最新更新日:2024/06/21 | |
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ちょっといい話 2月18日(木)
泣ける映画と本のホームページより
母ちゃんの弁当 玉子焼き 母ちゃんの弁当はぐちゃぐちゃだったなぁ……。人に見せられる代物じゃなかった。玉子焼きなんかさ、ほんと見栄がわりいんだな。でもさ、うめえんだよ、これが。 母ちゃん、おととい死んじゃった。もう、食えないんだよ。見栄がわりぃ最高の玉子焼き。いっつも母ちゃんに怒られてた。社会人になっても実家に帰るたびに、「汚いGパン履いて、生意気に髭なんか生やして、私に近づかないで」なんて言ってたんだ……。 でも、東京に帰るときにはあの玉子焼きが入った弁当を作ってくれたんだ。もう……。あの味食えないのかよ。 今日のお話 2月18日(木)
鎌田實の名言
人生は地図のない旅 とよくいわれているが、 所々に道しるべが置かれている。 それぞれの人生のなかに、 命の道しるべの経験があると思う。 ちょっといい話 2月17日(水)
泣ける映画と本のホームページより
子育てって、イイっ 結婚する時、「家事にノータッチ&週末は1人外出だけどいい?」って条件で合意を得られて結婚。登山やスキーに狂ってたんでね。 っが!子ども生まれたらメロメロになってしまった。週末、子どもと過ごす時間が楽し過ぎるっっ!!!!もう、それが人生の楽しみと言うか、子育てが人生の目標。夕食時に2人の子どもは「明日、パパはお休み?」が合い言葉。「明日は仕事なんだぁ」っと言うと、涙ぐむ子ども達。(父ちゃん辛いよぉ)。 仕事をしないとお金がもらえないから、ご飯が買えないし、 おやつやオモチャ、パフェも買えないよ、と説明したら、真剣に聞いていた。数日後、いつものように出社する自分を玄関先まで見送りにでる家族一同、バイバイと言ったら、何故か息子が目に涙一杯。 で、なんだかモジモジ。いつも以上に悲しそうなので、「どうした?」っと聞いても答えず涙をポロポロ。後ろに何か隠し持っているので、覗き込んだら貯金箱。「僕、お小遣い貯めたよ!パパは仕事行かなくてイイよ!一緒に遊ぼう!」と涙で訴える息子。出社前に胸が一杯になって泣きそうになった(ってか泣いた)。そんな金じゃ何のたしにもならないけれど、「凄い!パパは今日早く帰ってこれるぞ!」と言って出社。 爆速で仕事を終わらせ、平日でも夕食を家族で食べられた。 子育てって、イイっ。 ベルマーク運動 2月17日(水)
今日、広報委員会の子どもたちがベルマーク運動について発表してくれました。
□ベルマーク運動の目指すもの 「すべての子どもに等しく、豊かな環境のなかで教育を受けさせたい」。ベルマーク運動は、そんな願いをこめて1960年に始まりました。PTAなどのボランティアで生み出された資金(ベルマーク預金)で学校の設備や教材をそろえ、さらに国の内外でハンディを背負いながら学んでいる子どもたちに援助の手を差し伸べます。 マーク集めから始まるだれでも気軽に参加できるボランティアです。 約842万世帯のPTAと、共鳴する企業や地域の人たちに支えられて助け合いの輪は大きく広がっています。 ベルマーク運動は、PTAと企業(協賛会社と協力会社)、そしてベルマーク財団がスクラムを組んで進めています。 □ 仕組みと流れ 「自分たちの学校づくり」と「お友達への教育援助」。ベルマーク運動には、2つの機能があります。自分たちの学校のためにマークを集めることが、自然にへき地学校や開発途上国のお友達の役にも立つ仕組みなのです。「協賛会社」が商品に付けているマークを登録参加のPTAや公民館などが集め、整理・計算して財団に送ると1点が1円に換算されてベルマーク預金になります。 その預金で、自分たちの学校に必要な設備・教材が「協力会社」から購入できます。すると、その購入金額の10%が自動的にベルマーク財団に寄付され、さまざまな教育援助活動に使われます。 □ 集める 2000種類以上の商品にマークがついています。ふだんの買い物で自然に集まるはずです。 日ごろから「ベルマーク一覧表」をチェックし、見落としたり、間違って捨てたりしないよう注意しましょう。 ご家庭でも、子どもたちの活動を支援していただけると……。ご協力をお願いいたします。 今日のお話 2月17日(水)
鎌田實の名言
よく考え、よく生き、 よく死ぬとき、 不器用だが手ごたえのある生が、 見えてくるような気がする。 ちょっといい話 2月16日(火)
泣ける映画と本のホームページより
■ 親孝行したくなるコピペ 1 母親とつまらない事でケンカした。つまらない事なのに、凄い暴言を吐いてしまった。一人暮らし中の私は、そのまま自分の家に帰って母から電話が掛かっても、絶対に出なかった。3日経ってやっと頭が冷え、自分のバカさ加減に情けなくなり「謝らなきゃ・・・」と思うようになった。とはいえ、直接電話するのも躊躇う。卑怯かもしれないけど、謝りのメールを母に送る事にした。 『この前はごめんなさい。』 これが精一杯の言葉。10分後、母からメールが返ってきた。ドキドキしながら見ると、件名には『アホな娘へ』と書いてある。もっとドキドキしながら本文に目をやると『アホやね お母さんは怒ってませんよ(^0^)夜ご飯食べにおいで 待ってます』 子どもの時みたいにボロボロ泣いてしまったよ・・・ 登校許可の報告書(インフルエンザ) 2月16日(火)
「登校許可の報告書」は、右下の「学校からのお知らせ文書」にアップしました。
今日のお話 2月16日(火)
鎌田實の名言
