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そろそろ熱中症に注意。睡眠時間の確保もしっかりと!

ふれあい運動会・文化祭 アンケート結果 12月11日(金)

 先日は、「ふれあい運動会」・「文化祭」についてのアンケートのお願いをしたところ、多くの方にご協力をいただき、ありがとうございました。
 アンケートの結果をお知らせします。

 http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 12月11日(金)

     稲盛和夫の名言

  「ベター」「ベスト」というのは、

  比較するものがある時に使う言葉です。

  しかし、新しい領域へ乗り出す開拓者は、

  真っ暗の中、羅針盤も持たず

  海岸へ向かう船と同じなのですから、

  「完全」でなければならないのです。

  それは自分以外に頼るものがないからです。

  「完全」をめざすということは、

  自らの内なる理想に対する

  あくなき追求を意味します。

  創造の領域では、

  基準となるものは何もありません。

  自分自身の中に羅針盤を求めて、

  方向を定め、

  進んでゆかなければならないのです。

ちょっといい話

ニッケピュアハート・エッセイ大賞より

   「虹はみえますか」 

 あのとき、虹は見えなかった。もう、思い出したくない。忘れたい思い出。保育園の年長組のときのこと。私はそのころ入院していた。先天性の緑内障による弱視のためだ。ある日のことだ。窓際に立っていた母ちゃんが私を呼んだ。私が駈けていくと母ちゃんは私を抱き上げ言った。「虹が見えるよ」見えなかった。虹なんかどこにも。いくら探しても、見つからなかった。言おうとした。「虹なんか見えないよ」でも、言ってしまった。「見えた」結局、虹なんか見えていなかった。探すのがイヤになった。母ちゃんを心配させちゃいけないと思った。怖くなった。置き去りにされた気分だった。だから、ずっと見ていた。灰色の窓のサッシを。私の視力は、両目ともに0.04。それはこのときから変わっていません。母ちゃんは、障害を持つ子供など、もちろん初めてで、将来に対する不安はぬぐえなかったそうです。
 私が中学生の時のことです。塾で新しい先生に代わって初めての授業のとき、先生が私
の望遠鏡を取り上げました。「馬鹿野郎! オモチャなんか使うんじゃない!」先生はそう怒鳴りました。私にとって望遠鏡は目の一部です。私はただただ唖然としてなにも言えなくなってしまいました。「先生、その子、目が悪いの」私が何も言えないでいると、小学生のときから一緒のクラスの子がそう言ってくれたのです。私は嬉しかった。そして、みんなが私のことについて私が思っていたよりもずっとよく知っていてくれたということに感動したのです。
 私は自分が弱視であることを積極的に話すことにしました。今までは弱視であることで
差別され、蔑まれることが怖くて隠していたのです。実際に今までたくさん嫌な事があっ
たからです。しかし、私のような障害を持つ人間がいるということを知ってもらうために
はそれが一番良い方法だと考えたからです。部活動の先輩後輩、クラスのみんな、そして弁論大会。まずは身近なところから。少しつですが確実に。話していくとみんなとても良くわかってくれます。自分の心は閉じていた。自分の目のように。
 あのとき、虹は見えなかった。でも、これからはたくさんの虹が見える。お互いの心に架かる大きな虹が。そして母ちゃんに言いたい。

「虹が、虹が見えるよ」

今日のお話 12月10日(木)

