有田和正先生から元気をいただく

教師力アップセミナーで授業名人有田和正先生からたくさんのことを学ばせていただきました。

今回は、防災を意識した社会科のお話を聞かせていただきました。元の襲来に備えた防塁、防人などの歴史から備えるということを考える模擬授業でした。そのこととつなげて、東日本大震災での釜石の奇跡とその奇跡を起こした釜石市の防災教育について語られました。教育の持つ力と素晴らしさを「奇跡を起こせるのは教育だけだ」という言葉に込め、何度も口にされました。いつも以上に熱いメッセージから、私だけでなく会場の多くの方が元気をいただいたことと思います。

教師が何でも教えるのではなく子どもが調べることが大切だと強調され、自身もそのことを裏付けるように、必ず現地まで出向いて調べたことをもとに授業をつくられます。今年も新しいお話をたくさん聞くことができました。いくつになっても、追究し続ける有田先生の姿勢に、このような年の重ね方が自分にできるだろうかと問いかけた一日でした。

講演前に時間をいただいて、愛される学校づくり研究会の代表が、「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」について、当日の諸連絡をおこないました。有田先生の「バスのうんてんしゅ」の展開をとりいれたコンビニの授業を見ていただくことをお話すると、「それはおもしろそうだ」とおっしゃっていただけました。当日有田先生のセッションを担当する私も、どんなお話が聞けるかとても楽しみです。少しでも多くおもしろい話を引き出せるように、精一杯頑張りたいと思います。

昨年末は一時体調を崩されていたようですが、例年以上に熱の入った講演でした。有田先生から多くの元気をいただきました。本当にありがとうございました。

教師の人間関係をよくする

教師の人間関係がよい、悪いという言葉を聞くことがよくあります。授業研究を通じて互いに学び合おうとするときに問題となることが多いようです。人間関係が悪いので、活発な議論にならない、学び合おうとしない。こういう形で耳にします。人間関係が悪いのでこの学校はよくならない、指導はしたくないとおっしゃるアドバイザーもいらっしゃいます。私も、先生方が互いに学び合うためには、人間関係が大きな要素であることは否定しません。そこに問題があるのなら、何とかしたいとも思います。私なりに先生方の人間関係をよくするために気をつけていることをまとめてみます。

人間関係が問題点として語られる学校にはいくつかの特徴があるように思います。

学級経営や授業がうまくいかないときに、担任の問題として指摘する。
特定の人同士、小グループでは話をするが、全体としてはあまり会話しない。
授業を見られることに抵抗感が強い。
授業検討会などで、あまり意見が出ない。
一部のベテランが意見を言うと、他の先生の意見が出にくくなる。

人間関係が悪いからこうなるのか、こういう傾向があるから人間関係が悪くなるかはわかりませんが、ここにヒントがあるような気がします。

・困っている先生を助ける雰囲気をつくる
たしかにこの先生のやり方ではうまくいかないと思うことがあります。しかし、多くの場合本人も気づいて苦しんでいます。あまり責めても追い詰めるだけです。もちろん個別にアドバイスも必要ですが、まわりの方に助けてもらえるようにします。同じ学年の先生や、その学級とかかわる先生方に「大変でしょうが、先生ならできると思うので」と子どもへの指導を通じて助けてくれるように頼みます。助けてもらった先生がまわりの助けに気づくのを待って、「みんなが助けてくれてよかったですね」とコメントし、「ありがとう」を伝えるようにアドバイスします。もちろん私も助けてくれた先生方に、「感謝されていましたよ。ありがとうございました」と個別に伝えます。
また。研究授業の担当になったときなどは、有志による模擬授業や検討会への参加をまわりの先生にお願いします。事前のアドバイスを受けて授業がよくなると、かかわった先生がその先生の進歩認めるとともに自己有用感を持ちます。
助けあうことで自己有用感を持ち、互いにかかわることに前向きになっていきます。

・ネガティブな言葉を封印する
授業検討会などでは、よかったこと、参考になったことを中心に話すルールにすることで、話し合いの雰囲気がよくなります。批判的なことばかり言われると他者とかかわるのが嫌になります。逆にほめられると相手に対してポジティブな気持ちになります。授業を見られるとほめられるということが常態化すると、見られることへの抵抗感も薄れます。

・小グループで活動をさせる
検討会では、ベテランと若手を組み合わせるなどふだんあまり交流がない先生同士を小グループにして話し合わせることで、きっかけをつくります。ポジティブなことを中心に話し合うようにすることで、楽しいものになります。また、授業アドバイスを小グループでおこなうことも有効です。よい意見を大いにほめたうえで、感想を他の先生に聞くことで仲間からもほめられるようにします。自分がこの先生方に認められた感じることでよい関係になっていきます。

・意図的につなげる
ベテランや力のある先生のよいところを大いにほめ、「他の先生に教えてもらうように伝えますので、そのときはよろしくお願いします」と伝えます。若手に対しては、「○○先生はとても上手だから教えてもらったら。頼んでおいたからだいじょうぶだよ」と声をかけます。力のない先生に批判的な方でも自分に教えを乞う人に対しては寛容になります。助けてあげようという気持ちになっていきます。

これをやれば人間関係が必ずよくなるというわけではありません。しかし、昔のようにノミ(飲み)ニケーションに頼るわけにもいきませんし、ほっておいても人間関係はよくなりません。管理職やリーダーの方が、教師の人間関係をよくするために必要なことを意識してほしいと思います。

学校の役割を考える

学校教育の目的は何だろうと考え直すことがあります。
子どもたちが学校で勉強するのは何のため、誰のためなのか。先生方はこのことを明確に意識しているのでしょうか。少なくとも義務教育である小中学校では、「本人のため」だけではないことを明確にしてほしい気がします。どうも「社会のため」という視点が子どもたちからも先生からも抜け落ちているように思います。先生方はよりよい社会の担い手になるということはどういうことなのか、子どもたちに伝えているのでしょうか。

