子どもが学び合うために大切なこと

1学期に訪問した小学校の授業アドバイスです。

1年生の道徳は、主人公が水やりをする時間になったのに気づかず、気づいた時に1回くらいやらなくても大丈夫だという友だちの言葉に従ってサボってしまったら、翌朝苗がしおれていてドキドキしたという話でした。授業者はゆっくりとわかりやすく話をします。少し集中していなかった子どもも次第に集中していきます。
話し終わった後、内容の確認をしました。最初に登場人物は誰かを問いかけますが、手が挙がるのは2/3くらいです。先生、女の子(私)と発言が続きます。コの字型にしているのですが、子どもは黒板の前に立っている授業者に向かって話をします。授業者ではなく友だちに向かって話すことを意識させることが大切です。そのためには、授業者が黒板の前でなく、子どもたちにもっと近い位置に立つといったことが必要です。
登場人物が2人挙がったところで、挙手がずいぶん減ってきました。登場人物は先生、私、友だちの3人なのですが、3人目が発表されてもまだ手を挙げている子どもがいました。授業者は「いいよ、ありがとう」と言って先に進みましたが、ここは、手を挙げている子どもを指名して聞いてみたいところです。間違った読み取りをしていたかもしれませんが、授業者も気づいていないよい視点での発言かもしれません。ここで切ってしまうと、授業者の求めるものしか発言できないというヒドゥンカリキュラムになってしまいます。
続いて、友だちと私がどんなことを話したかと内容を聞きますが、記憶がはっきりしないためか、手が挙がる子どもはわずかです。子どもたちは、自分が答えられないので参加意欲が失われ、友だちの話も聞いていません。集中力がどんどん下がっていきました。小学1年生にとって、話の内容を記憶することは想像以上に難しいことです。新しい人物が登場したらその場で確認し、話のポイントと合わせて黒板に書き留めるといったことが必要です。
また、挙手できない子どもをどう参加させるのかも課題です。授業者は、「みんなの意見が大切」「パスしてもいいけど、最期は意見を言って」「友だちと同じでもいいから、しゃべって」と子どもたちに告げますが、その時点で子どもたちの集中力は切れているので、多くの子どもが聞けていません。子どもたちの姿勢を正し、集中させてから話す必要がありました。話すだけでなく、実際に指示したことできた時にはほめて、よい行動を強化することが大切になります。先生が言ったことが具体的にどういうことなのかは、小学1年生ではなかなか理解できないからです。
また、子どもたちの聞く姿勢がまだ育っていないようなので、聞くことを評価する場面をつくることが求められます。「今、○○さんの言ったこと、もう一度言ってくれるかな?」「○○さんの考えをなるほどと思った人、どこでそう思った?」「○○さんの考えとどこが同じ、どこが違う?」といったことを問いかけ、ちゃんと聞いていれば活躍できる、ほめてもらえるということを子どもたちに実感させてほしいと思います。

2年生の算数は、子どもたちが問題を解く場面でした。
授業者は子ども同士で学び合ってほしいと願っているようです。このことはとてもよいことだと思います。
子どもが席を移動して教え合っていますが、一方的に教えている子どもが目立ちます。授業者は「後20分でわかるようになれよ」と子どもたちに大きな声で指示しています。机間指導をしながら、「正解」と声かけをしますが、これでは「わかるようになれよ」と言っているのに「正解」が「わかること」になってしまいます。そうではなく、問題の解き方を見つける力・考える力、説明できる力を大切にする必要があります。「考えて」と授業者は声をかけますが、具体的にどのようにすればよいのかは指示がありません。抽象的、感覚的です。授業者は絶えず何かしらの声をかけていますが、授業者の声が大きくなると、子どもたちの声も大きくなります。互いの声が影響し合ってどんどん大きくなり、教室は騒然としてきました。
「(教える人が)どんどん入れ替われ」と指示しますが、これでは教える側は言いっぱなしで、わからなければ相手の問題で仕方がないと無責任になってしまいます。そうではなく、「わかるまで」付き合う姿勢を持たせることが大切です。授業者は「逃げとるやつがいる。最悪」といいますが、次から次へと一方的に教えられたら、嫌になる子どもがいてもおかしくありません。静かな雰囲気の中で、じっくりと考えるようにする必要があります。正解ではなく、考え方をいかに共有できるかを意識して授業を見直してほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

中学生の通学靴の規制と自由について考える

先日参加した、私が学校評議員を務めている中学校の青少年健全育成会議でのことです。
学校から子どもたちの通学靴に関する状況の説明があり、それに対する考えを聞きたいということでした。この市の他の中学校では色等に制限を設けているところがほとんどだそうです。この学校ではかつての生徒たちの要望で、靴の色などの制限がなくなっているのですが、今の子どもたちはその経緯を知らず、最近では派手な色の靴が増えてきているようです。ある生徒が入試の時に派手な靴ではチェックされて不利になるかもしれないと、弟の白い靴を勝手に履いて行き、弟が履く靴がなく困ったという事件が起こりました。これを機に、規制をすべきではないかという声が先生方の一部から上がってきているそうです。学校ではこの問題をきっかけに、子どもたちに自由や規範について考えさせようとしているようです。地域の大人のいろいろな考えを伝えて、多様な視点から考えさせたいという意図のようです。

出席者から、「(今の世の中)自由でいいじゃないか」という意見が出されました。また、「TPOを守れていればよいのではないか」「規制されると、割高な靴を買うことになって家計的には苦しい」という声もありました。私自身、基本自由でよいと思うのですが、どうしても皆さんの言葉に違和感を持たずにいられませんでした。昔は自由がなかったとよく言いますが、そもそも大昔は規則や法律などもなく、勝手に人の物を持っていったり、互いに殺し合ったりしたことも頻繁にあったはずです。それでは、みんなが安心して暮らせないので、規則や法律がつくられ、それを守らせるための仕組みが生まれていったのです。自由とは、規則があるからこそ生まれる概念です。そのことを無視して単純に「自由がよい」と子どもたちに伝えるのはどうかと思ったのです。
「TPOを守れていればよい」というのはその通りですが、このTPOの判断基準はどうなのかが大きな問題です。残念ながら大人でも守れていない方もいます。この問題をきっかけに、子どもたちがTPOについても深く考えてくれることを願います。また、親の金銭的な負担というのもよくわかりますが、論じられるべきは金銭的な負担と規制した時に得られるメリットのどちらが大きいかということです。子どもを育てるために親が支払うべきコストとしてその負担が妥当なものかという視点がほしいと思います。

思春期の子どもたちですから、服装や身なりなどを自分の好きにしたいという欲求を持つのは当然です。そのこと自体を悪いことだという気はありません。しかし、社会生活を送る上では、自分の欲求と社会のルールや約束事と折り合いをつけることが求められます。学校は子どもたちが実社会にでるための訓練の場でもあります。先生方はこの靴の問題を通じて、子どもたちにいろいろなことを考えてほしいと願い、社会の未来の担い手である子どもたちを育てるという視点でのメッセージを私たちに求めていたのだと思います。規制するかしないか、結論はどちらでもよいと思います。先生方の願い通り、子どもたちが真剣にこの問題を考えてくれることを願っています。

1年間を見通した学級づくり、授業づくりの本

私が小学校の授業のことを考える時にいつも参考にしているのが、今年の4月から「授業と学び研究所」のフェローとなられた、元豊田市の小学校校長の和田裕枝先生の授業です。
その和田先生がこの度「学級づくりカレンダーをもとに創るわくわく算数授業」という本を出されました。

和田先生の授業をはじめて見たのは、今から10年以上も前のことです。2学期だったのですが、「こんな曖昧な発問で子どもが答えられるわけがない。あれ、どうして子どもたちは次々に答えるのだろうか?」と疑問が次々にわきこりました。どうしても子どもの目線で授業を見たいと思い、たまたま一番後ろの子どもが欠席していたので、その座席にずうずうしく座って見続けました。素晴らしいテンポで子どもたちがどんどん発言し、子どもの言葉で授業は進んで行きます。小学生がここまでできるのかと驚きました。「この授業は結果であって、4月に何をしているのかが問題だ」「きっとこういうことをしているはずだ」といった、「子どもたちの素晴らしい姿」と「その姿をこのようにしてつくったのでないかという予想」を、これまでにないほどメモしていました。
この後、直接お話を聞く機会や4月の授業を参観する機会をつくっていただき、小学生がどこまで育つのかという可能性と、どう育てればよいのかという具体的な方法について深く学ぶことができました。和田先生との出会いがなければ、小学校での授業経験のない私が、小学校で授業アドバイスをすることはなかったのではないかと思います。

1学期の終わりになっても一つひとつ細かく指示を出している学級によく出会います。この時期であれば、もう教師の指示はほとんど必要なくなっているはずです。指示してできるようになれば、指示をしなくても、ワークシートを配ればすぐに名前を書き、めあてを板書すればすぐに写せるようになっていなければなりません。
和田先生の素晴らしいところは、1年間を見通して子どもをしっかりと育てていることです。この時期までに子どもをどういう風に育てたいかが明確で、そのためにどうかかわるべきかが具体的になっているのです。「学級づくりカレンダーをもとに創るわくわく算数授業」では、私が和田先生から学んだ1年を見通した学級づくりが、「学級づくりカレンダー」としてわかりやすく具体的に記されています。「あの時この本が手元にあれば、あれほど悩まずに済んだのに」と、ちょっと恨めしい思いです。

また、「子どもの言葉を活かす」ことを目指している先生にたくさん出会いますが、実現はそれほど簡単ではありません。この本には、「子どもが主体的に発言をし、その発言がつながって考えが深まる」という、「子どもの言葉を活かす」授業をつくるための、教材研究のやり方や授業の進め方が、算数の授業を具体例にしてわかりやすく書かれています。和田先生は「主体的・対話的で深い学び」をすでに実現されていたのです。この本を読んで、私がいかに和田先生から影響を受けているのかをあらためて実感しました。

多くの先生に読んでいただきたい本なのですが、残念ながら一般の書店では手に入らないようです。愛知教育大学の生協に問い合わせてほしいとのことでした。私が授業アドバイスさせていただいている学校であれば、事前に連絡いただければ訪問日にお届けします。
一人でも多くの先生の手元にこの本が届くことを願っています。

タブレット導入のための研修

昨日は、私立の中学校高等学校で研修会に参加しました。今年度中学校に1人1台のタブレットPCを導入するにあたっての研修です。

今回、私からは、1人1台の環境をどのように活かすかという視点でお話させていただきました。
せっかくの1人1台環境ですから授業での利用だけでなく、日常的な利用を心がけることが大切です。子どもたちの生活の中で情報活用が自然に行われるような取り組みをぜひ考えてもらいたいと思います。タブレットが子ども同士や子どもと先生との日常的な交流にも使われ、これからの時代即した活用をされることを願います。

1人1台の環境であると、子どもたちの学力に応じて問題が出題されるドリル型の教材の活用が思い浮かびます。個に応じた学習という言葉は、教師にとって魅力的なものです。しかし、子どもたちに主体的に取り組ませるための動機づけや、よくわからなくて困っている子どもに対しての支援の仕組が必要になります。システムをつくった側はそういったことができるようになっていると言いますが、まだまだ課題はたくさんあるように思います。使い方のルールや教師のかかわり方といった運用面を工夫することで、システムの足りないところを補う工夫をしてほしいと思います。

現在システムがすぐに手に入るわけではありませんが、子どもたちがタブレット上で作業をする時に、どこにどのくらいの時間がかかったかといったログを取れるようなことも考えると面白いと思います。子どもたちがどこに時間をかけているのか、どこで思考が止まっているのかといったことを知ることができると、授業改善に大いに役立つからです。システムに頼らくなくてもできることはあると思います。このような視点も持っていただきたいと思います。

1人1台の環境で注意してほしいことは、グループ活動などで子どもが分断されてしまうことです。相談しなくても情報を得ることができるので、自分のタブレットで作業を続けてかかわることをしない可能性があります。調べることを分担して結果だけをもらうというような形では、グループで学習する意味はあまりありません。調べたことを基に、互いの考えを聞き合う場面が必要です。
問題によっては、ネットを使えば答がすぐ手に入ります。数学でも、全く同じ問題の答がネット上にあったりします。そのような環境で子どもたちに力をつけるためには、ただ問題を解かせるのではなく、調べるだけでは答が出ないような課題の設定や工夫、答がわかった後に考えることを仕組むといったことが必要です。こういった点で工夫をしなければ、今までの授業よりも、かえって子どもたちが考えることをしない授業になってしまう可能性もあります。

子どもの活動や成果物をデジタル化して保存しておく、いわゆるポートフォリオをつくることも考えてほしいと思います。学習の履歴を保存することで、自分の成長を意識することができるからです。また、担当教師が替わっても、その子どもの進歩を評価することができます。子どもの成長、進歩を見ることが大切だとはよく言われますが、現実には長期にわたる成長を見ることは簡単ではありません。デジタル化しておくことはこの点で大きなメリットがあると思います。
子どもたちは自分のできなかった過去を忘れたい、見たくないものだから、学習の履歴を保存することは辛いのではないかという意見がありました。子どもに寄り添った意見にも思えますが、少なくとも学校での学習に関して言えば教師の子どもへの接し方しだいだと思います。できなかったことをネガティブにとらえさせていることが問題です。子どもの辛い気持ちに寄り添った時に、教師がどのように働きかけているかが問われるのです。できなかったことは事実かもしれませんが、それをネガティブにとらえない、評価しないことが大切です。次にどうすればよいかを一緒に考え、たとえ少しでも進歩すれば一緒に喜ぶ。教師がそういう接し方をしていれば、できなかった時の記録を見て、「昔はこんなこともできなかったね。それに比べてずいぶん進歩したね」と笑えるようになるはずです。タブレットはあくまで道具です。それを活かせるかどうかは使う側の問題なのです。
また、個人のデータを貯めていった時に、タブレットの容量が足りなくなるのではという質問が出ました。確かにその通りです。しかし、それだけ使われたとすれば、タブレットの導入は成功したということだと思います。個人のパソコンにバックアップする、クラウド上のストレージを個別に持たせるといった方法や、学校でデータサーバを準備して卒業時に必要な子どもにはメディアにコピーして渡すというように対応はいくつかあります。現実に容量が問題となりそうであれば、その時の状況に応じた対応を考えることでよいと思います。まずは、どう使うかを考えることが優先だと思います。

研修終了後、何人かの先生から、「結局、自分たちがどんな授業をしたいかの問題だね」という言葉を聞きました。その通りだと思います。1人1台のタブレットを導入することが、先生方の授業改善のきっかけになることを期待しています。

