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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 12月15日(火)

日本経済新聞より 

   テロリストを憎まない 

 パリ同時多発テロをめぐり、被害者家族や事件に遭遇した関係者の悲しみは癒えないが、約90人が死亡したバタクラン劇場で妻を失った男性のメッセージが共感を呼んでいる。妻への変わらぬ愛を打ち明けた上で、テロリストが望むであろう憎しみを抱いていないとあえて言及し、テロリストの負けであることを宣告している。当事者はテロへの怒りを抱きつつ、立ち上がろうとしている。

【ジャーナリスト アントワンヌ・レリスさんの投稿】

 君たちを憎まない。金曜(13日)の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。かけがえのない人、私の最愛の人、息子の母親を君たちは奪った。
 君たちが誰か知らないし、知りたいとも思わない。君たちは死んだ魂だ。憎しみという贈り物を君たちにはあげない。怒りで応じてしまったら、君たちと同じ無知に屈することになる。
 今朝、彼女と会った。金曜日の夜に出た時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。もちろん悲しみに打ちのめされている。君たちの小さな勝利を認めよう。だが、それはごく短い時間だけだ。妻はいつもわれわれと共にいて、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂の天国で。
 息子と2人になった。もう、君たちに構っている暇はない。メルビルが昼寝から目を覚ますから一緒にいなければならない。まだ17カ月。この子がずっと幸せで自由に生きていけば、君たちは恥を知ることになる。だから、君たちを憎むことはしない。

今日のお話 12月15日(火)

    稲盛和夫の名言

  1日1回、

  深呼吸をして

  必ず心を鎮める時間を

  作りなさい。

ちょっといい話 12月15日(火)

利ちゃんのちょっといい話

   たのむから神様何とかしてください 

どうして私がいつもダイエットしてる時にニヤニヤと見つめやがりますか
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか
どうしてお小遣減らしたのに 文句一つ言いませんか
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか

どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看 病しますか
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか
おまけにもって半年とはどう言う事ですか

長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか
こっちの気持ちは無視ですか
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ

もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ
あんたの子供なのに何で生きられないのですか
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ

元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか
どうしていつも自分の事は二の次何ですか

医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言います か
こっちはあんたとこれからも生きていきたいんですよ
それがもうすぐ終わってしまうんですよ
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ

忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね

何で死に顔まで微笑みやがりますか
そんなのは良いから起きて下さい
生まれてくる子供を抱いて下さい
子供に微笑みかけて下さい
たのむから神様何とかして下さい

ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか
そんなあんたが死んで5ヶ月..
子供が生まれましたよ
元気な女の子ですよ
目元はあんたにそっくりですよ
どこかで見てますか
私はこの子と何とか生きてますよ
あんたも遠くから見守って居てください。

今日のお話 12月14日(月)

    稲盛和夫の名言

  自然界で生き残るには、

  凄まじい闘争心が必要です。

  でも、闘争心を

  どこに向かわせるべきなのかで、

  経営者は勘違いしやすい。

  対象にすべきなのは、

  決して競争相手ではないのです。

  もちろんビジネスなので、

  同業者との競争にも

  勝たなければならない。

  でもその前に、ジャングルの中では

  まず自分自身が必死に生きなくてはならない。

  相手を殺すために戦うのではなく、

  自分が生き伸びるために戦うのです。

  もはや企業間の競争は

  「弱肉強食」ではありません。

  「適者生存」こそ真理です。

  滅びる企業は競争相手に負けたのではなく、

  日々刻々と変わっている環境に

  うまく適応できかったというだけのことです。

ちょっといい話 12月11日(金)

   「そのうち」  上所 重助 

 そのうちお金がたまったら
 そのうち家でも建てたら
 そのうち子供から手が放れたら
 そのうち時間のゆとりができたら
 そのうち・・・・・・
 そのうち・・・・・・
 そのうち・・・・・・と

 出来ない理由を
 くりかえしているうちに

 結局は何もやらなかった
 空しい人生の幕がおりて
 頭の上に淋しい墓標が立つ

 そのうち そのうち
 日が暮れる
 いまきたこの道
 かえれない

ふれあい運動会・文化祭 アンケート結果 12月11日(金)

 先日は、「ふれあい運動会」・「文化祭」についてのアンケートのお願いをしたところ、多くの方にご協力をいただき、ありがとうございました。
 アンケートの結果をお知らせします。

 http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 12月11日(金)