「この問題は試験(入試)に出るから覚えておきなさい」といった言葉が学習の動機づけに使われる場面に出会うことがありますが、何か違う気がします。確かに個人の自己実現の手段という側面が教育にあることは否定しません、しかしそれだけではないはずです。自分たちが学ぶことはよりよい社会の実現のためであるという意識と実感を持たせてほしいのです。

子どもたちにこのことを伝えるのは簡単だとは思いません。口で言えば伝わるわけではないでしょう。学校、教室という小さな社会で他者とかかわり合いながら学ぶことで少しずつわかってくることだと思います。そのためには、自分の存在が他者にとって価値あるものだと実感する場面を意図的につくることが大切だと思います。学習場面では、自分がわかればいいのではなく、友だちがわかるためにどうかかわるか、自分の意見や考えがどうまわりに認められるか。特別活動では、それぞれが役目を果たすことで何ができるのかといったことを子どもたちが意識するようにしてほしいのです。

学校は塾とは違います。子どもたちに自分たちがこれからの社会を担うのだ。そのために学んでいるのだということをしっかり伝え、一人ひとりに自己有用感を持って学校生活を送らせることで、よりよき社会の担い手に育てることも学校の大切な役割なのです。

大切にしているものが伝わる学校とは

どの学校も目標を持って日々の教育活動がおこなわれているはずです。ところが、何を大切にしているのかすぐに伝わってくる学校とそうでない学校があります。どの教室でも同じような場面が見られたり、同じものが掲示されたりしていて、ああこの学校はこんなことを大切にしているとよくわかる学校もあれば、一人ひとりの教師が何を大切にしているかはよく伝わるが、全体として何を大切にしているのかよくわからない学校もあります。学校として大切にしているものが伝わる学校は、組織として力をつけているということです。どの教室でも最低限のことが保障されているといってもいいでしょう。この違いはどこから来るのでしょうか。

大きな要素として、学校の目指す目標の具体的な姿とその実現のための手段が共有化されているかどうかということがあげられます。目指す姿や手段を明確にするアプローチは大きく2つあります。

先行事例がある場合は、そこから学ぶという方法があります。先進校を訪問して教えてもらう。実践者を講師として招く。ここから出発します。

先行事例が身近にない場合は自分たちで探ることになります。部会を設けたりしながら、自分たちで仮説を立てることから始めます。

ここまではどの学校でも大差ないと思います。差がつくのは、その学んだ手段や仮設が学校全体に共有化され広がるための仕組みが作られているかどうかです。
ただ話を聞いたり、こうしようと呼びかけるだけでは先生方はなかなか納得して動くことができません。自分たちの学校でその具体的な姿を見ることができて、初めてやってみようという気持ちになります。とはいえ、いきなり結果が出るわけではありません。まず実行することから始めるしかありません。このとき大切になるのは、一人ひとりが納得しているかどうかは別にして、全員で取り組むと決めることです。温度差があってもこう決めることで、共通の土壌で話ができるのです。そして、その結果がどうであったか互いに見合うことを日常化するのです。
自分はうまくいった、うまくいかなかったという報告はどうしても客観性を欠きます。同じ手段を取っているつもりでも、個人差はどうしてもあります。互いに見合うことで、具体的な手段が共有化できるようになります。また、目指す姿の一部でも見ることができるようになれば、それがその学校での具体化になります。具体的なイメージがつかめなかった先生も「ああ、こういうことか」と納得でき、目指すものが実感できることで意欲につながります。実現できた場面をしっかり分析することで、その方法もより具体的になります。うまくいかなければ、個人の問題とせずに、どうすればよいか、全員の課題として考えます。できたことを共通の手段とする、できなかったことを共通の課題とする。こうなることで、共有化が進むのです。

互いの実践の中に目指す姿を見つけようとする、うまくいかないことを個人ではなく全体の課題にする、この雰囲気がとても大切なのですが、実はそんなに簡単に生まれるものではありません。管理職をはじめとするリーダーが意図的に働きかけることが必要です。日ごろから積極的によい場面を見つけ全体に知らせる。課題を見つければ、見つかったことをポジティブに評価する。うまくいっている学校では必ずこういう動きをみることができます。
何を大切にしているのかが訪問してすぐ伝わるような学校は、学校の目指す姿との実現のために組織的に動けている学校です。このような学校になるかどうかは、やはり管理職の力が大きいのです。

若手教師が育つ環境を考える

この1年もたくさんの先生方といろいろな場面でかかわらせていただきました。いつも感じるのは、年齢問わず、教師の授業力には急激に伸びるときがあるということです。特に、若手はちょっとしたきっかけでみるみる成長します。成長する若手は素直であるなど本人に共通することがいくつかありますが、職場の環境にも共通点があるように思います。

1つは授業が大切であることが学校として明確にされていることです。
そんなこと当り前だと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。中学校では部活動や生徒の指導が強調され、授業については子どもたちの授業態度という観点でしか語られないことがよくあります。授業研究が年に数回しかなく、日常的に授業がどうであるか語られない学校もよく見ます。こういう環境では、なかなか授業を改善していこうという気持ちにはなりません。当然目指す授業像や授業をみる視点が明確になっていないので、授業研究そのものも形式的で実効性のないものになりがちです。授業が大切であることを否定する学校はありません。そのことが学校として具体的な形となっていることが大切なのです。
互いに授業を見合う。個々の授業のよさを伝え合う。共通の目指す授業像をもとに、授業について日常的に語られる学校であることが、授業を大切にしようとする意識を持たせます。そのことが授業を改善する意欲につながり、結果として授業力がアップするのです。

