最新更新日:2024/09/26 | |
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ちょっといい話
子どもが老紳士につばをかけた
バスに乗った時、親子連れがいて、そこにいた4歳くらいの子どもが、老紳士に唾を懸けた。母親は何も言わなかった。老紳士は怒り、「お宅のお子さんが、私に唾をかけた。お宅ではどういう教育をしているのだ。」と言うと母親は、「うちでは、伸び伸びと育てていますので、赤の他人に口出しされる筋合いはない。」と返した。 その10分後だった。バスを降りようとした若い男が、その母親に唾をかけた。母親がその男に「何するんですか!」と怒鳴ると、「僕も両親からお宅のお子さんみたいに、伸び伸び育てられたんでね。」と言ってその場を去った。 躾の出来てない親ほど、他人からやられるとキレる。 今日のお話 −11月27日(金)−
斎藤 一人の名言
人生は「開き直る」ことが 大切です。 「開き直る」って 悪い言葉ではありません。 開き直るとは、 閉じていた心を開いて、 曲がっていた心を まっすぐに、ピっと直すこと。 これを「開き直る」 と言うんです。 ちょっといい話
ゆがんだ顔の似顔絵
息子が母の日の似顔絵を持って帰ってきた。ゆがんだ顔におにぎりの海苔のような髪型。にじんだ目に赤い線を引いただけの口。お母さんは知ってるよ。君がどれだけこの絵を描くのに苦労したか。 息子は発達障害で、何よりも描くことが苦手だ。園の先生は「何枚も何枚も泣きながら書き直して、『後ろ姿をどうやって描いたらいいかわからない』ってパニック起こしてたんです」と言ってた。 ありがとう、一生大切にするよ。生まれて初めて描いてもらったお母さんの顔。これ、笑っているんだよね。いつか君が大きくなって、自分の世界が表現できるようになったとき、ピカソを超えるようなすごい力を手に入れると思うよ。 ちょっといい話
ママ 一緒に乗り越えような
結婚し、ようやく5年して待ちに待った子どもが産まれた。2年経って、子に障害があることが判明し、何もかもが嫌になって子どもと死のうと思った。 そしたら、だんながメールで「好きで好きでたまらない貴方と結婚できて嬉しかった。子どもが俺たちの間に生まれてきてくれて嬉しかった。でも、障害があることが分かって、貴方は苦しんでるね。子どもはきっと世界一幸せだと思うよ。貴方とオレの子だから。人より遠回りするかもしれない、ゆっくり成長するかも知れない、でもその分、いろんな物が見れるよね。2人3脚でしっかり歩いて行こうよ!本日の幸せ……。子どもが『ママ〜すき!』と言えた。ありえない時間に起きて(朝5時)3人でした散歩、思いのほか楽しかったな。夕飯のぶり大根、うまかった。3人で入った狭いギューギューのお風呂、たまにはいいもんだ。なっ、今日だけでこんないっぱい楽しい事あったろ。明日はどんな幸せあるかな、なっママ。最後に、子どもが寝たらDVD観よ。奮発して買ってきたぞ。ママの好きな『古畑』もういっこ幸せ増えたな。つらいことは、日にそう何回もあるもんじゃない。楽しいこと、幸せなことは日に何度でもある。ママ、一緒に乗り越えような」 これ見て、立ち直り、しっかり受け止めて約束通り、2人3脚で楽しく過ごしています。 今日のお話 −11月25日(水) −
斎藤 一人の名言
この中で一輪車に乗れる方 手を挙げてください。 いないですね。 でも、練習すれば、 おそらく全員が乗れるんです。 最初から乗れないだけ。 物事はそういうものなんです。 ちょっといい話
旦那からの手紙
妊娠と同時に旦那の癌が発覚。子どもの顔を見るまでは……、と頑張ってくれたんだけど、ちょっと間に合わなかった。旦那がいなくなってしまってから、ひとり必死で息子を育ててる。もちろん息子はかわいい。息子の成長を毎日見れる私は幸せだって思う。でも、電池が切れたみたいに何もできなくなる時が今だにある。「弱い、とっても弱いカーチャンは天国のトーチャンのとこに行こうかな」って思ってしまう。「トーチャンが迎えに来てくれないかな」って思ってしまう。 先日、息子が1歳の誕生日を迎えた。いつも通りに保育園に息子を迎えに行き、家に帰り、郵便物を見てみるとかわいい封筒が2通。息子と私宛に。開いてみると旦那からだった。息子には「誕生日おめでとう!毎日笑顔でね!!元気にね!」と、短いメッセージが……。それと、下手くそなニコニコ顔のアンパンマンの絵。あんまり下手くそだから笑ってしまった。私には、「○○もお母さん1歳だ!おめでとう!」と。来年も手紙届くかな?そう思うとこれから1年また頑張れる。 旦那、ありがとう。息子を立派に育ててみせるからね。時々でいいから私たちの事見ていてね。 今日のお話 −11月24日(火)−
斎藤 一人の名言
悪口なんていうものは いくらでもある。 人のアラは30でも40でも 見つけられるんです。 でも、人のアラなんか いくつもいくつも見つけたって 人から嫌われるだけです。 友達を失います。 やめてください。 斎藤一人(さいとう ひとり)のプロフィール 1948年8月3日生。東京都出身の実業家・著述家。ダイエット食品「スリムドカン」などのヒット商品で知られる化粧品・健康食品会社「銀座まるかん」の創業者。漢方茶の販売を開始し、後に漢方をベースとした化粧品や健康食品の開発に着手、銀座日本漢方研究所を創業。高額納税者公示制度(長者番付)12年間連続10位以内にランクインし、実質手取り額(税金を差し引いた残り額)で日本一の人物としても知られている。また多くの著書の発表しており、観音信仰や自身の経営を通じて導き出された独特の人生観でも人気を博している。 ちょっといい話
