最新更新日:2024/05/25
本日:count up14
昨日:106
総数:666190
令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 10月21日(水)

利ちゃんのちょっといい話

   「お母さんのテープ」 

 俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。そしたら……。
 病室のベットの上にお母さんがうつってた。
 「〇〇ちゃん20歳のお誕生日おめでとう。なにも買ってあげれなくてゴメンね。お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になっているでしょうね。今頃、大学生になっているのかな?もしかして結婚してたりしてね……」
 10分くらいのビデオテープだった。
 俺、泣いた、本気で泣いた。次の瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
 みんなにバカにされるくらい勉強した。
 俺が1浪だけどマーチに合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。そんで、20歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。また、よく見てみたら。 ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。お母さんは、笑いながら「情けないわねぇ」なんて言ってるんだ。
 俺、また泣いちゃったよ。父親も辛かったんだろうな。親父にそのこと言ったら、知らねーよ、なんて言ってたけど、就職決まった時、親父が「これでお母さんに怒られなくて済むよ」なんていってた。
 俺、このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

 お父さん、お母さん、ありがとうございます。

 ※マーチ:明治、青学、立教、中央、法政の頭文字を取った関東有名私大

今日のお話10月21日(水)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言

  「自分はこうなりたいなぁ」と、

  1年に1度しか思わない人と、

  1ヵ月に1度思う人では当然、

  1ヵ月に1度思う人の方が目標に近づきます。

  それでは1ヵ月に1度しか、

  目標を思い出さない人と、

  1週間に1度思い出す人とでは、

  どちらが目標を達成するかと言えば、

  1週間に1度思い出す人です。

  では、もっと目標を達成する人は、

  どういう人かというと、

  毎日思い浮かべる人なのです。

10月21日(水) 朝

 今日は、教育実習の先生の授業、3年3組のパクパク弁当が予定されています。

 夜には、オリオン座流星群のピークだそうです。

□ オリオン座流星群は、どんな流星群?
 オリオン座流星群の母彗星はハレー彗星で、約1ヶ月にわたって長〜く活動する流星群です。全流星群の中で速度が2番目に速く、明るい流星や痕を残す流星が多く見られるのが特徴です。見頃となる21日(水)は24時頃月が沈むため、月明かりの心配なく流星観測を楽しめます。
□ いつ見える?
 出現期間は、10月2日から11月7日で、ピークは10月21日(水)夜から22日(木)早朝です。
□ どこに見える?
 放射点を見つけるのに目印になるオリオン座は、22時頃に東の地平線から昇り始め、深夜に空高くに昇ってきます。放射点は、オリオン座のほんのわずか左に位置しています。流星群観測の祭は、放射点を中心にして全天を眺めるようにしてお楽しみください。
  
画像1 画像1
画像2 画像2

ちょっといい話 10月19日(月)

利ちゃんのちょっといい話

    中国からの留学生

 日本の大学に来て1年足らずという、20歳の中国人留学生がわが社のアルバイト募集を見てやってきた。背筋を伸ばし、日本語も上手で敬語などは日本の学生顔負けだ。好感が持てたので、その場で採用を決めた。
 私の会社は、ビルなどの掃除作業を主にやっている。採用の翌日から彼は毎日、自分で弁当を作って早朝から他の社員と一緒に働いた。ある日、市立公園の公衆トイレの洗浄作業があり、彼ともう一人の若い社員が行くことになった。アルバイトを始めて日も浅いのに、トイレ清掃は大丈夫だろうかと少し心配になったので様子を見に行った。清掃中のトイレをのぞくと、床を夢中で磨いている彼の姿が目に映った。すると、彼が顔をあげて、笑顔で「おはようございます」とあいさつしてきた。1人で日本に来て、働きながら学ぶにはつらいこともたくさんあるだろう。ましてこの日の作業はきれいな仕事ではない。それなのにこの笑顔は何だろう。そのすがすがしさに、思わず涙が出そうになった。
 「頑張ってね」と声をかけ、その場を後にしたが、黙々と作業をしていた姿を、その素晴らしい笑顔は忘れられない。
 
                 読売新聞・2000・4・20

今日のお話 10月20日(火)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言

  最近、私は多くのクライアントと会話をしていて、

  よく感じることがあります。

  それは、世の中の多くの人が、

  「I want」を見失っているということです。

  最近の時代の流れからか、

  夢や目標を紙に書いている人も、

  多くなってきました。

  でも、その目標が書いてあるから、

  「I want」で生きているのかと言うと…、

  それはNOなのです。

  いい人や勉強熱心な人ほど、

  ここでワナにはまります。

  ズバリ、聞きます。

  あなたが「I want」と思っていることは、

  実は「You want」「He want」「○○ want」

  ではありませんか?