新しいことに挑戦するからわかることがある

1学期に私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行いました。
この学校では、1人1回グループを活用した授業を公開することになっています。この日は3人の授業を見せていただきました。

高校2年生の体育の授業は、3人ずつのグループで、いろいろなスポーツの起源をテーマに調べたことをレポートとして発表する授業でした。校内では使用禁止のため先生に預けてある携帯端末を、この時間は解禁しました。インターネットや電子辞書が情報源です。
子どもたちは何をすればよいのかはわかるのですが、何のためにという目的やどういうものができればよいのかという目標・評価が明確でないので、テーマを決定するための話し合いの根拠を持てません。グループになってからテーマについて「歴史の長いのがいいな」「オリンピックもいいぞ」といくつかの例を授業者がしゃべりますが、こういったことを子どもたちが考えることが重要だと思います。選んだ理由も発表の中に加えるべきです。そのためにも目標・評価を明確にする必要がありました。
作業中に体育館に貼ることや見やすいものにしてほしいことを伝えますが、最初に伝えておくとよかったでしょう。読んだ人にどう思ってもらうかを意識させることが、目標・評価につながります。
子どもたちは、よい雰囲気で作業をしています。発表者が決まれば他の子どもは他人事になることもよくあるのですが、そういったこともありません。子どもたちの関係のよさと、授業者の温かい雰囲気がよい状況をつくっているのだと思います。
子どもたちの発表はしっかりしていたのですが、調べたことをまとめただけです。それを基に子どもたちが考える場面がほしいところでした。
「歴史はあるがマイナーなスポーツを紹介して、そのスポーツをやってみたいと思わせるようなレポートを書く」といった課題にし、聞き手の子どもたちにやってみたいと思ったかどうか、その理由を聞いて再度作り直すといった活動にすると、より深く考えることができたと思います。
子どもたちがある程度主体的、対話的に活動することはできていました。それをどうやってより深い学びにするのかが問われます。

中学校の技術は、数学が主担当の先生の授業でした。人員の関係でしょうか、2学年合同での、のこぎりの使い方を練習する授業でした。子どもたちは授業者の説明を集中してよく聞いています。道具や使い方のポイントを具体的に示し、今習得しようとしている技能を使って最後はどんな作品をつくるのかといった単元のゴールも明確です。また、「できるだけたくさん練習をする」「材料の木を押さえて友だちの補助をする」「グループでワークシートに気づいたことなどをまとめる」といったこの時間の活動のゴールも明確になっています。
指示を受けた後、子どもたちは学年ごとの教室に分かれて作業をします。授業者がいなくても子どもたちが騒がしくなるといったことはありません。のこぎりを持つ子どもはやることは明確ですから、真剣に行います。補助もしっかりやっています。しかし、一度に切ることができるのはグループに一人で、補助も一人で十分です。一部の子どもが、しばらくすると遊びだします。子どもたち決してやる気がないのではなく、自分がすべきことがないのです。グループでやる必然性がなかったことがこの状態での原因だと思います。
木を押さえる以外にものこぎりの角度や、向きなどが正しくできているのかチェックしてアドバイスすることを指示はしてあったのですが、誰がアドバイスするのかといったことは明確になっていませんでした。ローテーションのやり方を指示して明確にすることも必要だったかもしれません。木を切る練習だけなので、切った木は特に何も使いません。基本的に個人での活動です。グループ全員が同じ幅に切って、後でつなげて何かをつくるといった課題であれば、仲間の切ったものにもっと関心が向いたのではないでしょうか。
グループ活動では、グループである必然性が重要であることをあらためて感じました。

高校2年生の政治・経済の授業は、ディベートでした。
授業者は子どもたちの反応を「いいねえ」とポジティブに受け止めることや、つぶやきをひろうこともできます。教室はよい雰囲気で、子どもたちも問いかけにはよく反応してくれます。しかし、授業者が一方的にしゃべる時間がちょっと長いように思いました。
最初にこの時間の活動の何を評価するかを示します。しかし、「チームで点数をつける」「○○するとポイントが高い」「○○だと得だ」と、評価が、こうすればたくさん点数がもらえるという、試験の点数と同じレベルのものになっていました。確かに子どもたちを動かすのには手っ取り早い方法なのですが、これでは子どもたちが消費者的になってしまいます。この授業でどんな力をつけたいのかを明確にして、それができているのかどうかを客観的にするのが評価です。このつけたい力と連動した評価にすることを意識してほしいと思います。
続いて、「国家は必要か」というテーマでディベートすることを伝え、進め方の説明をしますが、子どもたちが一つひとつを咀嚼して理解する時間が足りないように思いました。子どもたちはディベートの経験はあまりないようです。そのため、説明を聞いても具体的にどのようなものか、何をすればよいのかイメージできず、話についていけていないようでした。そのためでしょうか、グループの隊形になる時に子どもたちの動きが遅いことが気になりました。
通常のディベートと違い、あらかじめどちらの立場になるのかをグループで決めます。これは結構難しい進め方です。もしどちらの立場になるのかグループ内で意見が分かれたときに、決定するうまい方法がないからです。ここは、機械的に振り分けた方がよかったように思います。
どちらの立場になるのか決めた後、子どもたちはワークシートを個人で埋めていきます。その作業からなかなか抜け出せずに、かかわれていないグループがありました。授業者はその一人に「いっぱい書けているから話そう」とかかわるように声をかけました。それを聞いていたグループの他の子どもがその子どものワークシートを覗き込みました。子ども同士をつなごうとすることはとてもよいことです。この時、話す側に働きかけるのではなく、「○○くんたくさん書いてあるよ。みんなで聞かせてもらおうよ」と聞く側に働きかけると、よりグループ全体がつながりやすくなると思います。
活動中に、授業者が「ほしいキーワードが出た」「素晴らしい意見」といったことを口にしますが、そうすると授業者が考える正解があると子どもたちが感じ、それを見つける活動になってしまいます。そうではなく、自分たちの意見を持つことが重要です。「○○をキーワードにしたんだね」とちょっと大きな声を出して全体に考えを伝えたり、「なるほど」と受容するだけにしたりすればよかったと思います。
また、ちょっと行き詰まっている子どもには説明をしていましたが、この課題に対して必要と思われる知識や情報は、活動前に全体で共有しておくとよかったと思います。授業者から伝える方法もありますし、子どもたちにどうやって考えるかと問いかける方法もあります。事前に伝えずに、途中でどのようにして進めているのかを発表させてもよいかもしれません。
時間の関係でディベートは1組だけで行われました。賛成側の最初の立論は時間が2分与えられていたのに、15秒で終わってしまいました。「それでいいのか?」と授業者に言われて、あわてて他の子どもが自分のワークシート差し出します。グループとして考えがまとめられていなかったようです。これは反対側でも同様でした。また、直接ディベートに参加していない子どもたちは、何を意識して聞くのかがはっきりしていませんでした。ちょっとグダグダしましたが、子どもたちはいい加減に参加しているわけではありません。何をすればよいのかのゴールがはっきりイメージできていなかったので、うまく対応できなかったのです。
最初に、ディベートのイメージをはっきり伝えておくことが必要でした。実際のディベートの動画を編集して5分ほどにしたものを見せるといったことをするとよかったと思います。授業者と子どもたち、子ども同士の関係もよいので活動のゴールを明確にするだけで子どもたちの動きはずいぶん変わったと思います。

先生方が授業改善に挑戦し始めましたが、最初から上手くいくはずはありません。しかし、新しい試みをすれば、子どもたちの姿に何らかの変化があるはずです。そこから多くのことが学べます。やってみなければ始まらないのです。先生方の授業がこれからどのように変化していくのかとても楽しみです。

国語教師以外にも読んでほしい本

私が国語の授業を見る時に必ず意識する先生がお二人います。野口芳宏先生と伊藤彰敏先生です。このお二人なら「この言葉をどのように受けるだろうか?」「この場面ではどのような発問をされるだろうか?」といつも心の中で問いかけながら見ています。国語の授業に対する私の基礎をつくっていただいた方たちです。そのお一人の伊藤彰敏先生が、明治図書から「国語嫌いな生徒の学習意欲を高める!中学校国語科授業の腕を磨く指導技術50」というご本を出されました。

伊藤彰敏先生とは学校現場やいろいろな会でご一緒させていただくことが多く、その度に多くのことを学ばせていただき、また、自分の未熟さに気づかされています。何気なく見える指導技術も、そこに至るまでの多くの研究、研鑽と、それを支える子どもたちへの強い思いがあってのことです。
かつて伊藤先生の授業を見た時、指導案では想定されていなかった本文中の言葉を子どもが発言したことがありました。伊藤先生はその子どもの言葉を活かして予定とは違う流れで見事に授業を進められました。授業後どうして瞬間的に授業の流れを切り変えることができたのかをたずねたところ、一言「教材研究です」と言って本文のコピーを貼り合わせて巻紙のようにしたものを見せてくださいました。そこには、重要な言葉に線が引かれ、文や段落の関係が線で結ばれ、色々なポイントがびっしりと書き込まれていました。その子どもが答えた言葉にもしっかりと線が引かれ、全体との関係がわかるようになっていました。これだけの教材研究をしていたから、この言葉からでも授業をつくれると判断し流れを変えることができたのでしょう。

この本には、この教材研究の方法についてもしっかりと書かれています。しかし、これを読んで、私にはそこまではとても無理だとしり込みしてしまう方もいるかもしれません。もちろん、だれもが最初からそこまでできるわけではありません。伊藤先生も若いころは今とは全く違った授業をされていたそうです。焦らず、一歩ずつ授業を改善していけばよいのです。この本を読むことで、そのための視点や姿勢が見えてくると思います。どういう視点で授業をつくればいいのだろうか、子どもに寄り添って授業をつくるとはどういうことだろうかということが行間からにじみ出ているのです。
伊藤先生の授業技術をまねることで授業はよくなると思いますが、たとえ自分のやり方にこだわったとしても、この視点や姿勢を身に付けることで、自ずと授業の質は上がっていくと思います。

また、今流行りのアクティブ・ラーニングという視点から見ると、伊藤先生の授業は古いタイプに見えるかもしれません。しかし、形だけペアやグループの活動をしてもそれは活動しているだけで、子どもたちが深い学びをしているわけではありません。教えるべきこと、考えるための材料、深い学びを生み出すための課題といったことがきちんと準備されていて初めて深い学びが成り立つのです。アクティブ・ラーニングという言葉は新しいかもしれませんが、子どもたちがアクティブで深い学びが成立している授業は、この言葉が言われる以前からたくさんありました。子どもたちがかかわる必然性のある場面では、ペアやグループの活動も取り入れられていました。伊藤先生の授業には、アクティブ・ラーニングの原点というべき考え方がその根底にしっかりとあります。形だけのアクティブ・ラーニングではなく、真のアクティブ・ラーニングを考えるきっかけを私に与えてくれました。

中学校の国語の先生だけでなく、小学校の先生にも、高等学校の国語の先生にも、いやすべての先生方に是非読んでいただきたい書籍です。きっと自分の授業を改善するきっかけを得られると思います。

授業改善の新たな動きを感じる

私立の中学校等学校で授業アドバイスを行いました。

夏休み前で子どもたちの集中が切れる時期でしたが、全体的にはよく頑張っていたと思います。
中学校はタブレットの導入のこともあり、先生方が意欲的に授業を工夫しているように感じました。こういった意識の変化はうれしいことです。
1年生はまだ、幼さが残りますがまじめに授業に参加しています。ただ、授業で自分たちに何を求められているのか、どのような姿勢で授業に臨まなければいけないのかがよくわかっていません。子どもたちの行動を価値付けしながら、授業に向かう姿勢を育てる必要があるでしょう。
2年生は、基本的にはよい状態なのですが、一部の元気な子どもと他の子どもの温度差のような物を感じます。積極的に反応しない子どもたちもノートを写したりはします。受け身の活動だけでなく、もっと他の子どもとかかわる必然性がある活動を組み込むようにしてほしいと思います。
3年生は、最近ちょっとした事件があったためか、子どもたちが落ち着きをなくしているようです。夏休みで一度気持ちがリセットされること願います。
高等学校の子どもたちは、全体的によく頑張ってはいるのですが、特に3年生で授業開始直後の授業者の話に対して集中度が低いように思いました。作業になると集中は戻るのですが、これも長く続くと切れてきます。相対的には、1年生がよく頑張っているように思います。当たり前かもしれませんが、子どもたちの参加度、集中度は、グループ活動、個人の作業、授業者の説明の順に下がっていきます。集中度が低くても授業は十分に成り立っていますが、これでよしとせずに、先生方にはより高いところを目指してほしいと思います。

この日はいくつかの英語の授業を中心に見させていただきました。
3年生の英語では、自分の考えや気持ちを英語で表現することに挑戦しいていました。レベルの高いクラスでは、世界の子どもたちが直面している貧困などの問題について各自でテーマを決め、自分の考えを高校2年生の後輩に英語で伝えることが課題です。色々な情報をネットなどで調べて、日本語で考えをまとめてから英文にするのですが、自分の考えをわかりやすく伝えるためのレトリックも指導されています。子どもたちは集中して取り組んでいますが、中には息が切れている子どももいます。英文をつくる以前に、自分でテーマを決めることからつまずいているようです。終始個人作業を続けるのではなく、要所要所でグループ活動を取り入れるとよいと思います。互いのテーマを聞きあったり、下書きを読みあったりするのです。友だちの物を参考にしてもよいとすることで、苦しい子どもの動きは変わると思います。
もう一つのクラスは、エッセイに挑戦していました。ここでも、レトリックを意識させています。エッセイなので、日本語ではそれなりのものが書けているのですが、日本文を英語に直接訳そうとするために、文構造のおかしな英文になってしまいます。話す・聞くはいちいち日本語に直さずにできるようになったのですが、読み書きはまだ苦しいようです。書くこと以前に、英文を読む量が話す・聞くに比べて圧倒的に少ないことも、こなれた英文を書けない理由の一つのように思います。一昔前の子どもたちであれば、イソップ物語や聖書物語のような読み物は内容が想像つくので、ある程度のスピードで読めます。こういった読み物をテキストに使うことで量をこなすことができたのですが、最近の子どもたちはこういった基本的な読書の素養がありません。読む量の確保はなかなか難しい問題です。この学校における英語教育のこれからの課題です。