もう1つは授業について相談できる相手や仲間が身近にいることです。
意欲があっても、教材研究のポイントや自分の授業に欠けている要素に気づくことは一人ではなかなか難しいものがあります。また、授業の欠点を指摘されても具体的な改善方法がわからなければ、どうしていいかわからず追い詰められるばかりです。どうすればいいのかを相談できる相手がいないと、成長どころかかえって落ち込んでしまいます。
授業に対して具体的にアドバイスしてくれる管理職や、教材研究などの相談ができる同僚がいることが、授業改善の意欲を授業力アップにつなげてくれるのです。

授業力に限らず、教師の力量がアップするためには学校の環境が大きく影響します。相談できずに悩んでいる、孤独な教師の数も増えているように思えます。どのような学校に赴任するかが、その後の教師人生に大きく影響します。若手教師に限らず、教員集団が育つ環境をどうつくっていくかは、管理職の大きな課題です。教員が育つための働きかけや仕掛けを工夫してほしいと思います。

ネガティブをどう伝えるか

授業を見せていただいてアドバイスをするとき、問題点や欠点などのネガティブをどう伝えるかということはとても悩むことです。このことは、子どもとの面談や管理職やリーダーの方の若手への指導にも共通することです。私が基本としているのが、つぎのようなパターンです。

・ストレートに指摘する
相手と人間関係ができていれば、これが一番です。余計な気づかいをするより互いにストレートに言い合うことで、よい解決策に早く到達できます。しかし、人間関係ができていなければ、自分のことを認めてくれていないと感じて心を閉ざしてしまうこともあります。

・まずほめてから指摘する
相手と人間関係ができていない、相手が自分に自信を持てていないような場合は、よい点を探しておいて、まずそのことを大いにほめます。認めてもらったと感じるとネガティブも聞きやすくなります。

・まず、話を聞く
たとえうまくいかなくても、どうしたいという明確な意図が見えるときは、話をしやすいのですが、それが見えないときは、うかつに話をしてもすれ違ってしまうことがよくあります。そのような危険性を感じるときは、まず何を目指していたのか、どんなことを考えてやったのか、意図を聞きます。よい方向性ならばそのことを大いにほめます。その上で、このことはどうであったのかと、ネガティブについて話をし始めます。逆に意図に問題があると感じたときは、ネガティブの話をせずに、何を目指すとよいのかについて、時間をかけて話をします。目指すべきものが共有できれば、じゃあどうしようと、相手に考えさせればいいのです。方向性が違えば答も違います。ネガティブのことはもう忘れていいのです。

蛇足ですが、指摘だけで改善されていくのは力のある方だけです。具体的なアドバイスがなければ、かえって相手を苦しめるだけです。意外とこのことを忘れている管理職の方もいらっしゃいます。具体的な改善策を提示できないようなことは、指摘しない方がよいのです。
改善のアドバイスの仕方にもいくつかのパターンがあります。

・ストレートに伝える
何を言っても大丈夫という人間関係ができていれば、これが一番です。

・選択肢の一つとして示す
こうしなさいと押し付けるのではなく、「こういうやり方もあります、参考にしてください」と相手に決定権をゆだねます。強制されるわけではないので、聞きやすくなります。全体に対してアドバイスする時によく使います。「正解はありません。みなさんが工夫することが大切です」などといったまくらをつけることもよくあります。

・相手に言わせる
人は、自分の口にした言葉に縛られます。1対1、少人数を相手にするときには、この方法が有効です。ネガティブを指摘しながら、どうすればいいか問いかけます。このときネガティブの原因をそれとなく伝えておくと、答えが出やすくなります。期待した方向の答えが出てきたら、「ああ、いいね、それ。今度やってみてよ。どうなるか楽しみだね。ぜひ、今度見せてね」と称賛と行動を期待する言葉を投げかけます。自分の口で言うことで、やってみよう、やらなければという気持ちになりますが、その上このように期待を伝えればまず行動に移してくれます。

ネガティブを受け入れることは誰にとっても難しいことです。それをどう伝え改善につなげていくかが大切です。相手に受け入れられる伝え方を工夫してほしいと思います。

研究に対するアドバイスを考える

昨日は、来年研究発表予定の小学校の公開授業を見学しました。

研究の目標に向かうにあたって、まずは基本である学習規律を確立させることに力を入れていました。前回訪問時と比べて、教科書、ノートをきちんと机に整理しておくといった目に見える部分は改善されているようでした。教師が意識して注意、指示をすればこういう表面的な規律はよくなります。しかし、このやり方で100%にすることはとても大変です。誰かができなければ注意をする。モグラたたきの状態からなかなか脱却できません。結果、教師が根負けして大体できていればよしとなり、ゆるくなってしまうのです。
また、話を聞くといった、顔を上げているという表面だけでは確認できないものは、注意をするだけでは本当にできるようにはなりません。教師が明確に求め、できていることをきちんと確認し、ほめることが大切です。そうすることで、はじめて子どもが自らそうしようと思うようになり、内面から変わるのです。
この学習規律を確立させる方法がこの学校では共有されていないように感じました。3校時7つの授業を見学しましたが、先生が子どもを評価(特にポジティブに)している場面をほとんど見ることがなかったからです。
挙手を求める場面でも「わかった人」としか問いかけないので、わからない子どもは手を挙げることができず、参加がすることできないまま進んでいきます。1問1答形式のわかっている子どもだけで進む授業になっていました。また、子どもと教師、子ども同士のあるべきコミュニケーションを見ることもできませんでした。基本となる「聞く」ということが意識されていないのです。

「自信を持って話す」「伝えたいことを理解する」「伝え合う中で考えを深める、伝え合う」といった言葉がこの学校の目指す子ども像の中に見られますが、子どもの具体的な姿、そのような子どもつくるための具体的な授業のイメージが全くないままに取り組んでいるように感じます。

また、今回は算数の授業が多かったのですが、算数は何が大切か、何が理解され、できるようになればよいのかを正しく理解していないと感じる場面がたくさんありました。手順を教え込むことに終始しています。算数の言語活動ですら、一つの正解を教え込む、記憶させるような活動が目立ちました。教科書の意図を理解できていない、読めていないと言わざるをえません。教科の中身についても学び合う必要性を感じました

