子どもたちの集中力が続く授業

先週末は、中学校の合唱の授業のアドバイスをしてきました。

印象的だったのはパート練習を子どもたちが集中力を切らさずにやり続けていたことです。パートリーダーを中心にどのように歌うかを話し合い、意見がまとまったら歌ってみる。これを繰り返しているのですが、男子も女子も実によい表情で参加しています。子どもたちの人間関係がよい証拠です。授業者もそうですが、担任を始め関わっている多くの先生方の指導のおかげだと思います。

子どもたちの集中力が切れない理由は人間関係がよいだけではありません。彼らがうまくなりたいと思っていることも理由のひとつです。グループ練習を切り上げて全体で合わせようと言っても、「まだうまく歌えないから練習させて」とお願いするぐらいです。
当り前ですが、前向きな気持ちで取り組んでいれば、集中力は続きます。
子どもたちがうまく歌いと思うのは、授業者が子どもたちをポジティブに評価していることが大きく影響していると思います。授業開始時の発声練習の時や校歌の合唱、子どもたちが出力する場面では必ず誰かをほめています。名前を読んで具体的にどこがよいかを言ってもらえるので、ほめられた子どもは自信を持てますし、他の子どもも意識すべきことが明確になります。教室に笑顔があふれてやる気が出てくるわけです。

3年前におじゃました時には、まだ学校が落ち着いていない状態で、子どもたちの表情が乏しかったのが印象的でした。よい表情で一生懸命歌っている子どもたちの姿を見て、先生方が子どもたちにどれほどの力を注いできたかをあらためて感じました。来年はきっともっと素晴らしい姿が見られることと楽しみにしています。

普段の授業から学ぶ

昨日は、中学校で剣道の授業研究に参加しました。

検討会で授業者から、野中信行先生(ブログ)の「味噌汁・ご飯授業」という言葉が出てきました。研究授業の特別な「ごちそう授業」ではなく、日常的な「味噌汁・ご飯授業」の在り方を学ぶことを大切にしようという主張です。

本時は、子どもたちが始めて竹刀を持って活動する場面です。ところが、時間数の関係でどうしても基本的な動きをこの1時間で教えなければなりません。子どもたちの活動量を確保すると学校で進めている研究のテーマである言語活動の時間をあまりとれないことになってしまいます。よくあることです。そこで授業者は、あえて見せる授業をせずに、こういう時間のない時に普段行う授業を見せることにしたのです。

授業者の説明の後、子どもたちが活動し、互いに動作を確認し合いますが、なかなか修正されません。一つひとつの動きの完成度を高めるためには、ポイントを子どもたちに確認する機会を何度も取ったり、代表者に実技をさせ、全体でどこがよいか、何が違うかを話し合うなどの方策が必要です。しかし、授業者はそのことにあえて時間を使いませんでした。それよりも、子どもたちの活動時間を少しでも多くとろうとしました。
子どもたちは、とても楽しそうに活動していました。たくさん竹刀を振って活動することで、初めて剣道に出会う子どもたちが、剣道を楽しいと感じてくれたのです。
このことが授業者のねらいだったのです。

この授業を別の視点で見れば、竹刀の持ち方がきちんとできていない子がいる、きちんと竹刀の先で面を打っていない子がいる。それなのにきちんと修正できていない。子どもたちが考えたり、発言したりする場面が少ない。そんな意見も出ると思います。しかし、大切なのは授業者が子どもたちに何を求めているかです。剣道を楽しいと感じてくれるという授業者の目指す子どもの姿があり、それが実現できたとてもよい授業でした。
普段の授業の中にこそ、教師が大切にすべきものが何かが見えてくることをあらためて教えていただきました。

感情を話し合う

昨日は中学校の道徳の授業研究に参加しました。

ネットの掲示板の中傷記事にどう対応するかを考えるものでしたが、興味深かったのが、中傷記事を見てどう思ったかを話し合う場面で、子どもたちが負の感情をなかなか話そうとしなかったことです。紙に書かせると、ネガティブな言葉をたくさん書くのですが、グループの話し合いではなかなか口は出しませんでした。その理由として、多くの教師が参加するなかで、ネガティブな感情はよくないものだから口にしない方がよいと判断したことが考えられます。また、話し合うといっても感情なので、理屈や根拠を共有することはできません。理性的であろうとすれば、話し合いが成立しにくいことも考えられます。逆に、紙には負の感情を書くということは、ネット環境があれば、感情的な書き込みをしてしまうのかもしれません。
一方、他のクラスで同様の授業を行った時には、ネガティブな言葉がたくさん出てきて、発言を押さえなければならなかったそうです。無責任な感情の発表ですから、テンションが上がれば抑制が利かなくなるということでしょう。

