対策を考えるアプローチ

授業がうまくいかないときは何らかの対策を立てることになります。子どもたちが積極的に発言しない。子どもたちが人の意見を聞かない。「発言して」「意見を聞こう」と言っても、そう簡単には変わりません。どのようにして考えればいいのでしょうか。

対策を考えるために、まずその原因を考えることが大切です。
子どもが積極的に発言しないのであれば、子どもたちに自信がないから、人の意見を聞かないのであれば、子どもにとって聞くことに価値がないから。このような原因を考えてみるのです。想像した原因が正しいかどうかはわかりませんが、とにかく考えてみなければ先に進みません。

次に、どうすればよいのか具体的に考えていくわけです。
考え方の一つは、どう原因を取り除くかです。自信がないのが理由であれば、自信を持たせるという発想です。わかった、自分の答えは正しいと思えるように、わかりやすく授業をしよう。まわりと確認する時間をとって確認させよう。机間指導で○をつけて安心して発言できるようにしよう。聞くことに価値がないのなら、聞くことを価値づけしよう。聞いていたことをほめよう。すぐに教師が解説せずに、子どもの意見に対してどう考えるか他の子にたずねてみよう。こういうことです。
また、原因を無効化する、結果を変えるという発想もあります。自信がないから積極的に発言できないのであれば、自信がなくても積極的に発言できるようにしようと考えるわけです。「自信がなければ積極的に発言できない」理由を考えると言ってもよいかもしれません。間違えるのが嫌だ、馬鹿にされたくないから積極的に発言しないと考えるのであれば、間違えても嫌な思いをさせないようにしよう。正解、不正解とすぐに判断しないようにしよう。馬鹿にしない雰囲気をつくろう。わかった人ではなく、困っている人と聞こう。こういうことです。
ここで対策を考えるときに、授業技術そのものを知らないとその選択肢が非常に狭くなってしまいます。日ごろから他の教師の授業を見たりして、授業技術を学んでおくことが必要になります。そして、一つひとつの技術が何を意図している、何を解決するものであるかがわかっていないとうまく活用することができません。日ごろから授業技術を意識しておくことが大切です。

また、対策を取ったからといって必ずうまくいとはかぎりません。うまくいかなければ、他の対策を考える。他の原因を考えてみる。思いつかなければ、まわりと相談するといったことが必要です。打つ手がなくなってあきらめてしまうと、いつの間にか、うまくいかないのは子どもが悪い、子どものせいだと考えるようになってしまいます。こうなってしまうと、授業改善をする意欲そのものがなくなってしまいます。あきらめずに、原因を考え、原因を取り除く、原因を無効化する、結果を変えるといった発想で切り抜けていってほしいと思います。

挙手しないのも意思の表れ

今の意見・考えに賛成の人と問いかけて、ほとんどの子どもが手を挙げる、ハンドサインで賛成の意思を表示する。こういう場面によく出会います。
このとき、「みんな納得したね」「だいじょうぶだね」「そうだね。正解だね」と言って先に進むことが多いように感じます。しかし、よく見ると、全員が自信を持って手を挙げているのではなく、何人かの子が手を挙げた後、残りの子はその様子を見ながら手を挙げていることが多いことに気がつきます。後から手を挙げている子は確かにそうだと自信を持って手を挙げている訳ではないのです。
一方、最後まで手を挙げない子もいます。まわりのほとんどの子が手を挙げているのに手を挙げないというのは、これは挙手以上の明確なメッセージだと思います。

「わからないから、手を挙げない」
「判断がつかないが、安直に賛成する気はない」
「私は納得できない。そうは思わない」
「授業に参加する気はない。私は取り繕う気はない」

こういう意思の表れだと思います。

もちろん漠然と聞いていなかった、参加できていなかったという場合もあるでしょうが、それはまれだと思います。まわりに合わせて、手を挙げておけば大過なく過ぎていくからです。

教師はこの手を挙げないという明確な意思をしっかり受け止める必要があります。

「手を挙げていない人がいるね。○○さん、どういうこと」

と受け止めてほしいのです。

わからないから挙手しなかったのであれば、挙手した子どもに対して、その子がわかるような説明を求める必要があります。
意見や考えに反対で挙手しなかったのであれば、その理由をしっかり全員で聞く必要あります。
また、参加する気がなく答えてくれなければ、挙手した子どもにもう一度説明してもらい、「どう?」と問いかけて参加を促すといったことが必要になります。

挙手している子どもに説明を求めると、雰囲気に流されて手を挙げていた子は戸惑います。指名されても説明できないので困るからです。次第に、よくわかっていなければ安直に「賛成」と手を挙げないようになってきます。わかっていないということを、手を挙げないことで明確に表明してくれるようになるのです。

