ともに生きる

ちょっといい話

   中国からの留学生

 日本の大学に来て1年足らずという、20歳の中国人留学生がわが社のアルバイト募集を見てやってきた。背筋を伸ばし、日本語も上手で敬語などは日本の学生顔負けだ。好感が持てたので、その場で採用を決めた。
 私の会社は、ビルなどの掃除作業を主にやっている。採用の翌日から彼は毎日、自分で弁当を作って早朝から他の社員と一緒に働いた。ある日、市立公園の公衆トイレの洗浄作業があり、彼ともう1人の若い社員が行くことになった。アルバイトを始めて日も浅いのに、トイレ清掃は大丈夫だろうかと少し心配になったので様子を見に行った。清掃中のトイレをのぞくと、床を夢中で磨いている彼の姿が目に映った。すると、彼が顔をあげて、笑顔で「おはようございます」とあいさつしてきた。1人で日本に来て、働きながら学ぶにはつらいこともたくさんあるだろう。ましてこの日の作業はきれいな仕事ではない。それなのにこの笑顔は何だろう。そのすがすがしさに、思わず涙が出そうになった。
 「頑張ってね」と声をかけ、その場を後にしたが、黙々と作業をしていた姿を、その素晴らしい笑顔は忘れられない。(読売新聞より)

今日のお話 11月5日(木)

   萩本 欽一の名言

 自分のためだけじゃなくて、
 誰かのためにやっていると、
 途中で投げ出さないよね。
 自分のためだけだと、
 つらくなると、
 やめてしまうでしょ。
 でも、たとえば命の恩人や
 お世話になった人に
 お返しをしたいと思ったら、
 途中で投げ出せないよ。
 ぼくなんか、
 まさにそうだった。
 コメディアンの才能がない
 ってわかってたけど、
 ぼくが子どもの頃、
 借金取りに土下座して、
 泣いていた母親のことを思うと、
 途中でやめるわけにはいかなかった。
 お金持ちになって、
 家を建ててやりたいと思ったからね。

ちょっといい話

   部下の旅立ち悩みつつ応援

 それは突然の申し出だった。優秀な部下からの退職願である。理由は「したいことに一度も挑戦しないと、後悔する」。入社動機は美術関係志望だったが、法律専攻のため、配属は法務室。そのため自主的に学芸員資格を取得したり、ボランティア活動をしたりしていたようだ。しかし、たぎる思いは消せなかったらしい。
 この申し出を私は3つの人格で考えた。1つは上司。次に企業経営の視点。そして人生の先輩として。上司としては、有能であるほどつらい。経営の観点からは、将来性があればあるほど引き留めたい。だが、3番目の人生の先輩としては、「若者なら挑戦を優先させればよい」である。長岡藩家老・河井継之助の言葉だったかどうかと思うが、「進むときは人によってすすみ、退くときは自ら決す」という考え方もある。しかし、何よりもアイデンティティ(主体性の確立)を問われる今後は、自分の中に可能性を発見し、その可能性と競争して欲しい。
 不意に飛び込んできたこのテーマを、3つの人格で考えながら、若者と真剣にディスカッションした。では、何を優先するか問われたら、3番目であると答えるし、事実そのようにした。
 1月半ば、その女性はパリに旅立っていった。 (朝日新聞声欄より)

今日のお話 −11月4日(水)−

   萩本 欽一の名言

 振り返ってみると、ぼくの人生って、
 自分の思いもよらないところに
 広がっていってるんだよね。
 それはなぜかというと、
 イヤだなと思っても、完全には断らないで、
 うーん、じゃあ一回だけとか言って、
 まずはやってみたから。
 そのときには、そのイヤだなと思うことの
 いいところを探したんです。
 だいたいみんな、イヤな仕事の
 いいところは探さないんですよ。
 でも、イヤな仕事ほど、
 いいところを探したほうがいいね。