  あなた自身が、

  いつもガマンばかりの中を生きていたり、

  「これが○○の喜ぶことだから」

  と無意識に自分の「I want」ではなく、

  他人の「want」で自分の人生を、

  支配されているのです。

  あなた自身が心の底から、

  求めているのなら良いのですが、

  自分は楽しめていなかったり、

  心の底から「want」と思っていないのに、

  「これが、自分のI wantだ」と思っていたら、

  それはいずれあなたを苦しめ、

  行動渋滞を引き起こします。

  「親のため」「顧客のため」「社会のため」の前に、

  「自分のため」という、

  あなたの「I want」を、

  掘り起こすことが大切なのです。

  本当の自分自身の「want」があってこそ、

  他の人のことも考え、

  他の人のためになれるのです。

ちょっといい話 10月19日(月)

利ちゃんのちょっといい話

   「生命の暗号」から

 「人はみな隠れた能力(潜在能力)をもっている。ほとんどの人は遺伝子がONではなく0FFになっているが、何かの原因で遺伝子がONになると潜在能力を発揮して大きな仕事が出来る。
 遺伝子をONにする有効な方法は次のように考える。
 心のもち方を変えること、環境を変えることです。物事をつねに前向きにとらえるプラス発想、強い信念、目標意識をもつ、エゴを抑えて利他的な生き方をする、感動する、感謝の気持ちをもつなど……。遺伝子というと生まれつき固定された不動のものというイメージが強いが環境次第、心のもちようで、いくらでも「生まれつき」は変えられます。
 潜在能力という点では天才と凡人の間のには殆ど差がない。自分の中に内在する無限に近い可能性のスイッチをONにする、「遺伝子を目覚めさせる」生き方を心がけることが必要です。
 人間はいくつになっても、自分の才能を開花させる能力をもっています。あることをやろうという情熱と実行力があり心のもち方を変えれば可能性はゼロではありません。それを阻害するのは「もうダメだ」という気持ちだけです」

   筑波大学名誉教授、村上和雄(遺伝子工学の世界的な権威) より

今日のお話 10月19日(月)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言

  私がセミナーやコンサルティングをするときに、

  「夢」の話をすると、多くの人が、

  「大きな目標」を口にしようとします。

  でも、大きな目標は夢ではありません。

  目標は目標なのです。

  夢とは、あなたの心がワクワクするものです。

  夢に、大きいも小さいもありません。

ちょっといい話 10月16日(金)

利ちゃんのちょっといい話

 「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」2

 山田康文くんは1960年奈良県桜井市に生まれました。山田家の次男で体重は2,700グラム、家族は大喜びでした。しかし生後12日目から熱が続き黄疸が出てきました。乳首を吸う力がなくお母さんは異常に気づき奈良県立医科大学の門をくぐりました。精密検査の結果は脳性マヒでした。難産で康文くんの脳が酸素欠乏を起こしたか、脳内出血したかが原因でした。お母さんの京子さんは万一を願い数々の病院を廻りました。ハリ、指圧の治療、あらゆる治療法を行いました。宗教団体にも入信しました。 しかし康文くんの症状はいっこうに良くなりませんでした。お母さんは康文くんと一緒に死ぬことを考えました。しかし死を押しとどめたものは家族ぐるみの愛と康文くんの生きる意欲でした。
 康文くんは8歳の時、奈良の明日香養護学校に入学しました。不自由児のための特殊学校で、康文くんも母子入学でした。康文くんは明るい子でクラスの人気者になりました。
 1975年4月には体の不自由な子供達が集う「タンポポの会」が「わたぼうしコンサート」を開き、康文くんの詩が披露されました。このコンサートはテレビ、ラジオでも取上げられ森昌子さんが康文くんの詩を歌いました。このコンサートのあと、康文くんは突然天国に行ってしまいました。窒息死でした。横になって寝ていたとき、枕が顔を覆ってしまったのです。お母さんは毎日泣き通しでした。康文くんの死後、お母さんの京子さんは「たんぽぽの家」の資金集めに奔走し、兄の英昭さんは脳性マヒの治療法を研究するため医大に進みました。
 平成12年1月、七尾市にある願正寺の住職で書道家の三藤観映さんが康文くんの詩を読み感動して筆を取りました。金沢市で開催された「現代美術展」に出展した三藤さんの作品は多くの人に感動を与えました。今から30年ほど前の詩が三藤さんの書によって多くの人の感動を呼び、絶版になっていた『お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい』が25年ぶりに復刊しました。康文くんの先生で、この本の著者の向野幾代さんは復刊にあたって「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』なんて、言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。
 『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、知的障害になったり・・・健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。だから康文くんたちは私たちの先輩。世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」と・・・

