことなど、悪い思い出しか浮ばない。母は、本当に優しく穏かで、父、弟、自分を支えてきた。母は、入院する直前から言葉が話せなくなったが、最後に「あんたが、そばにおってよかった」、「もう、あんたに何もする事ができん」と言った……。
 もうすぐ、母がいなくなって1ケ月近くたつ。自分は、いい歳だが、「母が恋しい、母に会いたい、幽霊でも何でもいいから会いたい」。街を歩くと、父、母と行った場所へ行ってしまう。

今日のお話 −2月4日(金)−

   日野原重明の名言

 自分の命がなくなるということは、
 自分の命を他の人の命の中に残していくことである。
 自分に与えられた命を、
 より大きな命の中に
 溶け込ませるために生きていくことこそ
 私たちが生きる究極の目的であり、
 永遠の命につながることだと思う。
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
学校行事
4/5 入学式準備(在校生登校)

お知らせ

PTA

いじめ防止基本方針

学びの学校づくり

保健だより

食育だより

1年生学年通信

2年生学年通信

3年生学年通信

現職教育デザイン

GIGAスクール

犬山市立城東中学校
〒484-0094
住所:愛知県犬山市大字塔野地字田口洞39番地の101
TEL:0568-61-0501
FAX:0568-63-0270