    稲盛和夫の名言

  ビジネスを成功させるためには、

  夢を抱いてその夢に酔う

  ということがまず必要です。

  一般的には、事業を行う場合には、

  「自分の夢に酔ってはいけない」

  と、よく言われます。

  なぜならビジネスを成功させるためには、

  緻密な収支計算や

  慎重な計画が必要だからです。

  自分自身の目標に酔ったような状態で

  事業を起こしてはいけない、

  と忠告してくれる人たちは、

  夢に酔うと無謀で

  向こう見ずになるかもしれないと、

  危ぶんでいるのでしょう。

  しかし、事業を始め、困難にぶつかっても、

  あきらめずにそれを成功させるには、

  夢が、また強い情熱が絶対に必要だと、

  私は信じています。

  夢に酔っていればこそ、

  それを実現させる情熱が湧いてくるのです。

  当然のことながら、

  実際にその事業に着手したら、

  いつまでも夢に酔っているのではなく、

  すぐに「しらふ」の状態に

  戻らなければなりません。

  スタートした瞬間から、理性的に判断し、

  無用な危険を避け、

  実際的な方策について考え尽くし、

  仕事を成功に導くように

  しなければならないのです。

ちょっといい話 12月9日(水)

平成25年度 別府市小・中学生人権作品

 ■ 「やさしい空気」  小学校2年生 

 この前、グランドでAちゃんとゆうぐに行っていたら、ころんでしまいました。それを見ていていた人が、わたしに「ダサッ。」と、言いました。わたしはまわりを見まわしましたが、だれが言ったのかはわかりませんでした。だれが言ったのかはわからなかったけど、とてもいやな気もちになりました。右足のひざをすりむいたのが、とってもいたい気がしました。家にかえった時は、いやな気もちになったことも、ひざのけがのいたさもわすれていました。
 2学きがはじまってすぐに、「こんなクラスにしたい」という話をクラスでしました。その時に、言われていやな気もちになることばを、言わないでほしいという、いけんが出ました。それで、クラスの先生が「言われていやなことばって、どんなことかな」と、みんなにたずねました。
 わたしは、グランドでころんで「ダサッ。」と言われた時のことを思い出しました。わたしは手をあげて、みんなに「この前、『ダサッ。』と、言われていやでした。」と、はっぴょうしました。ほかにも言われた人がいたみたいで「そうそう」と、言った人が何人かいました。そこで、先生が、「言われていやなことば」の中に、それを書きました。ほかにも「しね。」とか「ふざけんな。」「だまれ。」というのも出ました。何も言わずに、むしするのもいやだといういけんが出ました。
 次の日、せきがえをしました。わたしもクラスの人も、せきは、2人組がいいと言いました。2人がいい理ゆうを先生にたずねられて、わたしは、「2人のせきが、たのしくしゃべれるし、こまった時やべんきょうがわからない時にたすけてもらえるから2人組がいいです。」と言いました。それで、せきは2人組になりました。
 わたしは、Bくんといっしょになりました。となりどうしになったのは、はじめてだけど、いっしょのせきになって、Bくんのやさしいところが、見えてきました。けしゴムをおとしたら、ひろってくれます。Cくんに、教科書をとられた時にも、とりかえしてくれました。わたしは、先生に、「Bくんは、やさしい。」と、言いました。先生は「もう、お友だちのいいところを見つけたんだね」と、わらっていました。
 せきがえのつぎの日、「言われてうれしいことば」のべんきょうをしました。言われてうれしいことばは、たくさんあるので、わたしは、たくさんはっぴょうしました。クラスのみんなが、言われた人の気もちになったら、言われていやなことばがへって、言われたらうれしいことばがふえていくと思います。
 このごろ男の子のらんぼうなことばを聞かなくなりました。やさしい気もちややさしいことばが、つたわっていくと、もっとたのしいクラスになると思います。
 みんなが、やさしくして、やさしい空気をつくってほしいです。

今日のお話 12月9日(水)