1年生の英語表現の授業は、発音や、リスニングが中心です。
“star”か”store”かを英文を聞いて聞き分けたりするのですが、聞き分けることができても確認で読ませると発音がおかしい子どもがたくさんいます。正しく発音できているかどうかの確認が課題です。口の開け方などを隣同士で確認するような場面が必要かもしれません。
この日のテーマは電話での会話です。リスニングを通じて表現を学ぶのですが、電話では最初の挨拶は”Hello.”であるとか、名乗る時に、”My name is ○○.”とは言わずに”This is ○○ speaking.”といった基礎知識を、最初に全体で問いかけて確認します。中学校の時に英語が得意だった子どもがすぐに反応しますが、覚えていない子どもはついていけません。一部の子どもの発言で授業が進んで行きます。ちょっとまわりと確認するといったことをして、できるだけ多くの子どもが参加できるようにしたいところです。気になったのが、”Hello.”を日本語の「もしもし」と直接対応させていたことです。英語と日本語を1対1に対応させるのではなく、電話でのあいさつは英語では”Hello.”、日本語では「もしもし」と電話でのあいさつという”situation”で対応させることが必要です。表現したい、されている”situation”をそれぞれの国の言葉で考えるように習慣づけさせたいところです。
一連の会話をCDからの音声で聞き取りますが、ただ聞くだけでは聞き取れない子どもがたくさんいます。何度聞いても”situation”がよくわからなかったり、聞き取れない単語があると思考がストップしたりしているのです。
授業者は一つひとつの単語をすべて聞き取れなくても、大体何を言っているのかわかるはずだと、全体の大きな流れを聞き取ることをするように指導します。ヒントを言いながら何度も聞かせますが、聞き取れない子どもは次第にあきらめムードになって、早く答を教えてほしそうです。聞き取れている子どもも、もうわかっているのでやはり集中力を失くしていきます。
子どもたちに聞き取れた単語やキーワードを言わせたり、どんな”situation”か、まわりと確認したりするような場面が途中で必要でした。また、授業の最初に行った、単語の聞き取りの影響か、子どもたちは一つひとつの単語を正確に聞き取らなければいけないという意識が強かったように思います。そうなると、知らない単語は絶対に聞き取ることはできないので苦しくなってしまいます。こういったことにも注意が必要です。子どもたちが知らなそうな単語があれば、事前に「こんな単語が今日は出てくるよ。どこで出てくるかな?」と練習しておくことも必要でしょう。
電話での会話といっても、CDで聞くだけではなかなか”situation”は理解できません。リスニングの前に、「どんな時に電話する?」「電話で起こりそうなことは?」と固定電話で友だちと連絡を取る”situation”や起こりそうなことをいろいろと考えさせておくというのも一つの方法です。こうすることで子どもたちが会話の”situation”を理解しやすくなると思います。
リスニングでは、何回も聞かせるだけでは聞き取れるようにはなりません。子どもが自分で「聞けた」「わかった」と思える場面をどうつくるかが大切になります。そのための活動や投げかけを工夫してほしいと思います。

この日は、何人もの先生から相談を受けました。
「グループに1台のタブレットを使わせているが、1台だとなかなか自分が使う順番がこないという不満が子どもたちから出ている。子どもたちのタブレットを利用する意欲が高くなっていて、1人1台の必要性の手ごたえを感じている」という話がありました。注意してほしいのは、この状態で、1に1台の環境になると、子ども同士のかかわりが薄くなる可能性があるということです。タブレットを使う時に子どもが他者とかかわらないからです。そうでなく、何を調べているか他の子どもが見たり、これも調べたらと横から声をかけたりしてかかわり合うことが大切です。そのためには、タブレットはグループの真ん中においてみんなから見えるようにして使うといったルールを決め、今の内にタブレットを使ってかかわり合う経験を積ませることが必要です。
また、自分の授業を公開して一緒に考えてもらおうとしておられますが、一部の方しか参観してもらえないのでどうしたらよいのか悩んでおられました。自主的に自分の授業を公開しようとする方が出てきたことをとてもうれしく思いました。この学校が変わっていくためにはとても大切なことです。焦らずに少しずつでよいので、授業を参観することが自分たちの学びにつながることを知ってもらうようにしてほしいと思います。参観した方にちょっとしたメモでよいので授業から学んだことを書いてもらい、それを公開するといった方法もあります。授業を参観しなかった人も交えて、感想を聞き合うような場を設けてもよいでしょう。教科を越えて授業について話し合うような雰囲気ができることを期待します。

知識とそれを基に考えるようなワークシートを中心として授業をされている先生は、子どもたち自身で答を出すことを大切にして、正解を教えないようしているそうです。正解を教えないので、子どもが大きな間違いをしていないか、全員のワークシートをチェックしています。よい試みだと思います。しかし、チェックに時間がかかるのでどうすればよいのかという相談でした。一つは、チェックするところを、子どもたちに考えてほしいことなどの、本当に見たいところに絞ることです。では、他の部分はどうするかというと、できるだけ子ども同士で解決させるのです。子どもたちは、聞き合うことがまだうまくできていないようですが、根拠となる資料や記述を共有するといったやり方をきちんと教えるのです。確認の時間をつくり、グループ内で意見が違ったところを全体で取り上げるという方法もあります。ワークシートに、どこを参考にしたかを書く欄をつくっても面白いかもしれません。何人かの子どものワークシートから参考にしたところを抜き出して印刷し、正解の代わりに次の時間に配るのです。
新しいことに挑戦するから、新しい課題が見つかります。それを解決すれば、また次の課題が見つかるはずです。こうして、授業改善のサイクルを回し続けるのです。よいサイクルがまわり始めていると思います。

また、ある先生はグループの答を黒板に書かせましたが、それを見て意見を変えてもよいという指示をされていました。考えを深めるための一つの方法ですが、それまでに時間を使いすぎて、実質的にはもう一度考え直す時間をとれていませんでした。時間を与えれば考えが深まるわけではありません。子どもたちがある程度の考えを持てて、それ以上深くなりそうもなければ、早めに切り上げて発表させればよいのです。その後、グループ間の意見の対立構造を焦点化したり、考えを揺さぶるような問いかけをしたりして、もう一度グループに戻すことで考えを深めることができます。

学校の中で、授業改善に対する新たな動きが起こり始めています。この動きをより大きなうねりにできれば、学校全体が大きく進化すると思います。

手順を子どもたち自身が考えるためには視点が必要

前回の日記の続きです。

8年生(中学2年生)の家庭科の授業はスナップの縫い付けの実習でした。
授業者は活動のねらいや家庭科としてどのような力を子どもたちにつけたいかが明確になっている方です。指示や提示の仕方などがいつも工夫されています。

チャイムが鳴り終わる時に一人の子どもが遅刻して入ってきました。その子どもは授業者に頭を下げて「すいません」と謝ります。他の子どもは立ったまま挨拶を待っています。「みんな待っててくれてるよ。みんなに謝ろう」と授業者ではなく子どもたちに謝らせて、仲間を待たせているという意識を持たせるとよいでしょう。こうすることで、待たされている子どもも、その子どもに悪感情を持たなくて済みます。この学級の子どもたちは、遅れてき子どもを見て笑い声で迎えますが、バカにしたような笑いでありません。友だちの失敗を笑えるよい人間関係があります。
授業を開始する前に、授業者が「○○さんと△△さんが(実習用具を)全部配ってくれたんです」と伝えると、子どもたちからありがとうの声が上がります。こういったところにもこの学級のよさが感じられます。

各グループの机に配ったスナップの縫い付けの見本を子どもたちに見させて、日常生活の中でどのようなところで利用されているのかを確認します。実物を見ているので、どのようなものかがよくわかります。何人かがつぶやきますが、それをすぐに拾うのではなく、挙手するようにうながします。私的なつぶやきを公的なものにするよい対応です。
子どもの発言を他の子どもに復唱させたり、「見たことがある人?」とつなげたり、子ども同士をかかわらせることが意識されています。筆箱という答が出てきますが、何のことを言っているのか他の子どもたちはわかりません。「筆箱の?」とどの部分かを問い返しますが、うまく言葉が返ってきませんでした。その子どもは実物を持っていなかったのですが、自分の筆箱を見せながら「ここのところに」とどのようなものかを手で示します。「あー」という声が上がりました。その説明でわかった子どもがいたようです。すると、スナップのついている筆箱を持っている子どもが、カバンから取り出してくれました。それを見せてもらって、全員がどのようなものか納得しました。一人の子どもの発言を大切にして、子どもたち全員がつながったとてもよい場面だと思いました。

利用されている例を具体的に確認した後、授業者はスナップが取れたらどうするかを子どもたちに問いかけます。「つけます」というつぶやきに、「だれが?」と返し、「お母さん」という答に「そうか」と受け止め、「自分でつける人は?」と再び全体にたずねました。手を挙げた子どもに対してうれしそうに、「あー、えらい」と声をかけ、「もう中学生だから自分でつけられるようになってください」「とれたら直して使う」と言葉を続けました。押しつけかもしれませんが、こういった思いを伝えることも大切なことだと私は思います。

手元の見本を見て、特徴を調べてみましょうと次の指示をします。日ごろの授業の中で、特徴とはどのようなことを言えばよいのか、何のために特徴を調べるのかをきちんと理解させているのか気になります。
グループで意見を交換させますが、あまり言葉が出てきません。発表を求めますが、手が挙がるのは1グループだけです。「裏から縫い目が見えない」という意見に、「同じ意見が出たグループ」とつなぎますが、手が挙がるのはもう1グループだけです。授業者は「いいじゃないですか」とほめますが、すぐに「他に?」と次にいきました。ここは、見本を確認させ、本当にそうなっていることを全員に納得させたいところでした。

子どもたちから手が挙がらないので、「じゃあヒント」と言って、「縫い始め、縫い終わり」と続けました。ヒントという言葉を使うと答探しになってしまい、「縫い目が見えない」は授業者が求める正解でなかったのかと思ってしまいます。
授業者はちょっと間をおいて、「はい、わかった人?」と問いかけますが、もう少し待って、見本の縫い始めと縫い終わりを見つける時間、考える時間を与えることが必要だったと思います。
指名された子どもはわかっているようなのですが、うまく説明できません。授業者は「助けてくれる人?」と子どもたちをつなごうとしますが、多くの子どもは見本を手にして眺めているだけです。縫い始め縫い終わりがが、まだ見つかっていないのです。
授業者は「どこから縫っているかわかる?」と質問を変えますが、なかなか反応が出ません。「縫い始めと縫い終わりは何と何?」と続けて、「玉結びから始まって玉止めで終わる」という言葉を何とか引き出しました。この後かなり時間を取りましたが、子どもたちはうまく説明できません。結局ヒントを出しても子どもたちが説明できないので、またヒントを出すという悪循環に陥ってしまいました。一部の子どもから発言を引出しながら、結局、授業者が最後に説明をすることになりました。子どもたちは先生の考える正解があるから、それが出てくるまで待とうとしているようにも見えました。
ヒントを言わなくても子どもたちが気づけるような課題や発問の工夫が必要でしょう。「見本と同じように縫うには、どのようにすればよいのか?どこに注意したらよいのか?」といった課題にして、過去の経験と対比させるとよいでしょう。例えば、「ボタンつけではどのようなことを注意した?」と問いかけ、「縫い始め」「縫い終わり」「順番」といった視点を出させるのです。
また、スナップを「どうやってつけよう?試しにやってみて」と、説明せずに少しやらせてみてもよいでしょう。そうすれば自然にどこから縫い始めようかと考え、見本の縫い始めを探すと思います。

スナップを縫い付ける手順の動画を子どもたちに見せます。注意してほしいのは、動画は情が流れて消えていくので、なんとなくわかった気になるだけで、頭に残りません。「見終わった時にポイントを聞くよ?」と視点を与えておいて、個人またはグループでまとめさせるとよいでしょう。子どもたちが動画を見る時に自然にメモを取るようになってほしいと思います。
動画を見終わった後、黒板の前に子どもたちを集め、紙でつくった大きな模型を使って、授業者がていねいに実演してみせます。子どもたちはとても集中して聞いていますが、また受け身で聞くだけです。ここは、一つひとつ問いかけながら、子どもたちの声に従ってやって見せるといった、双方向の活動が必要な場面だと思います。

グループに戻って、各自で作業を開始します。参考になるように、動画をBGMのように流しますが、知りたいところにすぐにアクセスできませんので、こういう使い方にはあまり向いていません。単純な静止画の方がかえって使いやすいこともあります。

これだけていねいに説明をしても、混乱している子どもが散見されます。先生に教えてもらおうと声をかけますが、「どうだったでしょうか?グループのみんなを信じて聞いてみましょう」と他の子どもにつなぎます。学び合うことがよく意識されています。
1グループ3人ですが、男女市松の形になっていることもあって、子ども同士が聞き合っている姿がよく見られました。子ども同士のよい関係がつくられてきています、
スナップの凸と凹を逆につけている子どもがいました。指摘された時に、「どちらでもよくない?」と返します。凸と凹の特性の違いを理解していないので、このような反応をしたのです。手順を教える時に止める側が凸になる理由をキチンと考えさせることが必要でした。
途中で間違えている子どもたちのために、再度前で説明しますが、多くの子どもたちは自分に該当することだと思わず、作業に手一杯で聞く余裕がありませんでした。

手順の説明が終わるまでに時間の多くを使ったために、最期まで作業を終えることができた子どもはいませんでした。しかし、この日の最低ラインの目標である凸の方をつけることができた子どもはかなりいました。全員が最低ラインに到達できているグループを確認しましたが、ありませんでした。そこで、2人ができているところ確認して、素晴らしいですねと評価します。個人作業ではありますが、グループで助け合うこと、みんなができることを大切にしていることを伝えようとしています。
「苦しみながらもだいぶコツがわかったから、次回はすぐにできると思います」と前向きな言葉でまとめました。最低ラインの目標をクリアできなかった子どもへの配慮もしっかりしています。子ども目線で授業をつくることを大切にされていることが、端々から伝わります。
実技教科ですので、手順を教えることが必要ですが、授業者は子ども自身に気づかせる、考えさせることをしたいと願っています。このことをこれからも大切にしてほしいと思います。そのためには、「過去の経験を基にする」「どうなるとよいのかというゴールを意識する」といった、気づくため、考えるための視点が重要です。このことを意識して授業を組み立てるとよいと思います。

授業者はこの1年間、新たな工夫をいろいろされていました。多くの点で授業が進化したと思います。私のアドバイスがこういった工夫のきっかけになったと、授業者からうれしい言葉をいただきました。子どもの姿を基に、謙虚に授業改善を続ける方です。これからも、どんどん授業が進化していくと思います。

