必然性のある場面をどうつくる

子どもの学習意欲を高めるための大切な要素として、学ぶ必然性があります。学ぶことが役に立つ、必要であると感じれば、当然一生懸命課題に取り組むからです。では、学ぶ必然性のある場面をつくるには、どういうことを意識すればよいのでしょうか。

基本はゴールが明確であることです。ゴールにたどり着くために必要であることが学ぶ必然性につながります。

色の塗り方を工夫して絵を描くことを考えてみましょう。「今日は○○の絵を描く」だけではゴールはまだ明確ではありません。今までの子どもの作品を見せる、その絵のよさを子どもが感じる、あんな絵が描きたいと思う。こういう過程が必要になります。その過程で「色の塗り方に工夫がされている」ということに気づかせればよいのです。

次に意識したいのは、学んだこととそれを活かす場面はできるだけ近接させるということです。

先ほどの絵の例で、下絵を描いてから色を塗る作業に入るのであれば、色の塗り方の工夫を具体的に考えさせるのは、下絵を描いた後がよいということです。
下絵も描いていない状態で自分がどんな絵を描くかも明確でなければ、先輩の作品を見て色の塗り方の工夫について考えても、その必要性をあまり感じません。「さあ今からどんな風に色を塗ろう」と思っているときであれば、先輩の工夫から学ぶことに必然性があります。

「下絵が描けた人は、色を塗ってもらいます。塗り始める前にもう一度先輩の作品を見て、ここがいいなと思うところがあったら真似していいからね。どんなところを真似したかあとで教えてね」

このような指示を出すことで、集中して先輩の絵から学びます。

子どもたちが学ぶ必然性をどうすればより感じることができるか意識して、授業をつくっていただきたいと思います。

一人ひとりの活動量を確保する

挙手をした子どもを教師が指名する。子どもの発言を受けて次の発問をする。この連続で進む授業は、子どもが活躍するよい授業に思えます。ところが、実際に発言しているこどもはごく一部に限られていて、他の多くの子どもは受身であったり、全く話についていけてなかったりします。貴重な授業時間を無駄にしています。授業では、一人ひとりの活動量をきちんと確保する必要があるのです。

一人ひとりが話を聞いて考えていれば、それはきちんと活動していることになります。しかし、そればかりでは集中力が続きません。自分の考えを発言したり、主体的に参加する必要があります。しかし、全体の場では、同時に一人しか発言できません。子どもたちが主体的に活動するには効率が悪いのです。

個人作業をそのための時間ととらえることもできますが、わからないとそこで止まってしまいますし、自分の考えを外化してそれに対する他者の考えを聞くこともできません。活動の幅が狭いのです。

・個人作業でも、わからなければ友だちに聞く。聞かれたらきちんと説明する。
・考えを隣同士で言いあう。周りの人と相談する。
・グループで相談する。

このような時間を取り入れることで一人ひとりの活動量が確保でき、授業の密度が上がります。子どもたち一人ひとりに目を向け、きちんと活動できているかを意識するようにしてほしいと思います。

評価の観点を具体的に示しておく

子どもたちの活動の後、教師がほめることはごく普通の光景だと思います。ところがそのほめる観点を事前に具体的に示さずに活動していることがよくあります。

「A役とB役にわかれて、二人で読みあってください。頑張って読んでくださいね」
・・・
「はい、みんな頑張って読んでくれたね。○○さんは、身振りもつけてくれてとてもよく頑張ったね」

この場合、頑張ることは具体的にどういうことか示されていません。たまたま身振りをつけた子がいたので、それを頑張ったこととして教師はほめたわけです。
「身振りをつければほめてもらえるのなら、最初からそう言ってくれれば意識したのに」と思う子どもが出てきます。頑張ることはどういうことか明確でないために評価に対する納得感がありません。活動のねらいにつながることを具体的な目標として事前に伝える必要があります。

本当に教師が身振りをつけるような工夫をさせたいのであれば、そのことを最初に示しておきます。

「A役とB役にわかれて、二人で読みあってください。その人の気持ちが伝わるような工夫をして読んでくださいね」
・・・
「○○さんは、身振りもつけてくれて工夫してくれたね。△△さんは、声の大きさを変えて読んでくれていたね。みんな工夫してくれていたね。ペアの人がどんな工夫をしていたか、気づいたことを教えてくれる?」

子どもたちに活動させる時は、ねらいを意識させる必要があります。ほめることは、その評価です。事前にその観点を明確にすることで、子どもたちが意欲的に取り組み、意識して活動してくれます。その結果、ほめることが子どもたちのモチベーションアップにもつながっていくのです。