指導されている大学の研究者がどのような助言をされるのか、この日の興味はここにつきます。

先生方に対しては、できるようになったことをほめ、努力を認める言葉が随所に散りばめられていました。その上で、改善の方向性を押しつけでなく、選択肢の一つとして提示されました。指摘された先生が聞く気になる伝え方です。
研究全体については、そんな簡単に達成できる目標ではないと、現実とのギャップ、その無謀さを上手に指摘します。その上で、現実的な目標に設定し直して前に進んでいる学校を紹介しました。管理職や中心となる先生に対して、もう1度目標を考えなおすという選択肢を上手に提示されたのです。

「うーん」と唸ってしまいました。さすがです。コメント力に定評のある先生ですが、あらためてその凄さを感じました。
一般の先生方は苦しい思いをして頑張っています。そのことを認め、苦しいのは目標が高いこと、具体的なゴールが見えないことであって、それは先生方の責任ではないと気持ちを楽にするメッセージを送っています。
その上で、管理職やリーダーに対しては、この状況から脱出するための鍵はあなたたちにあるのだと自覚を促し、また解決のための方法を示唆しています。
これを押しつけがましくなく、柔らかい雰囲気で伝えられたのです。
私はこのようにうまく伝えられるだろうかと大いに考えさせられました。本当によい勉強をさせていただきました。

さしでがましいとは思いましたが、私から管理職の方に少しだけアドバイスをさせていただきました。
「自身を持って話す」ということで伝え合うことを目指すのではなく、「自信がなくても話せる」を目指せば、伝え合うことのハードルはぐっと軽くなる。
「伝え合う中で考えを深める」というのは、スキルとしてどう教えるかではなく、「他者の意見を聞いてよかった」という経験積ませることで、自然と身につくものである。

今回の指導の先生のお話は、管理職やリーダーに厳しい現実を突きつけたものです。しかし、それは温かい励ましでもあるように思います。これを受けてどのような変化がこの学校に起こるのか、わたしも温かい目で見守りたいと思います。

数学の授業の視点を考える

先日、来年行われる算数・数学のセミナーの運営委員会に参加しました。私は、中学校のグループで当日の実習で扱う題材について担当の先生方とお話をさせていただきました。担当の先生方はどなたも力のある方ばかりです。にもかかわらず、当日参加される先生方にとって少しでもよい内容の実習ができるように、勉強をしておこうと集まっているのです。手弁当の会にもかかわらずこの真摯な姿勢には本当に頭が下がります。

算数・数学の授業を見せていただいて最近強く感じるのが、問題を解くこと、解けるようにすることばかりが意識され、解き方の手順を教えることが授業の中心となっていることです。なぜこの手順で解けるのか、この手順が最良なのかといったことを考えることがされていません。特に中学校では、解き方を習っていない問題に出会ったときに解ける力をつけているのか疑問に思うことがよくあります。数学が知識だけを問う教科になってしまっているのです。

この日は、平方根の計算に関して、「√の中の数をできるだけ小さくなるように、有理数を外に出して積の形にして簡単にする」ことは、何の意味があるのかといったことを考えること。また、√×√の形の計算は、このことを使って有理数を外に出してから掛け算して、再度有理数を外に出すように教えますが、手順としては掛け算をしてから有理数を外に出す方が簡単です。なのに、先に有理数を外に出すのはなぜかと理由を考えること。こういうことが大切であることを話させていただきました。そうすることが数学的な考え方を身につけることにつながっていきます。

今回、簡単にするということが、数学のあらゆる場面で求められる考え方であり、その意味を各場面で意識することで問題解決の根本を支える力がつくことを、平方根から出発して、あらためて考えていただきました。教材を点で見るのではなく、数学という学問の底に共通して流れるものを意識して見ることの大切さを当日伝えていただければと思います。

若い先生が自分のスタイルを見失わないために

授業アドバイスをしていて、自分のスタイルがわからなくなっている若い先生に出会うことがあります。
学級経営がうまくいかない、子どもたちが言うことを聞いてくれない・・・。悩んで、先輩や他の先生のやり方をまねしているのですが、自分がやってもうまくいかない、しっくりこない。なんか違うと思いながらもそのやり方を続けているのです。

子どもと笑顔で接したい、でもなかなか指示が通らない。先輩のように厳しい表情で指示をしても、なかなかうまくいかない。

やさしく話をしても、なかなかきちんと聞いてくれない。仕方がないのでちゃんと聞くように注意をして、聞いていない子は叱るのだが、なかなか改善されない。

こんな話をよく聞きます。
教師にも一人ひとり個性があります。自分の個性に合わないやり方をしてもうまくはいきません。無理して自分に合わないやり方をしているうちに、自分のよさやスタイルがわからなくなってしまっているのです。
こんなとき、私は、その先生のよさを活かした指導は何かを一緒に考えるようにしています。たとえば、笑顔が素敵な先生ならば、厳しい表情をつくるのではなく、その笑顔を活かすことを考えます。
できなかったことを叱るのではなく、できたときに最高の笑顔でほめる。できない子どもを叱るのではなく、できている子をほめて、できていない子も素敵な笑顔でほめられたいと思わせる。そんな発想です。

うまくいかないときは自分自身を否定的にとらえてしまい、自分のスタイルと真逆のことに走りがちです。そうではなく自分のスタイルに欠けていること、活かす方法を見つけることが大切です。これは自分一人ではなかなかできないことです。ところが、管理職や先輩が、授業や学級経営のうまくいっていないことを指摘するだけだったり、こうすればいいと自分のやり方を押し付けてしまったりして、悩んでいる先生を追い詰め、苦しめていることがあります。そうではなく、相手に寄り添い、自分の成功体験はいったん封印して、その先生にあったやり方を一緒に考えることが大切です。

