学校全体で学びの質を上げる難しさ

昨日は中学校の公開研究会に参加しました。

小学校の頃に学級崩壊を経験した学年もあり、生徒指導上大変であったと聞いていましたが、どの教室も落ち着いた雰囲気で、笑顔があふれる授業でした。子どもたちの学び合いをベースにした授業づくりのよさが感じられます。先生方が互いに学び合って授業を作っているのがよくわかります。授業検討会でも授業のよいところから学ぼうとする姿勢を感じました。

多くの学校を見させていただいて感じるのは、子どもたちが落ち着いて学びあえる雰囲気をつくるところまでは比較的に短期間(2年前後)でできるが、その学びの質を学校全体として高めるのがとても難しいということです。
一人ひとりの学びをきちんと見ることに加えて、課題と子どもの動きの関係、考えを深めるためにどのように子どもの意見をつないでいくかといったことにも意識を向けて授業を見ていかなければならないからです。課題や考えを深めるということに関しては教科の知識がどうしても必要になってきます。これを全体の協議の場でうまく話し合うのは難しいことです。教科や一つひとつの授業の固有の問題からどの授業にも通じることを整理して共有化することはとても難しいのです。したがって、同じ教科の人間が集まっての授業研究も必要になってきます。しかし、1校だけでこれを実現するのは人数の関係でなかなか難しいことです。ある程度広域の勉強会を作る必要があります。

今回の授業検討会でも、2回のグループでの話し合いにおける個々の場面での子どもたちの学びをよく観察していましたが、最初の話し合いでテンションが高い子が多かったのに対して、次の課題では話し合いがうまく始まらず、しばらく動きがなかったという事実については話題になりませんでした。

最初の課題は知識を持っている子にとっては、それほど難しいことではなかったようです。わかっている子どもが説明したくてテンションが上がってしまったのです。一方、ベースになる知識が曖昧な子は、説明を聞いてもすぐにわからないようでした。「わからないから教えて」と聞くことができる子どもが育っているので、なんとかわかってもらおうと、ますます力を入れて説明する子と、どう説明すればわかってもらえるのかを考えながらじっくりと説明する子に分かれたようです。その結果、グループによってテンションが変わっていったようです。
知識を持っている子がすぐに答えがわかることを課題にした時に起こりやすい事象でした。

2回目の話し合いでは、与えられた課題が曖昧だったため、何を話していいかわからない状態でした。ところが子どもたちはそこで、教師から与えられた言葉(課題)を自分たちなりに解釈して、話し合いを行いました。その結果、全体の場では全く異なった視点での考えが発表されました。それぞれの視点を明確にすることを教師が意識しなかったため、発言をきちんと学級全体に広げることができませんでした。話し合いの内容を深めるチャンスを逃してしまったのです。

だから、この授業がよかった、悪かったということではありません。そこで起こっていたことに気づき、どう理解するかということです。そこで学んだことが授業づくりに生きてくるのです。

管理職の方と少しお話をする機会がありました。私が感じたことはとてもよく理解されていました。今の状態はまだまだ通過点で、ここからが本当の踏ん張りどころだと話す姿に、来年はもっと素晴らしい学校になっているに違いないと確信しました。

充実した研究会で学ぶ

日曜日に参加した研究会は実践報告もレクチャーも大変内容の濃いものでした。

中学校での縦割りによる探求活動(総合的な学習の時間)の実践は、

ゴールは「・・・について」ではなく「・・・なのか」と自分たちの考え、結論を明確にする。
インターネットなどで調べるだけでなく自分の足で調べる。
中間発表を入れて、他者の意見をブラッシュアップするチャンスを設ける。
子どもだけでなく、大人の評価も受ける。

といった、1年のサイクルで回す場合の基本がきちんと押さえられた活動で大変参考になるものでした。
この活動に、縦割りを活かした、3年間のスパイラルで子どもたちが伸びる仕組みをぜひ組み込んでいただきたいと感じました。

レクチャーでは、私自身がよくわかっていると思っていたことを、私にない視点を付け加えてまとめられていました。おかげで考えを深めることができました。感謝です。

また、保護者の学校評価の興味深いデータも見せていただきました。荒れている学年のデータは、学校に対する評価が低いのですが、教師への信頼や努力に対する評価は高いのです。結果が出ていないことへの不満と、そうは言っても目の前で教師が頑張っている姿は評価しているということでしょう。あらためて、「愛される教師を作る(になる)のは簡単だが、愛される学校を作る(になる)のは難しい」と感じました。

