最新更新日:2024/05/31
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ともに生きる

ちょっといい話

   最高の幼馴染 

 少し前の話になります。母が14年間の闘病生活の末、亡くなった。その母の闘病生活を「家族の様に支えてくれた幼馴染」が2人、僕にはいる。
 中学生の頃に病に倒れた母は、入退院を繰り返す日々が続いていた。私は、食事や洗濯物を主婦同然に行っていたが、ある日家のベルがなって玄関の扉を開けてみると、たくさんの食材を持った幼馴染の姿があった。「俺たちの得意料理を作ろうぜ」と言い、キッチンの中へとあがりこむ。「お前は米を炊いてくれ」と、言われるがままに米をとにかく炊けるだけ炊いた。2人は慣れないながらにも包丁を一生懸命に使い野菜を切った。メニューは、学校のキャンプで作ったばっかりのカレーだ。そこに、色々な本やテレビで調べた調味料を加えていく2人。ソースにチョコレートにヨーグルト、そんな物を入れて本当に美味しく出来るのか不安になったが、僕らはとにかく料理を楽しんだ。3人で料理を作るなんて初めてだった。3人で作ったカレーの味は一生忘れることの出来ない最高の味になった。カレーを食べている途中で親父が帰って来て、「父さんにもくれ」と言ったので、すぐに用意をすると「こんなに美味しいカレーは食べたことがないな」そう言って、2人に「ありがとう」と伝えてお小遣いを渡そうとしたが、2人は「カレーのおかわりをしてくれればそれでいい」と笑顔で返した。
 そんな2人が、母が亡くなった日に本当に家族の様にいつまでも泣きじゃくってくれた。火葬の日に母と俺たち家族の乗った車を、いつまでも涙を浮かべて頭を下げながら見送ってくれた姿を僕は一生忘れる事はないだろう。乳母車で3人並んで写っている頃からの最高の親友だ。ありがとう。

今日のお話 −3月15日(月)−

   竹村 健一の名言

  人生の目指す頂上は
  人それぞれ。
  そして、その頂上へ登るルートも
  決して一つではない。
  右から登っても、
  左から登っても、
  回り道をしても、
  最終的に
  頂上にたどり着きさえすれば
  いいわけだ。

□ プロフィール
大阪府出身のジャーナリスト、評論家、著述家。毎日新聞社の英語新聞の記者を経て、山陽特殊鋼へ入社。その後「追手門学院大学英文科」の助教授、「拓殖大学」客員教授などを務める。その後、マーシャル・マクルーハンのメディア論の紹介で注目され、文筆活動を開始。テレビやラジオなどのメディアに多数出演し、保守的な論調で知られている人物。また、パイプを銜えた独特な風貌や独特の口調でも有名であり、多くの芸人が物真似芸を披露している。

ちょっといい話

 乳がんの恐ろしさ

 親友のMとは幼稚園からの長い付き合いです。何か悩んでいる時、いつでも私が最初に相談するのはMでした。Mの1番の相談相手も私だったと思います。私が相談した時、いつでもMは「大丈夫だよ」と言ってくれました。Mのその言葉でいつも私は安心出来ました。
 Mと部屋で話をしていた時でした。Mは「実は来月入院することになったの」と言い出しました。驚く私にまるで他人事みたいに「乳ガンになっちゃった」と続けました。「初期だから全然大丈夫だよ」と笑って言うMの言葉を信じるしかありませんでした。Mは入院して手術を受けました。私はMの負担にならないように、できるだけお見舞いに行きました。病室での彼女はそれまでと変わらない笑顔でした。しかし病魔は、Mの体を蝕んでいたのです。手術が終わって退院予定日になってもMは退院出来ませんでした。「ちょっと延びただけだから大丈夫」とMは、笑っていたけれど衰弱しているのは明らかでした。
 Mはそのまま退院することなく天国へ旅立ってしまいました。最後に会った日、弱弱しく私の手を握りながら「大丈夫」とMは言いました。でも、その目には涙が光っていました。私が初めてみたMの涙でした。
 Mがいなくなってしまった今、何か悩んだ時は空を見上げるようになりました。「大丈夫」と言うとMの笑顔が浮かんで頑張れる気がするから……。

今日のお話 −3月12日(金)−

   曽野 綾子の名言

  人生において
  何が正しいかなんて
  誰にもわからないのだから
  自分の思うとおりに進んで
  その結果を
  他人の責任にしないことが
  大切ではないかと思う。