若い先生が自分のスタイルを確立するのには時間がかかります。一人ひとりのよいところを見つけて、それを伸ばすようにまわりが支えてあげてほしいと思います。特に管理職や主任の方にはそのことをお願いしたいと思います。

岩下修先生から学ぶ

教師力アップセミナーで立命館小学校の岩下修先生から学ばせていただきました。

岩下先生の模擬授業を通して、音読、合唱、詩の具体的な指導について参加者と一緒に考えることができました。指導方法の独自性よりも、子どものどんな意見でも認め活かそうとする姿勢が岩下先生の授業を支えていると感じました。みんなの意見を聞けて先生もうれしいというメッセージを体全体から発されていました。指導方法以前のこのことが教師にとって大切であるとあらためて実感しました。

また、セミナー終了後、岩下先生から「AさせたいならBと言え」執筆当時のお話をうかがうことができました。自分が学んだこと、気づいたことを書くことで整理し、自分のものにしていったというエピソードに、大いに納得させられました。

明るく、楽しげにお話しする岩下先生からたくさんの元気をいただきました。ありがとうございました。

イベントの目指すべき姿

昨日は、私が関わっている中学校で行われた地域ふれあい学びフェスティバルを見学してきました。地域の方と学校が一体となって、イベントや体験講座、模擬店を運営し、多くの方に楽しんで参加しながら、学んでいただきたいというものです。

私が見学し始めてから8年目ですが、来場者数も増え、地域にしっかりと根付いたと実感しました。小学生の参加が多いのもうれしいことです。廊下に貼られている中学生の美術の作品を見て「すっげえー」という声も聞こえてきます。中学生がすごいと思えることは、自分が中学生になることに期待を持つことです。小学生にとってはよい刺激になっています。また、卒業生も何人も見ることができました。旧友に出会う、恩師に出会う、後輩に出会う。母校とつながりを保つよい機会になっています。

今年度は実行委員の希望者も増えたと聞いています。昨年と比べてよい表情の生徒がたくさん見られます。逆に、積極的にかかわる生徒が増えたためか、受け身的に仕事をこなしている生徒との温度差も顕著になってきたような気がします。同じことが地域の支援者にも感じられます。いろいろと規模が大きくなってきたため支援者の数も増えているようです。頼まれたので、手伝っているという方も増えたのか、やはり表情に差があります。先生方も皆さんしっかり働かれているのですが、同じく表情に差があるように感じました。このイベントの目指すものが何かをもう一度明確にする必要を感じました。

子どもたちはどれだけ人が集まった、どれだけ売り上げがあったという表面的なことに目がいきます。与えられた仕事を決められた時間勤めれば自分の役割は終わりという、義務でやらされている感覚の子どもも目立ちます。積極的な子どもたちも、自分が頑張り、充足感を得ることだけでなく、まわりの友だちを巻き込んでいくことにもっと意識を向けてほしいと思います。
教師もこのイベントを子どもたちの成長にどうつなげるという視点を再度しっかりと意識して事前にかかわる必要があるように感じました。

子どもたちは自分たちの活動が地域の方に喜ばれ、感謝されることを、地域の方は自分たちが子どもたちの成長を手助けすることを、教師はこのイベントを子どもたちの成長につなげることを目指す。そして、各々がそのことを実感できるように見える化していくことが大切です。
特に地域の協力者にとっては、自分たちが手伝ったことが子どもの成長につながったかどうかは見えにくいものです。このことを伝える努力が主催者側に求められます。

そんなことを考えなら様子を観察していると、焼きそばの模擬店の子どもたちがとてもきびきびと集中して仕事に取り組んでいることに気づきました。たまたま、やる気のある子が集まっているのか、焼きそばを焼くのが楽しいのかと思っていると、教頭からこんな話を聞くことができました。実は、前日の設営準備のときに、この焼きそば担当の地域の方が子どもたちの取り組む態度について厳しく注意をされたそうです。その結果、当日は見違えるような姿を見せてくれたのです。このイベントの目指すべき姿を教えてくれたような気がしました。

生徒全員参加の学校行事となって3年目です。一定の成果は出せたと思います。だからこそ原点に戻って、地域とかかわることで子どもたちが成長するという本来の目的達成のために、それぞれが何をすべきかをもう一度考える必要があると思います。そのためのヒントも見つけられたような気がします。
来年のレベルアップへの期待が高まった1日でした。

野口芳宏先生から学ぶ

教師力アップセミナーで授業名人野口芳宏先生からたくさんのことを学ばせていただきました。

この日のセミナーは3部構成で、第1部は野口先生による道徳の模擬授業「なぜ学校に来るのか」でした。「学校に来るのは自分のためということばかりが強調されて立派な社会の一員となるためということが忘れられている」という野口先生の主張には大賛成。最後に、社会性を身につけることが自分の幸せにつながるということで締めくくられました。その通りなのですが、中学生ぐらいになるとこのことを素直に受け止めてくれない子どももいたりします。この部分については課題をいただいたような気がしました。ここに焦点を当てた授業を考えてみたいと思います。野口先生のこの授業を、学校公開日に全員で実施して、どの保護者にも子どもが学校に通う意味を考えてもらうという校長が出てくることを期待してしまいました。

第2部は先日撮影した、若手の国語の授業について、野口先生に公開でアドバイスをいただくものでした。さすがは野口先生、授業者が苦しんでいた部分に対して、ズバリと明快な答えを出していただきました。この会のためにわざわざ授業をおこなってくれた先生にはその苦労も吹き飛ぶくらいの大きな学びがあったと思います。教師の指導のあり方、課題のあり方について、私もたくさんのヒントをいただきました。

第3部は「体験的実践論」と題した講演です。野口先生の今までの教育に対する主張が整理されより明確になったように感じました。いつ話をうかがってもぶれのない1本筋の通った主張に、野口先生のすごさを感じました。自分の幹は何だろうかとあらためて問いなおす機会となりました。また、自分と主張の違う方に対しても、堂々と主張はされますが、悪く言われることはありません。人間としての器の大きさを感じます。野口先生とお会いすると自分の至らなさを思い知らされます。

