研修のアンケートと結果から考える

先日おこなった、ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方対象の研修会(居宅介護支援事業者連絡会で講演参照)のアンケートの結果が送られてきました。忙しい中、わざわざお送りいただけたことをとてもありがたく思います。
皆さんの感想は「笑顔や言葉の使い方の大切さがわかった」といった肯定的な評価がほとんどでした。私が話した具体的な内容に対する感想が多かったことから、皆さんがしっかり聞いてくださっていたということがよくわかります。また、自分の行動を変えていこうという前向きな言葉がたくさんあったことをとてもうれしく思いました。

介護には全くの素人の私でもお役に立てたのは、介護対象の方やその家族とのコミュニケーションは学校における教師と子どもや保護者とのコミュニケーションと非常によく似ているからです。というか、対象は違ってもコミュニケーションの基本は同じだということです。違いがあるとすれば、教師には叱ることや指導するという視点での子どもとのかかわりがありますが、介護関係の方にはそのようなことがないということです。教師以上にフラットな関係の中でのコミュニケーションスキルが求められます。そのため、介護関係の方は笑顔の大切さをよくわかっていらっしゃいますし、言葉づかいにも気を使っておられます。しかし、「この場面では笑顔にならなければいけない」「このことを伝えるにはこういう言葉づかいが必要だ」と意識している方は少ないように思います。この研修では、「なぜ笑顔が必要か」「こういう場面でこそ笑顔が必要だ」「言葉の使い方で相手に伝わるものが変わる」といったことを、具体例をもとにお話ししました。何となくできている、やっていることを明確に意識しておこなうようにすると、スキルとして定着します。とっさの場合や、経験したことのない局面でも活用できるようになります。今回の感想の中に、子育て中の方からの育児に役立てたいというものが少なからずありました。コミュニケーションスキルの本質的な面を意識できたことで、子どもとの接し方でも同じだと気づかれたのでしょう。

意識して使うということは、いろいろな面で大切なことです。算数や数学の問題で単に解き方を覚えるのではなく、どういう条件があるから使えるのか、他にはどのような問題に利用できるかといったことを考えることが重要です。体育などの技能系の教科では、なんとなくできたではなく、意識してできるようになることが求められます。
今回の研修では、皆さんが個々にやっている、できていることを意識して使えるようにすることがねらいの一つでした。点と点をつないで線にすることと言ってもいいでしょう。授業で大切にしているのと同じことです。何かを教える、学んでもらうということは、どのような内容であれ、学校での授業での考え方が大いに役に立ちます。研修の感想を読みながら、他の分野の研修にも授業のノウハウを活かすことを考えてみたいと思いました。

数学の授業アドバイスを助けてくれる本

画像1 画像1
今日は、本の紹介です。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)です。

この本のタイトルを見た時に、子どもたちに興味を持たせる、いわゆる「面白ネタ」の本かと思いましたがそうではありません。どのように説明すると理解がしやすいかという「説明ネタ」、興味・関心を引く「課題ネタ」、定着させるための「習得ネタ」、ICT機器や作図ツールを活用する「教具ネタ」の4つの視点で集められたネタ集です。

感心したのが、練りに練ったネタというよりは、特別な準備もなしに、明日の授業ですぐに使えるものが、単元ごとに整理されていることです。授業をどう進めたらいい、子どもたちにどのような課題を与え活動させようと悩んでいる先生にとって、大きな助けとなる本です。
しかし、この本の真価は別のところにあります。解説には、なぜこのようなネタを考えたのか、どこがポイントなのかが書かれています。数学の授業において何が大切なのか、この単元で何を押さえなければいけないのかがしっかりと解説されているのです。問題の解き方ばかりに目がいって、数学的な価値、ものの見方・考え方を意識できていない数学の授業によく出会います。できる限りその場でアドバイスしていますが、別の単元になれば、また同じことの繰り返しです。教科書にそって全部解説しなければいけないのかと、がっかりすることがよくあります。泥縄的な、明日の授業のネタ探しにも役立ちますが、中学校数学の解説書として素晴らしい価値があるのです。担当学年だけではなく、まず全学年を通読することがこの本の正しい活用法だと思います。

また、解説にはどのようなところで子どもが間違えるのか、つまずくのかも書かれています。学生時代に中途半端に数学ができただけで、教える経験の少ない教師は、子どものつまずきを予想できません。つまずきを見過ごし、試験をしてみて初めて子どもが理解できていないことに気づくことがよくあります。子どもの間違いを予想し、対応を考えるためにもとても役に立つのです。

わかりやすいネタの形を取りながら、基礎的な数学の授業力をつけるために必用な知識や情報が詰まっている本です。若手だけでなくベテランにとっても、ポイントを確認し、引き出しを増やすことで授業の底上げができる本だと思います。私にとっては数学の授業アドバイスの苦労を軽減させてくれる本です。このような本が世に出たことに感謝します。

佐藤正寿先生から多くのことを学ぶ(長文)

本年度最後の教師力アップセミナーに参加しました。奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生の「子どもたちが熱中する社会科授業」という講演でした。

10の視点で社会科だけでなく、どの教科にも通じる授業づくりのポイントを紹介されました。

視点1 基礎基本を楽しく
佐藤正寿先生は、社会科クイズを知識の定着によく利用されます。クイズ形式は盛り上がりますが、知識を問う問題は知らなければ答えられません。時間を与えたからといって答がわかるわけではありません。時間をかけるとだれてしまいます。テンポよく進めるのがポイントです。既習事項は知っていることが前提ですので、クイズになじみます。未習であれば、扱い方に注意が必要です。「あれ、なんだろう」と興味を持たせるような問題であること、そして、子どもがなんらかの根拠を持って考えるような仕組みが必要です。
今回示していただいた例、「日本で一番大きな島はどこ」という問い(クイズ?)を考えてみましょう。地理の問題ですから地図と連動させることが大切です。子どもは日本地図を頼りに考えます。日本地図を表示することが必要になります。もちろん手元に地図帳を用意してもいいでしょう。本州という正解が出たところで、「島」の定義が問題になります。実は、この問いは、島の定義を知識として教えて定着するものでした。もちろん、大きな島を探すことで、島に関する知識も身につきます。定義をもとに、2番目、3番目を確認します。そして、四国の次に大きい島はと聞き、本州が島だと気づかなかった子どもにも、「択捉島」を発表させることで活躍させます。子どもたちと地図を結びつけることで、地図を身近なものとするねらいもあります。島に関連して、「日本に島はいくつあるでしょうか」と質問します。これこそ知らなければ答えられない問題です。推測でしか答えられません。しかし、子どもたちがいくつだろうと考え推測することで、6,853という細かい数字までは頭に残らないかもしれませんが、少なくとも概数は印象に残ります。島国だといわれる日本にどのくらいの島があるのかを知識として身につけることにつながります。単に、「日本には島が6,853あります」と教えるより、はるかに楽しく、そして定着するわけです。

視点2 資料にあったスモールステップ
これは私もよく言うことなのですが、「気づいたことは何ですか」では、なかなか子どもは答えられません。視点がはっきりしないからです。そこで佐藤先生は、スモールステップに分けて考えさせることを提案されます。
最初は基礎項目の理解です。まず資料のタイトルや出典を確認します。タイトルに「領土面積」とあれば、学習用語である領土の意味を確認します。「領土」があるのだから、「領海」や「領空」といった関連用語も合わせて確認をしてもいいでしょう。出典から、信頼できる資料かかどうかを判断します。グラフであれば、軸の項目なども確認し、どのような情報なのかをまず理解した上で「減っている」「増えている」といった全体の傾向をつかみます。
基礎項目を理解した上で。「比較」「推測」「解釈」をします。資料の事実を比較することで、その理由を「推測」する。教科書や他の知識と関連付けて「解釈」する。こういう活動を行うのです。子どもたちから疑問が出てくることもあります。今回は日本の年ごとの領土のグラフを例に説明されましたが、1945年のものだけ色が変わっていました。そのことに疑問を持つ子どもがいるはずです。この時は連合軍に占領されていたから色が変わっていたのです。こういった子どもの発言を評価しながら、資料をもとに深く考えさせるというわけです。

視点3 資料の見せ方
資料の一部分を見せないことで子どもの興味・関心を引き出すことができます。隠れているところに何があるのだろうかと考えさせるのです。答は教師が教えてもいいですが、教えなという選択もあります。自分で調べさせるのです。例えば、コンビニのおにぎりの横には何があるかを隠しておきます。「おにぎりと一緒に飲み物を買うから飲み物だ」と気づかせることから、「並べ方の工夫」につなげていきます。一つの例から、より一般化して広げていくのです。
見る視点を変えるだけで世界は違って見えます。韓国や中国からみた日本の地図を提示されました。日本海を挟んで日本列島から沖縄までが韓国や中国の進出を阻む壁のように見えます。彼らが領土問題に敏感になることがわかるような気がします。立場を変えてみる、多面的に見るといったことの大切さを知らせることもできるわけです。
愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」では、有田和正先生の授業を若手がICTを活用して追試しました。コンビニの店員から見た店の様子をパノラマ写真にして、その一部分を見せることからスタートしました。これも同じ発想です。
このフォーラムの内容は、(株)プラネクサス発刊の「野口芳宏・有田和正・志水廣 授業名人が語るICT活用 −愛される学校づくりフォーラムでの記録」で知ることができます。単にフォーラムでの発言や内容をまとめた記録ではありません。このフォーラムに向けて若手とベテランが授業名人に近づこうとどのような努力をしてきたか、その挑戦と成長の姿が書かれています。名人が語った言葉には、ICT活用を超えて授業とはどうあるべきかという本質があふれています。授業力をつけるとはどのようなことなのか、授業とはどうあるべきかを考える参考になるはずです。ご一読をお勧めします。