ちょっといい話

   「私の夢」 

 また笑われた。これで何度目になるだろう。笑ったやつらをひとまとめにして思いっきりけとばしてやりたい。
 そもそも、今の日本が悪いんだ。就職難だからって安定した職ばかりを求めるあまり、自分が本当にやりたいこと、本当の夢が見えていない人が多くなっている。そんな人たちを生みだしたのは、他のどこでもない、今の日本だ。おかげで友達や大人の人に将来の夢を聞かれて「世界的に有名な医者になってたくさんの人を救う。」と答えると、「フンッ。」と鼻で笑われるようになってしまったじゃないか。
 しかし、笑ったやつらの夢を聞いてみると、「まだ決まってない。」とか、「とにかく何でもいいから職につきたい。」という意見が多い。聞いて呆れる。私の夢を笑うくらいだからどんな立派な未来像を描いているのかと思ったら、何の夢や希望もないなんて。そんなの夢と言えるのだろうか?
 確かに、私は成績はよくないし、みんなから慕ってもらえるような性格でもない。あきっぽいし怒りっぽい。だけど、時代や周囲の人達に流されるような、そんな意志の弱い人間ではないと思っている。「ゆとりだから。」とか、「今の時代は就職難だから。」というのはただの言い訳にすぎない。誰に笑われようがバカにされようが、意地になってでも自分の意志を貫き通すのが、夢を叶えるための一番大切なことだと思う。私は私の夢を叶える。どんな困難が待ち受けていようとも、絶対に耐えて戦う。
 かかってこい、未来。
             (ニッケピュアハート・エッセイ大賞より)

今日のお話 −11月1日(月)−

   萩本 欽一の名言 

  僕、浅草で修行を始めたころ、
  「オマエは才能がない」
  と言われ続けていたの。
  でも、ぜんぜんめげなかったね。
  だって、チャップリンもエノケン(榎本健一)も、
  若いころは「才能がない」と
  言われていたらしいから。
  天才と呼ばれていた人よりも
  才能がないと言われていた人のほうが
  成功している。
  だから、「才能がない」と言われてむしろ
  うれしかった。
  「これで成功するための条件を
  ひとつクリアしたぞ」ってね。

ちょっといい話

   早く寝る理由(9歳)

 私は、どうして子どもは早く寝ないといけないかということを知りたい。寝る時間が少ないといろんなことがよくないといわれるけど、本当かどうかはよくわからない。大人はいつまでも起きて、テレビなど見てうらやましい。私は夜8時30分から遅くても9時までには寝る。もうちょっとテレビを見たいと思うことがある。新しい年になる日、近所で花火が上がる。2階の部屋の窓から見えるけど、夜中なので私は今まで見たことがない。だから今年は見たいなと、お母さんにずっと言い続けた。お母さんは笑って何も言わなかった。
 大晦日の夜になって、8時30分が過ぎていつもの「もう寝る時間」という言葉がなかったので、私はドキドキしながらテレビを見ていた。時々お母さんと時計をかわりばんこにチラッと見てはテレビを見ていた。でも11時過ぎに目が開いていられなくなった。もう少しがんばろうと思ったけど、お兄ちゃんが「もう限界」とギブアップしたので、私も寝てしまった。
 早く寝ないといけない理由はまだよくわからないけど、遅くまで起きていると、目も疲れて頭もボッとしてテレビが楽しめないことはよくわかった。

今日のお話 −10月30日(金)−

   萩本 欽一の名言

  人は誰しも同じ分だけ
  「運」を持ってるの。
  不運だけとか幸運だけの人生
  なんてあり得ない。
  不運の後には、
  必ず幸運がやってくる。
  だから嫌なことやつらいことがあったら、
  「ラッキー」って思わなきゃ。
  次は必ず運がまわってくるんだから。

ちょっといい話

   痴呆の末に亡くなった母…… 

 痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。よくあんな小さな洋服を……。そして古ぼけた大学ノートが数冊。若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。母は若い頃に子宮の病気をしていたのだった。「神様、お願いします。子宮を取らないで下さい。わたしは、子どもを産んでみたいのです。自分の子どもにお乳を飲ませて抱いてみたいのです。だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」
 そして、数年後身ごもった子どもがわたしだった……。亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち、母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
 ごめんね。ごめんね。ごめんね。こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は……。古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。もう一度会いたい。会いたいよ……。