夜は野口先生を囲んでの懇親会が催されました。お酒が入るとますますパワーアップして、ここには書けないような話もたくさん聞かせていただきました。後期高齢者になったことを笑いのネタにしながら、私たちではとてもこなしきれないほどの仕事に精力的に取り組まれている姿にはただただ脱帽。こんな歳の取り方をしたいと思える方の一人が野口先生です。野口先生からたくさんの元気をいただいた1日でした。

ICTの活用について考える

この1月ほど、ICTの活用について考える機会が増えています。授業での活用を考えるときに、自分がどんなことを意識しているのか少し整理してみたいと思います。

・子どものどんな姿が見たいのか?
見たい子どもの姿をつくりだすのに活用できないのかを考えます。
典型的なものが、子どもの顔を上げたい。スクリーンに映っているものを見ようとすれば、顔は上がります。これだって立派な活用です。
子ども同士が額を寄せて考えるのであれば、グループに1台タブレット用意して利用する。覗き込むことで自然に額が寄ってきます。

・何をねらっている場面なのか?
ねらいに迫るのに活用できないのかを考えます。
興味関心を持たせる場面であれば、動画やきれいなグラフィックは有効です。
情報をもとに考えさせたい場面であれば、コンピュータで情報を提示するというのもありです。

・問題点は何か?
問題を解決するのに活用できないかを考えます。
黒板に子どもが書くと時間がかかるのなら、ノートやワークシートを実物投影機で映せば解決です。
教科書の本文を板書するのが大変ならば、デジタル教科書は強い味方です。

・つなげるものが何か?
つなげることに活用できないかを考えます。
以前に学習したことを復習するのであれば、ノートを確認させるのもいいですが、記録しておいた板書を映すというのも有効です。
他の学級の発表や、先輩、自分たちの過去の記録を提示することで、より多くのものとつなげることもできます。

・これ以外の指導法はないのか?
今までの枠にとらわれずに、一から考え直すことも大切です。
比較するのに、コンピュータや実物投影機を使って重ねてみることで違いがはっきりすることもあります。
こうやって教えるという思い込みに縛られずに、こんなことができたらいいなと考えたとき、ICTは大きな可能性を秘めています。

他にも色々とあるのですが、すべてICTに限らず、授業を考えるときにチェックすることばかりです。当り前のことですが、ICTの活用を考える視点は、授業をつくる視点と同じなのです。ICTは、資料を拡大コピーして提示するのか印刷して配るのか、説明を板書するのかノートに書かせるのかといった、授業の組み立てを考えるときの選択肢の一つにすぎないのです。こう考えることで、ICTは教師にとって身近で有効な道具になっていくのだと思います。

伸びる先生の条件

学校に出かけてたくさんの先生とお会いしてアドバイスをします。短い間にみるみるよい方向変わっていく方もいれば、なかなか変わらない方もいます。どこにその違いがあるのでしょうか。経験年数なのか、性格なのか。一概には言えませんが、一定の傾向があるように思えます。

まず、だれしもが言うことですが、「素直」ということがあります。アドバイスに対して、あまり難しく考えずに、「やってみよう」と思える人は、やらない人より間違いなく変わる率が高くなります。若い方に多いタイプです。うまくいくと、また次のアドバイスを求めます。他から学ぼうとする意識も高くなっていくように思います。いい循環に入るとどんどんよい方向に変化していきます。しかし、とりあえずやってみてうまくいかなければ、すぐにやめてしまう方も多いように思います。

一方、経験を積んできた方にとっては、他者からのアドバイスは自身が培ってきたものと相反することがあります。ここで、素直に「なるほど」と試してみる方は、若手以上に大きく変わる可能性があります。もともと経験もあり、基礎となる技術があるのですからうまくいく確率が高いのは当然です。ベテランの女性に多いように思います。

問題は納得できないときにどうするかです。このとき多くの方は、当然自分のスタイルを変えません。ところが、中には納得できないが、それほど言うのだから何か自分には気づかない要素や理由があるかもしれないと、挑戦してみる方がいます。こういう方は、はたからどう見えようが実は「謙虚」な方です。実際に挑戦してうまくいかなくても子どもやアドバイスのせいにはしません。自身の問題として、やり方がどこか悪いのではないか、何か欠けているのではないかと修正したり工夫をし、すぐにあきらめません。結果として実に大きく変化し、素晴らしい授業をされるようになります。

中には、直接アドバイスをしなくても変わっていく方があります。他の方の授業を見たり、自分で勉強している方です。先輩や仲間から盗むことができるので、直接のアドバイスは必要としません。こういう方は、まわりの先生の授業が変わっていくと素早くそのよさに気づき、吸収し自分の授業に取り入れていきます。進歩したいという「向上心」の強い方です。

「素直」「謙虚」「向上心」が伸びる先生の条件のように思います。特にベテランでこの条件を満たす方は、ちょっとしたきっかけで間違いなく素晴らしい授業をされるようになっていきます。
ここまで書いていてふと自分を振り返ると、「向上心」はあったように思いますが、「素直」「謙虚」については心もとないものを感じます。そんな私が、「素直」「謙虚」な先生方にアドバイスをしているのもおもしろいことです。
多くの先生方が変化していく場面に立ち会っていますが、それは「素直」「謙虚」「向上心」といった資質を持ち合わせている方に私がたくさん出会えたということに他なりません。そんな機会を得ていることにあらためて感謝します。

会議の雰囲気をつくる

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムのための指導案検討会が何度か開かれています。この検討会の特徴は、参加者が自分の意見をどんどん発表し合い、指導案の内容がどんどん高まってくことです。当り前のことのようですが、どうやらこれがなかなか難しいことのようです。というのが、参加された複数の方から、「こういう会議は初めてだ」「参加者がいろいろな視点で自分の考えを述べるのが新鮮だった」「刺激的な意見が多かった」といったコメントをいただいたからです。