どのような力をつけるための題材なのかを意識する

前回の日記の続きです。

7年生(中学1年生)の数学は正と負の数の応用で、仮平均を使って平均を計算する課題でした。
授業者は子どもが集中するまで待てるようになっています。話をし始めたところ教科書を触っている子どもがいたので、いったん話をやめて教科書を閉じさせました。子どもの様子がよく見えるようになっています。
この日の課題は1か月の博物館の入場者数を基に、何曜日にイベント開けばよいかを考えるものです。ここでワークシートを配ります。子どもたちは配られたワークシートを見ながら、「平日がよさそう」「火曜日がいい」・・・とつぶやきます。授業者はそれを復唱します。子どもたちがうまく興味を持ってくれているようです。しかし、それを全体で共有しません。「どうして平日がいいの?」と聞き返すことで、現実の問題と数学がつながっていくはずですが、すぐに各曜日の入場者数の平均を求めてほしいと指示します。

子どもからは、入場者が少ない日にイベントをやればよいという考え以外にも、もともと来客が多いのは来やすい時だからその日にやった方がよいといった考え方も出るかもしれません。いずれにしても曜日ごとに入場者数がどう違うかを考える必要があることを子どもから出させたいところです。曜日ごとの入場者数を比較するのにどうすればよいのかを問いかけて、平均という言葉を引き出すとよいでしょう。単に数値的な答だけでなく、グラフにして見るといった考えが出てくれば大いにほめ、どんなグラフにするとよいかを問いかけて、平均の必要性を導いてもよいでしょう。子どもたちからすぐに平均が出てくれば、「平均は計算がめんどうくさいから、合計で比較してもよいでしょう?」と揺さぶります。深く考えずに平均だと考えている子どもに、曜日によって1か月に何回あるかは違うから、比較するには平均を取らなければいけないということに気づかせることができます。この日の授業は平均の意味を考えることが課題ではありませんが、こういった機会に数学のもつよさや統計の意味を考えさせることが大切だと思います。

小学校の時にどうやって平均を求めたかを問いかけます。子どもからは「全部足してその数で割る」というつぶやきが出ます。授業者がそれを復唱すると、今度は「どれか1個を基準にしてやる」という声が上がります。授業者はそれを受けて、今日は1個を基準にして平均を求めてもらいますと結論づけますが、まず、最初の「その数で割る」という言葉が何を意味するか確認して、平均の定義をはっきりさせることが必要です。「その数で割るってどういうこと?」と問いかけて正しい表現に直させ、平均とは何かを全体で確認するのです。
ここで、授業者は金曜日を例にして平均を求めさせます。「一番少ないのは430」と自分で基準を決めます。ここでは、何を基準にすればよいのかを子どもたちに問いかけ、その理由を言わせることが大切です。グラフを使って「どこを基準にするの?」と聞くのも面白いでしょう。また、子どもから一番少ないところという考えが出てくれば、「一番大きいところじゃダメなの?」「一番じゃなきゃダメ?」と揺さぶることでこの日のねらいに近づけたることができます。
小学校の時に一番少ないものを基準にしたのは、負の数を使えなかったからということや、基準より大きいものと小さいものに分ければ小学校でもできるといったことを子どもたちに気づかせたいところです。基準との差を正負の数を使って考えることで一元化できることを子どもたちから出させたいのです。これが、この課題のねらいなのです。

子どもたちに計算させ、全体で確認します。平均を求めた後、突然、基準にした数のことを「仮平均」と定義し、仮平均を440にした時の平均を求めるように指示します。すでに平均は求めた後なのですから、なぜこのようなことをするのか子どもたちにはわかりません。単に指示されたことをやるだけになります。しかも、ワークシートには手順が書かれていて、その穴を埋める作業をするだけで、数学的な思考はしていません。手順を教わる、覚える授業になってしまいます。

答の確認では、途中の計算を一つひとつていねいに行います。計算練習をしているようにも思えます。そうならば、もっとたくさんの問題を解かせればよいでしょう。ここでは、何を大切にしたいのかをはっきりさせる必要があります。
授業者は仮平均が違っても、答は同じになると確認します。あたりまえと言えばあたりまえですが、グラフなどを使って視覚的に納得させるとよいでしょう。もちろん、「元の数は(基準)+(差)と書き直せるので、合計は、(基準×標本数)+(差の合計)となることから、標本数で割ることで平均は(基準)+(差の合計÷標本数)つまり(基準)+(差の平均)となる」という説明でもよいでしょう。ただ、この考え方を扱うのなら、ちょっと難しいので、教師が説明するのではなくグループの課題とした方がよいと思います。

続いて残りの曜日の平均をグループに割り振って求めさせます。仮平均をいくつにすれば楽になるか考えてやるように指示しますが、いきなり教師が指示しても意味はありません。仮平均を使ってとりあえず1回やっただけなので、楽になる、楽にしたいという感覚もないでしょう。どんな方法でもいいからもっと計算をさせて、それから考えるべきだと思います。常に、授業者が子どもたちを自分の求める結論に誘導しているようで気になります。また、この作業をグループでやることにどのような意味があるのかよくわかりません。子どもたちが額を寄せ合って考える、悩む場面がないからです。

グループ毎にどんな仮平均が出たかを確認し、理由も聞きます。あるグループで中途半端な値を仮平均として提案した子どもがいたのですが、グループで一つに決めた時の理由がはっきりしません。その子どもなりにちゃんと理由があったはずですが、うまく聞きだせませんでした。ちょっと残念でした。
子どもたちは、他のグループの発表を聞いても、グループごとに問題は異なりますから「そうなったのね」で終わってしまいます。仮平均を使った平均の求め方を理解している子どもは集中力を失くしてしまいます。何を考えさせたかったのかよくわかりませんでした。

正と負の数は基準とどれだけずれているかを比較するのにとても便利です。この時間はこのことをまず一番に押さえるべきことです。仮平均の活用であれば、どこを基準としても平均は計算できる。自分に都合のよいところを基準にすればよい。これだけです。都合のよいというのは、どういうことかは各自でいろいろと考えてみればよいのです。「切りのよい数だと、差を求めるのが簡単だ」「本当の平均に近い数だと、差の合計が少なくなって、割り算が楽だ」といった言葉が出てくればそれで十分です。真ん中あたりの数を仮平均にするとそのまま平均となるような例があるのはそのためです。

授業者は、子どもを受容する力が上がっています。子どもとの人間関係もよいと思います。発言を迷っている子どもを様子から判断して指名することもできます。次の課題は、教科書で扱っている題材が数学的にどのような力をつけるためのものなのかをもっと考えることです。そうすることで、どのような活動に時間を割くべきかが見えてくると思います。また、それによって、子どもの発言をどのようにつなげばよいかもはっきりすると思います。今まで以上に、教材研究に力を割いてほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

用語の定義や見方・考え方を意識してほしい

前回の日記の続きです。

7年生(中学校1年生)の社会は気候の学習でした。
最初に、前時に学習した気候帯について、どんな気候帯があったかを問いかけます。半分くらいの子どもがノートを開きます。「まずは名前だけを言ってくれればいい」と挙手に頼らず指名します。指名された子どもはノートを開こうとしていましたが、指名されるとノートを閉じました。答は記憶で答えなければいけないと無意識に思っているのかもしれません。「サバナ気候」という答に対して、「あったねー」と受容した後に、「気候帯なんだよね」と気候帯と板書して、「帯とつくもの何かない?」と返します。
続いて「○○さん覚えている」と指名します。指名された子どもはノートを見ながら答えましたが、授業者は無意識のうちに知識を覚えることを求めていました。
この場面では、子どもたちは「気候(区分)」と「気候帯」の違い、関係がよくわかっていませんでした。ならば、まず子どもたちに問いかけるのは、「気候帯とは何か?」です。用語の定義や、なぜそういう考えが必要なのかを子どもたちが理解することが無ければ、社会科は知識を覚えるだけの教科になってしまいます。
前時の学習場面がわからないので何とも言えませんが、「帯」となっている意味もきちんと押さえたいところです。地球儀を見ながら、同じ緯度であれば日照時間や太陽高度は変わらないことに気づかせることで、気候と太陽に密接な関係があることが理解できます。
また、中学校ではケッペンの気候区分を基に気候帯を学習しています。ケッペンの気候帯の特徴は、平均気温と年間降水量を基に植生を意識してつくられていることです。植物(樹林)が育つかどうかで、非常に寒い地域、非常に乾燥している地域は植物が育たないので、最初に区別します。植物を意識することは、人が生活するために大きな要素となるからです。ここに社会科の本質の一つが表れます。社会科における見方・考え方を学ぶ大切な場面なのです。

この日の目標は「世界の気候についてもう一度考える」です。気候について考えるとはどういうことなのでしょうか。授業者そのことを意識していなければなりませんが、授業からはよく伝わりませんでした。
この日のワークシートを配って、グループをつくります。グループをつくってから教室の隅に置いてある電子黒板でいくつかの地域の雨温図を見せますが、見にくい子どもたちはどうしても手元のワークシートの方を見てしまいます。グループの隊形にして説明をする意味はありませんから、説明をしてからグループにするとよいでしょう。

この図を何と言うかを問いかけ、何が書かれているのかを確認します。ここで注意をしなければいけないのが、この雨温図には通常のものとは違い平均気温と年間降水量が書かれていることです。気候帯を大きく決定するのはこの2つだからです。しかし、授業者は「雨温図の見分け方はやったね」と言うだけで、このことに触れませんでした。ここに示した雨温図と気候帯を結びつけ、その理由も考えるという課題を提示し、「みんなの知識を結集して」と言って作業に入りました。
ここで、気候帯の数と雨温図の数が同じということが気になります。これだと試験問題の正解探しになってしまいます。また知識を結集すると言いますが、使うべきは各気候帯の定義です。これがわかっていないのに、雨温図を見て考えるのはおかしなことです。因果がごちゃごちゃになっています。

子どもたちは、一番熱いから熱帯というように、提示された雨温図の相対で答探しをします。逆に言えば、雨温図が一つしかなければ答を出せない可能性があります。同じ熱帯でも、熱帯雨林やサバナ、熱帯モンスーンなどの雨温図もいくつか混ぜることで、同じ気候帯に属していても雨温図の特徴が違うことに気づかせたいところです。そこから、そこに住む人々の暮らしが異なるはずだと考えさせ、より細かい気候区に分ける必然性につなげたいところでした。

子どもたちに結果を発表させ、その理由を問います。授業者は指名した子どもの発言がみんなに聞こえたかどうかを確認して、聞こえなければもう一度言わせます。みんなに伝えることが目的だと言って身体の向きを変えさせたりもします。全員に伝えることを意識させています。とてもよい姿勢です。ただ、話す側だけでなく、聞く側にも「しっかり聞こう」と意識させたいところです。互いに伝えたい、理解したいという意識を持たせることが大切です。また、1グループに発表させて終わりではなく、何人も指名します。一人の発表に対して、その意見をどう思うかとつなげることもします。意見をつけ加えようと挙手した子どもには、「いいよ」とほめることもできます。全員参加で、子ども同士をかかわらせることを意識できています。

気候の特徴を言わせて、それを理由にしますが、特徴と定義は違います。ここの因果関係は明確にしたいところです。熱帯である理由に、夏に降水量が多くて、冬に降水量が少ないという意見が出ました。授業者はこれをレベルが高いと評価しましたが、降水量の月ごとの特徴は気候帯とは直接関係ありません。子どもたちは、気候帯と細かい気候区分が混乱しています。授業者は実は乾季と雨季があることからこれはサバナ気候だと説明しますが、かえって混乱する可能性があります。これ以外にも、夏に乾燥するからといった気候帯と直接に関係のない理由が出てきます。温帯の雨温図の時に、温帯の中にいくつか気候があると、気候帯と細かい気候区の関係に初めて触れました。もっと早くに押さえておくべきだったと思います。
また、寒帯の理由を「平均気温が一番低いから」という発表がありました。もし雨温図の中に寒帯が入ってなければ、この考え方では間違えます。しかし、授業者は、何人かに納得したかと確認して、反対がないのでそれでよしとしてしました。これでは、試験問題の解き方を教えていることになってしまいます。

次の課題は地図上の都市と雨温図を結びつけるものです。この課題を先ほどよりは「実践的」と評しましたが、意味がよくわかりません。何となく試験問題を意識していたのでしょうか。こういった言葉が気になります。
気候帯は、多くは地図の緯度で決まりますが、内陸かどうかや高度にも影響されます。そういった地形がわからない状態で考えさせても、結局、資料等を見て答を探すことになってしまいます。社会科としてどのような見方・考え方を育てたいのかがよくわかりませんでした。

授業者は、子どもの発言を受容し、全員参加で子ども同士をつなげることも意識できています。しかし、なぜ気温や降水量に着目して気候が分けられるのか、それが人々の生活とどのようにかかわるのかといった社会科の見方・考え方が意識できていません。この後、気候ごとの人々の生活を学習しますが、そこで初めて触れるのでしょうか。この単元を通じてどのような見方・考え方を身につけさせたいかを意識する必要があります。
また、どうしても試験に出るような問題とその答の出し方を意識しているように感じます。何を根拠にすればよいのか、根拠となる定義や特徴とその違いといったことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

中学生のレベルを超えていると思いますが、グループでやるなら、正しいケッペンの気候帯の定義を基に、雨温図がどこの気候帯になるのかを考えさせても面白いと思います。条件文が入った定義ですから、国語の読み取りの力も必要です。また、式に雨温図の数値を当てはめる必要もあるので、数学の力も必要です。教科横断的で子どもたちのいろいろな力が必要なので、グループで活動する必然性も出てきます。ジャストアイデアですが、こんな授業も面白いかもしれません。

前向きに授業改善を続けている先生です。見方・考え方を意識することで、授業は大きく進化すると思います。今後が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

子どもたちが根拠を持って考えるために何が必要かを考える

前回の日記の続きです。

7年生(中学校1年生)の国語の授業は、バラバラにした説明文を正しい順番に並べ替えるものでした。
前時に並べ替えを終わって提出させています。それを配ってもう一度見直すところから授業は始まりました、配る前に説明文を読む時のポイントを確認します。
挙手をさせずに最前列の子どもを指名します。その子どもの発言を受けて、「始め」「中」「終わり」と板書をします。子どもたちは落ち着いてよい雰囲気なのですが、指名された子どもは授業者に向かってしゃべり、発言者の方を向かない子どもや、集中していない子どもも目につきます。「始め、中、終わり」は小学校の言葉なので、中学校の言葉で何と言うのかを問いかけます。数人の挙手ですぐに一人を指名しました。発言者はノートを見ながら答えていましたが、ノートを見れば答がわかるのに他の子どもがノートを見ようとしていないことが気になりました。手が挙がらない子どもたちにノートを確認させたいところです。
授業者と子どもの関係はよいのですが、子ども同士のかかわりがまだ弱く、発問に対する参加意識も低いように思います。時間のこともありますが、復習場面では、同じ答でもよいので、テンポよく何人も指名して参加させたり、まわりと確認をしたりといった活動を入れたいところです。