3時間余りの会でしたが、本当に充実した時間で、たくさんのお土産をいただくことができました。

今泉博先生から学ぶ

教師力アップセミナーで、今泉博先生のお話を聞かせていただきました。

「推理と想像」をキーワードに、どの子も発言したくなることを目指す授業の具体例をたくさん話されました。
発言するためには安心して話せる状況が大切である。そのために間違いを活かして、間違いをほめて、そこから授業を深めるという主張は大いに納得できました。
子どもの参加意欲を増すために、だれでも発言できる質問からスタートして、次第にねらいに迫る発問を加えて、考えを深めていくという展開です。どの例もよく練られたものでした。

ここで、注意をしたいのはだれでも答えを言える質問は、根拠のない無責任な発言につながることです。

「遣唐使はどうやって唐にいった」
「泳いで」
「いかだ」
「船」
・・・

特にクイズのような質問はそうなりやすいのです。今泉先生の素晴らしいところは、子どもを引き付け参加させたところで、子どもたちが関わりながら、根拠を持って内容を深めていくための発音や手立てをきちんと用意していることです。

「どんな人が行った」
「お坊さん」「役人」「通訳」・・・
「それじゃ、いかだじゃだめだ」
「船だ」
「どんな船」
「大きな船」
「帆がある」
「エンジンがある船」
「そのころはエンジンはないから違うよ」
「帆だけじゃ風がないと動かないから、人が漕いだ」
・・・
地図を見せて、
「どこから出発したんだろう」
・・・
「どこを通ったんだろう」
・・・

このような授業は、深い教材研究に支えられています。教えたい内容を明確にした上で、子どもたちがそれを見つけ理解していくためにどのような授業展開をするのか、どのような発問を用意するのかがとても大事なのです。ここがしっかりしていないと、子どものテンションだけが上がり、無責任な発言ばかりが目立つ、思考や深まりのない授業になってしまします。特に参加された若い先生にはこのことを強く意識してほしいと思いました。

学校と地域の関係を考える

昨日は、私が関わっている中学校で行われた地域ふれあい学びフェスティバルを見学してきました。地域の方と学校が一体となって、イベントや体験講座、模擬店を運営し、多くの方に楽しんで参加しながら、学んでいただきたいというものです。
私が見学するようになって、今年で7年目です。当初は地域の方と有志の生徒が中心となって企画運営してきましたが、昨年からは生徒主体の学校行事へと変わりました。
変更になった時は、地域の方も、生徒も先生も自分の役割が明確でないまま形だけが先にあるような状態でした。今年は、生徒の動きが昨年よりも格段によくなり、自分たちが中心となる意識が芽生えてきました。生徒だけで新聞社に取材を求めたり、地域を回って広報活動をしたようで、参加される方の数が飛躍的に増えていました。先生も自分の担当に応じて生徒たちを如何に活躍させるかに心を砕いておられました。

地域の中心となっている方々のお話を聞くこともできました。この学校を支える地域の人間としての思いを持って企画してきたのですが、昨年は生徒主体ということで、積極的に企画もできず、仕事をお願いされるばかりでどう関わっていいのか戸惑ったようです。その経験を生かし、今年は学校側とも連絡を密にとり、まず子どもたちにどのように育ってほしいのかを共有化したようです。そして、そのために自分たちがどうすればよいか考え、生徒自身が自分たちのフェスティバルとして責任を持って行動するように働きかけてくださったのです。子どもたちの成長のために、生徒主体で運営したいという学校の思いを受け止め、主体から生徒のサポート役へと自分たちの関わり方を変えてくださったのです。

これからは、学校と地域の協力が今まで以上に求められてくると思います。しかし、学校と地域とが同じ思いで動くことは簡単ではありません。子どもの成長のために互いに協力し合う。その点でまず一致することから始めなくてはなりません。その上で、自分に何ができるかを考え、そのことを伝えあうのです。決して相手に何をしてもらいたいかではないのです。
この地域では、今までとは違った学校と地域の関わり方が生まれました。これが正解でこのやり方を続けていけばよいということではありません。今までのやり方にこだわるのではなく、子どもたちの成長のために互いが変化できる柔軟性を持ち続けることが大切だと思いました。
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