    稲盛和夫の名言

  何よりも大切なことは、

  強さと勇気、意志力です。

  崇高な目的のためには、

  自分の命を賭けるくらいの

  気構えがなければ、

  決して人を動かせるはずもなく、

  偉大な改革などできる訳がないのです。

ちょっといい話 12月8日(火)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

 ■ 「大事な友だち」  小学校3年生 

 「今日はいっしょにあそばない。」この言葉をわたしはクラスの友だちに言っていました。2年生の時は、わたしがあそびたいのにむしをされることがたくさんありました。「なんでわたしだけいれてくれないの。」いつもかなしい気持ちになりました。その1人が転校してからは、そのいじわるはなくなりました。わたしは今までわたしにいじわるをしてきた強い人がいなくなって、その人といっしょになってわたしにいやなことをしてきた友だちに、わたしと同じ思いをしてもらいたくなりました。
 「今日はいっしょにあそばない。」「○○ちゃんとあそぶからあそべない。」これまでわたしが言われてきた言葉を、友だちに、学どうのある日はほとんど言っていました。わたしが前思っていたことと同じように友だちも、「なんでわたしだけいれてくれないの」と、かなしそうな顔をしていました。その顔を見て、はじめはわたしと同じ思いをしたとすっきりしたけど、毎日毎日していたら、「もうしなくてもいいんじゃないかなぁ。」と思うようになってきました。やめようという気持ちもありました。でも、まだ「やろうかなぁ。」
という気持ちもでてきて、すぐにはやめられませんでした。
 6月のある日、先生によばれて会ぎ室に行きました。そこには、今までわたしがいじめてしまった人がみんなすわっていました。1人ずつ言ってくれました。みんなわたしが「こわい。」という話を聞いて、みんなそんなにわたしをこわがっていたんだと、少しは思っていたけど、ここまでということがはっきりわかりました。「いじわるはやめる。」とみんなに言って、やくそくしました。
 「おまえがいじめとか、今日いっしょにあそばないとか言わなければいい。」とお父さんが言いました。お母さんにきいてみると、お父さんと同じように言いました。「あなたがいじめなんかしなければいい。」と言ってくれました。
 わたしはお母さんやお父さんの話をきいて、やっぱりいじめは、されていたけど、しかえしはしてはいけないと思いました。そして、わたしはもう、今からの自分は、今までの自分じゃなくて、いじわるされてもぜったいしかえさないで楽しくあそびます。自分で自分の心を、かえていきます。だから、今年の夏休みは、学どうでいじわるすることも、されることもなく楽しくあそべました。
 これからも、なかよく遊んでいきたいです。もし、いじわるされることがあっても、やりかえすことはしないで、「どうして、わたしだけするの。そんなことしないで。」と言っていきたいです。

今日のお話 12月8日(火)

    稲盛和夫の名言

  「相手があるから、自分もある」

  という日本古来の考え方があります。

  昔の日本人は、

  自分は全体の一部と認識していたのです。

  この考え方は、今でも集団の調和を保ち、

  協調を図ることができる

  唯一の考え方だと思います。

ちょっといい話 12月7日(月)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

   「なかまはずれはかなしいよ」  小学校1年生 

 わたしは、1年生になって、なか休みやひる休みにおともだちとたのしくあそんでいます。でも、いちどわたしが、「いっしょにあそぼ。」といったら、おともだちに、「人ずうがおおいから、むり。」といわれました。わたしは、どうしていれてくれないのかなと、かなしいきもちになりました。
 そしてある日、1年生みんなで、されるといやなことやしてはいけないことをはなしあいました。みんなからは、たたく、ける、つねるなど、からだをきずつけることをしたらいけないといういけんがでました。それから、わるいことばをいったり、なかまはずれをしたりしてこころをきずつけることもいけないといういけんがでました。わたしは、からだをきずつけるのもよくないけど、ことばでこころをきずつけることは、もっとよくないことだとおもいます。わたしもおともだちに、「むり。」といわれて、こころがズキッとなったからです。わたしのことがきらいなのかなと、おもったりもして、こころがかなしくなりました。
 そして、1年生でこれからどうしたらいいかをかんがえました。からだをきずつけること、こころをきずつけることをしないというやくそくをしました。あとだいじなことは、おともだちがいやなことをされたり、いわれたりしているときは、見て見ぬふりをしないで、たすけたり、先生にしらせたりすることだとわかりました。
 はなしあいのあと、おともだちが、「いっしょにあそぼ。」といってくれるようになって、うれしかったです。わたしは、じぶんもおともだちをなかまはずれにしたりしないで、なかよくしていきたいなとおもいます。