確認したポイントを基に、前回やった並べ替えをもう一度見直すように指示します。子どもたちは自分のワークシートを眺めていますが、ポイントと並べ替える作業との関連が具体的にどういうことかがよくわかっていません。中には、教科書を読んで正解がわかっている子どももいます。子どもたちは理由の欄を埋めようとしますが、何を書けばよいのか困っているようにも見えました。5分ほど時間を与えましたが、時間を持て余しているようでした。
例題を使って、ポイントを基に考える場面があると子どもたちの様子は変わったのではないでしょうか。例えば、違いが文頭の「したがって」と「なぜなら」だけの原因と結果を表わす2組の文を用意して、「接続語に着目する」というポイントを使って順番を考えるといったものです。2つの文の関係と接続語の果たす役割から、根拠を持って順番を決めることができることを実際に経験させるのです。また、説明文のポイントと合わせて、段落の役割、内容にどんなものがあるかを「具体例」「根拠」「原因」「結果」・・・と子どもたちから出させておくと、自分が並べ替えた文章の構成を見直し、根拠を持って説明できるようになると思います。

続いてグループ活動をするのですが、グループで順番を決定することがゴールになっています。グループで話し合うにしても、子どもたちはその根拠を明確にできていません。答を知っている子どももいますから、これが正解だと言われると反論もできません。授業者は根拠にこだわらせようとしていましたが、子どもたちはどのようにして決定するかの明確なプロセスを持っていませんでした。落ち着いて話し合ってはいましたが、説明文の構造や最初に出したポイントを根拠にして結論を出している場面はほとんど見られませんでした。「○○の順番じゃないかなあ」と言う子どもが、「違う」と一言で否定され、しかたなく自分の答を書き直している場面もありました。
「筆者の考える順番以外でもよい」「筋の通る並べ方は一通り?」と問いかけ、これが正解だと決めるのではなく、これもよいのではと言う視点で比較させても面白かったかもしれません。「友だちの説明を聞いて、最終的な自分の並べ方を決定する」と、個人の結論を出すためにグループ活動を使ってもよかったかもしれません。全体の場で、自分の考えを変えた子どもにその理由を聞くことで根拠についてみんなで考えやすくなります。また、この段落とこの段落は絶対にペアになるというものをまず考えさせ、全体で共有しておくことで、文章全体の構造を考やすくするという方法もありそうです。

文につけた記号を使って、各グループの答を板書させます。全体で確認するにも記号だけなので内容の確認ができません。どうしても子どもの顔は上がりません。各文を大きく書いた短冊を用意して、話題になっている段落だけでも貼って、黒板を見ながら話を聞けるようにしたいところでした。

まず、先頭の段落を決めた理由を聞きます。発言者の声が小さいのですが、授業者は手を耳にあててしっかり聞こうという姿勢を伝えます。他の子どもたちに聞こえたかどうかも確認しました。全員に聞いてほしいと思っていることが子どもたちにも伝わります。
「自分の経験をもとに話題を出している」という説明でしたが、授業者はすぐにそれを板書します。ここは、「話題ってどこのこと?」と具体的に本文につなげる、「話題を出していると最初なの?」と根拠をより詳しく聞く、「なるほどと思った?」と他の子どもに納得したかどうかを確認し、納得した子どもによくわからない子どもへの説明を求める、といったことが必要だったと思います。根拠を大切にするためには、根拠とはどのようなものか、どう説明すると伝わるのかを子どもたちに経験させていくことが必要なります。

理由は同じかと他のグループに聞きますが、なかなか反応がありません。一人の子どもが挙手をして答えますが、視点は同じように話題づくりというものでした。
ここで、違う答のグループに対して、今の説明を聞いてどうかを問いかけました。ここからが子どもたちの考えを深める場面ですが、声が出ません。「やっぱり考えは変わらない?」「強い理由がありますか?」と続けますが、反応がありません。ここは考えを変えたかどうかは別にして、「こちらを選んだ理由を聞かせて?」とストレートに聞くとよかったでしょう。正解である多数派の子どもたちに、この理由を聞いて納得したか、考えは変わらないかを聞いたほうが、説得しようとしてより根拠を明快にできたかも知れません。ちょっと結論を急ぎ過ぎのように思いました。

結局、先生がこういった段落を序論と言うと結論づけました。論理が逆転しているように思います。「序論とは何か?」「なぜ最初にこういう段落が必要なのか?」といったことをきちんと整理しておいてから、この問題に取り組むべきでしょう。
「わかった」と違う答のグループに納得することを求めますが、なかなか反応しません。また正解のグループの子どもたちは、スッキリしたという反応ではありませんでした。最後は先生が説明して納得させようとするのでは、子どもたちは無意識のうちに先生の求める答探しをしてしまいます。

2番目の段落の理由を発表させます。子どもの説明はちょっと言葉足らずでした。授業者は質問しながら、「ああ、わかった」と言って「皆さんどうですか?」と聞きます。うなずいている子ども見つけて「うなずいてくれています」とつなぐのですが、そのまま授業者が説明しました。せっかく子どもがつながりかけているので、できればその子どもを指名してもう一度説明させ、子どもの言葉で全員が理解するようにしたいところです。「他に根拠がなければこれでいいですか?」と一問一答になってしまいました。

次の段落の理由で、「この」という指示語に注目した意見が出ました。同じ所に注目したグループはないかと聞きますが、このグループだけだったようです。他のグループの理由を聞き、発言を「壺と言う言葉でつながっている」とまとめて、だから答はこうだと結論づけました。先ほどのグループの意見は無視された形になってしまいました。このグループの一人が、他のグループの意見を聞いている時に、作業用のシートを指さしながら前にいる友だちに何か話していました。この子どもが何をしていたのか、何を考えているかを聞きたいところでした。
「どちらも壺という言葉でつながっている」という意見は、2つの段落が近いことの根拠にはなりますが、その順番を決定する要素ではありません。「何について書いてある?」「この2つの文の関係は?」「どちらが先?」といった問いかけで、文の関係を意識させることが必要だったと思います。最初に示した説明文のポイントを意識することなく、表面的な理由だけになってしまい、答を導き出せればよいという答探しになってしまいました。

授業者は根拠を問いかけているのですが、時間があまりなかったこともあり、どうやって考えたか、どんな議論があったかという過程を聞くことができませんでした。挙手をする子どもはごく数人です。多くの子どもたちが根拠もって考えられる、参加できるようになるために何が必要なのか、何を共有すべきなのかを明確にする必要があります。
説明文の構造、構成要素を意識させ、段落の内容を基にどれにあてはまるのか、それはどの言葉からわかるのか、キーワードは何かといったことをまず考えさせるとよいと思います。考えるための足場をつくることで、根拠を明確にすることができるはずです。

授業者は子どもの言葉を聞くことや全員を参加させること、根拠を大切にしようとしています。こういったこと意識して授業をしているのはとても素晴らしいと思います。以前と比べて確実に授業改善がされています。だからこそ、より高い壁にぶつかります。授業者はうまくいかなかったと反省されますが、失敗を気にせずに次はこうしようと前向きにとらえてほしいと思います。焦らずにこの姿勢で授業を続けていけば、きっと子どもたちは先生の求める姿を見せてくれると思います。

この続きは次回の日記で。

子どもたちが考える道筋を授業に組み込むことが課題

前回の日記の続きです。

8年生(中学2年生)の理科の授業は、発熱反応の学習でした。
これまでの復習で、化学反応について問いかけます。子どもたちからは酸化、還元といった言葉が出てきます。授業者はそれを拾って説明しますが、一部の子どもの反応だけで授業が進んでしまいます。つぶやいた子どもに全体に向かってしゃべらしたり、その用語の説明を他の子どもに求めたりといったことが必要です。用語ばかりで、酸化とはどのような化学反応なのかといったことがきちんと押さえられていないことも気になりました。
燃焼を熱や光を出す酸化という説明をしますが、子どもたちは熱については感覚的にしかわかっていません。熱と温度の関係をある程度理解していないと、この日の実験の意味はわかりません。

授業者は温かいものと冷たいものを混ぜた時の温度変化を例にして、熱が移動したという説明をします。以前と比べて子どもたちはよく授業者に集中しています。子どもたちが集中するまで話を始めないといった基本的なことができていることが大きいと思います。
温度が上がるということを熱の移動で説明しますが、もう少し温度との関係を押さえておきたいところでした。中学校の範囲では熱については詳しく学習しないので、難しいのですが、物体の熱の量が増えると温度が上がる、減ると下がるといったことだけでも明確にしておくことが必要だと思います。
今回の実験は、直接熱量を測るのではなく、物質の温度を媒介にして、熱量の変化を見ます。このことも意識させたいところでした。理科の実験では、直接測定できないものをそれと関係のある別のもので測定することが一般的です。重さを測ってその値から質量を得ることなどが典型です。無重力状態では重さゼロですが、質量は元のままです。天秤では質量の違いはわかりませんが、同じ力で動かせば、速度の違いで質量の違いがわかります。こういった視点を育てることが重要です。

この日の実験のためのワークシートを配りますが、中身は白紙です。自分で必要なことを書かせるという発想はよいと思います。そこに何を書いたかを後から聞いて、視点を全体で共有するとよいと思います。

使い捨てカイロを見せて、どうしてあったかくなるのかを子どもたちに問いかけます。子どもたちは、よく反応してくれます。その言葉を拾うだけでなく、ちょっとまわりと相談させる、子どもに説明させて納得するか問いかけるといった、子どもをつなぎ、広げる活動も必要に応じて組み込みたいところです。

授業者はこの日の実験の手順を説明しますが、子どもから「何が目的なの?」と言う声が出てきます。とてもよいつぶやきです。授業者がこの言葉を拾うことができなかったのが残念でした。
「使い捨てカイロが温かくなるのはどうして?」「どこから熱が来るの?」と問いかけ、どうやって調べればよいか考えさせることが必要です。温度を調べるというのであれば、どこの温度を測ればよいのかを考えさせます。熱がどこかから来るのであれば、そこの温度は下がるはずだということを事前に押さえておけば、何か所かを測るべきだと思うはずです。
疑問や仮説を持たせずに指示に従って実験をさせるので、「何が目的なの?」という言葉が出てきたのです。

使い捨てカイロと同じ原理で、鉄と炭を混ぜ、食塩水を垂らして、その温度を測ります。なぜ食塩水かについては、海では鉄がよく錆びるといった子どもたちの経験と結びつけてやりたいところでした。
単純で地味な実験ですから子どもたちの集中が続くか心配でした。しかし、熱中しているということはないにせよ、思ったよりも落ち着いた状態で温度計の目盛りを読んでいました。グループでの人間関係も悪くありませんでした。だからこそ、子どもたちに疑問や仮説を持たせておけば、もっと集中して実験に取り組んだと思います。

実験の結果、温度が上がったことを確認して、「温度が上がったということはどういうことでしょうか?」と問いかけます。熱と温度の関係を明確にしていないので、子どもたちは何を答えてよいのかわかりません。「熱?」というつぶやきが出たのでそれを拾って「熱が?」と返して、「熱が移動してくる」という言葉を引き出しましたが、どうしても一部の子どもとのやり取りで進んでしまいます。ここはまわりと相談させるとよい場面です。
「では、どこから?」と言って考えさせます。
子どもたちが考えている間に、ここまでのことを黒板に書き始めます。子どもたちは行き詰まっているので、考えることをやめて板書を写し始めました。ここは板書を我慢すべきだったでしょう。
板書を写し終ると再び考え始めましたが、考える糸口がありません。子どもをミスリードするために、わざと熱の移動にこだわっていたのですが、そこから抜け出せずにいました。
「炭」「塩」「空気」「酸素」といろいろ出てきます。これは実験する前に問いかけても、出てきたはずです。であれば、どうやれば測れるだろうかと考えて、何とかこれらの温度を測らせたいところでした。
授業者は「これはおかしいというものをないか?」と問いかけますが、子どもたちは考えようとしていても手がかりが見つかりません。「空気から熱が移動したのなら空気の温度は?」と続けますが、調べていないので反応できません。グループで相談させれば、声が出たかもしれませんが、全体で進めたので言葉が出てきませんでした。
結局授業者が「化学変化で熱が発生した」と説明をしました。

子どもたちは真剣に授業に参加しています。子どもたちが考えるための糸口を準備してあれば、自分たちなりの結論を出せたはずです。
熱の移動でミスリードしようとしたのが、結果的には失敗でした。「温度が上がるということは熱が加わった」「温度が下がると熱が奪われた」「一方の温度が上がって他方が下がれば熱が移動した」と整理しておいて、「使い捨てカイロの熱はどこから来るのか?」という問いで、何か所かの温度を測らせて考えさせたいところでした。
実験の前後を比較して「温度が上がっている」「熱を奪われたものはない」「変化したものは鉄と酸素で、これらが結びついて酸化鉄になった」という事実を整理して、そこから「熱はどこから来たと考えられそう?」と問いかけたいところでした。

授業者は落ち着いた話し方で、子どもたちの言葉をよく聞き、大切にしようとしています。子どもたちも真剣に授業に取り組んでいます。だからこそ、子どもたちが考える道筋をうまく授業の中に組み込む必要があります。子ども同士をつなぐことと合わせて、次の課題が見えてきました。簡単なことではありませんが、意識して授業を考えることで、きっとできるようになると思います。

この続きは次回の日記で。

どのような活動をすれば子どもたちの力がつくのかが次の課題

前回の日記の続きです。

7年生(中学1年生)の音楽はリコーダーの練習でした。
最初に忘れ物の確認をしました。だれも忘れ物をしていなかったことを一言、「素晴らしい」とほめました。これ以外にもいろいろな場面で子どもたちを認めたり、ほめたりしていました。子どもたちの自己有用感が高いからでしょうか、よく集中して授業に参加していました。

