最新更新日:2024/05/25
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 11月4日(水)

利ちゃんのちょっといい話
 
    失ったものを嘆くより、残されたものに感謝を

 著者は、ある講演の終了後、一人のご夫人の訪問を受けました。彼女は、丸山さんの話を聞いて感動したこと、勇気が出たことを伝えにきたのでした。そのことを伝えた後に、このご婦人は「先生、私、こっちの耳が聞こえないんです」という話をします。先生は、ハンデに対して理解があるだろう、耳の聞こえない人の立場をわかってくれるだろう、との思いで打ち明けた話でした。それに対して、丸山さんは厳しい言葉だと承知の上で、強い口調で「お引取りいただけますか」と言いました。
 やり取りの後、丸山さんは言いました。なぜ、「私、こっちの耳は聞こえるんです」と言ってくれないのかと。そうすれば、「ああ、それはよかったですね。どちらかの耳が聞こえればそれで十分ですよ。そっちの耳が聞こえて本当によかったですね」って言うことができるし、私だってハッピーな気持ちになれます、と。
 ご婦人は、その言葉を聞いて、「丸山先生、私、こっちの耳は聞こえるんです・・・。こっちの耳は聞こえるんです・・・」と、キラキラした瞳、すばらしい表情で言ったそうです。「私、こっちの耳が聞こえないんです」と言ったときの暗い沈んだ表情は、すっかり消え去っていました。失ったものより、残されたものを大切にしましょうじゃありませんか。持っていないことに対して不満を言う前に、持っているものに感謝しようじゃありませんか。
 “事実”をどう“解釈”するかが、あなたの人生を決めるのです。

今日のお話 11月4日(水)

    押井守の名言

  勝負を諦めた時こそが、勝負に負けるときだ。

  勝負を続けている限りは、負けは確定しない。

  勝ったり負けたりしながら、人生は続いていく。

  ただ、勝負を続けていくうちにだんだん勝負勘はついてくるし、

  くだらない失敗はしなくなってくる。

  スキルが上がってくるからだ。

今日のお話 11月2日(月)

    押井守の名言

  才能という言葉を人はよく口にする。

  才能だけでやっていける天才という人も、

  何億人かにひとりくらいはいるかもしれない。

  レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロはそうだったのだろう。

  しかし、やはりそれは極めて稀にしか現れない特異な現象であって、

  僕もあなたも、少なくともそんな天才ではなさそうだ。

児童虐待防止推進月間

 11月は、児童虐待防止推進月間です。
 また、「児童虐待防止推進月間」の標語が、
 「もしかして」 あなたが救う 小さな手【左見津 真美さんの作品】
 に決まりました。
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ちょっといい話 10月30日(金)

利ちゃんのちょっといい話
 
       「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝

 ニュースを見ていると毎日毎日悲惨な話が耳に入って来ます。何事もないありふれた毎日が続いているのは、いくつもの奇跡の積み重ねの結果なのかもしれません。
 冷静に考えてみてください。子どもが学校に行って、家に帰ってくるのは奇跡なのです。学校への登下校の途中で交通事故に遭うかもしれない。何か不測の事態に巻き込まれこともあるかもしれない。思いもしないことで命を失う人が多い中、「ただいま!」と元気に家に戻ってくること自体が、まさしく奇跡。親子も一期一会のご縁なのです。当たり前のことが、当たり前のようにあることに「ありがたさ」を見出すのは難しいかもしれません。でも、「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝、なんて言葉もあります。
 大切なのは「生きていてくれてありがとう」という気持ちをいつも忘れずに持ち続けることなのです。生きて再び会えること。それは紛れもない奇跡なのですから。物質的には何不自由ない今の日本で、同じような悲しい事件が何度も繰り返されるのは、きっと多くの日本人が幸せではないからなのでしょう。
 当たり前にある目の前の幸せに気づくことなく、「足りない」ことばかりに意識を向け、それを満たすために奔走する人たち。そこに真の幸せを見つけることは難しいように思いますね。
   丸山浩路著 「本気で生きよう!なにかが変わる」より

菊 10月30日(金)

 自然・工作クラブの子どもたちが植え替え等をした菊が、大輪の花を咲かせました。
 今日夕方、搬出します。
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今日のお話 10月30日(金)