今日のお話 12月7日(月)

    稲盛和夫の名言

  人生はひとつひとつの判断の集積で

  形づくられていきます。

  ですから常に正しい判断ができるようになれば、

  素晴らしい人生を送ることができるのです。

  正しい判断ができるようになるためには、

  「ものさし」となるべき、

  誠実な人生哲学を持たなければなりません。

  その哲学とは「人間として何が正しいか」

  に基づくもので、

  公正、正義、やさしさ、思いやり、
 
  調和、誠実さなどの言葉で、

  表わされるものを含んだものであるべきです。

  このような人生哲学を、

  毎日の判断の「ものさし」

  としていくべきです。

ちょっといい話 12月4日(金)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

    「ひとりにひとつしかない大切な命」 
                         小学校3年生 
 ぼくは、せんそうのない世界が「平和」だと思っていました。だから、今ぼくが住んでいる日本は、とても平和な世の中だと思っていました。でも、家にあった「へいわってどんなこと」という本に「命はひとりにひとつ、たったひとつのおもたい命。だからぜったいに、ころしたらいけない。ころされたらいけない。」と書いてありました。ぼくは、せんそうがないことだけが平和ではないんだなぁと思いました。
 ぼくは、ずっと前に、家でお姉ちゃんとケンカをしたときのことを思い出しました。その時、ぼくはかっとして、「お姉ちゃんなんか死んでしまえ。」と言ってしまいました。するとお母さんから、「そんなこと言ったらいけん。じょうだんでも言ったらいけんので。」
と、すごくしかられました。その時ぼくは、「そんなにおこらんでもいいに。じょうだんやに。」と思いました。
 それから、「ゆうごは、ひいばあちゃんが死んでしまった時、どんなこと思ったん。」ときかれました。「すごくかなしかった。もう会えんけん。」とぼくは、言いました。ぼくのひいばあちゃんは、102さいでなくなりました。ぼくが生まれてすぐのころ、転んでこっせつしてから、ずっと入院していました。ぼくが六さいの時に、はいえんで死んでしまいました。とても長生きをしたけど、ぼくは時々しかおみまいに行かなかったし、行って
もどんなことを話したらいいのか分からなくて、あまり話をしませんでした。「また今度行くし、いいや。」と思っていました。でもひいばあちゃんにはもう会えません。
 もし、お姉ちゃんが死んでしまったら、ぼくはすごくかなしい気持ちになって、どうしてあんなひどいことを言ってしまったんだろうと泣きたくなると思いました。命はひとりにひとつしかない、大切なたったひとつの命だから、かんたんに「死ね。」とか言ったらいけないんだと思いました。そして、なくなったら二度ともどってこない命を大切にしないといけないと思いました。
 時々、友だちがけんかをしている時に、「死ね。」や「うざい」と言っている人がいます。
ぼくもかっとして、つい言ってしまうことがあるので、気をつけようと思います。そして、
「そんなこと言ったらいけんので。」とちゅういできる人になりたいです。
 自分や友だちや家ぞくの命を大切にすることが、もっと平和な世の中を作っていくことにつながるのだと思います。

今日のお話 12月4日(金)

    稲盛和夫の名言

  私が学んだことは、

  何か事を起こす時は、

  まず思いこまなければならない

  ということです。

  「これが理想的であることは

  わかっているけれど、現実には

  そんなことは不可能だ」

  と自分に言い続けていたら、

  何も起こせはしないでしょう。

  信じていないもののために

  努力することはできないのです。

  強烈な願望を描き、

  心からその実現を信じることが、

  困難な状況を打開し、

  物事を成就させるのです。

ちょっといい話 12月3日(木)