挨拶の後、教科書のタンギングについての記述に注目させますが、今一つ集中できていないように見えました。しかし、授業者が「こんな風に吹いている人いませんでしたか?」とリコーダーを吹き始めると、一斉に顔が上がり一瞬で集中しました。子どもたちの参加意欲を感じます。全体での練習も全員の姿勢がよくそろっています。しかし、男子だけ、女子だけといった指示をすると、指示されなかった方の集中が落ちて、姿勢が崩れます。どちらか一方が集中できていない時には、別々にやらせることが効果的なこともありますが、この場面では特に必要な状態には思えませんでした。せっかく別々にやらせるのであれば、やらない方にも役割を持たせるとよいでしょう。例えば、自分の隣の子どもがうまくきているか確認して、できていれば「いいよ」と伝えるといったことです。

教科書のリズム譜を見て、メトロノームに合わせて手拍子を打ちます。指示がよくわからなかった子どもが隣の子どもに聞いています。男女市松に並んでいますが、自然に隣同士で声をかけ合える関係になっていました。
ちょっとテンポが速く難しいところで、ついていけない子どもが目につきます。授業者は「たーん、たん」としっかりと声を出し、子どもたちをほめながらできていないところを何度もやり直します。手が動かなかった子どもも次第に動くようになっていきます。子どもたちの状況をよく見て活動をさせていました。

続いてグループで練習させます。全体での練習で、意欲が少し低そうな子どもがいました。机もすぐに移動しません。授業者は素早くその子どものところに行って机をしっかりと他の子どもの机と密着させました。よい対応だと思います。
手拍子がずれていている子どもがいたらそのことを教え合うように指示をして、練習を始めます。ただ、教科書のリズム譜を見ながらなので、友だちの手元に注意を向けにくいことが気になりました。中には授業者の手元を見て確認している子どももいます。練習する人とチェックする人をグループの中で分けるといったことが必要かもしれません。
練習が終わると、うまくできたのでしょうか、子どもたちから笑い声が聞こえます。この活動を楽しんでいることがわかります。
続いて、リコーダーで先ほどのリズムでタンギングの練習をします。吹き始めようとした時に、子どもたちに姿勢をよくするように一言指示をしました。子どもたちの状況によく対応しています。

最初意欲が低いように見えていた子どもがリコーダーを吹く場面ではよく頑張っていました。それとなくほめてあげたいところでした。吹き終ると身体ががくんと崩れます。頑張っているので気づきにくいのですが、集中が落ちたのではなく、体調が悪い可能性があります。授業の後半に授業者もそのことに気づいて声をかけました。保健室に行くように指示しますが、本人は頑張りたいようです。無理をしないようにと言ってそのまま参加させました。

一斉ではなくグループごとに練習をさせますが、授業者は個別のグループにかかわりすぎて、全体が見えなくなっているようでした。バラバラの状態でうまくグループで練習ができていないところもあるのですが、そこに対して支援ができていません。グループで練習しろといっても、実はそのやり方は決まっているわけではありません。子どもたちが経験的に知っているかもしれませんが、「どうやってやろう?」と問いかけたり、授業者が具体的に指示したりすることが必要だったように思います。

グループを3つの固まりに分けて、3段のリズム譜を1段ずつ順番に演奏させた後、今度はグループごとに違う音を出させます。ドミソの音を選ばせることで、ハーモニーをつくろうというわけです。単純なタンギングでも、ハーモニーをつくることで美しく聞こえます。合奏のよさを感じることにつながります。よい活動だと思います。
グループごとにどの音を演奏するかを選ばせました。どの音を選ぶかにあまり意味はありませんので、こういう場合は、授業者がどの音かを決めて指示した方が時間のムダもないと思います。
演奏の途中でなぜか一人の子どもが笑い出して、やり直しになる場面がありました。まわりの子どもたちも一緒に笑っていました。失敗をバカにしたり、責めたりせずに笑い飛ばせるのはとてもよいことです。よい学級だと思いました。

リコーダーの練習が終わって合唱の練習に移りました。
子どもたちがきちんと歌う姿勢になるまで、待つことができます。子どもたちはよい姿勢で歌い始めました。ただ、いきなり歌わせたので、声が出ていません。時間があまりなかったからかもしれませんが、少しだけでも発声練習をしてから歌わせるとよかったと思います。
歌い終わった後、友だちと見あって歌うことを指示します。子どもたちは楽しそうに歌っています。こういったかかわりはよいと思います。ただ、歌が上手くなるためには何をすればよいのか、具体的な方法が授業に組み込まれていませんでした。次の歌では、パートごとに歌って他のパートが聞くという場面がありましたが、何を意識して歌うのか、聞くのかということが明確ではありません。どうすればうまくなるのか、そのポイントや視点を子どもたちが意識して活動することが大切です。

丁度一年ほど前にも同じ授業者の7年生の授業を見せてもらいましたが、その時の様子とは全く別物です。授業規律や子どもたちとの人間関係は本当によくなっていました。意識してこの1年間授業に臨んでいたことがわかります。
次の課題は、どのような活動をすれば子どもたちの力がつくのかという授業設計や授業技術です。これは一朝一夕で身に付くものではありませんが、いつも意識して授業に取り組んでほしいと思います。素直な方なので、確実に成長してくれると思います。

この続きは次回の日記で。

子ども同士がかかわり合い、考えを深めることが次の課題

前回の日記の続きです。

9年生(中学3年生)の国語の授業は、「和語」「漢語」「外来語」の特徴や語感を考えるものでした。
授業者は以前と比べると、子どもをよく見て授業を進めることができるようになっていました。挙手だけに頼るのではなく、子どもの反応を見て指名する場面も見られます。
「ディズニーシーでハッピーな時間を過ごすことができました」という修学旅行の思い出を学年便りに載せるならどう書くかという問いかけで授業が始まりました。自然にまわりと相談する子どももいます。授業者は「ハッピーを幸せと置き換える」という意見がチラチラ出てきたと、子どものつぶやきを拾って紹介します。子どもの言葉を拾うのはよいのですが、少し自分でしゃべりすぎているように思いました。きちんと全体に対して発言させて、授業者ではなく子ども自身の口で共有することを意識するとよいでしょう。
「幸せ」に置き換えた人がなぜそうしたのかを全体に問いかけます。友だちの考えを想像させるというのはよい発想です。反応した子どもがいたのでしょう、挙手に頼らずすぐに指名しました。しかし、質問から間を置かなかったので、他の子どもたちは考える時間がありません。指名したとたんに、他人事になってしまいました。一人ひとりが自分の考えを持てると、友だちの考えを聞きたくなります。子ども同士をつなげるために何が必要かを意識してほしいと思います。

「みんなが見るから」という意見に対して、「どこに載せるの?」「学年便り」とつなぎ、「みんなにに見られるから、学年便りに載せるから、ハッピーではダメなの?」と返します。「ハッピー」はどういう印象なのと問いを変え、挙手に頼らず次々指名していきます。一見するとテンポがよさそうに見えるのですが、個々の意見を全体で共有できていません。一部の子どもと授業者だけのやり取りで進んで行くことになりました。
「幸せ」という言葉と同じ意味の言葉に「幸福」があることを授業者が提示します。最初の文章の「ハッピー」を「幸福」に変えるとどうなるかを問いかけ、「渋い顔をした人がいる」と指名します。「ピンとこない」「おかしい」といった発言が出てきます。それらの言葉を受容しながら何人も指名します。「○○さん、今の意見聞こえた?」とつなぐことも意識しているのですが、やはり子どもたちの顔が上がらず、反応しません。「同じように思った人?」「似た意見の人?」と友だちの意見を聞くことを意識させる必要があると思います。

ここで、この日のワークシートを配ります。ワークシートには「新しく農業を始めるには、地域の(サポート・支援・手助け)が必要です」という文が書かれています。自分ならどの語を選ぶかを決めさせます。条件や目標がはっきりしていないので、根拠を持った答が期待できるものではありません。どれを選ぶかはきれいに分かれました。
選んだ理由を聞きますが、明確な根拠があるわけではありません。言葉には共通に感じる語感がありますが、そのどれを選ぶかは個人の嗜好にもよります。どこに焦点を当てているのかがはっきりしません。語感の共通性を意識させるのであれば、その言葉を選ばなかった人でも言葉から感じるものは同じなのかを聞いてみるとよいと思います。
子どもたちの発言は「伝わりやすい」「雰囲気がつかみやすい」といったもので、はっきりしていません。「それってどういうことだろう?」と問い返して、もう少し詳しく聞くことが必要でしょう。

この場面でも、子どもたちは発言者の方を向きません。授業者は発言者にみんなの方を見るように指示しますが、発言する側だけでなく聞く側をもっと意識させることが必要です。
授業者は言葉を選択することから根拠を発表するまでかなり時間を取りましたが、ワークシートを配る前に問題文を提示して、その場でどれを選ぶかを聞いてもよかったと思います。挙手で意見が分かれることだけを確認して次に進むのです。根拠を持って考えられる課題に時間を使うべきでしょう。
次の課題では、状況を設定して言葉を選ばせます。「友だち同士」「大勢の人の前」「初めて会うお年寄り」という3つの状況です。ここで、選択肢と状況が3つずつであることが引っかかります。当然のように子どもたちは3つの選択肢を1対1に対応させようとします。試験問題を解く感覚です。子どもたちは正解探しを始めます。そうではなく、状況をもっと増やして、同じ言葉を選んだ理由の共通点を考えることで、言葉の持つ語感に気づかせたいところです。「親に話す」といった場面で、「友だち同士」と同じか違うものを選ぶかの理由を聞くことで、語感を違うと感じているのではなく、親との関係が言葉の選択に影響していることにも気づけます。

子どもたちの意見は、選ぶものは違っても感じる語感は大きくは異なっていないように思います。どんな語感の言葉を使うべきかが異なっているのです。ここを焦点化せずに理由を聞いても、深まっていきません。子どもたちの意見を聞いた後、正解はないと説明して、この問いに関する国立国語研究所の調査の結果を発表します。これらの言葉の種類に違いがあると、「和語」「漢語」「外来語」という用語を定義します。語感には触れずに、これらの使い分けを考えてもらいたいのでこのような活動をしたとまとめました。
授業者は文で使われている言葉が、「和語」「漢語」「外来語」のどれかを答える問題に取り組ませます。単なる分類の練習になってしまいました。そうではなく、「和語」「漢語」「外来語」で語感がどのように違うかをいろいろな例で考える活動が必要だと思います。
答の確認場面では子どもの顔が上がらないことが気になりました。わかっているのでちゃんと聞かなくても大丈夫と思っていたのでしょう。

教科書の説明文にはてんぷらなどの外来語だと意識されなくなっているものがあることも書かれています。こういった例を使って、言葉が生きていることや、時代とともに変化し使われている内に手垢がつくことなどにも気づかせる活動を入れたいところでした。

最後に教科書のまとめを読んで、日常生活で「和語」「漢語」「外来語」を使いこなすことを意識してほしいとまとめました。授業者の伝えたいことを自分で説明することになってしまいました。子どもたち自身でこのことに気づくようにしたいところです。選んだ言葉によって、自分と相手との関係性がわかる、相手のことをどう思っているのか伝わるといったことに気づかせ、子どもたちがそういったことを意識して言葉使おうとするようになる授業展開を考えてほしいと思いました。

子どもの言葉をしっかりと受容できるようになり、子どもとの関係も良好です。子ども同士がかかわりながら、自分たちで気づける、考えを深めるような授業にするのが次の課題です。そのためには、教材研究も重要です。子どもたちのどのような活動をさせると、目指す姿が見られるのかを意識してほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

道徳で、子どもたち自身の問題として深く考えさせる

小中一貫校の中学校で授業アドバイスを2日間行ってきました。
昨年度と比べて、全体的に子どもたちが授業によく集中するようになったように思います。先生方が授業規律を意識していることや、グループ活動を意識して座席を男女市松模様にしていることがよい結果を生み出しているように思いました。

9年生(中学3年生)の道徳は、「人との接し方」という読み物を利用したものです。電車で優先席に座っているチャラチャラした感じの高校生くらいの女の子が、足の不自由なおばあさんに席を譲らないので、隣に座っていたおばさんが見かねて席を譲るように注意をします。それを見て主人公が考えるお話です。

最初に「人との接し方」という読み物のタイトルを板書し、修学旅行で公共交通機関を利用したことを思い出させ、思いやりのある人はどんな人かを問いかけます。こういった問いは、道徳では授業者が何を求めているのかを子どもたちが予想するので、注意が必要です。子どもたちはなかなか反応しませんでしたが、何を答えるべきか授業者の意図を計りかねているようにも見えました。子どもの本音を引き出したいのであれば、とりあえずまわりとしゃべらせて、どんな意見が出たかを聞いた方がよいように思います。

資料を配り授業者が範読します。子どもたちは手元の資料を見ながら聞いていますが、中には、すぐに自分で終わりまで読んでしまい、手持ちぶさたにしている子どももいます。
足の不自由なおばあさんに女の子が席を譲らない場面でいったん止めて、内容を確認しました。女の子役とおばあさん役を選んでその様子を再現させます。状況を把握したり、登場人物に感情移入させたりする方法です。この様子を見ている主人公の気持ちになって、「どんなこと思う?」「じゃあ、女の子は?」といった問いかけをして感情移入させるのかと思いましたが、授業者は状況を解説してすぐに先に進めました。おばあさんや女の子、主人公の心の声を子どもたち言わせても面白いかもしれません。内容の把握だけであれば、中学生ですからあまり必要のない場面のように思いました。

登場人物の気持ちを個別に問いかけながら丁寧に進めますが、子どもたちは資料を見たままで聞こうとはしません。自分の問いにはなっていないのです。読み取りが目的ではないのでここにあまり時間をかける必要はないと思います。資料を配らず、不要と思われる描写は省略して、確認すべきこと強調すべきことをその場で板書しておくなどして時間短縮を図るとよいでしょう。「女の子に席を譲るように声をかけたおばさんは思いやりのある人と言えるか?」という、本題に入るまでに15分を使いました。

子どもたちに自分の考えをまとめさせて、グループで意見を聞き合います。隣に座っているのだから自分が席を譲ればいいと言う意見も出てきます。実話だから仕方がないのですが、隣に座っている人が注意をするのでは今一つ説得力がありません。この時点でおばさんに焦点を当てるとちょっとずれていくような気がしました。

活動を止め、黒板に引いた思いやりが「ある」「ない」を両端にした線分上の位置で自分の考えを示させます。全員に記名されたマグネットを貼らせます。この後、それぞれの考えを聞きます。ハッキリと「ない」に置いた子どもの「自分の席を譲ればいいから」という意見を聞いて、多くの子どもが納得します。
実はこの話には続きがあります。涙を流しながら女の子は席を立ち、足を引きずりながら次の駅で降りていったのです。しかし、その場にいた主人公はそのおばさんのした行為は必ずしも悪いことだとは思いません。周囲の思いを代弁しておばさんなりの良心に従って行動した、無関心・不干渉の現代では意義のある行動だと感じたのです。このことで主人公は「思いやりを持って接するのはどういうことか」を考えるというものです。