子どもたちがわかっていないということを表明すれば、当然教師はわかるような手立てを講ずる責任が生じます。これは教師にとって、とても厳しいことです。授業が予定通り進まないかもしれません。
だから、子どもの「わからない」「納得できない」を無視して進めるのか、そうではなく立ち止まって受け止めるのか、どちらを選ぶのかは大きな違いがあります。教師にとって厳しくともしっかり受け止め、全員がわかる授業を目指してほしいと思います。

指示の内容を形に変える

今から説明しようとしているのに、子どもの落ち着きがない、集中力をなくしている。このようなとき、「話を聞いて」「注目して」といった指示がよく出されます。ところが子どもたちは、口は閉じて静かにはなるのですが、下を向いたりして教師に注目しない。それなのに、教師は静かになったことで指示が通ったような気がして、話し始める。こんな場面によく出会います。このようなことが続くと、「話を聞く」「注目する」といったことが「口を閉じればいい」にすり替わってしまいます。教師が指示したことと子どもの姿がずれているのにそのままにしておけば、指示の意味が変わってしまいます。これでは、指示が通らなくなります。どのようにすればいいのでしょうか。

指示の内容を、具体的な子どもたちの姿という形に変えることが大切です。
たとえば、「話を聞いて」といっても、教師から見れば本当に聞いているのかは外からはわかりません。話を聞いているとは、外から見て具体的にどういう姿かを教師が意識する必要があります。

「口を閉じて、姿勢を正そう」
「話を聞くときは、話している人の顔を見よう」
「聞く姿勢ができたね」

このように指示すれば、「話を聞いて」に対してどうすればいいか子どもにわかりますし、教師も子どもの様子から指示が通っていることがわかります。学級全体の姿勢がそろうことで、聞いていない、集中力をなくしている子どもは目立つので、本当に聞いているかどうかもよくわかるようになります。
もちろん、形だけでちゃんと聞いていないこともありますから、話した内容の確認をすることも必要です。

友だちの音読を聞くときであれば、読んでいるところを指でなぞる、考えながら黙読するのではあれば、鉛筆を持って大切だと思ったところに線を引くなど、指示が通っているかどうかが外からはわかりにくいことは、それを形に変えることを意識してほしいと思います。

子どもたちの活動がばらばらになる part2

ある子は教師を見ている、ある子は板書を写す、ある子は資料を見ていると子どもの活動がばらばらな教室を見ることが最近増えてきました。以前にもこのことに触れましたが(子どもたちの活動がばらばらになる参照)、もう少しその原因について考えたいと思います。

まずよくあるのは、以前にも書いたように、教師が自分の行動にばかり意識がいってしまい、今、子どもにどういう活動をしてほしいか意識していないことです。

次によくあるのは、特定の子どもしか意識していないことです。
たとえば、指名した子どもがどのようなことを言うかに集中してしまい、発言していない子どものことが意識にないような状況です。指名する時に発言をよく聞くようにと指示しても、教師は発言者しか見ていないので他の子どもの状態は見えません。やはり、子どもの活動はばらばらになってしまいます。

これらは、いずれにしても一人ひとりの子どものどのような姿が見たいのかを意識していないので、意識することで改善されます。教師が見たい子どもの姿を意識して指示をだし、目指す姿とのずれを確認することで自然に修正されていきます。

一方で、教師の求める姿に子どもが意味を認めていないことも原因としてよくあります。
教師が説明したり、質問したりしても、無視して板書を写している子どもが何人もいることがあります。鉛筆を置きなさいと指示することで改善されますが、根本的な解決にはなりません。なぜなら、教師の説明を聞いたり、質問の答を考えたりすることよりも板書を写すことの方がその子たちには価値があるからです。教師の説明を聞いてもよくわからない。どうせ後から要点を板書するのでそれを写した方が無駄がない。質問の答えを考えなくても、誰かが答えるからそれを聞けばいい。下手に間違えた答を言って恥をかくより、正解を板書する方がいい。こんなことを思っているのです。
この問題は深刻です。根本的に授業の質を変えていくことが求められます。教師の話を聞いてよかった、自分で考えて発表してよかったと、教師の求める姿に子どもが価値を認めなければなりません。
聞いたことをほめられる。聞くことで理解できる。発表を友だちが聞いてくれる。発表すれば必ずほめられて終わる。・・・
毎日の授業でこのようなことを一つひとつ積みかさねていかなければなりません。

子どもの姿は教師を映し出す鏡です。目指す子どもの姿を意識して見ることで自分の授業の実態が見えてきます。子どもの姿がばらばらであれば、その原因を考えてください。もし子どもが目指す姿に価値を見出していなければ、その価値を子どもに伝えるような授業に変える努力をしてほしいと思います。