資料集をどう活用する

教科によっては教科書以外に資料集を持たせていることがあります。資料集を有効に活用するにはどんなことを意識すればよいのでしょうか。

資料集の活用には、次の3つのステップがあります。

・必要な資料を見つける
・資料を読み取る
・読み取った内容をもとに考える

注意してほしいのは、活動中に途中のステップで止まっている子がいるかどうかです。資料を見つけることができていなかったり、資料を読み取れていないのに、全体の場で結論を聞かされても話し合いに参加できません。
そこで、いきなり結論を発表させるのではなく、ステップごとに確認をすることも必要になります。

「どんな資料が見つかったか教えて」
「この資料からどんなことがいえる」

このようにすることで、途中で止まっている子ども次のステップに移れます。
また、考えることに時間を取りたいのであれば、ステップを飛ばして、利用する資料を最初から指定したり、全体で資料の内容を確認しておくことも有効です。

もうひとつ大切にしてほしいのは、考えを発表する場面で、必ず根拠とした資料を聞くことです。気づかなかった子は、その資料と出会うことができますし、気づいても違うことを考えた子は、別の視点に出会えます。

「・・・だと思います」
「なるほど、それはどの資料でわかったのか教えてくれる」
「○○です」
「Aさんは、○○から・・・がわかったといってくれたけど、なるほどと思った」
・・・
「じゃあ、私は○○から違うことを思ったという人いるかな」

このようにすることで、資料をもとに子どもたちの考えが深まり、つながっていきます。

資料集には子どもの考えを広げたり深めるための情報がたくさんあります。活用のステップを意識して、大いに活用してもらいたいと思います。

漫然と読ませない工夫

授業中、教科書や資料を読むときがあります。声に出す、黙読する、一斉に、個別に・・・。「読む」場面はとても多いと思います。ところがこのような場面で気になるのは、漫然と文字を追っているだけ、声に出しているだけに見える子どもが多いことです。

子どもが活動する時には、目標やその評価を意識することが大切です。「読む」場面でも、何を目標にして読むかを明確にして、その評価をすることが大切になります。

例えば、全員で一斉に読むときは、「大きな声で読もう」「主人公の気持ちになって読もう」といった指示があります。教師も指示した以上は、きちんと評価する必要があります。大きな声で読んでいるかどうかを評価するのであれば、声だけではわかりにくいので、口元が見えるように顔をあげて読ませるようするなどの工夫も必要です。主人公の気持ちになることを求めるのであれば、読む前に主人公の気持ちを確認しておくことも大切です。一度普通に読んだあとに、主人公の気持ちになってもう一度読ませ、「今、主人公の気持ちになって読んでもらったけど、どんな気持ちになって読んでくれたのかな」と聞くことから、本文の読み取りを始めるようなやり方もあります。
このような指示と評価を教師が意識することでより積極的に取り組むようになります。

より注意が必要なのは、黙読するときや友だちが読んでいるのを聞くときです。自分が声をださないので、どうしても漫然と文字を目で追ってしまうのです。こういうときは、本文に線を引きながら読ませることが効果的です。

「わからない言葉があったら線を引いて」
「主人公の気持ちがわかる表現に線を引いて」
「資料で、・・・がわかるところに線を引いて」

このように指示をすることで、子どもの集中度は間違いなく上がりますし、教師も子どもの手の動きをみることで評価がしやすくなります。
読んだ後は、自分で調べる、友だちに教えてもらう、どこに線を引いたか教え合う、その理由を聞きあう、学級全体で線を引いたことを共有する。このような活動をすることで、より「読む」ことに意欲的になっていきます。

「読む」場面では、目標と評価を明確にし、そのことを読む前と後できちんと確認する。そして、できれば、読み取ったこと、意識したことをその後の授業展開に生かす工夫をすることで、より集中して「読む」ことができるようになると思います。

ルール化する

子どもに何か活動させる時、事前に指示をたくさんすることがあります。

「グループの全員が必ず意見を言ってね」
「わからないことは聞くように」
・・・
子どもたちは課題に取り組もうと意欲があがっているのに、事前の指示が多すぎて意欲がそがれてしまうこともあります。このような毎回の活動に共通するような指示はできるだけ少なくして、その日の課題に関することを中心に簡潔に指示をする必要があります。とはいえ、毎回確認しておかないと徹底できないようで、不安でもあります。
そこで、このようないつも共通する活動の進め方をルールにするのです。「話し合いのルール」「実験のルール」・・・。最初のうちは詳しく説明、指示が必要ですが、ルールにしてしまえば定着させやすくなります。教室の前に貼っておいて、いつでも確認できるようにするのもいいでしょう。