席を譲るようにいったおばさんに対してどう思うかについては、あまり時間をかけて考えさせなくてもいろいろな意見が出たと思います。全体で意見を聞きながら、おばさんが席を譲ればいいとう考えには「もし、おばさんが立っていたらどう?」と返したり、女の子に関しての意見には「もし、女の子がチャラチャラしていなかったら意見は変わる?」といった問いかけをしたりしておいて、早く先に進めばよかったと思います。

女の子が降りていったところまでの続きの資料を配ると、子どもたちはすぐに読み始めます。資料は配らずに話を聞かせて、子どもたちの反応を見たいところでした。
女の子があわてて逃げるように降りていった理由を指名してたずねますが、もし女の子の気持ちに寄り添わせたいのであれば、「あなたがその女の子だったらどうする?」とたずねてもよかったかもしれません。「私は足が不自由ですと主張する」という意見が出れば、「この女の子はできなかったんだね?なぜ?」と返すといったことをすればよいと思います。
授業者は登場人物の気持ちや行動の理由を問いかけますが、子どもたちは客観的に答えます。状況を理解させるためだけに問いかけるのであれば、授業者が解説してもよいと思います。登場人物と同化してほしいのなら、それを意識した問いかけが必要だと思います。この使い分けを意識すると子どもたちに考えさせたいことが焦点化できると思います。

ここで、思いやりを持って接するとはどういうことかを考えさせます。グループで共有して出てきた意見をまとめて、黒板に貼りだしました。似たような意見をまとめて全体で共有しますが、相手のことを思いやる、人を見た目で判断しないといったものがほとんどです。この読み物に出会わなくても、子どもたちから出てくる言葉です。問題は、それを子どもたちがどう実践していくかです。ここから深めていくのが大切だと思いますが、数分しか時間は残っていません。最後に主人公の思ったことを読んで授業は終わりました。

「女の子の足が不自由だったけど、おばさんは思いやりのある人なの?ない人なの?」ともう一度おばさんについて問いかけ、「見た目通りの健常者だったかもしれないね?それで、おばさんの評価は変わるの?どうすればよいの?」といったことに時間を取りたいところでした。相手のことを考えれば、何も言えないという子どもがいるかもしれません。実際には私たちでもそういう行動をとりがちです。答が簡単に出ない問いを考えさせ、多様な意見に触れさせることで心が耕されるのではないのでしょうか。

授業後、授業者と子どもに深く考えさせるために必要なことについて話し合いました。どの登場人物のどの時点の気持ちに焦点を当てるのか、どう揺さぶっていくのかが授業設計で大切になることを確認しました。この教材では、「主人公」「おばさん」「女の子」「まわりの人」の「おばあさんが乗ってきた時」「おばさんが注意した時」「女の子が足を引きずって降りた時」の気持ちのどこに焦点を当てるかです。このマトリックスを整理して焦点化したいところと揺さぶりを考えることで、授業展開が見えてくると思います。
子どもたち自身の問題として深く考えさせるためにどうすればよいかについて、私もいっしょに考えることができました。よい学びの機会となりました。

この続きは次回の日記で。

事業改善に真剣に向き合っている先生

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

この日は主に新しくこの学校に勤務することになった方と一緒に、授業中の子どもたちの様子を見て回りました。
子どもたちは全体的に集中して授業に取り組んでいましたが、一部の授業で子どもたちの集中が落ちていました。そういった授業で共通しているのが、授業者が一方的にしゃべるばかりで子どもたちへの問いかけすらないことです。また、授業者が子どもたちに視線を落とさず、アイコンタクトを取らないことも共通です。一緒に回った先生方には、この事実を自分の授業を改善するきっかけにしてほしいと思いました。
また、グループやペアの場面を見てもらいたかったのですが、あまり見ることができませんでした。子どもたちと先生方との関係もよく、子どもたちが落ち着いて先生の話を聞いてくれるので、以前の授業形態に戻っているのかもしれません。ちょっと気になりました。

子どもたちがかかわり合い、学び合う授業について一定の知識のある方もいらっしゃいました。しかし、高等学校ではなかなかよい実践例を見る機会がありません。知識だけでは、具体的な授業に落とし込むのは難しいものがあります。話をうかがっていると、今までの授業の在り方からなかなか抜け出せていないように感じました。
答や結果でなくその過程や考え方を学ばせたいと思っている先生でも、子どもたちに気づかせるのではなく自分が教えてしまうことが多いように思います。何を教師が教えて、何を子どもたちに気づかせるのかを考えるだけでなく、そのための具体的な手立てが必要になってきます。子どもたちの実態によっても「教える」と「気づかせる」のバランスや、手立ては変わってきます。特に高等学校では、学校毎に子どもたちの層が大きく変わりますので、一概にこうすればいいということはなかなか言えません。ですから、目の前にいる子どもたちと真摯に向き合い、授業を改善し続けるしかないのです。正解がないからこそ、学校の実態に応じた教育メソッドをつくり、改善し続けることが大切です。
うれしいことに、この学校独自のメソッドがいくつかの教科でできつつあります。また、今年度から導入するタブレットの活用という新たな視点からも新しい授業の在り方が見えてくるのではないかと期待しています。

中学校2年生の理科の授業を見てほしいとお願いされました。授業は実験の次の時間の考察の場面でした。
最初に点数で評価した前回の実験のレポートを一人ひとりに返します。特によかったものを読み上げ、そのよかった理由を説明しますが、説明のスピードがちょっと速く、子どもたちにはよく理解できなかったように思います。評価理由がよくわからないこともあってか、子どもたちは誰が書いたのかに意識が行ってしまいました。手本となるレポートを価値付けするのはよいことなので、ちょっと残念でした。名前を隠し、筆跡から誰だかわかると困るのであればワープロで打ちなおして、一人ひとりに印刷して配るとよいと思います。教師が書いた物であれば模範解答と思いますが、友だちの物であれば参考にしようとして見るはずです。時間が少しかかりますが、自分のものとどこが違うか、どこがよいのかといったことを考えさせて、子どもたち自身に価値付けさせるとよいと思います。
子どもたちが落ち着かず、視線が集中していないのに説明を始めることがありました。子どもたちはしばらくすれば聞くようになるのですが、一度きちんと集中させた方がよいでしょう。また、集中していない子どもを指名することが何度かありました。まわりの子どもも、本人もチェックされたと気づき、先生は私たちをチェックしているのだなと思うようになります。できれば、「そばにいる子どもを指名して気づかせる」「集中を戻して顔を上げた時にほめてやる」といった方法を試してほしいと思います。
この学級では先生との距離が近い子どもがかなりいます。授業者の問いかけに、そういった子どもがすぐに反応します。それを拾って授業者が説明をするというパターンが目につきました。よく反応する子どもの陰に、結論だけ聞けばいいと考えている子どもの姿も見えます。つぶやきを拾うにしても、「みんな、○○さんの意見を聞こう」「ちょっと、みんなに聞かせてくれるかな?」というように公的に発言させ、「今の意見について、どう思った」と他の子どもとつなげるようにするとよいでしょう。
この日は、質量保存の法則について考えるのですが、授業者はどうしても、自分の求める答を誘導するように質問します。一問一答で進めますが、子どもたちは友だちを見ようとはしません。授業者の説明を待っています。
化学反応式からこういったものが出ているはずという説明は、分子説や質量保存を前提としたものです。その化学反応式が正しい、成り立っているということはどうして言えるのでしょうか。法則や原理といった知識を前提として考えることも大切ですが、その知識はどのようにして私たちが得たのかといった、知識を得る方法を知る、見つけることも科学的な見方・考え方として大切にしなければなりません。実験はその最たるものです。「この実験から、何がわかるのだろう?」「実験の結果から、どこまでのことが言えるのだろう?」「もしこの法則が成り立っているのなら、どんな実験をすると確かめられるのだろう?」といったことを子どもたちに考えさせることを大切にしてほしいと思います。
グループで、実験の結果をもとにいくつかのことについて考察を行いますが、子どもたちの動きが遅いことが気になりました。何をしてよいのか今一つよくわかっていないのかもしれません。よくしゃべっているグループもあれば、ほとんどかかわれていないグループもあります。しゃべっているグループもテンションが高すぎるように思いました。先生と関わりたい子どもたちのグループは授業者と盛んにやり取りをします。子どもたちが話しかけてくるのはうれしいことですが、グループ活動の時にはかかわりを促す程度にして、あまり説明したり話したりしないようにする必要があります。それよりも、うまくかかわれていないグループがいないか、全体を見て必要な支援をすることが大切です。
最後の課題についてはグループで1台タブレットを使うことができるのですが、気になったのがどのグループでも個人で検索していることです。タブレットを囲んで頭を寄せ合っている姿が見られないのです。タブレットを使っている子どもは、それまでのグループ活動でも、他の子どもたちとかかわっていなかった子どものように思います。一見すると明るくよく反応する人間関係のよい学級に見えるのですが、実は人間関係がうまくいっていない可能性があります。学級経営に注意が必要に思いました。

授業者は、とても素直で基本的な力もある方です。これまで自分が授業を変えようとしていなかったことを認めて、今真剣に授業改善に向き合っています。
タブレットを使ってみると、子どもたちがすぐにネット上で答を見つけてしまい、かえって使わない方がよいのではないかといった疑問も持ち始めています。とてもよいことだと思います。こういった疑問や課題を見つけることが、新しい授業をつくる出発点です。
ネットで答を見つけても、本当にわかったことにはなりません。答を見つけさせてから、考えを深める活動をすればよいのです。ネットの活用で浮いた時間を考えることに使うのです。ゴールを今までの授業よりも高いところに持っていくのです。
自ら授業の課題をみつけそれを解決しようとすることが、授業の改善につながります。新しいことにチャレンジしているからこそ、上手くいかないことや疑問がたくさん出てくるのです。今は苦しいこともあるかもしれませんが、こういった課題や疑問と真剣に向き合うことで、必ず素晴らしい授業スタイルをつくり出せると思います。今後の変化をとても楽しみにしています。

多くの先生方によって支えられた授業

前回の日記の続きです。

国語の授業研究は経験3年目の先生の1年生の国語で、説明文の単元でした。本文をバラバラにして、正しい順番並べ替えることを通じて説明文の構造を考えるものです。
今回一番うれしかったことは、まわりの先生方との授業者のかかわり方に変化が出てきたことです。自分から教えてもらおうという姿勢が出てきました。今回の指導案も先輩に助けてもらいながら完成させたそうです。本人の姿勢の変化に対して、教務主任を始め多くの先生が授業者のために時間を割いてくれました。この日までに他の学級で同じところを実践しましたが、毎時間だれかかれかが参観してアドバイスをしてくれたそうです。一人の先生のためにこれだけまわりがかかわってくれることに、この学校のチームワークのよさを感じました。

授業者は以前と比べると柔らかい表情が出てくるようになり、子どもの発言を受容することができるようになってきました。まだ自分で説明しすぎで、子どもに返して考えを深めるといったことはできませんが、子どもの発言を聞こうとする姿勢は感じられるようになりました。
授業は、毎回の反省点をもとにいろいろと変更していたようですが、この授業でつけたい子どもの力が明確になっていませんでした。根拠を持って考えることが一つのキーワードになっているのですが、根拠を子どもから意識して引き出すことができません。
序論と結論をまず明確にしてから次に進むという展開だったのですが、子どもから出てくる根拠は「始めっぽい」「まとめっぽい」といったあいまいなものです。授業者はそれを受容するだけで、「それってどういうこと?」「どこが始めっぽい?」と言った言葉を返さず、明確な根拠を示せずに次に進みました。
指導案を手伝ってくれた先輩の意図は、根拠を示しやすい序論と結論で子どもたちに根拠を示す練習をさせる事だったのですが、残念ながらそのことがよくわかっていないようでした。参考にさせてもらった指導案を自分のものとして消化することができていなかったのです。
指示語や接続語などがキーになることを伝えますが、なぜそれが大切なのかを考えることをさせません。「接続語あると次のどのような内容が来るかよくわかる」「文の関係がわかるから読みやすい」といった言葉を引き出し、文の関係が明確になり、わかりやすく意図を伝えることにつながることを意識させたいところでした。こういうメタな感覚を持てれば、文章を読み取る力がつきますし、表現力もつくはずです。

個人作業の後でグループにして意見をまとめさせたのですが、結局全体追求で明確な根拠を示すことができずに終わりました。自分の最初の考えとグループの結論が異なった人を指名して、どこで納得したかを聞くといった場面がほしいところでした。

授業については、まだまだ改善すべきことが山積みですが、それでも私はこの授業を評価したいと思います。授業者の変わろうとする意志を感じたからです。多くの先生方の力が注がれても、この拙い1時間の授業にしかならなかったと否定的にとらえることは簡単です。しかし、それでも授業を改善しようとし、まわりの先生方がそれに協力し続けてくれるのならば、きっとこの授業者は成長することができると思います。
正直、2年前にこの状態であればと思わないでもありませんが、これからの変化を見守らせていただきたいと思います。

ねらいを実現させるための場面

前回の日記の続きです。

今年異動してきたばかりの若手の先生の体育の授業研究は1年生の跳び箱でした。
感心したのが子どもたちの動きのよさです。授業者がせかさなくても子どもたちは素早く行動し、集合すると全員が授業者の方に顔を向けています。体育だけでなく、学年全体で意識して指導していることを感じます。

子どもたちが活動をしている時に授業者が大きな声で指示を出すことがありました。しかし、残念ながらそれは子どもたちには届きません。誰に対する指示かがわかりませんし、一生懸命にやっているからこそ、聞こえないのです。全員に対する大切な指示であれば、事前にしておくか、いったん活動を止めることが必要です。個別の指示であれば、大きな声ではなく、近くに行って対象となる者の注意を引きつけてから行う必要があるでしょう。

この日の活動についていくつかの確認を子どもに問いかけて行います。指名した子どもが答えるとすぐに授業者が説明します。ポイントとなることは全員に徹底しておきたいので、何人も指名したり、隣同士やまわりと確認したりすることが大切です。
大切な役割としてグループで補助者をだすことを指示します。補助のやり方については実際に子どもを指名して一緒にやって見せますが、ポイントが子どもたちに理解されたかはよくわかりません。時間がもったいないかもしれませんが、グループの代表一人ずつにやらせて確認するといったことも必要でしょう。また、この授業では跳んだ人にアドバイスすることが大切な課題でした。アドバイスの視点は授業者が複数与えます。視点を教えることは悪いことではありませんが、子どもたちがそれでアドバイスできるようになるかは別です。具体的に誰かが跳ぶのを見せて、どこをアドバイスすればよいかを考えるといった場面をつくってもよいかもしれません。