今日のお話 −10月29日(木)−

   萩本 欽一の名言

 「得意なこと」と「やりたいこと」は

  一致しないんだよ。

  だから、まずは「得意なこと」を見つけなさい。

  それが成功すれば「やりたいこと」は

  できるようになってくるから。

ちょっといい話

   今日という1日 

 あるところに1人娘(7歳)を亡くした夫婦がいました。子どもを亡くしてから1年経ったころ「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。
 ある日、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。「今、あなたのもっているすべての財産と引き換えであれば、亡くなったお嬢さんと一緒に過ごせる日を1日だけプレゼントできますが、どうしますか?」その夫婦は迷うことなくOKしました。そして、水色の天使が続けて言いました。「しかし、ルールがあります。あなた方はその日が終わるまで、今この約束したことやお嬢さんと死別することの記憶は消してしまいます。まるで過去に戻った1日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいのですか?」その夫婦はお互いに顔を見合わせてゆっくりとした口調で「分かりました。」と返事しました。
 そしてパッと光が…、あっ!まぶしい…。次の瞬間、いつも通りの朝になっていました。そうです、娘が生きていた時の何気ない1日の始まりでした。
 朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。貴重な貴重な1日が始まりました。
 そうなんです。私たちが生きている今日は、いつか未来に水色の天使に全財産と引き換えにいただいた今日かもしれません。

通学路付近工事のお知らせ

城東中学校保護者の皆様

 日頃より本校の教育活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。さて、善師野1丁目付近において、通学路にかかる部分の工事が行われるとの連絡がありましたので、下記の文書の通りお知らせいたします。12月までは、登下校の時間帯での工事はなく通常通り登校できます。ただし、1月以降、河川内工事(地図の赤丸部分)の期間は迂回路を通り、下校時間帯にも作業を行いますので、誘導員が立ち、誘導を行います。ご確認ください。
細洞沢排水路新設工事のご案内

今日のお話 −10月28日(水)−

   萩本 欽一の名言(2つ)


  幸せとは形じゃない。
  幸せとは気分だと思っている。



  「つらいなぁ」というのは、
  大きな運をつかむ予兆だと思う。
  そこを逃げずに踏ん張ることが大事なんだ。


ちょっといい話

   おばあちゃんの指輪  

 もう10年位経ったかな。父方の祖母が癌で他界した。私の父は、母と結婚し、母の地元の東北に住むことになった。祖父母とは、電話や手紙のやり取りはよくしていたが、会いに行くとなると、やはり遠距離という事もあり、なかなか行く機会を見つけられなかった。1度、姉と私の2人で遊びに行った事がある。父は5人兄弟で全員男。おばあちゃんは「女の子が1人は欲しかったんよ」って私たちのこと、ものすごく可愛がってくれた。やさしくて情の厚い人で、行きも帰りもおばあちゃんは号泣した。
 それから3年程して悲報が届いた。癌だったなんて知らなかった。父すらも。電話の声は元気だったから疑いもしなかった。通夜の日、お棺を覗いたら、ふくよかだったおばあちゃんの顔がガリガリだった。面影もなにも無かった。おじいちゃんが近付いてきて「遠い所、会いに来てくれてありがとう」と言って手を握ってくれた。おじいちゃんは左手の親指にブカブカの指輪を付けてた。おばあちゃんの指輪。あぁ、おばあちゃんおじいちゃんより太ってたから。そう思ったら涙がぼろぼろ出てきた。
 火葬が始まってお棺が焼却炉に入る時、おじいちゃんも入るって言ってきかなかった。葬式も全部終わって落ち着いた時に、父が叔父からおばあちゃんの写真をもらった。おじいちゃんと並んで家の前で笑顔で写ってる写真。「かあちゃんに、お前達には癌の事話すなって言われてた。遠いから心配かけたくないって」みんな声上げて泣いた。死んでからじゃ何もしてあげられない。遠いからってそれを言い訳にしてちゃ取り返しがつかないんだよね。後悔ばかりです。