「話し合いのルールはなんだった。思い出せない人は前を見て確認しよう」

といった指示で済みます。
また、課題ができた子に対する次の指示を、活動中に口頭ですることもよくありますが、まだ作業中の子は自分の課題に集中しているので指示をきちんとは聞きません。そこで、「できた人への指示は黒板に書いておく」というルールにしておけば、できた子は黒板を見て次の課題に取り組むので、遊ぶこともありません。

日ごろの指示で、教室のルールにできそうなものは、ルール化するとよいと思います。

一人で考えることにこだわりすぎない

グループ活動や話し合いの前に、自分の考えを持たせたい。そのためにどのくらいの時間を取ればよいのかと相談されることがよくあります。

自分の考えを持たないと人の話を聞くだけで受け身になって、話し合いに参加できない。
最低一つは自分の考えを持たせてから、グループ活動に参加させたい。

教師にはこのような思いがあるのですが、すべての子に考えを持たせようとすると時間がかかるため、肝心の話し合いの活動の時間が無くなってしまいます。だから相談されるのです。このような相談をされる方は、自分の考えを持たせるために「一人で考える」よう指示していることが多いのです。
実際に授業を見ていると、考えを持てない子は時間を与えてもなかなか持てるようになりません。余分に時間を与えたからといって、考えを持てるようになるわけではないのです。逆に、早く考えを持てた子どもがだれてしまうこともあります。

自分の考えを持つことと、一人で考えることは決して同じではありません。考えを持つためには人の考えを聞くことも大切です。一人で考えて行き詰るなら友だちと相談してもよいのです。一人で考える「時間」にとらわれるより、自分の考えを持てる「活動」を大切にしてほしいのです。そう考えれば、「一人で考える」ことにこだわらず、最初からグループで相談する、苦しくなったら相談するという選択肢も出てきます。大切なのは、友だちとのかかわり合いの中で、答えという「結果」を共有するのではなく、どのように考えたかの「過程」を共有するように指導することです。

「最初に、こう考えたんだけど」
「こうやったけどうまくいかなかった」
「問題の意味がよくわからない」

このような言葉が出るようにすれば、自分の考えを持てていない子どもも、話し合いに参加できるようになります。人とかかわりながら自分の考えを持つことができるようになります。「一人で考える」ことにこだわりすぎないようにしてください。

根拠を問う

子どもに発言を求めるときに、答えや結果だけを確認する場面に出会うことがよくあります。

「主人公はこのときどんな気持だったと思う。考えを聞かせてください」
「とても悲しかったと思います」
「そうです。悲しかったんだね」

しかし、同じ答えだからといってそこにいたる過程や根拠は一人ひとり違うことがあります。また、そこにたどり着けなかった子どもは、結果だけを聞いても何故そうなるか理解できません。子どもに根拠を問うことで結果に至る過程を明らかにする必要があるのです。

「とても悲しかったと思います」
「なるほど、とても悲しかったと思ったんだ。それは、どこでわかるの」
「○ページの△行目に・・・と書いてあるので、ああ悲しいんだなと思いました」
「じゃあ、そこを読んでみて。・・・納得した人手を挙げて」

大人でも「なぜ」と根拠を問われると答えにくいものです。「どこでわかった」「それってどういうこと」と聞くことで、答えやすくなります。

資料から探すような場面でも、

「この人物はどういうことをした人。Aさん教えて」
「○○をした人です」
「それってどうやってわかった」
「資料集の何ページの下の方に書いてありました」
「あっ、あった」
「Bさん見つかった。何って書いてあった」

このようにすることで資料集のよさや使い方を子どもは身につけていきます。

「子どもの発言に対して、必ず根拠を聞くようにするといいよ」とアドバイスした先生に、その後を聞く機会がありました。
子どもが元気よく挙手をする学級でしたが、挙手の数が減ったそうです。今まで根拠を意識していなかった子どもが、根拠を考えるようになったためです。そのかわり首を傾けたりして考える場面が増え、友だちの発言を今まで以上に聞くようなったそうです。

根拠を聞くことで、子どもたちはより深く考えるようにもなるのです。

事前に子どもの考えを知ることの落とし穴

子どもがどんな考えを持っているかを知るために、机間指導でチェックしたり、グループでの話し合いをそばで聞くことはよくあります。この後の全体での追究場面で生かすためです。最初にこの意見を出させて、次はこの子にあてて、最後はこの意見で締めよう。このような進め方のシナリオをつくることもよくあります。このこと自体は決して間違いではないのですが、注意してほしいことがいくつかあります。