お袋の小遣い
前の会社で働いていた頃、母親からこずかい毎月1万ほどせびられた。1人暮らしの俺にとってはつらかった。払わないと「親不孝者」、「バカ息子」など罵倒の嵐。「この糞ババア」と呪った事もあった。しかし、中学時代グレて散々迷惑をかけた手前、半ばあきらめていた。 やがて俺が就職して数年後、おふくろは死んだ。その時、通夜の席で親戚に1冊の預金通帳を渡された。額は100万程度。聞けば俺の浪費癖を心配したおふくろが、毎月俺からせびっていたお金を毎月積み立ててくれたものらしい。それを聞いた時、俺は号泣した。金を請求されるという表向きの事にとらわれ、なぜおふくろが金を請求するのか、という事を考えもしなかった自分自身が誰よりも許せなかった。 母親が死んだ当時、俺は会社をリストラされ、貯金も無く、失意のどん底だったが、この100万円のおかげで、ホームレスにはならなくて済んだ。今でも駄目なリーマンには変わりはないが、つらい時はこの事を思い出して頑張れてる。 今さらだけど……。お母さん、ありがとう。 今日のお話 −11月20日(金)−
上所 重助の名言
「仕事」載 1 仕事は自分から「創る」べきで、与えられるべきでない。 2 仕事とは先手先手と「働き掛け」ていくことで、受身でやるもので ない。 3 「計画」を持て。長期の計画を持っておれば、忍耐と工夫とそして 正しい努力と希望が生まれる。 4 「自信」を持て。自信がないから、君の仕事には迫力も粘りもそし て厚味すらない。 5 頭は常に「全回転」八方に気を配って一部の隙もあってはならない。 サービスとはそのようなものだ。 ちょっといい話
ユダヤ民族に伝わる寓話【アンダーマイニング効果】
ある町の偏屈な男たちが、ユダヤ人が開いた洋装店を町から追い出そうと、乱暴者たちを送り込んだ。乱暴者たちは毎日、店の前で嫌がらせをはじめた。 しかし、店主は賢かった。ある日彼らが野次ったり罵ったりする努力に対して、全員に10セントコインを1枚ずつ手渡した。すると彼らは喜んで、ますます無礼なことを叫び続けた。次の日も彼らは10セントを期待して騒ぎにやってきた。しかし、「今日は5セントしかあげる余裕がない」と洋服屋は告げ、全員に5セントずつ手渡した。次の日、彼らはまたやってきた。洋服屋は「今度は1セントしかあげられない」と言って、コインを手渡そうとした。それを聞いた乱暴者たちは、あざ笑いながら言った。「俺たちはそんなはした金のためにわざわざ野次るような暇はないんだ」 そして、彼らは騒ぐことなく立ち去った。 今日のお話 −11月19日(金)−
ホセムヒカ大統領の名言
日本にいる子供たちよ。 君たちは今人生で最も幸せな時間にいる。 経済的に価値のある人材となるための勉強ばかりして、 早く大人になろうと急がないで。 遊んで、遊んで、 子どもでいる幸せを味わっておくれ! ちょっといい話
錆びた缶
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6の時にクラスの給食費が無くなって、「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。「貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!」って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ……。 どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。今まで俺のおさがりを折って着ていたから。母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。 去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。泣いたね……。 初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。 今日のお話 −11月18日(水)−
ホセムヒカ大統領の名言
「あなたは『自分の人生』を切り開いていける」 人生というものは、刻一刻とあなたから逃げていきます。 でも、足りないからといって スーパーで追加の人生を買うことはできません。 だから、人生を生きるために闘ってください。 人生に中身をあげてください。 ちょっといい話
愛していたんだろう
俺、中学の時ばーちゃん死んだんだけど、ばーちゃん、じーちゃんのことすごく愛してたんだろうな。じーちゃんが先に死んだせいか、「早く死にたい。じーちゃんのとこに早くいきたい」ってよく言ってた。俺、ばーちゃんのこと大好きだったから、毎日会いに行って「俺の結婚式に出て嫁さんと曾孫みるまで死んだらダメ!」って言ってた。 結局じーちゃん死んでから2年後にばーちゃんも死んだんだけど、葬式の時、俺宛てに手紙があって、ただ一言「○○約束守れなくてごめんね」。泣いた。人前で泣くのは恥ずかしいって思ってたけど号泣した。 結婚式、披露宴にじーちゃんとばーちゃんの席をつくった。明日、結婚します。近くで観ていていてください。貴方達のような夫婦になりたいです。 今日のお話 −11月17日(火)−