     稲盛和夫の名言

  「ベター」「ベスト」というのは、

  比較するものがある時に使う言葉です。

  しかし、新しい領域へ乗り出す開拓者は、

  真っ暗の中、羅針盤も持たず

  海岸へ向かう船と同じなのですから、

  「完全」でなければならないのです。

  それは自分以外に頼るものがないからです。

  「完全」をめざすということは、

  自らの内なる理想に対する

  あくなき追求を意味します。

  創造の領域では、

  基準となるものは何もありません。

  自分自身の中に羅針盤を求めて、

  方向を定め、

  進んでゆかなければならないのです。

ちょっといい話

ニッケピュアハート・エッセイ大賞より

   「虹はみえますか」 

 あのとき、虹は見えなかった。もう、思い出したくない。忘れたい思い出。保育園の年長組のときのこと。私はそのころ入院していた。先天性の緑内障による弱視のためだ。ある日のことだ。窓際に立っていた母ちゃんが私を呼んだ。私が駈けていくと母ちゃんは私を抱き上げ言った。「虹が見えるよ」見えなかった。虹なんかどこにも。いくら探しても、見つからなかった。言おうとした。「虹なんか見えないよ」でも、言ってしまった。「見えた」結局、虹なんか見えていなかった。探すのがイヤになった。母ちゃんを心配させちゃいけないと思った。怖くなった。置き去りにされた気分だった。だから、ずっと見ていた。灰色の窓のサッシを。私の視力は、両目ともに0.04。それはこのときから変わっていません。母ちゃんは、障害を持つ子供など、もちろん初めてで、将来に対する不安はぬぐえなかったそうです。
 私が中学生の時のことです。塾で新しい先生に代わって初めての授業のとき、先生が私
の望遠鏡を取り上げました。「馬鹿野郎! オモチャなんか使うんじゃない!」先生はそう怒鳴りました。私にとって望遠鏡は目の一部です。私はただただ唖然としてなにも言えなくなってしまいました。「先生、その子、目が悪いの」私が何も言えないでいると、小学生のときから一緒のクラスの子がそう言ってくれたのです。私は嬉しかった。そして、みんなが私のことについて私が思っていたよりもずっとよく知っていてくれたということに感動したのです。
 私は自分が弱視であることを積極的に話すことにしました。今までは弱視であることで
差別され、蔑まれることが怖くて隠していたのです。実際に今までたくさん嫌な事があっ
たからです。しかし、私のような障害を持つ人間がいるということを知ってもらうために
はそれが一番良い方法だと考えたからです。部活動の先輩後輩、クラスのみんな、そして弁論大会。まずは身近なところから。少しつですが確実に。話していくとみんなとても良くわかってくれます。自分の心は閉じていた。自分の目のように。
 あのとき、虹は見えなかった。でも、これからはたくさんの虹が見える。お互いの心に架かる大きな虹が。そして母ちゃんに言いたい。

「虹が、虹が見えるよ」

今日のお話 12月10日(木)

    稲盛和夫の名言

  ビジネスを成功させるためには、

  夢を抱いてその夢に酔う

  ということがまず必要です。

  一般的には、事業を行う場合には、

  「自分の夢に酔ってはいけない」

  と、よく言われます。

  なぜならビジネスを成功させるためには、

  緻密な収支計算や

  慎重な計画が必要だからです。

  自分自身の目標に酔ったような状態で

  事業を起こしてはいけない、

  と忠告してくれる人たちは、

  夢に酔うと無謀で

  向こう見ずになるかもしれないと、

  危ぶんでいるのでしょう。

  しかし、事業を始め、困難にぶつかっても、

  あきらめずにそれを成功させるには、

  夢が、また強い情熱が絶対に必要だと、

  私は信じています。

  夢に酔っていればこそ、

  それを実現させる情熱が湧いてくるのです。

  当然のことながら、

  実際にその事業に着手したら、

  いつまでも夢に酔っているのではなく、

  すぐに「しらふ」の状態に

  戻らなければなりません。

  スタートした瞬間から、理性的に判断し、

  無用な危険を避け、

  実際的な方策について考え尽くし、

  仕事を成功に導くように

  しなければならないのです。

ちょっといい話 12月9日(水)