参考「お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい」 向野幾代著、扶桑社

今日のお話 10月16日(金)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言

  成功しようと思ったら、

  やらないといけないことは、

  たくさんあります。

  自分をしっかりと節制することも、

  必要になるでしょう。

  でも、もし「must」「should」で自分自身が、

  がんじがらめになってしまったとき、

  力を発揮できるでしょうか?

  そこに「should」と「must」しかなかったとき、

  そこには理性でやり遂げようという、

  忍耐強さしかありません。

  大事なことは「should」や「must」の、

  何倍も何十倍も大きな「I want」を感じることなのです。

地域の方より 10月15日(木)

 地域の方から電話をいただきました。

 「楽田小学校の通学路は、細い割に車の交通量が多い。子どもたちの登下校、事故等には十分気をつけてほしい」

 という内容でした。お電話でご指摘をいただいたように、通学路といえども危険な場所がたくさんあります。

 ご家庭でも、交通安全についてご指導をお願いします。

ちょっといい話 10月15日(木)

利ちゃんのちょっといい話

 「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」1

 「母への感謝を綴った詩に涙」というタイトルで石川県に住む主婦、高崎千賀子さんの投書が新聞に掲載され感動の輪が広がっています。
 「美術館なんて趣味に合わないし、書道なんてつまらない・・・」という女子高生の一団の言葉が、美術館でボランティア監視員をしていた私の耳に入り、思わず口にしてました。「あそこにお母さんのことを書いた書があるの。お願いだからあの作品だけは読んでいって」と・・・。女子高生たちは不承不承、私の指した書を鑑賞しました。すると一人がすすり泣き、そこにいた生徒全員が耐え切れずに、泣き出したのです。その書は生まれたときから母に抱かれ背負われてきた脳性マヒの人が、世間の目を払いのけて育ててくださった、強いお母さんへの感謝の気持ちを綴った詩でした。「今の健康と幸福を忘れていました」と高校生たちは話し、引率の先生方の目もうるんでいました。
 この詩の作者は山田康文くん。生まれた時から全身が不自由で書くことも話すことも出来ない。養護学校の向野先生が康文くんを抱きしめ投げかける言葉が康文くんのいいたい言葉の場合はウインクでイエス、ノーの時は康文くんが舌を出す。出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで1ヶ月かかったという。気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。そしてその2ヶ月後、康文くんは亡くなりました。

      ごめんなさいね おかあさん
      ごめんなさいね おかあさん
      ぼくが生まれて ごめんなさい

      ぼくを背負う かあさんの
      細いうなじに ぼくはいう 
      ぼくさえ 生まれなかったら
      かあさんの しらがもなかったろうね

      大きくなった このぼくを 
      背負って歩く 悲しさも
      「かたわな子だね」とふりかえる 
      つめたい視線に 泣くことも
      ぼくさえ 生まれなかったら

      ありがとう おかあさん
      ありがとう おかあさん
      おかあさんが いるかぎり
      ぼくは生きていくのです

      脳性マヒを 生きていく
      やさしさこそが 大切で
      悲しさこそが 美しい 
      そんな 人の生き方を
      教えてくれた おかあさん

      おかあさん
      あなたがそこに いるかぎり

                (山田康文)

今日のお話 10月15日(木)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言

  なぜ、子供は明日は朝からテストだというのに、

  テレビゲームをやめることができないのでしょう?

