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【城東中学校】2021年度「授業参観・PTA総会・学年懇談会」について
城東中学校保護者の皆様
日頃より本校の教育活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。さて、4月22日(木)に授業参観・PTA総会・学年懇談会の開催を予定しておりましたが、新型コロナウイルスの感染拡大予防に伴い、次の通り対応させていただきます。ご理解とご協力をお願い申し上げます。 ・授業参観・・・中止とします。生徒は午前4時間授業(45分授業)を行い、給食後下校します。 ・PTA総会・・・4月13日(火)のPTA役員会・委員会後に臨時総会を行います。参加者は新旧PTA役員、新PTA委員です。 ・学年懇談会・・・4月22日(木)に学年ごとに時間差をつけて、体育館で行います。 2年生:13:10〜13:50 1年生:14:20〜15:00 3年生:15:30〜16:10 なお、PTA会員の皆様は4月7日(水)、ホームページに掲載しますPTA総会要項、またお子様を通じてお配りしますPTA会計報告をご覧いただき、同日配付の委任状を4月12日(月)までに担任にご提出ください。ご質問やご意見等ございましたら、委任状にお書きください。 ちょっといい話
子どもがかわいくて仕方ない
今日、1週間の入院から帰宅。3歳の息子は、初めてママと離れてパパとの生活。急に倒れた私だったので、気持ちの整理も何もできずに離れた。でも息子は、毎日ママがいなくても元気に幼稚園に通ってた様子。ただ、パパの手料理は全く食べなかったらしいが、「僕はママがいなくても平気」とか言ってたらしい。それを聞いて私は大変寂しい思いだった。 今日退院して帰宅し、息子に「偉かったね。寂しくなかった?」と聞いたら、我慢してたものがこみあげちゃったのか、急に泣きだしちゃって「ママがいなくて寂しかった、そばにいなきゃいやだ」と。 そんな息子がいとおしくて、思いっきり抱きしめて「もうママは病気しないよ、ちゃんとそばにいるからね」と心に誓ったのでした。 今日のお話 −3月24日(水)−
竹村 健一の名言
優れた人、成功した人のひとつの特徴は、 つまらないものからでも、 必ず教訓を導き出しているということ。 一方、成功できないでいる人を見ていると、 いろいろなチャンスがあっても 見逃してしまって、 何もつかめないでいる。 ちょっといい話
待っとけババア
なぁなぁおかんよ、中学の時に不登校になり、夜間高校に入り、家に帰ってこず、毎日心配させてごめんよ。親父と離婚してから養育費ももらわず、1人で頑張って育ててくれてありがとう。あたしは口も悪いし、何かあれば「死ねババア」しか言わん、こっぱずかしいからありがとうも言えてない。けどな最近思うねん。おかんが、もっと若いときにあたしを産んでくれたらよかったのにって。それなら、もっと長いこと一緒におれたのにって。おかんが、病気になって長くないって知ってから後悔する毎日です。ほんまはな、大好きなんよ。おかんみたいに強い女になりたいんよ。でもな口からでるのは、暴言ばっかりでごめんな。 これからは、あたしがあんたを支えるから、一緒に旅行も連れてく、飯も連れてく、やから長生きしてや。夜になると、最近こんなことばっか考えてるわ。還暦の誕生日迎えたら、ビックリするサプライズしたるから、「待っとけババア!」 喧嘩しても、親不孝なことしても、見捨てずに育ててくれてありがとう。なんやかんやお互い「嫌いじゃ!」とか言いながらも、久しぶりに家に帰ると、あたしの好きなご飯作って置いててくれるおかんが大好きや。 いつもありがとうなおかん 今日のお話−3月23日(火)−
竹村 健一の名言
いまは吹雪なのだ。 じっと耐えてみる。 かならず吹雪のやむときはある。 やまねばやまぬでいい。 しっかりと歩を踏み出す。 逆境こそ、 自分をより高いところへ導いてくれるものだ。 「他人の頭」を、 大いに活用しよう。 ちょっといい話
女手ひとつで俺を育ててくれた母……
母が死んだ。43歳だった。10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった。11日の朝、いつもみたいにご飯作って母さん起こして「ごはんできたぞ」と。でもいくら呼んでも返事がなかった。いつも文句言いながらも絶対に起きてくるのに……。おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた。 俺がまだ2歳のときに父親が死んで、女手一つで俺を育ててくれた母さん。よく口論もしたし、引っ叩かれもした。ほんとよく喧嘩した。会社の帰りに飲みに行って、終電なくなると、毎回俺が呼び出された。あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。