このように、感情を話し合うこと、特にネガティブな感情はなかなか難しい面があります。感情そのものを問うよりも、どのような行動をするかを問い、その行動の原因となる感情を話し合うようにした方が、感情を口に出しやすくなるように思いました。

子どもたちが真剣に考えているからこそ、子どもたちの様子からいろいろな発見がありました。負の感情をどう表面化させ、どう向き合わせるかについて考えるよいきっかけとなった授業でした。

次のステップに向かって

昨日は、先日研究発表会が終わった中学校で、今後の現職教育の進め方の会議に参加しました。

事前に取ったアンケートから、ほとんどの先生が授業改善に前向きで、子どもたちの変化を肯定的にとらえていることがわかりました。この1年半の取り組みが教師としての力量向上と幅を広げることにつながったと感じているようです。
学校全体での取り組みでしたが、教科や個人が工夫したこともたくさんありました。いろいろな角度からのアプローチが結果として子どもを育てることにつながっていきます。
教科ごとのグループでの話し合いを聞いていると、学校全体の方向性に基づいて、個々に課題を設定して、それをクリアするためにさまざまなチャレンジをし、その結果が自分たちのノウハウとして蓄積され始めていることがよくわかります。
また目指す生徒像も、各教科の授業場面での具体的な姿がそれぞれ明確になってきたように思います。

次のステップに進むにあたって、これらの目指す子どもたちの具体的な姿や、それぞれの工夫・ノウハウを学校全体で共有することが必要だと感じました。
今までの実践をもとにより具体的な目指す子ども像を共有し、教科の枠を超えた自分たちの基本となる取り組みを明確にすることです。その上で、何ができているのか何ができていないのかを全体で確認することで、次に何に取り組むべきかが具体的になると思います。

普通であれば、研究発表会が終わって気が抜ける時期だと思いますが、さらなる飛躍に向けて素早く動き出していることが素晴らしいと思いました。授業改善に学校全体で取り組むことが、この学校の伝統となっていくことと思います。

ベテランをどう生かす

先週末に開催されたプラネクサスの学校経営セミナーで講師を務めました。

多くの学校で授業改善が課題となっています。これから増えてくる若手をどう育てるかとともにベテランのことがよく話題となります。今回参加した方もこのことを課題とされている方がたくさんいらっしゃいました。おもしろかったのは、このベテランに対する見方が大きく分かれていたことでした。

「ベテランが学校を支えてくれている。ベテランが大量に退職する前に、なんとか次の世代に引き継がなければならない」

「学校改革、授業改善を進めていく上での障害がベテランだ。一番改善してほしい彼らが、変わろうとしない。悪しき伝統・習慣を変えられない」

学校ごとに状況は違うと思いますが、いずれにせよ、退職まであとわずかになっているベテランをどう活用して次につなげるかは大きな課題です。

教師は職人と似たところがあります。技術やノウハウは個人についてきます。それを外に出させるためには、場が必要になります。校内研修で講師を務める、若手をペアで指導する、積極的に授業を公開するなど、意図的に場面を作る必要があります。

また、変わろうとしない教師も、決してよい授業をしよう、よい教師であろうという気持ちを失くしているわけではありません。ただ、変われということは今までやってきたことを否定されたような気持ちになるために、反発するのです。まず、ベテランのよいところを見つけ、こうすればもっとよくなるという視点で働きかけるのです。変わりにくいのがベテランですが、変わった時に最も大きな進歩するのもベテランです。ベースとなる物がしっかりとあるから、それに新しいことを加えた時により大きな成果がでるのです。

学校の人事構成が大きく変化する時代がやってきました。ベテランをどう生かすかが、学校のこれからを決めていくと思います。ベテランの持つよさを引き出し、うまく次世代に引き継いでいただきたいと思います。

子どもが教えてくれる

昨日は小学校の校内研修で指導助言を行ってきました。予定していた授業者が体調不良だったため、急遽同じ学年の先生が自分の学級で同じ指導案で授業を行ってくれました。研究授業は中止して指導案をもとに話しあうという案もあったそうですが、快く引き受けてくださる先生がいたため、実際の授業をもとに話し合いができました。