知らないことを聞かれたらどうする

教師は子どもたちよりも知識も経験も多いのは当たり前のことです。だからといって、何でも知っているわけではありませんし、子どもたちの質問に対しても何でも答えられるわけでもありません。しかし、子どもたちの前に立つと、「知らない」「わからない」ということが言いにくいことも事実です。教師としての権威を保たなければという心理が働くのかもしれません。私自身振り返っても、特に自分の専門分野についてはその傾向が強かったように思います。
「知らない」「わからない」という言葉を言わないで済ますには、教師も常に勉強して何でも答えられるようにしておくのが1番です。しかし、それとても限界があります。たとえ相手が小学生であっても、時として大人が答えに詰まるような質問をします。「なぜ空は青いの」「なぜ3原色で、2原色や4原色じゃないの」・・・。先生に聞くことはしませんでしたが、私自身このようなことを疑問に持っていました。教師が、知識として持っていればもちろん答えられますが、知らなければどうすればよいのでしょうか。

1 「それは、小学生ではちょっと難しいな。これから学校の勉強をしっかりして中学生か高校生になったらわかるよ」とその場を取り繕って済ます。

2 「○○先生ならきっと詳しいから、○○先生に聞いてみたら」と他の先生に丸投げする。

3 「ごめん。先生もわからない」と素直に謝る。

4 「先生わからないから、調べてくるね。少し時間をくれるかな」と時間をもらって、きちんと後で教える。

5 「いい質問だね。図書館やインターネットで調べてごらん」と子ども自身で調べるように促す。

どの対応が正解というわけではありません。子どもも実は本当に答を知りたいと思ったのではなく、ただ思いついたことを聞いてみただけ、先生とちょっとかかわりたかっただけのこともあります。意識してほしいのは、子どもがその対応をどのように感じるかです。

1や2は、なんだか肩すかしされたような気持ちになるかもしれません。2の対応でも、「いっしょに聞きに行こうか」と言えば、ずいぶん違ってきます。先生は自分の質問をしっかり受け止めてくれたと感じるでしょう。
3は、先生を試すようなつもりで質問してきたのでなければ、わからないことを素直に認める態度に対して好感を持つでしょう。しかし、中には先生に悪いことをしたと感じてもう質問はしないでおこう考える子もいるかもしれません。
4は、先生が真剣に受け止めてくれたと感じるでしょう。しかし、きちんと答えを返さないと、逆に信頼をなくします。また、子どもがあまり考えずにした質問であれば、詳しく調べてきちんと答えてもかえって困惑します。
5は、いい質問だとほめてもらっているので、認められたと感じますが、その結果逆に宿題をもらってしまったようにも感じます。わざわざそこまでしたくないから先生に聞いたのかもしれません。「先生も答を知りたいから、わかったら教えて」「わかったらみんなに教えてもらおうかな」と調べることに目的を与えるとまた違うかもしれません。「じゃあ、先生と一緒に調べようか」と子どもに寄り添う姿勢を見せると「先生は自分の質問を自分の問題としてくれた」と喜ぶかもしれません。

必ずこのように感じるわけではないと思いますが、こういうことを考えることは大切だと思います。
授業中にわからないことが出てきたり、答えられない質問をされたりしたときも同様です。その場しのぎの対応ではなく、子どもたちが先生を信頼してくれるような対応を心がけてほしいと思います。

白黒をつける

授業名人の野口芳宏先生は、「白黒をつける」ということを言われます。「それもいいね」「いろいろな考えがあるね」と曖昧に終わらせるのではなく、「これは間違い。これは正解」とはっきりさせるということです。このことについて考えてみたいと思います。

私は、教師は子どもの発言に対して、「はい、正解」とその場で判断しない方がいいと考えています。それは「正解」をはっきりさせないということではありません。合理的に根拠を持って子ども自身で「白黒をつける」ことが大切だと考えるからです。ですから、子どもたちが間違った結論に達したときは、修正することをしなければなりません。また、正解とすべきことについては、全員が納得しなければいけません。

たとえば国語の授業で、「○○について述べているところに線を引こう」という発問を考えてみましょう。

「・・・です」
「なるほど、同じところに線を引いた人いるかな」
「いるね。引かなかったけど、なるほどこれは○○について述べていると納得した人は線を引いて」
「では、ここに線を引いた人は手を挙げて」

このように展開したとしましょう。ここで、全員が挙手をしたなら問題はありませんが、挙手しない子がいれば対応が必要です。「白黒をはっきりつける」ことが求められます。野口先生であれば、「今の意見に賛成の人は○、反対の人は×をノートに書きなさい」とするところでしょう。反対の子どもに意見を求め、結論を出す必要があります。

「線を引かない人がいるね。どういうことか聞かせてくれる」

と、意見を聞きます。どれくらい時間をかけるかは重要度にもよりますが、かかりすぎるようであれば、教師が根拠を示したうえで正解であることを知らせることも大切です。

「・・・だから、ここは○○について述べている。線を引こう」

「先生は・・・だから、ここは○○について述べていると考えます。どうですか? 反対がないね。ではここに線を引こう」

子どもたちが根拠を持って自分たちで「白黒をつける」ことは大切なことです。しかし、つねに自分たちで「白黒をつける」ことができるわけではありません。うやむやで終わらさずに教師が結論を示すことが時には必要になります。「白黒をつける」べきものは、きちんとつけなければいけません。

