最新更新日:2024/07/12 | |
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今日のお話 3月9日
鎌田實の名言
他人のために生きるといっても、 それは1%でいい。 1%だけ誰かのため、 他人のために生きてみるのである。 一生懸命、他人のために生きようとすると どこかで無理が生じて、 結局、長続きしない。 1%でいいと思うから、 無理なく自然に続けることができる。 児童に対する犯罪の未然防止対策 3月8日
愛知県警察本部生活安全部子ども女性安全対策課より「児童に対する犯罪の未然防止対策」の資料をいただきました。
ご家庭でもご活用ください。 http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018... 今日のお話 2月26日
鎌田實の名言
人のためになることをすると 自分も元気になるんです。 生きるのが楽しくなる。 そういう醍醐味は、 やっぱり仕事じゃないと 味わえない。 だから仕事って、 本当にすごいと思うんですよ。 ちょっといい話 2月25日
泣ける映画と本のホームページより
■ 森山直太朗「夏の終わり」の意味 掲載 父のオバが近所に住んでいて、おばあちゃんと呼んでた。私や兄をとても可愛がってくれていて、母もおばあちゃんのことを悪く言うこともなく慕っていた。私が結婚・妊娠した頃に、おばあちゃんの癌が見つかりベッドで過ごす日が続いた。 森山良子さんのファンで音楽を聴いていたので、そのつながりで森山直太朗のアルバムを貸したら「夏の終わり」が気に入ったようだったので、少しでも元気になればとシングルをプレゼントした。おばあちゃんはすごく喜んで、毎日のように聴いていたらしい。 それからしばらくして、おばあちゃんは亡くなった。葬式の後、おばあちゃんの娘さんが遺品を整理するという名目で、母と私がお茶のみに誘われた。遺品を見つつ娘さんが、泣きながら思い出を始めた。 おばあちゃんの旦那さんは、おばあちゃんが妊娠中に太平洋戦争で兵隊に取られ、一度沖縄から手紙が来たっきり行方不明。今も遺骨が見つかっていないとのこと。生活のために、夫が戦争で亡くなったと届出を出したものの、旦那さんがいつ帰ってきてもいいように服や布団をきちんと用意して駅や家の玄関には特に注意を払っていたとか。再婚話があっても断わっていたそうだ。 私は今年たまたま森山直太朗のコンサートに行く機会があり、「夏の終わり」が戦争のことをテーマにしていると知って涙が止まらなくなった。歌詞の内容がおばあちゃんと重なり、どんな気持ちで何十年と旦那さんを待っていたかと思うと切なくなった。 あの世でおばあちゃんが旦那さんと逢えていて欲しい。 今日のお話 2月25日(木)
鎌田實の名言
面倒をかける人がいて、 面倒をみる人がいる。 どちらも大切な存在なのだ。 命を支えるということは、 命を支えられることなんだと 気がついた。 ちょっといい話 2月24日(水)
泣ける映画と本のホームページより
■ ディズニーランドへの手紙 TDLにこんな手紙が届いたそうです 4月24日、余命幾ばくもない娘を貴地にて大変お世話になりました。突然のお便りをお許し下さい。その四日前(4月20日)、「あと、数日の命」と医師から話がありました。2歳の時に行ったディズニーランドの写真を持ってきてほしいとのことで娘に見せると、2歳の時の記憶が残っているものなのかと思いながら、その時の話をするとじっと見つめているばかり…。その目は確かに「できることならばもう一度行きたい」と訴えていました。 担当医に話すと”ウーン”とうなったまま答えが出ない程です。「ディズニーランドまで行くには危険すぎる。かと言って、このままベッドの上だけで死期を待たせるのも人間としてかわいそうで……」とのこと。私たちの判断に一任することになりました。一晩よくよく考えました。途中の死も覚悟の上の決行でした。しかし幸運にも、あのように行きたかったディズニーランドで大切な1日を過ごすことができました。押し寄せてくるガン末期独特の痛みをモルヒネで殺しながらの1日でしたが、娘のおだやかな顔、痛みを忘れさせてくれたミッキーマウスレビュー、シンデレラ城、そして最後のパレード見学、娘美里にとって、それは、人生の最期に最も輝ける想い出になりました。 交通渋滞に巻き込まれることもなく、無事、病棟に戻った時には、病棟中の看護婦さん、先生が出迎えてくれました。「ミーちゃん、おかえり」の大合唱です。 このことがあったからでしょうか。それより1カ月以上も生きのびることができました。 