2年生の国語の授業でしたが、子どもたちはよく集中して課題に取り組んでいました。大勢の先生の取り囲まれているにもかかわらず、子どもたちは普段の様子をよく見せてくれました。授業者は子どもの言葉をきちんと受け止め、同じ考えの子どもをつなぐことも意識していました。2年生ぐらいだとなかなか子ども同士が関われないのですが、グループでの話し合いもほとんどの子どもがうまく関われていました。

今回の授業は読み取った内容をクイズにするという内容でした。「わかりやすい」クイズがキーワードになっていましたが、指導案を見ただけではどのような力をつけるのかがよくわかりませんでした。実際に子どもの作ったクイズを見ると、主語が抜けていたり、目的語が抜けていたりしていましたが、話し合いを行っても修正ができないグループが多く見られました。自分たちが答えを知っているために気づけなかったようです。
この子どもたちの様子から、この授業でのキーワード「わかりやすい」は、クイズに答える人が、「何を答えたらよいかわかる」ということだと気づかせればよいのだとわかりました。また、そのことに気づかせるためには、相手意識を持たせる必要もあることがわかりました。クイズを通じて質問力をつけると考えてもよいかもしれません。期待した答えを相手から得る質問を作る力です。この力は、インタビューなどの場面でも役立つ大切な力です。

授業はいくら頭で考えてもわからないことがたくさんあります。今回も実際に子どもたちの活動の様子を見ることからたくさんのことを学ぶことができました。 これも、ピンチヒッターを快く引き受けてくれた授業者のおかげです。授業者にあらためて感謝です。

やる気のある研修会

昨日は市の中堅研修の講師を務めました。夏に行った模擬授業による授業検討(自分の問題としてとらえる)を受けての授業研究でした。会場校の先生方にも参加いただき、より多くの視点で授業を見ることができました。

模擬授業での反省をもとに、最初の課題をわかりやすいものに変えるなどの工夫がたくさん見られました。子どもたちと先生、子ども同士の関係はとてもよく、男女のペア活動も、グループ活動もきちんと行えていました。
ペア活動では、3つの相似条件を互いに確認し合うのですが、間違いがあってもきちんと訂正できないペアがいくつかありました。決していい加減にやっているわけではないのですが、自分の役割意識がはっきりしていないために、聞く側の集中度が低かったようです。聞く側が責任感じるような工夫、例えばペアの相手がきちんと言えていたかどうかを挙手で確認する等が必要なのかもしれません。

個別に問題に取り組んだ後、グループで答を発表し合ったのですが、授業者が思っていた以上に時間がかかってしまいました。グループで話し合わないと解決しないようなレベルの問題ではなく、どれだけ見つけられるかという問題だったので個別の時間をたくさんとったようですが、できる子は早く見つかってしまい、そうでない子もいくつか見つけて止まっている状態でした。このような時間はもったいないので、周りの人と相談してもよい、最初からグループの体制で聞きやすくするなどの、作業のグループ化をするとよいとアドバイスをさせていただきました。

参加した先生方も、前回自分が生徒役だったので、どこでつまずきそうかよくわかっていたので、子どもたちの理解度をよく把握されていました。また、子どもの話し合いの様子も細かく観察していて、先生方の話し合いからもたくさんのことを学ばせていただきました。授業がうまくなりたいとやる気を持って参加してくださる先生方からたくさんの元気をいただきました。

子どもが育つと教師も育つ

昨日は、中学校の授業研究に参加しました。

この学校のアドバイザーとして1年半余りが過ぎました。子どもたちの授業中に見せる姿がずいぶん変わってきました。柔らかい表情で、友だちと関わりながら授業に参加するようになりました。それと並行して先生方の授業研究での様子もずいぶん変わりました。子ども一人ひとりの発言や友だちとの関わり合い、子どもの変化のきっかけなどを実によく観察しています。検討会での話し合いも一人ひとりの学びの様子がきちんと語られていました。
この授業では、ずっと机にふせって参加していない生徒が後半起き上がって参加を始めました。私はその変化の瞬間を見落としていたのですが、観察していた先生がその前後の本人の様子と仲間の関わり方を詳しく報告してくれました。おかげで、その時何が起こっていたのかとてもよくわかりました。
このように先生方の子どもの事実をしっかり見るようになったおかげで、検討会で学べることもとても多くなってきました。

