最新更新日:2024/07/06 | |
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学校概要
盛岡市立厨川(くりやがわ)中学校
第24代 校長 佐藤 精晋(さとう きよし) 〒020-0133 岩手県盛岡市青山二丁目7番1号 TEL 019-647-2253 FAX 019-647-2255 E-mail e9041@city.morioka.iwate.jp 教職員数 55 学級数 23(1年7、2年6、3年5、知2、情3) 生 徒 数 623 (H28.4.17現在) <教育目標> 『心身共に健全な生徒の育成』 からだを逞しく こころを豊かに 知識を自ら求め 明るく平和な社会を目指す 人間尊重の精神に満ちた日本人として育つ 北梅魂今から約950年程前、陸奥の覇者(北辺の王)安倍貞任(あべの さだとう)が率いる北の勢力は、中央の勢力に空しく破れ(前九年の合戦)、安倍一族のうち宗任がとらわれ都(京都)に移されました。季節は梅の咲く春の頃のことでした。 中央(朝廷)の役人(大宮人)がたまたま梅の花を見せ、何の花かと問いました。それにはきっと北の者は梅の花など知らないだろうと、さげすみの意図もあったことでしょう。 宗任(むねとう)はそれには答えず、和歌で返しました。 わが国の 梅の花とは見たれども 大宮人は 何というらん 東北の人たちを文化程度の低いただの乱暴者とあざけり笑っていたのが、時の中央の役人たちでした。しかしわけもなく三十一文字で即座に切り返した宗任の行いには、少なからず驚いたことでしょう。 当時北の文化がいかに高かったか。そして一族が敗北の憂き目にあい、囚われの身となったとしても、反骨の精神と誇り高き尊厳を備えもつ生き方は北の者だけのことではなく、現在にいたるまで広く人間的な共感を呼びます。 厨川中学校の校章の梅の花は、この由来にちなんで作られました。私たち厨中の学区はかつて前九年の合戦が展開された所です。ここに暮らす私たちは、この誇り高い生き方を「北梅魂」として活かしていき、北の地の高い文化の継承を決意するものです。 |
盛岡市立厨川中学校
〒020-0133 住所:岩手県盛岡市青山二丁目7-1 TEL:019-647-2253 FAX:019-647-2255 |