平成25年度 別府市小・中学生人権作品

 ■ 「やさしい空気」  小学校2年生 

 この前、グランドでAちゃんとゆうぐに行っていたら、ころんでしまいました。それを見ていていた人が、わたしに「ダサッ。」と、言いました。わたしはまわりを見まわしましたが、だれが言ったのかはわかりませんでした。だれが言ったのかはわからなかったけど、とてもいやな気もちになりました。右足のひざをすりむいたのが、とってもいたい気がしました。家にかえった時は、いやな気もちになったことも、ひざのけがのいたさもわすれていました。
 2学きがはじまってすぐに、「こんなクラスにしたい」という話をクラスでしました。その時に、言われていやな気もちになることばを、言わないでほしいという、いけんが出ました。それで、クラスの先生が「言われていやなことばって、どんなことかな」と、みんなにたずねました。
 わたしは、グランドでころんで「ダサッ。」と言われた時のことを思い出しました。わたしは手をあげて、みんなに「この前、『ダサッ。』と、言われていやでした。」と、はっぴょうしました。ほかにも言われた人がいたみたいで「そうそう」と、言った人が何人かいました。そこで、先生が、「言われていやなことば」の中に、それを書きました。ほかにも「しね。」とか「ふざけんな。」「だまれ。」というのも出ました。何も言わずに、むしするのもいやだといういけんが出ました。
 次の日、せきがえをしました。わたしもクラスの人も、せきは、2人組がいいと言いました。2人がいい理ゆうを先生にたずねられて、わたしは、「2人のせきが、たのしくしゃべれるし、こまった時やべんきょうがわからない時にたすけてもらえるから2人組がいいです。」と言いました。それで、せきは2人組になりました。
 わたしは、Bくんといっしょになりました。となりどうしになったのは、はじめてだけど、いっしょのせきになって、Bくんのやさしいところが、見えてきました。けしゴムをおとしたら、ひろってくれます。Cくんに、教科書をとられた時にも、とりかえしてくれました。わたしは、先生に、「Bくんは、やさしい。」と、言いました。先生は「もう、お友だちのいいところを見つけたんだね」と、わらっていました。
 せきがえのつぎの日、「言われてうれしいことば」のべんきょうをしました。言われてうれしいことばは、たくさんあるので、わたしは、たくさんはっぴょうしました。クラスのみんなが、言われた人の気もちになったら、言われていやなことばがへって、言われたらうれしいことばがふえていくと思います。
 このごろ男の子のらんぼうなことばを聞かなくなりました。やさしい気もちややさしいことばが、つたわっていくと、もっとたのしいクラスになると思います。
 みんなが、やさしくして、やさしい空気をつくってほしいです。

今日のお話 12月9日(水)

    稲盛和夫の名言

  何よりも大切なことは、

  強さと勇気、意志力です。

  崇高な目的のためには、

  自分の命を賭けるくらいの

  気構えがなければ、

  決して人を動かせるはずもなく、

  偉大な改革などできる訳がないのです。

ちょっといい話 12月8日(火)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

 ■ 「大事な友だち」  小学校3年生 

 「今日はいっしょにあそばない。」この言葉をわたしはクラスの友だちに言っていました。2年生の時は、わたしがあそびたいのにむしをされることがたくさんありました。「なんでわたしだけいれてくれないの。」いつもかなしい気持ちになりました。その1人が転校してからは、そのいじわるはなくなりました。わたしは今までわたしにいじわるをしてきた強い人がいなくなって、その人といっしょになってわたしにいやなことをしてきた友だちに、わたしと同じ思いをしてもらいたくなりました。
 「今日はいっしょにあそばない。」「○○ちゃんとあそぶからあそべない。」これまでわたしが言われてきた言葉を、友だちに、学どうのある日はほとんど言っていました。わたしが前思っていたことと同じように友だちも、「なんでわたしだけいれてくれないの」と、かなしそうな顔をしていました。その顔を見て、はじめはわたしと同じ思いをしたとすっきりしたけど、毎日毎日していたら、「もうしなくてもいいんじゃないかなぁ。」と思うようになってきました。やめようという気持ちもありました。でも、まだ「やろうかなぁ。」
という気持ちもでてきて、すぐにはやめられませんでした。
 6月のある日、先生によばれて会ぎ室に行きました。そこには、今までわたしがいじめてしまった人がみんなすわっていました。1人ずつ言ってくれました。みんなわたしが「こわい。」という話を聞いて、みんなそんなにわたしをこわがっていたんだと、少しは思っていたけど、ここまでということがはっきりわかりました。「いじわるはやめる。」とみんなに言って、やくそくしました。
 「おまえがいじめとか、今日いっしょにあそばないとか言わなければいい。」とお父さんが言いました。お母さんにきいてみると、お父さんと同じように言いました。「あなたがいじめなんかしなければいい。」と言ってくれました。
 わたしはお母さんやお父さんの話をきいて、やっぱりいじめは、されていたけど、しかえしはしてはいけないと思いました。そして、わたしはもう、今からの自分は、今までの自分じゃなくて、いじわるされてもぜったいしかえさないで楽しくあそびます。自分で自分の心を、かえていきます。だから、今年の夏休みは、学どうでいじわるすることも、されることもなく楽しくあそべました。
 これからも、なかよく遊んでいきたいです。もし、いじわるされることがあっても、やりかえすことはしないで、「どうして、わたしだけするの。そんなことしないで。」と言っていきたいです。