ちょっといい話

   14年前

 もう14年も昔の話なので、今は普通に暮しているけど、母が癌で死んだ。しかも子どもだった私達姉妹は、最後まで癌だった事は知らされずに死んだ。本当に素晴らしい人だった。たぶん一生私の中で尊敬する人だし、目指すべき人でもある。抗がん剤を投与して髪が無くなり、レースのヘアーキャップをかぶって病室で笑ってる母を今でも思い出す。私の中学の入学式の日に、無理やり病室から出てきてかつらで入学式に出てくれた母。制服姿の私を見て涙する母に、「大げさだなー」と笑っていた私。後から聞けば、母は、前日に父から癌を告知されたらしい……。
 東京の病院に移り、北海道の私達の家に無言で帰宅した母に驚きでしばらく涙も出なかった。その後、癌だという事を教えてくれなかった父に激しく怒りをぶつけ、口も聞かなかった。でも、父は父で1人で辛い思いをしてきた事に気づいたのは、母が父に宛てた手紙を見つけた時だった。その手紙の日付の夜、父は真夜中まで帰って来ず、目を真っ赤にして次の日の朝笑っていた事を思い出した。この前飛行機に乗って、前列の方に遺体があるのに気づき、その後ろで黙って座っている男性を見たとき、父も同じように帰ってきたんだなと思い涙が出た。
 昨日から色々自分の事で悩んでいて、死んでしまいたいと思っていました。でも、このスレッドを見て死んだ母の事を思い出し、また、色々な方々の体験を読ませて貰って自分の愚かさに気づきました。

今日のお話 −3月11日(木)−

   曽野 綾子の名言

  社会が自分を裏切ったから
  自分はだめになったなどと
  言うのは口実に過ぎない。
  自分の教育に責任があるのは
  まず自分であり
  最終的に自分である。

ちょっといい話

   じいちゃんまたね

 じいちゃんがいなくなって2年がたつ。じいちゃんが亡くなる日の朝、起こされ急いで病院に向かった。明らかに親の様子がおかしい。嫌なことを想像してしまった。「そんなことは絶対に無い!」と自分に言い聞かせるのが精一杯だった。しかし、病院に着いたが間に合わなかった。「じいちゃん!」って何度呼んでも反応してくれない。悔しかった。寂しかった。涙が止まらなかった。
 じいちゃんと共にじいちゃんの家に帰った。じいちゃんは布団の上で気持ちよさそうに寝ていた。呼んだら起きそうだったがなかなか反応してくれない。ばあちゃんは、眠っているじいちゃんの横でずっと話しかけていた。それでもじいちゃんは反応してくれない。その光景を見るのが辛くて、護岸に逃げた。護岸でじいちゃんと釣りをしたのを思い出してしまい、また泣いてしまった。現実をどうしても受け入れることが出来なかった。
 俺はじいちゃんが亡くなる3日前、家に会いに行ったんだよ?じいちゃんに「次は泊まりに来るから」って言ったら、「待ってるから早く来いよ!」って笑顔で見送りしてくれたんだよ?全てが夢であって欲しかった。でも、姿が変わったじいちゃんを見て夢じゃないと思った。
 逃げちゃダメだよね。辛いことがあってもしっかりと向き合って頑張って前に進まないといけないんだよね。人の命はいつ終わりがくるかわかんないね。皆でばあちゃんを守るから安心してください。上から皆を見守っててね。じいちゃんまたね。