5月30日、4時24分、ディズニーランドの想い出と自分の目で選んだおみやげを胸に 永眠いたしました。 貴地における数々のご協力と温かい思いやりがあったからこそと感謝の気持ちでいっぱいです。貴地を訪れた日付の数字と、永眠した時刻の数字がピッタリと言うのも偶然のことではない気がします。色々なイベントやすばらしい色彩のファンタジーランドは、私達たちにすてきな想い出を残してくれましたが、私には皆様方の暖かいお気持ちが、それ以上のすてきな贈り物であったと思います。最後に駐車場まで送っていただいたガードの女性が「またディズニーランドに来て下さい」と娘に言ってくれました。私は「この娘はもう二度と…」と言うと、彼女は「事情は聞いておりますが、私たちはぜひまた、美里ちゃんがディズニーランドを訪れてくれることを願っています。がんばって下さい」との言葉でした。 ディズニーランドは確かに子どもや大人にも夢をあたえてくれるところです。しかし、私はもっとそれ以上にすてきなものをあたえてくれたところだと、今でも、溢れる気持ちを抑えることができません。今、お骨の横には娘の形見のミニーちゃんの腕輪等々が並んでいます。生涯、それらの形見の品を見るたびに、4月24日、ディズニーランドを訪れた時のことを思い出すでしょう。私も、主人も、長男も……。そして、逝ってしまった娘も。 皆様のますますのご活躍をお祈りいたしております。本当にお世話になり、ありがとうございました。おそくなりましたが、お礼申し上げます 今日のお話 2月24日(水)
鎌田實の名言
大事なのはその人の人生で、 ぼくの人生ではないということ。 その人が生きやすいように、 生きたいように生きていくこと。 それを支援していくことが 大事なんだと思う。 ちょっといい話 2月18日(木)
泣ける映画と本のホームページより
母ちゃんの弁当 玉子焼き 母ちゃんの弁当はぐちゃぐちゃだったなぁ……。人に見せられる代物じゃなかった。玉子焼きなんかさ、ほんと見栄がわりいんだな。でもさ、うめえんだよ、これが。 母ちゃん、おととい死んじゃった。もう、食えないんだよ。見栄がわりぃ最高の玉子焼き。いっつも母ちゃんに怒られてた。社会人になっても実家に帰るたびに、「汚いGパン履いて、生意気に髭なんか生やして、私に近づかないで」なんて言ってたんだ……。 でも、東京に帰るときにはあの玉子焼きが入った弁当を作ってくれたんだ。もう……。あの味食えないのかよ。 今日のお話 2月18日(木)
鎌田實の名言
人生は地図のない旅 とよくいわれているが、 所々に道しるべが置かれている。 それぞれの人生のなかに、 命の道しるべの経験があると思う。 ちょっといい話 2月17日(水)
泣ける映画と本のホームページより
子育てって、イイっ 結婚する時、「家事にノータッチ&週末は1人外出だけどいい?」って条件で合意を得られて結婚。登山やスキーに狂ってたんでね。 っが!子ども生まれたらメロメロになってしまった。週末、子どもと過ごす時間が楽し過ぎるっっ!!!!もう、それが人生の楽しみと言うか、子育てが人生の目標。夕食時に2人の子どもは「明日、パパはお休み?」が合い言葉。「明日は仕事なんだぁ」っと言うと、涙ぐむ子ども達。(父ちゃん辛いよぉ)。 仕事をしないとお金がもらえないから、ご飯が買えないし、 おやつやオモチャ、パフェも買えないよ、と説明したら、真剣に聞いていた。数日後、いつものように出社する自分を玄関先まで見送りにでる家族一同、バイバイと言ったら、何故か息子が目に涙一杯。 で、なんだかモジモジ。いつも以上に悲しそうなので、「どうした?」っと聞いても答えず涙をポロポロ。後ろに何か隠し持っているので、覗き込んだら貯金箱。「僕、お小遣い貯めたよ!パパは仕事行かなくてイイよ!一緒に遊ぼう!」と涙で訴える息子。出社前に胸が一杯になって泣きそうになった(ってか泣いた)。そんな金じゃ何のたしにもならないけれど、「凄い!パパは今日早く帰ってこれるぞ!」と言って出社。 爆速で仕事を終わらせ、平日でも夕食を家族で食べられた。 子育てって、イイっ。 ベルマーク運動 2月17日(水)
今日、広報委員会の子どもたちがベルマーク運動について発表してくれました。