今日のお話 12月8日(火)

    稲盛和夫の名言

  「相手があるから、自分もある」

  という日本古来の考え方があります。

  昔の日本人は、

  自分は全体の一部と認識していたのです。

  この考え方は、今でも集団の調和を保ち、

  協調を図ることができる

  唯一の考え方だと思います。

ちょっといい話 12月7日(月)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

   「なかまはずれはかなしいよ」  小学校1年生 

 わたしは、1年生になって、なか休みやひる休みにおともだちとたのしくあそんでいます。でも、いちどわたしが、「いっしょにあそぼ。」といったら、おともだちに、「人ずうがおおいから、むり。」といわれました。わたしは、どうしていれてくれないのかなと、かなしいきもちになりました。
 そしてある日、1年生みんなで、されるといやなことやしてはいけないことをはなしあいました。みんなからは、たたく、ける、つねるなど、からだをきずつけることをしたらいけないといういけんがでました。それから、わるいことばをいったり、なかまはずれをしたりしてこころをきずつけることもいけないといういけんがでました。わたしは、からだをきずつけるのもよくないけど、ことばでこころをきずつけることは、もっとよくないことだとおもいます。わたしもおともだちに、「むり。」といわれて、こころがズキッとなったからです。わたしのことがきらいなのかなと、おもったりもして、こころがかなしくなりました。
 そして、1年生でこれからどうしたらいいかをかんがえました。からだをきずつけること、こころをきずつけることをしないというやくそくをしました。あとだいじなことは、おともだちがいやなことをされたり、いわれたりしているときは、見て見ぬふりをしないで、たすけたり、先生にしらせたりすることだとわかりました。
 はなしあいのあと、おともだちが、「いっしょにあそぼ。」といってくれるようになって、うれしかったです。わたしは、じぶんもおともだちをなかまはずれにしたりしないで、なかよくしていきたいなとおもいます。

今日のお話 12月7日(月)

    稲盛和夫の名言

  人生はひとつひとつの判断の集積で

  形づくられていきます。

  ですから常に正しい判断ができるようになれば、

  素晴らしい人生を送ることができるのです。

  正しい判断ができるようになるためには、

  「ものさし」となるべき、

  誠実な人生哲学を持たなければなりません。

  その哲学とは「人間として何が正しいか」

  に基づくもので、

  公正、正義、やさしさ、思いやり、
 
  調和、誠実さなどの言葉で、

  表わされるものを含んだものであるべきです。

  このような人生哲学を、

  毎日の判断の「ものさし」

  としていくべきです。

ちょっといい話 12月4日(金)

平成26年度 別府市小・中学生人権作品

    「ひとりにひとつしかない大切な命」 
                         小学校3年生 
 ぼくは、せんそうのない世界が「平和」だと思っていました。だから、今ぼくが住んでいる日本は、とても平和な世の中だと思っていました。でも、家にあった「へいわってどんなこと」という本に「命はひとりにひとつ、たったひとつのおもたい命。だからぜったいに、ころしたらいけない。ころされたらいけない。」と書いてありました。ぼくは、せんそうがないことだけが平和ではないんだなぁと思いました。
 ぼくは、ずっと前に、家でお姉ちゃんとケンカをしたときのことを思い出しました。その時、ぼくはかっとして、「お姉ちゃんなんか死んでしまえ。」と言ってしまいました。するとお母さんから、「そんなこと言ったらいけん。じょうだんでも言ったらいけんので。」
と、すごくしかられました。その時ぼくは、「そんなにおこらんでもいいに。じょうだんやに。」と思いました。
 それから、「ゆうごは、ひいばあちゃんが死んでしまった時、どんなこと思ったん。」ときかれました。「すごくかなしかった。もう会えんけん。」とぼくは、言いました。ぼくのひいばあちゃんは、102さいでなくなりました。ぼくが生まれてすぐのころ、転んでこっせつしてから、ずっと入院していました。ぼくが六さいの時に、はいえんで死んでしまいました。とても長生きをしたけど、ぼくは時々しかおみまいに行かなかったし、行って
もどんなことを話したらいいのか分からなくて、あまり話をしませんでした。「また今度行くし、いいや。」と思っていました。でもひいばあちゃんにはもう会えません。
 もし、お姉ちゃんが死んでしまったら、ぼくはすごくかなしい気持ちになって、どうしてあんなひどいことを言ってしまったんだろうと泣きたくなると思いました。命はひとりにひとつしかない、大切なたったひとつの命だから、かんたんに「死ね。」とか言ったらいけないんだと思いました。そして、なくなったら二度ともどってこない命を大切にしないといけないと思いました。
 時々、友だちがけんかをしている時に、「死ね。」や「うざい」と言っている人がいます。
ぼくもかっとして、つい言ってしまうことがあるので、気をつけようと思います。そして、
「そんなこと言ったらいけんので。」とちゅういできる人になりたいです。
 自分や友だちや家ぞくの命を大切にすることが、もっと平和な世の中を作っていくことにつながるのだと思います。