  なぜ、太っている人は、

  食べる量を減らせばやせられると、

  わかっているのに、

  やせることができないのでしょう?

  なぜ、パチンコ好きな人は、

  タバコ臭くて大音響で居心地悪いはずの、

  パチンコ屋に朝から夜中まで、

  入り浸っているのでしょう?

  答えは簡単です。

  「欲求をガマンできないから!」です。

  ガマンできない欲求は、

  人を強烈に突き動かすのです。

  ガマンできない欲求は、

  理性で抑えつけられません。

  ガマンできない欲求は、

  どんな逆境や困難でも克服し、

  行動してしまいます。

  逆に言えば、このぐらい強烈な「欲求」がなければ、

  小さな壁や困難に出会ったら、

  行動することをやめてしまいます。

□ 今村 暁(いまむら さとる) プロフィール
 メンタルリスクマネジメント株式会社&アシスト株式会社の代表取締役を務める経営者、経営コンサルタント、教育者。 北海道大学の法学部を卒業後、日本長期信用銀行に就職し、その後独立。 独自の「習慣教育」「感性教育」をモットーに、数多くの企業コンサルティングや人材育成を行っている。また、学習塾「アシスト」の元カリスマ塾長としても知られている。

ちょっといい話 10月9日(金)

利ちゃんのちょっといい話

 「プールを歩いて渡った少女」

 読売新聞の「窓」という欄に掲載されたお話です。 広島市の女子高校生のA子さんは,小児マヒが原因で足が悪い女の子でした。A子さんが通う高校では、毎年7月のプール解禁日に、クラス対抗百メートル水泳リレー大会をしています。男女2名ずつがそれぞれ25メートル泳ぐ競技です。A子さんのクラスでこの大会の出場選手を決めていた時、女子1名がどうしても決まりませんでした。
 早く帰りたいクラスのボスは「A子はこの3年間、体育祭、水泳大会に1度も出ていない。最後の3年目なんだから、お前が参加しろ」といじわるなことを言い出しました。A子さんは誰かが味方すると思ったけれど、女生徒は何か言えば自分が泳がされると思い、みんな口をつぐんでいます。男子生徒もボスのグループに憎まれたくないから、何も言いませんでした。そして、結局泳げないA子さんが選手になったのです。
 彼女は家に帰り、お母さんに泣きながら訴えました。するとお母さんは「お前は来春就職して、その会社で何かできない仕事を言われたら、また泣いて私に相談するの?そしてお母さんがそのたびに会社に行って、うちの子にこんな仕事をさせないでくださいって言いに行くの?」そう言ってすごく怒り、A子さんを突き放しました。
 A子さんは部屋で泣きはらし、25メートルを歩いて渡る決心をし、そのことをお母さんに告げに行きました。するとお母さんは仏間で「A子を強い子に育ててください」と、必死に仏壇に向かって祈っていました。
 水泳大会の日、水中を歩くA子さんを見て、まわりから笑い声やひやかしの声が響きました。彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時、1人の男の人が背広を着たままでプールに飛び込み、A子さんの隣のコースを一緒に歩き始めたのです。高校の校長先生でした。「何分かかってもいい、先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。恥ずかしいことじゃない、自分の足で歩きなさい」そういって励ましてくれたのです。
 一瞬にしてひやかしや笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援し始めました。長い時間をかけて彼女が25メートルを歩き終わった時、友達も先生も、そしてあのボスのグループもみんな泣いていました。

   読売新聞社記者、大谷昭宏氏の話
      『夢の卵の孵し方・育てかた』仲田勝久著、致知出版社より

今日のお話 10月9日(金)

    泉正人の名言

  成功者を見ていると、

  間違いなく勉強をしている。

  勉強をしていない人など、

  いないと言っていい。

ちょっといい話 10月8日(水)