視点4 見えないものを見えるようにする
絵や写真資料でも、「気づいたこと」と問いかけることがあります。視点2でも語られたように、パッと見ただけでは「気づいたこと」はなかなか出てきません。視点2と同じようにまず「題」などからどんな図や写真であるかを確認します。その上で、「見えるものは何か?」と問いかけます。子どもにとって答えやすい、簡単な発問から始めて活動させるのです。ささいなことであっても子どもから出てきたことは受容しほめます。次第に細かいところまで気づいていきます。見えるものから「比較」もでてきます。こうして、全員が考えるために共通の基盤がつくられていきます。ここを足場にして、深い読み取りをさせていくことになります。子どもの考えを広げ、「どうして、・・・となっているのかな」といった切り返しで焦点化していくのです。
また、教科書等の資料ではスペースの都合で一部分しか載せられていないこともあります。原典を全部見せることで、違った気づきもあります。資料の見せ方で伝わる内容が変わるという、情報リテラシーの学習にもつながっていきます。

視点5 「知りたい・調べたい」に転化させる
教師が教えるのではなく、子どもが知りたいと思うようにすることが大切です。資料から、「質問したいこと」「知りたいこと」「調べたいこと」を子どもたちに出させます。「知りたいこと」は「知らないこと」でもあります。それを発表するということは自分の無知をさらけ出すことにつながります。私たちが思う以上に言いにくいことでもあるのです。時には失笑を買うこともあります。安心して発表できる雰囲気をつくる必要があります。佐藤先生はこういう場面では、「なるほど」という言葉を多用します。肯定も否定もしない受容の言葉だからです。
佐藤先生のかつての実践が紹介されました。「もし、学校のまわりに交通安全施設を作るとしたら、どこに何を作ったらよいか」という課題です。
「学校のまわり」という条件は、子どもたちが「自分で」調べられるからです。作るものは1つに限定します。限定することで「吟味」が必要になるからです。焦点化する過程で「判断」が求められます。
子どもたちは、交通量を調べるといった実態調査や聞き取りをしました。警察に聞くことで横断歩道の設置などの条件が法律で規定されていることを知ります。子どもたちが問題解決しようと自分で活動することでダイナミックな単元構成となります。プランを作るという最終ゴールは、社会参画の意識を持たせるものです。佐藤先生の社会科観がよくわかるものでした。

視点6 学習用語を身につけさせる
学習用語はどの教科でも大切にしたいことです。私は常々、言語活動では日常用語と学習(学術)用語を自由に行き来させることが大切だと思っています。客観的な定義をされた言葉と自分の持っている言葉とをリンクさせることで、用語が内包している概念を理解できると考えるからです。
佐藤先生は、社会科の用語にこだわりながら授業を進めておられます。物事を明確にするにはコントラストが重要です。用語の定義を明確にするために、「違い」を知ることが有効です。佐藤先生が例に挙げた「山地と山脈」「沼と湖、池」「標高と海抜」「工業地帯と工業地域」などの違いはきちんと教えておきたいものです。
用語を定着させるためには、教科書を音読させるとよいということです。秋田県では「朝音読」といって予習として音読をさせる学習習慣があるそうです。教科書を音読することで、自然な文脈で用語と触れることになります。定着させるための一つの方法だと思います。

視点7 布石を打つ
かつて有田和正先生は、スーパーマーケットで毎日試食をすることを宿題にしたそうです。そのうち子どもは「何のために試食をするのだろうか」と疑問を持つようになります。子どもの中に「知りたい」が生まれてきます。1週間ほどすると「売りたいものを試食させている」と気づきだすそうです。そこで、スーパーマーケットの学習をするのです。事前に布石を打つことで、子どもたちが深く学習するための下地をつくるのです。
例として、「○○日記」というアイデアを教えていただきました。「ごみ日記」「天気予報日記」「CM日記」などをつけさせて紹介するのです。興味・関心よっては思わぬ子どもが反応します。日ごろとは違った子どもを活躍させる機会にもなります。
この他にも、「係を作って新聞を切り抜いて今日のニュースを貼り出させる」「学習する地域に関連する物を事前に子どもたちに持ってこさせ、物産展を開く」といったアイデアが示されました。

視点8 ICT活用はマッチするものをシンプルに
ICTは準備に時間がかかるとなかなか使う気になれません。準備がシンプルなことが大切です。実物投影機による拡大はシンプルですが、とても効果的です。教科書を拡大するだけでも、焦点化・視覚化・共有化が簡単にはかれます。拡大した教科書に書き込むことで共有化ができます。何ページの何行目と言わなくても、拡大して「ここ」とするだけで指示が明確になります。教科書のさし絵を表示して題をつけるだけでも、立派な教材です。また、発表用のまとめを大きな紙に書かせると時間がかかりますが、通常の大きさの紙に書かせれば時間はそれほどかかりません。実物投影機で拡大をして発表させればいいのです。
佐藤先生はフラッシュ型教材をよく活用されます。授業開始時に、復習問題を提示して○×をリズムよく答させるだけでも、手軽なよいウォーミングアップになります。
ICT活用するために授業スタイルを変えるのではなく、「準備が簡単」「部分活用」の発想で、今までのスタイルにICT活用を加えることが、日常的なICT活用につながるというお話は、具体例とあいまってとても説得力のある主張でした。

視点9 キー発問の類型化とネーミング
1単元、1単位時間の授業のねらいに迫る中心的な問いを「キー発問」と定義されています。社会科のものの見方・考え方につながる発問です。佐藤先生は授業の中で必ず「キー発問」を入れるようにされています。この「キー発問」を類型化しておくことで、発想しやすくなるということです。

・「5W1H」 「いつ」「どこ」「だれ」「なに」・・・と聞く
武士の世の中が始まったのは「いつ」?
「だれ」が安全な暮らしを守っているか?
魚の値段には「なに」の費用が入っているか?

・選択発問 「賛成か反対か」「もし、・・・したら」
あなたは農薬を使うことに「賛成か反対か」?
「もし」食料自給率が「下がったら」?

・焦点化発問 「条件は何か」「・・・と言えるか」
工業が盛んな地域の「条件は何か」?
貴族の暮らしは一言で言えばどんな暮らし「と言えるか」?

このように整理されると、確かに発問がつくりやすくなります。他の教科でも活用しやすくなるように思いました。

視点10 地域のよさ・日本のよさを伝える
これは佐藤先生のブログのタイトルにもなっている言葉です。「他の国や地域の方に、胸を張って自分たちのよさを伝えてほしい」「日本人として、日本と言う国に誇りを持って生きてほしい」「自分たちの国や地域を愛してほしい」という想いだと思います。
ともすると、自分たちの国や地域に誇りを持つことは他の国を貶めることと勘違いされることがあります。自分たちが1番素晴らしいのだという、間違った愛国心と同一視されることもあります。決してそうではありません。自分たちの国や地域を愛するからこそ、他者の同じ気持ちを理解し尊重できるのです。このことが国際社会を生きるための条件だと思います。佐藤先生の社会科の教師としての原点を見せていただいたように思います。

最後に、佐藤先生の価値ある出会い、有田和正先生とのことを話されました。有田和正先生の「教師を跳び越える子どもを育てる」授業にあこがれ、追い続けてこられました。「価値ある出会い」が自分を変えてくれたということです。価値ある出会いは誰にでもあるはずです。あこがれの先生とつながり、徹底的に追試をすることで成長できる。そう伝えられました。
また、成長と関連して教師のステージということも話されました。
・第1ステージ 基礎を学ぶ
・第2ステージ 学校の柱(中堅)となる
・第3ステージ 学校のリーダーとなり、後輩を育てる
今自分がどのステージなのか意識して、そのステージに必要なことを学んでほしいということです。
気がつくと2時間の講演があっという間に終わっていました。

社会科の授業のポイントをわかりやすく整理して教えていただけました。佐藤先生が教えてくださった視点は社会科だけでなく、どの教科にも活かせるものです。今回、その具体例を模擬授業の形で見せていただけました。そこには、子どもの発言の受容・評価といった受け、挑発・ゆさぶりといった切り返しなどの授業の基礎技術がたくさん盛り込まれています。授業技術だけに着目してもとても学びの多い講演となっていました。また、教師の成長と言う視点でもとても大切なことを教えていただけました。
佐藤先生の懐の深さを改めて実感させられました。素晴らしい講演を本当にありがとうございました。

素直に見えているだけなのか

野口芳宏先生がよく言われるように、伸びる教師の条件の一番は「素直」だと思っています。多くの場合、若手に授業アドバイスをすると、とても素直に聞いてくれます。「素直ですね」と管理職や教務主任にお話すると、「素直なんですけどねぇ・・・」と返事が返ってくることがあります。それに続く言葉は、「なかなか変わらない」「実行してくれない」です。これはどういうことなのでしょうか。どうやら、彼らは素直な「態度」を見せているだけで、素直にアドバイスを「聞き入れる」「実行する」ことはしていないらしいのです。
こだわりがないので反論しない。真剣に聞き入れようという気もないので、素直に話を聞いているように見せているだけなのかもしれません。

このことはコミュニケーションの取り方とも関係がありそうです。同僚とうまくコミュニケーションを取っているように見えるのに、授業のことや学級経営に関して一人で抱え込んでいることがよくあるのです。「よい先輩や同僚がいるのだから、気軽に相談したら」とアドバイスをしても、なかなか実行ができないのです。
企業の新人のコミュニケーション力が落ちているというニュースを目にしたことがあります。SNSなどを通じてあれだけ仲間とつながっていたい若者がなぜと思いましたが、どうやら彼らのコミュニケーションは、仲間外れにならない、他者から攻撃されないことを第一にしているようです。自分の考えを正しく伝える、相手の考えを正しく受け止めるといったことよりも、表面的に円滑な人間関係をつくることを優先しているのかもしれません。上司から見れば、「指示したことをきちんと実行しない」「自分の考えをはっきり伝えようとしない」、結果「コミュニケーションがとれない」となっているのでしょう。