授業者はアドバイスをする人はローテーションするように指示しました。その後子どもたちはグループに分かれますが、すぐに活動に入れません。どのようにローテーションすればよいかよくわからないからです。一つのグループが跳び始めると、次第に他のグループも活動を始めましたが、ローテーションのやり方はバラバラでした。ローテーションというだけでなく、具体的なやり方を指示する必要があったようです。跳び終えた子どもがすぐにアドバイスを受け、続いて次の子どもにアドバイスする役になるというパターンのグループが多かったのですが、これは効率が悪いやり方です。アドバイスが終わらなければ次の子どもが跳べないからです。グループを2つに分けたりバディを組ませたりする方がよいかもしれません。
最初の内はアドバイスの声かけがみられましたが、「よかった」「いいよ」といったものばかりで、具体的なものはほとんどありません。よかったにしても、どこがよかったかを言わなければ意味はありません。その内だれも声をかけなくなりました。うまく跳べなかった子どもに対して何をアドバイスすればよいのかよくわからないのです。また、全員が跳べるグループでは補助の子どももいなくなってしまい、ひたすら跳び続けているだけになってしまいました。

授業者は跳べない子どもたちを集めて個別対応していますが、全体の様子が見えていません。補助がいなくなっていることに気づいて体育館の端から全体に注意をするのですが、授業者のすぐ横のグループは最後まで補助がいないままでした。
跳べない子どもに「もうちょっとでできる」と励ましの声をかけていましたが、これはあまり意味のあることではありません。「もうちょっと」とは具体的に何をすればよいのかわからないからです。何ができているのか、何がもうちょっとなのかを伝えることを意識するとよいでしょう。

授業の最後に、役に立ったアドバイスがあったかとたずねましたが、誰の手も挙がりません。当然だと思います。そこで授業者は、「アドバイスをした人?」と問いかけ、どんなアドバイスをしたかをたずねました。何人かの手が挙がり、指名して発表させますが、あまりよい対応とは思いません。アドバイスする側に視点が当たると、どうしてもできる子ども目線になってしまうからです。しかも、実際に役に立ったと言ってもらえていないのですから、独りよがりの可能性もあります。
授業者が、子どもたちにただ跳ぶだけでなく、他者とかかわりながらうまくなってほしいと思っていたのはよくわかりますが、そのための手立てをきちんと組み立てられていなかったのです。視点を複数与えただけで、「アドバイスしなさい」ではできないのです。
複数の視点を同時に見ることは大人でも難しいことです。視点を絞らせることが大切です。どの視点を意識して跳ぶかを決めて、そのことをアドバイスする人に伝えてから跳ぶだけでも様子はだいぶ違ったと思います。自分が意識する視点を決める参考にするために、最初に一人ずつ跳んで、どこがよかった、どこがもう一歩だったかをグループ全員で話す時間を取ってもよいでしょう。
ねらいを実現するために、どのような場面が必要かを考えることが大切です。

授業後、参加していた体育の先生方がすぐに集まり、跳び箱の前で話合っていました。体育教師のチームワークのよさを感じました。この集団の中にいれば互いに大きく成長していくことと思います。
次に授業を見る機会が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

中学校で、各学年の様子から考える

先週は中学校で授業アドバイスを行ってきました。

前回訪問時、1年生は授業者によって態度を変えたり、どこまで許されるのか探ったりしている感がありましたが、今回はそういったことが感じられませんでした。どの学級も落ち着いた状態で授業に向かっていました。学年全体でどのように子どもたちに対応するのかの意思統一ができているのだと思います。ただ、どの学級にも、わからない、手がつかない状況の子どもが目につきます。やる気がないのではなく鉛筆を手にして解こうとしているのですが、そこから先に進めないのです。この状態が続くと最後にはやる気もなくなってしまいます。かといって、授業者が個別に指導するにも限界がありますし、何より先生が個別に対応するとまわりの子どもたちがその子どもは先生が対応するから自分たちはかかわらなくてよいと思ってしまいます。子ども同士の関係が切れてしまいます。まわりの子どもに助けを求めるように声をかけたり、ペアやグループでの活動で教えてもらえる機会をつくったりすることを意識してほしいと思います。また、授業時間以外でも、困っている子どもたちが学習する機会をつくることも必要でしょう。「前回の試験でよくわからないところがあった子どもは勉強会をするよ」と、授業後に学習する場を設けたりするのです。互いに聞きあうことを中心にしますが、可能であればできる子どもも先生役を期待して参加させるとよいでしょう。先生は基本的に教えないことにして、教科に関係なくだれかがその場にいるようにすることで負担も分担できます。自分の専門教科外であれば、子どもと一緒に考えることをしてもよいと思いますが、答を教えるのではなく、教科書や資料を一緒に見たりして、あくまでもサポートに徹することが大切です。自ら友だち聞くことも含めて、子どもが主体的に学習に取り組むことができるようにしてほしいのです。
学習面で苦しんでいる子ども以上に気になったのが、できる子どもの一部の態度です。わかっているからと、説明を聞き流したり、挙手をしなかったりという子どもが結構いるのです。塾等で学習している子どもなのかもしれませんが、こういった子どもをきちんと授業に参加させないと、次第に授業規律も緩んできます。本来、行事などでもリーダーシップを期待したい子どもなのですが、一歩下がった冷ややかな態度を取る可能性もあります。こういった子どもには。自分が正解することではなく、他者の役に立つことで有用感を与えることが必要です。友だちの考えを代わりに説明してみんなに納得させるといった役割を与えるとよいでしょう。「○○さんのおかげでよくわかったね」とほめることで自己有用感を持たせたいところです。

2年生は、4月に気持ちがリセットされてやる気が出ていた状況から、少し変化が見られました。集中力を失くしたり、受け身になったりといった子どもたちの姿が見られます。頑張ってきたけれど達成感が得られていないため、エネルギーが低下しているように思います。だからダメだというわけではありません。子どもたちが頑張ろうという気持ちを失くしてしまった状態ではなく、4月からの緊張が切れた状態なのでしょう。これから盛り返すのか、下降していくのかの分岐点にさしかかっています。子どもたちは自分で自分を認められないので、先生方がほめてやることが必要な状況だと思います。結果が出ていないとほめられないと思うかもしれませんが、スモールステップで評価することで、子どもたちのエネルギーを引き出すことができると思います。子どもたちをうまく認めながら進めている授業では、子どもたちのやる気をみることができます。もうすぐ校外学習がありますが、これはチャンスだと思います。先生方から見ると満足できない状態になるかもしれませんが、できているところ、やれているところを認めてほめることを意識してほしいと思います。

3年生は修学旅行が終わってどのような変化がみられるか楽しみしていたのですが、4月とあまり変わらない状況でした。修学旅行でエネルギーが高まるでもなく、落ち着かない状況でもなく、淡々と授業を受けているという感じです。部活動の最後の大会が近づき、それが終わると受験勉強が本格化しますが、傍からはそこに向かって行こうとしている状態には見えません。落ち着いて授業を受けているのですが、下手に頑張れと声をかけても逆に「そんなに言わないで」と引いてしまいそうに見えます。様子を見ているというか、モラトリアムというのか、なかなか難しい状況です。担任が毎日少しずつ、受験という目先のことではなく、もっと将来について考えるように働きかけることが有効なように思います。「君たちが社会で働く時はAIの時代って言うけど、どんな時代だろうね?食事の時にお父さんやお母さんはどう思うか聞いてみたら?」というように、少しずつまわりから刺激を与え続けることが必要でしょう。

どの学年主任も、子どもたちをよく見て、その状況を理解しています。あとはどのように働きかければよいのか学年全体で意見を出し合い、最後は意思統一して取り組めるかどうかです。チームワークが決めてとなります。夏休み前までが勝負だと思います。

体育と国語の授業研究がありましたが、それについては次回の日記で。

子どもの視点で授業を工夫する

前回の日記の続きです。

講師の先生の2年生の理科の授業は、硫化鉄の実験で混合物と化合物の違いを考えるものでした。
節目節目で子どもたちを静かにさせて、授業者に注目させます。子どもたちを集中させようという姿勢はとてもよいと思いますが、いざ話し出すと子どもたちの視線は下がります。子どもたちは指示されたことに従うだけで、その行動の意味は考えていないのです。集中して話を聞いてほしいことを子どもたちに伝え、聞いている子どもを「○○さんしっかり聞いてくれているね。ありがとう」と誰のことかわかるようにしてIメッセージでほめることで、よい行動を広げていくことが必要です。
鉄と硫黄の混合物を熱することで硫化鉄をつくり、鉄と異なる物質になっていることを確かめる実験を行うのですが、実験を行う必然性がわかりません。ちょっとしたやり取りでよいので、子どもたちに疑問を持たせてほしいと思います。
子どもたちを前に集めて、実験器具を見せながら説明をします。子どもたちはよく集中していたのですが、受け身の時間が長いため、最後は集中が切れる子どもが出てきました。
硫黄と鉄をよく混ぜると口頭で説明しますが、どうなればよいのかわかりません。実験が始まると、「このくらい?」と子どもたちが先生にたずねることになります。混ぜる前と後の違いを見せるか、写真に撮っておいて黒板に貼るとよいでしょう。予備実験をする際にその様子をビデオに撮っておいて、それを見せるという方法もあります。途中で画僧を止めながら、ポイントを説明すればずいぶん時間が節約できると思います。
いくつもの指示を一方的に聞くだけでは頭にきちんと残りません。ワークシートには実験の概略しか書いてありませんので、子どもたちが途中で確認できるようなものが必要です。あらかじめ手順を整理して板書しておくとよいでしょう。
ガスバーナーが机の上にないので保管場所に取りに行くことになりますが、特に指示していないのでそのことに気づかず、ボーとしているグループもあります。
全体的に子どもたちの動きが遅いのが気になりました。仲よく実験をしますが、実験の結果に興味を持っているわけではないようです。友だちがやっている様子を何となく眺めている子どもも目につきます。何のための実験かがわからず、どうなるのだろうと疑問に思っていないようです。
時間の関係もあって難しいかもしれませんが、次のような展開を考えてもよいでしょう。
子どもたちは硫黄をよく知りませんが、鉄のことはよく知っています。そこで、まず鉄の性質をたくさん出させておきます。次に硫黄という物質があると紹介してこの2つの物質をよく混ぜます。違う色の物質になったことを確認して鉄は別のものに変わったかを問いかけます。変わらないという答が大半でしょうが、どうやって確かめるかを確認します。磁石で鉄を吸い上げて見せてもよいでしょう。「混ぜても鉄は鉄のまま?どうやっても変わらない?」と問いかけます。中には予習をしていて「温めると変化する」「燃やすと変わる」といったことを言う子どももいるでしょう。それに対して、「お湯につけたら変わる?」「本当?鉄は燃えるの?」「うんと冷したらだめ?」「どのくらい温めればいいの?」と揺さぶり、子どもたちにある程度自由に実験の内容を考えたり、選ばせたりするのです。バーナーで高温にすることはその選択肢の1つにします。教科書に載っている実験以外でも変化するかもしれないと子どもたちが思ってくれれば、実験に対する興味も変わってくると思います。
授業者は常に教科書の通りに実験もやらなければいけないと思っていたようですが、こういった話をしたところ、色々と工夫をして見ようと思ってくれたようです。授業を工夫する楽しみに気づくきっかけになれば幸いです。

初任者の授業は1年生の理科の葉の構造の学習でした。実物投影機で葉の写真を見せながら授業を進めていました。
前時の観察を基に葉の特徴を発言させて写真で確認します。挙手の数はそれほど多くありません。1問1答で、発言が終わると全体で拍手をさせます。しかし、子どもたちは友だちの発言をちゃんと聞いていません。その状態で形式的に拍手させると、拍手された時も形式的なものだと知っているのでうれしいとは感じません。また、「管がある」という発言に対しては、「別の言葉で言うと?」と他の子どもを指名して、「すじ」という言葉を引き出します。子どもたちに教師の求める答探しを無意識のうちに強要することになっています。こういう時は、「○○さんの言っていることわかる?」と他の子どもに問いかけて、「わかった」「どんなもの?」と何人かをつないで、「いろいろな言い方があるけど、これのことを言っているんだよね?」と葉脈の写真で確認するとよいでしょう。表現をどうしても統一したければ、教科書ではこう書いてあるねと押さえておけば十分です。
葉脈、葉緑体、気孔、孔辺細胞といった用語を確認した後、葉の表側、裏側の違いを子どもに整理させます。裏側には気孔、孔辺細胞があることはすぐに書けるのですが、授業者の期待する葉緑体が表側に多いことは出てきません。実際に葉の表側と裏側の葉緑体がどうなっているのか観察して確認しているわけではないからです。
授業者はヒントと言って葉の表側と裏側の色の違いを伝えます。それでも、気づけない子どもが多いため、大ヒントと言って何で葉が緑色かを考えるように言いますが、ヒントという言葉には注意が必要です。教師が求める答が明確にあると伝えていることになるからです。子どもが見つけたことを全体で共有しながら吟味することが大切です。考えるための手掛かりとなるものを、まず共有するとよいでしょう。葉の横断面の写真が教科書に大きく乗っていますが、この写真は葉の表と裏の細胞の様子を同時に見ることができるので比較しやすいことを押さえておきます。これを基にして子どもに考えさせるのです。グループで取り組んでもよいと思います。
子どもから葉の表と裏側では細胞の大きさが違うという意見が出ます。授業者はなるほどと葉の表と裏の細胞の写真を見せて、確かにそう見えると受容します。しかし、すぐに「倍率がわからないと実際の大きさはわからないので何とも言えない」と否定します。先生の求める答ではないと言っているようなものです。結局一人の子どもが正解を言うと、それを先生が説明して終わるという形になりました。
スクリーンに教科書を映した後、子どもたちに教科書を開かせます。指名して読ませますが、当然どの子どもも手元の教科書を見ます。スクリーンに映す意味は何だったのでしょうか。実物投影機を積極的に使っているのですが、今一つポイントがわかっていないようでした。
子どもを受容しようとする姿勢がみられますし、ICT機器も積極的に活用しようとしています。今後子どもの視点で自分の授業を見直すことで多くのことに気づけると思います。今後の変化が楽しみです。
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