高校入試における面接を考える

愛知県では公立高校の一般入試が終わりました。全国的にもほとんどの都道府県で2次募集等を除いて終了したと思います。高校入試では、面接があるのが普通になりました。学力だけでなく、総合的に人物を見るということが建前です。この時期になるといつも思うのが、高校入試で面接は意味のあることなのかということです。

県や学校によっても異なると思いますが、限られた時間でかなりの人数を相手にすることになりますから、一度に数人ずつ同時に面接することになると思います。一人当たりにかける時間はとても少ないはずです。私の過去の経験から言っても、名前や希望理由などの決まりきったことを聞くと、ほとんど時間がなくなってしまいます。このような短い時間で人物を見抜くことができるのか疑問なのです。
学校で答える内容も指導されているのか、同じ出身校の生徒が全く同じ答をすることも決して珍しくもありません。面接官は問い返すこともできるのですが、受験生が返答に窮するようなことは聞かないことになっているのが一般的です。将来就きたい仕事を質問して、「人の役に立つ仕事」といった間抜けた答をしても、「では、人の役に立たない仕事というのはどんな仕事ですか」と問い返すことはまずありません。本当はこういった問い返しに対する受け答えで人物がよくわかるのですが、パニックなってしまう危険性があるからです。意地悪な質問をされたと抗議される可能性もあるようです。

では、面接ではどこを見るのでしょうか。実は受け答え以外の部分が大きいのです。まず、明らかに身だしなみや態度がおかしいという生徒をチェックします。このような受験生はめったにいないのですが、いれば確実にマイナス点がつきます。そして、(少なくとも私は)質問されていない生徒の様子を観察します。他の受験生の受け答えを他人事のようにボーとして聞き流しているか、そちらに意識を向けてうなずくなどの反応しながら聞いているかを見るのです。このことは意外と指導されていませんし、指導してもすぐにはできないようです。日ごろから聞くことを意識した授業がされていると思われる学校からの受験生は、自然に他の受験生の言葉を聞く姿勢を見せます。このことが面接で大きな加点や減点になるかどうかわかりませんが、突っ込んだ質問ができない条件下では、他の受験生との差別化にはなるように思います。

とはいえ、制限された条件下での面接ではどうしても限られたことしかわかりません。評価に大きな差がつくことはあまりないのです。しかし、一人当たりにかける時間が少ないにもかかわらず、トータルではかなりの時間が使われています。これだけの人的コストに見合うだけの情報が得られていないと思うのは私だけでしょうか。選抜のためと言うよりも、中学校の生活指導上の要望の方が大きいように思うのは考えすぎでしょうか。高校入試における面接は形式的なものと割り切るべきなのか、それともより意味のあるものに変えていくべきものなのか、毎年この時期に思い悩んでいます。

研修のアンケートと結果から考える

先日おこなった、ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方対象の研修会(居宅介護支援事業者連絡会で講演参照)のアンケートの結果が送られてきました。忙しい中、わざわざお送りいただけたことをとてもありがたく思います。
皆さんの感想は「笑顔や言葉の使い方の大切さがわかった」といった肯定的な評価がほとんどでした。私が話した具体的な内容に対する感想が多かったことから、皆さんがしっかり聞いてくださっていたということがよくわかります。また、自分の行動を変えていこうという前向きな言葉がたくさんあったことをとてもうれしく思いました。

介護には全くの素人の私でもお役に立てたのは、介護対象の方やその家族とのコミュニケーションは学校における教師と子どもや保護者とのコミュニケーションと非常によく似ているからです。というか、対象は違ってもコミュニケーションの基本は同じだということです。違いがあるとすれば、教師には叱ることや指導するという視点での子どもとのかかわりがありますが、介護関係の方にはそのようなことがないということです。教師以上にフラットな関係の中でのコミュニケーションスキルが求められます。そのため、介護関係の方は笑顔の大切さをよくわかっていらっしゃいますし、言葉づかいにも気を使っておられます。しかし、「この場面では笑顔にならなければいけない」「このことを伝えるにはこういう言葉づかいが必要だ」と意識している方は少ないように思います。この研修では、「なぜ笑顔が必要か」「こういう場面でこそ笑顔が必要だ」「言葉の使い方で相手に伝わるものが変わる」といったことを、具体例をもとにお話ししました。何となくできている、やっていることを明確に意識しておこなうようにすると、スキルとして定着します。とっさの場合や、経験したことのない局面でも活用できるようになります。今回の感想の中に、子育て中の方からの育児に役立てたいというものが少なからずありました。コミュニケーションスキルの本質的な面を意識できたことで、子どもとの接し方でも同じだと気づかれたのでしょう。

意識して使うということは、いろいろな面で大切なことです。算数や数学の問題で単に解き方を覚えるのではなく、どういう条件があるから使えるのか、他にはどのような問題に利用できるかといったことを考えることが重要です。体育などの技能系の教科では、なんとなくできたではなく、意識してできるようになることが求められます。
今回の研修では、皆さんが個々にやっている、できていることを意識して使えるようにすることがねらいの一つでした。点と点をつないで線にすることと言ってもいいでしょう。授業で大切にしているのと同じことです。何かを教える、学んでもらうということは、どのような内容であれ、学校での授業での考え方が大いに役に立ちます。研修の感想を読みながら、他の分野の研修にも授業のノウハウを活かすことを考えてみたいと思いました。

数学の授業アドバイスを助けてくれる本

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今日は、本の紹介です。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)です。

この本のタイトルを見た時に、子どもたちに興味を持たせる、いわゆる「面白ネタ」の本かと思いましたがそうではありません。どのように説明すると理解がしやすいかという「説明ネタ」、興味・関心を引く「課題ネタ」、定着させるための「習得ネタ」、ICT機器や作図ツールを活用する「教具ネタ」の4つの視点で集められたネタ集です。

感心したのが、練りに練ったネタというよりは、特別な準備もなしに、明日の授業ですぐに使えるものが、単元ごとに整理されていることです。授業をどう進めたらいい、子どもたちにどのような課題を与え活動させようと悩んでいる先生にとって、大きな助けとなる本です。
しかし、この本の真価は別のところにあります。解説には、なぜこのようなネタを考えたのか、どこがポイントなのかが書かれています。数学の授業において何が大切なのか、この単元で何を押さえなければいけないのかがしっかりと解説されているのです。問題の解き方ばかりに目がいって、数学的な価値、ものの見方・考え方を意識できていない数学の授業によく出会います。できる限りその場でアドバイスしていますが、別の単元になれば、また同じことの繰り返しです。教科書にそって全部解説しなければいけないのかと、がっかりすることがよくあります。泥縄的な、明日の授業のネタ探しにも役立ちますが、中学校数学の解説書として素晴らしい価値があるのです。担当学年だけではなく、まず全学年を通読することがこの本の正しい活用法だと思います。

また、解説にはどのようなところで子どもが間違えるのか、つまずくのかも書かれています。学生時代に中途半端に数学ができただけで、教える経験の少ない教師は、子どものつまずきを予想できません。つまずきを見過ごし、試験をしてみて初めて子どもが理解できていないことに気づくことがよくあります。子どもの間違いを予想し、対応を考えるためにもとても役に立つのです。

わかりやすいネタの形を取りながら、基礎的な数学の授業力をつけるために必用な知識や情報が詰まっている本です。若手だけでなくベテランにとっても、ポイントを確認し、引き出しを増やすことで授業の底上げができる本だと思います。私にとっては数学の授業アドバイスの苦労を軽減させてくれる本です。このような本が世に出たことに感謝します。

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