今日のお話 12月4日(金)

    稲盛和夫の名言

  私が学んだことは、

  何か事を起こす時は、

  まず思いこまなければならない

  ということです。

  「これが理想的であることは

  わかっているけれど、現実には

  そんなことは不可能だ」

  と自分に言い続けていたら、

  何も起こせはしないでしょう。

  信じていないもののために

  努力することはできないのです。

  強烈な願望を描き、

  心からその実現を信じることが、

  困難な状況を打開し、

  物事を成就させるのです。

ちょっといい話 12月3日(木)

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

   「いじめをなくすために、今」 

 僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいました。そこで,僕が体験したことです。五年生のころ,僕の友だちのA君が,同級生のK君の靴を隠したり,からかったりしていることがよくありました。最初は僕もあまり気にしていませんでしたが,K君のことを「なんだかかわいそう」と思うようになりました。
 ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました。初め先生は,「じゃれ合っているだけだろう」と,「いじめ」とは思ってくれませんでした。でもその後「いじめ」と分かり,A君は,先生に注意され,その日一日は反省した様子で過ごしていました。しかし,次の日学校に行くと,いじめは前以上にエスカレートしていて,蹴ったりたたいたりするようになりました。しかも,「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになり,そんな日々が続きました。
 それは六年生になっても続きました。僕はそのいじめを止めることができず,毎日,見て見ぬ振りをしていました。今思うと,自分がとても恥ずかしいです。本当の友達なら止めるべきなのに。それだけではなく,いじめられているK君に声一つかけることができずにいました。心の中ではA君に,「やめろよ」と言おうと思っていたけど,なぜか,勇気が出ませんでした。次にいじめられるのが自分になるのが恐くて,言えなかったのです。
 そんな日々が続く中,僕の気持ちを大きく変える出来事がありました。父の死です。そのときのことは,今でも忘れることができません。聞いたときには頭の中が真っ白になりました。最初は信じることができませんでした。一週間も二週間も学校に行けず,ただ,ぼーっと過ごしていました。いろんなことを考え,徐々に,「死」というものの悲しさ,つらさ,「死」という意味の重さがわかってきました。そして,時間はかかりましたが,「命は一瞬にして消え,二度と戻ってこないものだ。だから命を大切に,今を大切にしなければならない」と深く受け止めることができるようになりました。そして,周りの子たちは,僕のような経験がないから,「死ね」とか,軽々しく言えるのだろうと思い,この気持ちを伝えなくてはならないと考えました。僕が強くならなくてはと思いました。
 こんな気持ちになったとき,僕には時間がありませんでした。母の実家がある徳島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです。落ち込んでいる暇は無いと思い,学校に行った僕はA君に言いました。「いじめなんかやめろよ。いじめたって喜ぶ人はいないし,悲しむ人がいるだけだろ。自分だってほんとは嫌だろ。『死ね』とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに,言うなよ」と言いました。父親の突然の死,そのあと僕が考えたことも伝えました。
 友だちは,黙って聞いてくれました。僕の言葉にうなずいて,そのあと,K君のところへ行き,「ごめん。言葉の重さも知らずに言って,本当にごめん。ぜったいに死ねなんてことは言わない。そして,いじめは絶対にしない。ほんとうにごめん」とあやまりました。K君はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました。僕も,K君に言いました。
「今まで助けてあげられなくてごめん。」
 K君は笑顔で,「ありがとう」と言ってくれました。今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが,スーっと晴れました。
 今も時々耳にする暴言。冗談半分で言っているのかもしれません。しかし,いつ,いじめにつながるかわかりません。他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう。関係ないふりをしようとする自分がいます。楽な考え方をする自分がいます。そんな時,亡くなった父の顔や,K君の優しい笑顔を思い出します。あの時の自分のように強い気持ちを持とう。「やめろよ」と一言言う。すると,また気持ちがスーっとしてきました。
 父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって,正しいことを素直に認め,悪いことを否定できる強い意志を持つことが目標です。そして何よりも,命を大切に,今を大切にしていきたいと思っています