アドバイスの場面で「素直」な態度と感じていたのは、今の若い世代のコミュニケーションのあり方を、「素直」と勘違いしていただけなのかもしれません。もちろん、本当に素直にアドバイスを実行して伸びていく若手もたくさんいます。素直に見えているだけなのか、本当にそうなのかを意識してアドバイスする必要があります。
このことは、授業とも共通することです。子どもが静かにしていれば、聞いているかというえばそうではありません。ちゃんと反応を見て、必要に応じて問いかけや確認をしながら話をする必要があります。このことを忘れ、よく聞いてくれていると勘違いして一方的に話し続けてしまうことがよくあります。そうならないようにと先生方にアドバイスしている私が、同じようなことをしていたのではないかと恥ずかしくなります。
原点に戻り、授業者の本音を聞き出し、その上で自ら変わろうとしてもらえることを目指してアドバイスをしなければと思います。まだまだ、修行中の身です。

研究授業の教材を検討する

昨日は、本日参観予定の数学の研究授業の指導案の教材について少し検討していました。日ごろはポイントを確認し、子どもたちがどのような動きをするだろうかを想像するくらいで、あとは実際の授業を観察してアドバイスを考えます。教材について事前にはそれほど深く考えないのですが、グループでの活動の課題が、解き方を知っている子どもがいればその子が教えて終わってしまうようなものだったので、さすがにこれではちょっとまずいなと思い、どうしたものかを考えていたのです。

解き方を知らない子どもの思いつきをつぶしたくない。では、そういう子どもたちはどんな考え方をするだろうか。子どもの気持ちになって考えてみます。そして、その考えはどう評価すればいいだろうか。活かすことはできるだろうか。
また、教科書の課題を活かして、子どもたちの考えを広げるような課題はできないだろうか。塾などで問題を解いたことがある子どもも一緒になって考える課題となるだろうか。その課題は、考える必然性をあるものにできるのだろうか。教材研究の基本を改めて思い出すことになりました。

代案となる課題や進め方はいくつかできたのですが、実際の子どもの様子を見てみないと、それが適当なものかどうかは判断できません。極端な話、解き方を知っている子どもがほとんどいなくて、グループ活動がかかわり合いのあるよいものになる可能性もあります。逆に、子どもたちはほとんど全員が解き方を知っているかもしれません。提示する課題は、子どもたちの状況に合わせて考えなければなりません。今回は私自身が教材研究を少ししたので、いつも以上に子どもたちの様子を見るのが楽しみです。

私がどのような代案を考えていたのかは、授業の様子と合わせて明日の日記で報告したいと思います

停滞から次の一歩を踏み出すために

ありがたいことに継続的にアドバイザーとしてかかわっている学校がたくさんあります。学校によっても差がありますが、多くの学校は数年でよい変化が見られます。早いところは1年ほどで見違えるように変わります。しかし、そこから順調によい方向への変化が続くことがなかなか難しいように感じます。私の力不足を感じるところですが、よい状態を維持することが精一杯となることがよくあるのです。このことについて、自身の反省を含めて少し述べたいと思います

学校がよい方向へ素早く変わる条件は、目指す授業での子どもの姿が学校で共有されている、そしてそのための手段が具体的になっていることです。目指す姿が明確でなければ、取り組みへのエネルギーがわきません。具体的に何をやればいいのかわからなければ変りようがありません。学校全体で「○○をする」という行動目標に取り組むことが大切になります。

では、うまくいった学校が停滞してしまう原因は何でしょう。
1つは、当面の目標が達成されたあと次の目指す姿が描けないことがあります。苦しい状況にあった学校ほど、その状況から脱すると「これでいいじゃない」「苦労してここまで来たから、これ以上頑張らなくても・・・」となってしまうのです。
もう1つは、人の入れ替わりです。新しく来られた先生は目指す姿ができているところからのスタートです。どのようなことに取り組んできたかも知りません。また、このことが大切だと聞かされても、できている状態であるとその必然性を感じません。以前からの先生が地道な取り組みを続けていても、新しく来られた方は素直にやろうとしていただけないのです。
こういったことが原因で、今まで学校全体で取り組めていたことも一部の先生しかやらなくなり、先生や学級によって子どもの見せる姿がバラバラになってしまいます。次のステップに進むどころか、現状維持するのも難しくなってしまうのです。

このような状態からもう一歩前へ進むために必用なことは何でしょう。
年度当初に、今まで学校として目指してきたものが何であるかと、その実現のためにどのような取り組みをしていたのかを確認する。次に今年度目指すものをはっきりと示す。たとえ昨年度までと同じであったとしても、その理由も含めて再度明確にする。そして、学校全体で何に取り組むかを具体的に示す。新しいことだけでなく、継続すべきこともやってきたことだからと軽く扱わずにその価値を再度共有し、そのことの上に次があることを明確に伝える。
このようなことが必要だと思われます。今までの取り組みの価値づけと共有の上で次への一歩を提示するのです。
年度当初にこのようなことをするためには、この時期から準備をしなければいけません。特に、次の目指す姿はトップの強いリーダーシップがなければ、なかなか描くことができません。
私の反省は、このことを学校任せにしてきてきちんと伝えていなかったことです。2月には今年度最後の訪問をする学校がいくつかあります。次年度に向けて今何が必要なのかを共有したいと思っています。

堀裕嗣先生の講演で考える

本年度第6回の教師力アップセミナーに参加してきました。札幌市立北白石中学校の堀裕嗣先生の講演です。「教師力アップの極意」という演題で、力量形成系のお話が中心でした。

堀先生は、「教師力=スキル×キャラクター×チーム力」と定義しました。キャラクターというのは、一人ひとりの個性ということです。必ずしも人間的に優れている必要はありません。それぞれの個性を活かすことができればいいのです。このことは、チーム力と関係してきます。厳しい先生、優しい先生、面白い先生、いろいろな先生がいて、互いにチームとして補い合うことが大切だということです。自分のキャラクターに合った役割を演じればいいのです。学年の中に1人突出した力を持った先生が1人で突っ走ると、まわりの先生が迷惑をする。いくらスキルがあって、子どもたちの人気があったとしても、チームとして一緒にやって、いろいろと教えてくれないとまわりにとってはマイナスの存在になってしまう。チームという発想が大切だということです。私も、チーム力ということは学校経営の視点で大切にしていますが、教師力として考えたことはあまりなかったので新鮮でした。

堀先生のおっしゃることと同じかどうかはわかりませんが、このことに関して思い出すことがあります。私はそんな突出した力を持っていたわけではありませんが、当時の先輩から「君の授業の影で多くの先生が犠牲になっている」ということを言われたことがありました。自分としては子どもたちに学力をつけるために一生懸命に授業をし、かつ工夫もしていたのに、そのように言われたことはとても心外でした。他の先生の力がないだけでないか。そのようにも思いました。しかし先輩が伝えたかったことは、「私が頑張ることで、私の授業でエネルギーを使い切った子どもたちが、他の授業では集中力を失くす」「私の教科の勉強が大変なので、他の教科の手を抜く」、そういうことでした。その時の私は、自分の教科の結果だけを出せればいいという独りよがりだったのです。それからは、自分がかかわる学級については、他の教科とのバランスを意識するようになりました。

キャリアアップを考える時、スキルは自分のキャラクターにあったものを身につけることが大事であると話されます。私は、他の先生の授業から学ぶのに、「芸」に騙されるなとよく言います。ベテランや名人と呼ばれる方の授業には思わず真似をしたくなるような素晴らしいスキルがあります。しかし、それはその先生の個性(キャラクター)と結びついた、「芸」ともいえるものであることが多いのです。そのまま真似しても、まずうまくはいきません。そうではなく、その「芸」の中にある普遍的なものを見つけることが大切です。いろいろな方の素晴らしい授業を見せていただく機会が多いのですが、一見すると全く異なるように見えるスキルでも、根っこは同じであることが多いのです。素晴らしい授業は本質的に共通部分がたくさんあるのです。

スキルを身につけることは大切であるが、それに加えて「ネットワーク」が必要だということを言われます。1人でできることは限られています。1人で手に負えないときには他者の助けを借りることは大切です。そのためには人脈が必要なのです。
そしてもう1つ大切なのは、「人柄の良さ」ということです。本当によい必要はない。子どもや親に人柄が良いと思われることが大切だというのです。相手に聞いてもらえるかどうかは、正しいことを言ったかどうかではなく、人柄がいいかどうかで決まる。この人が言うことだから聞こうという気になるかどうかなのです。
このことについても、思うところがあります。生徒指導が上手い先生には共通点があるのです。子どもを厳しく指導しますが、日ごろは笑顔で子どもたちと接し、子どもたちを認め、子どもたちをよくほめるのです。子どもたちとの人間関係をしっかりとつくっているから厳しい指導にも子どもたちは従うのです。「キャリア=スキル+ネットワーク+人柄の良さ」という堀先生の定義に納得です。

堀先生は、教師に求められる資質は次のようなものだと考えられています。

第一にいつも笑顔でいること。
自分が大人になった姿を想像した時に、希望あふれるイメージを持たせたい。そのためには、子どもたちのまわりに、いつも笑顔、上機嫌で互いに仲のよい大人がいることが大切だと主張されます。子どもたちと先生が一緒に笑い合う瞬間をつくることが大切なのです。
子どもたちが自分の将来を明るいものと思えなければ、大人になることを拒絶します。刹那的な行動に走ります。こんな大人になりたいという手本が子どもたちのまわりにいることが大切になります。私は、地域の方に、大人になるのは素晴らしいことだと子どもたちに思わせるような大人であってほしいとお願いします。堀先生のお話に、そのことと通じるものを感じました。