ホセムヒカ大統領の名言
「『幸せ』にしてくれるのは、生きていること」 日本は、すごい進歩を遂げた国だとは思います。 だけど本当に日本人が幸せなのかは疑問です。 西洋の悪いところをマネして、 日本の性質を忘れてしまったのだと思います。 ちょっといい話
釣り竿くらい
長男の小学校時代だから、今から15,6年前になるのかな? 学校で自然体験の校外授業があって、魚釣りをするから各自釣竿を持ってくるようにって通知があったんだ。その頃は貧しくて、忙しくて……。とても釣竿を買ってやるなんて、余裕も無かった。家の傍に竹やぶがあったのを思い出して、適当な竹竿に子どもの拾ってきた釣り糸をつけて「ホラ、これもってけ!」と。 随分時間が経ってから、子どもの親の仲間に聞いた、「あの日、変な竹竿の釣竿持ってきていた子どもが居たらしいぞ」って……。「池の土手でかなり皆に囃し立てられて、馬鹿にされたらしい」って……。「僅か1500円くらいの釣竿、買ってやればいいのにな」と。 自分の子どもの事だとすぐに解ったけれど、顔を上げる事もできずにその場を離れた。考えてみれば、その後も何回か釣りの授業はあったみたいだけれど、アイツは何も言わずに釣竿を担いで学校に行ってくれていた。アイツなりに気を使ってくれてたんだなって、その時に心から泣けた。 孫が出来たら父親の分まで俺が可愛がってやるぞって思ってる! 今日のお話 −11月16日(月)−
ホセムヒカ大統領の名言
「人は『発展』ではなく『幸福』になるために生まれてきた」 私たちがこの地球に生まれ落ちた理由は、 ひたすら発展を求めるためではありません。 私たちは、等しく幸福になるために生まれてきたのです。 ちょっといい話
兄の幸せ
今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。 兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが、それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。初めて作った料理とも言えないようなものを、「美味しい」と言って全部食べてくれた。仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり、宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。友達のを見て、「お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれた」とわがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに「こんなんじゃない、お母さんに会いたい」と兄をなじってしまった。 兄はそれを聞いて「ごめん」と泣き出してしまった。あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子どもだったんだと今でも泣きそうになる。 その兄が、1年前両親と同じように事故で突然この世を去った。兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より1才年上だった。兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うとそれがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。たくさんたくさん「ごめんなさいとありがとう」も言えないままだった。 「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。 お兄ちゃん、天国で見ててね。今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな。 今日のお話 −11月13日(金)−
ホセムヒカ大統領の名言
「人生で最も大切なことは『歩き続ける』こと」 人生で最も重要なことは「勝利すること」ではなく、 「歩く」こと。 歩き続けることなのです、と。 ちょっといい話
母は他人
私が5歳の時、両親は離婚(原因は父のDV)。私は、母親に引き取られました。 しかし、大学の卒業旅行のためパスポートを作ろうと戸籍を取り寄せたら超びっくり。私、父親と父の前妻の子どもだった。つまり、私を引き取って育てて大学まで行かせてくれた母は、父親の後妻。つまりは全くの他人。あまりの衝撃に何も言えぬまま日々を過ごし、結婚する時にやっと母に聞いてみた。母は、あっさりと事実を認めた。私の実の母は、私が1歳の時に死去。育ての母親は、私が3歳〜5歳まで父と結婚していたのだそうだ。 何故他人の子を引き取った?という質問には、「あの人(私の父親)の所に置いちょったら、何されるか分からん。かわいそうじゃけ、連れて来てしもた」とのこと。私自身が親となった今でも、母の情の深さには敵わない。 母は、今血の繋がらない孫達に囲まれてとても楽しそうです。 |
犬山市立城東中学校
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