正しいことをしていると、 後から必ず 風が吹いてくるもんなんです。 □ 鎌田實プロフィール 東京都杉並区出身の医師、著述家。東京医科歯科大学医学部を卒業後、赤字で経営が傾いていた長野県茅野市の諏訪中央病院に就任。ボランティアで地域の人たちに健康づくりの生活指導を始めるなど、「住民とともに作る地域医療」の最前線で活躍し、1988年に同病院院長に就任。また、チェルノブイリ原子力発電所被曝事故の患者の治療やベラルーシ共和国の放射能汚染地帯への医師団の派遣、イラクの小児病院への薬の贈与や難民キャンプでの診察など、国際的な活躍でも知られる。 2009年にベスト・ファーザーイエローリボン賞-学術・文化部門受賞、2011年に日本放送協会放送文化賞受賞。 ちょっといい話 2月13日(土)
泣ける映画と本のホームページより
俺の決意表明(俺の憧れたカッコいいオヤジ) 32歳の医師です。嫁も医者です。最近生活が荒んでいて、離婚を考えていますが、そんなことはどうでもいいです。 もともと医師を目指したのは父親の影響でした。いつもカッコよく、いつも厳しく、いつも優しい父が大好きでした。外来で患者さんに対して「どうしました?」の一言から始める診察が好きでした。俺が医学部に入ってからは、夜間の診療の手伝いなんかもしてました。そのたびに「オヤジすげえ、いつかは俺もオヤじみたいに・・・」なんて思っていました。 ほどなく俺も医師になり、医師叩きブームを乗り越えつつなんとか医師として生きてきました。オヤジを目標に生きてきました。まあ、クレーマー患者から神経を削り取られている毎日ですけど。そんなある日、母から電話がかかってきました。「なんか、お父さんがおかしいんやけど・・・。」 実家に帰り、オヤジの様子をみてみることにしました。オヤジは、自分の席にいて新聞を読んでいました。俺の姿に気づくと、オヤジはハッとした表情になり、姿勢を正してこう言いました。「どうしました?」 全てを悟った俺は涙を堪えることができませんでした。そんな俺を見て、オヤジは泣いている患者さんに接するように「うん、うん、きつかったねえ」と優しい口調で声をかけてくれました。 俺が憧れた医師としてのオヤジは、記憶の中だけなのかもしれません。けど、これからは父としてのオヤジを大切にしていこうと思います。 以上、俺の決意表明でした。 今日のお話 2月13日(土)
養老 孟司の名言
人間にとって100%のことことは、 死ぬこと以外にには一つもないのです。 何もどうせ「死ぬんだから」と 投げやりになるということではありません。 恐る恐る生きる必要もない。 ただ、常に覚悟を心にもって 生きるということです。 不確定な未来に 軸足を置くのではなく、 今という時間に軸足を置くこと。 今日という日、 目の前の小さな命に 心を寄せることです。 楽田小学校で使用した青果物の産地 1月 2月12日(金)今日のお話 2月12日(金)
養老 孟司の名言
人間を構成している成分は 約1年で90%入れ替わる。 人間は川のように流れ移り変わる。 本当の自分など存在しない。 ちょっといい話 2月10日(水)
泣ける映画と本のホームページより
いってきます もう20年位前の話です。私は小さい頃親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず施設に預けられ、育てられました。そして、3歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです。当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、その親を本当の親と思って中学2年まで過ごしてきました。そして、突然の父との別れが訪れました。脳梗塞で帰らぬ人になりました。そして、その最悪の時に私とその親は家族ではないということを親戚の方から偶然にも知ってしまったのです。葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当の事を聞きました。 その時を境に、私は母を嫌いになりました。死んだ父でさえも嫌いになりました。多分、裏切られたとか思ったんでしょう。元々家が裕福ではありませんでした。ですから父が死んでしまったので、母が働きに出ざるを得ませんでした。母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました。それもこれも全て、私のためのものでした。ですが当時の私にはそれすらもうっとうしく思えてなりませんでした。時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なってしまい、友達と登校していた私は、ボロボロになった母と家族であるということを友達に知られたくなく、「いってらっしゃい」と言う母を無視しては友達に、「誰あれ、気持ち悪いんだけど」という悪口すら言っていたものでした。それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、足早に私とすれ違っていきました。でも、それでも、母は何1つ文句をいわず働いてくれていました。そんな日が1ヶ月くらい続いたと記憶しています。 そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました。当然無言です。その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです。涙が溢れました。