第二に孤独に耐える力をもつこと。
子どもたちに損をさせないために、孤独に陥ることを恐れずに主張すべきことを主張するということです。損をさせないという言葉には、すこし引っかかるものがありますが、「子どものために」と置き換えれば納得のいくことです。

第三に無駄を大切にすること。
教師の仕事は、ムダになることがたくさんある。やんちゃな子どもの指導は98%がムダに終わる。でもやり続けなければならない。子どもたちと馬鹿げたビデオをつくること自体には何の意味もない、ムダなことに見える。しかし、学年の雰囲気づくりに役立っている。発案者が堀先生だということは、子どもたちは皆知っている。だから、厳しい指導をしても「仕方がない」と思ってくれる。正しいことを言ったかどうかではなく、誰が言ったかの「誰」になることが大切になるのです。

第四に必要なときに馬鹿になれること。
自分がバカになれるかどうかは、相手との関係で決まる。バカになれるということは、相手と仲がいいということ。そういう集団を目指さなければならない。つまらない自意識や、過剰な自意識から解放され、自分を相対化することで、相手との位置関係を正しく認識できる。そうすることで、対立しても落としどころを見つけることができるということです。

第五にいつでも変われること。いまを壊し、新しい自分になることを恐れないこと。
教師は、現状維持が好き。外圧がないと変わろうとしない。そういう殻を破ることが大切だということです。

続いて、現在の学年をどのように運営しているか、これらのことと関連づけながら具体的に話されました。面白いエピソードをたくさん聞くことができました。堀先生は少人数でのコミュニケーションを大切にされています。このことも、とても印象的でした。相手に応じたコミュニケーションを考えると少人数での対応になることは納得がいきます。コミュニケーションの場を作るための工夫もとても参考になるものでした。堀先生と同じことはなかなかできませんが、その考え方を自分に取り入れることはできます。

今回は教師力アップの入り口のお話しでしたが、その根底にあるものに思いをいたらせると、考えさせられることがたくさんありました。よい勉強の機会をいただけたことに感謝します。

反転授業について考える

ICTを活用した反転授業が話題になっています。
家庭で事前にビデオを見て予習し、学校ではその学習をもとに、問題を解いたり、個別指導をしたり、わからないことを教え合ったりするというものです。わからない子どもはビデオを何度も見直すことができるので、自分の理解のペースに応じた勉強ができる。学校では、講義をしないので、できない子どもに教師が個別指導をすることができ、問題演習の時間も確保できる。

何かを期待させる新しい発想に思えるのですが、根本的に引っかかることがあります。ビデオの授業はできの悪い一斉授業と同じく、一方的に教えるものです。もちろん思考を促す場面や問いかけなどはあるでしょうが、基本は子どもの状況にかかわらず一方的なものにならざるを得ません。もちろん何度も見ることでわかるよさはありますが、そのような授業で子どもが理解できるのであれば、教室で同じ講義をすればよいということです。いやいや、理解できない子どももいるかもしれないが、講義の時間がない分、学校で理解できない子どもに対応する時間を確保できるからよいのだという反論も聞こえてきそうです。その根底にあるのは、時間をかければ子どもに力をつけることができるという発想です。何度も述べていますが、小規模の学校では個別指導の時間が多く取れます。だからといって決して学力が高いという結果は出ていません。たとえ講義の時間がゼロになっても、教師が個別指導で何とかできることは限られています。かけた時間よりもその内容が問われるのが授業なのです。

また、一方的に教師が教えて、その内容を演習するのが授業だという発想も感じられます。例えば分数の割り算の考え方は教師が教えることなのでしょうか。そうではなく、割り算の意味、分数の意味をもとに子どもが自分たちで考えながら理解していくことが重要だと思います。知識として一方的に与えるようなものではないと考えます。
もちろん教えなければならないことはたくさんありますが、1時間の学習で一番大切な内容は、子どもたちの手で見つけていくことが大切だと思います。となれば、反転授業で予習をするのはいったいどんな内容になるのでしょうか。子どもは常に受け身で教えられるだけの存在になるのでしょうか。子どもを目の前にしての授業でも、全員に考えさせ、理解させることはとても難しいと感じています。反転授業で考える力をつけることはできるのでしょうか。

このような疑問や不安がたくさんわいてきます。まだまだ始まったばかり(日本では)の試みに対してネガティブなことを言うのは、あまりほめられた態度ではないことはよくわかっています。しかし、どうにも気になってしょうがないのです。私の考えていることなどは織り込み済みで、素晴らしいものがつくられつつあるのかもしれません。実際のところを見せていただく機会を得たのち、再度話題にしたいと思います。

家庭学習について考える

子どもたちに家庭学習の習慣がついていないということがよく言われます。保護者からは家庭学習をさせるために宿題をだしてほしいという声が聞こえてきます。家では勉強しないので塾に行かせるという家庭もあります。一方教師は、宿題という形ではなく、自分で予習や復習、学校の授業以外の学習に取り組んでほしいと願っています。家庭学習の問題はどのように考えればいいのでしょうか。

こうすればうまくいくというものはないと思いますが、一番の問題は子どもたちにとって家庭での学習が楽しくない、勉強は苦痛だと思っていることではないでしょうか。少なくとも携帯ゲームなどよりは魅力のないものだということです。与えられた作業を受け身でこなすことが学習であるならば、それも致し方のないことのように思います。宿題をたくさん出しても、受け身の時間が増えるだけで、勉強嫌いを増やすことになりかねません。教師はそのことを知っているので、宿題を出すことにはあまり積極的にならないのです。とはいえ、何も課題を与えなければ子どもたちは家庭で学習をしないので、算数や漢字のドリルや問題集を与えて宿題にしたり、自主的な学習課題としたりします。たとえ自主的であっても、結局は与えられた課題をこなすことには変わりありません。学習が楽しいものにはなかなかならないのです。

では、学習を楽しくするにはどのようなことが必要なのでしょうか。1つは自ら興味を持って取り組むことです。興味を持ってより深い知識を得たり、自分で課題を解決したりすることが学ぶ楽しさにつながります。そのためには、日ごろの授業の学習課題が子どもたちに興味を持たせるようなものであることが必要です。もっと知りたい、もっと学びたいという気持ちにさせることが求められます。ここで問題になるのは、子どもたちが興味を持っても、どのようにすれば家庭で学べるかという学習の方法を知らないことです。せっかく授業で興味を持たせても、これでは家庭学習につながりません。その方法を教えることが必要になります。例えば理科や社会であれば、関連する資料や書籍を紹介する。算数であれば、発展的な課題を提示する。そして、何を使って、どのように学習するのかを具体的に伝えることをするのです。このようなことを教え続ければ、次第に自分なりの学習スタイルを見つけることができるようになります。
そして、もう1つ大切なことは、子どもの自主的な学習を評価することです。教室では意図的にそういう場面をつくるようにします。もちろん、保護者が家庭で評価することも大切です。自主的に取り組んだことが評価されることで、より学習意欲が高まります。評価されることで、学習がより楽しくなるのです。

家庭学習の習慣をつけることはそれほど簡単ではありません。ここで示したやり方をすればうまくいくという保証はありませんが、少なくとも「勉強しなさい」ではないアプローチを工夫してほしいと思います。

相関と因果の違いを意識する

学校で行ったアンケートなどのデータを見せていただく機会がよくあります。この時気をつけているのが、相関と因果の違いです。

例えば先日の新聞にあった「だらだらネット成績ダウン」という記事は、全国学力学習状況調査をもとに、ネットを長時間使う生徒は正答率が低かったという事実を報道しているのですが、ネットの利用時間と正答率に(負の)相関関係があるというだけであって、ネットを利用したから正答率が低いという因果関係があるかどうかまでは根拠しているデータからは言えるわけではありません。そもそも勉強が嫌いだからネットをたくさん利用したのかもしれません。ネットを利用しなければテレビを見ていたのかもしれません。学習時間と正答率、学習時間とネット利用の関係を調べて、学習時間が多ければ正答率が高く、同じ学習時間でもネットをよく利用する子どもの正答率が低いというような結果がでれば、どうもネットの利用は正答率に悪い影響を与えるようだということになります。同じ学習時間であれば、ネットの利用にかかわらず正答率が変わらないのであれば、ネットではなく学習時間が少ないことが原因と言えそうです。
相関関係を深く考えずに因果関係に置き換えてしまい、その結果もっともらしい結論が見えてくると、ついそれに飛びついてしまいます。このようなことがないように、因果関係が言えるためには他にどのような条件やデータが必要かを考える習慣を持つことが大切です。

先ほどのネット利用と正答率の関係は、ネットのない時代のテレビの視聴時間と学習成績の関係と同じような傾向があるのではないかと思います。子どもたちは、学習よりも目先の面白いものに時間を使う傾向があり、そのような子どもは学習成績がよくないということでしょう。このことを裏付けるデータを持っていませんが、もしそうであれば、ネット利用を制限することが正答率を上げることにつながるかどうかは、ネットの利用時間が減ると学習時間が増えるかどうかに依存するわけです。ネットの利用を制限しても、学習以外のことに時間を使うならばあまり意味はないということです。正答率に寄与する要因が何かを見極める必要があるのです。

もしネットと学習成績に因果関係があるかどうかを知りたければ、そのことがわかるためのデータを集める必要があります。学校のアンケートも相関関係を知りたいのか、因果関係も意識するのかでその質問項目やデータ処理の仕方が変わってきます。相関と因果関係を混同せず、その違いを意識して情報を集め、分析するようにしたいものです。