アホかと。そして、金きついのに大学いかせてくれた。「金ないんだから働くよ」と言ったら、引っ叩いてまで俺を大学に行かせようとした母さん。今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに……。 なのに母さんは急に死んでしまった。友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ。「哀しい、哀しい、哀しい、哀しい、哀しい、哀しい」どうしよう。何か、もう何していいのかわからない。今年の夏は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて、もう計画だってちゃんと立ってて、後は7月をまつだけだった。結局、俺は何もしてあげられなかった。母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。1人前に俺がなると、生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった。 やっと親戚も全員帰ってくれて、これでやっと1人で泣ける。何か泣くのガマンしすぎた。これ書きながら涙止まらない。母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。 令和3年度年間行事予定表について
令和3年度の行事予定表をホームページに掲載しました。
画面右側の「お知らせ」欄にありますので ご確認ください。 今日のお話 −3月22日(月)−
竹村 健一の名言
交る人えらぶべし。 古き諺に、 朱に交れば赤し。 黒に近づけば黒しといへるが如く。 正直なる人に交われば、 我が心につつしみ出来、 わがあやまりと聞きて益あり。 われにへつらふ人に交われば、 諌めを聞かず、 我が心に従ひ誉むる故、 わが心おこたりて損あり。 ちょっといい話
花のようになりたい
「花のようになりたい」と私の友人が言い出したので、「なぜ」と深く突っ込んでみた。でも、「たしかに」と納得する話だなと。 「なぜ、花のようになりたい」と尋ねたら、「誰のことを思うわけでもなく、誰の思いを受け取るわけでもなく、ただ幸せそうにしているだけで、誰かに幸せを与えている」と答えられて、「えっ、めちゃいいこと言うな、こいつ。なにそれ、そうじゃん、めちゃそうじゃん、同感じゃん」と素直に感じてしまった俺がいる。 花のようになれれば素敵だよな。 今日のお話4
竹村 健一の名言
人生、守りに回るよりも 攻めた方がいい。 守ろうとすると 人間小さくなるばかりで、 発展性がないし、 勢いというものがなくなってくる。 やりたいと思うことに 一直線に突き進むという積極的な姿勢が、 凄まじいエネルギーとなって周囲を圧倒し、 結局は何事もうまく運ぶことになるのだ。 ちょっといい話
酒の飲めない父
実家の両親に彼が私との結婚を申し込みをしに挨拶をしに来た。会話は和やかで結婚の話にも触れていたし、両親も私と彼の結婚を祝福してくれていたが、彼は、「お嬢さんと結婚させてください!」のようなセリフを言えないでいた。彼は話を切り出すタイミングを失っている様子だった。結局、彼は確信の言葉を口にせぬまま宴は終了した。私は彼を送るために玄関に先に出た。しばらくして、彼も玄関の方にやってきた。彼は両親にペコリと頭を下げて私の実家を後にした。私は彼を近くまで送っていった。すると、彼がポツリと言った。「お父さん、泣いていたよ……。」私はどうして父が泣いていたのか彼に尋ねた。「○○ちゃん(私)が、先に玄関に行ったでしょ。その時、俺、お父さんに『○○ちゃんを幸せにしますから』って言ったんだ。そうしたら、お父さんは俺の手を握って、薄っすら涙を浮べながら、『娘を宜しくお願いします』って言ってくれた。」私はその話を聞いて、目頭が熱くなった。 その後、しばらくして私は彼と結婚した。たまに実家に帰ると、父は殆どお酒が飲めないのに、夫と酒を飲みたがった。後で聞いた話だが、父は親類に以前、「○○は嫁には出さん!」と語っていたらしい。しかし、父は夫を本当の息子のようにとても可愛がってくれ、夫をいつも誉めてくれた。 結婚3年目の今年、父が他界した。夫は「お父さんにロクに親孝行をしてあげれなかったな……」と言った。私も、父に親孝行らしい事を殆どしてあげれなかった。でも父は、息子と一緒に酒を飲めることが出来て、もしかしたら幸せだったのかな……と思うことが、慰めになっている。 今日のお話 −3月18日(木)−
竹村 健一の名言
慣れたところで、 ある程度身についたことだけ やっていた方がラク。 そういう惰性的な日々を送っていると かならずダレてくる。 それより落ちることは ないかもしれないが、 決して上昇していくこともない。 「井の中の蛙」で 終わってしまう。 ちょっといい話