授業者は6年目の若手ですが、今回が今年3回目の提案授業です。回を追うごとに、子どもたちにこうなってほしいという思いがはっきりし、そのことを意識した授業づくりになってきました。うまくいくことばかりではありません。しかし、意識して組み立てているので、その結果をきちんと分析することで改善点もはっきりします。
この数年、学校として教師と子どもたち、子ども同士の人間関係をきちんと作ってきたことで、子どもたちの学びがうまく成立しなかった場面でも、その原因がどこにあるのかがとても考えやすくなりました。人間関係ができていないときは、そこが原因なのか課題や教師の働きかけが悪いのかがわかりにくいからです。

子どもが育っていくことで教師が学ぶことも多くなります。子どもが育つことが教師を育ててくれるのです。管理職の先生方も彼を温かく見守って、彼の進歩きちんと認めて励ましてきました。授業者は昨年までと比べて、子どもや同僚から学ぶ姿勢がとても素直になってきました。

検討会後も、この授業に関してまだ整理できていないことや疑問をたくさん私に質問してくれました。とてもよい内容で、授業者と一緒に私もたくさん勉強をさせてもらいました。
最後に「来年は異動するかもしれませんが、もし機会があればまた授業を見てください」と言ってくれました。このことが私にとっては何よりうれしい言葉でした。

研究発表会

昨日は、昨年より授業のアドバイスをしている中学校の研究発表会が開催されました。私も分科会の助言者とパネルディスカッションのコーディネーターをさせていただきました。

公開授業は、大勢の方に参観されるといういつもとは違う状況のため、先生も子どもたちも緊張していることがよくわかります。最初のうちは子どもたちの表情が硬くて心配していましたが、すぐにいつもの姿を見せてくれるようになりました。何人もの参加者の方から「どの学級も子どもたちが柔らかい表情をしていた」というお声をいただけたことを、関わってきた者としてとてもうれしく思いました。

パネルディスカッションでは、パネラーの方から子どもたちが主体の学びについて実践に基づいたお話を聞くことができ、私にとってもよい学びになりました。
途中で2人の若手に発言してもらいました。自分の授業が変わったきっかけ、今どんなことを意識して授業をしているかをしっかりと話してくれました。この2人に限らず、若手が本当に成長してくれたことをとてもうれしく思っています。
実践についてのパネラーの方とのお話を通じて、私自身がこの学校に関わらせていただいて成長できたことをあらためて実感させていただきました。

また、研究主任が今まで先生方に発信してきた研究通信が一冊にまとめられていました。読ませていただいて、私がお話ししたことを本当に大切にしてくださっていたことにあらためて感謝しました。

今回の発表はあくまでも通過点です。先生方の授業を通じて子どもたちの見せてくれた姿を見て、今後の子どもたちの成長がますます楽しみになりました。

子育てについて考える

先週は久しぶりに、一般の方対象の子育て講座の講師を務めました。
小学生から高校生ぐらいまでの子どものいる方々でしたが、大変熱心に参加していただけました。

親や周りが子どもに期待することがプレッシャーとなってしまうことなどを、具体例を交えながらお話ししました。小グループでの話し合いも取り入れたのですが、私の話と似たような例が参加者からたくさん出てきたのには驚きました。不登校や問題行動など、私の体験を含め、見聞きしてきたことは決してレアケースではないことがよくわかりました。言いかえれば、何の苦労もなく子育てが終わることはないということです。しかし、多くの親はこういったことを我が家だけの問題のように感じ、抱え込んでいるように思います。子育ての悩みを気楽に相談できる相手が減ってきているのもその要因の一つでしょう。

学校生活以外のことに関しても学校が受け皿として機能することがこれからは求められるようになっていくのかもしれません。子どもを育てるということに関して参加者から新たな課題をいただきました。講師の私も学ぶことの多い講座でした。

ねらいの達成を意識する

先週末は、中学校で採用3年目の英語の先生の授業アドバイスを行いました。

落ち着いた和やかな雰囲気で授業が進んでいます。指示も明確で、新任のころと比べて表情にも余裕が出ていました。あとから授業場面に関して質問しても、明確に自分の行動を振り返ることができます。なんとなくではなく、きちんと意図した行動である証拠です。しかし気になる点もあります。

子どもたちに自然な速さの英語で問いかけるのですが、そのあとすぐに日本語で同じことを説明します。理解できていない子どもがいるためです。しかし、いつも先生がすぐに日本語で話してくれるのであれば、わからない子どもは頑張ってわかろうとはしません。英語をきちんと聞きとって理解させたいのであれば、ゆっくりと何度も繰り返したり、シチュエーションを明確にしたりする工夫が必要です。