第66回犬山市民展

 「第66回犬山市民展」が、犬山市南部公民館で10月27日(火)から11月3日(火)まで開催されています。
 本校生徒の作品も展示されています。
 お時間のある方、1度足を運んでいただけたらと思います。

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今日のお話 −10月27日(火)−

   萩本 欽一の名言

  「石の上にも3年」って言うけど、
  みんな何だかんだいって
  3年ぐらいは辛抱してると思うの。
  だから3年じゃ、しょせんは
  人と同じ程度のものしか身につかない。
  本気で何かを成し遂げようと思ったら、
  5年は辛抱しなきゃ。

ちょっといい話

   母ちゃんの弁当 玉子焼き

 母ちゃんの弁当は、ぐちゃぐちゃだったなぁ…。人に見せられる代物じゃなかった。玉子焼きなんかさ、ほんと見栄がわりいんだな。でもさ、うめえんだよ、これが。
 母ちゃん、おととい死んじゃった。
 もう、食えないんだよ。見栄がわりぃ最高の玉子焼き。いっつも母ちゃんに怒られてた。社会人になっても実家に帰るたびに、「汚いGパンはいて、生意気にヒゲなんか生やして、私に近づかないで」なんて言ってたんだ…。
 でも、東京に帰るときには、あの玉子焼きが入った弁当を作ってくれたんだ。もう……、あの味食えないのかよ。

今日のお話 −10月26日(月)−

   萩本 欽一の名言

  僕がまわりから
  「才能がない」と言われながらも
  コメディアンになるのを
  あきらめなかったのは、
  自分に悪いと思ったから。
  一度は「絶対コメディアンになる」
  と決意したわけだからね。
  簡単にあきらめちゃったら、
  そう決断したときの自分に
  申し開きが立たないでしょ。

□ プロフィール
 東京都台東区出身のコメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家。「欽ちゃん」の愛称で親しまれている日本を代表するコメディアンの一人であり、坂上二郎とのお笑いコンビ「コント55号」でブレイク。多数のレギュラー番組を抱え、テレビを席巻し「視聴率100%男」とも称された。1985年に当時のレギュラー番組をすべて打ち切り、半年間ほどの休養をとってから、芸能界活動は少なめになるものの『欽ちゃんの仮装大賞』など、長寿番組の司会を務めていることもあり、日本国民で知らない人はいないと言われています。ちなみに「ウケる」「天然」「天然ボケ」という言葉は、欽ちゃんの造語とのこと。

ちょっといい話

   兄の声

 私には2歳で病死した兄がいる。私は兄の死後に生まれた為、兄の事は全く知らないんだが、何回か兄に会った(?)事がある。
 中学生の時、両親と折り合いが悪くて、今思うと恥ずかしいくらいにグレた。同じような友達や先輩とつるむようになり、女の先輩から初めて煙草を渡されて「吸ってみろ」と言われた。受け取って口に咥えた瞬間、先輩の形相が急に変わり、男の声で「何やってんだ!」と怒鳴られてビンタされた。私も唖然としたが先輩も「えっ!?私何でアンタ殴ったの今!?ごめんね!えっ!?」と混乱していた。結局煙草は吸ってないし、その後そういう仲間との付き合いも断った。高校時代に付き合ってた彼氏が寝てる時、寝言で普段の彼氏ではない声で「こいつは駄目だ、別れなさい」と言った。怖くなって別れた後、友達からそいつが二股かけていた事を聞かされた。就職してから付き合った彼氏もやはり同じように寝言で、あの声で「この人なら大丈夫、幸せにしてくれる」と言った。今、その人と婚約中で来年式を挙げる。
 夢に出たり姿を見る事は無いが、私にはあの声は兄だ、という確信がある。遺影の兄は2歳のままだが、きっといい男になって側にいてくれているんだと思う。

今日のお話 −10月23日(金)−

   後藤 清一の名言

  天下は

  悪によって亡びず、

  愚によって滅す。
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