    押井守の名言

  僕が若者に言えるのは

  「いまの自分は何者でもないし、平凡な人間なのだ」と

  まずは気がつくことが重要だということだ。

  本来の意味での可能性はむしろ、

  そう気づいたところからはじまる。

  漠然とした幻想ではなく、

  本当に自分がやりたいことを見据え、

  そのためにいま自分がやるべきことは何かを

  見定めることから、やり直すべきだ。

登下校について 10月29日(木)

 登下校について連絡をさせていただきます。
 地域の方から、楽田小学校の子どもたちの登下校について
1 道いっぱいに広がって登下校している
2 通学班がばらばらになっている
などの電話をいただきました。
 楽田小学校区の通学路は、交通量も多く、危険な場所がたくさんあります。子どもたち自身が交通安全に気をつけるとともに、ご家庭でも安全についてご指導をお願いします。
 また、毎日安全に登下校できるようにスクールガード・保護者・地域の皆様にご協力をしていただいています。

 感謝の気持ちを忘れずに……


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ちょっといい話 10月29日(木)

天明研究室ホームページより

   「みっちゃん」 

 みっちゃんは中学に入って間もなく白血病を発症し、入退院を繰り返しながら、厳しい放射線治療に耐えていました。間もなくみっちゃんの頭髪は薬の副作用ですべて抜け落ちてしまうのです。それでもみっちゃんは、少し体調が良くなると「学校へ行きたい」といいました。不憫に思った医師は家族にカツラの購入を勧め、みっちゃんはそれを着用して通学するようになりました。
 ところが、こういうことにすぐに敏感に気づく子どもたちがいます。皆の面前で後ろからカツラを引っ張ったり、取り囲んで「カツラ、カツラ」、「つるつる頭」とはやし立てたり、哀しいいじめが始まりました。担任の先生が注意すればするほど、いじめはエスカレートしていきました。見かねた両親は「辛かったら、行かなくってもいいんだよ」と言うのですが、みっちゃんは挫けることなく毎日学校に足を運びました。(中略)
 つらいいじめの中でも頑張って学校に通ったのは「友達を失いたくない」という一心からでした。2学期になると、クラスに1人の男の子が転校してきました。その男の子は義足で、歩こうとすると身体が不自然に曲がってしまうのです。この子もまた、いじめっ子たちの絶好のターゲットでした。ある昼休み、いじめっ子のボスが、その歩き方を真似ながら、ニタニタと笑って男の子に近づいて行きました。またいじめられる、誰もがそう思ったはずです。ところが、男の子はいじめっ子の右腕をグッと掴み、自分の左腕と組んで並んで立ったのです。そして「お弁当は食べないで、1時間、一緒に校庭を歩こう。」、毅然とした態度でそのように言うと、いじめっ子を校庭に連れ出し、腕を組んで歩き始めました。
 クラスの仲間は何事が起きたのかしばらくは呆然としていましたが、やがて1人、2人と外に出て、ゾロゾロと後について歩くようになったのです。男の子は不自由な足を1歩踏み出すごとに「ありがとうございます」と感謝の言葉を口に出していました。その声が、仲間から仲間へと伝わり、まるで大合唱のようになりました。みっちゃんは黙って教室の窓からこの感動的な様子をみていました。
 次の日、みっちゃんはいつも学校まで車で送ってくれる両親と校門の前で別れた直後、なぜかすぐに車に駆け寄っていきました。そして付けていたカツラを車内に投げ入れると、そのまま学校に向かったのです。教室に入ると、皆の視線が一斉にみっちゃんに集まりました。しかし、ありのままの自分をさらす堂々とした姿勢に圧倒されたのでしょうか、いじめっ子たちはあとづさりするばかりで、囃し立てる者は誰もいませんでした。
 「ありがとう。あなたの勇気のおかげで、自分を隠したり、カムフラージして生きることの惨めさがわかったよ」。みっちゃんは晴れやかな笑顔で何度も義足の男の子にお礼を言いました。しばらくすると、クラスに変化が見られ始めました。みっちゃんと足の不自由な男の子を中心として、静かで穏やかな人間関係が築かれていったのです。
 みっちゃんに死が訪れたのはその年のクリスマス前でした。息を引き取る直前、みっちゃんは静かに話しました。「私は2学期になってから、とても幸せだった。あんなに沢山の友達に恵まれ、あんなに楽しい時間を過ごせたことは本当の宝でした」と。
 (文学博士 鈴木秀子さんの「人生を照らす言葉」から)

今日のお話 10月29日(木)