子どもに寄り添う

「子どもに寄り添う」「子どもの考えに寄り添う」ということがよく言われます。この言葉を口にする若い先生もたくさんいます。しかし、具体的にどうすることが「子どもに寄り添う」ことになるのかはっきりしていないことがよくあります。このことについて考えてみましょう。

授業においては、子どもの気持ちや考えを出発点として進めていくことが「子どもに寄り添う」ということの基本です。わからない子どもがいれば、その子どもの「わからない」から出発するわけです。

たとえば、「わかった人」と聞いて半分くらいしか手が挙がらなかったらどうするのでしょうか。当然、教師はわからない子どもにわかってもらおうとします。そのとき、「じゃあもう一度説明するからよく聞いて」というのは、子どもに寄り添っているとは言えません。子どもにしてみれば、何度も教師が説明するということは、わからない自分が悪いということになってしまうからです。「わからない」というのは、子どもにとって負の気持ちです。そのことを理解した上で授業を進める必要があります。

「どこがわからないか教えてくれる」
「困っていることを聞かせてくれる」

まず、子どものわからないこと、困っていることを教師が聞いて理解することから始めます。大切なことは、教師がしっかりとその困った感を受け止めてあげることです。わからないことが決して悪いことではないということを知らせるのです。

「教えてくれてありがとう。なるほど、○○がよくわからないんだ。」
「それってどういうことか、もう少し教えてくれるかな」

受け止めた上で、理解できなければやさしく聞き返します。こうして、困った感を共有した上で、そのことを子どもと一緒に解決するようにするのです。
もちろん、一人ひとりの困っていることは違います。

「同じところで困っている人いる?」
「他に困ったことはない?」

子ども同士をつなぎながら、子どもたちのわからないところ、困っていることを共有します。ここから、スタートするのです。

子どもに考えを発表させるときでも、子どもの考えに寄り添うことは大切です。教師がしっかり子どもの考えを聞き、その考えをもとに授業をつくるようにします。

「○○と考えました」
「なるほど、○○と考えたんだね。みんなわかったかな。つまり、・・・ということですね」

これは、一見すると子どもの考えを認めて、そこから授業が進んでいるように見えますが、結局教師が「つまり」と自分の言葉で説明しています。こういう授業が意外に多いのです。子どもの説明がたどたどしくて不足があっても、教師がそれを勝手に言い換えるのではなく、子どもたち自身で修正させるように働きかけるのです。

「なるほど、○○と考えたんだね。△△という言葉が出てきたけれど、それってどういうことかもう少し聞かせてくれるかな」
「今の説明がわかった人、もう一度言ってくれるかな」
「うまく説明できない? いいよ。だれか助けてくれるかな」

このような言葉でつなぎながら、子どもたちでできるだけ解決するようにします。
教師は、子どもが自分たちの考えを理解し合い、互いに深めていくようにするために、どのように働きかければいいのかを考えることが仕事になります。時には上から目線ではなく、子どもと同じ目線で、「わからない、教えて」と聞いたり、「こんな風に考えたけど、どう思う」と問いかけたりすることも必要でしょう。

授業以外でも「子どもに寄り添う」場面はたくさんあります。悩みの相談でも、子どもの気持ちや考えをまず認め、一緒に考えるという姿勢が求められます。
「子どもに寄り添う」ということは、「教師の目線を子どもと同じ高さまで下げる」と言い換えてもよいかもしれません。このことを意識してほしいと思います。

「子どもが主役」の授業を考える

授業は「子どもが主役」という言葉があります。この言葉に異を唱える方は少ないと思いますが、この言葉をどうとらえ、どう授業をつくるかについてはいろいろな見方があるようです。「子どもが主役」の授業について考えてみたいと思います。

「子どもが主役」といっても、授業の基本は教師がどのような課題を準備し、どのような活動を子どもたちにさせるかです。ここをしっかりしなければ、子どもたちは1時間活動したが、何の力もつかなったといったことになってしまいます。子どもたちに授業を通じて身につけさせたいことを明確にして、その達成のための手段を準備することが大切になります。この身につけさせたいことをどのくらいの将来に対して考えるかで、「子どもが主役」の授業のあり方も変わってくるように思います。