若い先生方の成長について考える

仕事の関係で若い先生方にアドバイスする機会がたくさんあります。若い先生方をひとくくりにしてどうこう言うことは乱暴なことですが、感じることを少しまとめてみたいと思います。

・目指す教師像、授業像がはっきりしない
何を目指して教師になったのかを聞いても明確な答えが返ってこない。強い思い入れも感じない。授業に関しても、目指す子どもの姿が具体的になっていない。

・意外に素直
なかには表面的に聞き流す人もいるが、総じて指摘されたことは素直に受け止めてくれる。愚直に指摘されたことをやり続ける人の伸びは大きいが、ちょっとやってみてうまくいかなければそれで止めてしまう人も多い。

・コミュニケーションが表面的
同僚とそつなくかかわるが、ぶつかり合うほど深くはかかわろうとしない。他者から盗むことや、互いに学び合うことができない。仕事上で苦しいことがあっても、自分一人で抱え込んでしまう。

・考えることが苦手!?
授業を振り返ってどうすればいいのか問いかけても、なかなか自分で答を見つけることができない。答を教えてくれるのを待つ傾向が強い。ネットなどを使って指導案などを手に入れることはするが、自分で考えてアレンジすることが上手くできない。

・表面的な学力しかない
たとえ自分の専門教科であったとしても、教科でつけるべき力は何か、見方・考え方は何かといった教科の本質に迫る部分がわかっていない。与えられた問題を解くことばかりをしてきたように感じる。教科書を見ても、なぜこの問いがあるのか、なぜこの資料が取り上げられているのかといったことを考えようとしない。

だからといって、私がどうこうできるわけではないのですが、いくつか心がけていることがあります。1つは具体的な場面でどうありたかったのかを引き出し、では具体的にどうすればいいのかを一緒に考える。もう1つは、アドバイスを受けて変化したところがあったら、たとえ上手くいっていなくても変わろうとしていることを評価する。そしてあと1つ、困っていることを聞かせてもらい共有することです。
しかし、このようなことを意識して接しても、教科の本質にかかわる力はなかなかついていきません。個々の授業技術や子どもたちとの人間関係づくりといったものは着実にできるようになっていくのですが、こればかりは一朝一夕で身につかないようです。具体的な授業場面で話をしても、それは点でしかありません。一つひとつの教材すべてについて話をすることも不可能です。本人がいつもこのことを意識して教材研究を行い、時間をかけて地道に学び続けるしかないようです。ただ、もう1つとても有効な方法があります。それは、教材研をみんなで行うことです。特別な授業ではなく、ふだんから同僚と授業について話し合うことで、確実に力をつけることができます。とはいえ、学校現場を見ていてこのことが一番難しいようにも思います。授業について話し合う時間が現実にはなかなかとれないのです。若い先生が育つための環境も厳しいのです。

若い先生方の成長には、まわりの働きかけがとても大切に思います。昔のように自分で盗んで成長しろということは通用しません。かかわる先生方一人ひとりが彼らの成長を意識して接することをお願いしたいと思います。

懇親会で考える

先週末、学校評議員をさせていただいている学校のおやじの会の懇親会に参加させていただきました。学校や教育についての話で盛り上がり、気づけばいつものように3時間以上の時間が経っていました。先生とは違った立場と視点の方のお話はいつも新鮮で、楽しいものです。

自分たちの思いを持って主体的に学校に働きかけるだけでなく、校長や先生方の思いをくみ取って実現への手助けや時にはアドバイスもする。そんな方々です。この10年余りにあったいろいろな出来事について、その背景や思いをうかがいながら、保護者や地域と学校がよい関係であるということはどういうことかを改めて考えました。
「子どもたちのため」になることであれば、互いに妥協できる。よい関係であるとは、子どもたちの成長のために譲り合い、協力できること。以前は、単純にそのように考えていました。しかし、時には互いにぶつかり合って、新しい考えや価値にたどり着くことが大切であることを、このおやじの会や地域の方々から気づかせていただきました。
保護者の中には、「学校に子どもを人質に取られている」ということを言われる方がいます。実際に、学校が子どもを人質にして何かを保護者に要求したということを聞いたことがありません。ぶつかることはエネルギーのいることです。それよりも黙って言われるままに動いた方が楽なこともあります。学校に対して自分の言いたいことを伝える、ぶつかることをしない言い訳に使っているのです。
学校と地域がよい関係であるということは、子どもたちの成長のために互いが協力することだけでなく、互いに学び合っていることだと考えます。子どもたちをその中心に置き、保護者と地域、学校が互いにかかわりあいながら自分たちも成長することなのです。そのことをこの会の皆さんの姿から学ばせていただきました。

先日の地域フェスティバル(地域と学校が一体となって子どもを育てる参照)に関連して、教室を使ったイベントを担当された方が、「まだまだ子どもが育っていなかった」とそのイベントであったトラブルと、自分が子どもたちを叱らなければいけなかった話をしてくださいました。子どもたちに任せると言っても、子どものことです失敗もします。そのことをきちんと叱れる大人の存在の大切さを感じます。来年このイベントを担当する子どもたちに、叱られたことがどのように活きていくのでしょうか。思いが伝わってくれることを期待します。

いつものように楽しく、またいろいろなことを考えるきっかけとなる会でした。いつもお声をかけていただけることを本当にうれしく思います。

玉置崇先生の姿にプロ教師を見る

本年度第5回の教師力アップセミナーに参加してきました。小牧市立小牧中学校玉置崇校長の講演です。「プロ教師のABCDの原則」という演題で、主に若い先生向けの授業技術について、実際の授業の映像を交えて具体的にお話をいただきました。

ABCDの原則とは、「A 当たり前のことを」「B 馬鹿にせずに」「C ちゃんと」「D できる教師」ということです。「当たり前のこと」とは、教師として当たり前のことをちゃんとできているかということ。「馬鹿にせずに」とは、素直に、前向きにやっているか、「ちゃんと」は極めているか、「できる教師」は継続しているかということです。何も特別なことではありません。しかし、私も、このことができていない方に思いのほか多く出会います。教育実習生に指導するような内容がきちんとできていないのです。

玉置先生が教師としての原点としているのは、一宮市の馬場前教育長(当時は指導主事?)が授業研究の場で授業者の態度を「教師をやめろ」と厳しく叱責した場面です。馬場先生は、授業者が金髪の生徒に対して授業中に一言も声をかけなかったことをとがめたのです。「あなたは、その子どもを見捨てている。それだけではない、その姿を他の生徒が見ている。ああなったら自分も見捨てられる。そう思わせている。それがなぜわからないのか」。教師の子どもに向かう姿勢が問われていることを強く意識されたそうです。

授業のあり方の原点としているのが、向山洋一先生の実践記録です。子どもたちの言葉で授業がつくられている。当時の玉置先生は、数学の教師として子どもたちの試験の成績を上げることを第一にして授業をされていたそうです。業者の学力試験で愛知県3位にまでなったのですが、自分の授業を振り返ってみると、自分の言葉しかない。子どもは休み時間にあれだけしゃべる。自分の授業でもしゃべれるはず。そう考えて、授業スタイルを変えたのです。どうやったら点数を下げずに数学的な思考力をつけられるか考え、授業の中に笑いも入れ、子どもの意見を受けて授業を進めることを目指したそうです。
大切なのは、佐藤学先生がいうところの「教師と子どものキャッチボール」。とんでもないボールでも、背を伸ばして受け止めようとすること。胸元に来るボールを投げる子どもの意見しか受け止めなければ、その子たちしか発言しなくなる。また、物わかりのよい教師も問題です。子どもの言葉を教師が勝手に都合よく解釈してしまう。勝手に言葉を足してしまう。このようなこと意識してほしいと話されます。

玉置先生は「講義」と比較して「授業」を定義されます。その時間で一番大切なことを教師が言うのが「講義」、子どもが言うのが「授業」です。社会体験に出ている教師の代わりに週に数回授業を行なっているそうです。条件をわざと抜かして問題を与えて、子どもにそのことを気づかせる。わざとおかしな情報を与えて、子どもに訂正させる。子どもから言葉や考えを引き出す工夫をしているそうです。

ここで、有田和正先生の話をされました。今年の愛される学校づくりフォーラムでのことです。体調が悪く、控室では顔をゆがめておられました。しかし、模擬授業で登壇された時は終始笑顔で、体調の悪さは微塵も感じさせませんでした。プロ教師だと感じさせられたということです。有田先生はそのあと体調が悪化しすぐに入院されました。実は、玉置先生も数日前にぎっくり腰を患い、この日は立っているのもつらい状況でした。しかし、そのことを感じさせない素晴らしい講演でした。

先日行った中学校1年生の比例の利用の飛び込み授業をもとに、具体的な授業技術についてお話されました。大量の紙を数えるのに、重さと枚数の比例の関係を利用しようという内容です。

子どもをほめることが大切。
子どもから期待する言葉が出なくてもまず受容する。そこから子どもとの関係は始まります。「220」という数字が何かを問いかけて、全校生徒の人数と気づいた子どもがいる。答える生徒がいるとは予想しなかった。大いにほめる。「偶数」と答えた生徒がいた。数学的な視点です。だから、この生徒もほめる。子どもの発言をポジティブに評価することが大切なのです。
子どもと目が合う。「目が合うね」と声をかける。自分のことを見てほしいというメッセージを「こっちを見ろよ」ではなく、ポジティブな言葉で伝えようとされました。

子どもたちに具体的なわかりやすいゴールを示すことが大切。
「252枚(全校生徒と職員の数の合計)を取りだそう」というゴールを提示し、全員に方法を考えさせました。子どもに意見を求めれば、誰かが発表してくれます。しかし、この課題に全員参加させたいのです。だから、ノートに書かせるのです。○つけ法で全員の考えを把握します。子どもたちにポジティブな言葉かけをすることで、距離を縮めることも意識されたそうです。