    押井守の名言

  世間をなめてかかってはいけない。

  僕は世の中を甘く見ていた。

  世間というものは怖いもので、

  なめてかかると必ず痛い目に遭う。

  当時の僕が、まさにそれだった。

【覚書き:自分が作りたいようように作った作品がヒットし、他人に評価されなくても自分の好き勝手に映画を作ればいいんだと錯覚し、その次の作品で大失敗した時のことを振り返っての発言】
 

ちょっといい話 10月28日(水)

天明研究室ホームページより

    「1人1秒のプレゼント」 

      (アイエスエフネットの渡邉社長から伺ったお話しです)

 マサと呼ばれている男の子がいた。マサは右足が不自由でいつも足を引いていた。だけど体育の授業にもサッカーの練習にも参加するがんばり屋である。
 運動会が近づき、クラス対抗リレーの練習が始まった。そんなある日、マサがしょんぼりして職員室にきて担任の太田先生に「僕、クラス対応リレーには出ません」と言う。黙っているマサを説得して、理由を聞き出すと、マサはクラスの一部の子達が「マサがいる限り僕らのクラスは一等になれっこない」と話しているのを偶然に聞いてしまった。そこで先生に「僕はやめる。僕が走ると負けるから」と言いに来たのだった。翌朝、太田先生はクラスのみんなにマサが、リレーに出ないと言っていることと、その理由を説明し、最後に「リレーはみんなが力を合わせることが素晴らしいんだよ。大切な友達を、傷つけて、優勝したって何がうれしいの」と、問いかけた。
 すると一人の男の子が立ち上がって、こう叫んだのだ。「マサ走れよ。クラスのみんなが1人1秒ずつ速く走れば、38人で38秒速く走れる。そうしたら勝てるぞ」その日から子どもたちは、それは、必死になって、スタートからバトンタッチの練習をする。
 そして、運動会の当日、マサは歯を食いしばって、自分の距離を走り抜いた。クラスのみんなも、マサに1秒をプレゼントするために必死で走る。よそのクラスは転ぶ子がいたり、バトンを落とすミスも出て、なんとマサのクラスに優勝が転がりこんだ。
 太田先生は涙の向こうの子ども達の笑顔が、まぶしくて仕方がなかった。
 (「ありがとうを伝えたい」〜もう一度人を信じたくなる60の話 第二章より)

今日のお話 10月28日(水)

    押井守の名言

  ほとんどの人は、

  才能などとは縁のない場所で一生を過ごすことになる。

  天才の身でない我々は、情熱を持ち続けることしか、

  この世を渡っていく術がないのだ。情熱さえあれば、

  貧乏も苦難も乗り越えられるだろう。

  金や名声を追っていけば、

  それが失われたとき人は堕落する。

  だが、自分の美学と情熱があれば、

  富と名誉に煩わされることなく生きていける。

ちょっといい話 10月27日(火)

利ちゃんのちょっといい話

  「ボランティアをやらせていただきます」 2(毎日新聞より)

□ 工藤 良さん
 福岡県田川市出身。02年4月の暴走族を解散、ボランティア団体「GOKURENKAI」を結成。25歳

 1歩間違えたら命を失っていた。ダンプカーを運転中に路肩が崩れ、土手を転げ落ちた。腰の骨にひびが入る大けが、2ヵ月半の入院中、ベッドの上で考えた。「神様に背中を押されている。生かしてやるから、思い切ってやれることをやれ、と。よし、仲間たちとボランティアをやろう」。約1年前の決心だった。
 両親が離婚した小学2年の時から荒れ始め、中学2年で地元の暴走族「極連会」に入った。18歳で総長。20人近くを従え、暴走や傷害事件を繰り返した。23歳の時に覚せい剤使用で逮捕され、拘置所で初めて自分を振り返った。「恨まれるようなことしかしていない。そう思うと、気がおかしくなりそうだった」
 仲間たちにも暴走族をやめてほしかった。でも、人にものを言える立場かと思うと、何も言い出せない。すがるような思いで座禅を組んだ。冬山に登り、滝にも打たれた。「悩んでいても仕方がない。何かをしよう」。そう思えるようになった直後の事故だった。「人のためにみんなで力を合わせ、胸を張ってできることをしたかった」
 今、約40人の仲間とごみ拾いや福祉施設の慰問をする。自動車工の仕事にも就いた。そんな体験を青春メッセージ全国大会で語りかけた。
 4歳の長女利蘭ちゃんをあやしながら言う。「現実から逃げないでほしい。それがまじめに生きることだと思う」


今日のお話 10月27日(火)