また、テキストを写す場面で多くの子どもが、単語単位で書き写しています。このことを指摘したところ、1年生のころから1文単位で、もし無理なら句単位で写すように指示しているとのことでした。指示をしていたとしても子どもたちの実態はそうなっていません。ならば、1文を何回見て写したか数えさせるよう指示するなどの工夫をしてきちんとできるようにすることが大切です。

明確な意図を持って行動していても、そのねらいが達成できているか確認して徹底しなければ、単にやっただけということになってしまいます。できる子、わかる子だけしかねらいを達成できません。授業のねらいや視点は非常によいものを持っている先生なので、達成をきちんと意識するようになれば、大きな進歩を遂げると思います。

子どもたちが育つ理由

昨日は、中学校で授業研究に参加しました。

子どもたちは互いに相談しながら一生懸命に課題に取り組んでいました。とてもよく育っている学級です。
グループで課題を考えるように指示をした時です。子どもたちは課題がよく理解できなかったため、何をやればいいかよくわからず、しばらく動き出せないでいました。しかし、しばらくすると額を寄せ合って相談を始め、課題に取り組み出しました。
課題がわかりにくかったことは反省しなければなりませんが、それよりも子どもたちの動きです。課題がよくわからないときは、教師を呼んで聞くことが普通です。しかし、どのグループも教師に頼らず、自分たちで何とかしようとしました。
授業後、先生に確認したところ、4月、5月の頃はわからないことがあれば、すぐに質問していたが、その都度「自分たちで考えてごらん」と子どもたちに返すようにしていたそうです。その結果、まず自分たちで考える姿勢が育ってきたのです。

また、次のような場面がありました。
A君が気づいたことを発表したところ、なかなか全員が理解できませんでした。「A君の考えを説明してくれる人」と聞いたところ、B君が挙手をして発表してくれました。説明が終わった後すぐに「A君これでいい」とA君の方に向いて確認しました。A君は「うん、いい。ありがとう」とうれしそうに答えました。
日ごろ友だちの考えを説明する場合は、必ず本人に確認をすることを授業者がきちんとしつけていることの現れです。

子どもたちが育つのには理由があります。日ごろの教師の働きかけが必ずあるのです。この時期の授業研究に参加すると、「子どもたちがいいからうまくいく。うちの学級では・・・」といった感想がよく聞かれます。育った子どもは結果です。そこに至る過程にきちんと思い至らなければ、授業を見たことにならないのです。先生方の日ごろの地道な働きかけが目の前に浮かんでくるような授業でした。この先、子どもたちがどんなふうに育っていくのか、次回の訪問がとても楽しみです。

自分たちの授業として見る

一昨日は、終日中学校で授業参観と授業研究に参加しました。

授業では子どもたちの「つながり」を大切にしています。先生同士のつながりを密にしようと、授業検討会をグループで行うようになって半年余りがたちました。授業に対して真剣にかつ楽しく話し合っています。内容も教師の動きだけでなく、子どもたちの動きについて語られるようになってきました。とてもよい雰囲気です。しかし、個々の授業に関してのよいところや気づきは話されるのですが、どこか他人事のようなとらえ方をしているように見えました。そのためか、検討会で話されたよい気づきが他の授業になかなか活かされず、学校に広がっていかないと感じていました。

今回、いくつかのグループで、この授業に限らず、自分の授業や他の教科ではどうなのだろうという視点で話し合われていました。

「自分の授業でも、うまく他の子どもと関わって意見を言えない」
「子どもたちがつながるためには、どの教科にも共通して子どもたちに示すべきことがあるのでは?」

こんな意見が聞かれるようになりました。
先生方が変わり始めたのです。授業を他者のものではなく、自分たちのものとして見るようになってきたのです。このようになってくると、一つひとつの授業から得た学びが学校全体に広がるようになります。互いに学びあえるようになっていくのです。

今回の授業検討会をきっかけに、この学校が大きく進化していくのでないかと楽しみにしています。

授業技術に縛られない

先週末は、中学校の特別支援学級での和太鼓の授業のアドバイスを行いました。採用2年目ですが、講師時代を含めるとこの学校の特別支援に関わって8年目の先生でした。

2日後が発表ということで最後の仕上げの段階です。20人ほどの生徒が一生懸命集中して練習していました。子どもへの指示ははっきりとしていて、実技の見本もポイントがわかりやすいように大きな動作で見せています。和太鼓の授業の押さえどころをつかんでいるようでした。
最後に子どもの集中力を高めるために、声が出ていないことを指摘して再度挑戦させました。授業者の思惑通り、子どもたちは大きな声で演技をし、最後に子どもたちを大いにほめて授業は終わりました。