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

   「いじめをなくすために、今」 

 僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいました。そこで,僕が体験したことです。五年生のころ,僕の友だちのA君が,同級生のK君の靴を隠したり,からかったりしていることがよくありました。最初は僕もあまり気にしていませんでしたが,K君のことを「なんだかかわいそう」と思うようになりました。
 ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました。初め先生は,「じゃれ合っているだけだろう」と,「いじめ」とは思ってくれませんでした。でもその後「いじめ」と分かり,A君は,先生に注意され,その日一日は反省した様子で過ごしていました。しかし,次の日学校に行くと,いじめは前以上にエスカレートしていて,蹴ったりたたいたりするようになりました。しかも,「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになり,そんな日々が続きました。
 それは六年生になっても続きました。僕はそのいじめを止めることができず,毎日,見て見ぬ振りをしていました。今思うと,自分がとても恥ずかしいです。本当の友達なら止めるべきなのに。それだけではなく,いじめられているK君に声一つかけることができずにいました。心の中ではA君に,「やめろよ」と言おうと思っていたけど,なぜか,勇気が出ませんでした。次にいじめられるのが自分になるのが恐くて,言えなかったのです。
 そんな日々が続く中,僕の気持ちを大きく変える出来事がありました。父の死です。そのときのことは,今でも忘れることができません。聞いたときには頭の中が真っ白になりました。最初は信じることができませんでした。一週間も二週間も学校に行けず,ただ,ぼーっと過ごしていました。いろんなことを考え,徐々に,「死」というものの悲しさ,つらさ,「死」という意味の重さがわかってきました。そして,時間はかかりましたが,「命は一瞬にして消え,二度と戻ってこないものだ。だから命を大切に,今を大切にしなければならない」と深く受け止めることができるようになりました。そして,周りの子たちは,僕のような経験がないから,「死ね」とか,軽々しく言えるのだろうと思い,この気持ちを伝えなくてはならないと考えました。僕が強くならなくてはと思いました。
 こんな気持ちになったとき,僕には時間がありませんでした。母の実家がある徳島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです。落ち込んでいる暇は無いと思い,学校に行った僕はA君に言いました。「いじめなんかやめろよ。いじめたって喜ぶ人はいないし,悲しむ人がいるだけだろ。自分だってほんとは嫌だろ。『死ね』とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに,言うなよ」と言いました。父親の突然の死,そのあと僕が考えたことも伝えました。
 友だちは,黙って聞いてくれました。僕の言葉にうなずいて,そのあと,K君のところへ行き,「ごめん。言葉の重さも知らずに言って,本当にごめん。ぜったいに死ねなんてことは言わない。そして,いじめは絶対にしない。ほんとうにごめん」とあやまりました。K君はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました。僕も,K君に言いました。
「今まで助けてあげられなくてごめん。」
 K君は笑顔で,「ありがとう」と言ってくれました。今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが,スーっと晴れました。
 今も時々耳にする暴言。冗談半分で言っているのかもしれません。しかし,いつ,いじめにつながるかわかりません。他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう。関係ないふりをしようとする自分がいます。楽な考え方をする自分がいます。そんな時,亡くなった父の顔や,K君の優しい笑顔を思い出します。あの時の自分のように強い気持ちを持とう。「やめろよ」と一言言う。すると,また気持ちがスーっとしてきました。
 父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって,正しいことを素直に認め,悪いことを否定できる強い意志を持つことが目標です。そして何よりも,命を大切に,今を大切にしていきたいと思っています

今日のお話 12月3日(木)