今日のお話 12月3日(木)

    稲盛和夫名言

  私はいつも、

  「土俵の真ん中で相撲をとれ」

  と言っています。

  土俵ぎわに追いつめられるまで待たず、

  余裕を持っている時に

  必要な行動を起こせ、

  という意味です。

  相撲では、自分の足が土俵ぎわに届いて、

  今にも土俵の外に

  放り出されてしまいそうになるまで、

  何もしない力士を見かけることがあります。

  そうなってから、

  本腰を入れて戦い始めるのです。

  私は、どうして彼らは

  土俵の真ん中にいるうちに、

  その力を発揮しないのかと、

  不思議に思っています。

  ビジネスにおいても同じことです。

  土俵の真ん中にいる時は、

  行動するのに充分な時間と余裕があるので、

  私たちはリラックスしています。

  そして、土俵ぎわまで押し込まれてから、

  慌てて行動を起こすのです。

  私たちは、常に時間も余裕も

  全くないつもりになって、

  実際に押し出されそうになる前に、

  力を振り絞るようにしなければなりません。

  余裕が充分ある段階においても、

  危機感を持ち

  必要な行動を起こすことが大切です。

  これが安定した事業の

  秘訣なのです。

ちょっといい話

岐阜市人権作文より

    「みんなちがって みんないい」 

 「顔面ブス」、「ウザイ」、「気持ち悪い」、「死ねばいいのに」、「最悪」、「シンショウ」、これらは小学校の頃からずっと、私に向けて言われていた言葉の、ほんの一部です。『シンショウ』は、何の事か分からず、友達に聞いたところ、身体障がい者の略語だと教えてくれました。
 言われる度に、とても傷つき、とても悲しくなりました。
 『何でそんな風に人を傷つける言葉を言うんだろう。』、『言われて、私がどう思うか考えないのかな。』と、言われる度に思いました。下校の時、階段で後ろからカバンをけられた事もありました。もし落ちたら…と思うと、ものすごく怖かったです。『私のどこが悪いんだろう。』、『学校に行きたくないな。』、『死んじゃったら、もう言われないかな。』、『どうやったら死ねるかな。』、と思った時もありました。
 今でも言われた事、けられた事を思い出す度、辛くて悲しくて涙が出ます。一生忘れる事ができません。
 でも、私は、生きています。
 それは、母が、祖母が、家族が、先生達が、友達がいてくれたからです。私の話を聞いてくれて、味方になってくれたからです。母が先生に、「こんなにも娘がからかいの対象になるのは、娘に何か悪い所があるからじゃないですか?」と聞いた時、先生がきっぱりと、「いじめは、いじめる方が悪いんです!」と言ってくれました。この一言で、私は強くなろうと思いました。
 それから私は、言われた事、やられた事を、学校ですぐに全て先生に話すようにしました。先生はすぐに相手の子にも話を聞いて、対処してくれます。
 家でも、これ以上心の傷にならないよう、全部話をします。話した後は、心の中にあったもやもやが、とてもすっきりします。明日もまた頑張ろうという気持ちになります。こうして私は、毎日を笑って過ごす事が出来ています。
 金子みすずさんの詩の一つに、『私と小鳥と鈴と』という詩があります。私はこの詩が大好きです。最後の『みんなちがって、みんないい』という一文が、私を認めて応援してくれているようで、大好きです。トカゲやヤモリ、ナナフシが好きな私。さっさと行動するのが苦手な私。小さい子と遊ぶのが好きな私。速く走るのが苦手な私。
 みんなと違う?でも、これが『私』
 人が、お互いに思いやりの心を持って、すべての人が等しく幸せな生活を営むために大事な事、それは、『みんなちがって、みんないい』という事を認めあう事だと、私は思います。
 人は一人一人ちがうものだから。みんな幸せに生きて欲しい。幸せに、生きていきたい。
 『みんなちがって、みんないい』のだから。
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