子どもにかかわりを意識させることを大切にする。
「全校生徒と先生に紙を1枚ずつ渡せばいい」という意見を最初に取り上げました。この意見に「なるほどと思った人は○、ん?と思った人は△を書きましょう」と全員に判断させます。野口芳宏先生流の全員参加の方法です。ここで「×」ではなく、「△」というのが子どもの気持ちを大切にする玉置流です。友だちに「×」をつけられるのは、否定されたような気持ちにつながるからです。ここで、意見を言った子どもに「○を付けた人が何人いると思う?」と問いかけます。発表者に友だちとのかかわりを意識させようとするのです。

子どもの考えを子どもの言葉で共有する。
長い意見を言う子どもの発言を、教師が補足しながらまとめてしまうことがよくあります。そうではなく、子どもの言葉を途中で区切り、その言葉をそのまま復唱する短区切り復唱法を活用することで、子どもの言葉をそのまま全員で共有することを大切にされます。
ちょっと心配な子どもが意見を言おうとしてくれました。出てこない方がいいなと思った意見だったそうですが、意欲を認めるためにも発表させました。上手く発表できなくて「あれ?」という状態になりましたが、「教室が和んだね」とポジティブに評価しました。笑顔の子どもなのでこういう処理をしたそうです。短時間で子どもの特性をよくつかまれています。

子どもの一言一言を大切にする。
重さを計る発想の中で、「紙を適当に分けて計る」という言葉を出してくれる子どもがいました。「適当」という言葉にこだわることで、数学的に深めていくことができます。そこで、この発言を軸に授業を展開しようと考えられたそうです。
「適当」ということから、「いくつでもいい」という言葉を引き出せば、比の値が一定という比例の関係につなげることができます。「都合のいい数」という言葉が出れば、10枚といった計算しやすい枚数を計ることや誤差の少ない切りのいい重さになる枚数を探すといった発想にもつながります。いずれにしても、比の値、比例定数、常に成り立つといった数学的な考えにつなげていくことができます。こういうちょっとした言葉に敏感反応して取り上げる力は簡単には身につきません。日ごろの教材研究の積み重ねが大切です。

子どもの言葉重ねることでゴールに近づく。
4人グループで話し合わせると、2枚で計るという意見が出てきました。2枚では無理だと思われましたが、子どもの「252は2で割り切れる」という考えは数学的な発想です。このことを大切にします。次に7枚、252は7で割り切れるからです。そして、12枚が出てきました。これも252の約数です。実は12枚の時に切りのいい重さになるのです。教師がいきなり12枚で計ろうというのではなく、子どもの言葉を重ねていくことでゴールに近づくことが大切です。
また、わかっていなくてもわかったふりをする子どももいます。そこで、子どもの説明を他の子どもにもう一度させます。違う説明をすることもありますが、子ども同士をつなぎながら説明を重ねていくことで、説明のモデルができてきます。それを真似させることで、下位の子どもでも説明できるようになります。こういう過程を大切にされています。

玉置先生は最後に、「いつも笑顔を忘れず、教師だけが子どもを教える権利があることを忘れずにいてほしい」と結ばれました。プロの教師が大切にすべき言葉だと思います。

具体的な授業場面をもとにしたお話は、参加された方にとってとてもわかりやすかったと思います。ここで紹介された授業技術は、基礎的な「当たり前」のことがほとんどかもしれません。しかし、誰でもできることと「馬鹿にせず」、素直に取り組み、そして「ちゃんと」「できる」ようになることを意識してほしいと思います。
私にとっても、教師にとってのABCDは何かを再度考える貴重な時間となりました。体調の悪い中、素晴らしい講演をされた姿に玉置先生のプロ教師としての矜持を感じました。充実した時間をありがとうございました。

地域と学校が一体となって子どもを育てる

先週の日曜日に、私が関わっている中学校で行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」を見学してきました。このフェスティバルを見学するのも今年で10年目です。あいにくの雨という、いつもと違う状況での準備の様子を見たいと思い、早めに会場を訪れました。最初に気づいたのが例年以上に地域の支援者の姿が目立つことです。どこのブースにも地域の方の姿が見られました。しかし、子どもたちは決して大人の指示で動いているわけではありません。フェスティバルが学校行事と位置付けられて4年目、最近では子どもが主体となって動くようになってきているのです。そのことは、大勢が同時に作業している、模擬店の食材の準備をしている場面を見るとよくわかります。ぱっと見には子どもだけしかいないようですが、よく見るとちゃんとたくさんの大人が参加しています。大人の姿が目立たないのです。以前は大人が仕切って子どもに指示を出していたのでたとえ少人数であっても目立っていました。数が増えても子どもたちと同じ立場で一緒に働いてくださっているので目立たないのです。子ども主体という趣旨をよく理解していただいていることと、指示しなくてもちゃんと子どもが動けるようになっているということです。子どもたち主体が定着してきています。子どもたちの経験値も上がってきているのです。

足場が悪い中、来場者を心配していたのですが、かえって出足が早いくらいでした。子どもだけでなく大人の姿も目立ちます。男性の姿もたくさん目にします。家族で来られている方もたくさんいらっしゃいます。OBらしき高校生にも出会います。雨だったからこそ、地域の行事として定着していることを実感することができました。

先生方の姿が会場のあちらこちらで見られます。昨年までは担当ブースにいる方が多かったのですが、今年は廊下でよくすれ違います。子どもたちに安心して任せられるようになったのでしょう。こんな感想を持ちながら、模擬店の様子を見に行きました。どのお店にも大人の姿が見えますが、主役は子どもたちです。大人はアシスタントに徹しています。子どもたち同士会話しながら、どの子どももしっかりと働いています。やらせている感は全く感じません。子ども主体の行事となってからのフェスティバルをずっと経験している子どもたちです。そのことが、子どもたちの様子に反映していると思います。子どもたちの中に伝統行事として受け継がれるものになりつつあるのを感じました。

今回気づいた細かな変化は実は用意周到に仕組まれたものであることが、校長のお話をうかがってわかりました。子どもたちの人数が減っていく中、あえてブースの数を一挙に倍増させたのです。子ども主体ですので、一人当たりの責任は一気に増えます。子どもが今まで以上に頑張ることにつながります。しかし、子どもたちが育っていなければかえって混乱します。子どもたちの成長を信じているからできたことです。とはいっても、絶対的に人手が足りません。そこで地域の方の協力を今まで以上にお願いすることになります。だから、地域の支援者の数が増えていたのです。しかし、このことは町内会の役員の方をはじめとする地域の方の協力があって初めて可能なことです。このフェスティバルが地域のものとしてしっかりと根付いていることの証です。また、ブースが倍増するということは、教師の担当ブースも倍になるわけです。当然一か所にじっとしているわけにはいきません。自然に教師が会場内を移動し子どもたちの様子を見ることにつながります。教師が一々指示を出してコントロールすることも不可能です。子どもたちに任せることが加速するのです。

毎年顔を出すたびに、何かしら進化していることに気づけます。それは、この行事が地域と学校・子どもたちの交流の場というだけでなく、子どもたちを鍛え成長させる場でもあると位置づけられているからです。子どもたちの成長に合わせて、常に次の成長を見据えた仕掛けがされていきます。しっかりとしたビジョンに基づき、子どもたちを育てるために、PTA・地域の大人や教師がしっかりとそれぞれの役割を果たしているのです。地域と学校が一体となって子どもを育てることはどういうことかを改めて教えていただけました。

ベテランに伝えてほしいこと

以前、ベテランが変わるきっかけについて述べました(ベテランが変わるきっかけを考える参照)。そういうきっかけとは関係なく、常に自身の授業を見直し前に進み続けている方もいらっしゃいます。私が訪問している学校でも、今年で定年を迎えるにも関わらず、日々授業に工夫をされている方が何人もいます。お会いするたびに、工夫をすることで子どもたちがこんな風に変わったと報告してくださったりもします。こういうベテランから若手が学ぶ機会をどのようにつくるかということは、学校にとってとても重要な課題です。授業を見てその技術を自分のものにすることも大切なことですが、一番学んでほしいのがその授業に対する姿勢です。子どもたちを育てることを第一に考えた時、足りないことは何で、それをどのようにしてできるようにするのか。謙虚に自分を振り返り、より進歩しようと工夫をする姿勢です。この姿勢を持ち続ければ、教師として確実に成長し続けることができるのです。

先日次のようなことがありました。
低学年の学級です。先生が気なる子どもにかかわりすぎて、それ以外の子どもがその間集中力を失くしていました。先生をその子に取られたと感じているようです。子どもとの関係が上手くいってないことをそのベテランの先生にお話ししましたが、そのことをなかなか納得はしていただけませんでした。先生が子どもたちに向き合っている時に見せる姿は、決して悪くはないからです。私からは、「こんなやり方もありますよ」と、参考になりそうなことを伝えましたが、釈然とされないようすでした。上手く伝えることができなかったと反省していました。
それからしばらくして、その学校の教頭からメールが来ました。その日、そのベテランの先生は、職員室で不満を口にされていたそうです。しかし、何日かして、私の言ったとおりやってみたら、ほんとにうまく行くようになったと教頭に伝えたそうです。これからも、もう少し他の子どもたちを大切にするとのことでした。
私のアドバイスがよかったという話ではありません。納得していなくても、子どもがよくなる可能性があるのなら、素直に受け入れて実行したその姿勢が素晴らしいのです。実力のある方です。関係がうまくいっていないと言っても、平均点以上の状態です。それでも、子どもたちのために変わってみようと思われたことに、私は感激しました。