最終的なゴールを考えれば、「一生学び続ける人間」「社会の役に立つ人間」となるために必要なことを身につけることが大切です。そのためには、「学ぶ楽しさ」「人とのかかわりを通じた役立ち感」を知ることが重要です。教師が一方的に説明して、問題を解かせて「できた」「わかった」と言わせても知ることはできません。子どもが自分で「わかった」と感じる、互いにかかわり合って「わかる楽しさを知る」、自分の考えを他者に認められて「自己有用感も持つ」。こういう経験を授業の中でする必要があります。そのためにはグループやペアを活用するという方法もありますし、子どもの言葉をいかし、子どもの考えをつなぐような一斉指導もよいでしょう。どちらが正解というわけではありません。子どもの成長や状況によって手段は変わるべきだと思います。
ここで「子どもが主役」ということは、子ども自身の考えや子どものかかわり合いによって問題を解決していくということになります。教師の役割は、子どもが取り組むべき課題を考え、子ども同士のかかわり合いをつくりだすことになります。

長期的なゴールに至る過程を考えると、自分で考え、わかったと感じるためのベースとなる知識や考え方を身につけるということが必要になります。教師がこれを覚えなさい、この問題はこうして解きなさいと指示して練習をさせることが効率的に思えますが、子どものやらされている感が強く、達成感が持てなければ知識や考え方はしっかり身につきません。
知識は教師が教えるだけではなく、子どもが調べて見つけることも可能です。こういう活動をすることで、知識の獲得方法も身につけます。自分が見つけたと達成感も味わえます。考え方も、発問のなかにそれとなくヒントを入れたり、課題そのものを工夫することで子どもたちが気づきやすくすることもできます。
ここで「子どもが主役」ということは、子どもが自分で知識や考え方を獲得するような活動をすることになります。教師の役割は、子どもたちが身につけるべき知識や考え方を明確にして、子ども自身で見つけ気づくようにするための活動を考えることになります。

短い期間で考えると、漢字を覚える、かけ算の九九が言えるようなるといった、日々の授業の中で身につけるべきスキルのような訓練的な要素が強いものもあります。これこそ訓練でやらせるしかないように思えます。しかし、訓練させるにも、ただ「やりなさい」「試験をします」では、子どもは受け身になってなかなか身につきません。どれだけできるようになったかチェックし、自身の進歩を実感させ、ときには達成感を友だちとわかちあう。そのような工夫が必要です。
ここで「子どもが主役」ということは、子どもが目的意識を持って自主的に取り組み、達成感を味わうことになります。教師の役割は、訓練の目的を明確にし、子どもたちにわかりやすい目標を設定し、進歩を認める場面をつくることになります。

実際に「子どもが主役」の授業をつくることは、これらの要素が混じったものになると思います。教科や単元、子どもの成長によってそれぞれの比重が変わりますが、どれかの要素だけというのは不自然でしょう。

最後に「子どもが主役」というのなら、教師は何なのでしょうか。私は、「教師は演出家・プロデューサー・コーディネータ」だと思っています。主役たる子どもたちに活動を指示し、活動しやすいように環境をつくり、子ども同士をつなぐ。こういう意識を持てば自然に「子どもが主役」の授業になっていくと思います。

ペア活動の特性を意識する

ペア活動を取り入れる授業を見ることが多くなってきました。ところが、隣同士のペアで相談するように指示しているのに、後ろを向いて相談したり、黙ってしまってうまく活動できないペアが見られることがあります。うまくいかないときはどのようなときなのでしょうか。また、どのように活用すればよいのでしょうか。

教師が意識しなければいけないことは、子ども同士の人間関係ができていないときにはペア活動が難しいことです。ペアは1対1の関係ですから逃げようがありません。子どもたちにとっては緊張感が高まる関係です。年齢が進むにつれてこの傾向は強くなります。相談のような互いのかかわり合いが強く要求される活動をペアでおこなうのは意外と難しいのです。

それに対してグループは、ちょっと距離を置いて話を聞くこともできますし、声をかけやすい人がいる可能性も高くなります。また、グループで相談しているうちに、人間関係もつくられていきます。相談するといった活動は、グループの方が適していることが多いようです。

とはいえ、わざわざ席を移動してグループにするほどでもない、簡単に考えを確認させたいといったときは、ペアではなく、「まわり」と相談、確認するようにするとよいでしょう。「ペア」という逃げられない関係ではなく、「まわり」というゆるい関係を使うのです。

では、ペア活動はどのような場面で有効なのでしょうか。1対1の逃れられない関係であることを逆に生かして、互いの役割、責任が明確な活動に適しています。(ペア活動のポイント参照)
そして、注意してほしいことは活動を通じて、互いに相手に対してポジティブになるような工夫をすることです。たとえば本読みをペアでするとき、聞き役には、「間違えていないかチェックして」といった相手のミスを見つける役割ではなく、「間違えたり詰まったりしたら、正しく読めるように助けてあげてね」と相手を助ける役割を与えます。実質的に違わないように思えますが、役割の与え方の違いで、子どもの言葉づかいや態度が変わってきます。また、読み終わった後、悪いところを指摘するのではなく、よいところを指摘させるようにします。こうすることで、互いの人間関係もつくられていきます。