□ベルマーク運動の目指すもの 「すべての子どもに等しく、豊かな環境のなかで教育を受けさせたい」。ベルマーク運動は、そんな願いをこめて1960年に始まりました。PTAなどのボランティアで生み出された資金(ベルマーク預金)で学校の設備や教材をそろえ、さらに国の内外でハンディを背負いながら学んでいる子どもたちに援助の手を差し伸べます。 マーク集めから始まるだれでも気軽に参加できるボランティアです。 約842万世帯のPTAと、共鳴する企業や地域の人たちに支えられて助け合いの輪は大きく広がっています。 ベルマーク運動は、PTAと企業(協賛会社と協力会社)、そしてベルマーク財団がスクラムを組んで進めています。 □ 仕組みと流れ 「自分たちの学校づくり」と「お友達への教育援助」。ベルマーク運動には、2つの機能があります。自分たちの学校のためにマークを集めることが、自然にへき地学校や開発途上国のお友達の役にも立つ仕組みなのです。「協賛会社」が商品に付けているマークを登録参加のPTAや公民館などが集め、整理・計算して財団に送ると1点が1円に換算されてベルマーク預金になります。 その預金で、自分たちの学校に必要な設備・教材が「協力会社」から購入できます。すると、その購入金額の10%が自動的にベルマーク財団に寄付され、さまざまな教育援助活動に使われます。 □ 集める 2000種類以上の商品にマークがついています。ふだんの買い物で自然に集まるはずです。 日ごろから「ベルマーク一覧表」をチェックし、見落としたり、間違って捨てたりしないよう注意しましょう。 ご家庭でも、子どもたちの活動を支援していただけると……。ご協力をお願いいたします。 今日のお話 2月17日(水)
鎌田實の名言
よく考え、よく生き、 よく死ぬとき、 不器用だが手ごたえのある生が、 見えてくるような気がする。 ちょっといい話 2月16日(火)
泣ける映画と本のホームページより
■ 親孝行したくなるコピペ 1 母親とつまらない事でケンカした。つまらない事なのに、凄い暴言を吐いてしまった。一人暮らし中の私は、そのまま自分の家に帰って母から電話が掛かっても、絶対に出なかった。3日経ってやっと頭が冷え、自分のバカさ加減に情けなくなり「謝らなきゃ・・・」と思うようになった。とはいえ、直接電話するのも躊躇う。卑怯かもしれないけど、謝りのメールを母に送る事にした。 『この前はごめんなさい。』 これが精一杯の言葉。10分後、母からメールが返ってきた。ドキドキしながら見ると、件名には『アホな娘へ』と書いてある。もっとドキドキしながら本文に目をやると『アホやね お母さんは怒ってませんよ(^0^)夜ご飯食べにおいで 待ってます』 子どもの時みたいにボロボロ泣いてしまったよ・・・ 登校許可の報告書(インフルエンザ) 2月16日(火)
「登校許可の報告書」は、右下の「学校からのお知らせ文書」にアップしました。
今日のお話 2月16日(火)
鎌田實の名言
正しいことをしていると、 後から必ず 風が吹いてくるもんなんです。 □ 鎌田實プロフィール 東京都杉並区出身の医師、著述家。東京医科歯科大学医学部を卒業後、赤字で経営が傾いていた長野県茅野市の諏訪中央病院に就任。ボランティアで地域の人たちに健康づくりの生活指導を始めるなど、「住民とともに作る地域医療」の最前線で活躍し、1988年に同病院院長に就任。また、チェルノブイリ原子力発電所被曝事故の患者の治療やベラルーシ共和国の放射能汚染地帯への医師団の派遣、イラクの小児病院への薬の贈与や難民キャンプでの診察など、国際的な活躍でも知られる。 2009年にベスト・ファーザーイエローリボン賞-学術・文化部門受賞、2011年に日本放送協会放送文化賞受賞。 ちょっといい話 2月13日(土)
泣ける映画と本のホームページより
俺の決意表明(俺の憧れたカッコいいオヤジ) 32歳の医師です。嫁も医者です。最近生活が荒んでいて、離婚を考えていますが、そんなことはどうでもいいです。 もともと医師を目指したのは父親の影響でした。いつもカッコよく、いつも厳しく、いつも優しい父が大好きでした。外来で患者さんに対して「どうしました?」の一言から始める診察が好きでした。俺が医学部に入ってからは、夜間の診療の手伝いなんかもしてました。そのたびに「オヤジすげえ、いつかは俺もオヤじみたいに・・・」なんて思っていました。 ほどなく俺も医師になり、医師叩きブームを乗り越えつつなんとか医師として生きてきました。オヤジを目標に生きてきました。まあ、クレーマー患者から神経を削り取られている毎日ですけど。そんなある日、母から電話がかかってきました。「なんか、お父さんがおかしいんやけど・・・。」 実家に帰り、オヤジの様子をみてみることにしました。オヤジは、自分の席にいて新聞を読んでいました。俺の姿に気づくと、オヤジはハッとした表情になり、姿勢を正してこう言いました。「どうしました?」 全てを悟った俺は涙を堪えることができませんでした。そんな俺を見て、オヤジは泣いている患者さんに接するように「うん、うん、きつかったねえ」と優しい口調で声をかけてくれました。 俺が憧れた医師としてのオヤジは、記憶の中だけなのかもしれません。けど、これからは父としてのオヤジを大切にしていこうと思います。 以上、俺の決意表明でした。 今日のお話 2月13日(土)