ぐしゃぐしゃに泣きました。私は一体何をしているのか。ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました。 私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました。でも、何を言っていいかわかりませんでした。その時、ふと口をついた言葉が「いってきます」でした。言えた言葉はたったそれだけでした。でも、母は一瞬驚き、そして泣きました。そして、何度も何度も「いってらっしゃい」と言ってくれました。私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って「いってらっしゃい」と言ってくれていました。 今では、彼女こそが本当の私の母親です。たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています。恩は返しきれないくらいあります。母は「それが親の勤めだよ」と言いますが、でも、じゃあ今度は子として親の面倒を見ていきたいです。この人が母親で、最高に良かったと思います。 今日のお話 2月10日(水)
養老 孟司の名言
本当に好きなら苦労はいとわない。 苦労が苦労ではないからである。 苦労したくないなら、 結局それほど「好きではない」のである。 ちょっといい話 2月9日(火)
泣ける映画と本のホームページより
親孝行したくなるコピペ もし、貴方の命で死の床に伏した母を救えるとしたら、どうしますか? と聞いてきた友達がいたんだがどうだろうか?自分の命を捧げてまで母を助けられるのだろうか? たった今、リアルにカーチャンに聞いたところ 「どの世界に子どもの命を引き換えに長生きしたいなんて母親がいる?」 と真正面から顔を見てハッキリ言われた。 鳥肌が立ったよ。 今日の給食 2月9日(火)
今日の給食は、「牛乳、香り米入りご飯、ホキの揚げ煮、白菜のおかか和え、すまし汁」でした。
今日は、5年生が育てた香り米を入れて業者にご飯を炊いてもらいました。香り米とは、普通米に比べて数倍から数十倍も香りをもつ玄米です。インド、パキスタン、タイなどの海外で多く栽培されていて、日本でも古くから食べられていました。香り米といえば、粒の形状が長いものが一般的ですが、犬山の香り米は、短い粒に品種改良され、食べてもおいしいことが特徴です。 給食の写真、撮り忘れました…… 今日のお話 2月9日(火)
養老 孟司の名言
一歩を踏み出さなきゃ、 好きかどうかも分からない。 ちょっといい話 2月8日(月)
泣ける映画と本のホームページより
ねーちゃんの残したもの 大学受験まっただ中の冬休み、シャーペンの芯が無くなった俺は、春に嫁に行ったねーちゃんの部屋の机を漁っていた。ねーちゃんのシャーペンの芯はBだった。「そういえば、旦那も濃い顔してたな」とか思いながら、シャーペンの芯と、メモにでも使えそうなレポート用紙を持ち出して、俺はまた勉強を始めた。あれは夜中の2時頃だっただろうか、英語のリスニングの為に予備校で売りつけられたぼったくりCDをデッキにセットし、ねーちゃんの部屋から持ち出したレポート用紙を開く。 そこになにかが書いてあった。 裕太(俺)へ 何だか気恥ずかしくて、あんたには何も言えずにお嫁に行くので、いつかあんたが見付ければいいかと思って書いておきます。小さい頃、泣き虫でお姉ちゃんの後ばかりついて来てた裕太。学校の図工の時間に作った粘土の写真立てを私にくれた事覚えてますか?ホントに嬉しくて大切にしようと思っていたのに、彼氏にふられた時、中の写真と一緒に燃やしてしまってごめんなさい。思春期に入って、あんまり家族と話もしなくなった裕太に、大人になったんだなとうれしくもあり、寂しくもありました。裕太は家では突っ張っているけれど、私は裕太が優しい子だと知っています。もう少し大人になったら、お姉ちゃんの気持ちもわかるようになるかな。私がお嫁に行っても裕太は私の大切な弟です。辛い事、悲しい事があったら何でも相談してね。お金の事以外ならきっと力になれると思います。 それじゃ、体に気を付けて。父さん母さんをよろしくね。 追伸:お前、何勝手にひとの机漁ってるの。 今日のお話 2月8日(月)
養老 孟司の名言
壁は全て、 自分が作っている。 ちょっといい話
泣ける映画と本のホームページより
谷川俊太郎の人生相談に感動 以下、日刊イトイ新聞より……。 読者の皆さんから届いた質問に谷川さんが毎日ひとつづつ答えます。 【質問6】 どうして、にんげんは死ぬの?さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。(こやまさえ 六歳) 追伸:これは、娘が実際に 母親である私に向かってした質問です。目をうるませながらの質問でした。正直、答えに困りました〜。 ■ 谷川俊太郎さんの答え ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、「お母さんだって死ぬのいやだよー」と言いながらさえちゃんをぎゅーっと抱きしめて一緒に泣きます。そのあとで一緒にお茶します。 あのね、お母さん、ことばで問われた質問に、いつもことばで答える必要はないの。こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、ココロもカラダも使って答えなくちゃね。 |
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