    稲盛和夫名言

  私はいつも、

  「土俵の真ん中で相撲をとれ」

  と言っています。

  土俵ぎわに追いつめられるまで待たず、

  余裕を持っている時に

  必要な行動を起こせ、

  という意味です。

  相撲では、自分の足が土俵ぎわに届いて、

  今にも土俵の外に

  放り出されてしまいそうになるまで、

  何もしない力士を見かけることがあります。

  そうなってから、

  本腰を入れて戦い始めるのです。

  私は、どうして彼らは

  土俵の真ん中にいるうちに、

  その力を発揮しないのかと、

  不思議に思っています。

  ビジネスにおいても同じことです。

  土俵の真ん中にいる時は、

  行動するのに充分な時間と余裕があるので、

  私たちはリラックスしています。

  そして、土俵ぎわまで押し込まれてから、

  慌てて行動を起こすのです。

  私たちは、常に時間も余裕も

  全くないつもりになって、

  実際に押し出されそうになる前に、

  力を振り絞るようにしなければなりません。

  余裕が充分ある段階においても、

  危機感を持ち

  必要な行動を起こすことが大切です。

  これが安定した事業の

  秘訣なのです。

ちょっといい話

岐阜市人権作文より

    「みんなちがって みんないい」 

 「顔面ブス」、「ウザイ」、「気持ち悪い」、「死ねばいいのに」、「最悪」、「シンショウ」、これらは小学校の頃からずっと、私に向けて言われていた言葉の、ほんの一部です。『シンショウ』は、何の事か分からず、友達に聞いたところ、身体障がい者の略語だと教えてくれました。
 言われる度に、とても傷つき、とても悲しくなりました。
 『何でそんな風に人を傷つける言葉を言うんだろう。』、『言われて、私がどう思うか考えないのかな。』と、言われる度に思いました。下校の時、階段で後ろからカバンをけられた事もありました。もし落ちたら…と思うと、ものすごく怖かったです。『私のどこが悪いんだろう。』、『学校に行きたくないな。』、『死んじゃったら、もう言われないかな。』、『どうやったら死ねるかな。』、と思った時もありました。
 今でも言われた事、けられた事を思い出す度、辛くて悲しくて涙が出ます。一生忘れる事ができません。
 でも、私は、生きています。
 それは、母が、祖母が、家族が、先生達が、友達がいてくれたからです。私の話を聞いてくれて、味方になってくれたからです。母が先生に、「こんなにも娘がからかいの対象になるのは、娘に何か悪い所があるからじゃないですか?」と聞いた時、先生がきっぱりと、「いじめは、いじめる方が悪いんです!」と言ってくれました。この一言で、私は強くなろうと思いました。
 それから私は、言われた事、やられた事を、学校ですぐに全て先生に話すようにしました。先生はすぐに相手の子にも話を聞いて、対処してくれます。
 家でも、これ以上心の傷にならないよう、全部話をします。話した後は、心の中にあったもやもやが、とてもすっきりします。明日もまた頑張ろうという気持ちになります。こうして私は、毎日を笑って過ごす事が出来ています。
 金子みすずさんの詩の一つに、『私と小鳥と鈴と』という詩があります。私はこの詩が大好きです。最後の『みんなちがって、みんないい』という一文が、私を認めて応援してくれているようで、大好きです。トカゲやヤモリ、ナナフシが好きな私。さっさと行動するのが苦手な私。小さい子と遊ぶのが好きな私。速く走るのが苦手な私。
 みんなと違う?でも、これが『私』
 人が、お互いに思いやりの心を持って、すべての人が等しく幸せな生活を営むために大事な事、それは、『みんなちがって、みんないい』という事を認めあう事だと、私は思います。
 人は一人一人ちがうものだから。みんな幸せに生きて欲しい。幸せに、生きていきたい。
 『みんなちがって、みんないい』のだから。

今日のお話 12月2日(水)