校長となって授業をする機会がなくなっても、授業にこだわり自身の授業力の向上を常に目指している方がいます。一方、5年にも満たない経験で、自分はそこそこできるようになったと、努力や工夫をせずに漫然と授業に向かう方もいます。逆に、自信を失くして、努力することをあきらめてしまう方もいます。この姿勢の違いが教師としての成長を大きく左右します。いくつになっても、授業に対して正面から向き合うことを忘れないでほしいのです。

教師としてのどのような姿勢でありたいかを共有することが大切だと思います。そのために、ベテランには単に授業を見せ、授業について語るだけではなく、教師としての自分の歩いてきた道をぜひ後進に伝えてほしいのです。その歩みの中から、前向きな姿勢を持ち続けることができた理由をきっと見つけてくれるはずです。
日ごろの交流の中でそのような機会があるのが一番ですが、可能ならば時間を取って全体の場で話していただけるとよいと思います。教務主任や中堅の先生が対談形式で聞きだすというのも面白いと思います。

ベテランから学ぶ、ベテランが伝えるべきことは、技術や経験以上に、教師としての姿勢なのです。

今年も野口芳宏先生から大いに学ぶ

本年度第4回の教師力アップセミナーに参加してきました。12年連続の野口芳宏先生の講演です。野口先生の元気な姿とお話に出会うことが毎年の楽しみです。

午前は作文指導のお話です。
現在の指導要領では「話す・聞く」の順番になっている。「話す」は表現で、「聞く」は理解だ。表現が先になっているが、理解してから表現するのが本来の順番だ。近年、表現力が重視されているが、基本は聞く力である。聞く力、「傾聴力」を大切にするべきだ。という主張から入ります。その上で、「書く」ことについてのお話です。

書くことは言語活動で一番高度で、作文力は国語の学力の総決算でとても大切なものだ。それなのに一番行われていない。書かせれば読まなくてはいけない。読むと腹が立つ。あれだけ指導したのに、漢字を使っていない、仮名遣いが間違っている。「一番いいのは書かせない」となってしまう。だから「読まない」というのが野口流です。

野口先生の作文指導の原則は「多作」「楽作」「基礎基本」の3つです。
たくさん書かせるというのが「多作」です。好きにするというのは理想だが、それは求めないでとにかく書かせる。欠席をすれば「僕の欠席した1日」を書かせる。とにかく書くことを日常化させる。それもただ書かせるのではなく、意識的、自覚的、目的的に書かせることで力をつける。いかにも野口流です。「鍛える」という言葉がこれほどふさわしい方はいません。
この多作のための方法が「日直作文」です。日直が15分早く来て、自分の書いた作文を黒板に書きます。子どもたちは、必ず「評価」の視点で日直の作文を読みます。日直に望ましい読み方で読むように指示し、間違いはその場で指導します。こうすることで教師が手間をかけなくても、子どもたちはおかしな文を書かないようになるというわけです。子どもたちに書いたものを提出させ、よいものは保存に値すると評価して年度末に傑作集として文集にする。こうすることで、子どもの意欲も高まります。

子どもが面白がって書くというのが「楽作」です。「苦作」に対する野口先生の造語です。嫌なことは続かない。苦を楽にするという発想です。作文指導はネタが大切というわけです。子どもが一番喜んで書いたのが「野口先生の欠点」。なるほど、これなら作文嫌いの子どもでも喜んで書きそうですね。子どもが作文を書かないのは、作文力がないのではなく、ネタと題が悪いということです。
例えば、子どもが自分の大好きなものになったつもりで書く「なりきり作文」。自分の好きなものになるので、どうしてもその対象は持ち主である自分自身に向かいます。不思議と自分の悪いことを書くそうです。自分を見つめ直すのです。その後で、「僕から○○へ」と返事を書かせれば反省する。道徳的効果もあるのです。

「多作」「楽作」で子どもたちの作文の活動量は増えますが、それだけで力がつくかというと、そうではありません。ただ活動するだけでは、ある程度の力は着きますが、それ以上はつきません。工夫改善が必要です。「基礎基本」を教えないと崩れた「多作」「楽作」が続くことになります。そのために、野口先生は「作文ワーク」をつくられました。例えば、「段落」を学ぶのであれば、「試し」の文章を段落に分けるという作業をします。段落を分けるのはどういう時かを、ヒントの形でまとめてあります。こうして「段落」という文章を書くための基本を教えるのです。欄外には、どのような学力が形成されるかという「形成学力」と子どもが学ぶ「学習用語」が書かれています。野口先生がいつも主張されている、国語でどのような学力を形成するのかを意識し、子どもたちが学習すべき用語を明確にしています。子どもたちにつける力はどのようなものか、教えることは何かという授業の基本がきちんと守られています。野口流は、いつもぶれることなく、授業の基礎・基本がきちんと押さえられています。

さて、問題はこうして子どもたちに作文の活動をさせていくと、読まなければいけない量が増えていくことです。最初に述べたように、ここで「読まない」のが野口流です。
では、具体的にどのようにするのでしょうか。
ポイントは、褒めて、読まないことです。読むと腹が立つ。読まないで返すと親が怒る。読まないで見る。見たとたんに○をつけて評価をするのです。○は大サービス。ちゃんと書いてあれば三重丸、ちょっとどうかは二重丸。「うまい」と書いて、細かい批評はしないのです。それでも気になるところがあれば、そこには線を引く。これだけでいいと言うわけです。教師が読むことよりも、子どもがどんどん書くことの方が、作文の力をつけるためには大切なのです。
とはいえ、誤字は気になるものです。しかし誤字を直しても子どもは見ないものです。子どもの間違いは、普段の国語の授業が貧しいからそれが反映しただけだというわけです。個別に対応するではなく、こういう間違いがあったといって授業で取り上げて全体で指導すべきだということです。

いかに作文力をつけるかを、具体的、現実的な方法で示していただけました。私が日ごろ主張している、「先生が頑張ったからといって子どもの力がつくわけではない。子どもが頑張ることが大切」にもつながるお話だと勝手に解釈して喜んでいました。
さて、参加された先生方どのように野口先生のお話を聞かれたでしょうか。早速明日から実行しようと思われたでしょうか。セミナーでよいお話を聞いた、勉強したと満足するだけでは授業は変わっていきません。実行しようと思っても、実際にやらなければ何の意味もありません。何か一つでも実際に試していただきたいと思います。

午後の前半は、中学校の国語の授業(国語の授業撮影参照)のダイジェストビデオを見ての、野口先生の講評です。
野口先生はいきなり核心に迫ります。「この授業で子どもたちに形成したい学力は何だったか」と問います。
野口先生は、学力形成の判定を次のように整理されています。

1 入手・獲得
2 訂正・修正
3 深化・統合
4 上達・進歩
5 反復・定着
6 活用・応用

今回は、この1から4にそって検証されました。このように学力形成の観点から分析することで曖昧だったものが明確になっていきます。授業者にとってはごまかしがきかない、厳しい指導です。しかし野口先生がこのような指導をされるということは、授業者がそれに耐えられると判断したからだと思います。セミナー終了後の反省会では、授業者にとても温かく接していたことが印象的です。公的な場と私的な場をきちんと区別して接してくださいます。そこも野口先生の魅力です。

授業での問いに関連して、質問と発問の違いを示されます。
子どもに聞くのが「質問」。正解があって、そこにいたる道筋があるのが「発問」。「考えることができる」と問うのであれば、考えればいいのであって、その質は問われません。「正しく読み取る」ことを求める必要があります。
そういう意味で、今回の授業は活動主義であると評価されました。
いつものことながら、明確です。参加された方、授業者ともに多くのことを学べたと思います。正解にいたる道筋を明確にしておくことは、どの教科でも大切なことです。その道筋を子どもたちが見つけていく活動をどのようにつくっていくのかが、授業づくりのポイントであることを再確認することができました。

最後の講演は、「日本の誇り」という視点で皇室について話されました。
私たちは、自分たちの国「日本」に誇りを持てているのだろうかという問いかけから始まります。自分の出自である日本という国に誇りを持ってほしい。日本には世界に類を見ない長い歴史を持った国です。その象徴として皇室があります。昭和天皇のエピソードをもとに、皇室は私たち日本人が世界に誇れるものだということを話されました。
いつも思うことですが、いろいろな考えがある中で、批判を恐れずに自身の考えを主張する姿勢はとても立派です。よい悪い、正しい正しくないは別にして、批判されることがわかっていて主張することには勇気がいります。自分はあれだけ堂々と自分の考えを公の場で主張できるかと考えると、いささか心もとなくなります。

今年も野口先生のお話とその姿勢から多くのこと学ぶことができました。毎年お会いしていても、もうこれで十分だということがありません。今から、来年お会いできることを楽しみにしています。

地域の枠を超える動き

子どもたちの間で、スマートフォンやゲーム機などを利用したコミュニケーションでトラブルが増えています。その対策に頭を悩ませている学校は多いと思いますが、具体的な対策がとれていないのが現状のようにも思います。そんな中、保護者向けのネット講習会を企画したPTAと学校があります。家庭と学校が協力して対応していこうという試みです。この問題は1校だけの問題ではありません。市全体で取り組むべきだと考え、市内の全中学校を会場にして講習会を行うことを企画しました。急な話に「なぜ、今」と思う学校もあったようです。私には一刻を争うほど喫緊の課題になっていると思えるのに、意外な反応でした。
企画した学校からすれば、他の学校のことまで考えることは負担以外の何物でもありません。実際、市内の全中学校を会場として行うには外部の講師を手配する余裕も予算もありません。そこで、講師研修会を開いてPTAや地域の方、教師、自分たちで講師を務めようということになりました。自校のことだけを考えるのではなく、市全体のことととらえ、互いに協力して自分たちの手で子どもたちを守り育てていこうという姿勢に、これからの地域と学校のあり方の方向性が見えるように思います。