養老 孟司の名言
人間にとって100%のことことは、 死ぬこと以外にには一つもないのです。 何もどうせ「死ぬんだから」と 投げやりになるということではありません。 恐る恐る生きる必要もない。 ただ、常に覚悟を心にもって 生きるということです。 不確定な未来に 軸足を置くのではなく、 今という時間に軸足を置くこと。 今日という日、 目の前の小さな命に 心を寄せることです。 楽田小学校で使用した青果物の産地 1月 2月12日(金)今日のお話 2月12日(金)
養老 孟司の名言
人間を構成している成分は 約1年で90%入れ替わる。 人間は川のように流れ移り変わる。 本当の自分など存在しない。 ちょっといい話 2月10日(水)
泣ける映画と本のホームページより
いってきます もう20年位前の話です。私は小さい頃親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず施設に預けられ、育てられました。そして、3歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです。当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、その親を本当の親と思って中学2年まで過ごしてきました。そして、突然の父との別れが訪れました。脳梗塞で帰らぬ人になりました。そして、その最悪の時に私とその親は家族ではないということを親戚の方から偶然にも知ってしまったのです。葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当の事を聞きました。 その時を境に、私は母を嫌いになりました。死んだ父でさえも嫌いになりました。多分、裏切られたとか思ったんでしょう。元々家が裕福ではありませんでした。ですから父が死んでしまったので、母が働きに出ざるを得ませんでした。母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました。それもこれも全て、私のためのものでした。ですが当時の私にはそれすらもうっとうしく思えてなりませんでした。時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なってしまい、友達と登校していた私は、ボロボロになった母と家族であるということを友達に知られたくなく、「いってらっしゃい」と言う母を無視しては友達に、「誰あれ、気持ち悪いんだけど」という悪口すら言っていたものでした。それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、足早に私とすれ違っていきました。でも、それでも、母は何1つ文句をいわず働いてくれていました。そんな日が1ヶ月くらい続いたと記憶しています。 そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました。当然無言です。その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです。涙が溢れました。ぐしゃぐしゃに泣きました。私は一体何をしているのか。ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました。 私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました。でも、何を言っていいかわかりませんでした。その時、ふと口をついた言葉が「いってきます」でした。言えた言葉はたったそれだけでした。でも、母は一瞬驚き、そして泣きました。そして、何度も何度も「いってらっしゃい」と言ってくれました。私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って「いってらっしゃい」と言ってくれていました。 今では、彼女こそが本当の私の母親です。たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています。恩は返しきれないくらいあります。母は「それが親の勤めだよ」と言いますが、でも、じゃあ今度は子として親の面倒を見ていきたいです。この人が母親で、最高に良かったと思います。 |
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