教師が指名する時にあらかじめその子がどのような答えをするかわかっているため、子どもの発言が不完全でも教師は理解できてしまいます。しかし、他の子どもたちは初めて聞くのですから、教師よりも理解度は落ちます。子どもたちが発言を理解できず、考えが全体に広がっていないのに教師が次々指名して、教師の予定した結論に導いてしまうこともあります。教師はあらかじめシナリオをつくっているので、子どもの状況を把握することより、予定した通りに進めることを優先してしまうからです。

また、全体の場で出てきた意見を受けて考えが変わることもあります。当然、教師が予定していた意見を子どもが言ってくれないこともあります。そのようなとき、「ノートに書いたことを言って」と無理やり予定した発言を引きだそうとすると、子どもは自分が最初に発言したことを否定されたような気持ちになってしまいます。

事前に把握している子どもの考えにとらわれず、出てきた意見をきちんと子どもたちに広げて、子どもたちの反応に応じて、時には予定したシナリオを捨てることも必要です。事前に子どもたちの考えを知ることが悪いことではありません。それにとらわれず、子どもたちの状況に柔軟に対応することが大切なのです。

ほめることは難しい?

子どもたちをほめて伸ばすということが、よくいわれます。ところが、このほめることがうまくできない、ほめ方を教えてくれという相談がよくあります。中には、「悪いところばかりの子どもをどうやってほめるの?」と質問する方もいます。子どもたちをほめるには、難しいことなのでしょうか、どのようなことに気をつければいいのでしょうか。

まず、ほめる観点が具体的であることが大切です。「積極的に取り組んでいる」ことをほめるのであれば、それがどのような子どもの姿でわかるのかを明確にすることです。そして、どのような場面で見られるかを明確にしておくことです。具体的な姿を意識して、その姿が見られる場面をつくることで、子どものよい姿を見つけることができるのです。見ようとしないと見られないのです。

また、教師の中に絶対的な基準があって、これができればほめるという発想だと、どうしても能力の高い子、よい子ばかりがほめられることになります。教師にはどうしても完璧を求める傾向があります。最終目標は高くてよいのですが、そこに足りないところを見つけて指摘するのではなく、出来たところまでをほめるのです。こうして、一人ひとりの成長したところ、できたことをほめるようにすればすべての子どもをほめることができます。

「Aさん、プリントが配られてすぐに名前を書いたね。えらいね」
「Bさん、すぐに鉛筆を持ったね。やる気があっていいね」

こんなことでも、普段なかなかできない子であれば、ほめていいのです。全員を同じ基準で見るのではなく、個人内相対評価をしてあげることが必要です。

教師が子どもたち一人ひとりのほめたい姿を明確にして、その姿を見ようとすれば、ほめることは難しくないはずです。

挙手の様子から何がわかる

授業中に子どもの挙手を求める場面がよくあります。勢いよく手が挙がる子、ゆっくりと手が挙がる子、まわりを見ながら手を挙げる子いろいろです。挙手の様子から何がわかるのでしょうか。そして、どのように対処すればよいのでしょうか。

勢いよく手が挙がるのは、自信のあるとき、指名されたいときです。大きな声を出したり、指名してもらおうとわざと目立つ行動を取ったりもします。子どもと教師の人間関係がよいと、子どもは正解して教師にほめてもらいたいのでこの傾向が強くなります。勢い余って指名されないのに答えてしまったりもします。他の子が答えると、「言われたー」とがっかりします。こういう状態を続けると、子どもと教師の関係はいいが、子ども同士の関係があまりよくない学級になってしまいます。
対応としては、一つの問いに対してできるだけたくさんの子どもを指名することです。教師が「正解」という言葉を言わない限り何人でも指名できます。

「Aさんはどう思った?」
「○○です」
「なるほど、○○と思ったんだ。Bさんは?」
「えっ。Aさんと同じですが・・・」
「もう一度言ってみて」
「○○です」
「なるほど、Aさんとおなじだね」
「Cさんは?」

このようにすれば、子どもは友だちと同じ考えでも指名して答えられるので、落ち着いて手を挙げるようになります。
また、同じ答えの人を確認したり、次に指名する子どもは根拠を聞くようにするのもよいでしょう。

「Aさんと同じ考えの人手を挙げて」
「Bさん。どのようにして考えた」
「△△です」
「なるほど、△△と考えたんだ。Aさん、Bさんの考えを聞いてどう思った」

このようにして、子ども同士をつなげていくと、子ども同士の関係もよくなっていきます。

友だちの発言の後、すぐに勢いよく手が挙がるのは、発言を聞こうとする気持より自分の意見を発表したい気持ちが強いときです。逆に手がゆっくり挙がるのは、友だちの発言をきちんと受け止めているときです。友だちの発言を聞くようにするには、友だちの発言を聞く必然性をつくることです。