    稲盛和夫の名言

  夢を持つことを

  恐れてはいけません。

  大胆になるのです。

  夢に酔うことは決して

  罪悪ではありません。

  そこで大事なことは、

  その夢が自分と一緒になって

  働いてくれる人々にとっても、

  またできれば、社会にとっても

  有益なものであるべきだということです。

  そしてもっとも大事なことは、

  「誠実さ」を持つことです。

  ほかの人たちに対してだけでなく、

  自分自身に対しても

  誠実でなければいけません。

  完全に客観的で現実的であるためには、

  誠実でなければならないのです。

ちょっといい話

岐阜市人権作文より

   「言葉は大切」 

 私は、ある経験をして、言葉の大切さを知りました。
 私は、「骨形成不全症」という病気です。この病気は、骨密度が低く骨が弱いため、ふつうの人より骨折しやすい病気です。そのせいで、まだ歩くことができず、車いすの生活をしています。
 まわりの子が、外で元気に遊んでいるのを見ると、
「なんで私だけ歩けないの。」
という気持ちになります。でも、小学校へも校区のみんなと同じ小学校に行きたくて、校長先生にお母さんとお父さんがお願いしてくれたので、行きたかった小学校に入学できました。先生や家族のおかげで、できることだけでもみんなといっしょにできて、とてもうれしいです。
 だけど、私は少しいやな気持ちになる時があります。例えば、校外学習のときなどは、みんな私のことを、
「歩かなくていいからいいな。」
といいます。私は、みんなといっしょに歩きたいのに、そういう事を言われてとても悲しい気持ちになりました。それで、学校へ行きたくないと思うときもあって、お母さんにあたってしまうこともありました。そうしたらお母さんに、
「学校で何かあったの。」
と言われて話すことにしました。話したら少し気持ちが楽になりました。お母さんは、
「困ったときはがまんせずに、先生とかに相談すればいいよ。」
と言ってくれました。そして、次の日先生に相談したら、みんなに言ってくれたので、あまり言われないようになりました。それからは、まわりの子のほとんどが、私が困っているときなどに、
「大じょうぶ。やってあげようか。」
と声をかけてくれたり、手伝ってくれたりするようになりました。また、中で遊ぶときは、私もみんなの仲間に入れてくれるので、とてもうれしいです。
 私は、みんながあたりまえにやっていることが出来ないことがたくさんあります。歩いたり走ったりすることは、みんなはあたりまえでも私はできません。これは私だけでなく、いろいろな障がいのある人だれでも言えることだと思います。スポーツやドッジボールなどをすることも、みんなあたりまえだけど、私はそれが夢です。
 私は、この経験をして、お母さんといろいろな話をしたり、自分でいろいろ考えたりしました。人は、苦手なことと得意なこと、できることとできないことがあります。私は、歩くことはできないけど、勉強などはみんなと同じようにできます。例えば、音楽や算数などは得意でも、社会などが苦手な人もいます。だれでもできることとできないことがあるのに、それを笑ったり、そのことで相手をきずつける言葉は、絶対に使ったりしてはいけないと思います。
 だから、これからは一つ一つの言葉を大切にしていこうと思いました。また、困っていたりなやんでいたりする人には、相談にのってあげたり助けてあげることがあれば、したいと思いました。それと、人の悪口を言ったりしている人がいたら、
「だめだよ。」
と教えてあげられる人にもなりたいです。私が困っていたら、
「だいじょうぶ。」
と言ってくれたとき、とてもうれしくなりました。そのように、私の言葉で少しでも相手を元気にしたり、うれしくなってくれるようなことを言ってあげられたりする人になれたらいいと思いました。

今日のお話 12月1日(火)

    稲盛和夫の名言

  強い思い、情熱は

  成功をもたらします。

  しかし、それが

  私利私欲から生じたものであれば、

  成功は長続きしないでしょう。

  人間にとって何が正しいか

  ということに対して鈍感になり、

  自分だけが良ければよいという方向へ

  突き進み始めるようになると、

  はじめは成功をもたらしてくれた

  その情熱が、やがては

  失敗の原因にもなるのです。

  理想としては、

  「私利私欲を捨て、世のため人のために」

  という形の完全に利他的で

  純粋な願望を持つことが

  一番良いことです。

  ところが、人間にとって、

  生きるための私利私欲は

  自己保存のために

  不可欠なものなのですから、

  それを完全に捨て去ることは

  まず不可能です。

  しかし、一方でその利己的な欲望の

  肥大化を抑制するために、

  努力することが必要となってくるのです。

  せめて、働く目的を「自分のため」から

  「集団のため」へと変えるべきです。

  利己から利他へと目的を移すことにより、

  願望の純粋さが増すことでしょう。

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