地区にもよるのでしょうが、立場によって意見が言いづらい、言ってはいけないといった雰囲気のある会議があるようです。少なくとも指導案の検討や授業の検討は、いろいろな考えが出ることがとても大切なはずです。ある方が意見を出すと他の方は意見を言いづらい。それでは、意味がありません。しかし、現実にはそのようなことはよくあることのようです。

では、どうすればこの雰囲気を変えることができるのでしょうか。互いに自由に意見を言い合うことで学べることが増えることをみんなが経験していくこと、他者の意見を聞く姿勢を見せ合うこと(特にベテランが)が大切です。そのためには司会者が、意見が持っていそうだが発言できていない人に意図的に指名するといったことも必要ですし、「どんなことを感じたか聞かせてください」と答えやすく問いかけをしたり、「この点についてはどう考えられますか」と焦点化することも有効です。
また、小グループにすることでだれもが意見が言いやすくなり、その結果、全体でも活発に意見が出るようになることもあります。

このことは、実は教室の雰囲気づくりと一緒です。会議も授業も根っこのところは一緒なのです。子どもたちに質の高い学び合いを保障するためにも、教師同士が質の高い、学び合える会議を経験していてほしいと思います。

盛山隆雄先生から学ぶ

教師力アップセミナーで盛山隆雄(筑波大学附属小学校教諭) のお話を伺いました。

まだ40歳と、このセミナーの今までの講師の中では一番の若手の方です。どのようなお話が聞けるかとても楽しみにして参加しました。とにかく感心したのは、授業の基礎基本に非常に忠実ということです。2つの事例を紹介されましたが、発問、子どもの言葉への切り返し(盛山先生は問い返しとおっしゃっていました)、板書、どれをとってもまずはここが一番の基本で大切だということを伝えてくださいました。筑波大学附属小学校で日々研鑽されている先生です。参加者が「あっ」というようなネタもたくさんお持ちだと思います。しかし、若い参加者を意識してオーソドックスな日々の授業に役立つことに絞って話をされました。

自分に振り返ってみると、どうしても参加者受けをねらった、「あっ」と言わせるようなネタを少しは入れたくなります。しかし、「あっ」と言ってもらえたから、参加者の学びが深くなるわけではありません。基本的なことを一つひとつ丁寧に伝えていくことが「あっ」と言わせることよりももっと大切なのです。盛山先生の柔らかい語り口で伝えられる内容をゆっくりと咀嚼しながら、このことに気づくことができました。この日もとてもよい学びをさせていただきました。ありがとうございました。

教科書の子どもの発言を読みこむ

仕事の関係で小学校の教科書を読む機会が増えました。読みこむことで、最近の教科書はよくできている感心させられることがたくさんあります。何がポイントかとても分かりやすく、指導書は必要ないのではと思うほどです。また、子どもたちにどのような活動をさせたいのか、どのような発言を期待しているのか、教科書作成者の思いがとてもよく伝わります。

このような思いが一番よく表れているのが、教科書に書かれている子どもの発言やつぶやきです。

「・・・じゃないかしら」
「・・・だろう」
「・・・と考えました」
・・・

この部分に非常に重要なポイントが隠されています。ここをしっかり読んで理解すれば教材研究がほぼ終わるとも言えます。しかし、教科書に書かれてはいますが、この発言やつぶやきは授業中に教室の子どもたちから出てほしい言葉でもあります。教科書を読んで気づくのではなく、自分たちで気づいてほしいのです。ですから、教科書は授業の大切なツールではありますが、場合によっては開かない方がよいこともあるのです。教科書を見せないで子どもたちから期待する発言を引き出す。ここに教師の大切な役割があります。

子どもが教科書にあるような疑問を持つにはどのような問いかけが必要か。
子どもが自分の考えを持つためにはどのような活動が必要か。
子どもが自分の考えを発言できるために持つためにはどのような働きかけが必要か。

教科書は教師がどのような役割を果たさなければいけないのかを常に問いかけています。
一見すると、教科書を使わないで独自のやり方で進んでいるようでも、よく練られていると感じる授業は間違いなく教科書をしっかり読みこんだ上でつくられています。

よい授業をつくるには、何よりもまず教科書を読みこみ理解することが第一歩だという思いをますます強くしています。

うれしいハガキ

先日おこなった現職教育の講演(小学校の現職教育)の礼状が教務主任から昨日届きました。ハガキ1枚にびっしりと手がきです。私自身がメールやワープロを多用する方なのでそれだけで感激してしまいます。

翌日の出校日に授業した先生が、「困っていることはないか」と子どもに聞いたところ「立式に困っている」など、具体的に困っていることをよく話してくれた。若手の先生が授業を見てもらいたい、私と一緒に子どもの様子を見てみたいと言ってくれたといったその後の報告が書かれていました。講演後すぐに届くお礼のメールもうれしいのですが、日をおいて実際の授業にどのような変化が起こったのかを教えていただけることは本当にうれしいものです。

実はこの数年、学校からの講演依頼はできるだけ条件をつけるようにしています。別の日でもよいので実際の授業を見せていただくことや授業研究に参加すること、また個別に授業を見てアドバイスさせていただくことです。
全体で話をして、「いい話でした」「勉強になりました」と評価いただいても、実際の授業がよくなったという話はあまり聞けないからです。同じ授業を見て互いに気づいたことを話し合う、私の気づきやアドバイスを伝える。こういうスタイルの方が経験的に授業がよい方向に変わることが多いのです。

私の一方的な話だけで授業に変化が起きたということは、素直な先生が多い学校だと思います。短い期間で授業がいい方向に変わる可能性が高い学校です。今学期に授業アドバイスを予定しているのですが、ますます楽しみになりました。