「Aさんは○○と言ってくれたけど、それについてどう思う」
「Aさんは○○と言ってくれたけど、なるほどと思った人」
「Aさんは○○と言ってくれたけど、その理由を説明できる人」

教師が友だちの発言を聞く必然性をつくることで、自然に友だちの発言を聞くようになります。

まわりを見ながら挙手する子どもは自信のない子です。多くの子が手を挙げる中では、できないと思われたくないのでわかっていなくても手を挙げている場合もあります。正解以外が評価されない学級で起こりやすい状況です。
わからないことを積極的に評価する。不正解でも否定しないことが大切です。

「この問題よくわからない人手を挙げて」
「わからないことをはっきりできる人は偉いね。Aさんどこがわからない」
「□□がわかりません。なるほど、Aさんありがとう。じゃ□□をみんなで考えてみよう」
・・・
「Aさんのおかげでよく考えることができたね」

誰でもできないことから出発する、できないことができるための第一歩であることを子どもたちに伝えることが大切です。

ノートにはよい意見が書いてあるのになかなか挙手してくれない子には、机間指導の時に○をつけたり、よい意見だから発表するようにお願いしておきます。また、挙手だけに頼らず、教師が指名してもよいでしょう。

「いい意見だね。あとで発表してね」
「Aさんのノートにとてもいい意見が書いてあったんだけど、聞かせてくれる」

挙手の様子からも子どもたちのいろいろな状況がわかります。自分の学級の状況に応じて挙手の後の対応を工夫してみてください。

机間指導のポイント

子どもに作業をさせているとき、教師はまず間違いなく机間指導(支援)をします。ノートに○をつける、できない子の指導をする。なかには、漫然と子どもたちの間を散歩しているように見える方もいます。
机間指導とは何に注意をして何をすればよいのでしょうか?

机間指導は個別指導のチャンスでもありますが、大切なのは全体を把握することだと思います。まずは、全体を見回して支援が必要な子どもどのくらいいるかを確認します。数人であれば、すぐにその子たちのところへ行って、指示の確認や必要な支援を行います。もし、多くの子どもたちが手のつかない状態であれば、作業を中止させて全体で再度説明しなければなりません。
注意しなければいけないのは、一人の子どもにかかりきりになってしまわないことです。手詰まりになっている子に一生懸命に個人授業をしていると、全体の様子が見えません。他にも支援が必要な子がいるかもしれませんし、できてしまった子が遊んでいるかもしれません。子どもたちの間をまわって、個別に○をつけたり、アドバイスをしているときも必ず、移動の間に全体の様子を把握する必要があります。

では、できない子やつまずいている子を見つけたらどうすればよいのでしょう。大切なのは、事前に子どもたちがどのようなつまずきをするかを予測しそれに対する簡単なアドバイスや声掛けを考えておくことです。こうすることで、一人の子に多くの時間を割かずにすむわけです。このとき、わざと大きな声でアドバイスすると同じようなつまずきをしている子が自分で気づいてくれることもあります。また、すべて教師一人で対応しようとせずに、まわりと相談するように促すこともよい方法です。

机間指導では、できない子をきちんと指導しようとするのではなく、まずは、動きが止まっている子どもが動き出すためのきっかけを与えることと、子どもたちのつまずきの状態を把握し次の場面での指導に生かすための情報を集めることに注意するとよいと思います。

間違いは本人に修正させる

子どもの発言が間違っているときやおかしなものであったときの教師の対応は難しいものがあります。対応によっては、子どもがやる気をなくしてしまいます。どのようにすればいのでしょう。

例え間違いでも、否定から入ってはいけません。「違います」の一言でせっかくやる気で発言した子どもの意欲は無くなってしまいます。
また、否定はしなくても「他にない」とすぐに他の子に聞けば、「ああ、やっぱりダメだった」と思ってしまいます。
まずどんな答えでも認めることです。そのうえで、考えをもう一度整理させたり、深めさせる必要があります。時には、子どもの答えをそのまま復唱するだけで間違いに気づくこともあります。

「○○○だと思います」
「なるほど、○○○と考えたんだ。それってどういうことかな」
「△△△だから・・・。あれ、へんだな」

このように教師が聞き返すことが、子どもの考えの修正につながります。

他の子の意見を聞かせて、考えを修正させることも有効です。

「○○○だと思います」
「なるほど、Aさんは○○○と考えたんだ。Bさんはどう考えた」
「◎◎◎です」
「なるほど、Bさんは◎◎◎と考えたんだ。Cさんは」
「私も□□□だから、◎◎◎だと思います。なるほど、◎◎◎が多いけど、Aさんどう?」
「違ってた。○○○だ」
「どこで気づいた」
「Cさんの説明でわかった」
「そうか、Cさんの説明がよかったんだ。Cさんすごいね。それをよく聞いてわかったAさんもいいね」

教師が正解を押し付けたり、否定したりして考えを修正するのではなく、できるだけ教師と子ども、子ども同士の肯定的、受容的な関わりの中で、間違えた本人自身で修正することが理想です。簡単なことではありませんが、子どもの意欲を高めるためにも挑戦してほしいと思います。

「わかった」は禁句!?