メロンパン
ふと気がつけば、もう随分と昔の話。 学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の2つを買った。甘いものが好きで、子ども舌なオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。当時オヤジはガンの手術を受けた直後。家のベッドで療養してた。衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンを千切って食べさせた。「うん、美味いな」「だろ?だから思わず買ってきたんだって。もっと喰う」「いや、いい」オヤジはメロンパンを2欠片しか喰ってくれなかった。ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ2個のメロンパンを平らげた。 それから数ヶ月。転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっと一段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。そこで初めて知った事が2つ。オヤジはそんなにメロンパンが好きではなかった事。あの時、既にオヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなく、たった1片のメロンパンでさえ食べるのが苦しかったはずという事。オヤジは無理してメロンパンを食ってくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように。メロンパンを見せた時の「おぉ!」という声と笑顔。「喰う?」と聞いた時にも躊躇い無く「喰う」と答えてくれた。思い出して、涙が止まらなかった。 1昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。 今日のお話 −3月17日(水)−
竹村 健一の名言
あり余る時間の中で 何かをやったところで、 それは暇潰しにしかならないだろう。 忙しい時間をやりくりして、 本当にしたいことをやるからこそ、 そのひとときを 心から楽しむことができる。 それが、本当の 「ゆとりある人生」 ではないだろうか。 ちょっといい話
負けんなよ
僕は小さい頃に両親に捨てられて、いろいろな所を転々として生きてきた。小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」とかいろんな事言われた。たまに同級生の子と遊んでいて「○○君の家に行こう。」となっても、僕が遊びに行くとそこの家のお母さんが「○○君と遊んではいけないって言ったでしょ。」と子どもを叱ってる声が聞こえ、僕を汚い物を見るような目で「○○は今日遊べないの。」というようなことが日常茶飯時でした。僕は弱い人間なので、そんな事が重なるうちに独りでいる事が1番傷つかず、1番楽なのだと思いました。けど、僕にも言いたい事は一杯あった。汚い服、同じ服着ていても僕は、人の物を盗ったり、傷つけたりはしてない。両親はいないけど、僕にはどうする事もできないんだよ。僕だっておとうさん、おかあさんが欲しいんだよ。僕はなるべく人と接しないように生きてきた。自分の心を守る為にそうせざるを得なかった。独りで生きていく、誰にも迷惑をかけずに……。高校に進学した時だった。朝学校につくと僕の机に「死ね」、「乞食」、「貧乏神」、「親無し」等あらゆる悪口が書かれていた。僕は目の前が暗くなった。僕が何かしたのか、僕が何か……。ただ立ち尽くすのみだった。その時僕の目の前から机が無くなった。クラスでも人気者のYが僕の机を抱え上げていた。僕は机で殴られるのかと思い、目を閉じた。「行くぞ!」とYがぶっきらぼうに言い、廊下に出て行く。僕は後に従った。Yは技術室に行き、紙やすりで僕の机の落書きを消し始めた。Yはただ一言だけ「つまんない事に負けんなよ。」と言い、黙々と紙やすりで落書きを消している。「放課後もう1回ここでニス塗ろうぜ。そしたら元通りだ。」と言ってにっこり笑ったYを見て僕は泣いた。Yは照れ笑いをしていた。 Yは6月に結婚する。おめでとう。君がいなかったら今の僕はいない。恥ずかしくて面と向かっては言えないけど、幸せになって欲しい。そしてこれからも親友でいて欲しい。今まで本当にありがとう。 今日のお話 −3月16日(火)−
竹村 健一の名言