見事な授業でした。授業者はこういう場面ではこうすればよい、このような対応をすれば子どもたちはこうなるという授業技術をいくつも持っています。が、逆にその授業技術に縛れているように見えました。
例えば、教師と子どものコミュニケーションを図ることはできているのですが、子ども同士の関わりが少ないのです。他者とのコミュニケーションが苦手な子が多いようですが、子ども同士をつなぐことで関われそうな子もたくさんいます。そこまで目指せると思いました。しかし、授業者は子ども同士の関わりを意識していなかったし、そのような授業技術も持っていなかったのです。自分の持っている授業技術の範囲でできることが目指す子どもの姿になっていたのです。

特別支援に限らず、経験を積めば、このように指示すれば子どもはこう動くという授業技術はいくつも身に着きます。しかし、大切なのは目の前にいる子どもたちをどこまで伸ばせるかです。子どもたちの状況をしっかり把握して、ここまでいけるという目指す姿をきちんと描き、そのためにどのような活動をすればよいのかを考えることです。そうすると今まで身につけた授業技術だけではうまくいかないことに気づきます。だからこそ、新しい工夫が必要になり、その結果教師も成長するのです。

まだ若い先生です。今まで身につけた授業を技術だけに頼らずに、子どもたちをより伸ばすにはどうすればよいか、新しいことにどんどんチャレンジしてほしいと思います。

子どもを認める難しさ

昨日は中学校で採用2年目の先生の、数学の授業アドバイスを行いました。

2年目ですが落ち着いた口調でわかりやすく話すことができます。子どもたちも落ち着いて先生の話を聞いています。なかなかよい雰囲気です。子どもの発言を認めることを意識して「なるほどね」「いいね」と受容する言葉をよく使っています。授業アドバイスをより効果的にするために、事前に教頭先生から指導をされていたようです。ところが、発言した子どもたちの表情はさえません。

グラフにする式を3つの中から選ばせた後の場面です。

「A君、どうしてこの式を選んだの?」
「簡単そうだから」
「簡単な問題を選んだということは悪いことではないよ。簡単な問題から始めて性質を見つけていくことは数学ではよくあることだ。いいよ。では、次の式を選んだ人・・・」

この後、A君の顔はしばらく沈んだままでした。

授業後この場面について聞いたところ、A君の顔が沈んでいたことにちゃんと気づいていました。しかし、A君の発言をフォローしたのにうまくいかなかったのはなぜだかよくわからないようでした。A君から見るとフォローされたということは、自分の発言が期待されたものではなかったということです。「悪くない」という言葉は全面的な肯定ではないのです。

「なるほど、簡単だから選んだんだ。いいよね。同じ理由の人いる」
「いるね。簡単な問題から始めて性質を見つけていくことは数学では大切なことだよね。」

このような対応をすればよかったのです。教師が子どもを認めているつもりでも、期待した答えと違った時には、その気持ちが表現に表れてしまいます。また、期待した答えに近づけようといろいろと説明したりします。この先生の場合、子どもの発言に対して、コメントしてから、「なるほどね」「いいね」と言っていたのです。まず受容する言葉を言って認めないと、条件付きで認められた、フォローされたという気持ちになってしまいます。

授業者自身、子どもたちを認めているつもりなのに表情が暗いことに気づいていました。これは意識して行動しているからです。だからこそ、次の課題が見えてきたのです。意識すればうまくいくわけではありません。しかし、アドバイスを素直に実行する姿勢があれば確実に進歩していきます。次に私が授業を見るときには大きな進歩をしていることと思います。

みんなで授業を作る

昨日は、終日中学校の学校訪問に参加しました。事前の指導案作成で難航した数学の文章題の授業がどのようになったのかが、私の一番の関心事でした。

授業研究の一環として数学以外の先生も交えた指導案検討会を持ったのですが、なかなか授業イメージが伝わりませんでした。そこで模擬授業をやってみることになりました。先生方は子どもの気持ちになって授業を受けてくれました。子どもの視点で見てみると、問題の意味がよくわからない、何を求められているかわからないという課題が明確になってきました。その後の検討の場面では、この図ではわからない、こう言ってもらえばわかると子どもの視点での意見がたくさん交換されました。その場では結論は出ませんでしたが、授業者はその後、みんなからもらった意見やアイデアをもとに、教科の先生と相談しながら授業を練り上げて当日に臨みました。