授業中に教師がよく使う言葉に、「わかった」があります。

「この問題がわかった人?」
「わかったこと聞かせて」

このような使われ方をよく目にします。
私は、この「わかった」という言葉を「禁句」にしてくださいとお願いしています。
「わかった人」「わかったこと」と聞かれれば、わかった子しか挙手できません。常にわかっている子のペースで授業が進みます。手をかけなければいけない「わからない子」が参加できないまま進んでいきます。

「気づいたことや考えたことを聞かせて」
「わからないことを教えて」

と、できるだけどの子も参加しやすいように聞いてあげる必要があります。

また、説明の後に「わかった?」と聞かれると、子どもの立場では「わかりなさい」という強迫とも感じられます。

「Aさん答えて」
「わかりません」
「・・・だから、・・・だよね。だから答えはこうだね。Aさんわかった?」
「わかりました」

このように教師が一生懸命に説明してくれた後では、よくわからなくても「わかりません」となかなか言えないものです。子どもが立たされたままであれば、早く座って解放されたいのでなおさらです。

「わかりました」
「じゃあ、自分の言葉で説明してくれる」
「・・・」

このように、実際に確認するとわかっていないことがよくあります。しかし、教師の方も、ここで「わからない」と言われると授業が進まないのであえて確認をしないことも多いようです。その結果、教師の説明の後「わかった」と聞かれると、とりあえず子どもは「わかった」と答え、教師はそれ以上追及しないという、暗黙の不可侵条約が結ばれてしまうのです。

「わかった」結果ではなく、「わからない」こと「わかる」過程を大切にして、わからない子が参加できる授業にしていただきたいと思います。

授業後の質問は複数で

定期テスト前の中学・高校では、職員室前に質問に来る生徒の姿がたくさん見られます。こういった授業後の質問の場面も、子どもたちの人間関係を作り、学び合いをさせることに大いに役立ちます。

私は、授業に関する質問は、3〜4人の複数で来るように指導するとよいとお話しています。もちろん、一緒に質問する人が見つからなければ、1人でもよいとは伝えます。その理由には、

一緒に質問する友だちを探す時に、わかっている人に出会えばそこで教えてもらうことで子ども同士の学び合いで解決できる。

複数に対して説明すると、全員が理解できなくても、その中の一人でも理解できれば、その子に説明させることにより子ども同士で解決できる。

今、どの子とどの子の仲がよいといった、子ども同士の人間関係を知ることができる。また、どうしても一人でしか来られない子がいれば、その子は友だち関係がうまくいってない可能性があることを察知できる。

などがあります。

このようにすることで、子どもが友だちと聞きあったり、一緒に勉強したりする機会が増えていきます。
学び合いということがよく言われますが、授業時間内だけでなく、いろいろな場面で意識するとよいと思います。

時間を与えることの意味

子どもに問題を解かせたりワークシートなどの作業をさせたりしている時に、「まだできていない人がいるから、あと○分あげるね」と作業時間を延長する場面によく出会います。また、発問して子どもの手が挙がらない時に、「もう少し考えて」と待つ場面もよくあります。このように子どもに時間を与えることについて少し考えてみたいと思います。

「全員ができてほしい」
「少しでも多くの子どもに考えてほしい」

教師であればだれでもが願うことです。しかし、子どもに時間を与えればできるようになるのでしょうか? 与えられた時間、考え続けることができるのでしょうか?