今日のお話 −3月10日(水)−

   曽野 綾子の名言

  自分らしくいる。
  自分でいる。
  自分を静かに保つ。
  自分を隠さない。
  自分でいることに力まない。
  自分をやたらに誇りもしない。

  同時に自分だけが被害者のように
  憐れみも貶めもしない。
  自分だけが大事と思わない癖をつける。
  自分を人と比べない。

  これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴。

ちょっといい話

   カッコいいおじいちゃん

 電車で帰省していた時のこと。私は優先席付近に立っていたのだが、貧血を起こしてしまい床にしゃがみこんだ。すると優先席に座っていたおじいさんが、席を譲ってくれた。私も最初は遠慮したが、「わしは健康だけどアンタ具合悪そうだし、優先席はジジババの為だけのもんじゃないよ」と言ってくださったし、おばあさんも勧めてくださったので座らせてもらった。貧血が回復したら立つか移動しようと思いながら……。
 しばらく座っていたら、とある停車駅でオバちゃん2人が乗ってきた。そのオバちゃん、席を探して車内をうろついていたが、生憎満席だったらしくドアの方に戻ってきた。そして、ドア付近に立ったまま喋り出したのだが、その内容が丸聞こえ。「あの子老人立たせて座ってるわよ」、「私たちだって立ってるのにねぇ」、「これだから最近の若い子は……」と完全に私に文句を言っている。何かいたたまれなくなって立とうとするも、まだ具合が悪くて立てそうにない。
 私の様子に気付いたおばあさんが、「いいのよ気にしないで」と言ってくださるものの、肩身の狭い思いをしてたら、まだぶつぶつ言っているオバちゃん達におじいさんがキレた。おじいさんは、そのオバちゃん2人に歩み寄って行って「確かにあの子は若いが、具合が悪いからわしが席を譲ったんだ。あんたら見た所、座らなきゃいけないようなトシでも身体でもないだろうが。悪口言ってる暇があったら少し他人のこと考えたらどうだ。」と穏やかだが説得力のある口調で窘めた。オバちゃん2人、最初は呆然とおじいさんを見ていたが、結局コソコソと車両を移っていった。戻ってきたおじいさんは、私に「あんなの気にする必要ないからね」と朗らかに笑っていた。
 こんな人と結婚できたおばあさんは幸せだと思った。

今日のお話 −3月9日(火)−

   曽野 綾子の名言

  幸せでいることに
  慣れてしまうと
  不幸せになることが
  許せなくなってしまう。
  自分の一生は
  いつも幸せでなければならない
  と思い込んでしまう。
  この誤った感覚が
  日本人をどんどん
  不幸せにしている。

ちょっといい話

   指を鳴らす癖

 小さいころから指を鳴らすのが癖になっていた。いつも母が「母さんみたいな指になるからやめなさい!」と言って自分の手を見せる。母の指は関節が太くて、まっすぐに伸びない。こんな手になるからダメというけれど、私は指を鳴らすのをやめなかった。だって母さんの手が大好きだったから。きれいな手じゃないけれど大好きな母さんの手だったから。別に指が太くなろうがなんだろうが、好きな手だから別に構わなかった。でも、母には思ってることは黙ってた。
 母は、高校の時に死んでしまった。「母さんの手が大好きだから関節が太くなっても気にしなかったんだよ」って手紙を書いて棺桶に入れた。母さんに伝わってるといいな。
 今でも指は鳴らす癖は治ってない。母さんごめんなさい、だけど母さんの手が大好きだったんだよ。母さんが大好きだったんだよ。

今日のお話 −3月8日(月)−

   曽野 綾子の名言

  自分を
  追いつめないようにすること。
  その方法は
  何にでも「たかが」を
  つけて考えることです。
  何も思いつめることはないや
  という気になってくるのは
  おもしろいことです。

ちょっといい話

   青い正義感

 全盲のうちのお袋が、公衆電話をかけようとしたら、白い杖を見てチャンスと思ったらしい3人の不良が、お袋のバッグをひったくろうとした。お袋はすぐに気づいて抵抗したが、殴られて倒れた。次の瞬間、近くで怒号が聞こえて乱闘が起きているのがわかったという。訊くと3人の不良に1人で飛び掛っていった少年がいたらしい。幸か不幸か、そいつは大層強かったらしく3人とも叩きのめした。
 しかし3人の不良の負傷が激しく、救急車が来て、その1人の少年は警察に連行された。警察には、不良3人の自称被害者の親が来ていた。「私の子どもはふざけていただけ。」との主張を大まじめにしていた3人の親たちに、警察が同調しかけたとき、お袋はキレた。
 「盲目の赤の他人のバッグを取る行為を、『ふざけてた』なんて親子揃って言い逃れする人間なんてどうでもいいです。お巡りさん、あの青年を釈放してください。私はあの子の知り合いでもなければ、あの子にお駄賃をあげる約束だってしていません。通りすがりの勇気ある少年です、青い正義感を裁かないでください。さもないとあの子はもう誰も救おうとはしません。」
 お袋は泣いてた。