    押井守の名言

  残念ながら人は誰も、

  生まれてくる時代と場所を選べない。

  僕らはどんなに苦しくても、

  この時代を生きていかなければならない。

□ 押井守のプロフィール
 日本の映画監督、脚本家。東京芸大教育学部美術教育学科卒。アニメーションに実写映画の手法を大胆に取り入れた監督として知られ、多くのファンを持つ映画監督。『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』でジャパニメーションの代表的な監督として海外で知られるようになる。東京経済大学コミュニケーション学部客員教授なども務めている

ちょっといい話 10月26日(月)

利ちゃんのちょっといい話

  「ボランティアをやらせていただきます」 1
 
 昨年の4月に、先輩や後輩と共にボランティア団体『GOKURENKAI』を結成しました。現在、地元の学校行事に参加したり、ゴミ拾いなどの環境整備、障害者施設の手伝いなどをしたりと、活動を続けています。自分達がいろんな人に認められている、必要とされているという満足感と言いますか心地よさを感じています。何と言っても仲間の生き生きとした笑顔に囲まれて行う活動が気持ちがいいです。
 実は、自分たち、元々暴走族『極連会』として活動していました。それが今、どうしてこんな活動をしているのかを振り返ってみたいと思います。小学校の時、母親が夜の仕事に就いていた為、幼い弟の面倒を見ながらの留守番がとても寂しかったと強く印象が残っています。2年生の頃には両親が離婚し、本当につらく思いました。ただ、今では兄貴のように慕っている先輩との出会いがその頃にありました。よく可愛がって貰い、親父の代わりのようにも思えていました。その兄貴は、当時中学で突っ張っていてとても僕には格好よく見えました。その人に憧れ、真似ばかりしていました。
 中学生になり、暴走族に入れた事は自分にとっての唯一の誇りでした。親が夜居ない事や弟が大きくなった事、そして同じ臭いのする仲間が沢山できた事で、毎日のように遊んでいました。仲間の温かさが心地よく、みんなで生き生きと何かに打ち込むことが楽しかったのです。ただ、夜だと、どうしても悪いことになってしまいました。そして18歳で極連会の総長になり、誰にも止められなくなりました。
 21歳の時、結婚し子供も出来ました。しかし、「悪さ」はエスカレートし、今思い出しても、ぞっとするくらいの日々を送っていました。仲間を同じ道に引きずり込み、自分色へと染め、地元をぼろぼろにしていったのです。そして、警察のお世話になりました。拘置所では、今までの自分を振り返り、自分を責め追いつめていきました。髪の毛が抜けるくらい考え地獄にいるような心地でした。
 「兄貴、そして仲間に同じ道を歩ませてはいけない。地元を元に戻さなくては」と思いました。しかし、その為には自分の真面目な姿を見せるしか自分を信じてもらえる方法はないと思い、自分を変える為に必死に努力しました。現実はなかなか厳しいものがありました。そのとき支えてくれたのが嫁さんと娘でした。こんな自分に我慢をして、ついてきてくれた嫁さんには本当に感謝していますし、娘が可愛くてたまりません。また、神様にもすがる思いで神仏を信じ、神社やお寺に出かけ自分の精神を鍛える為の修業もしました。
 2年ほどたち、頑張ってきた自分の中に自信が生まれてきました。そこで思いついたのがボランティアです。また、みんなで一緒に何かに打ち込みたい。どうせするのなら胸を張って出来ることがしたい。仲間に話すのは今だと思い、自分の思いを先輩後輩一人一人に打ち明けて廻りました。その頃、仲間たちは将来に不安を感じていたと思います。自分の思いに、すぐに応えてくれました。そして昨年の4月に地元を元に戻す組織、ボランティア団体『GOKURENKAI』を結成することが出来ました。
 活動を通じて様々な人とのつながりも出来ました。自分たちを応援してくれる、おばあちゃんたちは後援会を作ってくれました。「ぜひ、私の個展を手伝ってもらいたい」と電話を掛けてくれた沖縄の障害をもった画家さん、そして地元の皆さん、田川署の皆さん。本当にに感謝しています。正直なところ、初めはみんなついて来てくれるだろうかという不安もありましたが、活動を重ねるごとに、ボランティア自体を楽しく感じ始めている仲間の姿が本当に嬉しく、また励みにもなっています。
 自分は、これまで地獄のような苦しみを味わって来ました。後輩たちに同じ思いは絶対にさせたくありません。これからも、どんなことがあっても、くじけずに、みんなで力を合わせて頑張っていきたいと思います。