ペア活動は子どもたちの人間関係が大きく影響してきます。人間関係ができていなければなかなかうまく機能しません。逆に、その特性を理解してうまく活用することで人間関係をつくることもできます。このことを意識して活用してほしいと思います。

すぐに結論が出てしまったらどうする

授業で子どもとやり取りしながら考えを練り上げたいときに、いきなり結論が出てきてしまって扱いに戸惑うことがあります。こういうことを避けるために、どういう順番で指名するか注意をしている教師も多いと思います。結論が早い段階で出たときはどのように授業を進めていけばいいのでしょうか。

教師が戸惑う一番の理由は、自分の予定していたストーリーが崩れてしまうからです。一つひとつのステップを確認しながら、演繹的に進めるための準備をしているので、それが崩れて軽いパニックに陥ることもあります。結論が出たのに、無理やり教師が予定通り進めようと、あえてその発言を保留して最後に利用しようとすることもあります。
こういうときには、演繹にこだわるのではなく、帰納的に進めることが有効です。

結論やよい考えが発表されたからといって、全員がすぐにわかるわけではありません。まず、その考えがわかったか、納得できたか学級全員に確認をすることから始めます。その上で、間を埋めたりつなぐ考えを子どもたちから引き出していけばいいのです。

「・・・だから、・・・になると思います」
「なるほど。同じように考えた人いる」
「いるね。○○さんの考えを聞かせてくれる」
「・・・」
「なるほど、2人の説明でどう、みんな納得した。なるほどと思った人手を挙げて」
「いるね。じゃあ、まだよくわからないという人は」
「いるね。みんながわかったと言えるような説明を考えよう」
「さっきなるほどと思った人、どこでそう思ったか聞かせてくれる」
・・・

答を知って、どうしてそうなるのかを考える力は大切です。また、どうして気づいたのかを自分で考えたり、友だちから聞くことで視野も広がります。

「どうやって気づいた?」
「何をしていて気づいた?」
「どこでわかった?」
「何をやろうとしたの?」
「どんなことをした?」
「すぐに、できた? うまくいかなったことはない?」
・・・

「どうやって気づいたんだろう?」
「何をしたんだろう?」
「どこでわかったのかな?」
「何をやろうとしたんだろう?」
「どんなことをしたと思う?」
・・・

子どもは自分の気づく過程を明確に意識できていません。そのため、子どもの説明ではその部分はなかなか語られません。教師の説明も試行錯誤の部分は無駄として語られないことが多いように思います。そこで、教師がこのように問い返すことで、思考の過程を明確にし、その過程を教室全体で共有することができます。わからなかった、気づかなかった子もどんなことすれば、考えればよかったのかを知ることができるのです。

結論から説明を考えさせていけば、教師が考えていたストーリーの最初の一歩まで逆にたどることができます。そこまで戻れば、あとは当初のストーリーを生かすこともできます。

いつも演繹的に進めるのではなく、時には先に答えを示して、「どうしてこうなるのだろうか」と問いかけることも大切です。考えるアプローチをいくつも経験させておくと、すぐに結論がでてしまったりしても、あせることなく自然に対応することができます。

子どもの発言量と教師の発言量

子どもの言葉で授業を進めるということを考えたとき、多くの教師は授業の進度を心配します。子どもの発言量が増えると、それだけ時間が足りなくなると言うのです。果たしてそうなのでしょうか。

子どもにたくさん発言させて、その上教師が今までと同じだけの量を発言すれば時間が足りなくなるのは当然です。子どもの発言量を増やすのであれば、それに合わせて教師の発言量を減らさなければなりません。子どもの言葉は教師の説明と比べて拙いため、教師はどうしても自分の言葉でもう一度説明しなければ安心しません。ここが問題なのです。
実際には、子どもの言葉をつないでいけば、教師が説明しなくても子どもはちゃんと理解できるのです。教師が一方的に説明するよりも多くの子どもがきちんと理解してくれます。
また、教師の説明は子どもの説明と比べて、どうしても丁寧で長くなる傾向にあります。教師の発言量を少し減らすだけで、たくさんの子どもが発言する時間をつくることができます。

「それってどういうこと」
「それって、どこのこと」
「それって、どうやったの」
「○○さんの説明でなるほどと思った人」
「○○さんの考えを説明してくれる人」
「○○さんの考えにつけ足してくれる人」

教師は、このような言葉をうまく使いながら、子どもたちが、子どもたち自身の言葉で理解するための手助けをするのです。

一方、子どもたちも自分たちが発言した後、教師がまとめてくれると思っていると友だちの発言を真剣に聞きません。教師の発言量を減らしながら、子どもたちの発言時間を確保し、互いの言葉を聞き合って考える経験を積ませていくことが大切です。
子どもたちが育ってくると、教師の発言は、課題や発問、指示とつなぎの言葉だけになっていきます。
子どもたちの発言量が多く授業がどんどん進むので、もうすぐ授業が終わるのかと時計を見てみると、思った半分も過ぎていなかったということもあります。