授業を参観しているメンバーは事前の検討会と同じメンバーです。あの授業がどのように変わったのか、子どもたちはどんな反応をするのか、誰もが真剣に見ていました。
課題であった問題把握は、寸劇を入れて具体的にイメージできるように、図の提示の仕方も工夫がされていました。子どもたちは全員集中して参加し、問題をきちんと理解できていました。

授業検討会も充実したものになりました。先生方も子どもをとてもよく見ていて、子どもの具体的な活動がたくさん語られました。どの先生も授業者の工夫や頑張りを評価していました。この授業の進歩に自分たちが貢献したという実感も多くの先生が持っていました。みんなで作った授業という気持ちになったのです。模擬授業をきっかけに、先生方が授業を通じてつながりました。

このよい経験が学校全体に広がっていくことで、学校全体が活性化していくことと期待しています。

読売教師力セミナー

先週末に開催された、読売教師力セミナーでコーディネーターを務めました。

素晴らしい模擬授業があったため、パネルディスカッションも具体的な話をすることができました。パネラーの先生方のおかげで私自身もたくさんのことを学べた楽しい時間でした。今回は子ども役を大人がするのではなく、児童生徒に登場してもらったので、彼らの発言がまたとても勉強になりました。授業者の先生方が子どもたちの発言や反応にどう対応するか、参加者の皆さんも目を皿のようにしておられました。

このセミナーを通じて、特別なキャリア教育の授業をするのではなく、普段の授業の中で「伝えるべきこと」「考えさせるべきこと」「身につけさせるべきこと」をきちんと意識すればよいということを伝えたかったのですが、無事に伝わったでしょうか?

模擬授業では具体的に、

小学生に、
働くということを考えさせる。働くということは自分や家族のためだけでなく、他者の役に立つということを伝える(気づかせる)。

中学生に、
目先の進学ではなく、その先にあるものを考えさせる。今ある中学校生活を大切にすることが働くことにつながることを伝える。情報収集、情報選択、コミュニケーション、意思決定といった能力を身につけさせる。

が示されました。

参加者の皆さんがこのようなメッセージを感じ取っていただけたれば、コーディネーターとしては大成功なのですが、どうだったのでしょうか。いつものことですが、事前の仕込みもなくその場その場で対応するために、あそこはこのように対応すればよかったという反省ばかりです。しかし、だからこそライブ特有の緊張感のある楽しめるものになっているのだと思います。会場の参加者とともに作り上げた楽しいセミナーになったと思います。

ちょっとした働きかけで授業は変わる

昨日は講談と社会科のコラボ授業を別の学校で参観しました。

授業者は書くことを大切にしているとのことで、子どもたちは南海師匠の講談を聞きながら、しっかりとメモを取っていました。

最初の授業では、聞き終わった後メモを整理する時間を少し取りました。その後グループでの話し合いになりましたが、子どもたちのテンションは少し落ちてしまいました。どこに間違いがあるのか自分の見つけたことを話すのですが、曖昧な知識で話すために聞いている方はすっきりと納得しません。結論が出ないまま、漫然とした話し合いが続きます。そこで、教科書や資料集にあたって根拠を明確にするように指示したところ、動きに変化が起きました。教科書や資料集を調べ出して、根拠を示して話し合うようになったのです。しかし、時間が足りずに十分な活動ができずに発表となりました。発表内容は、実際にはこうだから、この部分が間違っていると明確に指摘しているものはやや少なく、ここがおかしいという指摘にとどまっているものも目立ちました。また、資料のどこでわかったかを発表させても、その資料を実際に確認する子どもがあまりいませんでした。

そこで次の授業では、講談の最後に南海師匠が、「私の嘘は、全部教科書や資料集に載っていることばかりです」と付け加えました。授業者も作業の簡単な指示だけをして、すぐにグループ活動を始めました。子どもたちは、待ってましたとばかり自分の考えを話し始めます。しかし、そのあとすぐに教科書や資料集で確認を始めました。資料で確認がおわると、見つかった間違いをつぎつぎにまとめていきます。発表も最初の授業と比較して根拠が明確に示されています。資料のどこでわかったかを発表に対して、ほとんどの子が実際にページをめくって確認していました。自分たちも資料を調べていたので、ちゃんと確認したくなるようです。