今日のお話 10月26日(月)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言 4つ

□ 自分の未来は、自分で創造できる。

□ あなたのやりたいことの7割は、今できる。

□ 愛情と信頼が根底になければ、

  人をしつけたり、

  教育することはできない。

□ 人間はしょせん60兆個の細胞からなっていて、

  どの人も99.9%一緒。

ちょっといい話 10月23日(金)

ニュースより

    「1人だけは嫌だろうと思って……」 

 9月25日、宮古島市のマティダ市民劇場で行われた宮古高校の合唱祭。あるクラスの35人がサングラス姿で登壇し、尾崎豊さんの「15の夜」を熱唱しました。見た目だけでなく、尾崎さんをまねてセリフを語る指揮の男子生徒のパフォーマンスもあって、会場は盛り上がりました。子宮頸がんワクチン接種後に苦しんでいる女子生徒は「みんなと歌って超楽しかった。楽しい思い出がつくれてよかった」と振り返ります。
 女子生徒は中学2年生だった2011年に子宮頸がんワクチンを接種。次第に頭痛や虚脱感といった異変があらわれ始め、高校に入ってからは手足のしびれなどで倒れ、保健室に運ばれることが増えました。体調不良や入院もあって、なかなか学校へ通えなくなり、登校できても保健室で過ごすことが多くなりました。光に対しても敏感になり、学校でもサングラスが手放せません。
 宮古高校では毎年、体育祭、文化祭、合唱祭のどれかひとつを順番で開催しています。今年は合唱祭の年。当初、女子生徒は欠席するつもりでしたが、クラスメートに誘われて練習から参加しました。放課後の練習を終えた後、「サングラスで本番出るのは嫌だな」とこぼすと、隣にいた別の生徒が「じゃあ、みんながサングラスで出たらいいんじゃない」と声をかけました。すると周りの生徒たちも「いいね、曲の雰囲気に合ってるし」と応じました。でも、女子生徒はためらいました。「きっとサングラスつけたくない人もいるはず。それに、持ってない人は買わなきゃいけない。私のために無理しないで。」そう話すと、仲間たちはこう返してくれました。「大丈夫だよ。合唱祭終わったら絶対に『やってよかった』ってなるから。」
 これを受け、担任の女性教諭は学内で事情説明に回りました。「私がしたことはこれだけ。女子生徒を練習に誘ったのも、サングラスをつけようと動いたのも、ぜんぶ生徒たち。リーダーがいるわけでもなく、おとなしいと思っていた生徒たちですが、しっかり成長していました」
 両親や祖父母から借りるなどして、当日は全員がサングラスを持参。登壇すると一瞬どよめいたものの、曲が終わると会場は大きな拍手に包まれました。本来、保護者は観覧できませんが、女子生徒の母親は特別に許可をもらって様子を見ていました。体はつらそうでしたが、笑顔を絶やさない我が子。終わった後、クラスメートと握手しながら、こう声をかけられていました。
 「ありがとう、おかげで一つになれた。最高のクラスになったね」
 その言葉を聞いた女子生徒は「この一言で、大変だったことが全部チャラになった」と思ったそうです。
 合唱祭をやり遂げたクラスには次の目標があります。「みんなで一緒に卒業する」。女子生徒は今日も闘っています。

withnews 10月21日(水)7時0分配信
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今日のお話 10月23日(金)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言

  多くの人は過去や未来のことばかり考え、

  今の自分の感情を無視します。

  自分の感情は変わるのです。

  無理に同じことを思い続けることこそが、

  自分に嘘をついています。

  自分の心に嘘をついたまま、

  昔の夢や目標を追い求めようとしても、

  それはなかなか実を結ばないのは当然です。

  もし、自分の頭の中が堂々巡りをし、

  混沌としてきたら、「前後裁断」です。

  前のことも後のことも断ってしまい、

  「今の自分の感性」に耳を傾けてみましょう。

  そこに、本当のあなたがいるはずです。

ちょっといい話 10月22日(木 )