「子どもが育ってくると、授業がどんどん進んで学年末には時間が余るくらいです」

こんなことを言う先生もいらっしゃいます。

子どもの発言量を増やすことで子どもたちは自分たちで理解するようになります。教師はそれに合わせて発言量を減らしていけばよいのです。子どもたちの力を信じて、教師の発言量を減らすように意識してほしいと思います。

教具や道具の使い方の説明

教具や道具を使って授業をする場面によく出会います。興味を引く教具を使うことで、子どもたちは集中して課題に取り組みます。教師は手元に実物がないと説明がわかりにくいと考えて、先に物を配ることがあります。ところが、子どもたちは物に気をとられて、肝心の説明を聞いていないことがあります。教具や道具の使い方の説明はどのようにすればよいのでしょうか。

教具や道具の類は、使う直前に配る、取り出すことが原則です。子どもにとって珍しい物が目の間にあれば、どうしてもそちらに気持ちがいってしまいます。日ごろから使っている教科書やノートであっても、使わないときはしまわせることを徹底している教師もたくさんいます。子どもの集中を妨げるものは、できるだけ排除した方がよいのです。
ですから、教具や道具の使い方は、できれば何もない状態で説明するのがよいのです。おもしろそうな教具を教師が全体に見せながら説明すると、子どもの中にはワクワク感、期待感が起こります。そこで、物を配れば一気に集中して活動します。ところが、物があまり大きくないと、どうしても全体では見えにくくなります。提示用の大きなものを用意したり、実物投影機などを活用して、見やすくすることが大切です。

では、提示用の物や実物投影機が準備できない、実物投影機ではうまく拡大して説明できないといった場合はどうすればいいのでしょうか。この場合は、実物が子どもの手元にあって触れる状態での説明の方法を工夫することが必要です。
教師が一方的に説明するのではなく、実際に子どもに触らせながら説明するのです。

「はい、○○をこのように持って。ちゃんとできているか隣同士確認して」
「次に、・・・」

こうすることで、触りたい気持ちを満足させながら、説明できます。

教具や道具を使った活動をする場合、その使い方の説明は、子どもの意欲をうまくコントロールすることを意識してほしいと思います。

授業の最後に何を振りかえらせる

授業の終わりに振りかえりを書くことが増えてきています。しかし、子どもたちの振り返りを見ると、ただ感想を書いているだけのことが多いのです。何を書くように指導すればよいか考えてみましょう。

「面白かった」
「よくわかった」
「頑張った」

このような感想だけでは、次の学びにつながっていきません。大切なことは、この授業で何を学んだか子どもの言葉で振り返ることです。
「今日わかったことはどんなこと」「できるようになったことはなに」と振り返らせるとよいでしょう。

「・・・が・・・であることがわかった」
「・・・を考えるときに、・・・に注目するとよいことがわかった」
「・・・のような問題を解くときには線分図に表すと考えやすい」

このような振り返りは、授業を通じて自分が進歩したことを確認することにもつながります。また、「・・・のような問題を解くとき・・・」というようにまとめることで、メタ認知が働くようになります。

指導すればすぐにこのような振り返りになるわけではありませんが、よい振り返りを紹介しながら、「感想」から「学んだこと」へと質の転換を図るようにしてほしいと思います。

友だちの作品から学ぶ

授業で作品をつくったときはそれで終わりでなく、展示して互いの作品から学び合う場面をつくります。しかし、ただ展示するだけでは学びはおきません。どのようなことを意識すればいいのでしょうか。

一つは必然性を意識することです。完成した作品を見て学んでも、それを活かす機会は先になってしまいます。学んだことを活かせるタイミングで見ることは、学ぶ意欲を高めます。
たとえば、下絵の構図を互いに学ぶのであれば、大体構図が決まった時点で一旦作業を中断します。ここで作品を見合えば、よいと思ったことを自分の作品に活かすことができます。また、制作ノートやワークシートに、意図したこと、工夫したことを書いておき、作品と一緒に提示することで、よさや工夫がより伝わりやすくなります。
また、互いのよさを共有する方法の一つにグループの活用があります。グループ内で自分が見つけた友だちのよさを伝えあうのです。自分が気づかなかったよさを友だちから聞くことで、視野が広がります。また、実際にもう一度作品を見て確認することもできます。

では、完成した後の展示はどのようにすればいいのでしょう。
自分の作品を認めてもらうことは、子どもの自己有用感を高めます。そこで、互いに作品を見合い、よいところをレポートにします。ちょっと大きめのメモ用紙程度のものに、作品の工夫、それがどうよかった、全体的な感想など、作品を見る視点を印刷しておいて書きこませます。全員の作品について書くのは大変なので、グループごとに一つのグループを割り当てて見る、一つのグループ内で分担して全員を見るなどの工夫をしてください。前者の場合は、グループ内で発表し合い、友だちのレポートでよいと思ったところをつけ加える、後者であれば、友だちのレポートから興味を持った作品を見に行くといった活動をおこなうとよいでしょう。
また、教室にしばらく作品を展示しておくような場合、作品とともに子どもたちのレポートもつけ加えることで、より多くのことが学べるはずです。