例えば、与えられたプリントが終わらない子どもの状況を考えてみましょう。
計算が遅い、調べるのが遅いなど作業スピードの問題で時間が足りないのであれば、作業が遅い子には与えられた時間は有効です。ただし、作業が速い子にはその時間が無駄にならないような工夫が必要です。(参考:作業スピードの差をどう埋めるか)
注意が必要なのは、単に作業スピードの問題でない場合です。子どもは「時間が足りない」以外の理由で行き詰っているのですから、単に時間を与えるのではなく、その原因を取り除く必要あります。そのための手立てをせずに時間を延長しても、「できる子は与えられた時間遊んでいるだけ」「できなかった子は最後までできずに終わる」ことになり、結局時間の無駄になってしまいます。

この場合、子どもができない理由をきちんと判断して、必要に応じて友だちに聞くことを促したり、教科書等のどこを見るか具体的に指示する。一旦作業を止めて、見通しを全体で確認するなどした上で、時間を与えるようにする必要があります。

時間を与えることは、その時間が子どもにとって有用な時間になって初めて意味を持ちます。単に遊ぶ時間を増やす、手がつかないで苦しむ時間を増やさないようにしてください。

指示の後の子どもの動き

教師が課題や作業の指示を出した後の子どもの動きを見ていると、いろいろなことがわかります。

すぐに鉛筆を持って取り組もうとする時は、課題に対する意欲がある時、何をすればよいかというゴールが見えている時です。
実際の授業では、ここで子どもが止まってしまうことがあります。こういう時は、子どもが何をすればよいかよくわかっていないことが多いようです。周りの子に何をすればよいのかを聞く姿もよく見られます。

子どもがすぐに動き出さない時は、一旦作業を止めて、もう一度指示の内容をきちんと確認をする必要があります。

また、すぐに動き出しても、しばらくすると鉛筆を置いて動きが止まる時があります。これは、どうすればゴールにたどり着けるのか見通しが持てない時に多いようです。この状態がしばらく続くと、子どもは手遊びを始めたりして集中力を無くしてしまいます。
ここで注意しなければならないのは、単に集中するように個別に声をかけたり、できていないからといって作業時間を延長しないことです。見通しが持てないのですから、時間を与えてもなかなか解決できません。また、「わからない人はヒントを出すから聞いてね」と作業をさせたままで教師がヒントを出したりするのも、全体の集中を乱すのでよくありません。
ここは一旦作業を終了させて、全体で見通しの確認をする必要があります。
答えを発表するのではなく、最初の一手やヒントをできている子どもに発表させます。教師がヒントを出すと、できている子は分かっているので、聞く意欲を無くしてしまい、結果そのあと作業に戻っても、集中力を無くしたり、勝手に周りの子に教えてじゃまをしたりするようになるからです。

もう一つ注意して欲しいのが、できる子への指示です。できる子は早く終わるとすることが無いので、遊びだしたり、周りの子のじゃまをすることがあります。学級全体の集中力が落ちてきて、まだ途中の子も遊び始めてしまいます。手のつかない子は、できた子の存在がはっきりするので、プレッシャーを感じます。「できた人は、・・・をしましょう」と作業に入る前に指示をすることも忘れないようにしましょう。

指示の後の子どもの動きから、子どもの状況を把握して、「子どもに活動させているつもりが無駄な時間となってしまう」ことがないよう、素早く対処してください。

教師は子どもの発言を復唱しない方がいい?

「教師が子どもの発言を復唱するとよいですよ」というアドバイスをすると、「子どもが教師の発言を聞けばよいので、友だちの発言を聞かなくなるのでは」と質問されることあります。実際に「教師は子どもの発言を復唱しないように」と指導している地区もあります。本当のところはどうなのでしょうか?

まず大前提となるのが、教師が子どもの発言を復唱するときには、子どもの発言をできるだけそのまま復唱することです。例え間違いや不完全な答えでも、そのまま復唱することで、子どもは教師が自分を認めてくれたと感じるのです。復唱することの意味は教師が子どもを認めているという安心感を教室に作ることです。
ところが、教師は子どもが間違いのときには無視したり、逆に期待した答えに近いことを言ってくれると、今度はどんどん自分の言いたいことを足してしまいます。

「観察していてどんなことに気づいた。Aさん」
「泡が出た」
「他にはない」
「Bさん」
「白くなった」
「そうだよね。Bさんが言ってくれたように、石灰水の中に通すと白く濁ったよね」

これではAさんは「自分はダメだったんだ」と思いますし、Bさんも「あれ、自分の言ったことと違う。間違っていたのかな」と不安になります。自己有用感を持てませんし、教師との関係も作られません。
また、まわりの子は先生の言ったことが正しいと思うので、Bさんの発言を認めなくなります。

「観察していてどんなことに気づいた。Aさん」
「泡が出た」
「なるほど、泡が出たんだ」
「それってどこから出たの」
「ガラス管から」
「ガラス管からでたんだ。ガラス管から泡が出たときに気づいたことない」
「うーん」
「いいよ。じゃあ誰かAさんの代わりに答えてくれるかな。Bさん」
「白くなった」
「白くなったんだ。何が白くなった」
「石灰水」
「なるほど、石灰水が白くなったんだ」
「Aさん、どう」
「うん、思いだした。水が白くなった」
「そうだよね。水が・・・白くなった」
「石灰水が・・・」
「石灰水が白くなったんだ」
「じゃあ、AさんとBさんが言ってくれたことまとめてくれる人」