利ちゃんのちょっといい話

 ■ 幸せ 

 あなたは、自分が幸せだと思いますか。すぐに「幸せだ」と答えられる人はいないかもしれません。「禍福はあざなえる縄のごとし」で、すべてにおいて満足できないのが人間なのかもしれません。また、幸せそうな人が案外寂しい生活をしていたり、不幸のどん底にいるように見える人が、実はとても豊かな幸せの中にいるということもあるでしょう。 私はどうかというと、私自身は幸せだと思っていますが、人から見ればある意味では不幸せだろうと思います。私が生まれて20日後に母が病気で突然他界し、6年後には父も病気で亡くなり両親ともいないからです。また、私自身、先天性の心臓病で、生まれてから1年間は入退院をくり返し、ありとあらゆる病気を経験してきたからです。でも半年か1年の命と言われた私が、こうして元気に過ごしていることができるのは、私を育ててくれた祖父母の愛と多くの方々の支えがあったからで、私は恵まれていると思っています。もちろん、祖父母の苦労は並ではなかったことと思います。小学1年生の時、私は県内の病院で心臓の手術をし、手術の成功でホッとしたのもつかの間、今度は私がおたふくかぜにかかってしまい、他の入院患者に迷惑がかかると言われ、強制退院させられたときは、泣けてしかたがなかったと祖母は言います。まだ手術の糸もぬいていない高熱の私を抱きながら祖母は、なぜ自分や孫の私にばかり不幸がおそってくるのだろうと考えたのではないかと思います。
 でも今の私は年3回ほどの検査に行くものの、まったく皆と同じ生活ができています。両親がそろっている幸せの中にいて、「親がうるさい」などという人の言葉に両親のいない自分の寂しさを全く感じないと言ったら嘘になりますが、祖父母や叔母のいっぱいの愛を受けている自分を幸せだと思うことの方が多い毎日です。友達が「部活が大変」と愚痴を言うのも健康だから部活に参加できるのにと思います。当たり前のことを当たり前に出来るのは、大変な幸せなのだということを私は知っているからです。
 私が小学2年生の時に知り合った2歳上の友人は筋ジストロフィーで車椅子の生活でした。プールが好きで浮き輪に入りお父さんに背中を押してもらって、楽しそうに笑っていました。私も一緒になって遊びました。筋力が徐々に衰える病気ですから、今は大分病状が進んで寝返りさえも出来ないそうです。でも明るく生きています。その人が友達の不平不満を聞いたら「自由に動ける体を持っていて、それ以上の幸せがあるか」と言うに違いないでしょう。幸せの中にいるとその幸せに気付かないのかも知れません。
 先日国語の先生から野崎耕二さんという方の本を貸して頂きました。それは筋ジストロフィーの著者が「1日1絵」、つまり1日に1枚の絵を描くことを目標に生きている命の著書でした。「1本の絵筆から・車椅子の四季」と題されたこの本から改めて本当に生きることの素晴らしさが伝わって来ました。日に日に衰えていく筋力と闘いながら自分の生きた証を残されているこの方の日々は、やることも見つからず何となく生きている人のそれより、はるかに充実したものであるだろうと思います。そう考えると目標を持って精一杯生きている人は五体満足であるないにかかわらず幸せだと言えるでしょう。
 こうしたことから幸せ、不幸せは人の心のあり方で違ってくるものであることが分かります。仙台の大学病院に医師として勤めていた父が、私を母方の祖父母に預けて仙台に戻り、無理がたたって病に倒れて逝ったとき、6歳なりに私は死というものを「もう二度と会えないこと」なのだと思いました。しかし、命を傾けられる仕事をもてた父は幸せな人だったのではないかと、今は思うようになりました。母と父の命を貰い、あの世から母と父が見守ってくれているからこそ、私は今を生きていられるのだと思うと、とても温かい幸せな気持ちになります。祖母の干してくれたお日様のにおいのする布団に包まれて眠るとき、習い事で遅くなると必ず迎えに来てくれる叔母の笑顔を見るとき、宮城の父方の祖母が私の成長に涙して喜んで呉れるとき、私は1日1日の1歩1歩の歩みが出来ることを感謝して、私の命を精一杯生きようと思います。そして、今の自分の幸せを、これからの皆への幸せに少しでも役立てる生き方をしたいと思います。またそれが新しい幸せの発見にもつながると信じています。
 「私の主張2003静岡県大会・最優秀賞」より
        静岡県富士宮市岩松中学校 2年  高橋 由美香

今日のお話 10月22日(木)

    今村 暁(いまむら さとる) の名言

  夢は考えるものではなく、

  感じるものです。

  夢を理性で考え続けたら、

  あるときノルマになってしまいます。

  とてもワクワクできません。

  理性で考えるのは目標と計画です。
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犬山市立楽田小学校
〒484-0858
住所:愛知県犬山市字城山97番地
TEL:0568-67-1005
FAX:0568-69-0335