どちらの学級でも、子ども同士の関係や話し合いでの聞く姿勢はきちんとできています。学校全体で学び合いに取り組んでいる成果が出ています。しかし、基本となる部分ができていても、教師のちょっとした働きかけ、指示の仕方など、授業の進め方で子どもたちの学びの姿は大きく変わるのです。
子どもたちの様子から、すぐ次の授業を修正した南海師匠と授業者の対応力は素晴らしいものがあります。そのおかげで私も多くのことを学ばせていただきました。

講談と社会科のコラボ授業

毎年この時期に行われる、講談と社会科のコラボ授業を参観してきました。当初は中学校1校での試みでしたが、近隣の学校も巻き込み、昨年からは1週間かけて3校での実施となりました。この授業のために大阪から毎年旭堂南海師匠においで願っています。

この授業のベーシックな形は、南海師匠が歴史に関する話をして子どもたちがその嘘を見つけて発表するというものです。日ごろ触れることのない講談という大衆芸能に触れ、そこから歴史の面白さを再発見してもらおうというのがねらいです。この授業の成否は子どもたちが話にどれだけ引き込まれるかにかかっているのですが、そこは師匠、毎回子どもたちの反応に合わせて話のテンポや語り口を変え見事に引きつけます。
今回は幕末をテーマに3つの事件や人物についての話でしたが、子どもたちが引き込まれるからこそ、日ごろの授業の課題が浮き彫りになってきました。

授業は単にグループで間違いを指摘するのではなく、その根拠を教科書や資料集に求めるという形で進みます。最初の授業では固有名詞や事実の単純な間違いを中心にしたのですが、子どもたちは資料に基づく話し合いになれているので特に混乱はありません。スムーズに進んでいきます。ところが子どもたちのグループ活動は活発になりません。各自が資料で間違いを確認してそれを互いに発表し合えばそれで終わってしまうからです。

そこで、次は関税自主権や治外法権といった用語の説明、事件が及ぼした影響を間違いに加えました。今度は、教科書の説明と南海さんの話の説明とは逆だときちんと友だちに説明しています。説明が必要になるため、話し合いは最初の授業よりも明らかに活発になりました。子どもたちは単に用語を覚えているだけでなく、きちんとその内容も理解しているようです。
ところが事件の影響の誤りはどのグループもキチンと指摘することができませんでした。「大塩平八郎の乱は1日で鎮圧され、幕府の力を恐れて以後逆らうものが出なくなった」という話の間違いに気づかないのです。教科書には「幕府を驚かせた」という程度の記述なのですが、そこからこの事件の影響を想像できていないのでしょう。
用語や事件の内容は理解できているのですが、点でとらえているため、事件の関連や互いの影響を意識できていないのです。

一連のコラボ授業の結果、子どもたちに歴史の関連性をきちんと考えさせることができていないことが明らかになりました。子どもたちが話に引き込まれ真剣に取り組むからこそ課題が明確になったのです。先生方はこの課題解決のためにこれから授業を工夫していくことと思います。それに伴いこの講談と社会科のコラボ授業もまた進化していくことでしょう。今から来年が楽しみです。

子どもたちと向き合うことで課題は見つかる

昨日は終日、中学校で若手の授業参観とアドバイスを行ってきました。
2年目の英語の教員は、去年と比べると子どもたちときちんと向き合えるようになっていました。

フラッシュカードを利用した単語の発音練習の場面です。先生の発音に続いて全員で発音することを繰り返し練習した後、個別に指名して確認をしました。先生が黙ってフラッシュカードを見せて発音させたところ、きちんと発音できません。2人目がダメだった後、すぐに全体での練習をやりなおしました。よい判断です。
授業後、全体ではあれだけ大きな声で発音できていたのに、なぜ個別には発音できなかったのかを話し合いました。子どもが彼の授業の課題を教えてくれたのです。耳で聞いて発音する、目で見て発音することとの違い。それを同時にすることの難しさを彼は気づいてくれたようです。これからはこのことを意識して授業を工夫してくれると思います。
その後、授業で困っていることを聞いたところ、指名の仕方、板書の使い方など具体的な質問がたくさん出てきました。これは大変な進歩です。漫然と授業をしている先生からはほとんど質問は出てきません。毎日の授業で子どもたちが見せる姿から、自分の課題を見つけているのです。子どもたちと真剣に向き合っている証拠です。

子どもたちを見る力がつけばつくほど、課題もたくさん見つかります。その課題を解決するためにいろいろと工夫をすることで力がつきます。子どもたちの事実から目をそむけず、しっかりと向き合うことが授業力向上には欠かせないのです。
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