このように、子どもの言葉をそのまま復唱しながら、深めていくやり取りをすれば、子どもも達成感を持てますし、まわりの子も教師の言葉に反応しながら、友だちがどう答えるかを真剣に聞くようになります。

もちろん、いつも教師が復唱するのではなく、他の子に復唱させたり、評価させたりするなど、友だちの発言を聞く価値を持たせる工夫も必要になります。
教師と子どもの関係をつくるのに、子どもの発言を教師が「そのまま」復唱することは有効なことです。一律に「いい」「悪い」ではなく、学級の状況に応じて、教師が意図的に復唱を活用していただければと思います。

子どもが友だちの発言を聞かない理由

授業を参観していると、子どもが友だちの発言を聞いていないと感じることがよくあります。友だちの発言中も教師の方を向いていて、その内容に反応しない。教師が他の子どもの発言を求めると、ちゃんと反応する。授業には参加しているのに、友だちの発言は聞こうとしない。なぜこのようなことが起きるのでしょうか。

このような授業に共通して感じるのは、子どもが友だちの発言を聞く必然性がないということです。

子どもの発言を受けて、「はい、正解」「いいですね」と言って、教師が一人で説明をする。
教師の求める答えでなければ「他には」とその発言は無視して次に行く。

このような進め方ですと、友だちの話を聞かなくても教師の発言を注意して聞いている方がよくわかるし効率的です。説明の後に要点を教師が板書してくれるのであれば、教師の話も聞く必要がありません。板書を写すことに専念すればよいのです。

では、聞く必然性はどうやって作ればよいのでしょうか。基本は子どもの発言できるだけ生かすことです。

「Aさんの説明を聞いて、なるほどと思った? 思った人、どこでなるほどと思ったか教えてくれる」

「Aさんの説明で納得した? よくわからない人もいるみたいだね。だれか、Aさんのかわりに、Aさんの考えを説明してくれる」

このように、子どもの発言を他の子どもにつないでいくようにするとよいでしょう。
また、友だちの発言を聞いていないと答えられない質問をすることも、聞く姿勢を作るためには有効です。

「今、Aさんがとてもいいこと言ってくれたけど、Bさんもう一度言ってくれる」
「わかりません」
「よく聞いてなかった? もったいなかったね。悪いけどAさんもう一度言ってくれる」
「・・・です」
「Aさんありがとう。Bさん言ってくれる」
「・・・です」
「Bさん、よく聞けたね」

このような場面では、友だちの発言を聞いていたことをきちんと評価することも忘れないようにしてください。

子どもが友だちの発言を聞かないのは、実は教師がそのことをちゃんと子どもに求めていないからなのです。

「みんな」という言葉は要注意

授業を参観していると、「みんなよく頑張ったね」「みんな分かった?」と、「みんな」を主語にした言葉をよく耳にします。この「みんな」という言葉にはちょっと注意が必要です。

「みんな」という言葉は、教師が子ども一人ひとりをきちんと見ていなくても使える言葉です。また、子ども一人ひとりの行動や理解は異なりますが、それらを「みんな」で代表させてしまうと、子どもがきちんと自分を評価できなくなったり、自分を主張できなくなったりします。

例えば、「みんな頑張ったね」と教師が言う時は、具体的に誰が何を頑張ったか、本当に一人残らず頑張っていたかを確認していないことがよくあります。子どももなんとなくほめられてうれしいのですが、きちんと自己評価できません。

「○○をやった人、手を挙げて」
「全員手が挙がったね。みんな頑張ったね」

このように、具体的に問いかけ、子どもが自己評価できることを大切にするとよいと思います。
ただ、全員の手が挙がらない時は、挙がらない子をきちんとケアする必要があります。

「A君は手が挙がらなかったけど、どういうことかな」
「あまり○○はちゃんとやらなかった」
「そうか、やらなかったか。でも、先生は、A君は△△をやって頑張ったと思うよ」
「みんな頑張ったね」

また、「みんな分かった」と聞いて、子どもが「はい」と元気よく返事を返してくれても、本当に全員分かったとは限りません。確かに大多数の子どもがわかっているのかもしれませんが、その陰には少数の分からない子がいることも多いのです。
「みんな」という言葉は、その中に入らない子どもを切り捨てる言葉にもなってしまいます。

教師が学級に語りかける時に便利な「みんな」という言葉ですが、その使い方には注意してほしいと思います。
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