個人作業になりがちな作品づくりですが、作品を見あう場面をうまくつくることでかかわりを持つことができます。互いの作品から学ぶことを意識して授業をつくってほしいと思います。

友だちの発言を聞く意欲を高める

授業を見ていると、子どもが友だちの発言を聞こうとしてないと感じることがあります。授業に集中していないというわけではありません。教師が説明して板書をすると素早くノートに写します。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

一番の理由は、聞いていなくても子どもたちが困らないことです。
友だちの説明はわかりにくいので、聞かない。聞かなくても、最後に先生がわかりやすくまとめてくれる。また、算数などは説明ができなくても、手順がわかれば問題は解けるので困らない。友だちのよい気づきは先生が復唱したり、板書してくれるから先生に注目していればいい。こう思っているのです。

子どもの発言を安易に教師がまとめず、子どもの言葉を活かして、自分たちでわかった実感を持たせることが大切です。
子どもの説明が不十分であれば、「それってどういうこと」とより詳しい説明を求めたり、「だれか、○○君の考え説明できる」と友だちの考えを理解しようとすることを意識させます。
また、教師がまとめずに、子どもに自分でまとめさせることも大切です。「みんなの気づいたことで、なるほどと思ったことを自分のノートに書き足してください」「まとめたことを隣同士で確認してください。友だちの気づいたことでなるほど思うものは自分のに足しましょう」というように、自分たちでまとめる作業を取り入れるようにするとよいでしょう。

この他にも、そもそも課題に手がつかない、何をやったらいいかわからなかったというときは、手がついていないので、友だちの発言を聞く意欲が薄れてしまいます。自分の考えが持てているときの方が友だちはどう考えたのか気になるので聞こうという気持ちになるのです。解決のための見通しを持たせてから課題に取り組ませたり、できるだけ課題を具体的に提示するなどの工夫が必要です。また、活動を途中で一旦止めて、結論でなくどこに注目しているかを全体で共有することで見通しが持てることもあります。

子どもが友だちの発言を聞かないのには理由があります。聞こうとする意欲をどう高めるか、聞く必然性をどうつくるか。教師の工夫が求められるのです。

授業の最初に何をするか

授業の始まりは、多くの子どもの意欲が高い時間です。苦手な子どもも今日はわかるかもしれない、できるかもと思っています。ここで一方的に教師の話を聞かせるなど受け身の活動をさせるとせっかくの意欲がすぐになくなってしまいます。この時間をうまく使うことは子どもの授業への集中度を高めるためにとても大事なことです。

最初に復習をするのであれば、全員の子どもが「できた」「わかった」と思うようにする工夫が必要です。数人に発言させて、「みんないいですね」と確認しても、よくわからないままの子どもが必ずいます。わからないと思うと意欲はすぐになくなってしまいます。

できるだけ多くの子どもに発言させる。
わかっていない子どもには、教科書やノートを確認する時間を与えて、答えられようにする。
まわりと互いに確認させる。

このようなことを意識して、「できそうだ」「やれる」という気持ちにさせることが大切です。

また、脳の活性度を上げるために小テストなどを取り入れるという考え方もあります。この場合注意してほしいのは、できるだけ全員が満点をとれるようなものにすることです。できなかった、ダメだったという気持ちになってしまうとしばらく気持ちが下がったままになってしまいます。そこで、少しでもできるようにと多くの時間をとってしまうと、今度は先にできた子はすることがなくなってだれてしまいます。時間を決めて、時間がくればきっちり終わるようにすることが大切です。
逆に時間内でどれだけできるかという進め方もあります。問題をたくさん用意しておいて何問できるかという発想です。これであれば、自分のペースでやれるのでだれることもなくなります。また前回より何問増えたといった進歩をみることで一人ひとりの頑張りを評価することもできます。
答えを書く以外に声に出すという方法もあります。2人1組で一方が答えを言い他方確認するというやり方です。声を出すことで脳も活性化します。

授業の最初は必ず復習をしなければならないわけではありません。子どもの意欲の高い間に、本時の課題を提示することで集中度を高めることができます。このとき、一方的に教師が説明するのではなく、子どもとやり取りをたくさんすることが大切です。資料を提示して興味を持たせたり、課題に関係した、どの子も答えられる、考えられる発問をたくさんすることで課題への意欲をもたせるとよいでしょう。

授業の始まりは子どもたちの意欲の高いとても大切な時間です。この時間を有効に使うことを意識した授業づくりをしてほしいと思います。
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