今日のお話 −3月5日(金)−

   曽野 綾子の名言

  今は子供に強制する

  親や教師が余りに少ない。

  何事も自主的にやらせるべきで

  強制するべきではないと言う。

  これはとんでもない

  間違いです。

ちょっといい話

   飛行機

 「ちょっとスチュワーデスさん!席を変えてちょうだい」、ヨハネスブルグ発の混んだ飛行機の中で、白人中年女性の乗客が叫んだ。「何かありましたか?」、「あなたわからないの?黒人なんかの隣には座りたくないのよ!こんな人迷惑だわ」、女性の隣では、黒人男性が憮然とした顔で座っている。
 「お客様、少々お待ち下さいませ。空いている席を確認してきます」、乗務員は足早に立ち去り、周囲の乗客はざわざわと不穏な空気。
 しばらくして乗務員が戻って来た。「お待たせしました。ファーストクラスにひとつ空きがありますので、どうぞそちらへ。本来ならこういうことはできないんですが、隣の席がこんな人では確かに迷惑でしょうと、機長が特別に許可しました。さ、どうぞ」
 周囲の乗客は、にこやかに黒人男性を見送った。

今日のお話 −3月4日(木)−

   曽野 綾子の名言

  人にはできることもあれば
  できないこともある。
  得意なものもあれば
  どうしても
  不得意なものもある。
  それが一人の人間が持っている
  光と影なのです。
  光にばかり
  目を向けるのではなく
  影の部分もしっかりと
  見据えることが大切です。

重要 緊急事態宣言解除に伴う愛知県知事メッセージ

城東中学校保護者の皆様

緊急事態宣言解除に伴う愛知県知事からのメッセージが届きましたので、お知らせいたします。

学校では引き続き、感染防止対策に努めながら教育活動を進めてまいります。ご家庭におかれましても、休日を含めた生徒のみの会食やカラオケ等の自粛など、感染防止対策にご協力いただきますようお願い申し上げます。

愛知県知事からのメッセージ

ちょっといい話

   消防士の親父

 オレの親父は、消防士だった。いつ何があってもおかしくない仕事だから、よく母に「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしている」って言っていたのを覚えている。親父はとても熱い人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけはもち続けろ」って「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだった。
 あの日、緊急要請が入って夜中の2時頃、親父は火事現場に向かって行った。物音に起きて、部屋のドアを開けて見た親父の背中が、オレが親父を見る最後の機会になった。親父は、火事で倒壊してきた建物の下敷きになって、病院に運ばれたものの、死んだ。朝、母からそれを聞いた時、信じられなかった。いつもみたいに、疲れた顔して帰ってきて、「母さんビール」なんて言う、そう思えて仕方なかった。でも、灰だらけになって眠る親父の顔を見て、一生目覚めないその顔を見て、それが現実だとわかった。
 悲しくて、涙が止まらなかった。でも、同時に誇らしかった。親父は灰だらけでボロボロで、もう目覚めなかったけれど、あの日の火事では、全員救出できたそうだ。最後まで、「人を助けるっていう情熱」を失わなかった。他人から見ればただの一介の消防士にすぎないだろうけど、オレにとっては、最後まで最高にかっこいい親父だった。そんな親父の最後が誇らしくて、何故かさらに涙が溢れた。
 あれから12年、オレは親父と同じ仕事に就いている。何年も働いているが、今でも現場に向かう時は、怖い。それでも、向かうことができるのは、オレがこの仕事に「情熱」をもっているからだ。あの時、最後まで親父がもっていたように……。
 ありがとう、親父。あんたの背中を見ていたから今、火の海に飛び込んでいける。怖くても足を踏み出していける。本当に、ありがとう。誰一人死なせはしない。

今日お話 3月3日(水)

   曽野 綾子の名言

  自分や周りにある
  影に目をつむり
  光ばかりを見ようとする
  子供たち。
  それは幸福でなければならない
  という強迫観念に取りつかれた
  社会が生んだ産物でしょう。
  光しか見ないから
  ちょっと影に入ると
  イライラしたりキレたりする。
  それは決して
  幸せな姿とは言えません。

第74回卒業式の朝

 3月3日(水)の朝。第74回卒業式を迎える前の3年生の教室および北舎の様子です。
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学校行事
3/15 後期生徒会役員選挙
3/18 公立高等学校合否発表
3/19 定時後期出願
3/20 春分の日

お知らせ

年間行事計画一覧

出席停止のお知らせ

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学びの学校づくり

食育だより

給食献立

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