利ちゃんのちょっといい話

 100人の村のお話『ある学校の先生が生徒に伝えた話です。』

 もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・
57人のアジア人 21人のヨーロッパ人 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます
52人が女性です  48人が男性です 
70人が有色人種で  30人が白人
70人がキリスト教以外の人で  30人がキリスト教
6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています
もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、
相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、
そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら…
あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら…
あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら…
あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら…
あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら…
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら…
それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。
なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。
わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。
           K.Leipold 作 ・  なかのひろみ  訳

楽田小学校で使用した青果物の産地(9月) 10月8日(木)

楽田小学校で使用した青果物の産地(9月)をアップしました。  

http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 10月8日(木)

    泉正人の名言

  チャンスはどこにでもあるけど、

  準備ができていなければ、

  つかむことはできないよ。

ちょっといい話 10月7日(水)

利ちゃんのちょっといい話

   「わが母中村久子」 中村富子

 明治30年(1897)、高山市に生まれた中村久子(幼名ひさ、〜1968)は、3歳の時、しもやけが元で突発性脱疽(とっぱつせいだっそ)にかかり、両手両足を切断しました。それでも久子は、想像を絶する苦難を乗り越えて、針や編み物、教養を身につけます。そして結婚し、子を産み育て、力強く生き抜きました。そのほんの一端を、高山市にご健在の次女・富子さんのお話を交えて紹介します。
 幼少の頃、久子は母あやから着物の糸ほどきをするよう命じられ、苦心の末、ハサミを口でくわえ、糸を切ることができるようになりました。これをきっかけに、工夫を重ねることで、裁縫や編み物、書き物から、箸を使ってご飯を食べるといったことができるようになっていきます。どれも、口や頬と肩先に残った腕を使っての、血のにじむような努力の末のことです。また、学校に行けなかった久子は、祖母ゆきの元に預けられた2年間に百人一首や古今集などの文学に親しみ、教養を身につけます。「母は『一番楽しかったのは、ばば様と暮らした2年間だった』と、ことあるごとに申しておりました」と。
 大正5年(1916)19歳になった久子は自分の力で生きていくため、見せ物小屋で芸人として働く決意をし、高山から旅立っていきます。久子は「ダルマ娘」の名で針や書を実演し、やがて一座の中心になります。北は北海道から、南は台湾、さらに朝鮮、満州まで巡業を続けます。結婚・出産も巡業生活の中でのことでした。しかし、一度ならず夫に先立たれ、また一児を亡くします。そうした過酷な運命を久子は前向きにとらえ、二人の娘を育てます。
 「厳しい人でした。私が口答えでもしようものなら、短いゲンコツのような手で殴られましたから。また優しい人でもありました。女学生時代のことです。私はやんちゃだったので、先生が母宛に手紙を書き送ったんです。そしたら母は、興行先の朝鮮から義足を付けて3日間かけて学校に来てくれたんです。一人ではトイレに行けませんから、ずっと飲まず食わずで。先生との話を終えた後に『しばらくね、元気?』とニコニコして言うんです。ちっとも叱りはしない。ショックでした。怒鳴られたほうがどれほど気が楽だったか。あれほどこたえたことはありません」
 昭和17年(1942)に22年間の芸人生活に終止符を打ち、各地で講演を行います。そこでは自分の生い立ちとともに、人々への感謝の気持ちを語りました。あくまでも自立を目指し、国からの援助も受けなかった久子の言葉だけに説得力があり、障害者のみならず多くの不幸な境遇にある人々に勇気と希望を与えました。
 久子はこんな歌を残しています。
  あかときに 見しゆめはしも
  友と二人 荒野をかける
  吾れに足あり
 「母の死後に改めてこれを見たとき、母がいちばん欲しかったのは足だったんだなあと思いました。今でも時々、もう一度あの大きな声で叱られたい、ひっぱたかれたいって思います」
 昭和12年(1937)、久子はヘレン・ケラー女史と会見する機会に恵まれます。女史は久子にこう言いました。「私より不幸な人、私より偉大な人」と。久子の生涯を知るにつけ、この言葉が今改めて響いてきます。
               Heart of Japan Gifu Winter 1999

今日のお話 10月7日(水)