人間の大きさは プライドに比例すると思う。 小さなことを気にしたり、 小さなことで傷ついたりするのは、 プライドが低い証拠だ。 プライドが低ければ低いほど、 世にプライドを傷つける種も 多いことになる。 たとえば 「自分はいかなる場合でも、 決して人にバカにされたくない」 と考えていたとしても、 世にあるかぎり、 それは不可能に近い。 道を歩いていて、 つまづいて転んでも、 笑う人は笑うのだ。 「そんな連中に笑われたっていい。 たかがつまずいただけではないか。」 そう思ったとき、 プライドは ぐんと高くなったことになる。 今度他人がつまずくのを見たら、 「大丈夫ですか?」と 声をかけたい心境にもなろう。 令和2年度後期学校評価アンケート結果
城東中学校保護者の皆様
日頃より本校の教育活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。 さて、後期学校評価アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。アンケートの結果を下記の通りお知らせいたします。アンケートの結果を踏まえ、今後の教育活動に生かしていまいります。 令和2年度後期学校評価アンケート結果 ちょっといい話
最高の幼馴染
少し前の話になります。母が14年間の闘病生活の末、亡くなった。その母の闘病生活を「家族の様に支えてくれた幼馴染」が2人、僕にはいる。 中学生の頃に病に倒れた母は、入退院を繰り返す日々が続いていた。私は、食事や洗濯物を主婦同然に行っていたが、ある日家のベルがなって玄関の扉を開けてみると、たくさんの食材を持った幼馴染の姿があった。「俺たちの得意料理を作ろうぜ」と言い、キッチンの中へとあがりこむ。「お前は米を炊いてくれ」と、言われるがままに米をとにかく炊けるだけ炊いた。2人は慣れないながらにも包丁を一生懸命に使い野菜を切った。メニューは、学校のキャンプで作ったばっかりのカレーだ。そこに、色々な本やテレビで調べた調味料を加えていく2人。ソースにチョコレートにヨーグルト、そんな物を入れて本当に美味しく出来るのか不安になったが、僕らはとにかく料理を楽しんだ。3人で料理を作るなんて初めてだった。3人で作ったカレーの味は一生忘れることの出来ない最高の味になった。カレーを食べている途中で親父が帰って来て、「父さんにもくれ」と言ったので、すぐに用意をすると「こんなに美味しいカレーは食べたことがないな」そう言って、2人に「ありがとう」と伝えてお小遣いを渡そうとしたが、2人は「カレーのおかわりをしてくれればそれでいい」と笑顔で返した。 そんな2人が、母が亡くなった日に本当に家族の様にいつまでも泣きじゃくってくれた。火葬の日に母と俺たち家族の乗った車を、いつまでも涙を浮かべて頭を下げながら見送ってくれた姿を僕は一生忘れる事はないだろう。乳母車で3人並んで写っている頃からの最高の親友だ。ありがとう。 今日のお話 −3月15日(月)−
竹村 健一の名言
人生の目指す頂上は 人それぞれ。 そして、その頂上へ登るルートも 決して一つではない。 右から登っても、 左から登っても、 回り道をしても、 最終的に 頂上にたどり着きさえすれば いいわけだ。 □ プロフィール 大阪府出身のジャーナリスト、評論家、著述家。毎日新聞社の英語新聞の記者を経て、山陽特殊鋼へ入社。その後「追手門学院大学英文科」の助教授、「拓殖大学」客員教授などを務める。その後、マーシャル・マクルーハンのメディア論の紹介で注目され、文筆活動を開始。テレビやラジオなどのメディアに多数出演し、保守的な論調で知られている人物。また、パイプを銜えた独特な風貌や独特の口調でも有名であり、多くの芸人が物真似芸を披露している。 ちょっといい話
乳がんの恐ろしさ
親友のMとは幼稚園からの長い付き合いです。何か悩んでいる時、いつでも私が最初に相談するのはMでした。Mの1番の相談相手も私だったと思います。私が相談した時、いつでもMは「大丈夫だよ」と言ってくれました。Mのその言葉でいつも私は安心出来ました。 Mと部屋で話をしていた時でした。Mは「実は来月入院することになったの」と言い出しました。驚く私にまるで他人事みたいに「乳ガンになっちゃった」と続けました。「初期だから全然大丈夫だよ」と笑って言うMの言葉を信じるしかありませんでした。Mは入院して手術を受けました。私はMの負担にならないように、できるだけお見舞いに行きました。病室での彼女はそれまでと変わらない笑顔でした。しかし病魔は、Mの体を蝕んでいたのです。手術が終わって退院予定日になってもMは退院出来ませんでした。「ちょっと延びただけだから大丈夫」とMは、笑っていたけれど衰弱しているのは明らかでした。 Mはそのまま退院することなく天国へ旅立ってしまいました。最後に会った日、弱弱しく私の手を握りながら「大丈夫」とMは言いました。でも、その目には涙が光っていました。私が初めてみたMの涙でした。 Mがいなくなってしまった今、何か悩んだ時は空を見上げるようになりました。「大丈夫」と言うとMの笑顔が浮かんで頑張れる気がするから……。 |
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