素晴らしいのが、この講師研修会を他の地域の方にも参加を許したことです。自分たちの負担でつくり上げたものを無償で提供するのです。行政主体であれば、予算の出どころのこともあり、このようなことは難しいと思います。しかし、行政ごとにそれぞれが一からつくりだすことは時間と予算のムダです。よいこと、必要とされることはそういった枠を超えて互いに共有すべきです。そのあたりまえのことをあたりまえのように実行されたことに頭が下がります。かく言う私も、参加を申し込みました。どの学校もネットの問題には頭を悩ませているようです。たくさんの地域学校からぜひ参加したいという声が上がってきました。
1つの地域、学校の試みをその枠を超えて提供し合い共有する。今回の研修会がきっかけとなって、このような動きが広がっていくことを期待したいと思います。

アンケートの対応も比べられる

秋は行事が多い季節ですが、最近はそれに伴いアンケートの季節とも言えるように思います。学校評価に関連してアンケートを取る機会が増えているのです。特に行事は終了後時間が経っていると記憶があいまいになるので、できるだけ早く実施することが望まれます。ではその結果の保護者へのフィードバックはどうでしょう。学校側の都合でいえば、反省と次年度の計画までに集計しておけばいいのでしょうが、保護者としてみれば1月も経ってからその結果見せられても、自分がどう答えたかも覚えていないということになります。

そこで最近はOCR(マークシート方式)やWEBのアンケートシステムを使って素早く実施・集計する学校が増えてきました。行事の翌週にはホームページにアンケートの速報が載っている学校も珍しくなくなってきました。とはいえ、結果を知らせるだけであればアンケートの意味はありません。その結果をどのよう評価し学校としてどう対応するかを伝える必要があります。しかし、結果はICTを活用して素早くできるとしても、分析や対応はすぐにできるわけではありません。以前に「保護者はホームページを通じて校長比べをしている」という言葉を伝えましたが(他校の取り組みをどう見るか参照)、このアンケート結果への対応も「校長比べ」の重要な要素のように思います。

結果を公表してもその内容についてのコメントがなければ、保護者の信頼は得られません。特に自由記述欄に意見を書いた方は、それに対する反応を期待しているはずです。公表するだけでは、かえって無視したようにもとられてしまいます。その意見を今後どのように扱かっていくのか、結果の公表とあわせて明確に伝えることが大切です。「こういう理由で対応することは難しい」「次年度に向けて検討する」このことを伝えるだけでも随分印象は変わります。意見を書いた方もそれがそのまま通るとは思っていません。きちんと説明されれば納得していただけるのです。もちろん、検討するといったことは次年度きっちりその結果を伝えなければいけないことは言うまでもありません。

ホームページも毎日更新することから、その発信内容の質が問われています。アンケートも素早く実施・集計することから、一歩を進んでその対応の質が問われてきているように思います。保護者の目には、学校間、校長間の格差がますます大きくなっているように見えているのではないでしょうか。

研究発表会の季節が近づく

秋分も過ぎ、秋らしい日が増えてきました。研究発表会の案内が届いてきます。秋は研究発表会の季節でもあります。私がかかわらせていただいている学校でも、この秋に研究発表会を開くところがいくつかあります。どのような発表になるのか、案内を見ながら思いを巡らします。
どの学校も研究を通じて得たことがあると思います。授業公開する学校では、素晴らしい子どもの姿が見られ、その姿はどのようにしてつくられたのか参加者に明らかになるようなものであれば素晴らしいと思っています。

発表会によっては、「こんなにいい学校になりました。どうぞ見てください」という成果だけが目について、何がこの学校のよさをつくり出したのかよく伝わらないことがあります。「こんなことをやりました」とやったことだけをたくさん伝えられ、一つひとつがどのように有効だったのか、どこに改善点があったのかがわからないこともあります。参加された方が、自分の学校に取り入れようとした時に知りたいと思うことを伝える努力が必要です。時には、実際に行った改善策などよりも、それを学校全体に広めるためにどのような体制をつくったのか、先生方の関係をどう作り上げたのかといったことを発表する方が、参加者には参考になることもあると思います。
講演をお願いされた学校に対して、講演の代わりに研修主任や何人かの先生方とのパネルディスカッション(座談会?)を提案することがよくあります。それは、「どんなことが学校を変えるきっかけになったのか」「うまくいくためのポイントは何か」といった参加者が知りたいと思うことを私が代わって聞き出すことの方が、私の拙い講演よりもよほど参加者の役に立つことだと思うからです。

私のアドバイスは、学校によってかなり異なっていると思います。もちろん子どもと教師の関係、授業規律の問題など、共通してお話することもありますが、基本的にそれぞれの学校が目指すところによってアドバイスの内容は大きく違います。発表会に参加される方やその所属する学校も、それぞれ目指すものや状況は異なります。「どのような課題があり何を目指したのか」「どのような学校にとって有効なことか」が端的に伝わることが大切だと思います。そうすることで、参加者が研究のどこを参考にすればいいのかがよくわかるからです。「やっと、ここまでです」「まだまだこんな課題があります」「こうするとうまくいきません」「こんな失敗をしました」といったことを隠さず伝える方が参加者にとっては有益なこともあると思います。

研究発表会は、自分たちの研究の成果を発表する大切な場です。だからこそ、「こんな成果が出ました」「こんなに頑張りました」と多くの方に知ってもらいたい、伝えたいという気持ちが前面に出ます。しかし、研究で得たことをできるだけ多くの学校に役立ててもらうことこそが本当に大切なことだと思います。参加者の立場に立って、「何をどう伝えれば、より自分たちの研究を活かしてもらえのるか」という視点を発表に加えてほしいと思います。

この秋、いくつかの研究発表会に参加する予定です。そこでどのようなことを学べるのか今からとても楽しみです。

体育大会で子どもたちの成長をみる

先週末は学校評議員を務めている学校の体育大会に、来賓として参加させていただきました。
いつものことですが、子どもたちがどのような成長を見せてくれるかとても楽しみです。

開会式では、子どもたちの視線が印象的でした。しっかりと壇上を見つめています。端の列の子どもたちが体を自然に内側に向けているのに気づきます。とても素晴らしい姿勢です。
例年、聞く姿勢や集団行動面で差があるので、1年生がどの集団かすぐにわかるのですが、今年はよく見ないとわかりませんでした。かろうじて体の大きさの違いでわかる程度です。学年の差が縮まったようにおもいます。というか、高いところで揃ってきたという感じです。
何人も交代で話が続くので集中力が切れやすいのですが、最後までしっかりと保てていました。中でも校長の話の時の集中力はとても高いものでした。校長の話ということもありますが、やはり指導力も大きいと思いました。受け身の状態を変えるために、子どもたちに声を出させます。大きな声が出せるようになってから、「次は挨拶をします」と宣言し、子どもに心の準備をさせます。とてもよい挨拶になるのは当然です。こういうことが自然にできるのは流石です。集団に対する指導の上手さは、専門教科が体育であるからかもしれません。よい勉強をさせていただきました。

一方、係の子どもたちですが、今年は特にやらされている感が少ないように思いました。しっかり指導されてきちんとやっているというより、自分で一生懸命考えてやっているという雰囲気です。ただ、国旗掲揚や進行の係は、旗を揚げることやアナウンスに意識がいってしまい、自分たちが見られているという意識があまりありませんでした。公的な場であることを意識し、背筋を伸ばして美しい姿をつくろうとしてほしいところでした。最近はそこまでは指導しないのかなと思いましたが、聞けば今年は、教師の口出しをできるだけ減らし、子どもたちに考えさせ自分たちでつくる大会を意識させたそうです。いろいろな意味で納得できる話でした。
子どもたちの係の中でとても印象に残っているのが、トラックの審判です。1レースごとに違反がないか旗を揚げて知らせるのですが、例年は旗を揚げる時に顔が下がったままの子どもが目立ちます。無理もありません。暑い中、選手の足元を見ながら淡々と旗を揚げ続ける仕事です。モチベーションを維持するだけでも大変です。しかし、今年の審判は、どの子どもも背筋を伸ばし、顔を上げ、肘を伸ばしてまっすぐに旗を揚げます。とても気持ちのよい姿でした。見ていて感心しました。大会を支える地味な仕事ですが、自分に与えられた大切な仕事としてとらえていることがよくわかりました。

体育大会では競技している子どもではなく、観戦している子どもたちの様子を見るのが私の常です。昨年は、自分の学級の友だちが参加している時だけ集中して、他の学年の競技の時にはまわりとおしゃべりしているような姿も目につきましたが、今年は違います。どの学年もどの競技でもしっかりと観戦し、声援をおくっています。
スタートの準備の笛が鳴ると、運動場全体に緊張がみなぎります。該当学年でなくても全員の視線がスタートラインに集中しています。昨年と比べて大きく進歩していました。

クラスマス(ゲーム)で、とても素晴らしい姿を見ることができました。全員が運動場の正面に座り各学級の演技を見るのですが、午前は1、2年生だけで3年生の演技はありません。その3年生が各学級の演技の見せどころで自然に拍手をするのです。それにつられて各学年からも大きな拍手が起こります。自分たちの出番がないところで、見る姿勢で下級生を引っぱっていました。これが最上級生ということなのでしょう。

時間の関係で、午前中で失礼しましたが、子どもたちの成長した姿をたくさん見ることができ、とても幸せな時間を過ごせました。いろいろ指導したいこともあるでしょうが、その気持ちを抑え、先生方が子どもたちに多くを任せ、考えさせたことが成長の原動力のように思いました。先生方に見守られて子どもたちが生き生きと頑張っていました。この日の空のように、さわやかな気持ちで学校を後にしました。
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31