    泉正人の名言

  人のためになるサービスを提供していたら

  自然とお金はついてくるものだよ。

  サービスとは「他利」で

  「自利」は自分の利益のことだろう。

  他利を考えている人は成功する。

  逆に、相手から奪うことばかり考えている

  自利的な人間は成功しないよ。

ちょっといい話 10月6日(火)

利ちゃんのちょっといい話

   「ホ・オ ポノポノ」

 ハワイに州立病院があり、そこに大勢の心神喪失の犯罪者が収容されていました。殺人、レイプ、強盗等々といった犯罪は、精神的な病と深くつながっています。そういった犯罪者は、一般の刑務所ではとても管理しきれません。そこでハワイ州立病院が、手に負えない彼らをまとめて引き受けていたのです。やっかいなこうした犯罪者をまとめて収容したこの病棟では、囚人同士の喧嘩やトラブルが相次ぎ、いつも危険極まりない状態にありました。彼らを病棟に自由に野放しにしておいては、それこそ殺人すら起こりかねません。そこで囚人が動けないようにと、手かせ&足かせをし、また大量の薬物を投与することでなんとか管理していたようです。
精神病院の閉鎖病棟がそうであるように、囚人たちをついには廃人とせしめ、そのまま静かに死んでくれることを願っていたのかもしれません。そんな病棟に勤務することは、誰にとっても嫌なことだったからでしょう、職員たちは頻繁に病欠し、心理カウンセラーたちも数ヶ月で職を辞しました。その病棟に入るときは、頭の狂った囚人たちから攻撃されることを恐れ、多くの人々は、壁を背にして恐る恐るにじり寄るほどだったと言います。それくらいこの病棟は恐れられており、訪問者もほとんどありませんでした。
 誰もが近寄りたくないと思っているその病院の心神喪失犯罪者の病棟に、心理カウンセラーであるヒューレン博士が赴任しました。しかしヒューレン博士は、彼ら囚人の誰一人とも全く会わず、カウンセリングも一切することがありませんでした。ヒューレン博士は、ただオフィスに座って囚人たちのファイルを見ていただけです。しかし、時が経つにつれ、その病棟に徐々に変化が出始めてきました。まず、囚人に投与されていた薬物が徐々に減り始め、囚人たちが勝手に動けないようにとはめられていた手かせ足かせも外されるようになり、さらに囚人たちには、病棟内を自由に散歩することが許されるようになりました。これはそれまでにない、まさに劇的で画期的な変化でした。それどころか、それまでは「廃人化→死」の一方的な囚人エスカレーターが、なんと、心身の健康を回復して退院する囚人までもが現れ出したのです。もちろん職員や心理学者たちも、日を追ってどんどん明るくなっていきました。そしてその数年後、その囚人病棟からはすべての囚人が退院して一人もいなくなり、現在では、すでに閉鎖されてしまっているということです。そこではいったい、何が起こったのでしょうか。ヒューレン博士は、いったい何をしたというのでしょう。何が極悪な囚人たちを正常化し、かつ健康を回復させてくれたのでしょうか。
 ここからホ・オ ポノポノ の話が始まっていくのですが、結論から簡潔に言ってしまえば、ヒューレン博士は、囚人の個人情報が記録されているファイルを開いて、次の4つの言葉を、たえず一人で語っていたに過ぎないのです。すなわち、
 I love you. (愛してます)
 I’m sorry. (すみません)
 Please forgive me. (どうか赦(ゆる)してください)
 Thank you. (ありがとうございます)
 ヒューレン博士は、囚人とは誰一人として会いませんでした。誰とも面談せず、カウンセリングせず、ただ一人で言葉を繰り返すことにより、すべての囚人たちの心の闇を消し去って、まっとうな人間に戻したのでした。
 以上は決して作り話などではなく、実際にハワイの州立病院で起こった事実です。そしてこの情報がインターネットであっという間に広がり、日本でも「ホ・オポノポノ・ムーブメント」が一気に広がっているわけです。
  『ガン呪縛』を解く」の著者 稲田芳弘氏のメルマガより引用


  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29          
犬山市立楽田小学校
〒484-0858
住所:愛知県犬山市字城山97番地
TEL:0568-67-1005
FAX:0568-69-0335