算数・数学の授業力アップ研修会に参加

昨日は、算数・数学の授業力アップの研修会にオブザーバーとして参加しました。毎年この時期に先生方の自主運営でおこなわれています。今年でもう9年目です。毎年何かしらバージョンアップされているので、とても楽しみにしている研修会です。以前は授業技術やスキルにスポットを当てての実技研修が中心でしたが、ここ数年は新任や若い先生の参加が多くなってきたことに合わせて、個々の授業技術が授業の中でどう活かせるのか、また教材研究は具体的にどうやるのかといった内容も付加されるようになってきました。

今年は一つの教材を1日かけていろいろな視点で考えることができるような構成でした。最初の実習では、子どもの言葉を活かす授業のイメージが伝わるような教師と子どものやり取りで練習をするようになっていました。このシナリオが実にコンパクトでしかもポイントとなる要素が明確でわかりやすいものでした。スタッフが真剣に取り組んで、工夫していることがよくわかります。

次の実習は、一見単純で簡単に見える授業技術を実際に体験してみることで、その難しさとポイント、その効果を実感できるようにつくられていました。限られた時間で研修の効果を高めるために、思い切って入門レベルに絞っていることが印象的でした。よい判断だと思いました。

そして、最後の研修は、この日学んだ技術を取り入れて授業を組み立てるとどうなるかを、参加者を子ども役にして模擬授業形式で見せるものでした。その後、この授業を具体例として、教材研究が教科書を読みこむことが中心であることを授業者が解説してくれました。
この模擬授業が実に素晴らしいものでした。授業者の発言、行動が意図的につくられていて、復習問題の数値の工夫や定着問題の提示の仕方など見所がたくさんありました。しかし、あまりにも自然に授業が進んでいくので授業者の意図を参加者がすべて読み取れていないようにも感じました。解説は教材研究にスポットを当てていますし、自分の口からは話しにくいこともあるでしょう。この授業のよさにあまり触れられていないのがとてももったいなく思いました。このことを同席しているスタッフの先生に話したところ、ありがたいことに私が授業解説をする時間をとるように進言してくださいました。おかげで、特別に時間をいただいて、この授業の素晴らしい点を伝えることができました。ありがとうございました。

今回は時期の問題もあり、例年と比べてスタッフの数が少なかったのですが、一人ひとりのレベルが高く、参加者の満足度が高い研修を実現できていたと思います。
また、参加者は自腹を切って参加するような方たちです。学ぶ意欲も旺盛で積極的で、実に素直に講師の話を受け止めていました。きっと多くのことを学ばれたことと思います。ただ残念なのは、この研修会はリピーターが少ないことです。多くの方が経験するという意味ではよいことなのですが、一度研修を受けたからといってすぐに身につくものでもありません。研修の内容を授業に活かそうとすれば必ずうまくいかないことや疑問点にぶつかります。そういった問題意識を持ってぜひ来年も参加していただけたらと思います。

スタッフの皆さんの努力に敬意を表するとともに、大きな刺激とたくさんのことを学ぶ機会をいただいたことに感謝します。ありがとうございました。10年目となる来年の研修会はさらにバージョンアップしていることと楽しみにしています。

研修はフォローが大切

メーリングリストなどで、参加した研修の報告をいただく機会が増えてきました。よくまとめられた記録は、よく理解でき大変参考になります。また、私の講演記録も送っていただくことがあるのですが、これを読むのは結構つらいものがあります。第三者がこれを読んでもよくわからないだろうなと思うことが多いからです。決して書き手が悪いのではありません。私の話が横道にそれたり、論理の展開に隙間があったりしているからです。ライブ感覚を大切にして、その場のノリで話をつくったり変えていることも一貫性がないことの原因かもしれません。
そんな私の講演や研修ですが、先日教えていただいた研修とその後はとても考えさせられるものでした。(三楽の仕事日記「2011年07月15日(金) 派遣指導主事会研修会 」参照)

授業のビデオを見て、参加者に感じたことを意見交換していただき、考えてもらう形をとっています。受け身でなく積極的に参加し、考えてもらうよい方法です。参加者の発言をつないで考えを深めていきます。授業と同じです。私もこういった方法をとることがよくあるのですが、どうしても最後には解説やコメントを多く入れてしまいます。先生方に授業で気をつけるようにお願いしているパターンを自らやってしまっているのです。言い訳になりますが、あまり話をしないと、お金をいただいているのに働いていないと思われてしまうかもしれないと心配になってしまうこともあるのです。
それはさておき、この研修では、講師の方は聴き役に徹していたそうです。その場で参加者が自ら考えたこと、気づいたことを大切にし、自ら学ぶことを期待していたのだと思います。参加者の力を信じているからでしょう。これは授業でも同じです。言うことは簡単ですが、なかなかできることではありません。授業なら何回もチャンスがありますが、研修では1回だけということがほとんどです。よけいにハードルが高いのです。

素晴らしいのは、参加者がより深く学べるために、主催者側がちゃんとフォローしていることです。講師の話に関連して資料を研修後に提供しているのです。(三楽の仕事日記「2011年07月17日(日) 石井順治さんの本」参照)
そして、さらに素晴らしいと思ったのは、10日ほどして、講師の方が参加者あてにコメントを書いて送られたと聞いたことです。適当な時間をおいてからコメントすることで、参加者は落ち着いて振り返ることができますし、その場で聞くより冷静に受け止めることができるはずです。なるほど、こういう方法もあるのですね。

私もたくさんの機会をいただいていますが、まだまだ工夫が足りないと考えさせられました。アドバイザーとして関わっている学校で、先生方が急速に成長していると感じる場合は間違いなく、管理職や研修担当の先生がフォローをしっかりしているところです。逆に、外部の者ができることは限られているのです。研修で何かが変わるのではなく、きっかけにして内部を変える動きが必要なのです。
研修をより効果的にするために、講師としてのあり方、フォローするための仕掛けをよりしっかり考えなければいけないとあらため気づかせていただきました。
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